ブーメラン・バタフライ   作:ろくさん

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第9話:布切れの意味

ブラジル連邦共和国、リオデジャネイロのコパカバーナ海岸で撮影された数分間の映像は、人類がかつて経験したことのない種類の戦慄と混乱を伴って、地球上のあらゆるスクリーンを埋め尽くしていた。

海パン連合軍が誇る最新鋭の第一迎撃艦隊をマッハのバタフライで突破し、特設ステージでサンバを踊っていた美女たちのビキニを瞬く間に引き裂いた漆黒のブーメランパンツの男たち。そこまでは、ここ一週間で世界中が繰り返し目撃してきたパニックの延長線上に過ぎなかった。

しかし、その直後に起きた出来事が、すべてを決定的に変えてしまったのである。

 

十二・七ミリの対物狙撃銃によって左胸を撃ち抜かれ、血ではなくエメラルドグリーンの透き通った海水の飛沫を散らして白い砂浜に倒れた一人の男。そして、動かなくなった同胞の亡骸の周りへと静かに集まり、自分たちの手の中にある引き裂いたばかりの派手なビキニの布切れと、死んだ仲間の顔を交互に見比べながら、その彫刻のように美しい頬に大粒の涙を伝わせた五千人の男たちの姿。

三脚に取り残された放送用カメラが捉えたその超高精細なクローズアップ映像は、海パン連合軍の最高司令部が検閲を行うよりも早く、衛星回線を通じて世界十億人の視聴者の網膜へと直接焼き付けられた。

 

翌朝、世界は文字通り真っ二つに引き裂かれた。

ニューヨークのタイムズスクエアでも、ロンドンのピカデリーサーカスでも、そして東京の渋谷スクランブル交差点でも、街頭ビジョンには海パン連合軍の広報官が読み上げる戦果報告と、あの男たちが涙を流すスローモーション映像が交互に映し出されていた。

 

海パン連合軍の最高司令官ドミニク・ハワードは、緊急記者会見の席上で、ボトックスで張り詰めた能面のような顔に勝利の笑みを浮かべ、マイクに向かって高らかに宣言した。

リオデジャネイロにおける防衛作戦において、我が軍はついにあの未知の侵略者の一体を物理的に破壊し、撃退することに成功した、と。連中は決して不死身の怪物でも神の使いでもない、我々の最新兵器をもってすれば確実に殺せるただの有害生物であることが証明されたのだ、と。

 

その発表は、ビーチを奪われ経済的な苦境に立たされていた一部の人々や、画面の向こうで無責任に騒ぎ立てるネットユーザーたちを熱狂させた。

SNSのタイムラインには、対物ライフルの銃弾が男の胸を貫く瞬間のキャプチャ画像とともに、攻撃的な言葉が濁流のように溢れかえった。

 

「見たか、あいつらやっぱり銃で撃てば死ぬんじゃないか!」

 

「一匹殺せたなら、十万匹全部殺せるはずだ。軍は何を遠慮しているんだ、ミサイルでも爆弾でも全部使って早く海を掃除しろよ!」

 

「あの涙もどうせ人間を油断させるための擬態だろ。気味の悪いマッチョどもめ、俺たちの夏休みを返せ!」

 

昨日まで彼らの圧倒的な身体能力に怯えきっていた者たちほど、相手が「殺せる存在」だと知った途端、溜め込んでいた恐怖を暴力的なサディズムへと転換させ、完全殲滅を求める声を張り上げた。アパレル業界や観光連盟の株価も、軍の武力行使が本格化するという期待感から一時的な反発を見せ、資本主義の巨大な歯車が再び血の匂いを求めて回転し始めていた。

 

だが、その一方で、画面に映し出された「涙」の意味を直視してしまった数億人の人々の間には、それとは全く異なる、深くて暗い動揺が広がっていた。

 

「ちょっと待ってよ。あいつら、銃で撃たれたのに、最後まで人間には指一本触れなかったじゃない」

 

東京のカフェでスマートフォンを見つめていた女子大生が、震える声で友人に囁いた。

街頭のビジョンを見上げていたサラリーマンたちも、眉間に深い皺を寄せて腕を組んでいる。

 

