プロデューサーが死ぬと勘違いして死ぬほど依存度が上がる話 作:マロンex
保健室の前で、月村手毬は足を止めた。
扉の向こうから、プロデューサーの声が聞こえたからだ。
「先生。正直に言ってください。あと、どのくらい持ちますか」
「うーん……このままだと、持って半年ってところかしら」
「……半年」
「最近ずっと元気がなかったんでしょう? もっと早く気づいてあげられればよかったんだけど...ごめんね」
「いえ...先生のせいじゃないですよ、最後まで見守っていて下さい...」
「ええ、ちょっと調べておくわ」
手毬は、扉に伸ばしかけた手を、そっと下ろした。
(……半年?)
(……プロデューサーが?)
◇
翌日の昼休み。手毬は、レッスン室でプロデューサーを待ち伏せていた。
プロデューサーは、少し遅れてやってきた。
目の下に、うっすらと隈がある。
「……プロデューサー。顔色、悪い」
「ああ、昨日、夜遅くまで調べものをしていて」
「調べもの?」
「はい。まあ、プライベートなことなので気にしないでください」
プロデューサーは、手に持っていた本を鞄にしまった。
表紙が、一瞬だけ見えた。
『根本から向き合う 病気との付き合い方』
手毬の喉が、ひゅっと鳴った。
「……あんた、今日のお昼、何食べた」
「コンビニのおにぎりです」
「一個?」
「一個です。最近、あまり食欲がなくて」
《……最近運動不足でちょっと太ってきた...とは恥ずかしくて言えないな、特に手毬さんの前では》
手毬は、無言で紙袋を押しつけた。
「……何ですか、これ」
「お弁当。美鈴に教わって、作った」
「月村さんが、ですか」
「文句ある?」
「ないです。ありがとうございます」
プロデューサーは、紙袋の中を覗いた。
野菜の煮物に、焼き魚、玄米のおにぎり。
どれも少し形が崩れていたが、丁寧に詰められていた。
「……すごく、体に良さそうですね」
「当たり前でしょ。あんた、体、大事にしないと駄目なんだから」
「は、はぁ...ありがとうございます」
《……食事制限ばれてたかな》
◇
その日から、手毬は変わった。
「プロデューサー、昨日、何時に寝た」
「二時くらいです」
「遅い。なんでそんなに起きてるの」
「ちょっと眠れなくて」
「……様子?」
「夜中に、急に悪くなったりしないか、心配で」
手毬は、唇を噛んだ。
(自分の体のことが不安で、眠れないんだ)
「……今日は十時に寝て」
「十時は、さすがに」
「寝て。寝ないと、わたし、レッスンしないから」
《……担当アイドルに就寝時間を管理されている。どっちがプロデューサーなんだろう》
「……わかりました」
◇
「月村さん、今日は甘いもの、いいんですか。最近は頑張っているので多少は...」
駅前の店の前を通りかかったとき、プロデューサーが聞いた。
手毬は、ショーケースのシュークリームをじっと見つめて、ぎゅっと拳を握った。
「……いい。我慢する」
「無理しなくていいですよ」
「無理じゃない。……あんたが、頑張ってるのに。わたしだけ、好きなもの食べてるわけにいかないでしょ」
「?」
「これくらい余裕よ……」
「そうですか、まあ、大会終わったらラーメンでも食べましょう、(大会の)最後くらいいいものおごりますよ」
《体形維持を頑張ってくれるの嬉しいがこの子は反動すごいからな...加減が難しい》
手毬は、くるりと背を向けて、早足で歩き出した。
振り返ったら、泣いてしまいそうだった。
◇
二週間後。
手毬は、プロデューサーにメッセージを送った。
何度も書いては消して、結局、短い言葉だけ送った。
『わたし、あんたにスカウトされたとき、本当は嬉しかった』
『ずっと、ありがとうって言えなかった。ごめん。ありがと』
返信は、すぐに来た。
『こちらこそ。月村さんの担当になれて、よかったです』
