『真・恋姫†無双 ~赤鬼伝~ 百死転生の果てに、孫呉の小覇王を救う』   作:パスカルDX

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第3話「江東の小覇王、赤鬼に興味津々! 孫策と仮面の兵士、運命の再会!」

第3話「江東の小覇王、赤鬼に興味津々! 孫策と仮面の兵士、運命の再会!」

 

 

江東の朝は、今日も穏やかだった。

 

王城の周囲には柔らかな朝日が降り注ぎ、城壁の向こうからは商人たちの威勢のよい声が聞こえてくる。市場では新鮮な野菜や魚が並べられ、荷車を引く商人たちが忙しなく通りを行き交っていた。戦乱の世にあっても、人々は日々の暮らしを営み、今日という一日を懸命に生きている。

 

そんな平和な朝の空気を胸いっぱいに吸い込みながら、赤鬼は練兵場へ向かっていた。

 

黒を基調とした衣服の上から孫呉軍の軽装鎧を身につけ、腰には白銀の剣《雪白》と漆黒の剣《黒蓮》を差している。少し長めの茶色い髪は、朝の風に揺れるたびに赤い鬼の仮面の後ろから覗いていた。

 

仮面は今日も相変わらず恐ろしい顔をしている。

 

額から伸びる二本の角に、鋭い眼差しを思わせる目元。そして、牙を剥いた口元。

 

もっとも、本人の頭の中は、そんな物騒な見た目とは正反対のことでいっぱいだった。

 

「……今日は何事もなく終わってほしいもんだな」

 

赤鬼は心底疲れたように呟いた。

 

孫呉軍に入隊して、まだ三日目。

 

初日は採用試験で木柱をへし折り、二日目には直属の上官である程普との模擬戦に勝利してしまった。

 

百回もの人生を経験した男が、平穏な兵士生活を送ろうとしているだけなのに、なぜこうも毎日騒動が起こるのか。

 

本人としては、まったく納得がいかなかった。

 

「おーい、赤鬼!」

 

背後から聞き慣れた大声が響き、赤鬼は振り返る。

 

そこには、大柄な身体を揺らしながら走ってくる牛山の姿があった。

 

「お前、今日も早いな!」

 

「お前が遅いだけだろ。あと、朝から声がでかい」

 

「がははっ! 元気が一番だからな!」

 

「お前の元気を半分くらい分けてもらいたいよ。ついでに、いびきの音量も半分にしてくれ」

 

「まだ言ってるのかよ!」

 

「こっちは毎晩、敵軍の太鼓を聞きながら寝てる気分なんだぞ」

 

赤鬼が大げさに肩を落とすと、牛山は腹を抱えて笑い始めた。

 

その笑い声もまた、なかなかの音量である。

 

赤鬼は思った。

 

こいつの身体には、声量を調整する機能が備わっていないのではないだろうか。

 

そんなくだらないことを考えながら歩いているうちに、二人は練兵場へ到着した。

 

すでに多くの兵士たちが集まり、木剣を使った素振りや体力訓練を始めている。

 

赤鬼は周囲の様子を眺めながら、今日は何としてでも目立たないようにしようと心に誓った。

 

昨日のように将軍を倒すなど、もってのほかである。

 

「よし、今日は普通に過ごすぞ」

 

「普通って何だ?」

 

「普通は普通だ。木柱を折らない、将軍を倒さない、変な噂を広めない」

 

「お前の普通って、ずいぶん大変なんだな」

 

「……自分でもそう思う」

 

赤鬼は深いため息をついた。

 

すると、練兵場の奥から穏やかな女性の声が聞こえてきた。

 

「おはよう、みんな。今日もよろしくね」

 

程普が姿を現したのである。

 

孫呉の宿将である彼女は、今日も落ち着いた雰囲気をまとっていた。兵士たちを見渡す眼差しには優しさがあり、姿勢の崩れた者には柔らかな口調で注意を促している。

 

