Simulation of the Simulacra → SALVATION PARADOX ← さあ、答え合わせに行こうか 作:ゼノリカの名もなき宣教師
1話:憑依したのは極限の悪魔
菜月昴は、深夜の根深い闇の中を歩いていた。
黒のスーツを着こなし、近未来めいたサングラスを掛けている。
場の雰囲気とは裏腹に、その口元には爽やかな笑みが浮かんでいた。
「……」
彼は黙ったまま、闇の中を舞踏する。
昴は平然としている。
平然と、振る舞っている。
『ふふふっ』
蝉原は笑いかける。
可愛い可愛い宿主に。
「……」
周囲の人間からは、『菜月昴は怖すぎる』と言われている。
それは、決して間違いではない。
少なくとも、彼らが目にしている菜月昴は、そういう人間だった。
ガラケーから連絡が入る。
昴は、無理矢理に歪めた口元のまま、ガラケーを耳に当てた。
「ああ、ソイツの『処理』は任せたよ」
ガチャリ。
無理矢理、通信を切る。
『あーあ、また一人、いなくなっちゃった』
「……」
『おためごかしはよくないよ? 昴くん?』
「……」
一人になったとき、ようやく昴は、その『役』から解放される。
口元から笑みが消えた。
肩から力が抜ける。
それまで周囲に振りまいていた余裕も、恐ろしいほどの威圧感も、まるで最初から存在しなかったかのように消えていった。
「蝉原……俺の人生は……どこまでお前の手のひらの上だったんだ?」
『さあ? 俺は何もしてないさ。なーんにもしてない……』
「……」
『全部、君が選んだことなんだから』
にっこりと、蝉原は微笑んだ気がした。
昴は、何も言わなかった。
言い返すことならできる。
お前が教えた。
お前が仕向けて、
お前が俺を、こんな人間にした。
いくらでも言葉は浮かぶ。
けれど。
あのとき、手を伸ばしたのは誰だった?
あのとき、命令を受け入れたのは誰だった?
あのとき、自分の代わりに誰かが傷つくと知っていて、それでも頷いたのは誰だった?
「……クソが」
『ん? 何か言った?』
「何でもねえよ」
『そっかぁ』
蝉原は、それ以上何も言わなかった。
責めもしない。
慰めもしない。
ただ、そこにいる。
それが、どうしようもなく腹立たしかった。
☆
昴はコンビニに入り、陳列棚をぼんやりと眺めた。
スナック菓子とカップラーメン。
そして、
「098番、一カートンで」
「……あのぉ、お客様、年齢確認をさせていただいても――」
その瞬間、昴は掛けていたサングラスを外した。
「はい」
「ひ、ひ、ひぃぃぃぃ!!!!」
『顔パスだねっ!』
「……」
店員は慌ててタバコを用意した。
なぜか、おまけでもう一カートン追加されている。
「あっ、ああ……」
腰を抜かしてしまった店員を見て、昴は少しだけ困ったように眉を下げて、
「お金、ここに入れておくので。二つ分」
優しそうな口元だけを見せて、その場を去っていく。
目元がどうなっているかは、サングラスが秘匿する。
コンビニから出た昴は、手元の箱を眺めながら呟いた。
「……蝉原、タバコってうまいのか?」
『昴くん、やっぱりそれも知らずに買ったの? しかも2カートン』
「……」
『お金使いが荒いよー。因みに、俺も吸ったことはないから知らないよ? ほら、包装を見てみなよ。健康に悪いって書いてあるじゃないか。まともな人なら買わないよ。知ってた? 1本吸うと5分寿命が削られるんだよ?』
「……それじゃあ、俺には買う資格があるわけだ」
『ふふ、そうだね。そうかもね。あはは』
「あはは、あははははははははははは」
笑い声が、夜の街に響く。
『さて。いざ、実食! といきたいところだけど、ライター買った?』
「……あ」
『……本当に食べる気だったの?』
そうしていたときだった。
サングラス越しでも目が眩みそうなほどの光が、一瞬だけ溢れ出した。
そしてーー
☆
「あ? ここ、どこ?」
気づけば、知らない場所にいた。
空は晴れている。
心地よい風が吹き、気温もちょうどいい。湿度も悪くない。
あまりにも平和な景色だった。
「異世界……転移……か……」
