神葬戦争   作:あいうえお12345

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初投稿です。



神には祈らねぇ

 西暦2189年。

 惑星──地球。

 

 人類は、神を知った。

 

 それは比喩でも、伝説でもない。

 祈りは力となり、信仰は奇跡を生み、神は実際にこの世界に存在していた。

 

 かつて人類が暮らしていた地球と比べ、現在の地球は約900倍もの規模を誇る。

 本来ならば、その途方もない質量と重力によって人間など生存できるはずがない。

 しかし、この惑星には『モナ』と呼ばれる未知のエネルギーが存在した。

 モナは星そのものに宿り、重力や質量の影響を緩和し、人類の生存を可能にしている。

 そして人間もまた、そのモナを体内に宿していた。

 

 眠れる力を呼び覚ました者を、人々は『超越者』と呼ぶ。

 

 世界人口、約二兆人。天を貫く巨大建築物。

 大陸を横断する超高速鉄道。

 人間と同じように思考する機械兵。

 そして、世界中の人間を一瞬でつなぐ情報網。

 科学が極限まで発達したこの時代において、世界を支配していたのは科学ではなかった。

 ──宗教である。

 世界三大宗教。

 キリスト教、仏教、そしてアリス教。

 信仰率はそれぞれ四割、三割、一割。

 残り二割をその他の宗教や無宗教者が占めていた。

 しかし、その数字は勢力の大きさを意味しない。

 世界の約半分は、たった一つの宗教によって占領されていた。

 

 アリス教。

 その頂点に立つ存在。

 三大超越者の一角。

 女神、アリス・N・ホワイト。

 第一次世界大戦の勝者にして、世界最強と謳われる存在である。

 彼女の名を知らぬ者は、ほとんどいない。

 人々は神に祈り、神に救いを求め、神のために争った。

 そんな世界に、一人の少年がいた。

 神を嫌い、祈りを嫌い、何より退屈を嫌う少年。

 その名は──

 

 黒瀬くろせ 迅じん。

 

 これは、神を信じなかった一人の少年が、神を葬るまでの物語である。

 

 ジャポネ東部。

 アリス領との国境付近。

 空には巨大な監視ドローンが浮かび、数百メートルもの高さを誇る防壁が延々と続いていた。

 その壁の下を、一人の少年が歩いていた。

 黒髪、黒目。

 整った顔立ちではあるが、目つきは少々悪い。

 身にまとっているのは、薄汚れた黒い上着。

 手には何も持っていない。財布もない。食料もない。

 そして何より──

「……腹減った」

 金がなかった。

 黒瀬迅、十八歳。現在、無職。住所不定。所持金、ゼロ。

「いや、マジで腹減ったな……」

 ぐううううう。腹が鳴った。

「うるせぇな。分かってんだよ」

 自分の腹に文句を言う。当然、返事はない。

 迅は頭をかきながら、背後の巨大な防壁を振り返った。

 数時間前まで、彼はあちら側にいた。

 

 アリス領。

 

 世界最大の占領地。

 そして、彼の故郷でもある。

「……ったく」

 思い出すのは、父親の怒鳴り声だった。

『お前はアリス様を侮辱した!』

『信仰を捨てるような息子など、我が家には必要ない!』

『出ていけ! 二度と戻るな!』

 

 迅はそのとき、何と言っただろうか。

 ああ、そうだ。

 

『あっそ。じゃあな』

 

 それだけだった。

 別に強がったわけではない。

 泣きたくなかったわけでもない。

 ただ、信じてもいない神に頭を下げてまで、あの家に残りたいとは思わなかった。

「神様ねぇ……」

 迅は空を見上げた。

 巨大な防壁の向こうには、女神アリスを模した白亜の巨像がそびえ立っている。

 高さ、およそ三千メートル。

 雲を突き抜けるその姿は、まるで世界そのものを見下ろしているかのようだった。

 巨像の周囲には無数の空中広告が浮かんでいる。

『今日も女神アリス様に感謝を!』

『祈りこそが幸福への第一歩!』

『異端思想を見つけたら、直ちに通報を!』

「……うっぜ」

 迅は鼻で笑った。

「神に祈って飯が出てくんなら、苦労しねぇっての」

 再び腹が鳴る。

「……いや、出てくんなら祈るか?」

 少し考えた。

「…………」

 三秒後。

「やっぱねぇわ」

 そう言って歩き出した。

 