その姿を見た赤鬼は、思わず懐かしさを覚えた。

 

過去の人生でも、彼女はいつもこうして兵士たちを見守っていた。

 

戦場では冷静に指揮を執り、負傷者が出れば真っ先に駆け寄り、若い兵士が失敗すれば頭ごなしに叱るのではなく、次にどうすればよいのかを教えてくれる。

 

優しく、頼りがいがあり、そして誰よりも部下思いの女性だった。

 

「赤鬼、おはよう」

 

粋怜が赤鬼に気づき、微笑みかける。

 

「おはよう、程普将軍」

 

「昨日はよく眠れたかしら?」

 

「……隣の奴が静かなら、もっとよく眠れたんだがな」

 

赤鬼が牛山へ視線を向けると、当の本人は不思議そうに首を傾げた。

 

「俺か?」

 

「お前以外に誰がいるんだよ」

 

粋怜は二人のやり取りを見て、小さく笑った。

 

「ふふっ。仲がいいのね」

 

「いや、こいつのいびきに殺されかけてるんだが」

 

「あら、それは大変ね。必要なら寝台の場所を変えてあげましょうか?」

 

「……本当か?」

 

「ええ、もちろんよ」

 

赤鬼は思わず身を乗り出した。

 

百回の人生を経験しても解決できなかった問題が、こんなにも簡単に解決するとは思わなかったのである。

 

「程普将軍……あんた、いい人だな」

 

「ふふっ。今さら気づいたの?」

 

粋怜は少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。

 

その笑顔を見た赤鬼は、仮面の下で小さく笑う。

 

こういう何気ない会話ができることが、今の彼には何よりも嬉しかった。

 

だが、そんな穏やかな時間は、長く続かなかった。

 

練兵場の入口から、慌ただしい足音が聞こえてきたのである。

 

「程普将軍! 大変です!」

 

一人の兵士が駆け込んできた。

 

その顔には、明らかな焦りが浮かんでいる。

 

粋怜は落ち着いた様子で振り返った。

 

「どうしたの? そんなに慌てて」

 

「そ、それが……!」

 

兵士は息を整えながら、驚くべき報告を口にした。

 

「孫策様が、こちらへ向かっておられます!」

 

その瞬間、練兵場の空気が変わった。

 

兵士たちは一斉に姿勢を正し、周囲に緊張が走る。

 

江東の小覇王。

 

孫呉の王である孫策が、わざわざ練兵場へやってくるというのだ。

 

普通の兵士にとっては、滅多にない出来事である。

 

しかし、赤鬼だけは違った。

 

「…………」

 

彼はゆっくりと空を見上げた。

 

青く澄み渡った空には、白い雲がのんびりと流れている。

 

実にいい天気だった。

 

「……帰っていいか?」

 

「駄目よ」

 

即答したのは粋怜だった。

 

赤鬼は彼女へ顔を向ける。

 

「まだ何も言ってないんだが」

 

「帰りたいのでしょう?」

 

「……よくわかったな」

 

「ふふっ。あなたのこと、少しずつわかってきたもの」

 

粋怜は楽しそうに微笑んだ。

 

赤鬼は頭を抱えたくなった。

 

どうやら、この女性には本当に何も隠せないらしい。

 

そして、彼が逃げ道を探している間にも、運命の足音は確実に近づいていた。

 

◇◇◇

 

「おっはよー!」

 

練兵場の入口から響いたのは、王の威厳など微塵も感じさせない、明るく元気な声だった。

 

その声に、兵士たちが一斉に振り返る。

 

現れたのは、桃色の長い髪を風になびかせた美しい女性だった。

 

華やかな衣装に身を包み、腰には愛刀を差している。整った顔立ちには自信に満ちた笑みが浮かび、その立ち姿には、自由奔放な性格とは裏腹に、歴戦の武人だけが持つ鋭い気配が宿っていた。

