湘南海岸で大学生インフルエンサーのミオが上げた甲高い悲鳴と、彼女のパステルピンクのフリルビキニが魔法のように引き裂かれた衝撃的な生配信映像は、光の速度で地球の裏側まで駆け巡った。しかし、人類がその映像の意味を正確に理解し、対策を講じるための時間は一秒たりとも残されてはいなかった。相模湾の波間へと再び姿を消した数百人の男たちは、東京湾から外洋へと抜け出した推定十万体の本隊と合流するや否や、黒潮の激しい海流すらも完全に無視した異常な推進力で、広大な太平洋の深部へと散開していったのである。
アメリカ合衆国メリーランド州にある海洋大気庁の衛星監視センターでは、徹夜明けの分析官たちが巨大なメインモニターの前に立ち尽くし、手にしたコーヒーカップを取り落とすほどの戦慄に襲われていた。地球全体の海洋温度と海流の動きをリアルタイムで映し出す高解像度サーマルマップの上に、自然界では絶対にあり得ない幾何学的な白い航跡が、無数に浮かび上がっていたからだ。震源地である日本列島の沿岸から、放射状に広がる何百本もの白い線。それは海面を激しく攪拌しながら進む、高エネルギー反応の群れだった。
「なんだこの速度は。魚雷か、それともロシアか中国の新型超音速潜水艦の群れなのか」
白髪の主任分析官が、震える指でコンソールのキーボードを叩き、移動物体の速度を算出させた。画面の隅に弾き出された数値は、マッハ一点二。時速にして約千四百七十キロメートルという、水中はおろか大気圏内を飛ぶジェット戦闘機に匹敵する狂気的な速度であった。しかも、高倍率の光学衛星カメラが捉えたズーム映像には、鋼鉄の艦体などどこにも映っていなかった。そこにあったのは、分厚い大胸筋と彫刻のような広背筋を激しくうねらせ、海面から上半身を跳躍させては両腕を同時に振り抜く、漆黒のブーメランパンツを穿いた生身の男たちの群れだったのである。彼らは一切の休憩も呼吸の乱れも見せず、地球の丸みに沿って七つの海を文字通り飛ぶように泳ぎ渡っていた。
日本から遠く離れたアメリカ東海岸、フロリダ州マイアミのサウスビーチ。
そこは今、年間で最も華やかなバカンスシーズンの絶頂を迎えていた。どこまでも続く白い珊瑚砂のビーチには、パステルカラーのパラソルと高級ホテルのプライベートカバナが隙間なく並び、アールデコ調の建物が並ぶオーシャン・ドライブからは、陽気なラテンポップと重低音の効いたクラブミュージックが絶え間なく響き渡っている。太陽の光を浴びて輝くコバルトブルーの波打ち際には、世界中のセレブリティやモデル、そして鍛え上げた肉体を誇示する若者たちが集まり、冷えたシャンパンやトロピカルカクテルのグラスを傾けながら享楽の時間を謳歌していた。
砂浜の中央に設けられた特設ステージの近くでは、ハリウッドの若手俳優やIT長者の一団が、一着数千ドルは下らない最新鋭のデザイナーズ水着に身を包んで談笑していた。女性たちは胸の谷間を極限まで強調するワイヤー入りの金のラメビキニや、宝石を散りばめたシースルーのパレオを腰に巻き、男性たちは膝まで隠れる鮮やかなネオンカラーのサーフパンツや、高級ブランドのロゴが全面にプリントされたルーズなトランクスを穿いている。そこにあるのは、大自然の海と向き合うための機能性ではなく、己の富と性的魅力を他者にマウントするための、肥大化した自意識とファッションの博覧会であった。
ビーチの監視塔に立つライフガードの青年、ジャックが、首から下げた双眼鏡を何気なく水平線に向けたのは、まさにその時だった。
穏やかだった大西洋の沖合、青い空と海の境界線が、突如として白い牙を剥いたように盛り上がった。
「おい、あれは何だ。ハリケーンの予報なんて出ていなかったぞ」
ジャックはサングラスをずらし、レンズの焦点を合わせた。幅数キロメートルにわたる海面が、まるで沸騰したかのように激しく泡立ち、白い水柱の壁となってマイアミの海岸線へ真っ直ぐに突進してくる。しかも、その接近速度は尋常ではなかった。モーターボートでも数十分はかかる沖合から、わずか十数秒のうちに浅瀬のリーフを飛び越え、耳を劈くような衝撃波と共にビーチの目の前まで迫ってきたのである。
ゴォォォッ、と大気を震わせるソニックブームが炸裂し、波打ち際にいた人々のシャンパングラスが一斉に粉々に砕け散った。音楽が止まり、笑い声が恐怖のどよめきへと変わる。