 それから二時間。

 迅はジャポネ無宗教自治区域の外縁部に到着していた。

 そこには巨大な軍事施設が存在していた。

 いや。

 巨大な軍事施設だったもの、と言った方が正しい。

 防壁はところどころひび割れ、監視塔の一つは傾いている。

 門の上には古びた看板が掲げられていた。

 

『ジャポネ無宗教軍・第七駐屯基地』

 

「……軍隊?」

 迅は足を止めた。

 基地の中から、怒鳴り声が聞こえてくる。

「おい! また食料の納品が遅れてるぞ!」

「予算がねぇんだよ!」

「先月も同じこと言ってただろ!」

「先月よりねぇんだよ!!」

「給料は!?」

「知らん!!」

「ふざけんな!!」

 迅はしばらく黙っていた。

「……なんだここ」

 軍隊というより、倒産寸前の会社である。

 ふと、門の脇に掲示されている電子広告が目に入った。

『無宗教軍、新規入隊者募集中!』

『市民権取得支援!』

『住居提供!』

『一日三食保証!』

 迅の視線が止まった。

 

 一日三食。

 

 その文字だけが、妙に輝いて見えた。

「……飯」

 迅は広告を見つめた。

「三食……」

 さらに下を見る。

『※戦時下につき、配給状況によって変更される場合があります』

「…………」

 迅は目を細めた。

「怪しいな」

 その直後。

 基地の奥から、食欲を刺激する匂いが漂ってきた。

 肉。焼きたてのパン。温かいスープ。

「…………」

 迅の目が光った。

「……よし」

 何が『よし』なのか。

 その答えは、本人にしか分からなかった。

 基地裏手。食料保管棟。

 警備用ドローンが二機、ゆっくりと巡回していた。

「第三区画、異常なし」

「第三区画、異常なし」

 その真下を、一つの黒い影が通り抜ける。

 迅だった。

「……チョロ」

 監視カメラの死角。巡回周期。警備兵の視線。

 それらをほとんど直感だけで見切り、迅は保管棟の裏口へとたどり着いていた。

 鍵がかかっている。

「んー……」

 扉を軽く押す。動かない。もう少し力を込める。

 

 ミシッ。

 

「……ん?」

 さらに押す。

 

 バキンッ!! 

 扉の留め具が外れた。

「お」

 迅は感心したように呟いた。

「開いた」

 開いたのではない。壊したのである。

 しかし本人は気にしない。

 そのまま食料庫へと侵入した。

 中には大量の保存食が積まれていた。

 

 缶詰。パン。肉。栄養補助食品。

 

「……天国かよ」

 迅は近くにあったパンを手に取った。

 袋を破る。

 一口。

「…………」

 二口。

「…………」

 三口。

「……うめぇ」

 思わず笑みがこぼれた。

 実際には、そこまで美味しいパンではない。

 むしろ軍用の安価な保存食である。

 しかし、丸一日まともに食べていなかった迅には十分だった。

「いやぁ、軍隊っていいとこだな」

 そう言いながら、次のパンへと手を伸ばす。

 さらに缶詰を開ける。

「お、肉じゃん」

 食べる。

「……かってぇ」

 それでも食べる。そして。

「…………おい」

 背後から声がした。

 迅は振り返らなかった。

 もぐもぐ。

「おい、そこのお前」

 もぐもぐ。

「聞こえてんだろ!!」

 迅はようやく振り返った。

 そこには、軍服姿の大男が立っていた。

 身長二メートル近く。筋骨隆々。額には青筋。右手には軍用警棒。

 明らかに怒っている。

「……何してる?」

 迅はパンを飲み込んだ。

「飯食ってる」

「見りゃ分かるわ!!」

 大男の怒声が倉庫中に響いた。

「誰の許可を得て入った!?」

「誰の許可も得てねぇけど」

「……は?」

「腹減ってたし」

「…………」

 大男はこめかみを押さえた。

「お前……ここがどこか分かってるのか?」

「軍隊の飯置き場」

「分かっててやったのか!?」

「おう」

「おう、じゃねぇ!!」

 大男が一歩踏み出す。

「貴様、軍の食料を盗んだな?」

 迅は少し考えた。

 そして、手元のパンを見た。

「……借りた」

「返せるのか!?」

「もう食った」

「盗んでんじゃねぇか!!」

 大男の怒声と同時に、警棒が振り下ろされた。

 だが。

 