自分の口から出た言葉を、もう一度咀嚼する。
あり得ない。
そう断言したかった。
だが、できなかった。
自分の中には、すでに常識では説明できない存在がいる。
その事実を、昴自身が誰よりもよく知っていたからだ。
『そうっぽいね。面白い展開になってきたじゃん』
「……どうする?」
『まずは、そこらへんの悪党を探しに行こっか』
「お前、異世界に来て最初にすることがそれかよ」
『いいじゃないか。異世界に来たら、まずは現地の悪党と仲良くなる。これ、常識ね』
「聞いたことねえよ、んな常識」
そうして、昴は路地裏へと足を向けた。
そこで出会ったのは、三人組の男たちだった。
いかにも柄が悪い。
そして、いかにも面倒くさそうな連中だった。
「なあ、蝉原。任せていいか?」
『ああ、もちろん。こういう雑用は俺の仕事だ』
スバルは懐のメリケンサックを宙に投げてから、
「チェンジ」
☆
「さて、いこうか」
蝉原は、にっこりと笑顔を浮かべながら宙からメリケンサックを受け取った。
それに応じるように、男も懐からヒカリモノを取り出す。
次の瞬間、蝉原は地面を蹴る。
相手が反応するよりも早く拳が飛び、男の一人の頭蓋を陥没させる。
残る二人が動揺する隙に、蝉原は長身の男が持っていたナイフを蹴り飛ばした。
「っ! コイツ!」
男の視線が、反射的に足へと向く。
その一瞬を逃さず、蝉原は懐に潜り込んだ。
腹部へ拳を叩き込む。
男が呻き、膝をつく。
残った小柄な男は、目の前の光景を見て、あっさりと逃げ出した。
「……あらら。逃げちゃった」
蝉原は、つまらなそうに肩をすくめた。
「チェンジ」
☆
「……さて、お二人さん」
昴は、倒れた男たちを見下ろした。
「俺だって、こんなことはしたくねえよ。けど、仕方なくないか? だって、お前らが襲いかかってきて、俺は反撃しただけだし。お前らはヒカリモンを持ってて、俺はただの、鈍器未満の玩具を持ってただけだ」
懐のメリケンサックを指先で軽く叩く。
「俺は何もしていない。何かしたのは蝉原だし、俺は何もしていない。俺は何もしていない」
スバルは、ふっと笑った。
「ああ、この言葉は今日もいい味がする」
「「ひいぃ!!」」
『スバルくん、今ので相手が死んだら、君のせいになるのかな?』
「お前がやったんだろ?」
『うん。俺がやったね』
「なら、俺は関係ない」
『そうだね。君は何もしてない』
「……」
『ーー君が、俺に任せたこと以外はね』
「あはは」
『あはは』
昴は笑った。
蝉原も笑った。
違いがあるとすれば、昴は自分が何を笑っているのか、もうわからなくなりかけていたことくらいだ。
「な、なに一人でぶつぶつ言ってやがんだ、この野郎!」
「頭を殴られたのに、よく喋れるね。すごいすごい」
『殴られたんじゃなくて、殴ったんだよ? 君が』
「あはは」
「「ひぃぃ!!」」
昴は笑っていた。
けれど、その笑顔は、相手を安心させるためのものではなかった。
怒っているのか、楽しんでいるのか、それとも何も感じていないのか。反対に、何かを感じているのか。
そのどれにも見えるからこそ、男たちは目の前の少年を恐れた。
「でさ……君たち、もう仲間にも裏切られちゃったじゃん?」
「……は、はい」
「それでさ、一つだけ、選択肢をあげるよ」
「……」
「俺の舎弟にならないかい? 今なら随分と安くすむよ? それかーー」
そのときだった。
金髪の少女が、疾風のように路地を駆け抜けていった。
そして、ほとんど同時に、別の少女が現れた。
「ーーそこまでよ」
「だれだい……?」
昴は顔を上げた。
そして、
「……っ」
一目惚れ、というのだろう。
スバルは、その少女に一目惚れした。
「はは、いい女性だ……」
「残念だけど、君みたいな安い人に僕の子はあげないよ? ま、いくら高そうな人でもダメだけど」
「せ、精霊使い……っ!?」
男たちの声を、昴は反芻する。
「ああ、精霊……精霊ね……」
『すごいね、スバルくん。精霊だってさ?』
昴は、現れた子猫のような存在を見つめた。
それだけで、自分が本当に異世界へ来てしまったのだと実感する。
