ガチートな嫁が過保護すぎる死滅回遊 作:くろつ
東京第二コロニー。
かつて多くの人々で賑わっていた街並みは、見る影もなく破壊し尽くされていた。
ひび割れたアスファルト、傾いたビル、あちこちに築かれた瓦礫の山。その中心に――ひとりの男が立っていた。
東京都立呪術高等専門学校三年、秤金次。
賭け試合を生業とし、呪術師として圧倒的な実力を持つ男の全身は、傷と血に塗れている。服は破れ、肌には無数の裂傷。それでも彼は、ニッと口角を上げて立っていた。
「……ハッ。とんでもねぇな、オマエ」
視線の先。そこに佇むのは、白髪の男――四百年前の術師であり、死滅回游において圧倒的な強さを誇る泳者、鹿紫雲一。
その肉体からは、今なお電流のような呪力がバチバチと溢れ出ている。
「……お前もな」
鹿紫雲がわずかに目を細めた。
「死なねぇ奴だとは思っていたが……ここまでとはな」
「そりゃどうも。こっちは生憎、まだ死ぬわけにはいかねぇんでね」
秤が肩をすくめれば、鹿紫雲はつまらなそうに鋭い視線を向ける。
「ならば、次は確実に殺す」
「おう。やってみな」
二人の間に緊張が走った。先ほどまでの攻防は、常人なら一瞬で肉塊に変じる死闘。電撃、爆発、水中での肉弾戦、そして命を懸けた読み合い。
秤は『無制限の自動回復(反転術式)』で傷を癒やし続け、鹿紫雲は圧倒的な戦闘経験と電荷の誘導で追い詰めた。一歩間違えれば即死。まさに極限状態。
だが。
「……チッ」
鹿紫雲がふと眉をひそめ、周囲を見渡した。
妙な感覚があった。戦闘の余波で舞い上がっていた粉塵が、いつの間にかピタリと静まり返っている。風もない。音もない。遠くで響いていた呪霊の咆哮すら途絶えた。
この一帯だけが、世界から切り離されたかのような静寂。
「――何だ、ありゃ」
秤の呟きに、鹿紫雲も空を見上げた。
そこに浮いていたのは、黄金の光。ひとつ、ふたつ、みっつ――いや、違う。光ではない。空間に広がる「黄金の波紋」だ。
何もない空間に無数の金色の円が浮かび上がり、その中心から、見たこともない形状の武具――神々しい剣や槍が悠然と姿を現していた。
「……は?」
秤が間の抜けた声を漏らす。鹿紫雲も目を細めた。
「術式か……?」
その問いに応じるように、空間が裂けた。
空間そのものが「黄金の門」へと変わったかのような光景。その向こう側から、ひとりの女性が悠然と歩み出てくる。
黄金の髪。真紅の瞳。白い肌。華奢でありながら、圧倒的な神々しさを纏う美しい姿。しかしその顔には、心底呆れたような表情が浮かんでいた。
「千璃の奴、少し目を離しただけでまた妙なことに首を突っ込もうとするのだからな……」
「……誰だ、アンタ?」
秤の問いかけに、女はちらりと視線を向けた。
「ほう。私に問いかけるか」
「いや、急に空から湧いて出たら聞くだろ」
「ふむ。一理ある」
女は納得したように頷くと、優雅に髪をかき上げた。
「我が名は戦刃ギル。王である」
「……は?」
「そして、我が最愛の夫を守護する者だ」
「話の跳躍が凄まじいんだが??」
秤のツッコミは極めて正論だった。
しかし、鹿紫雲だけは別の異変に気づいていた。
目の前の女から溢れ出る、圧倒的な存在感。
呪力……なのか? いや、違う。異質の、だが決定的な重圧。ただそこに立っているだけで、周囲の空間そのものが彼女の支配下に置かれているような錯覚。
――こいつは、異常だ。
長年強者を求め、命を削り合ってきた鹿紫雲の嗅覚が告げていた。目の前の存在は、これまで出会ったどの術師とも違う。強さを測ることすら愚かしく思えるほどの存在。
「……おい、女」
鹿紫雲の口元が、釣り上がった。
「お前、強いな」
ギルは心底不思議そうに首を傾げた。
「当然であろう? 私を誰だと思っている」
「……ハッ!!」
久しく忘れていた高揚感。全身から凄まじい電流が迸る。
