ブーメラン・バタフライ   作:ろくさん

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第22話:三人目の乗組員

真夏の闇が支配する東京湾の出口、浦賀水道の黒い海面を、一隻の鋭角的な影が白い航跡すら最小限に抑えて疾走していた。

横須賀の海パン連合軍極東基地の地下ドックから強奪された、最新鋭のウォータージェット推進式高速ステルス小型艇『シー・シャドウ』である。レーダー波を吸収する特殊なカーボン複合材の黒い装甲に覆われた全長二十メートルの船体は、四基の大出力エンジンが発する重低音の咆哮を海面下へと逃がしながら、時速八十ノットを超える猛烈な速度で夜の波頭をナイフのように切り裂いていた。

 

密閉されたコックピットの内部は、計器盤が放つ淡い青色と緑色のLEDライトに照らし出されている。

操縦席のバケットシートに深く身を沈め、ステアリングとスロットルレバーを握っているのは、元プロサーファーにして海パン連合軍の前線部隊長であったタクヤだった。二十八歳の彼の精悍な顔立ちは、計器の光を浴びて彫りの深い陰影を作っている。上半身は一糸纏わぬ裸のままであり、長年の波乗りで鍛え上げられた分厚い大胸筋や、左肩から脇腹にかけて走る白い稲妻のような手術痕には、脱出の際の格闘で滲んだ汗が玉となって光っていた。彼の腰元にあるのは、鮮やかだった赤と黄色の色彩が潮水と汚れで少しばかりくすんだ、ハイビスカス柄のロングサーフパンツただ一枚である。

 

一方、隣のナビゲーションシートで、猛烈な勢いで通信コンソールのキーボードを叩き続けているのは、東都海洋大学の准教授、シバタであった。

四十五歳の異端の海洋学者もまた、基地の地下尋問室から救出された時のまま、着衣をすべて剥ぎ取られた細マッチョの肉体に、十五年モノの色褪せた紺色の競泳用ブーメランパンツ一丁という、最先端の軍用ステルス艇のコックピットにはあまりにも不釣り合いな姿で座っている。彼の浅黒い胸板や引き締まった腹筋には、軍の尋問官から受けた電気ショックの赤い火傷跡が残っていたが、割れた眼鏡のレンズの奥にある双眸は、傷の痛みなど完全に忘却したかのようにモニターの文字列を睨みつけていた。

 

後方では、横須賀基地の沿岸砲台から放たれたサーチライトの光芒が夜空を幾筋も交差していたが、ステルス性能に優れた『シー・シャドウ』の位置はすでに完全にロストしているようだった。三浦半島の黒いシルエットを左舷にやり過ごし、船が相模湾から外洋へと抜けるルートに入ったところで、タクヤはスロットルをわずかに戻し、隣のシバタへと視線を向けた。

 

「どうだ、博士。船の衛星通信システムは生きているか。このまま太平洋のポイント・ネモへ向かうにしても、俺たち二人が現場へ行くだけじゃ、空から落ちてくる核ミサイルを素手で受け止めるわけにはいかない。発射までの残り四十五時間で、世界中のメディアか、せめて前線の艦隊の兵士たちに、あんたの持つ真実を伝えて核攻撃を中止させなきゃならないんだ」

 

タクヤの切迫した問いかけに対し、シバタはキーボードから手を離し、コンソールの端を拳で苛立たしげに叩いた。

モニターの中央には、赤い警告文字で『アクセス拒否・暗号化キー不一致』および『広域ジャミング検知』というエラーメッセージが幾重にも重なって点滅している。

 

「駄目だ。ドミニクの奴め、抜かりがない。この『シー・シャドウ』がドックから出た瞬間に、船の軍用識別コードをブラックリストに登録し、軍の通信衛星からのアップリンクを完全に遮断しおったわ。それだけではない、極東エリア一帯の民間通信網や海底ケーブルのゲートウェイにも、軍のサイバー部隊による強力なジャミングと検閲フィルターが網の目のように張られている」

 

シバタは割れた眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、悔しそうに奥歯を噛み締めた。

 

「私の頭の中には、あの男たちが『太古の純粋な海水で構成された地球の意志(免疫反応)』であることのすべての証明が入っている。だが、そもそも私の大学の研究室にあったサーバーや実験データは、逮捕と同時に軍にすべて押収され、破壊されてしまった。証拠データもないまま、この船の弱い無線機でどこかのテレビ局に電波を飛ばしたところで、軍のジャミングに潰されるか、狂人のいたずら電話として処理されて終わりだ」