 ひょい。

 

 迅は首を傾けただけで避けた。

「……あ?」

 大男の動きが止まる。

 迅はパンをかじった。

「危ねぇな、おっさん」

「……貴様」

 再び警棒が振られる。

 今度は横薙ぎ。

 迅は軽く身を引いた。

 空振り。

 続けて三撃。四撃。五撃。その全てが空を切る。

「……なんだ、こいつ」

 大男の表情が変わった。

 速い。異常に速い。

 軍で長年戦ってきた自分の攻撃を、まるで子供の遊びのように避けている。

 しかも。

「おい、パン食い終わるまで待てって」

 片手にはパン。もう片方には缶詰。

 完全に舐められている。

「ふざけるなぁぁぁ!!」

 大男が全力で踏み込んだ。

 迅は小さく息を吐いた。

「……しつけぇな」

 次の瞬間。

 大男の視界から、迅が消えた。

「!?」

 気づけば、背後。

「よっと」

 

 トン。

 

 迅が大男の背中を軽く押す。

「うおっ!?」

 大男は勢い余って食料箱に突っ込んだ。

 ガシャァァン!! 

 缶詰が床に散乱する。

 迅はその様子を見て、吹き出した。

「ぶはっ! おっさん、何してんだよ!」

「き、貴様ぁ……!」

 そのときだった。

『侵入者発見! 侵入者発見!』

 警報が鳴り響いた。天井の監視装置が赤く点滅する。

 倉庫の外から、大勢の足音が聞こえてきた。

「……ん?」

 迅は入り口を見た。

 軍人が十人。二十人。

 さらにその後ろから、銃を構えた兵士たちが続々と現れる。

「動くな!!」

「両手を上げろ!!」

「抵抗すれば発砲する!!」

 迅はゆっくりと両手を上げた。

「…………」

 そして。

「……これ、持って帰っていい?」

 右手にはパン。左手には缶詰。

「いいわけあるかぁぁぁぁ!!」

 

 一時間後。

 