 

孫策伯符。

 

江東の小覇王にして、孫呉を率いる王。

 

彼女の姿を認めた兵士たちは、一斉に膝をつこうとした。

 

しかし、孫策は面倒くさそうに片手を振った。

 

「あー、いいわよ、そういうの! 今日はちょっと遊びに来ただけだから!」

 

その言葉を聞いた粋怜は、困ったように微笑んだ。

 

「孫策様。王が遊びに来たというのは、少々問題があるのではありませんか?」

 

「えー、いいじゃない。たまには息抜きも必要よ!」

 

「それはそうですが、政務はどうなさったのです?」

 

「…………」

 

孫策の笑顔が、ほんの一瞬だけ固まった。

 

粋怜はそれを見逃さなかった。

 

「……また冥琳に押しつけてきたのですね?」

 

「押しつけたんじゃないわよ! ちょっと任せてきただけ!」

 

「それを押しつけたと言うのでは?」

 

「粋怜まで冥琳みたいなこと言わないでよ!」

 

孫策は頬を膨らませた。

 

その姿は、とても一国の王とは思えない。

 

しかし、兵士たちは慣れているのか、誰も驚いた様子を見せなかった。

 

赤鬼もまた、懐かしい光景に思わず口元を緩めていた。

 

変わらない。

 

本当に、何も変わっていない。

 

あの豪快な笑い方も、自由奔放な振る舞いも、周囲を巻き込む天性の明るさも。

 

百回の人生で幾度となく見てきた孫策が、今、目の前で生きている。

 

その事実だけで、胸の奥が熱くなった。

 

「……孫策」

 

赤鬼は誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。

 

今すぐ駆け寄りたい衝動があった。

 

もう一度、その笑顔を間近で見たいという願いがあった。

 

だが、彼は動かなかった。

 

今の孫策にとって、自分は初対面の兵士でしかない。

 

過去の人生で交わした約束も、共に過ごした日々も、彼女は何一つ覚えていないのだ。

 

だからこそ、赤鬼は仮面の奥で静かに息を整えた。

 

彼女の前では、ただの兵士として振る舞う。

 

それが、百一回目の人生で自分に課した決まりだった。

 

しかし、そんな赤鬼の決意など、孫策が知るはずもない。

 

「ねえ、粋怜!」

 

「はい、何でしょう?」

 

「昨日の新兵って、どこにいるの?」

 

その言葉に、赤鬼の肩がわずかに跳ねた。

 

粋怜は一瞬だけ赤鬼へ視線を向け、それから穏やかに答える。

 

「赤鬼のことですね?」

 

「そうそう! その赤鬼!」

 

孫策は目を輝かせた。

 

「聞いたわよ! 昨日、粋怜に勝ったんでしょう?」

 

「ええ。見事な腕前でした」

 

「へえ……!」

 

孫策の笑みが深くなる。

 

その表情を見た赤鬼は、心の中で盛大にため息をついた。

 

ああ、知っている。

 

この顔を、嫌というほど知っている。

 

面白そうな玩具を見つけた子供のような笑顔。

 

そして、その笑顔を浮かべた孫策は、たいてい周囲の人間を巻き込んで大騒動を引き起こすのである。

 

「それで、どこにいるの?」

 

粋怜は赤鬼を見た。

 

赤鬼は首を横に振った。

 

粋怜は微笑んだ。

 

赤鬼はもう一度、今度は少し大きく首を横に振った。

 

しかし、粋怜は何事もなかったかのように口を開いた。

 

「赤鬼。こちらへ来てくれるかしら?」

 

「……裏切り者」

 

「あら、何か言った?」

 

「何でもないです、程普将軍」

 

赤鬼は諦めたように肩を落とし、兵士たちの列から歩み出た。

 

その姿を見た孫策の目が、さらに輝いた。

 

「わあ! 本当に鬼の仮面をつけてる!」

 

「……どうも」

 

