ふわあ、と燦はあくびと共に車から飛び降りた。
「ありがとうございました」
「お疲れ様でーす」
補助監督の車が去っていくのを見送り、燦は石畳へ足を下ろす。桜がさらりと風に流れ、足元に舞い散った。
「もう春か」
早いなあ、と目を細める。
大きく聳える鳥居——呪術高専東京校の入り口には、ちょっとばかしヤクザっぽい男が仁王立ちでこちらを睨んでいた。そちらに向かって、燦はひらりと手を振る。
「ただいま、先生」
「遅いぞ、燦ァ!」
ゴン!
夜蛾の拳が、燦の頭に炸裂した。
「痛ったぁ!?」
「あれだけ早く戻れと言ったはずだぞ!いつまで任務に精を出すつもりだお前は!」
「はいはいごめんって!」
慌てて燦は両手を上げる。
「帰ろうと思ったところに、ちょうど任務の話が来てさぁ…」
「見え透いた嘘をつくぐらいなら最初から言い訳するな!」
ゴン!
再びの鉄拳制裁。
涙目で燦は叫ぶ。
「ごめんなさい補助監督に頼み込んで任務行ってました!!」
ハァ、と夜蛾は大きくため息をついた。
「これで何度目だ、燦」
う、と分かりやすく燦が目を逸らす。それをジトリと見て、夜蛾は眉を顰めた。
「入学してから数え切れんほど、私に隠れて任務に行ってるよな?」
「…だって。先生に言ったら、止められるじゃんか」
不貞腐れたように、足元の小石を蹴飛ばす。
「当たり前だ。オーバーワークにも程がある」
「それじゃあ意味ないんだよ」
ぽつりと燦は呟いた。
「それじゃあ、救える人も救えない。助ける側が躊躇ったら何もできないんだよ」
今度は夜蛾が言葉に詰まる番だった。
「それは、そうだがな…。助ける側のお前が先に潰れたらどうする」
「その時はその時だよ!潰れる前に助けられるだけ助ければ良いの」
「あのなぁ…」
能天気極まる娘に、夜蛾は頭を抱えた。
「まあいい、とりあえずついてこい」
「あれ、今日は休めとは言わないんだね、先生」
燦は珍しい、と口笛を吹いた。夜蛾が目を細める。
「ずっと思っていたんだが。その「先生」呼びはどうにかならんのか」
「いやだってさ、ここ校舎だよ?馴れ馴れしいじゃん、「父さん」とか呼んだら」
「そもそも会うのはほとんど校舎内だけだろうが」
しょうがないじゃん、と燦は口を尖らせる。
「寮の方が任務に行きやすいし…あすみませんなんでもないです」
ふと顔を上げて、陽光に目を細める。それにさ、と小さく呟いた。
「…どうせ血も繋がってないんだし」
ぴたりと、夜蛾の足が止まった。燦は続ける。
「ほんとのことじゃん。わたしを拾ってくれて、そのうえ育ててくれたことには感謝してるよ」
「燦」
「…傷ついたなら、謝るよ。でもさ」
ほんとのことだよ、と繰り返す。
彼女の、透き通った琥珀の目は、ぼんやりと宙を見つめている。一体何を見ているんだ——そう問えたら苦労していない。
この少女は、出会った時から一度だって、本当の意味で心を開いてはいないのだから。
「んで!」
空気を変えるように、燦がパチンと手を鳴らす。
「どこ行けば良いの?なんか用事あったんでしょ」
「…ああ、そうだな」
こっちだ、と再び足を進める。その後を、いつも通りの軽快さで燦が追う。
「会ってもらいたい奴らがいる。問題児三人どもだ」
「三人?」
燦は首を傾げた。
「ここにそんなに生徒いたっけ」
「新入生だ。どこぞの誰かは入学式に出なかったから知らんかもしれないがな」
「あはは…先生がそんなに手を焼くってことは、よほどだね」
ああ、と夜蛾は肩を落とす。
「優秀なのは間違いないんだがな…」
「強すぎて手綱が握れないの?」
「あと性格がだいぶ捩れていてな。三人とも「問題」の方向性が違うんだが」
「高校生デビューでもしたんじゃない?」
