『真・恋姫†無双 ~赤鬼伝~ 百死転生の果てに、孫呉の小覇王を救う』 作:パスカルDX
第6話「忠義の将軍・甘寧、赤鬼に挑む! 鬼の剣術と孫呉の武人たち!」
孫呉の練兵場に、午後の陽光が降り注いでいた。
朝方には肌寒さを感じさせた風も、太陽が高く昇るにつれて暖かさを帯び、広々とした練兵場には兵士たちの威勢のよい掛け声が響き渡っている。踏み固められた地面には無数の足跡が刻まれ、木剣を打ち合わせる乾いた音が、あちらこちらから聞こえていた。
普段ならば、午後の訓練は隊列の維持や武器の扱いを確認する時間である。
ところが、今日に限っては少々事情が違っていた。
練兵場の中央には、普段よりも広い空間が設けられ、その周囲を兵士たちが取り囲んでいる。誰もが興味津々といった様子で中央を見つめ、ときおり隣の者と小声で言葉を交わしていた。
その理由は、至って単純だった。
孫呉の将軍・甘寧と、入隊してまだ五日目の新兵・赤鬼が、模擬戦を行うことになったのである。
「……なあ、牛山」
「何だ、赤鬼!」
「俺、何か悪いことしたか?」
練兵場の片隅で木剣を手にしていた赤鬼は、隣に立つ大柄な兵士へ、心底疲れた声で問いかけた。
赤い鬼の仮面の奥から覗く茶色い髪が、風に揺れている。黒を基調とした衣服の上には孫呉軍の軽装鎧を身につけ、腰には愛刀である《雪白》と《黒蓮》が収まっていた。
もちろん、今日の模擬戦で本物の剣を抜くつもりはない。
そんなことをすれば、模擬戦では済まなくなる可能性があるからだ。
「何言ってんだ! 甘寧将軍と勝負できるなんて、すげえことじゃねえか!」
「俺は普通に訓練して、普通に飯を食って、普通に給料をもらいたいだけなんだがな」
「がははっ! お前の普通って、何か変だよな!」
「……最近、そればっかり言われる」
赤鬼は肩を落とした。
孫呉軍に入隊してからというもの、彼の生活は本人の希望とは正反対の方向へ進んでいた。
初日は採用試験で木柱をへし折り、二日目には程普との模擬戦に勝利し、三日目には孫策と剣を交えた。そして昨日は王城へ呼び出され、天の御使いとして保護された北郷一刀の剣術指南役まで任されてしまったのである。
出世を望まない一兵卒としては、なかなか悲惨な状況だった。
しかも今日は、甘寧との模擬戦である。
孫策を守ることに強い忠誠心を抱き、少しでも不審な人物が近づけば容赦なく警戒する、あの甘寧だ。
赤鬼は百回の人生で、彼女の性格を嫌というほど理解していた。
真面目で、融通が利かず、忠義に厚い。
そして何より、負けず嫌いである。
「……面倒くさいことになったなあ」
赤鬼が小さく呟いたところで、背後から聞き慣れた声がした。
「赤鬼さん!」
振り返ると、若い北郷一刀が駆け寄ってくるところだった。
朝からの訓練で疲れたのか、額にはまだ汗が残っている。しかし、その表情には明るさがあり、赤鬼の姿を見つけると嬉しそうに手を振った。
「いよいよ甘寧さんとの勝負ですね!」
「……お前まで楽しそうだな」
「だって、赤鬼さんの剣術を近くで見られるんですよ! 勉強になると思って」
その言葉に、赤鬼は少しだけ表情を和らげた。
若い一刀は、まだ戦場を知らない。
剣を握り始めたばかりで、足運びすら満足にできない状態だ。
それでも、少しでも強くなろうと努力する姿勢は、かつての自分を思い出させるものだった。
「まあ、見て覚えられることもあるだろうが、無理に真似するなよ」
「はい!」
「特に、派手な動きは真似しなくていい。まずは足元をしっかりさせることだ」
「わかりました!」
素直に頷く一刀を見て、赤鬼は小さく笑った。
自分で言うのも何だが、昔の自分はこんなに素直だっただろうか。
少なくとも、ここまで真面目に人の話を聞いていた記憶はない。