「しかも真っ赤! 角まであるじゃない!」

 

「……見ればわかるだろ」

 

「ねえねえ、ちょっと触っていい?」

 

「駄目だ」

 

「えー! けち!」

 

孫策は楽しそうに笑いながら、赤鬼の周囲をぐるぐると歩き始めた。

 

右から眺め、左から眺め、時には背伸びをして仮面の角を覗き込む。

 

その様子は、珍しい動物を見つけた子供そのものだった。

 

「ねえ、あなた、本当に赤鬼って名前なの?」

 

「ああ」

 

「本名?」

 

「今はそう名乗ってる」

 

「ふーん……怪しいわねえ」

 

「仮面をつけてる時点で怪しいだろ」

 

「自覚あるんだ!」

 

孫策が声を上げて笑う。

 

赤鬼は肩をすくめた。

 

その様子を見ていた兵士たちは、内心で冷や汗を流していた。

 

王に対して、あまりにも遠慮がなさすぎる。

 

普通なら叱責されてもおかしくない態度だったが、孫策本人はまったく気にしていない。

 

むしろ、赤鬼が軽口を返すたびに楽しそうな笑みを深めていた。

 

「あなた、面白いわね!」

 

「よく言われる」

 

「しかも強いんでしょう?」

 

「普通だよ」

 

「普通の兵士が粋怜に勝てるわけないじゃない!」

 

「……それもよく言われる」

 

赤鬼が疲れたように答えると、孫策は満面の笑みを浮かべた。

 

そして、彼が最も恐れていた言葉を口にしたのである。

 

「ねえ、赤鬼! 私と勝負しない?」

 

練兵場が静まり返った。

 

兵士たちの視線が、一斉に赤鬼へ集まる。

 

赤鬼はしばらく孫策を見つめていたが、やがて静かに口を開いた。

 

「……嫌だ」

 

あまりにも迷いのない即答だった。

 

孫策が目を丸くする。

 

「えっ?」

 

「嫌だって言ったんだよ。俺は普通の兵士なんだから、王様と勝負する理由がない」

 

「えー! いいじゃない、ちょっとくらい!」

 

「その『ちょっと』で何人の兵士が病院送りになったと思ってるんだ」

 

「……え?」

 

赤鬼は、しまったと思った。

 

過去の人生で見てきた光景が、つい口から出てしまったのである。

 

孫策は不思議そうに首を傾げた。

 

「あなた、私のこと知ってるの?」

 

「……有名だからな」

 

「ふーん?」

 

孫策は赤鬼の仮面をじっと見つめた。

 

その眼差しには、先ほどまでの無邪気な好奇心とは少し違うものが宿っていた。

 

赤鬼の言葉には、妙な親しみがある。

 

まるで、長年の知り合いに向かって話しているような自然さだった。

 

初めて会ったはずなのに、不思議と不快ではない。

 

むしろ、どこか懐かしい。

 

「……ねえ、赤鬼」

 

「何だ?」

 

「あなた、私とどこかで会ったことない?」

 

その問いかけに、赤鬼の胸が小さく痛んだ。

 

何度も会った。

 

何度も笑い合った。

 

何度も、守れなかった。

 

しかし、そんなことを今の彼女に話すわけにはいかない。

 

「……さあな。王様みたいな美人に会ったことがあれば、忘れないと思うけど」

 

赤鬼は冗談めかして答えた。

 

孫策は一瞬きょとんとした後、楽しそうに笑い始める。

 

「あははっ! 何それ! 口が上手いじゃない!」

 

「本当のことだろ」

 

「あら、嬉しいこと言ってくれるわね!」

 

孫策は上機嫌になった。

 

赤鬼は内心で安堵する。

 

どうやら、うまく話を逸らせたらしい。

 

しかし、彼女の興味そのものが消えたわけではなかった。

 

「じゃあ、勝負しましょう!」

 

「話が戻ってるぞ!?」

 

