未来悟飯は、過去の自分を許せない   作:M1tarash1

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03.本当に許せなかったのは

その日は、朝から妙に騒がしかった。

 

「お兄ちゃん!修行しようよ!

 

 元気よく声をかけてきたのは、幼い孫悟飯だった。

 

 未来悟飯は、手にしていた水の入ったコップを置く。

 

「修行?」

 

「うん! お兄ちゃんの動きをもっと見てみたいんだ!」

 

「僕でいいのか?」

 

「お兄ちゃんだからいいんだよ!」

 

 迷いのない返事だった。

 

 未来悟飯は、少しだけ目を伏せる。

 

 この子は、どうしてこんなにも真っ直ぐなのだろう。

 

 自分に向けられる好意を疑わない。

 

 自分が強いと言われれば素直に喜び、教えてもらえることを楽しみにしている。

 

 そこには、未来への不安も、誰かを失う恐怖もない。

 

「……分かった。少しだけだぞ」

 

「やった!」

 

 幼い悟飯が飛び跳ねる。

 

 その姿を見て、未来悟飯は小さく笑った。

 

 今度こそ、この笑顔を守りたい。

 

 そう思った。

 

     *

 

「いくよ!」

 

 幼い悟飯が踏み込んできた。

 

 未来悟飯は、その攻撃を軽く受け流す。

 

「力任せになっている。相手の動きをよく見るんだ」

 

「うん!」

 

「もう一度」

 

 何度も攻撃を繰り返す。

 

 幼い悟飯は転んでも、すぐに立ち上がった。

 

「もう一回!」

 

「焦らなくていい。呼吸を整えてからだ」

 

「でも、早く強くなりたいんだ!」

 

 未来悟飯の動きが止まった。

 

「……どうして?」

 

「え?」

 

「どうして、そんなに強くなりたいんだ?」

 

 幼い悟飯は少し考えた。

 

「お父さんやピッコロさんみたいに強くなりたいから!」

 

「それだけか?」

 

「うん。それに……」

 

 幼い悟飯は、少し照れくさそうに笑った。

 

「みんなを守れるようになりたいんだ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、未来悟飯の胸に何かが突き刺さった。

 

 みんなを守りたい。

 

 その願いは、自分も同じだった。

 

 幼い頃から、ずっと。

 

 そのために修行をして、そのために戦ってきた。

 

 けれど。

 

「……そうか」

 

 未来悟飯は視線を逸らした。

 

「お兄ちゃん?」

 

「いや。いい目標だと思う」

 

「本当?」

 

「ああ」

 

 未来悟飯は、もう一度構えた。

 

「なら、もっと強くならないとな」

 

「うん!」

 

 幼い悟飯は嬉しそうに頷いた。

 

 その笑顔を見ているのが、少しだけ苦しかった。

 

     *

 

 修行を終えたあと、幼い悟飯はピッコロのところへ走っていった。

 

「ピッコロさーん! 見ててくれた?」

 

「ああ。だが、まだまだだな」

 

「ええっ!」

 

「調子に乗るな。基礎ができていない」

 

「そんなあ……」

 

 いつものやり取り。

 

 未来悟飯は、少し離れたところからそれを眺めていた。

 

 ピッコロが幼い悟飯の頭に手を置く。

 

「だが、悪くはなかった」

 

「本当!?」

 

「一度褒められたくらいで騒ぐな」

 

「えへへ……」

 

 その光景に、未来悟飯は目を細めた。

 

 懐かしい。

 

 懐かしくて、どうしようもなく苦しい。

 

 自分にも、あんな時間があった。

 

 ピッコロに修行をつけてもらい、叱られ、褒められた。

 

 父と過ごし、仲間たちと笑った。

 

 決して、最初から何もなかったわけではない。

 

 自分にも確かに、幸せな時間があった。

 

 それなのに。

 

「……何を見ている」

 