百回の人生を経て、過去の自分への評価が少しずつ変わり始めているのかもしれなかった。
そんな二人のもとへ、穏やかな足音が近づいてきた。
「赤鬼。準備はできたかしら?」
程普だった。
真名を粋怜という彼女は、今日も落ち着いた雰囲気をまとい、兵士たちの様子を優しく見守っていた。
赤鬼は木剣を肩へ担ぎ、気の抜けた声で答える。
「準備はできてるが、できれば帰りたい」
「ふふっ。正直なのね」
「正直者は得をするって聞いたんだが、どうも俺には当てはまらないらしい」
「そうかしら? 少なくとも、孫策様には気に入られているみたいよ」
「……それが一番困ってるんだよ」
赤鬼が深いため息をつくと、粋怜は楽しそうに笑った。
「でも、今日の模擬戦は甘寧殿にとっても大切なものなの。あなたが孫策様に近づくことを、あの方は少し心配しているみたいだから」
「まあ、そうだろうな」
赤鬼は小さく頷いた。
甘寧が自分を警戒するのは当然だった。
素性の知れない男が突然孫呉軍へ入隊し、わずか数日で程普に勝利し、孫策から直接目をかけられるようになったのである。
忠義に厚い甘寧からすれば、怪しむなという方が無理な話だった。
「……わかってるよ。できるだけ納得してもらえるようにするさ」
赤鬼がそう答えると、粋怜は少し驚いたように目を瞬かせた。
「あなた、怒っていないの?」
「何で怒るんだ?」
「疑われることを、不快に思う人もいるでしょう?」
「そりゃいるだろうな。でも、甘寧将軍は自分の仕事をしてるだけだ。王様を守る立場なら、俺みたいな怪しい奴を警戒するのは当然だろ」
赤鬼は自分の仮面を軽く指で叩いた。
「何しろ、こんな顔してるんだからな」
粋怜は思わず笑った。
「ふふっ。自覚はあるのね」
「あるとも。だからこそ、なるべく目立たないようにしてるんだ」
「……その仮面で?」
「そこは触れないでくれ」
赤鬼のぼやきに、粋怜はまた笑った。
彼女は赤鬼という男を、ますます不思議に思うようになっていた。
これほどの武芸を持ちながら、名誉にも地位にも執着しない。
疑われても怒らず、むしろ相手の立場を理解しようとする。
そして、どこか人生を達観したような落ち着きを持っている。
見た目は若い男なのに、その内側には長い年月を生き抜いてきた者のような深みがあった。
「……赤鬼」
「ん?」
「怪我だけはしないでね」
粋怜は静かに言った。
赤鬼は一瞬だけ黙り、それから軽く肩をすくめた。
「心配してくれるのか?」
「もちろんよ。あなたは私の大切な部下なのだから」
その言葉に、赤鬼は胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
百回の人生で、何度も聞いたような言葉だった。
それでも、今の彼には新鮮に響いた。
「……ありがとな、程普将軍」
「ふふっ。どういたしまして」
粋怜は優しく微笑んだ。
その笑顔を見た赤鬼は、仮面の下で小さく息を吐いた。
こういうところが、この女性のずるいところなのだ。
何気ない言葉で、人の心を軽くしてしまう。
百回の人生を経験しても、彼女の優しさには敵わない。
そんなことを考えているうちに、練兵場の中央から鋭い声が響いた。
「赤鬼! いつまで待たせるつもりだ!」
甘寧だった。
彼女はすでに模擬戦用の木剣を手にし、練兵場の中央で待ち構えていた。
引き締まった身体に、武人らしい鋭い眼差し。
その立ち姿には一切の隙がなく、孫呉の将軍としての実力が自然と滲み出ている。
赤鬼はその姿を見つめ、思わず苦笑した。
「……はいはい。今行くよ」
「返事は一度でよい!」
「はい」
「その気の抜けた態度を改めろ!」
「……難しい注文だな」
赤鬼がぼやきながら歩き出すと、周囲の兵士たちから小さな笑い声が漏れた。
甘寧の眉がぴくりと動く。