 第七駐屯基地、取調室。

 迅は椅子に座っていた。目の前には、先ほどの大男。

 そしてもう一人。白髪交じりの短髪に、鋭い目つき。

 年齢は四十代後半ほど。

 軍服の肩には、大佐の階級章がついていた。

 男の名は、榊原さかきばら 宗一郎そういちろう。

 第七駐屯基地の司令官である。

「……名前は?」

「黒瀬迅」

「年齢」

「十八」

「所属宗教」

「ねぇよ」

「出身」

「ジャポネ。アリス領側」

 榊原の眉がわずかに動いた。

「……アリス教徒か?」

「違ぇよ」

「では、なぜアリス領から?」

「追い出された」

「理由は?」

「神様に祈らなかったから」

「…………」

 榊原は書類から顔を上げた。

「それだけか?」

「それだけ」

 迅は椅子の背にもたれた。

「つーかさ、おっさん」

「大佐と呼べ」

「大佐のおっさん」

「……もういい」

 迅は笑った。

「俺、いつ帰れんの?」

「帰れると思っているのか?」

「え?」

「軍施設への不法侵入、器物損壊、軍用食料の窃盗、軍人への暴行」

 榊原は淡々と読み上げた。

「これだけのことをしておいて、無罪放免になるとでも?」

「暴行はしてねぇだろ。ちょっと押しただけだ」

「その結果、兵士が負傷した」

「勝手に転んだんだろ」

「…………」

 榊原は深くため息をついた。

「営倉に入れるか……」

「営倉?」

「軍の拘禁施設だ」

「飯出んの?」

「……出る」

「じゃあいいや」

「よくない!!」

 榊原は机を叩いた。

 迅は少し驚いたように目を丸くした。

「なんだよ、急に」

「貴様は反省というものを知らんのか!」

「腹減ってたしなぁ」

「理由にならん!」

「じゃあどうすりゃよかったんだよ」

 迅は笑みを消した。

「金もねぇ。家もねぇ。市民権もねぇ。飯もねぇ」

「…………」

「神様に祈れば助けてくれんのか?」

 榊原は黙った。迅は窓の外を見る。

 遠くに、巨大なアリス像が見えた。

「俺は神には祈らねぇよ」

 静かな声だった。

「祈って助かるくらいなら、自分で何とかする」

 榊原はしばらく迅を見つめていた。

 やがて、手元の端末を操作する。

「……黒瀬迅」

「あ?」

「貴様、軍に入る気はないか?」

「…………は?」

 迅は顔をしかめた。

「軍?」

「ああ」

「俺が?」

「そうだ」

「……なんで?」

 榊原は腕を組んだ。

「貴様の身体能力は異常だ。先ほどの警備映像を確認したが、未覚醒であれほど動ける人間はそういない」

「へぇ」

「それに、我が軍は慢性的な人手不足でな」

「ふーん」

「軍に入れば、一定の審査期間を経て市民権取得の道が開ける。住居も与える」

「ほー」

「食事も支給される」

「入る」

 即答だった。

「…………」

 榊原は固まった。

「……早くないか?」

「飯出るんだろ?」

「出るが……」

「三食?」

「一応は」

「肉は?」

「たまには……」

「よし、決まりだ」

 迅は立ち上がった。

「今日からよろしくな、おっさん!」

「大佐だ!!」

 こうして。

 黒瀬迅、十八歳。無職。住所不定。所持金ゼロ。

 軍用食料窃盗犯。

 その全てを抱えたまま──

 ジャポネ無宗教軍への入隊が決まった。

 もっとも。

 この決定を、榊原は数日後に激しく後悔することになる。

 

 翌朝。午前五時三十分。

「起床ぉぉぉぉ!!」

 基地内に怒声が響いた。新兵宿舎。

 数十人の新兵たちが、一斉に飛び起きる。

「集合まで三分!! 遅れた者は腕立て百回だ!!」

 教官の怒鳴り声。慌ただしく着替える新兵たち。

 そんな中。

「…………ぐぅ」

 一人だけ寝ていた。黒瀬迅である。

「……おい」

 隣の新兵が肩を揺する。

「おい、起きろって!」

「……んぁ?」

「集合だぞ!」

 迅は薄目を開けた。

「……何時?」

「五時半!」

「…………」

 迅は布団をかぶり直した。

「まだ夜じゃねぇか」

「朝だよ!!」

「あと五分……」

「死ぬぞお前!!」

 その直後。

 

 バァン!! 

 

 宿舎の扉が開いた。

「貴様らぁぁ!! 何をしている!!」

 教官が現れた。そして、一瞬で迅を発見する。

「……黒瀬ぇぇぇ!!」

「…………」

「起きろぉぉぉ!!」

 迅はゆっくりと顔を出した。

「……うるせぇなぁ」

「何だと!?」

「昨日入ったばっかなんだから、もうちょい優しくしろよ」

「ここは軍隊だ!!」

「知ってる」

「ならば規律を守れ!!」

 迅は少し考えた。

 そして、真顔で言った。

「……腹減った」

「話を聞けぇぇぇ!!」

 午前七時。新兵訓練場。

 迅は腕立て伏せをしていた。

 その回数。

 九百九十九回。

「……九百九十九」

「千!!」

「……千」

「よし、立て!!」

 迅はひょいと立ち上がった。息一つ乱れていない。

 教官は額に汗を浮かべていた。

「……貴様、本当に人間か?」

「失礼だな、おい」

 迅は肩を回す。

「つーか、もう飯食っていい?」

「まだだ!!」

「えぇ……」

「次は走り込みだ!!」

「何キロ?」

「百キロ!!」

「…………」

 迅は黙った。

 教官は勝ち誇ったように笑う。

「どうした? 流石に嫌になったか?」

 迅は首を傾げた。

「いや……」

 そして、にやりと笑った。

「それ、何分で終わらせりゃいい?」

「…………は?」

「早く終わったら飯食っていい?」

 教官の顔が引きつった。数分後。

 訓練場には、信じられない光景が広がっていた。

 黒い影が、凄まじい速度で走っている。

 地面を蹴るたびに砂埃が舞い上がり、周囲の新兵たちは口を開けていた。

「……おい」

「なんだよ、あれ……」

「超越者か?」

「いや、覚醒反応は出てないぞ……」

「じゃあ、なんであんなに速いんだよ……」

 迅は走りながら笑っていた。

「ははっ! 案外楽しいじゃん!」

 誰かが呟いた。

「……化け物かよ」

 だが、迅自身は知らなかった。

 自分がどれほど異常な存在なのか。

 そして。

 この世界には、自分など比較にならないほどの怪物たちが存在していることも。

 

 同時刻。

 ジャポネから遠く離れた、キリスト教軍中央基地。

 巨大な訓練場に、轟音が響いた。

 ドゴォォォン!! 

