偸盗   作:リネン_


原作:WIND BREAKER
タグ:オリ主 WIND BREAKER
蘇枋と武闘家だった人の話 | もろもろ捏造
-
2025年4月17日ウェブサイトにて発表
サイトバックアップ用にこちらに投稿しています
pixivにてバックアップ投稿済

1 / 1
偸盗

「話半分に聞いてくれていいんだ。さっき思いついた話さ。

 

あるチャイナタウンに貧しい少年がいた。少年は日々の食い扶持のために盗みを生業としていた。本当の親かどうかわからない、同じ家に住んでいた大人は少年が九つの時にいなくなった。盗みよりも「高度」な仕事ゆえに居場所を失ったか、命を失ったのだろうが、少年は自分が盗んでくる食糧や金品を横取りする人間が減ったことに喜ぶだけだった。

 

屋台からマントウを盗み、ショーケースから翡翠のブローチを盗み、観光客から財布を盗んで暮らした。時に見つかることもあるが逃げたりやり返しているうちに、身のこなし方、暴力のふるい方を学び、より自由に動けるようになっていくのはむしろ心地よかった。一度、ショーパブの女から時計を盗んだ時、おそらく店の用心棒として雇われているだろう大男にめちゃくちゃに殴られ、蹴られ、吊るされたことがあった。おかげで右目が使い物にならなくなったが、盗み程度のこすい商売にはなんら影響がなかった。

 

ある日、あれは春だった、春のある日、風が少し強く、埃の匂いが立ち込める、かすみがかった春の日中。少年は、外よりももっと埃っぽくさびれたビルに空き巣に入った。地域で最も古く、最も治安が悪いことで有名なそのビルは、住居・店舗・倉庫とさまざまな用途で使われており、用途の種類の多さに反して、行き交う人間の程度は決まってどん底の一種類だった。見すぼらしい姿の少年が歩いていても見向きもされないことを好都合に、少年はたびたびこのビルで仕事、つまり盗みをした。部屋によっては事務仕事用の電子機器や通信販売用の服飾品があることを知っていた。しかし、どの部屋がどんな部屋なのかは入るまでわからない。たまたま目についた扉を開けるのだ。たいてい扉の向こうにでは安タバコの煙か、この世の絶望を忘れられるという噂だがとても高くて買えたためしのない薬か、商売女のきつい香水とその女目当てにやってくる男のすえた体臭か、それらに類するとてもじゃないが吸って気持ちの良いものとは言えない空気が充満しているのだった。とはいえ、その空気の中に暮らしている自身のろくに風呂にも入れない体からにおう皮脂の香りも、全て、全て、少年にはどうでも良かった。今日の獲物がそこにあるかどうかだけだった。

 

その日選んだ扉も、いつも開ける扉と変わらず、さびれたビルにふさわしい錆びた音を立てた。少年は唖然とする。扉の向こうにあるべき最低な空気、最低な世界はそこになく、代わりに清潔にふきあげられた床と、香が焚かれているのか、煙っぽい、しかし、どこか気品ある香りだけがあった。

 

少年は落胆した。部屋には盗むべきものは何もなさそうだったからだ。一通り部屋を歩き回ってみた。壁際に何かのトロフィーとメダルがあった。どちらも金色だった。メッキだろうが金属ならいくらか金になるだろう。少年は二つともいただいていくことにした。

 

「おい、それを置いていけ、不届き者」

 

背後から声をかけられる。振り向くと少女が立っていた。白い道着を着ている。少年の持ち去ろうとしたものの持ち主だろう。少年は何も言わず少女の横を通って出口へ向かう。非力そうな少女に見咎められたからといって何も問題はない、そう思ったのだった。

 

しかし、問題は大いにあった。少年は少女にボコボコにされたのだ。

 

「小娘だからと侮るなかれ!」

 

目覚めた少年に向かって少女はふんぞりかえってそう言った。長年の盗人暮らしで身についた逃走術も、格闘術も少女相手には全く歯が立たず、少年はあっという間に倒された。聞けば少女はある拳法を学んでおり、それなりの段位を保持しているとのことだった。そのへんのチンピラ風情を成敗するくらい訳が無い、いわんや少年のようなハナタレをや。

 