どうやら、模擬戦が始まる前から彼女の機嫌を損ねてしまったらしい。
もっとも、赤鬼としては今さら取り繕うつもりもなかった。
百回の人生で身についた性格というものは、そう簡単には変わらないのである。
練兵場の中央へ進むと、そこにはすでに孫策の姿もあった。
桃色の長い髪を風になびかせ、楽しそうな笑顔を浮かべている。
江東の小覇王にして、孫呉の王。
その姿を見た赤鬼は、胸の奥に懐かしさを覚えながらも、表面上はいつもの軽い調子を崩さなかった。
「……王様、今日も暇なのか?」
「失礼ね! ちゃんと仕事してきたわよ!」
「ほう。何枚くらい書簡を片づけたんだ?」
「…………」
孫策の笑顔が固まった。
赤鬼はゆっくりと首を傾げる。
「……王様?」
「……三枚」
「……三枚?」
「三枚もやったのよ!」
孫策は胸を張った。
赤鬼はしばらく黙り込んだ後、静かに頷いた。
「……偉い偉い」
「だから子供扱いしないでよ!」
孫策の抗議に、周囲の兵士たちから笑い声が上がった。
甘寧だけが、真剣な表情で赤鬼を睨んでいる。
「貴様……孫策様に対して無礼だぞ!」
「いや、褒めたんだが」
「その態度が無礼だと言っている!」
「……難しいな、礼儀ってやつは」
赤鬼が肩をすくめると、孫策は楽しそうに笑った。
「あははっ! いいじゃない、思春! 私は気にしてないわよ!」
「しかし、孫策様!」
「それより、早く勝負を始めましょう!」
孫策は目を輝かせた。
赤鬼は心の中でため息をつく。
やはり、この女性は変わらない。
面白そうなことがあれば、何よりも優先してしまう。
その自由奔放さに、周囲の人間が振り回されるのも昔から同じだった。
しかし、そんな彼女の笑顔を見ることができるのなら、多少の面倒事くらいは我慢してもいい。
赤鬼はそう思いながら、木剣を構えた。
◇◇◇
模擬戦の開始を告げる声が響いた。
甘寧は静かに木剣を構え、赤鬼を鋭く見据えている。
その姿勢には、わずかな油断もなかった。
彼女は赤鬼を新兵だからといって侮ってはいない。
程普に勝利したという報告を聞いている以上、相応の実力者であることは理解していた。
だからこそ、最初から慎重に間合いを測っている。
「……赤鬼」
「何だ?」
「貴様の実力、確かめさせてもらうぞ」
「お手柔らかにな」
「その余裕、いつまで続くか見ものだな」
甘寧の声が低くなる。
赤鬼は木剣を軽く構え、静かに息を吐いた。
彼女の戦い方は、よく知っている。
速さを重視した鋭い踏み込みと、相手の隙を逃さない連続攻撃。
そして、何よりも強い忠誠心から生まれる、迷いのない剣。
過去の人生で幾度となく剣を交えた相手だからこそ、赤鬼はその恐ろしさを理解していた。
「……いくぞ!」
甘寧が地面を蹴った。
その動きは鋭く、周囲の兵士たちが息を呑むほどの速さだった。
木剣が赤鬼の肩口へ迫る。
しかし、赤鬼は慌てなかった。
半歩だけ身体をずらし、剣の腹で攻撃を受け流す。
乾いた音が響いた。
「……っ!」
甘寧の目がわずかに見開かれる。
彼女はすぐさま体勢を変え、連続して攻撃を繰り出した。
右からの斬撃。
左からの払い。
そして、踏み込みと同時に放たれる鋭い突き。
赤鬼はそのすべてを、最小限の動きで捌いていった。
まるで、次にどこから攻撃が来るのかを知っているかのようだった。
「……貴様!」
甘寧の声に、わずかな苛立ちが混じる。
「なぜ反撃しない!」
「いや、反撃したら危ないだろ」
「模擬戦だぞ!」
「だからこそ、怪我させたくないんだよ」
赤鬼は軽く答えた。
その言葉に、甘寧の表情がさらに険しくなる。
「……私を侮っているのか!」
「違う違う。むしろ、強いって知ってるから慎重にやってるんだ」
「……何?」
甘寧の動きが、ほんの一瞬だけ止まった。