 地面が大きく陥没する。舞い上がる粉塵。

 その中心に、一人の青年が立っていた。

 燃えるような赤髪。鋭い金色の瞳。

 大柄で、鍛え上げられた肉体。

 年齢、十八歳。

 ラフバ・エラー。

「……おい」

 ラフバは目の前を見た。

 そこには、訓練用の大型機械兵が倒れていた。

 装甲は大きくへこみ、機能を停止している。

 ラフバは不満そうに舌打ちした。

「もう終わりかよ」

 周囲の兵士たちは青ざめていた。

「……あいつ、素手でやったぞ」

「軍用機械兵だぞ……?」

「まだ覚醒すらしてないんだろ……?」

 ラフバは首を鳴らした。

「次!」

「……は?」

「次の相手出せよ!」

 教官が叫ぶ。

「もう十分だ、ラフバ!」

「あぁ!?」

「訓練は終了だ!」

「ふざけんな! まだ全然足りねぇぞ!」

「お前の相手がいないんだよ!!」

「じゃあ超越者呼べよ!」

「簡単に言うな!!」

 ラフバは不満げに腕を組んだ。

「……つまんねぇ」

 そのとき、一人の将校が近づいてきた。

「ラフバ・エラー」

「あ?」

「貴様に派遣命令が出た」

「派遣?」

「ああ。ジャポネ無宗教軍だ」

 ラフバは眉をひそめた。

「……無宗教?」

「そうだ」

「世界最弱の軍隊じゃねぇか」

「人手不足のため、各宗教軍から人員を派遣することになった」

「断る」

 即答。

 将校はため息をついた。

「命令だ」

「弱ぇ奴らのところ行って何が楽しいんだよ」

「……それがな」

 将校は端末を操作した。

 一つの映像を表示する。

 そこには、黒髪の少年が映っていた。

 黒瀬迅。

 訓練場を凄まじい速度で走る姿。

 ラフバの目が、わずかに細くなった。

「……ほう?」

 将校は続ける。

「昨日入隊した新兵らしい。未覚醒だが、身体能力は並の超越者を上回る部分があるそうだ」

「…………」

 ラフバは画面を見つめた。

 そして。

 にやり。口元が大きく吊り上がった。

「……面白ぇ」

「行く気になったか?」

「ああ」

 ラフバは拳を握った。

「そいつ、ぶっ倒してやる」

 

 一方。

 仏教軍、中央演算都市。巨大な電子書庫の一室。

 一人の少女が、無数の立体映像を眺めていた。

 艶やかな黒髪を後ろで束ね、澄んだ瞳を持つ少女。

 年齢、十八歳。

 アギ・ハワー。

 彼女の目の前には、膨大な戦術資料が表示されている。

 軍事演習の結果。戦場の地形。敵兵の行動予測。兵站情報。

 それらを、驚異的な速度で処理していた。

「……この配置だと、三分四十二秒で包囲されますね」

 アギは淡々と呟いた。

「こちらの部隊を二つに分けて……いえ、三つの方が効率的ですか」

 指先が動く。

 立体映像の中で、軍隊の配置が変わった。

 結果。

 

 敵軍、完全制圧。

 

