プロデューサーが死ぬと勘違いして死ぬほど依存度が上がる話 作:マロンex
その日、花海咲季は、職員室の前で足を止めた。
扉の向こうから、プロデューサーと学園長の声が聞こえてきたのだ。
「……そうか。もう、決めたんじゃな」
「はい。あと半年です」
プロデューサーの声は、いつもと変わらず、静かだった。
「半年後には、もう...」
「うむ。寂しくなるのう」
「花海さんには、まだ言わないでおきます。今、大事な時期なので」
「それがいいじゃろう。あの子は、背負い込みすぎるからの」
咲季の手から、レッスンバッグが滑り落ちた。
(……あと半年?)
(...病気を隠してるの...?)
◇
その日の帰り道、咲季はプロデューサーの横顔を、何度も盗み見た。
「プロデューサー」
「はい」
「あなた、最近、体調はどう?」
「体調ですか? 普通ですけど」
「本当に?」
「はい。……ああ、でも、最近ちょっと目が疲れやすくて」
プロデューサーは、眼鏡を外して、目元を押さえた。
「新しいのに、まだ慣れなくて」
(やっぱり……薬が合わないんだわ……)
咲季は、ぎゅっと拳を握った。
「……そう。無理はしないでよ」
「はい。花海さんも」
プロデューサーは、少しだけ笑った。
いつもと同じ、静かな笑顔だった。
それが、かえって胸に刺さった。
◇
その夜、咲季は寮の部屋で、カレンダーを見つめていた。
半年後の日付。
秋の終わり。
ちょうどその頃に、新人アイドルの大きな大会がある。
咲季は、赤いペンで、その日に丸をつけた。
(言わないなら、それでいい)
(その代わり、あなたが見られるうちに、見せてあげる。わたしの、一位を)
◇
翌朝五時。
プロデューサーがレッスン室の鍵を開けると、咲季がすでに扉の前でストレッチをしていた。
「おはよう、プロデューサー。遅いわよ」
「……花海さん、まだ五時ですけど」
「時間がないのよ」
咲季は、大会の要項をプロデューサーに突きつけた。
「半年後のこの大会、出るわ。そして、一位を取る」
「その大会、二年生以上が中心ですよ。一年生の一位は、過去に一度も」
「だから、やるのよ」
咲季の目が、燃えていた。
「あなたに、見せてあげる。絶対に」
プロデューサーは、少しだけ驚いた顔をした。
それから、静かに頷いた。
「いい気合です。わかりました。一緒にやりましょう」
それからの咲季は、走り続けた。
歌も、ダンスも、表現も、すべてを磨いた。
でも、もう無理はしなかった。
倒れたら、プロデューサーに見せられなくなるから。
「プロデューサー、今日は休養日だから、どこか行きましょう」
「休養日に、ですか」
「休養日だからよ。……あなたの、行きたいところ」
「僕の、ですか」
「そうよ。行きたい場所とか、食べたいものとか。今のうちに、やっておきたいこと」
プロデューサーは、少しだけ考えてから答えた。
「そうですね……花海さんの作った料理が、食べてみたいです」
《最近、昼はずっとコンビニだったし。たまには手料理食いたいんだよな》
咲季の顔が、真っ赤になった。
「い、いいわよ! 最高のを作ってあげるわ!」
その週末、咲季は朝から晩まで料理の練習をした。
栄養を考えた料理をするのは得意だった。
だが、栄養を度外視した彼の好きな料理を作るのは至難の業だった。
焦がした。
塩を入れすぎた。
砂糖と間違えた。
月曜日、少しだけ形の崩れた卵焼きを、プロデューサーは、一口食べて黙り込んだ。
《……甘い。いや、しょっぱい。いや、やっぱり甘い。一切れの中で、味が二回変わった》
《でも、一生懸命作ってくれたのは、すごく伝わる》
「……ま、まずかった?」
「いえ。おいしいです。すごく」
咲季は、俯いた。
(あと、何回、こうやって食べてもらえるのかしら)
◇
三か月が経った。
咲季の実力は、目に見えて伸びていた。
すぐに頭打ちになる、と怖がっていた自分が、嘘のようだった。
そんなある日、レッスン室に入ると、プロデューサーがノートパソコンに向かっていた。
「プロデューサー、遅かったじゃない。どこ行ってたの」
「すみません。次の担当の方と、会ってきたので」
咲季の足が、止まった。
「……次の、担当?」
「はい。説明も丁寧で、いい人でした。あの人なら、安心して任せられそうです」
《あの人、社員さんなのかな、説明が本当にわかりやすかったなぁ。pポイントも貯まるらしいし、聞いてみるもんだな》
「……そう」
「はい。ちょっと名残惜しいのも事実ですが...(昔から使ってるし)まあ、潮時ってやつですかね」
プロデューサーは、苦笑しながら画面をスクロールした。