数多ある和風建築の一つに辿り着き、二人は足を止めた。
「ここ?確かに凄い気配してるけど」
「六眼と呪霊操術と、反転術式のアウトプットだ」
「え待ってそれは聞いてないかも」
若干引き気味に燦は建物を見上げた。
「いやそのラインナップ、わたしより遥かに強くない?」
「お前は強いとか強くないとか、そういう次元じゃないだろう」
「まー時と場合によって実力が変わりすぎるものね」
「お前には指導を頼みたいと思っている」
「…はい?」
珍しくポカンと口を開けて、夜蛾を見つめる。
「ちょちょっと待って、指導?は?なんの?てかなんで?」
「まああれだ、先輩としての意地で何とかしろ」
「いやまず質問に答えてよ父さん!」
燦の悲鳴が響き渡った。
「…別にさあ、良いんだよ?後輩の面倒を見るのは当然のことだし」
そう言って、恨みがましく燦は並び立つ教室を見た。
「でもさぁ、もうちょっと説明くれたって良いんじゃないの」
あの後、夜蛾は「任せたぞ」とか言ってさっさと行ってしまったのだ。ふざけんなよあのヤロー、とぐちぐち言いつつ、最奥の教室に目を止める。
…一言で言うなら、惨状であった。教室の扉は派手に吹き飛んでいるし、ていうか壁から吹っ飛んでるし。中からは明らかに不穏な呪力の気配もするし。
「何だろなー、呪詛師でも侵入したのかなー」
そうだよな、そうであってくれ。それ以外に原因が思いつかないんだよ新入生くん。
「…喧嘩とかだったりしないよね」
ふっと浮かんだ考えに、燦はハッと口を覆う。
いやいや、ないないない。いくら血の気が多かったとしても、ただの喧嘩でここまで、
「今日こそぶっ飛ばしてやるよ、クソ前髪」
「それはこちらのセリフだよ白髪くん」
煽り合いと共に、教室で爆音が轟いた。
燦の元まで届いた爆風に、思わず遠い目をする。
「元気ダナー」
もう仕方ない、腹を括ろう。例え入学一週間で教室を破壊していようと、多分己より遥かに強そうな気配をしていても、可愛い後輩なのだ。
燦は覚悟を決めて、足早に歩いて行った。そうして、声をかけようとした瞬間。
「術式順転 蒼」
音が、消えた。
衝撃が、燦を襲う。体が凄まじい力で引っ張られ、燦は壁に激突した。
(棟の端まで吹き飛ばされた…)
ビリビリと痺れる腕に顔を歪める。一応受け身は取ったというのに。
「咄嗟に防御してなきゃ危なかったな」
全く、本当に血の気が多い子供達だ。ぷらぷらと腕を振っていると、軽薄な声がかけられる。
「ごめーん、当たっちゃった?」
白髪に、真っ黒なサングラス。ニヤニヤと笑いながらこちらを見るのは、長身の青年。
「いや、こっちも油断してたし。んで、君?噂の新入生ってのは」
「…噂?ああ、先生が言ってたセンパイってアンタのこと?」
首を傾げて、青年は口角を吊り上げた。
「気配があんまり弱いから、てっきり補助監督かと思ったよ」
ぴきり、と燦の顔が引き攣った。
(なぁるほど、これは確かに…)
「…ハァ。ま、頼まれたし仕方ないか」
君、と青年を見る。
「名前は?」
「あれ、スルー?つまんねえの」
「…名前は?」
笑みを浮かべて問いかけた燦に、青年は軽く答えた。
「五条悟」
「ああ、じゃあ君が六眼の子か。技を見るに、無下限呪術との抱き合わせってとこ?」
「へえ、よく知ってんじゃん。…アンタ、一般人の出じゃねえだろ」
さあ、と燦も微笑む。
「わたしの出自は関係ないんじゃない?それより、教室は壊さないでくれるかな。修繕費諸々、高専の維持費から出さなきゃいけないんだから」
「はぁ?んなこと俺が知ったこっちゃねーよ」
燦と五条が睨み合う。
バグン!!
その緊迫を、突如呪霊が呑み込んだ。廊下を丸ごと埋め尽くすような巨体に、燦の目がスッと細められる。
(呪霊…!?)