「仕方ないから、弟子にしてやろう」

 

少女は少年を弟子に取ることにした。まずは食事と清潔な環境が重要だと、少女は少年に食べ物と風呂を与えた。健全な精神と十分な知性が肝要だと、瞑想と読み書きを教えた。他者への敬意と他者から認められる品性が切要だと、読書と作法を勧奨した。少年は働かずにものが食べられ、寝床があるという理由で少女の押し付けがましい師弟関係に甘んじた。さほど年齢が変わらなそうな少女は、しかして少年の師匠になった。

 

「かかってきな、ハナタレ」

 

ついにその日は来た。最後の修行の日だ。師匠である私を倒すこと。少女は少年に告げた。季節は巡り、出会った頃と同じ春。ほこりっぽい空気、ほこりっぽいビル、少女の白い道着が春の霞がかった日差しの中に輝いていた。少年は少女にならい同じ白い道着を身に纏っていた。少年もまた白く輝いていた。貧しさにやせこけていた体は少女の料理で肉付き、どこへ行っても憎まれ下を向いて歩いてた少年の背筋は少女の指導で伸び、世界を憎んでいた眼差しは少女との生活で安らぎを得た。少年は、少女とそっくりの仏のような笑みを浮かべ、師匠と対峙する。

 

少女との辛く苦しい修行はこれで終わりだと、少年は気合を入れた。少女はあっさりと倒れた。少女は言った。強い奴らが集まる、ある町のある場所にて頂点をとってこい。

 

「雪が降る頃に待っている」

 

少年は春の霞にけぶる道場を置き去りに、ある町のある場所へ、次なる試練に挑みに行った。その場所は学ぶこともやるべきことも多く、少年は次第に少女のことを忘れた。冬が来て、雪が降っても、少女のもとへは誰もやってこなかった。結局、どれだけ少女から与えられても、どれだけ少女から学んでも、少年の根底はあのビルの残飯漁りから何も変わらなかった。」

 

  長い話を聞くに徹していた女は男の手元にあるグラスの水滴をおしぼりで拭う。話が終わってなお、女は口を開かなかった。男が水滴の無くなったグラスで鳴らす氷の音だけが誰もいない店に響いた。まだオープン前の小さなバー。女の店だった。バーというよりスナックのような営業形態で、女の他に何人かが働いている、いわゆる夜の店。スナックのママにしては若い女が一人で開店準備をしている時間、男はたずねてきた。「開店前にすみません、一杯いただけますか?」。スナックを訪れるにしては若い男が、返事を待たずにカウンターに座った。女は何も言わずソーダ水を出した。

 

「人はそう簡単に変われない、っていう話です」

 

 男は微笑んで言った。話の中の少年少女のような仏の笑み。遠くで製氷機が氷を吐き出す乾いた音がした。

 

「人は忘れる生き物だよ」

 

 女はピンと背を伸ばして言った。まっすぐ男の目を見て言った。男の右目は眼帯で隠されていたので、正確には男の左目を見て言った。

 

「ある町のある場所で頂点をとることは簡単ではなかった。少年は季節が三巡してやっと約束の頂点へたどり着いた。そして、あのビルを、少女の道場をやっと思い出した。三度の冬が過ぎ、また春が来て、少年は思い出した。生ぬるい風に舞うほこりけぶる場末のビルを、そのビルの中にある道場を、春の日差しに輝く白い道着を」

 

 話す男もまた白い道着を身につけている。

 

「しかし、そのビルはもう跡形もなかった。あの地獄みたいな楽園みたいなビルは跡形も無くなって、人工的に持ちこまれた木々が並んだいかにも健康そうな公園になっていた」

 

 落書きだらけの壁も、しょんべんくさい土間も、狭い空に行き交う電線も、それに絡みつくツタも、安タバコの煙も、薬独特の匂いも、香水と体臭も、扉の立てる錆びた音も、がらんどうの道場も、白く輝く道着も、背筋を伸ばせと叱る師匠も、何も残されていなかった。

 

「ビルの近くの鉄道高架下が薬物や犯罪の温床になっていることは有名だった。そこが大規模な摘発にあったことも聞こえてきていた。次はあのビルだ。チャイナタウンはざわめいた。君が去る少し前の話だ」

 