「だって、強い人と戦うの好きなんだもの!」

 

「知ってるよ!」

 

「ほら、やっぱり私のこと知ってるじゃない!」

 

「有名だからだって!」

 

二人のやり取りを見ていた粋怜は、口元に手を添えて笑いを堪えていた。

 

普段は誰に対しても自由奔放な孫策だが、ここまで遠慮なく言い返してくる兵士は珍しい。

 

しかも、赤鬼は本気で困っているように見える。

 

その様子が、何とも微笑ましかった。

 

「孫策様。赤鬼も困っていますし、今日はこの辺りで――」

 

「えー、粋怜までそんなこと言うの?」

 

「赤鬼はまだ入隊して三日目ですから」

 

「でも、粋怜に勝ったんでしょう?」

 

「それはそうですが……」

 

粋怜は少し考え、それから赤鬼へ視線を向けた。

 

「赤鬼。無理にとは言わないけれど、もしよければ一度だけお相手してあげてくれないかしら?」

 

「……程普将軍」

 

「何?」

 

「あんた、俺の味方じゃなかったのか?」

 

「もちろん味方よ」

 

「味方の意味を辞書で調べ直した方がいいぞ」

 

粋怜は上品に笑った。

 

赤鬼は悟った。

 

逃げ道は、完全に塞がれたらしい。

 

◇◇◇

 

こうして、練兵場の中央に二人の姿が並ぶことになった。

 

一人は江東の小覇王、孫策。

 

もう一人は、赤い鬼の仮面をつけた謎の新兵、赤鬼。

 

周囲には兵士たちが集まり、興奮した様子で二人を見守っている。

 

赤鬼は支給された木剣を手に取り、その重さを確かめた。

 

昨日の反省を生かし、今日は絶対に力加減を間違えないつもりだった。

 

対する孫策も木剣を握り、楽しそうに肩を回している。

 

「ねえ、赤鬼。手加減しないでよ?」

 

「無茶言うな。王様に怪我させたら俺の首が飛ぶだろ」

 

「大丈夫よ! そんなことで怒らないから!」

 

「本人が怒らなくても、周りが怒るんだよ」

 

赤鬼は粋怜へ視線を向けた。

 

粋怜は穏やかに微笑んでいる。

 

しかし、その隣に立つ兵士たちは明らかに緊張していた。

 

王に怪我をさせれば、ただでは済まない。

 

赤鬼は深いため息をつく。

 

「……まあ、ほどほどにな」

 

「ふふっ。楽しみ!」

 

孫策が構えた。

 

その瞬間、彼女の雰囲気が変わった。

 

先ほどまでの無邪気な笑顔はそのままだが、身体から余計な力が抜け、足運びが静かになる。

 

歴戦の武人としての鋭さが、自然と滲み出していた。

 

赤鬼はその姿を見つめ、胸の奥に懐かしさを覚えた。

 

何度も見てきた構えだった。

 

何度も剣を交えた相手だった。

 

そして、何度も守れなかった女性だった。

 

「……いくわよ!」

 

孫策が地面を蹴った。

 

その踏み込みは鋭く、普通の兵士であれば反応することさえ難しい速度だった。

 

木剣が赤鬼の肩口へ迫る。

 

しかし、赤鬼は慌てなかった。

 

半歩だけ身体をずらし、剣の腹で攻撃を受け流す。

 

乾いた音が響いた。

 

「へえ!」

 

孫策の目が輝く。

 

彼女はすぐさま体勢を変え、連続して斬撃を繰り出した。

 

右、左、そして上段からの一撃。

 

赤鬼はそのすべてを、最小限の動きで捌いていく。

 

周囲の兵士たちは息を呑んだ。

 

孫策の剣は速い。

 

しかも、ただ速いだけではない。

 

相手の動きを見極め、隙を作り、そこへ鋭い一撃を叩き込む。

 