次の瞬間、高く舞い上がったエメラルドグリーンの水しぶきのカーテンを突き破り、数千人の男たちがマイアミの白砂の上へと一斉に躍り出た。
身長百九十センチに迫る、一切の贅肉を削ぎ落とした浅黒いギリシャ彫刻のような肉体群。太陽の強烈な日差しを浴びながら、彼らの腰にピタリと張り付いた漆黒のブーメランパンツだけが、周囲の光を拒絶するように不気味なほど黒く沈んでいる。男たちは砂浜に上陸してもなお、二本の足で歩こうとはしなかった。灼熱の白砂をまるで深いプールの水であるかのように捉え、強靭な両腕で砂を掻き分け、臀部から足先までをイルカのようにしなやかにうねらせる完璧なバタフライ泳法で、猛烈な砂煙を上げながらビーチの奥へと進軍を開始したのだ。
「なんだこいつらは! 日本のニュースでやってた変態どもか!」
金髪のモデル美女たちを侍らせていたIT長者の男が、恐怖で顔を歪めながら叫び、腰に巻いていたブランド物のタオルを投げつけて威嚇しようとした。
だが、砂の上を滑るように迫った先頭の男は、飛んできたタオルをまばたき一つせずに潜り抜けると、IT長者の目の前で音もなく立ち上がった。見上げるほどの巨躯から滴り落ちる海水が、長者の高級サーフパンツを濡らす。男は一言も発さず、その彫りの深い顔に嵌め込まれた悲哀に満ちた黒い瞳で、長者の穿いているダボダボのサーフパンツをじっと見つめた。
「な、なんだよ。金ならあるぞ、いくら欲しいんだ」
長者が後ずさりながら財布を取り出そうとした瞬間、男の右腕が黒い閃光となって煌めいた。
空気が裂ける鋭い音が響き、長者の腰から膝下までを覆っていた高級シルク混紡のサーフパンツが、縦横に走る無数の布切れとなって空中に舞い散った。皮膚にはかすり傷一つない。ただ、水着という名の虚飾の鎧だけが、神業のような手刀によって一瞬で解体されたのである。
「うわあああっ! 俺の限定モデルが!」
股間を両手で押さえて砂浜にへたり込む長者の横で、侍っていたモデルたちの間からも絶叫が上がった。周囲を取り囲んだ男たちが、彼女たちの身につけていた宝石付きのビキニや、体型を美しく見せるための補正用ワンピース水着、さらには紫外線対策のラッシュガードに至るまで、目にも留まらぬ速さで次々と引き裂いていったのだ。
「きゃああああっ! やめて、撮らないで!」
「助けてくれ、ポリス! 誰かこいつらを撃て!」
マイアミの楽園は、わずか数分で阿鼻叫喚の地獄絵図へと変貌した。何千人ものセレブリティや観光客が、生まれたままの素っ裸にされ、羞恥心と恐怖で涙を流しながらホテルのロビーや路地裏へと雪崩を打って逃げ惑う。引き裂かれたカラフルな布切れや、胸を盛るためのシリコン製パッドが、白い砂浜の上にゴミのように散乱していた。男たちは逃げ惑う裸の人間たちを追撃することは決してなく、ただ砂浜に落ちた派手な水着の残骸を拾い上げては、深い悲しみを湛えた瞳でそれを見つめ、静かに首を振るのだった。
同じ時刻、地球上のあらゆるタイムゾーンで、人類は全く同じ悪夢に直面していた。
夕暮れ時を迎えていたインドネシアのバリ島、クタ・ビーチでは、茜色に染まるインド洋の波間から黒い男たちの群れが出現し、サーフボードを抱えていた世界中のサーファーたちのウェットスーツとサーフパンツを瞬く間に切り裂いた。
真昼の太陽が輝く地中海のコート・ダジュール、ニースの海岸では、ビーチチェアで日光浴をしていたヨーロッパの貴婦人たちのオートクチュール水着が一片の布切れへと還り、不夜城として知られるスペインのイビサ島では、泡パーティーに興じていた若者たちのネオンカラーの水着がことごとく破壊された。ハワイのワイキキでも、オーストラリアのゴールドコーストでも、ブラジルのコパカバーナでも、海に面したすべてのリゾート地が、マッハのバタフライで海を渡ってきた漆黒の男たちによって完全に蹂躙されたのである。
しかし、その世界規模のパニックと混乱の渦中で、いくつもの奇妙で信じがたい目撃証言がSNSや報道機関へと寄せられ始めていた。
コート・ダジュールの岩場に近い小さな入り江でのことだ。
そこでは、周囲の華やかなプライベートビーチとは一線を画すように、地元のスイミングクラブに所属する数人の青年と、彼らを指導する白髪の老コーチが、遠泳のトレーニングを行っていた。突如として隣のビーチから凄まじい悲鳴が上がり、素っ裸にされた観光客たちがパニックになって走り去っていくのを見て、青年たちは恐怖に顔を引きつらせた。