「今、引き継ぎの準備をしてるんです。みんなの連絡先とか、写真とか、記録とか。全部移しておかないと」
「……全部」
「はい。今の契約が切れても、誰も困らないようにしておきたいので。あ、花海さんとの思い出も、ちゃんと引き継ぎますよ」
まるで、明日の天気の話でもするような口ぶりだった。
咲季は、何も言えなかった。
《花海さん、なんでそんなに深刻な顔をしてるんだろう。……雑談、そんなに退屈だったかな》
プロデューサーは、何も言わない。
自分の体のことも、残りの時間のことも。
ただ、淡々と、自分がいなくなったあとの準備を進めている。
(わたしに、次のプロデューサーを用意してる)
(わたしが、一人で困らないように)
咲季は、くるりと背を向けて、鏡の前に立った。
鏡に映った自分の目が、真っ赤だった。
◇
数日後。
プロデューサーは、書類に判子を押していた。
「あ、この前の話の続きなんですが...来月で、今の契約は解除します。手続きは、もう全部済ませました」
《機種変更の日は連絡取れないだろうし、先言っておいた方がいいよな》
咲季は、ストレッチの手を止めずに、静かに聞いた。
「……そう。もう、決めたのね」
「はい。長い付き合いでしたけど、」
「...引継ぎは順調なの」
「ええ、しっかりしたところです。何かあっても、すぐ対応してくれると言ってくれました。...これで一安心です」
《二十四時間対応らしい。最近の携帯ショップはすごいサービスいいよな》
(何かあっても……)
咲季は、唇を噛んだ。
その夜、咲季は寮のベッドで、天井を見上げていた。
(受け入れなきゃ)
プロデューサーは、自分のために、最後の時間を使って準備をしてくれている。
それを拒むのは、わがままだ。
(笑って、ありがとうって言わなきゃ。次の人とも、ちゃんとやっていくって)
咲季は、何度も、何度も、自分に言い聞かせた。
でも、そのたびに、胸の奥が、ぎしりと軋んだ。
◇
半年が経った。
大会の決勝のステージで、咲季は、照明の真ん中に立っていた。
客席の一番前に、プロデューサーが座っている。
咲季は、マイクを握りしめた。
(見てなさい。これが、あなたが育てた、花海咲季よ)
歌い出した瞬間、会場の空気が変わった。
半年間、一度も止まらなかった。
止まるわけにはいかなかった。
見せたい人が、いたから。
最後の音が消えたとき、会場は、一瞬の静寂のあと、割れんばかりの拍手に包まれた。
「優勝―初星学園、花海咲季!」
◇
楽屋の扉を開けると、プロデューサーが待っていた。
「おめでとうございます、花海さん。すごかったです」
「……当然よ」
咲季は、トロフィーを抱えたまま、プロデューサーの前に立った。
笑わなきゃ、と思った。
ありがとうって、言わなきゃ。
次の人とも、ちゃんとやっていくって。
「プロデューサー。あのね」
「はい」
「次の人とも、わたし、ちゃんと……」
言葉が、喉の奥で詰まった。
咲季は、唇を噛んだ。
もう一度、言おうとした。
「……ちゃんと、やって……」
ぽろり、と涙がこぼれた。
「花海さん?」
「……無理」
咲季は、トロフィーを床に置いた。
「無理よ。そんなの、無理に決まってるじゃない」
一度こぼれた涙は、止まらなかった。
「なんで言ってくれないの、あと半年だってこと。勝手に次の担当なんか見つけてきて、引き継ぎの資料なんかまとめて、契約まで解除して」
咲季は、プロデューサーのスーツを、両手で握りしめた。
「受け入れようとしたわ。あなたが、わたしのために準備してくれてるんだから、笑って受け取らなきゃって。何回も、何回も、自分に言い聞かせた。でも、駄目なの」
咲季は、顔を上げた。
涙でぐしゃぐしゃの顔だった。
「次のプロデューサーなんていらないわ。どんなにいい人でも、いらない」
「……花海さん」
《……次のプロデューサー? 僕、どこかに異動するんだっけ。聞いてない》
「わたしの最期の一位まで、あなたが見てなさいよ! あなたが死んじゃったら、わたし、誰に一位を見せればいいのよ……!」
咲季は、プロデューサーの胸に額を押しつけて、声を上げて泣いた。
プロデューサーは、しばらく固まっていた。
それから、困ったように、咲季の頭にそっと手を置いた。
「……花海さん。今、死んじゃったら、って言いましたか」
「言ったわよ……!」
「誰が、ですか」
「あなたに決まってるでしょう……!」
プロデューサーは、目をぱちぱちと瞬かせた。
「……僕、死ぬんですか?」
咲季の泣き声が、ぴたりと止まった。
「……え?」
