分かったことが一つ。彼女は自身の小説に関することになれば意味の通る文章を話す。
『うん。ありがとう、氷鉋くん』
初めて伝えられた感謝の言葉。それが想定外の威力を発揮していた。
「転科兄ー、宿題終わったー?」
「九割方片付いた。そっちは?」
「大体同じくらい。一緒にゲームしようよ」
夏休みは身のこなし方で楽しみ方が変わる。宿題を終わらせたという安心を獲得することで終わりまで余すことなく満喫できる。
「よし、久々にやるか。手加減はしないぞ」
「そうこなくっちゃ。いくぞ転科兄」
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「「「「いただきます」」」」
今日は珍しく家族全員で食卓を囲めた。その時間ごと俺が作った飯を咀嚼していた。
「もぐもぐ……久々ね、こうして四人でご飯食べるの」
「悪かったな、二人とも。寂しくなかったか?」
「転科兄がいるし、そんな心配しなくても大丈夫だって」
弟は嘘をついた。日頃気丈に振る舞っているが、両親との時間は確かに欲している。俺とは違い、『諦め』きれていないのだ。
「転科も、悪かったな。いつもご飯作らせて」
「俺もいい年だし、丁度いいよ」
「……そうか。子供が育つのは早いな、母さん」
「そうね。だから今を大切にしないと、父さん」
俺たちは家族として確かな縁に繋がれている。では──恙山は?
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「お邪魔します」
「いらっしゃい、氷鉋くん。箸利ちゃんは部屋にいるからね」
「はい、ありがとうございます」
この夏休み、昼間は大抵恙山家に通っていた。することといえば彼女の書く小説を読むことのみ。
「恙山、来たぞ」
「粱穆酔歌」
別に、話が特別面白いから読んでいるわけではない。これはあくまでも彼女が自分用に書いた文だ。俺のために編纂されているとはいえ、俺は元より文学少年ではない。
なら何故ページを捲り、読み続けるのか。自分の行動が意思とチグハグで説明がつかない。
「なあ、この小説って何歳ぐらいから書き始めたんだ」
「ホーム。大体六歳くらいから」
となると、大体七〜八年書いているわけか。通りでいくら読んでも終わりが見えないわけだ。
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「ふー……もうこんな時間か。俺帰るよ」
「變嵎冩」
大抵は意味のなさない言葉。そんな恙山があの一言をどうやって捻りだしたのか、やはり疑問に残る。
……俺は、恙山と話したいのか? 何のために?
「お邪魔しました」
「また来てね〜氷鉋くん」
恙山母に見送られ歩き出す。そろそろ食材が尽きてくる。買い物をスーパーで済ませなければ。そんなことを考えながら歩を進めた。
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「ただいまー」
「おかえり転科兄。
「ああ。頼む」
今日使う分の野菜や肉を取り出し、台所へ。今日も四人分の飯を作る。
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「父さん、晩飯食うか?」
「うー……、悪い。もう少し眠る……」
「分かった」
父は払暁前から働いているため中々起きられず、俺たちとは別に食事を摂っている。母はパートで忙しく、俺たちの食事より一時間後に帰ってくる。
家族のため労働に励む二人を俺は密かに尊敬していた。弱音一つ吐かず、淡々と日々を処理する姿。かのようになりたいとすら思った。
「「いただきます」」
弟も悪評判を聞いたことがない。それと兄弟同士の仲が劣悪な話はよく聞くが、弟はどういうわけか俺を慕っているようで。
「なあ、転科兄」
「なんだ」
「最近どこ行ってんの? 夕方までずっと帰ってこないけど」
少し、迷った。正直に伝えるべきか、はぐらかすべきか。
「……友人の家に行ってる」
「転科兄、友達いたんだ」
「失礼だな。俺をなんだと思ってるんだ」
友人……と呼べるほど、気安い関係ではないか。自嘲するように、口の中で呟いた。
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夏休みが終わって、俺たちはいつも通りの関係に戻った。一心不乱に書き込む恙山。そしてそれを見る俺。
体育祭や文化祭の合唱コンクール時も、大抵恙山を見ていた気がする。
そんなこんなで時計は進み、校外学習の日がやってきた。
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「まあ俺は行けないんだけどな」
疾患により俺は校外学習のスキーができない。周囲に迷惑をかけるわけにはいかないので、学校で映画鑑賞する羽目となった。……で。
「……なんで恙山もここにいるんだ」
「ファイクレス」
……考えられる節としては、彼女を制御できる俺が行けないから学校に押し込められた、みたいな所だろうか。憶測はどこまで行っても憶測だが。
「二人は何の映画が見たい? ホラーからアクションまでいろいろあるけど」
「恙山。何か興味はないか」
「肚萠宇留津」
「はぁ……じゃあ、アクションが見たいです」
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運動は好きだ。理不尽な病にそれを奪われて、毎日がくすんでいた。そんな日常を、筆記音が塗り潰していく。
『俺の……勝ちだ!』
「…………」
「…………」
映画は半分聞き流していた。恙山は一瞥もしていない。
書く恙山。見る俺。俺はどうもその日常に、ある程度救われていたらしい。
「ああ……そうか」
興味本位だったのかもしれない。気まぐれだったのかもしれない。それでも俺は、恙山箸利という人物に己を委ねていたのか。
恋と呼べるほど高尚なものではない。ないが、確かに温度が存在している。それが、氷鉋転科という男の結論だった。
「……ありがとう、恙山」
「…………」
聞かせようとは思わずに呟いたが、彼女には届いていたらしく。
《私からもお礼を。いつもありがとう、氷鉋くん》
「……!?」
小説関係以外意味不明なことしか言わない恙山から、感謝を告げられた。紙に書くことによって。
《言ってなかったけど。私は文字でなら話せる》
だったら何故この一年会話に至らなかった? そもそも、
「なんで今まで他の奴らにそうしなかったんだ?」
《脳の情報が氾濫する中で誰かと話すことはとても大変だから。氷鉋くんぐらいにしかリソース割けない》
唖然とする俺に恙山は訳を書き記す。
物心ついた時から、意味の無い言葉の群れが脳内に湧いて出る。それを処理するために、ペンとノートが必要だった。
「じゃあいつも意味のあることを話さなかったのは……」
《話したかったけど、思考が邪魔してた》
その苦しみを、俺は理解してやれない。思考が雑すぎるのか、深すぎるのか、はたまた両方か。
彼女は筆で語る。
《私は他人に対して特別な感情を発念することは無かった。両親にさえも、平坦な感情しか湧かなかった。それでもよかった。ペンとノートさえあれば私は幸せだった》
なるほど、だから学校に来ることも苦ではなかったのか。
「俺の視線はうっとおしくなかったのか?」
《どうしてかは分からないけど、氷鉋くんの眼差しは私の中に鋭く切り込んできた。でもそれは嫌じゃなかった。私の中……根本的な部分に、氷鉋くんという種類の"感情"ができていた》
「……難解だな」
《私もそう思う》
映画がクライマックスを迎えても、俺は目もくれず恙山と対話していた。そんな中学二年生の、冬だった。