そして次の瞬間、入り江の海面が激しく波立ち、二十人ほどの漆黒のブーメランパンツの男たちが、バタフライで彼らの目の前へと滑り込んできたのである。
「ひいいっ、来るな!」
青年の一人が悲鳴を上げ、老コーチの背後に隠れた。岩場を背にした彼らには、もはや逃げる場所はどこにもなかった。
先頭を進んでいた筋骨隆々の男が、水しぶきを上げてピタリと動きを止め、砂利の敷き詰められた浅瀬にすっくと立ち上がった。他の十九人の男たちも一糸乱れぬ動きで整列し、老コーチと青年たちへと向き直る。
誰もが、自分の水着が引き裂かれる瞬間を覚悟して目を閉じた。
だが、五秒、十秒と時が過ぎても、あの恐るべき手刀が振り下ろされる気配はなかった。
老コーチが恐る恐る目を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。
目の前に立つ二十人の屈強な男たちが、老コーチと青年たちの腰元をじっと見つめたまま、微動だにせず立ち尽くしていたのである。
老コーチたちが穿いていたのは、ビーチで映えるためのカラフルなトランクスでも、肌の露出を抑えるハーフパンツでもなかった。ただ水の中を0.1秒でも速く泳ぎ、波の抵抗を極限まで減らすためだけに作られた、伝統的でシンプルな黒と紺の競泳用ブーメランパンツであった。長年潮水に浸かり、太陽に灼かれて少し色褪せたその小さな三角形の布地には、人間が大自然の海と真剣に向き合ってきた敬意と歴史が刻み込まれていた。
先頭の男の、深い悲哀に満ちていた瞳が、ふっと柔らかく細められた。
男は右手をゆっくりと持ち上げると、自らの鍛え抜かれた左胸のあたりに当て、老コーチたちに向かって背筋を伸ばし、深々と頭を下げたのである。背後に並ぶ十九人の男たちもまた、寸分の狂いもない動作で、彼らに対して最大の敬意を示す礼を捧げた。
それは、言葉を持たない彼らが示した、明確なメッセージだった。
お前たちは、海を忘れていない。お前たちは、虚飾に魂を売っていない、と。
顔を上げた男は、腰を抜かしている青年の一人に歩み寄ると、その肩に大きな手をそっと置き、励ますように二度軽く叩いた。男の掌からは、恐怖ではなく、母なる海の揺りかごに包まれるような、不思議と温かい生命の鼓動が伝わってきたという。
やがて男たちは、誰一人として指一本触れることなく踵を返すと、再び地中海の青い波間へと飛び込み、美しいバタフライの航跡を残して水平線の彼方へと消えていった。
同様の現象は、ハワイのローカルビーチで昔ながらのブーメランパンツを穿いてボディサーフィンをしていた先住民の老人や、オーストラリアの海岸で旧式のスイムブリーフを愛用していたライフセーバーたちの間でも確実に起きていた。
男たちは決して、無差別に暴れ回る狂人でも、人間の裸を見たがる変質者の群れでもなかった。彼らには明確な基準があり、鉄の規律があった。すなわち、ブーメランパンツという究極の機能美を纏う者には深甚なる敬意を払い、それ以外の余分な布面積と装飾を纏って海に近づく者からは、容赦なくその虚飾を剥ぎ取るという絶対の法則である。
しかし、その崇高とも呼べる選別の意図を、パニックに陥った現代社会が冷静に受け止められるはずもなかった。
発生からわずか四十八時間で、世界百二十カ国以上の主要な海岸線が『黒の行進』によって制圧され、引き裂かれた水着の総数は数千万着を突破した。各国の沿岸警備隊や警察が出動し、催涙ガスやゴム弾、スタンガンを用いて鎮圧を試みたものの、マッハの速度で動き回り、鋼鉄のような筋肉を持つ男たちの前には、既存の治安維持装備など子供の玩具同然であった。
世界中のテレビ局が特別番組を組み、SNSには水着を裂かれて逃げ惑う人々の映像と、無言でバタフライを続ける黒い男たちの不気味な姿が二十四時間体制で溢れかえった。
海に入るためには、あの極小のブーメランパンツを穿くしかないのか。いや、そもそもあいつらは何者で、どこから湧いて出たのか。
人類が長年築き上げてきたマリンレジャーの文化と、巨大なアパレル市場、そして何より「自分の好きな服を着て自然を支配している」という人間中心主義の傲慢なプライドが、たった一種類の黒いパンツを穿いた男たちの群れによって、音を立てて崩れ去ろうとしていた。
そしてこの未曾有の事態は、海の向こうのファッションの都パリで、一人の誇り高き女帝の逆鱗に激しく触れることになる。