 想定損耗率、0.03パーセント。

 背後にいた軍人が、思わず息を呑んだ。

「……素晴らしい」

 アギは振り返った。

「ありがとうございます」

「アギ・ハワー。君に新たな任務がある」

「任務ですか?」

「ジャポネ無宗教軍への派遣だ」

「…………」

 アギは少し黙った。

「……あの、世界最弱と呼ばれている?」

「そうだ」

「…………」

 彼女は資料を確認した。慢性的な人員不足。

 資金不足。設備不足。

 そして、極めて高い戦死率。

 アギは静かに目を閉じた。

「……なるほど」

「不満かね?」

「いえ」

 アギは立ち上がった。

「人手が足りないのであれば、私が行くべきでしょう」

「助かる」

「ただ、一つ質問があります」

「何だ?」

 アギは真剣な顔で言った。

「……食事は、まともに出るのでしょうか?」

「…………」

 軍人は目を逸らした。

「……保証はできん」

「…………」

 アギは小さくため息をついた。

「……先が思いやられますね」

 この時、彼女はまだ知らなかった。

 派遣先に、自分の人生を大きく変える二人の問題児が待っていることを。

 

 夕暮れ。

 ジャポネ無宗教軍、第七駐屯基地。

 一日の訓練が終わり、迅は宿舎の屋上に寝転がっていた。

 空には巨大な月が浮かんでいる。

 地球の四分の一ほどの大きさを持つ、途方もない天体。

 その表面には、いくつもの人工都市の光が見えた。

 迅はぼんやりと月を眺めていた。

「……軍隊、ねぇ」

 思っていたより、悪くない。

 飯はまずい。給料は安い。教官はうるさい。

 規則は面倒くさい。

「……いや、結構最悪だな」

 迅は一人で笑った。

 ふと、手元の軍用端末が震えた。

 画面には、SNSの通知が表示されている。

『本日の話題:アリス教軍、無宗教軍国境で軍事行動を示唆』

『アリス様への信仰を拒む異端者たちに裁きを!』

『無宗教軍ってまだ存在してたの?』

『世界最弱の軍隊、今日も平常運転』

 迅は画面を眺めた。

「……なんだこれ」

 適当に触る。画面が切り替わった。

「ん?」

 さらに触る。

 見知らぬ人物の配信が始まった。

『皆さんこんばんはー! 本日も女神アリス様への感謝を──』

「うわっ、うるせ!」

 慌てて画面を押す。なぜか音量が上がった。

『アリス様万歳!!』

「うるせぇって!!」

 もう一度押す。今度は画面が拡大された。

「……は?」

 迅はしばらく端末と格闘した。

 

 三分後。

「……壊れてんだろ、これ」

 電源を切った。

 実際には、ただの操作ミスである。

 迅は端末を横に置いた。そして、空を見上げる。

「……神様ねぇ」

 幼い頃から、何度も聞かされてきた。

 神に祈れ。神を敬え。神のために生きろ。

 だが。

 迅には、どうしても理解できなかった。

 なぜ、自分の人生を誰かに預けなければならないのか。

 なぜ、信じてもいない存在に頭を下げなければならないのか。

 そして何より。

「……つまんねぇんだよな」

 迅は小さく呟いた。

 神のために生きる。神のために戦う。神のために死ぬ。

 そんな人生。

 何が楽しいのだろう。

「一番大事なのは……」

 迅は右手を空へ伸ばした。

 そして、笑った。

「笑えるかどうか、だろ」

 誰かに聞かせるための言葉ではない。

 ただ、彼がずっと大切にしてきた考えだった。

 金がなくても。家がなくても。

 神に嫌われても。

 最後に笑えるなら、それでいい。

「……ま、明日も飯食えりゃいいか」

 迅は起き上がった。

「腹減ったし」

 そのまま宿舎へ戻ろうとしたとき。

 基地内放送が鳴り響いた。

『新兵各員に通達!』

『明日午前八時より、他宗教軍からの派遣兵を受け入れる!』

『対象者は身体能力検査に参加すること!』

 迅は足を止めた。

「……派遣兵?」

『キリスト教軍および仏教軍より、優秀な人材が派遣される予定である!』

「ふーん」

 迅は頭をかいた。

「強ぇ奴とかいんのかな」

 少しだけ、口元が緩んだ。

「……いたら面白そうだな」

 そして翌日。

 黒瀬迅は、二人の人間と出会うことになる。

 一人は、勝つことに取り憑かれた男。

 一人は、天才的な頭脳と剣の腕を持つ少女。

 三人はやがて、世界中からこう呼ばれることになる。

 

 

 ──三馬鹿。

 

 だが、今はまだ誰も知らない。

 この三人が、世界を揺るがす戦争の中心に立つことを。

 そして、神を葬る物語が、ここから始まることを。




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