赤鬼はその隙を見逃さなかった。
しかし、彼は攻撃するのではなく、静かに距離を取った。
「……あんたの剣は速い。しかも、無駄が少ない。正面から力任せにぶつかるより、動きを見て対応した方がいいと思っただけだ」
甘寧は黙り込んだ。
その言葉には、妙な説得力があった。
赤鬼は彼女の剣を正確に見抜いている。
しかも、ただ技術を評価しているだけではない。
まるで、以前から彼女の戦い方を知っていたかのような口ぶりだった。
「……貴様、私の剣をどこで知った?」
「……噂で聞いたんだよ」
「嘘をつくな」
「……鋭いな」
赤鬼は仮面の下で苦笑した。
甘寧は、やはり甘寧だった。
忠義に厚く、真面目で、そして疑わしいものを決して見逃さない。
そんな彼女を見ていると、赤鬼は懐かしさを覚えると同時に、少しだけ胸が痛んだ。
過去の人生では、彼女とも幾度となく戦場を共にした。
笑い合ったこともあれば、衝突したこともある。
そして、失ったこともあった。
今、目の前にいる甘寧は、そのどれも覚えていない。
だからこそ、赤鬼は今度こそ彼女を守りたいと思っていた。
しかし、そんな感傷に浸る暇はなかった。
「……ならば、これならどうだ!」
甘寧が再び踏み込んだ。
今度の攻撃は、先ほどまでとは明らかに違っていた。
速度を上げ、連続攻撃の間隔を狭め、赤鬼が受け流す隙を与えないようにしている。
周囲の兵士たちは、息を呑んで見守っていた。
甘寧の剣は、孫呉でも屈指の鋭さを誇る。
普通の兵士ならば、最初の一撃を受けることさえ難しいだろう。
しかし、赤鬼はその攻撃をすべて見切っていた。
木剣が交差するたびに乾いた音が響き、二人の足元から砂埃が舞い上がる。
赤鬼は無駄な動きをせず、必要最小限の力だけで攻撃を捌いていった。
そして、甘寧が大きく踏み込んだ瞬間だった。
赤鬼の身体が、自然に動いた。
相手の木剣を軽く受け流し、その勢いを利用して懐へ入り込む。
同時に、木剣の切っ先を甘寧の喉元へ向けた。
その動きは、あまりにも速かった。
「……っ!」
甘寧が息を呑む。
木剣の切っ先は、彼女の喉元寸前で止まっていた。
練兵場が静まり返った。
誰もが、目の前で起こったことを理解できずにいた。
甘寧が負けた。
それも、入隊してまだ五日目の新兵に。
赤鬼はゆっくりと木剣を下ろし、気まずそうに頭をかいた。
「……悪い。つい、身体が動いた」
その言葉を聞いた甘寧は、しばらく黙っていた。
やがて、彼女は静かに息を吐いた。
「……見事だ」
赤鬼は少し驚いたように顔を上げた。
甘寧は真剣な表情で彼を見つめている。
「貴様の剣は、確かに私より上だ。認めよう」
その言葉に、周囲の兵士たちがざわめいた。
甘寧が自ら敗北を認めたのである。
赤鬼は少しだけ肩の力を抜いた。
「……ありがとな」
「だが、勘違いするな」
甘寧の声が鋭くなる。
「貴様への警戒を解いたわけではない。孫策様に害をなすようなことがあれば、私は容赦しない」
赤鬼は静かに頷いた。
「……ああ。それでいい」
「……何?」
「王様を守るのがあんたの仕事だろ。だったら、俺みたいな怪しい奴を簡単に信用しない方がいい」
甘寧は目を見開いた。
赤鬼は続けた。
「俺が本当に信用できる奴かどうかは、これから見て判断してくれればいい。口で何を言っても、証明にはならないからな」
その言葉に、甘寧はしばらく黙り込んだ。
やがて、彼女は小さく頷いた。
「……覚えておこう」
赤鬼は仮面の下で微笑んだ。
少なくとも、これで少しは理解してもらえただろう。
そう思ったところで、練兵場の端から大きな声が響いた。
「すっごーい!!」
孫策だった。
彼女は満面の笑みを浮かべながら、赤鬼へ駆け寄ってきた。
「赤鬼! やっぱりあなた、すごく強いじゃない!」
「……王様、声がでかい」