「僕、健康ですけど。この前の健康診断、全部A判定でした」
「……は?」
「どうして、僕が死ぬと思ったんですか」
「だ、だって……学園長と話してたでしょう。今の僕でいられるのは、あと半年だって。半年後にはもう……」
プロデューサーは、しばらく考え込んだ。
それから、ああ、という顔をした。
「それ、見習い期間の話です」
「……見習い?」
「はい。僕、まだ見習いのプロデューサーなんです。見習いでいられるのが、あと半年。半年後に、正式な担当プロデューサーになるかどうか、学園長と相談してたんです」
咲季は、ぽかんと口を開けた。
「条件は、担当アイドルが大きな大会で結果を出すこと。……今日、花海さんが、それを取ってくれました」
プロデューサーは、床に置かれたトロフィーを見下ろした。
「だから、半年後の今日から、僕は、今の僕じゃなくなります。理事長直属の見習いじゃなくて、正式な花海さんのプロデューサーになるので...それで少し寂しいなという話はした記憶が...」
咲季の時間が、止まった。
「……じゃ、じゃあ、目が疲れて、新しいのに慣れないっていうのは」
「新しい眼鏡です」
「……次の担当の人、っていうのは」
「携帯ショップの担当の方です」
「……は?」
「正式な担当になると、学園から仕事用の携帯が支給されるんです。だから、個人の携帯の契約を解除して、そっちに一本化しようと思って。ショップで、手続きの相談をしてたんです」
「引き継ぎの資料は」
「携帯のデータの移行です」
「みんなの連絡先も、記録も、全部移すって」
「電話帳と、写真と、レッスンの動画です」
「今の契約が切れても、誰も困らないようにって」
「番号が変わっても、みんなと連絡が取れるようにしておきたかったので...あれ、咲季さん?」
咲季の顔が、みるみる真っ赤になっていった。
「……な、な、な……っ!」
咲季は、プロデューサーの胸を、両手でぽかぽかと叩いた。
「主語! 主語を言いなさいよ! 携帯の契約なら、携帯の契約って!」
「言ってなかったですか」
「言ってないわよ! 一回も!」
「すみません」
「半年よ!? 半年間、ずっと、あなたが死ぬと思ってたのよ!?」
「それは、本当に、すみません」
咲季は、力が抜けたように、プロデューサーの胸に額を押しつけた。
「……馬鹿。本当に、馬鹿」
それから、小さな声で、付け加えた。
「……よかった」
プロデューサーは、しばらく黙っていた。
それから、咲季の頭に置いた手を、そっと動かした。
「花海さん。さっきの、最期の一位まで、っていうの」
「……わ、忘れなさい」
「忘れないです」
咲季が、顔を上げた。
プロデューサーは、少しだけ照れくさそうに、でも、まっすぐに咲季を見ていた。
「最期まで、僕でよければ。花海さんの一位を、全部見届けます」
咲季は、何も言えなかった。
さっきとは違う理由で、また、涙がこぼれた。
「……当然よ」
咲季は、ごしごしと目元を拭うと、床のトロフィーを拾い上げた。
それから、いつもの勝気な笑みを、どうにか取り戻した。
「これからも、ずっと見てなさい。一位は、何度でも取ってあげるから」
「はい」
「それと」
「はい」
「新しい番号。真っ先に、わたしに教えなさいよ」
「はい。一番に」
咲季は、ふいと顔を背けた。
その耳は、ステージの照明よりも、赤かった。
ーあの事件?から、一か月。
プロデューサーが朝練の見学に来ると、咲季は必ず、最初にこう聞くようになった。
「プロデューサー。今日の体調は?」
「普通です」
「主語は」
「僕の体調は、普通です」
「よろしい」
咲季は満足そうに頷いて、ストレッチを始めた。
それから、レッスンが終わるたびに、咲季はプロデューサーの前に立って、その日の成果を報告した。
「今日のステップ、昨日より速かったわ。見てた?」
「見てました」
「ちゃんと最後まで?」
「最後まで」
咲季は、ほっと息をついた。
あの半年が、まだ少しだけ、胸のどこかに残っている。
見せたいと思った人が、見られなくなるかもしれないと思った怖さが。
「……プロデューサー」
「はい」
「明日も、明後日も、ちゃんと見てなさいよ。わたしの一位は、これから何回でも続くんだから」
「はい。全部、見ます」
咲季は、ふいと顔を背けた。
それから、小さな声で付け加えた。
「……健康診断の結果も、毎年、わたしに見せなさい」
《……来年も、全部A判定を取らないといけない。もしかすると、一位を取るよりプレッシャーかもしれない》
書いてほしい人がいればお気軽にコメントください。
全員書くかは悩み中