手毬は、スマートフォンを抱きしめて、布団の中で丸くなった。
(……言えた。まだ、半年ある。ちゃんと、間に合った)
半年あれば、もっと伝えられる。
もっと、見せてあげられる。手毬は、そう思っていた。
◇
一か月が経った頃だった。
レッスン室に、プロデューサーが少し遅れてやってきた。
「すみません、遅れました。いやあ、次の担当の人と話し込んじゃって」
手毬の手が、止まった。
「……次の、担当」
「はい。すごく話しやすい人で、ひとまず安心しました。...今度はあまり迷惑かけないでくださいよ」
《以前勝手に俺の携帯いじってハッキングされたとかで夜中に呼び出してたからな...》
「まあ、今となってはそれもいい思い出ですが」
プロデューサーは、少しだけ口元を緩めた。
手毬は、手にしていたシュークリームの箱を、握りつぶしそうになった。
「……なんで」
「なんで、ですか?」
「まだ(半年後までは)先でしょ、引継ぎはそれ以降でも...」
「いえ、(スマホが)壊れてしまってからでは遅いじゃないですか」
プロデューサーは、鞄から書類を取り出した。
「来月で、今の契約は解除します。安心してください。月村さんが困らないように、全部引き継いでおくので」
《データやら写真やらは俺のスマホにしかないからな》
まるで、明日の天気の話でもするような口ぶりだった。
手毬の頭が、真っ白になった。
(来月……?)
(半年じゃ、なかったの……?)
「……来月って。半年後じゃ、なかったの」
「半年後、ですか? 私そんなこと言いましたっけ」
「……っ、なんでもない」
手毬は、くるりと背を向けて、レッスン室を飛び出した。
◇
廊下の壁にもたれて、手毬は、ずるずるとしゃがみ込んだ。
(半年あると思ってた)
(でも、プロデューサーは、来月には、わたしの担当じゃなくなる)
(残りの時間は……わたしと、過ごすつもりじゃないんだ)
手毬は、膝を抱えた。
そのとき、廊下の角の向こうから、プロデューサーの声が聞こえてきた。
電話をしているらしい。
「……はい。移すなら、早いほうがいいですよね」
「できれば、最後は日当たりのいい場所で……ええ、ここは日陰なので」
「……はい。来月の頭には。手続きは、僕のほうで進めておきます」
手毬は、両手で口を押さえた。声が漏れないように。
(最後は、日当たりのいい場所で)
(来月の、頭には)
(……わたしの担当をやめて、どこか、静かなところで)
◇
その夜、手毬は、寮のベッドで、天井を見上げていた。
(……わかってる。わかってるよ)
残りの時間を、どう過ごすかは、プロデューサーが決めることだ。
担当アイドルの面倒を見ながら、最後の時間を使い果たすより、日当たりのいい場所で、静かに過ごしたほうがいい。
それに、次の担当の人に、ちゃんと引き継いでくれた。
自分が困らないように。
(笑って、送り出さなきゃ)
(いつまでも、わがまま言ってちゃ、駄目なんだから)
(...最期くらい...明るく見送るんだ)
手毬は、何度も、そう自分に言い聞かせた。
でも、目を閉じるたびに、プロデューサーの声が浮かんだ。
ーやりましたね、手毬さん。今日はご褒美ですよ
ーシュークリームはしばらくお預けです。また勝手に食べましたね
ー私は信じています。プロデューサーですから
手毬は、布団を頭からかぶった。
◇
翌週。レッスン室の隅で、プロデューサーが、小さな観葉植物の鉢の前にしゃがみ込んでいた。
手毬は、その背中を見ていた。
プロデューサーは、黄色くなった葉っぱを、そっと指で撫でた。
「……ここで過ごせるのも、あと少しですね。来月には、もう...」
手毬の中で、何かが、ぷつりと切れた。
「……なんで、そんなこと言うの」
「え?」
「なんで、そんな、平気な顔で言うの」