 声をかけられ、未来悟飯は顔を上げた。

 

 ピッコロがこちらを見ていた。

 

「いえ、何でもありません」

 

「またそれか」

 

「すみません」

 

「謝るなと言ったはずだ」

 

 ピッコロは幼い悟飯に向き直った。

 

「悟飯。少し休んでいろ」

 

「うん!」

 

 幼い悟飯が離れていく。

 

 その背中を見送ったあと、ピッコロは未来悟飯に向き直った。

 

「お前も来い」

 

「……はい」

 

     *

 

「お前は、あいつを見るときに妙な顔をする」

 

 人のいない場所まで移動すると、ピッコロはそう切り出した。

 

「妙な顔、ですか」

 

「ああ。嬉しそうに見えることもあれば、苦しそうに見えることもある」

 

 未来悟飯は答えなかった。

 

「何かあるのだろう。あいつとお前の間に」

 

「……同じ人間です」

 

「それは分かっている」

 

「俺は、あいつの未来を知っています」

 

 ピッコロの目が細くなる。

 

「未来?」

 

「……いえ」

 

 未来悟飯は、そこで口を閉ざした。

 

 まだ言えない。

 

 自分がどんな世界から来たのか。

 

 この世界で何が起きるのか。

 

 話すべきなのかどうかさえ、決められずにいた。

 

 けれど、ひとつだけ。

 

 もう隠しきれない感情があった。

 

「俺は、あいつが羨ましいんです」

 

 ピッコロは黙っていた。

 

「父さんがいて、あなたがいて、クリリンさんたちがいて。これから先も、きっとたくさんの人と出会う」

 

 言葉が止まらない。

 

「それなのに、あいつは何も知らない。自分がどれだけ恵まれているのかも、どれだけ幸せなのかも」

 

「悟飯」

 

「分かっているんです。あいつは何も悪くない。あいつに嫉妬するなんて、おかしいって」

 

 拳を握る。

 

「でも、どうしても思ってしまうんです」

 

 声が震えた。

 

「どうして、お前には全部あるんだって」

 

 ピッコロは何も言わなかった。

 

 未来悟飯は俯いたまま、続けた。

 

「俺だって、父さんともっと一緒にいたかった。あなたにもっと修行をつけてもらいたかった。クリリンさんたちと、くだらない話をしていたかった」

 

 ひとつひとつ、言葉にする。

 

「もっと普通に暮らしたかった」

 

 その言葉は、ずっと胸の奥に閉じ込めていたものだった。

 

「でも、そんなことを願う余裕もなかった。戦わなければ、誰かが死ぬ。俺が戦わなければ、誰も守れない」

 

 未来悟飯の声が掠れる。

 

「だから戦いました。何度も。何度でも」

 

 そして。

 

「それでも、守れなかった」

 

 沈黙。

 

 風が吹き抜ける。

 

「……俺は、あいつが羨ましい」

 

 未来悟飯は、ようやく顔を上げた。

 

「何も失っていないあいつが。これから先、何だって選べるあいつが。俺が欲しかった未来を、当たり前のように持っているあいつが」

 

 目の奥が熱くなる。

 

「そんなことを考える自分が、許せないんです」

 

 ピッコロはしばらく未来悟飯を見つめていた。

 

 やがて、口を開く。

 

「……そうか」

 

 それだけだった。

 

 否定も、慰めもない。

 

 ただ、受け止めるような声だった。

 

「お前は、ずいぶん長い間ひとりで戦ってきたんだな」

 

 未来悟飯は息を呑んだ。

 

「……はい」

 

「ならば、もう少し自分のことを考えてもいい」

 

「俺のこと?」

 

「お前は誰かを守ることばかり考えている。だが、お前自身はどうなんだ」

 

 未来悟飯は答えられなかった。

 

「お前は何がしたい?」

 

「……分かりません」

 

「そうか」

 