まさしく江東の小覇王にふさわしい剣術だった。

 

しかし、赤鬼はその攻撃をすべて見切っていた。

 

「……あなた、本当に強いわね!」

 

「そりゃどうも」

 

「でも、まだ本気じゃないでしょう?」

 

「……何のことだか」

 

赤鬼は軽く答えながら、孫策の攻撃を受け流した。

 

彼女の剣筋は、過去の人生で知っていたものとほとんど変わらない。

 

踏み込みの癖も、攻撃の組み立ても、勝負を急ぐときの呼吸も。

 

赤鬼にとって、それらはすべて懐かしい記憶だった。

 

しかし、今の孫策はそんなことを知らない。

 

だからこそ、彼女は次第に不思議な感覚を覚え始めていた。

 

自分の攻撃が、ことごとく読まれている。

 

それも、単に反応が速いというだけではない。

 

まるで、こちらが何をするのか最初から知っているような動きだった。

 

「……ねえ、赤鬼」

 

「何だ?」

 

「あなた、私の剣を知ってるの?」

 

赤鬼の動きが、ほんの一瞬だけ止まった。

 

その隙を、孫策は見逃さなかった。

 

「もらった!」

 

鋭い踏み込みとともに、木剣が赤鬼の胸元へ迫る。

 

赤鬼は反射的に身体をひねり、攻撃をかわした。

 

そして、そのまま孫策の手首を軽く押さえ、木剣の軌道を逸らす。

 

次の瞬間、二人の距離が一気に縮まった。

 

「……っ!」

 

孫策の目が見開かれる。

 

赤鬼の仮面が、すぐ目の前にあった。

 

彼の手は、孫策の手首を優しく支えている。

 

力任せに押さえつけるのではなく、怪我をさせないよう細心の注意を払った動きだった。

 

赤鬼はすぐに手を離し、一歩後ろへ下がった。

 

「……悪い。ちょっと近づきすぎたな」

 

孫策はしばらく黙っていた。

 

そして、突然笑い始めた。

 

「あはははっ! すごい! すごいわ、赤鬼!」

 

「……何がだよ」

 

「私の攻撃、全部読んでたでしょう!」

 

「偶然だ」

 

「嘘! 絶対に嘘!」

 

孫策は楽しそうに笑いながら、赤鬼へ詰め寄った。

 

「ねえ、もう一回!」

 

「嫌だ」

 

「もう一回だけ!」

 

「その言葉、信用できないんだよな……」

 

「お願い!」

 

赤鬼は仮面の下で深いため息をついた。

 

昔から、孫策という女性はこうだった。

 

面白い相手を見つければ、納得するまで付き合おうとする。

 

そして、そのたびに周囲の人間が振り回されるのである。

 

赤鬼は粋怜へ助けを求めるように視線を向けた。

 

すると、彼女は小さく頷いた。

 

「孫策様。そろそろお時間です」

 

「えー! まだ始まったばかりじゃない!」

 

「王のお仕事が残っていますから」

 

「冥琳に任せてあるわよ!」

 

「その冥琳から、先ほど伝令が届きました」

 

粋怜は懐から一枚の書簡を取り出した。

 

孫策の表情が固まる。

 

「……何て書いてあるの?」

 

「『今すぐ戻れ。逃げた場合は覚悟しておけ』とのことです」

 

「…………」

 

孫策はゆっくりと空を見上げた。

 

赤鬼もつられて空を見上げた。

 

青空には白い雲が浮かび、鳥たちが気持ちよさそうに飛んでいる。

 

実に平和な光景だった。

 

「……孫策様」

 

「何よ」

 

「ご愁傷様です」

 

「他人事みたいに言わないでよ!」

 

孫策の抗議に、赤鬼は思わず笑ってしまった。

 

その笑い声を聞いた孫策は、少しだけ頬を膨らませる。

 

「……赤鬼。あなた、絶対にまた相手してもらうからね!」

 