「いいねぇ……! 秤、悪いがこいつとは少し話をさせてもらうぞ」
「おいおい、俺との勝負はどうすんだよ」
「黙れ。これは別の話だ」
鹿紫雲はギルを見据え、鋭く告げた。
「お前と戦いたい」
ギルは数秒ほど沈黙し――
「……は?」
心底理解できない、といった顔をした。
「貴様、今なんと言った?」
「戦いたいと言った」
「……断る」
即答だった。
「……は?」
「二度言わせるな。面倒だ」
あまりにあっさりとした拒絶に、鹿紫雲のこめかみに青筋が浮かぶ。
「……お前、俺を舐めてんのか?」
「舐める? 勘違いするな、貴様に興味がないと言っているのだ」
「……ッ!」
「そもそも、私は夫のもとへ戻る最中なのだ。貴様のような男に割く時間などない」
「夫……?」
秤が呆気にとられた顔をする。
(この状況でノロケる余裕がある時点で、色々とヤバすぎるだろこの女……)
「……待て」
鹿紫雲の低い声が響く。
「俺との戦いを断ると言ったな?」
「そう言ったが」
「なら――無理やりにでも相手をしてもらう!!」
ドッ!! と地面が爆ぜた。
電撃を纏い、人間離れした速度で距離を詰めた鹿紫雲が、一瞬でギルの懐へと潜り込む。
「食らえッ!!」
直撃すれば即死必至の電撃拳。秤ですら直撃を避ける一撃が、ギルの顔面へと迫り――
ピタリ。
「……あ?」
鹿紫雲の拳が、ギルの顔面数センチ手前で完全に停止していた。
ギルの親指と人差し指が、鹿紫雲の拳を軽くつまんでいた。飛んできた蚊を捕まえるかのように、造作もなく。
「……な、に……?」
「ふむ。電気か。少々珍しい性質の力を扱うのだな」
ギルの真紅の瞳が、冷たく輝く。
「だが――私の邪魔をするには、いささか力不足だ」
ゴッ!!!!
直後、崩落のような轟音が響いた。
ギルが掴んだ拳をほんの少し振った、ただそれだけ。
「がっ……!?」
鹿紫雲の巨体が横方向へと吹き飛んだ。アスファルトを削り、瓦礫を粉砕し、数十メートル先のビルへと叩きつけられる。崩れ落ちる瓦礫の山。
「………………」
秤は口を開けたまま固まっていた。
(……は? 今、何が起きた?? あの鹿紫雲が……片手で振り払われただけ、だと……?)
「……クク……ハハハッ!!」
瓦礫を押しのけ、血を流しながら立ち上がる鹿紫雲。その顔には、狂おしいほどの歓喜が浮かんでいた。
「そうか……! そういうことか……! お前、化け物だな……!!」
「失礼な。私は人間だ。貴様に説明する必要はないが」
「なら、もっと見せてみろ!! お前の力を! 全部だ!! 俺は――」
「うるさい」
ギルの一言が、空気を凍らせた。
「貴様、先ほどから随分と騒がしいな。私が寛大だからと調子に乗るなよ」
背後で、黄金の波紋が爆発的に増殖していく。
十、五十、百、数百――視界を埋め尽くす武具の群れが、すべて鹿紫雲へと照準を合わせた。
「……ッ」
鹿紫雲の笑みが引きつる。本能が全力で警鐘を鳴らしていた。
(危険だ。こいつ、まだ本気すら出していない――!)
「……面白ぇ!! 最高じゃねぇか……!!」
「……救いようのない馬鹿だな」
ギルは冷たく言い放ち、指先を軽く振った。
「――『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』」
世界が、黄金の光に染まった。
* * *
「……マジかよ」
秤は絶句していた。
黄金の門から射出される、無数の武具の雨。一作一作が音速を超え、大地を抉り、建物を粉砕する。逃げ場など存在しない圧倒的な暴力。
「――チッ!!」
鹿紫雲が地面を蹴り、極限の回避を試みる。だが――
「遅い」
ジャラッ! と足元から飛び出した黄金の鎖が、鹿紫雲の足首を拘束した。
「なっ!?」
「無駄だ。それは神を繋ぐ鎖。貴様程度の力で引きちぎれるものではない。――跪け」
ドガンッ!!