 

「くそっ、じゃあどうしろって言うんだ。このまま黙って太平洋の真ん中へ行って、あの三万人の男たちと一緒に核の炎で蒸発するのを待つしかないのかよ!」

 

タクヤがステアリングを強く握りしめ、唸るような声を上げた。ハワイの海で、タングステンの金属矢を全身に浴びながらも、人間に一切の反撃をせず、ただ美しいエメラルドグリーンの海水を流して消えていった男たちの姿。そして、左目に傷のあるリーダー個体が自分に向けた、あの深く静かな信頼の眼差し。彼らを見殺しにすることなど、海に生かされた男として絶対にできるはずがなかった。

 

「早まるな、タクヤ君。私は『大学のサーバーのデータは破壊された』と言ったが、『データがこの世から消えた』とは言っておらんぞ」

 

シバタが不敵に口角を上げ、自らの穿いている古びたブーメランパンツの腰ゴムのあたりをポンと叩いた。タクヤがハッとして顔を上げる。

 

「どういうことだ、博士。どこかにバックアップを隠してあるのか」

 

「うむ。私が国際海洋学会で発表を行う前日の夜、軍に口を封じられることを予見して、すべての研究データと残留物の解析結果、そしてブーメランパンツの歴史的考察を網羅した完全なバックアップを、軍用の暗号化メモリにコピーしてある。そしてそれを、この世界で最も強力な『拡散力』を持つ一人の人物に託しておいたのだ」

 

シバタは立ち上がると、ナビゲーションシステムの海図を操作し、現在船が進んでいる相模湾の北岸、湘南海岸の一角を指し示した。

 

「このまま太平洋へ行っても、核は止められない。軍の通信網が遮断されている以上、我々に必要なのは、軍の検閲フィルターを強引に突破するための通信帯域と、何より、その言葉を世界中の人々が思わず立ち止まって聞いてしまうような『顔』と『アカウント』を持つ人間だ!」

 

「アカウントを持つ人間? まさか、博士がデータを預けた相手っていうのは」

 

「そうだ。この一連の事件の最初期、湘南のビーチで生配信中にあの男たちと遭遇し、パステルピンクのフリルビキニを引き裂かれたことで世界中にその名を知られた女子大生インフルエンサー、ミオ君だよ」

 

シバタはコンソールの引き出しから、軍の備品である緊急用のプリペイド式衛星携帯電話を探り出すと、記憶していた十一桁の番号を素早く打ち込んだ。軍のメイン通信網とは異なる、民間向けの古い低軌道衛星を経由する音声回線である。これならば、短時間の通話ならジャミングの網を潜り抜けられる可能性があった。

 

「タクヤ君、船の針路を北西へ変えろ。江ノ島のすぐ東、小動岬の近くにある古い民間のヨットハーバーへ向かうのだ。彼女の隠れ家はそこから歩いて十分のところにある」

 

「分かった。だが、ただの女子大生が、国家反逆罪で追われている俺たちの船になんか乗るか? 相手は核ミサイルだぞ」

 

タクヤが疑問を口にしながらもステアリングを大きく切ると、『シー・シャドウ』は白い水しぶきを上げて鋭く回頭し、夜の湘南海岸へと向かって再び加速を開始した。

 

同じ時刻、神奈川県鎌倉市と藤沢市の境に近い、海を見下ろす高台の閑静な住宅街。

親戚が所有する別荘の離れを借りて身を隠していたミオは、明かりを消したリビングのソファの上で、膝を抱えてスマートフォンの画面を見つめていた。

彼女の華奢な身体は、大きめの白いTシャツとデニムのショートパンツに包まれている。普段なら念入りにセットされている明るい栗色のウェーブヘアは、今は無造作に肩へと垂れ下がり、化粧をしていない瑞々しい素肌が、スマートフォンの液晶が放つ青白い光に照らし出されていた。

 

画面の中で流れているのは、世界中のニュース速報だった。

昨日、国際海洋学会のシンポジウムに乱入して逮捕されたとされる東都海洋大学のシバタ准教授のニュースは、すでにほとんどのサイトから削除され、代わりに『#KillAllBoomerangs』のハッシュタグとともに、生き残った男たちが太平洋のどこかへ逃げ集まっているという海パン連合軍の戦況発表がトップを飾っている。コメント欄は相変わらず「早く全滅させろ」「気味の悪い涙を見せるな」という大衆のヒステリックな罵詈雑言で埋め尽くされていた。