「だって、思春に勝っちゃったんだもの!」
「……まあ、たまたまだよ」
「またそんなこと言って!」
孫策は楽しそうに笑った。
その隣では、粋怜が穏やかな笑みを浮かべている。
「赤鬼。怪我はなかった?」
「ああ、大丈夫だ」
「そう。ならよかったわ」
粋怜は安心したように頷いた。
その優しい眼差しに、赤鬼は少しだけ胸が温かくなるのを感じた。
百回の人生で、何度も見てきた光景だった。
孫策が笑い、粋怜が見守り、甘寧が真剣な表情を浮かべる。
そんな日常が、今も確かに存在している。
赤鬼はその事実を、静かに噛みしめていた。
しかし、そんな感傷に浸る暇はなかった。
「ねえ、赤鬼!」
孫策が再び身を乗り出してきた。
「……今度は何だ?」
「あなた、私の直属にならない?」
赤鬼は固まった。
周囲の兵士たちも、同じように固まった。
孫策は満面の笑みを浮かべている。
「だって、あなたすごく強いんだもの! 私の近くにいてくれたら、きっと楽しいと思うの!」
「……いや、待て」
赤鬼はゆっくりと口を開いた。
「俺は程普将軍の部隊に所属してるんだが」
「じゃあ、粋怜にお願いすればいいじゃない!」
「……そういう問題じゃないだろ」
赤鬼は粋怜へ視線を向けた。
助けを求めるような眼差しだった。
しかし、粋怜は少し考えるように首を傾げ、それから穏やかに微笑んだ。
「そうね。赤鬼なら、孫策様のお傍でも十分に役立てると思うわ」
「……程普将軍」
「何かしら?」
「あんた、本当に俺の上官だよな?」
「もちろんよ」
「だったら、もう少し部下を守ってくれてもいいんじゃないか?」
粋怜は楽しそうに笑った。
「ふふっ。あなたの将来を考えているのよ」
「俺の将来は、平穏な一兵卒なんだが……」
赤鬼のぼやきに、孫策は声を上げて笑った。
「あははっ! 面白い! やっぱりあなた、最高ね!」
赤鬼は深いため息をついた。
どうやら、百一回目の人生でも、孫策に振り回される運命からは逃れられないらしい。
しかし、その笑顔を見ていると、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
何度も失った女性が、今こうして生きて笑っている。
それだけで、多少の面倒事など大した問題ではないように思えた。
赤鬼はしばらく考え、それから静かに口を開いた。
「……王様」
「何?」
「直属になるのは、もう少し待ってくれないか?」
孫策は少し驚いたように目を瞬かせた。
「どうして?」
「俺はまだ入隊したばかりだし、程普将軍の部隊で覚えることも多い。それに、北郷の指南役も任されてるからな」
赤鬼は真面目な口調で続けた。
「中途半端に仕事を増やして、どっちも疎かになるのは嫌なんだよ」
その言葉に、孫策はしばらく黙っていた。
やがて、彼女は楽しそうに笑った。
「……ふふっ。あなた、本当に変わってるわね」
「よく言われる」
「普通なら、私の直属になれるって聞いたら喜ぶのに」
「俺は普通の兵士だからな」
「普通の兵士は、思春に勝たないわよ!」
「……それもよく言われる」
孫策は声を上げて笑った。
そして、少しだけ真面目な表情になる。
「……わかったわ。今は無理に誘わない」
赤鬼は少し驚いた。
「……いいのか?」
「ええ。でも、諦めたわけじゃないからね!」
孫策は悪戯っぽく微笑んだ。
「そのうち、絶対に私の近くへ来てもらうんだから!」
赤鬼は仮面の下で苦笑した。
やはり、この女性は変わらない。
一度興味を持った相手には、とことん関わろうとする。
それが孫策という女性だった。
「……まあ、気長に待っててくれ」
「ふふっ。楽しみにしてるわ!」
孫策は満面の笑みを浮かべた。
その笑顔を見た赤鬼は、胸の奥に温かなものが広がるのを感じた。