敵襲か、否。
(高専のアラートが鳴っていないってことは、登録された呪力なんだ)
そして頭に浮かぶのは、新入生の術式。
「呪霊操術、か」
燦は構えていた腕を解く。祓ってしまうのは申し訳ない。
芋虫呪霊の上に、タンと影が降り立った。
「よそ見はいけないよ、五条」
「手札が雑魚すぎんのが悪ぃだろ」
現れたのは、長い黒髪を纏めて、耳にピアスをつけた男子生徒。なぜか見覚えのある姿に、燦は首をひねる。
と、その特徴的な前髪が目に入って。
「あーー!!」
燦は思わず大声で叫んだ。
「あ?」
「うん?」
男子生徒の糸目が燦を捉えた。同時に、カッと大きく見開かれる。
「燦、さん…?」
「夏油くん!?」
「え、なに知り合い?」
驚いたように見つめ合う二人に、五条だけが置いてかれていた。
「さて、どうして喧嘩になったのか教えてくれる?」
春の陽気が朗らかに差し込む空間…もとい、ほとんど廃墟になった教室で、燦は腕を組んで二人を見下ろした。
正確には二人というか三人である。教室の隅で我関せずとタバコを吸っている、泣きぼくろが可愛らしい茶髪の女の子。
女の子が目に入った時、燦はちょっと三度見した。あそこまで堂々と不良街道を突っ走る子がいるとは思っていなかったので。
確かにこれは三人とも違う意味での問題児だなぁ、というのが率直な感想である。重ね重ねなんで先生は自分に指導を頼もうと思ったのか。鉄拳制裁でなんとかしてくれ。
「こいつが煽ってきたので」
こいつ、と指さされた五条は眉を跳ね上げた。
「はぁー?オマエが先に「安全圏からイキるしか能がない」とか言ってきたんだろーが」
「私はそんなこと言っていないよ、被害妄想が激しいね」
「意訳って言葉をご存知ねーのか?」
「ストップストップ」
いがみ合う二人に、燦が慌てて割り込む。
「もう分かったよ、全く。君らの相性が悪いってのは良くわかったから」
「良かったな五条、燦さんが優しくて。私は燦さんを侮辱したことを忘れてはいないからな」
「オマエその時は反応してなかったくせによく言うな!」
「言った側から喧嘩すんなよ」
性格の反り合わなすぎでしょ、と燦はため息を吐いた。
「夏油くん、それに関してはなんとも思ってないから大丈夫」
「傑で良いですよ」
「はいはい傑くんね」
とりあえず、と燦は個性の強すぎる面々を見渡した。
「先生から聞いてるでしょ?君らの指導に来た、東京校2年生の夜蛾燦です、よろしくね」
「夜蛾ぁ?え、あの先生の親戚?似ってねえ」
「そりゃそうでしょ。義理だもん、親娘って言っても」
マジ?と五条が身を乗り出す。
「その話詳しく」
「それは後でね」
すっぱり切り捨てて、燦はタバコの女の子に手招きした。
「君もおいで。怪我してない?」
「してないっすよ。してたとしても治せるんで」
「あ、じゃあ君が反転術式の子ってわけだ」
まあはい、と怠そうに言う。
「ちなみに名前は?」
「家入硝子で〜す」
「分かった硝ちゃんね」
「どっから来たんですか硝ちゃんって」
「名前が漢字二文字以上の人は縮めて呼ぶっていうマイルール」
「独特っすね」
「よく言われる」
和やかなやりとりを続ける家入と燦に、五条がチッと舌を打った。
「なんで俺がアンタみたいな弱っちいのに指導なんざされなきゃなんねえんだよ」
「口を慎め五条、燦さんは弱っちくない」
「ちょっと黙ってようか傑くん。…ま、悟くんの言うことも分かる。わたしだって最初は同じこと思ったし」
うんうんと燦は頷く。五条が思いっきり整った顔を顰めた。
「しれっと名前呼びすんなよ、媚売りかよ」
キモチワリー、と吐き捨てた五条に構わず、燦は続ける。
「ということで、わたしは指導じゃなくて、引率をすることにした!」
「…引率?遠足でも行くんですか?」
家入がタバコの煙をくゆらせる。
「まさか。任務だよ」
「いや補助監督で十分だろ」
「もちろん補助監督の方にはついてきてもらうよ」
燦はピンと指を立てる。
「それとは別にわたしもついていくってだけ。あ、合同任務だからね?三人全員で行くんだよ」
「連帯を強めるってことですか」
「それもあるけどね、傑くん。君たちに足りないものは何だと思う?」
夏油は首を傾げた。
「…協調性?」
「自覚はあるんかい」
じゃなくて、と軽く咳払い。
「信頼関係さ。同学年に三人もいるなんて、結構貴重なんだよ?それなのに喧嘩ばっかりって勿体無いでしょ。どうせなら仲良くしようってこと」
「仲良しこよしとかくっだんねー。死んでもごめんだな」
オ゛ッエー、と五条が舌を出す。
他の二人も、それぞれ嫌そうな顔をしている。その上で、燦はにっこりと笑った。
「やってみなきゃ分からないじゃない」
さあ、と教室から三人を追い立てる。
「課外授業に出発だ!」
次話投稿は一時間後です。