「気が向いたらな」

 

「約束よ!」

 

「いや、約束はしてないぞ」

 

「したことにする!」

 

「王権の乱用だ!」

 

赤鬼の叫びが練兵場に響き、周囲の兵士たちから笑い声が上がった。

 

孫策もまた、楽しそうに笑っていた。

 

その笑顔を見た赤鬼は、胸の奥に温かなものが広がるのを感じた。

 

百回の人生で、何度も失った笑顔。

 

今、目の前で確かに生きている女性。

 

それだけで、今日の騒動にも意味があったように思えた。

 

やがて孫策は木剣を返し、練兵場を後にすることになった。

 

しかし、去り際に彼女はふと足を止め、赤鬼を振り返った。

 

「……ねえ、赤鬼」

 

「何だ?」

 

「あなた、変な人ね」

 

「今さらかよ」

 

「でも……なんだか、懐かしい感じがするの」

 

赤鬼は息を止めた。

 

孫策は少しだけ不思議そうに微笑んだ。

 

「初めて会ったはずなのに、昔から知ってるみたい」

 

その言葉は、赤鬼の胸に深く突き刺さった。

 

何度も共に過ごした。

 

何度も笑い合った。

 

そして、何度も失った。

 

だが、その記憶を持っているのは自分だけだ。

 

赤鬼はしばらく黙っていたが、やがていつもの軽い調子で答えた。

 

「……王様が美人だから、どこかで夢にでも見たんじゃないか?」

 

孫策は一瞬きょとんとした後、楽しそうに笑った。

 

「あははっ! あなた、本当に口が上手いわね!」

 

「褒め言葉として受け取っとくよ」

 

「ふふっ。またね、赤鬼!」

 

孫策は大きく手を振り、練兵場を後にした。

 

その背中を見送りながら、赤鬼は静かに息を吐いた。

 

百一回目の再会。

 

それは、思っていたよりもずっと騒がしく、そして温かなものだった。

 

◇◇◇

 

孫策が去った後、練兵場にはしばらく興奮した空気が残っていた。

 

兵士たちは口々に赤鬼の剣術を称賛し、牛山に至っては、まるで自分の手柄であるかのように大騒ぎしていた。

 

「すげえぞ、赤鬼! お前、王様と互角に戦ってたじゃねえか!」

 

「互角じゃない。向こうが遊んでただけだ」

 

「それでもすげえって!」

 

「……頼むから静かにしてくれ」

 

赤鬼は疲れたように肩を落とした。

 

すると、背後から柔らかな声が聞こえてきた。

 

「赤鬼。少しいいかしら?」

 

振り返ると、粋怜が立っていた。

 

彼女は先ほどまでの穏やかな笑みを浮かべていたが、その眼差しにはどこか真剣なものが宿っている。

 

「……何だ、程普将軍」

 

「少し歩きましょうか」

 

赤鬼は頷き、彼女の後について練兵場を離れた。

 

二人が向かったのは、城壁沿いにある静かな庭だった。

 

木々の間を抜ける風が心地よく、遠くからは兵士たちの訓練の声が聞こえてくる。

 

粋怜はしばらく黙って歩いていたが、やがて足を止めた。

 

「……赤鬼」

 

「何だ?」

 

「あなた、本当は孫策様のことを知っているのでしょう?」

 

赤鬼の足が止まった。

 

粋怜は責めるような口調ではなかった。

 

ただ、静かに問いかけているだけだった。

 

「あなたの剣には、あの方の動きを知り尽くしているようなところがあったわ。それに……」

 

彼女は少しだけ目を細めた。

 

「孫策様を見るあなたの目が、とても懐かしそうだったから」

 

赤鬼は何も答えなかった。

 

仮面の下で、静かに息を吐く。

 

この女性は、本当に人をよく見ている。

 

戦場では敵の動きを見抜き、日常では仲間の心の変化を察する。

 