百回の人生で、何度も失った笑顔。
今、目の前で確かに生きている女性。
だからこそ、今度こそ守りたい。
赤鬼は静かにそう思った。
◇◇◇
夕方。
模擬戦が終わり、兵士たちがそれぞれの仕事へ戻った後、赤鬼は練兵場の片隅で木剣を片づけていた。
夕日に照らされた練兵場には、昼間の喧騒が嘘のような静けさが広がっている。
そんな彼のもとへ、若い一刀が駆け寄ってきた。
「赤鬼さん!」
「おう、北郷。どうした?」
「今日の試合、すごかったです!」
「……またその話か」
「だって、甘寧さんに勝っちゃうなんて!」
若い一刀は目を輝かせている。
赤鬼は苦笑しながら、木剣を武器置き場へ戻した。
「まあ、長いこと剣を握ってるからな」
「俺も、いつか赤鬼さんみたいに強くなれますか?」
その問いかけに、赤鬼は少しだけ黙った。
若い一刀の眼差しは真剣だった。
自分も強くなりたい。
誰かを守れる人間になりたい。
そんな純粋な願いが、その瞳には宿っていた。
赤鬼はゆっくりと頷いた。
「……なれるさ」
「本当ですか?」
「ああ。ただし、俺と同じ強さを目指す必要はないぞ」
赤鬼は静かに続けた。
「人にはそれぞれ、得意なことがある。剣が強い奴もいれば、頭が切れる奴もいる。人をまとめるのが上手い奴だっている。お前はお前のやり方で、誰かを守れるようになればいい」
若い一刀は真剣に聞いていた。
「……はい!」
その返事を聞いた赤鬼は、仮面の下で微笑んだ。
かつての自分も、こうして誰かに励まされながら成長してきたのだろう。
今度は、自分がその役目を果たす番だった。
そのとき、練兵場の入口から牛山の大声が響いた。
「おーい、赤鬼! 飯だぞー!」
赤鬼は顔を上げた。
「……おっ、飯か」
若い一刀が思わず笑った。
「赤鬼さん、食事の話になると本当に嬉しそうですね」
「当たり前だろ。人生の楽しみだからな」
「さっきまで、すごく格好いいこと言ってたのに……」
「格好いいこと言ってても腹は減るんだよ」
赤鬼は肩をすくめた。
そして、一刀の肩を軽く叩く。
「ほら、行くぞ。今日は頑張ったんだから、しっかり食えよ」
「はい!」
二人は並んで歩き出した。
夕焼けに染まる練兵場を背に、兵舎へ向かっていく。
百一回目の人生。
赤鬼はまだ、その先に何が待ち受けているのか知らない。
しかし、今は確かに仲間がいる。
孫策が笑い、粋怜が優しく見守り、甘寧が武人として認めてくれた。
そして、若い北郷一刀が、自分の背中を追いかけようとしている。
そんな日常を守るためなら、どれほど面倒なことに巻き込まれても構わない。
赤鬼は静かにそう思った。
もっとも、その直後、牛山が満面の笑みで告げた一言によって、彼の気分は一瞬で変わることになる。
「そういや赤鬼! お前、明日から兵士たちの剣術訓練も手伝うことになったらしいぞ!」
「…………は?」
「程普将軍が言ってた! お前の剣術、みんなにも教えてやってくれって!」
赤鬼は固まった。
若い一刀も目を丸くしている。
牛山だけが、嬉しそうに笑っていた。
「よかったな! これでますます出世に近づいたじゃねえか!」
「……牛山」
「何だ?」
「俺、今から逃げてもいいか?」
「駄目だろ!」
赤鬼は天を仰いだ。
夕焼けの空には、白い雲がゆっくりと流れている。
実に平和な光景だった。
「……俺の平穏な兵士生活、どこ行ったんだよ……」
その悲痛な呟きは、牛山の豪快な笑い声にかき消されてしまった。
こうして、赤鬼の名は孫呉軍の中でさらに広まっていくことになる。
本人の望みとは裏腹に。
そして、そんな彼の存在が、やがて孫呉の運命そのものを大きく変えていくことになるのだった。
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