「ああ。もし連中が本当に人類を滅ぼすつもりの怪物なら、あのマッハの速度と怪力で、軍艦の乗組員やビーチのダンサーたちの首を簡単にへし折れたはずだ。それなのに、仲間を目の前で撃ち殺されても、ただ布切れを見て泣くだけで海に帰っていったぞ」

 

「あいつらにも感情があるのか? いや、それどころか、俺たち人間よりもずっと高い知性や倫理観を持っているんじゃないのか?」

 

「もしそうだとしたら、先に引き金を引いて仲間を殺したのは俺たち人間の方だぞ。これまでは水着を裂くだけで済んでいたのに、仲間を殺された恨みで、次は本気で人間を殺しに報復へ来るんじゃないか!?」

 

恐怖の質が変わったのである。

未知の変質者集団に対する生理的な嫌悪感から、自分たちが理解できない崇高な何かに対して取り返しのつかない罪を犯してしまったのではないかという道徳的な不安と、そこから生じる「本格的な報復」へのパニック。世界各地の都市では、海パン連合軍の無謀な発砲に抗議する市民団体と、即時殲滅を求める過激派グループが街頭で衝突し、社会全体が激しいヒステリーの渦へと叩き込まれていった。

 

その頃、ブラジル、リオデジャネイロのグアナバラ湾内に位置する海パン連合軍の南米臨時基地。

熱帯の強い日差しを遮る分厚いコンクリートの格納庫の奥、将校用のブリーフィングルームには、重苦しい沈黙が満ちていた。

壁際のモニターには、昨日の作戦で回収された唯一にして最大の戦利品――銃弾に倒れて消滅した男が最後に穿いていた「漆黒のブーメランパンツ」と、彼がその命と引き換えに握りしめていた「エメラルドグリーンのフリルビキニの布切れ」の写真が表示されている。実物はすでにドミニク司令の厳命によってニューヨークの科学分析班へと空輸された後だったが、最前線部隊長のタクヤは、その画像からどうしても目を逸らすことができずにいた。

 

タクヤは長テーブルの端に腰を下ろし、日焼けした逞しい両腕を膝の上で組んで、自分の足元をじっと見つめていた。

彼は今もなお、軍の制服ではなく、自分のトレードマークである赤と黄色のハイビスカス柄のロングサーフパンツを穿いている。三年前のあの日、ハワイのマウイ島沖で高さ二十メートルの伝説的な大波「ジョーズ」に挑み、死の淵から生還した時にも穿いていた、彼の誇りであり相棒とも言える一着だった。

だが今、タクヤの目には、そのサーフパンツの鮮やかな色彩と、膝下までを覆うゆったりとした布地が、まるで鉛で作られた罪人の枷のように重く、そしてひどく滑稽なものに見えていた。

 

部屋の扉がノックされ、副官のマルコス大尉が二杯の濃いブラジリアン・コーヒーを持って入ってきた。マルコスはタクヤの前に紙コップを置くと、向かいの椅子に深く腰を下ろし、大きな溜息をついた。

 

「司令部からの通達です、隊長。昨日のコパカバーナでの撃退は、我が軍の歴史的勝利として記録されるそうですよ。発砲をためらったあなたの指揮権剥奪も議論されたそうですが、世論が『波乗りの英雄タクヤが最初の1キルを挙げた』と盛り上がっているため、ドミニク司令はあなたを引き続きプロパガンダの顔として使うつもりのようです」

 

マルコスの声には、苦々しい皮肉が滲んでいた。彼もまた、昨日の戦場で艦橋のすぐ横をバタフライで通り抜けていった男たちの瞳と、砂浜での涙を間近で目撃した一人だった。

タクヤはコーヒーには手をつけず、自分の右手のひらをゆっくりと開いて見つめた。そこには銃の硝煙はついていない。引き金を引いたのはドミニク直轄の別部隊だったからだ。それでも、自分の指揮下にある艦隊から放たれた弾丸が、あの無抵抗な男の胸を貫いたという事実は、タクヤの胸に鋭い棘となって突き刺さっていた。

 

「マルコス。お前、昨日のあいつらの顔をどう思った」

 