強烈な引き戻しによって、鹿紫雲の身体が地面へと叩きつけられた。陥没するクレーター。
「……がハッ……! まだ……だ……!」
それでも立ち上がろうとする鹿紫雲に、ギルは心底深々とため息をついた。
「……しつこい男だ。私はな、今とても機嫌が悪いのだ」
「あ……?」
「愛する夫を危険な場所に連れてきてしまったうえ、少し目を離した隙に妙な呪霊どもに襲われかけた。ようやく安全を確保したと思えば、今度は貴様のような男が絡んでくる」
ギルは額を押さえ、思い出したように顔を上げた。
「……ああ、そうだ。千璃を待たせているのだった。――終わりにしよう」
波紋の数が倍増する。秤が思わず叫んだ。
「お、おい待て!! ここでそれをぶっ放したらコロニーが――!」
「知ったことか」
「知れよ!?」
「ならば貴様が弁償しておけ」
「理不尽すぎるだろオイ!!」
「――穿て」
黄金の雨が降り注いだ。
轟音。爆発。衝撃波。周囲の景観が跡形もなく吹き飛び、数秒後、あとに残されたのは巨大なクレーターだけだった。
「……」
クレーターの中心で、全身血まみれになりながらも膝をついて息をする鹿紫雲。首元には、すでに黄金の刃が突きつけられている。
「……命までは取らん」
「……何?」
「貴様にはまだ聞きたいことがある。ゆえに生かしておいてやる」
ギルは真紅の瞳で冷たく見下ろした。
「だが……次に私の邪魔をすれば、今度こそ塵も残さんぞ」
その笑みを見て、鹿紫雲は初めて理解した。自分がどれほど次元の違う存在に喧嘩を売っていたのかを。
「……ハッ。参ったな」
ギルは興味を失ったように踵を返すと、秤を振り返った。
「秤金次と言ったな。そこの男を回収しておけ」
「あ、押忍……じゃなくて! アンタ一体何者なんだよ!?」
「質問が多い」
「当たり前だろ!!」
ギルは鬱陶しそうに息を吐き、最後にひとつ告げた。
「我が夫に手を出すな。もしも危害を加えるような真真似をすれば――このコロニーごと消し飛ばす」
背後に浮かぶ、たったひとつの黄金の波紋。それだけで、秤の背筋に氷のような戦慄が走った。
「……まじで何なんだよ、あの女……」
秤の呟きだけが、静まり返った街に虚しく響いた。
* * *
同時刻、東京第二コロニーの別区画。
「……ギル、遅いなぁ」
ボク――戦刃千璃は、瓦礫の上にちょこんと座って待っていた。
『千璃、絶対に動くなよ。戻るまで何があってもだ』と言われたので大人しくしていたけれど……。
(……ギル、かっこよかったなぁ)
呪霊を一瞬で消し去った圧倒的な姿と、ボクを抱きしめてくれたときの優しい笑顔。思い出すだけで頬が緩む。
その時、遠くからドカンッ!! と凄まじい爆発音が聞こえ、地面が揺れた。
「……? 地震……じゃなくて、戦闘音?」
嫌な予感がした瞬間――
「――千璃!!」
黄金の髪をなびかせ、猛スピードで駆け寄ってくるギルの姿があった。
「ギル!」
「千璃ッ!!」
ぎゅむううううっ!!
「わぷっ!? ギ、ギル苦しいよぉ……!」
「す、すまない! 無事か!? 怪我は!? どこか痛むところは!?」
「ないよ! 大丈夫だってば……!」
安堵したギルが、そっとボクの額にキスをする。その過保護ぶりに苦笑しつつも、迎えに来てくれたことが嬉しくて胸に顔をうずめた。
「ふふ、ありがとうギル」
「当然だ。私はお前の妻なのだからな」
満足そうに胸を張るギルに、ボクはふと気になって尋ねた。
「ところで……さっきのすごい音、何だったの? 建物壊してない?」
「…………」
ギルがピタリと動きを止めた。
「……多少だ」
「多少?」
「……ほどほどに善処した」
「……ギル?」
「……すまない」
珍しくしゅんとするギルが可愛くて、ボクは笑ってしまう。
「ふふ、ギルが無事ならそれでいいよ。……大好き」
ちゅっ、と頬にキスをすると、ギルは耳まで真っ赤になって固まった。
「……っ!? お、お前という奴は……! 今日はもう絶対に離さん!!」
「えぇっ!? これからどうするの!?」
「知らん! お前が可愛いのが悪い!」
……うん。この死滅回游という境遇、普通なら絶望的な地獄なんだろうけれど。
ボクの妻は、世界一強くて、優しくて、そして――世界一、過保護なのである。
* * *
一方、惨状と化したクレーターの縁。
「……おい」
秤が、傷だらけの鹿紫雲に声をかけた。
「……お前、さっきの女に本気で勝ち目あると思ってんのか?」
「……フッ。あの女にも『守るべきもの(夫)』があるということだ」
鹿紫雲は口元を吊り上げた。
「次は、その夫とやらにも会ってみたいものだな」
――ゾクッ!!
その瞬間、二人の背筋を、今まで経験したこともない超度級の殺気が駆け抜けた。
遠く離れた場所から、明確に命を刈り取りにくる絶対的な威圧。
「…………」
「…………」
二人は無言で顔を見合わせ、鹿紫雲が静かに口を開いた。
「……今のは、忘れろ」
「……ああ。最初から誰も何も言ってねぇ」
二人が遠い目をして空を見上げていた頃。
「……千璃」
「なぁに、ギル?」
「少し、ハエの羽音が気になった」
「えっ? 危険なの?」
「心配いらん」
にっこりと微笑むギルの背後で、数百の宝具が静かに殺意を滾らせていた。
「――責任を持って、処理(全滅)しておこう」
(……本当に善処する気があるのかなぁ……)
ボクは心の底から、まだ見ぬ誰かの無事を祈るのだった。