 ピッコロは空を見上げた。

 

「なら、これから考えればいい」

 

     *

 

 その日の夕方。

 

 未来悟飯は、ひとりで庭に座っていた。

 

 自分の気持ちを口にしたことで、少しは楽になると思っていた。

 

 けれど、そう簡単ではなかった。

 

 羨ましい。

 

 悔しい。

 

 悲しい。

 

 そして、何よりも。

 

 自分自身が嫌いだった。

 

「お兄ちゃん」

 

 顔を上げると、幼い悟飯が立っていた。

 

「どうした?」

 

「さっきから元気がないから」

 

「そう見えるか?」

 

「うん」

 

 幼い悟飯は隣に座った。

 

「僕、何か悪いことした?」

 

「……どうしてそう思うんだ?」

 

「お兄ちゃん、僕を見ると悲しそうな顔をするから」

 

 未来悟飯は、言葉を失った。

 

 気づかれていた。

 

 自分がどれだけ隠そうとしても、この子には分かっていたのだ。

 

「そんなことはない」

 

「本当?」

 

「ああ」

 

 幼い悟飯は、少しだけ考えるように黙った。

 

「じゃあ、僕のこと嫌い?」

 

「そんなわけないだろ!」

 

 思わず強い声が出た。

 

 幼い悟飯が驚いて目を丸くする。

 

 未来悟飯は、すぐに声を落とした。

 

「……ごめん」

 

「ううん」

 

 幼い悟飯は首を振った。

 

「僕、お兄ちゃんのこと好きだよ」

 

 その言葉に、未来悟飯の胸が締めつけられる。

 

「強くて、優しくて、僕の知らないことをいっぱい知ってる。だから、もっといろいろ教えてほしい」

 

「……俺は」

 

「うん?」

 

「俺は、そんな立派な人間じゃない」

 

 幼い悟飯は不思議そうに首を傾げた。

 

「どうして?」

 

「守れなかったものがある。助けられなかった人がいる」

 

「でも、お兄ちゃんは助けようとしたんでしょ?」

 

 未来悟飯は固まった。

 

「だったら、立派だと思うよ」

 

「……違う」

 

「違うの?」

 

「助けようとしただけじゃ駄目なんだ。実際に守れなければ、意味がない」

 

 幼い悟飯は、困ったように眉を寄せた。

 

「僕には、よく分からないけど……」

 

 そして、まっすぐに未来悟飯を見た。

 

「僕は、お兄ちゃんに会えて嬉しいよ」

 

 未来悟飯の喉が詰まった。

 

「だから、お兄ちゃんも嬉しいって思ってくれたらいいのに」

 

 その言葉に、何も返せなかった。

 

 嬉しい。

 

 もちろん、嬉しい。

 

 父に会えたことも、ピッコロに会えたことも、クリリンたちに会えたことも。

 

 そして、目の前にいる自分自身に会えたことも。

 

 全部、嬉しい。

 

 それなのに、どうして。

 

「……ごめんな」

 

 未来悟飯は、幼い自分の頭に手を置いた。

 

「お前は何も悪くない」

 

「うん?」

 

「何も悪くないんだ」

 

 幼い悟飯は、よく分からないまま頷いた。

 

「うん!」

 

 その笑顔を見て、未来悟飯はようやく理解した。

 

 自分が羨んでいたのは、幼い自分そのものではない。

 

 その子が持っている未来だった。

 

 もう二度と戻らない、自分の未来。

 

 けれど。

 

 それを羨むことは、いけないことなのだろうか。

 

 失ったものを惜しむことは。

 

 もう一度、普通の暮らしをしたかったと願うことは。

 

 自分には、許されないことなのだろうか。

 

     *

 

 夜。

 

 未来悟飯は、ピッコロのもとを訪ねた。

 

「ピッコロさん」

 

「どうした」

 

「少し、話を聞いてもらえますか」

 