「んで、どうする気?」
「これ以上その人たちに暴力を振るうなら、私が容赦しないわ!」
「……お嬢ちゃん。襲われたの、俺の方なんだが」
「え? そ、それでもーー」
少女は困惑した。
スバルは、そんな彼女を見て、少しだけ笑った。
ああ、困惑した顔も可愛いなあ。
そんなことを考えながら、メリケンサックを懐にしまう。
「じゃあさ、わかった。許した」
両手を大っぴらに上げてみせた。
「これでいいだろ? それか……」
昴は、男たちへ視線を向けた。
「わかるよね?」
「「ひぃぃ!!」」
一言で、男たちは逃げていった。
少女は、昴に向き直った。
「あなた……何をする気?」
「そんなに警戒しなくてもいいじゃないか。もっと、数百年来のトモダチに会ったぐらい、仲良くしようよ?」
「……」
「はは、冗談だよ。黙らなくてもいいじゃないか」
「……どうする? パック」
「僕の子に危害を加える気なら容赦はしない……って、言いたいけど、別にそういう雰囲気でもないんだよね」
「え?」
「あれは多分、全力でエミリアに協力したがっている目だ」
「……どうして?」
「僕もわからないけど、見てみなよ。すっごく真摯な目をしている。今時、珍しいよね。僕も少し感心させられるぐらい」
そう言うと、エミリアと呼ばれた少女は、スバルの目を見た。
スバルもまた、彼女の目を見つめ返す。
数秒後。
「……やましいことがあるから目を逸らす。私の目に狂いはないみたいね!」
プイッと、スバルは目を逸らした。
「どうかな。今のは男の子的な反応であって、邪悪な感じはゼロだったけど」
「パックは黙ってて」
少女は猫を黙らせ、昴に向き直った。
「あなた、私から徽章を盗んだ相手に心当たりがあるでしょ?」
『だってよー、スバルくん? ま、君の場合、決まってるか』
「いや、今は知らねえな」
「嘘をついても無駄よーーって、本当に知らないみたいね……」
「だね」
パックも同意した。
「だがな」
昴は言葉を続けた。
「え?」
「これから知ることは、できるだろ?」
「……そうね」
「なら、そうするべきだ。俺も協力してやるよ」
「……いいわ。遠慮する。あなたはどこか、なんて言うんだろう……パック、どう言うの、この目は?」
「そうだね。僕だったらーー」
パックは少し考えて、
「ーー病んでるって表すね」
そう言った。
☆
そうして、スバルは最終的に同行を許可された。
精霊であるパックに監視されているが、特に気にはしない。
スバルは適当な人にあたりをつけ、声をかけてみる。
「なあ、アンタ。ここら辺で、ちと金髪の少女を見なかったかい?」
「はあ? 知らねえよ」
通行人は、そう言って去っていった。
「そうかい……あはは」
「……よくあなた、話しかけられるわね。そんな調子で……」
「慣れれば、意外とイケるもんさ。なんでもそう……情熱もパッションも……」
「なにか碌でもないことを言っているのはわかったわ……」
それでも、どこか情緒めいたスバルのあり方に、エミリアは戸惑いを隠せなかった。
初めて会うタイプの人間。
そう感じ取っていた。
「悪い人じゃないんだけど……どこか抜けてて、おかしな態度をとってて……でも、捨て置けない気がする……」
その言葉に、スバルはおかしそうに笑った。
「あはは。それは違うよ、エミリアお嬢ちゃん。俺は悪い人だよ? 街を支配する生粋の首領《ドン》さ」
「はいはい……」
スバルの軽口を払い落としながら、二人は進んでいく。
「なあ、君たち。ちょっといいかい?」
昴は、貧民街の子供たちに声をかけた。
明らかに粗末な服を着ている子供たちだった。
昴の声は、どこかおっとりとしていた。
「な、なに……?」
「なに、怖いことじゃないさ。ただ、人を尋ねたいだけ……」
「う、うん……」
「大丈夫だから……」
そう言うと、子供たちはどこか安心したように見えた。
「あなた……何をしたの?」
「俺も、よくわからないね……きっと、ただの経験さ」
それは、蝉原と暮らして出来た、スバルの能力だった。
ーー悩み事があれば、聞くよ?