 

ミオはスマートフォンを置いて、テーブルの上に置かれた二つの小さな物体へと視線を落とした。

一つは、あの日湘南のビーチで引き裂かれた、パステルピンクのフリルビキニの残骸。そしてもう一つは、二日前の夜、あの黒い岩場で片腕を失った男が海水へと還っていく最期を共に看取ったシバタ准教授から託された、親指ほどの大きさの黒い暗号化メモリであった。

 

「もし私が軍に捕らえられ、公式なメディアがすべて情報統制された時は、このメモリのロックを解除し、君自身の言葉と影響力で、この真実を世界中の人々へ直接届けてほしいのだ」

 

岩場で聞いたシバタの言葉が、ミオの耳の奥で何度もリフレインしていた。

今朝、シバタが逮捕されたという小さな記事を目にして以来、ミオは自分のノートパソコンにその黒いメモリを差し込み、パスワードである『BLACK-ORIGIN』を入力して、中に入っていた膨大なデータを震える手で読み込み続けていた。

そこには、男たちの肉体がDNAも持たない太古の純粋な海水であること、かつて人類が自然と一体になるために生み出したブーメランパンツの歴史、そして人間が羞恥心と虚飾の布で海を汚したことに対する地球自身の悲しき免疫反応であるというすべての真実が、誰の目にも分かりやすい図解と映像データでまとめられていた。

 

これを自分の三百万人のフォロワーがいるアカウントで生配信すれば、間違いなく世界中に衝撃が走るだろう。

だが、いざ配信開始のボタンを押そうとすると、ミオの指先は恐怖で凍りついたように動かなくなった。

今の世の中は、あの男たちを少しでも擁護しようものなら「テロリストの仲間」「売国奴」として徹底的に袋叩きにされる狂気の空気に支配されている。しかも、シバタ准教授はそれを発表しようとした瞬間に軍の特殊部隊に踏み込まれ、国家反逆罪で逮捕されてしまったのだ。もし自分がこの部屋から配信を始めれば、数分もしないうちに海パン連合軍に逆探知され、同じように黒い装甲服の兵士たちに銃を突きつけられて引きずり出されるに違いない。またあの日のように、世界中の人から笑われ、罵られ、今度は牢獄に閉じ込められるのかと思うと、二十歳の普通の女の子である彼女の心臓は、逃げ出したいほどの恐怖で早鐘を打っていた。

 

その時、テーブルの隅に置いてあったミオの私用のスマートフォンが、突然ブルブルと激しく振動し、画面に『非通知設定』の着信を表示させた。

ミオはビクリと肩を跳ね上げ、息を呑んでその画面を見つめた。こんな真夜中に、非通知での着信。軍の諜報部についに自分の場所がバレたのか、それとも。

ミオは震える右手を伸ばし、通話ボタンをタップして耳に当てた。

 

「も、もしもし」

 

ザザッ、という強い衛星回線のノイズの向こうから、聞き覚えのある、張りのある中年男の声が飛び込んできた。

 

「私だ、ミオ君! シバタだ! 聞こえているか!」

 

「えっ、シバタ先生!? 逮捕されたんじゃなかったんですか、今どこにいるんですか!」

 

ミオが思わず立ち上がって叫ぶと、電話の向こうのシバタは、まるで遠足の連絡でもするかのような威勢の良い声で答えた。

 

「横須賀の基地の地下に放り込まれていたのだがね、頼もしい海の英雄が鉄格子をぶち破って助け出してくれたのだよ! 今は軍から拝借した高速ステルス艇で、そちらの湘南へ向かっている! あと五分で小動岬の古いヨットハーバーに着岸するから、あのメモリを持って今すぐそこまで来てくれたまえ!」

 

「よ、ヨットハーバーに来いって、先生、どういうことですか。私、この部屋からデータをネットにアップしようと思ってたんですけど」

 

「駄目だ! 陸上の通常の回線からアップロードしようとすれば、一瞬で軍のAI検閲システムに検知されてデータが消去される上、君の居場所が特定されてしまう! しかも、事態は一刻を争うのだ。海パン連合軍のドミニク司令は、あと四十五時間後に、太平洋のポイント・ネモに集結している三万体の彼らへ向けて、核ミサイルを発射することを決定したのだぞ!」

 

「かく、ミサイル……!?」

 