百回の人生を経験しても、彼女のこうしたところには敵わない。

 

「……昔、似たような人に会ったことがあるんだ」

 

赤鬼はゆっくりと口を開いた。

 

「豪快で、自由奔放で、人の話を聞かなくて……でも、誰よりも仲間思いの女だった」

 

粋怜は黙って聞いていた。

 

「そいつも、よく笑ってたよ。馬鹿みたいに明るくて、周りを巻き込んで……気づいたら、みんな笑ってるんだ」

 

赤鬼の声には、いつもの軽さがなかった。

 

遠い記憶を辿るような、静かな響きがあった。

 

「……大切な人だったのね」

 

粋怜が優しく尋ねる。

 

赤鬼は少しだけ顔を上げた。

 

「……ああ。大切だった」

 

その短い答えに込められた感情を、粋怜は察したのだろう。

 

それ以上、無理に聞こうとはしなかった。

 

ただ、そっと微笑んだ。

 

「そう。なら、きっと素敵な人だったのでしょうね」

 

「……そうだな」

 

赤鬼は小さく頷いた。

 

粋怜はしばらく彼の隣に立ち、静かな風を感じていた。

 

そして、少しだけ明るい声で言った。

 

「でも、赤鬼。今のあなたには、ここにも仲間がいるのよ」

 

「……仲間?」

 

「ええ。牛山も、他の兵士たちも、そして私も」

 

粋怜は優しく微笑んだ。

 

「あなたが何を抱えているのか、今はわからないけれど……一人で全部背負わなくてもいいのよ」

 

赤鬼は思わず彼女を見つめた。

 

百回の人生で、何度も聞いたような言葉だった。

 

それでも、今の彼には新鮮に響いた。

 

「……程普将軍」

 

「何かしら?」

 

「あんた、本当に優しいな」

 

「ふふっ。褒めてもお給料は上がらないわよ?」

 

「……そこは上げてくれてもいいんじゃないか?」

 

「残念ね。まだ入隊三日目でしょう?」

 

粋怜が楽しそうに笑う。

 

赤鬼もつられて笑った。

 

重くなりかけていた空気が、少しずつ柔らかくなっていく。

 

こうして誰かと冗談を交わせることが、今の赤鬼には何よりもありがたかった。

 

しかし、その日の騒動はまだ終わっていなかった。

 

夕方、赤鬼が兵舎へ戻ると、牛山が満面の笑みで駆け寄ってきた。

 

「おい、赤鬼! 大変だぞ!」

 

「……今度は何だ」

 

「お前、王様に気に入られたらしいぞ!」

 

「……は?」

 

「さっき伝令が来てな! 明日、王城へ来るようにって!」

 

赤鬼は固まった。

 

牛山は嬉しそうに続ける。

 

「すげえじゃねえか! 入隊三日目で王様から直々に呼び出しだぞ!」

 

「…………」

 

「どうした、赤鬼?」

 

赤鬼はゆっくりと天井を見上げた。

 

そして、百回の人生で培ったすべての感情を込めて、深いため息をついた。

 

「……俺の平穏な兵士生活、どこ行った?」

 

牛山は豪快に笑った。

 

その笑い声が兵舎に響き渡る。

 

赤鬼は寝台へ腰を下ろし、両手で頭を抱えた。

 

孫呉に入隊して、まだ三日目。

 

それなのに、王に目をつけられ、将軍に実力を見抜かれ、兵士たちからは英雄扱いされ始めている。

 

百回の人生で何度も経験した、嫌な流れだった。

 

だが、赤鬼はまだ知らない。

 

この呼び出しが、彼の運命をさらに大きく動かすことになるということを。

 

そして、王城ではもう一つの異変が起ころうとしていた。

 

天から現れたと噂される、一人の青年。

 

その名は――北郷一刀。

 

百一回目の世界で、二人の北郷一刀がついに交わろうとしていた。

 

 

 

 




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