タクヤの低く掠れた問いかけに、マルコスは眉をひそめ、しばらく言葉を探すように天井を見上げた。

 

「正直に言いますと、隊長。昨日の夜から、一睡もできていません。うちの艦の甲板に乗り込んできた連中に、海兵隊の若い連中が三十人以上も迷彩服と海パンを裂かれました。ですが、今日医務室で確認したところ、誰一人として擦り傷ひとつ、打撲ひとつ負っていなかったんです」

 

マルコスは身を乗り出し、声を潜めて続けた。

 

「連中はマッハを超える速度で動き、チタン合金の網を真空波で切り裂くほどの怪力を持っています。そんな連中が、動揺して暴れる兵士たちの肌を一ミリも傷つけずに、布の縫い目だけを手刀で断ち切るなんて、どれほど途方もない神経と技術が必要か分かりますか? まるで、壊れやすいガラス細工に触れるような優しさだ。敵を攻撃するどころか、絶対に人間を傷つけないよう、連中の方が命がけで手加減していたんですよ」

 

「ああ、俺も見ていた」

 

タクヤは目を閉じ、脳裏に焼き付いて離れない昨日の光景を反芻した。

十二・七ミリ弾が発射されたあの瞬間、砂浜にいた男は確実に銃弾の軌道に気づいていた。彼らの超人的な反射神経があれば、半歩横に飛ぶだけで容易に躱せたはずなのだ。しかし、男のすぐ背後には、逃げ遅れて腰を抜かした民間人の少女がいた。男は自分が避ければ跳弾が少女を傷つけることを瞬時に理解し、自らの分厚い胸板を盾にして凶弾を受け止めたのである。

 

そして、胸から噴き出したあのエメラルドグリーンの飛沫。

旗艦のデッキまで届いたあの香りは、血生臭さなど微塵もない、タクヤがかつてハワイの深海で肺いっぱいに吸い込んだ、母なる海そのものの純粋で神聖な潮の香りだった。

 

「あいつらは、倒れた仲間の死体と、自分たちが裂いたビキニの布切れを、何度も交互に見比べて泣いていたな」

 

タクヤが目を開け、モニターに映るエメラルドグリーンのビキニの残骸を指差した。スワロフスキーの石が幾つも剥がれ落ち、幾重にも重なったシフォンのフリルが潮水で萎れた、小さな布の塊。

 

「もしあいつらが言葉を話せたら、あの時なんて言ったと思う、マルコス」

 

「さあ、見当もつきませんね。なんでこんな布切れのために仲間が死ななきゃいけないんだ、でしょうか」

 

「たぶん、それだけじゃない」

 

タクヤはゆっくりと立ち上がり、自分の穿いているハイビスカス柄のサーフパンツの両脇を強く握りしめた。

 

「あいつらの目には、俺たちが必死になって守ろうとしているこの水着やファッションが、人間と海を引き裂く悲しい壁に見えているんじゃないのか。俺はこれまで、このサーフパンツを海と楽しむための正装だと思って穿いてきた。だが、3年前にジョーズの大波に飲まれて死にかけた時、海の中で俺の命を繋ぎ止めてくれたのは、ブランドのロゴでも派手なハイビスカスの柄でもなかった。ただ、生きたいと願って水を掻いた俺自身の生身の身体と、それを受け止めてくれた海の力だけだったんだ」

 

タクヤはモニターの中の、左目に傷のあるリーダー個体の写真を睨みつけた。艦橋の防弾ガラス越しに自分を見つめた、あの深く静かな海の底のような瞳。あそこには、傲慢な人間に対する怒りではなく、大切な約束を忘れてしまった友人を遠くから見つめるような、堪えきれない寂しさが宿っていた。

 

「俺たちは、とんでもない勘違いをして、撃ってはならないものに引き金を引いてしまったのかもしれない」

 

タクヤが呟いたその時、ブリーフィングルームの通信端末が鋭い電子音を鳴らした。

スクリーンが自動的に切り替わり、ニューヨークの最高司令部からドミニク・ハワードの顔が映し出された。彼女の背後には、巨大な世界地図のホログラムが浮かび上がっており、太平洋からインド洋、大西洋に至る無数の赤い光点が、複雑な軌道を描いて移動しているのが見えた。