かつて、蝉原が使っていた言葉を、
何度も聞かされ、何度も見せられ、何度もその意味を考えさせられた言葉を、
それを、スバルは自分のものとして使うようになっていた。
弱者を救うために。
そうして、夕暮れ時を過ぎた頃。
二人は、とある蔵にたどり着いた。
「入っていーですかー?」
スバルが声をかける。
返事はない。
それでも、ドアは開いた。
中へ足を踏み入れる。
最初に気づいたのは、足元にべったりと広がる血だった。
「ああ、見つけてしまったのね」
女の声は、妙に優しかった。
「それじゃ仕方ない。ええ、仕方ないのよ」
『スバル! 危ない!!』
「あ……ぁ?」
次の瞬間、昴の腹部に激痛が走った。
何が起きたのか、理解するよりも早く、体が崩れ落ちる。
腹を押さえる。
手のひらが、ぬるりと濡れた。
大きな傷がある。
どうやら、自分は致命的な一撃を受けたらしい。
「……あはは」
笑い声が漏れた。
なんでだろう。
こんなときなのに。
いや、こんなときだからこそ、なのかもしれない。
「痛い……痛いよ……」
死ぬ。
これは死ぬな。
あーあ。
そう考えることしかできなかった。
「あら……? あなた、随分と救いようのない目をしているのね」
女は、楽しそうに笑った。
哀れむでもなく、驚くでもなく。
まるで、道端に落ちていた珍しい石でも見つけたかのように。
「普通はね、こんな目をしている人間は、もっと怒るものなのよ。どうして自分がこんな目に遭わなければいけないのかって。誰が悪いのかって」
「……あはは」
「でも、あなたは違うのね」
女は昴の顔を覗き込んだ。
「自分が悪かったのかな、って。そう考えているのでしょう?」
「…………」
「かわいそうに」
だが、その言葉には、ほんの少しの同情もなかった。
「あなた、自分が傷つく理由まで、自分で探してあげるのね」
女の声は、今のスバルからしたら、随分と遠くのものに聞こえた。
そうして、
「サテ……ら……」
遺言を残すかのように、呟く。
だが、諦めさせない存在も、そこにいた。
『スバル! 諦めるのはまだ早い!』
スバルの中では、えいえいおー、と言わんばかりに声が舞っていた。
「お前は……痛く……ないのか?」
『痛いけど、普通に許容範囲! じゃなくて、もっと根性込めて!』
「どう考えても、根性じゃ解決しないだろ……」
『そうじゃないんだよ! もっと、情熱とパッションを込めて!』
「たはは……」
『たははじゃないんだよ! あーあ、間に合わないや……』
蝉原の声が、ふっと遠ざかった。
そして、最後に。
『せっかく、楽しくなってきたのに……』
「さて……ら……俺が、必ずーー」
ーーお前を、救ってみせる。
誰を救うつもりだったのか。
自分を傷つけた女か。
目の前で危険にさらされた人々か。
それとも、またしても誰かを救えなかった自分自身か。
スバルにも、わからなかった。
ただ、救うと決めた。
だから、救おうとした。
そして、スバルは初めての死を迎えた。
投稿頻度が急激に低下します。
ちょっと混みあってて、リアルの方が大変になってしまうので、なかなか執筆時間が取れない。ゼロではないんですけどね。
ストック兼プロットはまだ数十万字ほどありますし、センエース並みの秒刻みのタイムスケジュール管理をする予定なので、完全に止まるという事はないですが、流石に、かなり忙しくなります。