ミオの目の前が、クラリと暗くなった。

あの岩場で、片腕を失いながらも自分のピンクのビキニにそっと触れ、涙を流して謝るように頭を下げてくれた、あの優しくて温かい海の男たち。彼らを、核兵器の炎で海ごと焼き殺すというのか。

 

「彼らを救い、核を止めるには、このステルス艇に搭載されている高出力の軍用衛星アンテナを私が直接改造してジャミングをぶち抜き、太平洋の現場へ向かう船の上から、君のアカウントで全世界に向けてゲリラ生配信を行うしかないのだ! 来てくれるね、ミオ君!」

 

プツン、とそこで衛星電話の回線がジャミングに捕捉されたのか、通話が途切れた。

静まり返った暗い部屋の中で、ミオはスマートフォンを握りしめたまま立ち尽くした。

今からあの船に乗るということは、これまでの「みんなにチヤホヤされる可愛いインフルエンサー・ミオ」の日常をすべて捨て、世界中の軍隊に追われる犯罪者となって、核ミサイルが落ちてくる太平洋のど真ん中へ飛び込むことを意味している。

 

ミオの足が、ガタガタと小刻みに震え始めた。怖い。死にたくないし、銃で撃たれるのも怖い。このままメモリを海に捨てて、何も知らなかったふりをして布団に潜り込んでしまえば、明日も安全な部屋で暮らせるかもしれない。

だが、彼女がふとテーブルの上を見た時、月明かりに照らされたあのパステルピンクのフリルビキニの残骸が目に飛び込んできた。

あの日、自分が承認欲求と虚栄心のためだけに着ていた、この小さな布切れ。自分の配信が世界中に拡散されたことから、人間たちのパニックが始まり、海パン連合軍が作られ、そして今、核ミサイルのボタンが押されようとしている。

 

ミオはギュッと唇を噛み締めると、テーブルの上の黒い暗号化メモリと、引き裂かれたピンクのビキニを掴み取り、ショルダーバッグの中へと押し込んだ。そして、スニーカーの紐を固く結び直すと、迷いを振り切るように別荘の裏口から真夏の闇夜へと飛び出した。

 

十分後。小動岬の陰にひっそりと作られた、今は使われていない古いコンクリートの船着き場。

夜の波が桟橋の支柱を洗う暗い海面に、黒い刃物のようなシルエットを持つ高速ステルス小型艇『シー・シャドウ』が、アイドリングの低い唸り声を上げながら接岸していた。

船の後部甲板には、上半身裸にハイビスカス柄のサーフパンツを穿いたタクヤと、文字通り一糸纏わぬ素肌に紺色の競泳用ブーメランパンツ一丁だけというシバタ准教授の二人が立ち、陸地の方角をじっと睨んでいる。

 

防砂林の暗がりから、ハァ、ハァと荒い息を切らしながら、白いTシャツにショートパンツ姿のミオが桟橋の上へと駆けてきた。

彼女は船の上に立つ二人の男――特に、月明かりの下で彫刻のように鍛え上げられた筋肉を晒しているブーメランパンツ一丁のシバタと、その隣で圧倒的な存在感を放つ長身のサーファー、タクヤの姿を見て、桟橋の端で足を止めた。

 

「よく来たな、ミオ君! さあ、軍の哨戒ヘリが来る前に早く乗りたまえ!」

 

シバタが甲板から手を差し伸べる。

しかし、ミオの足は桟橋のコンクリートの縁で再びすくみ、その華奢な肩は恐怖と緊張で激しく震えていた。彼女の大きな瞳が、シバタの隣に立つタクヤを捉える。テレビのニュースで何度も見た、海パン連合軍の最前線部隊長にして元プロサーファーの英雄、タクヤだった。

 

タクヤは、桟橋で震えている少女の姿を静かに見下ろした。

まだ二十歳そこそこの、細くて頼りなげな女子大生だ。これから自分たちが向かうのは、百二十隻の軍艦が包囲し、数十時間後には熱核弾頭が炸裂する死の海域である。いくら彼女のSNSアカウントが必要だとはいえ、こんな民間人の女の子を巻き込んでいい戦いではない。

タクヤはシバタの手を軽く制すると、桟橋の縁まで歩み寄り、ミオの目線に合わせてしゃがみ込んだ。

 