 女が男のグラスにソーダ水を足す。泡の音が小さく細かく弾ける。記憶を呼び起こす合図かのように。

 

 少年が去ってまもなく、ビルには大量の機動隊がなだれ込んだ。犯罪組織、薬物売買、違法賭博、無許可の売春、それらに関わるすべての人間が縄に繋がれどこかへ連れて行かれた。少女の父という男も連れて行かれた。少女の父はあのビルの飲食店で食べた食事に麻薬が入っていたことから薬物中毒になっていた。

 

「だから、追い出した。オレを。負けたフリをして」

「違う。私が教えることは本当にもう何もなかったんだ。負けたフリ、は少しはしたかもしれないが。両の目が自由な私と対等だったんだ、十分だろう」

 

 男はため息をついた。負けたフリをされたことに気がついていなかった当時の少年の浅はかさにため息をついた。次の冬など、次の雪など少女は待っていなかったことに気がついていなかった当時の少年の短慮さに。最後の修行が別れの挨拶の代わりであったことに気がついていなかった当時の少年の無邪気さに。

 

「それに、もう、あの道場も手放さなければならなかった」

 

 薬物中毒の父は元々、道場主であった。薬のせいで道場の経営は立ち行かなくなり、残されたのはこの父が過去、相当に名を馳せた拳法の使い手であることを示すトロフィーとメダル、そして、愛想を尽かして出て行った妻によく似る娘だけだった。蓄えも底をつき、家賃の滞納も限界だった。父は娘に妻の置いていったドレスとピアスを差し出す。ほとんどすべての家財を金に、薬に変えてなお残していた妻の名残を娘に差し出して、父は言った。道着を脱ぎ、ドレスを着て、体を売ってこい。

 

「そういえば、初仕事の日、支度品からピアスが消えていたんだ。どこぞの盗人に持ち去られたのだと思っていたが」

 

 女は細い指を男に伸ばした。男の肌には触れず、男の耳についたピアスからさがる長い房に触れた。

 

「ピアスを探しているうちに仕事の時間が過ぎ、その仕事はなくなったんだったかな。相手となる予定の男の財布がスられて金がないからキャンセルになった、とも聞いたな」

 

 くっくと女は肩を揺すった。女の指は男のピアスから離れて行く。

 

「盗みはもうしていないんだろうね」

「もちろん。このピアスが今のところ最後の獲物だ」

 

 かくして、ビルは解体された。犯罪も薬物もなかったことに。貧困も絶望もなかったことに。どん底の中にあるわずかな救いも、なかったことになった。少女の姿も、少年の戻るところも。なにも。

 

「オレのこと怒鳴らないの、殴らないの、不届き者って、あのころみたいに」

「まだ盗みをしているなら、殴るさ」

 

 しきりにグラスの水滴をぬぐう女の手を男がとる。

 

「さっき、ピアスは「今のところ」最後の獲物って言ったよね」

 

 男は女の目を見る。出会った頃のような、盗みだけが全てだったあの頃のような眼差し。そこに少女から教わった微笑みはない。

 

「盗みにきた、あなたを。ここから、この世界から」

 

 タバコの匂いが染み付く黄ばんだ壁紙に囲まれた狭い店から。道場を失った少女が已む無くついた夜の仕事で出会った男の愛人という立場から。男に勝手に課せられたこの店の開店資金という借金から。少し腕をのばせば袖からのぞくような場所に痣をつけたであろう男の暴力から。少女を探しているうちに少年が知った、かつて少女だった女の、今の惨状から。

 

「盗みはこれで最後にするから。だから、盗まれてくれないかな」

 

 あなたを愛人としている男からの報復には絶対に屈しない。あなたを取り囲む社会の憎悪には絶対に折れない。それだけの力を蓄えた。少女から教わった知恵と格闘術、少女から離れて得た地位と人脈、全てをもって抵抗する。だから。

 

「人をモノ扱いするな、この不届き者」

 

 少女のようにはにかんで、女は男の手を取った。二人は向かい合う。かつて道場でそうしたように。微笑み合う。この世の絶望と救いに別れを告げる。冬は過ぎ、雪は解け、再び春が訪れていた。

 

-

♪ コンテンポラリーな生活「九龍城にて待つ」


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。