 ピッコロは頷いた。

 

 未来悟飯は、しばらく言葉を探した。

 

「俺は……自分を許せないんです」

 

「何故だ」

 

「生き残ったからです」

 

 ピッコロの表情が変わった。

 

「みんながいなくなって、俺だけが生き残った。もっと早く強くなれていれば、もっと上手く戦えていれば、何かが変わったかもしれない」

 

「……」

 

「それなのに、俺は生きている。こうして、もう一度みんなに会えている」

 

 未来悟飯は、自分の手を見つめた。

 

「本当は、嬉しいんです。もう一度会えたことが。みんなが生きていることが」

 

 そして、静かに続けた。

 

「でも、俺だけが幸せになっていいのか分からない」

 

 ピッコロはすぐには答えなかった。

 

 やがて、ゆっくりと口を開く。

 

「お前は、誰かが死んだら、自分も幸せになってはいけないと思うのか」

 

「……はい」

 

「それは、死んだ者たちが望んだことか?」

 

 未来悟飯は息を止めた。

 

「お前の父親はどうだ。クリリンはどうだ。ここにいる仲間たちは、お前が苦しみ続けることを望んでいると思うか?」

 

「それは……」

 

「答えろ」

 

 未来悟飯は、唇を噛んだ。

 

 答えは分かっている。

 

 父なら、きっと笑って言うだろう。

 

 そんなこと気にすんな、と。

 

 クリリンなら、きっと困ったように笑ってくれる。

 

 そして、ピッコロなら。

 

「……望んでいないと思います」

 

「ならば、なぜ自分を罰し続ける」

 

 未来悟飯は答えられなかった。

 

 自分を罰することでしか、失ったものと向き合えなかったからだ。

 

 自分が苦しみ続ければ、あの日々を忘れずにいられる気がした。

 

 自分が幸せにならなければ、失った人たちを裏切らずに済む気がした。

 

 けれど。

 

「……俺は、みんなに会いたかった」

 

 初めて、素直に言えた。

 

「ずっと、会いたかったんです」

 

 声が震える。

 

「父さんにも、あなたにも、みんなにも。もう一度、会いたかった」

 

 ピッコロは何も言わず、ただ聞いていた。

 

「でも、会えたら会えたで、苦しくて……。俺は、どうしようもないですね」

 

「そうだな」

 

「えっ」

 

「どうしようもない」

 

 ピッコロは、いつもの調子で言った。

 

「だから、少しずつどうにかしていくしかないだろう」

 

 未来悟飯は、目を見開いた。

 

 そして。

 

 ほんの少しだけ、笑った。

 

「……そうですね」

 

 その笑顔は、まだぎこちなかった。

 

 それでも、確かに笑っていた。

 

 ピッコロはそれを見て、何も言わなかった。

 

     *

 

 その夜、未来悟飯は久しぶりに眠ることができた。

 

 失った未来は戻らない。

 

 自分が犯したと思っている失敗も、消えることはない。

 

 それでも。

 

 自分が生き残ったことを、誰かへの裏切りだと思わなくてもいいのかもしれない。

 

 まだ、そう思えるほど強くはない。

 

 けれど、少しずつ。

 

 少しずつでいい。

 

 自分を許すことを、考えてみてもいいのかもしれない。

 

 ――そして翌朝。

 

「悟飯!」

 

 聞き慣れた声が、部屋の外から響いた。

 

 父の声だった。

 

「ちょっと修行しねえか?」

 

 未来悟飯は、ゆっくりと目を開ける。

 

 その声を聞くのは、何年ぶりだろう。

 

 もう一度、聞きたいと思っていた声。

 

 もう二度と聞けないと思っていた声。

 

「……はい!」

 

 返事をした声は、昨日より少しだけ明るかった。

 

 まだ、すべてを許せたわけではない。

 

 それでも。

 

 今度は、自分から一歩を踏み出してみようと思った。

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