 

ドミニクは椅子に深くふんぞり返り、黒い革手袋をはめた指先で自身の顎を撫でながら、冷ややかな声で口を開いた。

 

「ご苦労だったわね、タクヤ隊長。リオでのあなたの活躍、世界中のメディアがこぞって絶賛しているわよ。おかげで各国政府からの追加予算も、スポンサー企業からの献金も、面白いように集まっているわ」

 

「ドミニク司令。昨日の発砲は俺の命令じゃない、あんたの独断だ。それに、連中の最期の姿を見ただろう。あいつらは人間を襲うテロリストなんかじゃない、ましてや生物ですらない可能性がある。一度攻撃を中止して、連中との対話か、少なくとも正体の究明を優先すべきだ!」

 

タクヤがテーブルに身を乗り出して食い下がると、ドミニクは氷のような灰色の瞳を細め、心底馬鹿にしたように鼻で笑った。

 

「対話ですって? 言葉を話せず、人の服を破いて回るだけの裸の肉の塊と、どうやって対話しろと言うの? あなたがサーファー特有のポエムに浸るのは勝手だけれど、現実を見なさい、タクヤ。あいつらが涙を流そうが、中身が海水だろうが、そんなことはどうでもいいのよ。重要なのは、あいつらが生きている限り、世界中の人々が怖がってビキニやサーフパンツを買わなくなり、数兆ドルの市場が死に続けるという事実だけだわ」

 

ドミニクの声が一段と低く、そして冷酷な響きを帯びた。

 

「それに、いいニュースがあるわ。我が軍の海洋監視衛星が、昨日の戦闘の後、世界中の海に散らばっている個体群の総数を精密にカウントしたの。発生当初に確認された推定十万体から、連中の数は一匹たりとも増えていない。それどころか、各地の機雷原や昨日の射撃によって、すでに数百体が消滅しているわ。つまり、連中には生殖能力も補充手段もないということよ。ただの有限のターゲットだわ。一匹ずつ確実に撃ち殺していけば、いずれ必ずゼロになるのよ!」

 

タクヤは息を呑んだ。増えることがない、ただ減りゆくだけの存在。だからこそ彼らは、仲間が一人消えた時に、あれほどまでに深い悲しみの涙を流したというのか。

 

「次なる主戦場は太平洋、ハワイ諸島沖よ。現在、北太平洋を回遊している約二万体の大群が、ワイキキを目指して移動しているわ。タクヤ隊長、あなたの艦隊はただちにパナマ運河を通過し、ハワイ沖の防衛線へ合流しなさい。そこには対物ライフルだけでなく、最新鋭の水中迎撃魚雷と徹甲弾を山のように用意させてあるわ。今度こそ、何千匹という単位で連中を海の藻屑にしてやるのよ」

 

「待て、ドミニク! 俺はもう、あいつらを撃つ気は」

 

タクヤの言葉を最後まで聞かず、ドミニクは一方的に通信を遮断した。

真っ暗になったモニターの前に、タクヤは拳を握りしめたまま立ち尽くす。もしここで自分が部隊長を辞任すれば、ドミニクは間違いなく、何の躊躇いもなく引き金を引く冷혈(冷血)な軍人を後任に据え、ハワイの海を無慈悲な虐殺の場に変えるだろう。かといって、このまま指揮官として留まれば、自分は再びあの悲しき瞳を持った男たちに銃口を向けなければならない。

 

「隊長、どうしますか。出港の準備を進めますか」

 

マルコス大尉の静かな問いかけに、タクヤはすぐには答えることができなかった。

彼の脳裏では、リオの砂浜で風に舞っていたエメラルドグリーンのビキニの布切れと、太陽の光に溶けて消えていった男の透き通った涙が、いつまでも消えることなく渦巻いていた。

 

一方その頃、タクヤが苦悩を深めるブラジルから遠く離れた日本、東京。

海パン連合軍が極秘裏に回収したはずの「消滅した男の残留物」の一部が、ある独自のルートを通じて、一人の異端の海洋学者の研究室へと持ち込まれようとしていた。

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