「おい、あんたがミオだな。俺はタクヤだ。シバタ博士から事情は聞いた。あんたが持っているその研究データのメモリだけ、俺たちに渡してくれ。アカウントのIDとパスワードを教えてくれれば、配信は俺か博士が船の上から代わりにやる。あんたはここに残れ、これから行く場所は民間人が来るところじゃない」

 

タクヤの低く、しかし相手を気遣う優しさに満ちた声だった。

普通なら、その言葉に甘えてメモリだけを渡し、安全な陸地へと逃げ帰っていたはずだ。ミオの喉元まで、「お願いします」という言葉が出かかった。

だが、その瞬間、ミオの瞳に映ったのは、タクヤが穿いている鮮やかなハイビスカス柄のサーフパンツと、彼の左肩に刻まれた大きな傷跡、そして何より、あのリオデジャネイロの中継映像で彼が見せた、男たちの涙に対する深い苦悩の表情だった。

さらに彼女の脳裏には、二日前の夜、すぐ近くの岩場で片腕を失い、エメラルドグリーンの海水の飛沫となって消えていったあの男の、どこまでも慈愛に満ちた最期の微笑みが鮮やかに蘇った。

 

あの日、湘南のビーチで一番最初にビキニを引き裂かれ、悲鳴を上げて世界中にあの男たちの映像を拡散してしまったのは、他の誰でもない、この私だ。

もしここで逃げて、安全な部屋から画面越しに彼らが核で焼かれるのを見ているだけなら、自分は一生、あのピンクのフリルビキニの虚飾の中に閉じこもったまま、自分の心を殺して生きていくことになる。

 

ミオは震える両手で自分の頬をパチンと強く叩いた。

乾いた音が夜の桟橋に響き、タクヤとシバタが驚いて目を見張る。

顔を上げたミオの大きな瞳からは、先ほどまでの怯えの色が消え去り、代わりに覚悟を決めた女性だけが持つ、ダイヤモンドのように強く澄み切った光が宿っていた。

 

「嫌です。メモリだけ渡して逃げるなんて、絶対にしません!」

 

ミオはショルダーバッグの紐を強く握りしめ、タクヤの目を真っ直ぐに見据えて言った。

 

「インフルエンサーの配信っていうのはね、ただデータを画面に映せばいいってもんじゃないの! 誰が、どんな顔で、どれだけの本気と覚悟を持ってカメラの前に立つかで、見ている何百万人の心が動くかどうかが決まるのよ! おじさん二人でむさ苦しい配信なんかしたって、誰も見向きもしないわ!」

 

ミオは一歩前へ踏み出し、差し出されていたタクヤの大きな手ではなく、自ら桟橋の縁を蹴って『シー・シャドウ』の甲板へと軽やかに飛び乗った。バランスを崩しかけた彼女の細い腰を、タクヤが慌ててたくましい腕で支え止める。

甲板の上にしっかりと自分の足で立ったミオは、夜の相模湾の向こう、果てしない太平洋の闇を見据えながら、震える声にありったけの誇りを込めて宣言した。

 

「あの日、一番最初に水着を裂かれた私の生配信から、この世界中のパニックのすべてが始まったの。だったら、この狂った戦争を終わらせるのも、私の配信じゃなきゃダメなのよ! 私も一緒に行くわ、太平洋の真ん中まで連れて行って!」

 

その凛とした横顔と、二十歳の少女が放った魂の言葉に、タクヤは息を呑み、やがてその精悍な顔に深い感銘と信頼の笑みを浮かべた。隣に立つシバタもまた、割れた眼鏡の奥で満足そうに大きく頷いた。

 

「見事だ、ミオ君。それでこそ、私が真理を託した戦乙女だ!」

 

「ああ、お前の覚悟、確かに受け取ったぜ。絶対に死なせはしない、俺が舵を握るからには、世界の果てまで守り抜いてやる」

 

タクヤが力強く請け負い、三人は急いでコックピットの中へと滑り込んだ。

ハッチが密閉されると同時に、タクヤは四基のウォータージェットエンジンの出力を最大へと叩き込んだ。

 

ゴォォォォッ! と海面が白く爆発し、三人目の乗組員を乗せた高速ステルス小型艇『シー・シャドウ』は、湘南の岸壁を蹴り飛ばして、核の影が迫る南太平洋のポイント・ネモへと向かって弾丸のように夜の海へと突き進んでいった。人類の「虚飾」を打ち破り、世界に真実を突きつけるための前代未聞のゲリラ生配信まで、カウントダウンはすでに始まっていた。

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