手毬の声が、震えた。
「月村さん?」
「わたし、頑張ったのに。お弁当も作ったし、甘いものも我慢したし、早く寝ろって毎日言ったし。ちゃんと、ありがとうも言ったのに」
ぽろり、と涙がこぼれた。
一度こぼれたら、止まらなかった。
「半年あると思ってたのに。半年あれば、もっといっぱい、見せてあげられると思ってたのに。なのに、来月で契約解除とか、次の担当とか、日当たりのいい場所とか……全部、一人で決めて」
手毬は、その場にしゃがみ込んだ。
「わかってるよ。あんたが、わたしのために準備してくれてるのも。最後くらい、静かに過ごしたいのも。笑って送り出さなきゃいけないのも。……わかってるけど」
手毬は、顔を上げた。
涙でぐしゃぐしゃの顔だった。
「最期までわたしのそばにいてよ……!」
「月村さん」
「次の担当なんか、いらない。どんなにいい人でも、いらない。わたしのわがまま、全部知ってるのは、あんただけでしょ……!」
手毬は、プロデューサーのスーツの裾を、両手で握りしめた。
「私はあんたがいい。あんたが死んじゃうまで、ずっと、わたしの担当でいてよ……! もう...これ以上わがまま言わないから....」
手毬は、子供のように泣きじゃくった。
プロデューサーは、しばらく、固まっていた。
それから、ゆっくりと、手毬の前にしゃがみ込んだ。
「……月村さん」
「……なに」
プロデューサーは、目をぱちぱちと瞬かせた。
「……僕、死ぬんですか?」
手毬の泣き声が、ぴたりと止まった。
「……は?」
「僕、健康ですけど。この前の健康診断、全部A判定でした」
「……は?」
「どうして、僕が死ぬと思ったんですか」
「保健室で、聞いたもん。あと半年しか持たないって。根本のところが傷んでるって。毎日そばにいたのにって」
プロデューサーは、しばらく黙っていた。
それから、ゆっくりと、観葉植物の鉢を指さした。
「……それ、全部、この子の話です」
手毬の涙が、止まった。
「……は?」
「この観葉植物、最近ずっと葉っぱが黄色くて、元気がなかったんです。保健室の先生が植物に詳しいって聞いたので、相談しに行きました。根っこが腐りかけてるから、このままだと半年も持たないって」
手毬は、ぽかんと口を開けたまま、鉢植えを見つめた。
「……病気との付き合い方の本は」
「植物の根の病気の本です。あくまで私の趣味のため言いませんでしたが...」
「夜中に急に悪くなるかもって、眠れなかったのは」
「この子の様子が心配で、夜中に何度か学園に見に来てました」
「最後は日当たりのいい場所でって電話は」
「学園の温室の管理の人です。ここは日陰だから、来月から温室に移してあげたくて」
「……じゃあ、次の担当は」
「携帯ショップの店員さんです」
「……は?」
「温室を借りるのにお金がかかるので、携帯を格安SIMに乗り換えることにしたんです。来月で、今の携帯の契約を解除します」
「はぁ……!?」
「月村さんとのメッセージの履歴を、新しい携帯にちゃんと移せるか相談してたんです。店員さんに『大事なやり取りなんですか』って聞かれたので、甘いものの話とか、朝起きられないって話とか、いっぱい残ってるのでって」
「月村さんが困らないように、全部引き継ぐって……!」
「番号が変わっても、月村さんとの連絡が途切れないようにしたかったので」
手毬の顔が、みるみる真っ赤になっていった。
涙の跡が残ったまま、耳の先まで、首の付け根まで、真っ赤になった。
「~~~っ!!」
手毬は、プロデューサーの胸を、両手でぽかぽかと叩いた。
「ば、馬鹿! 紛らわしいのよ! 全部! 一個残らず!」
「すみません」
「なんで携帯の店員に、わたしの話してるの!」
「履歴が、月村さんの話ばっかりだったので」
「主語! 主語言ってよ! 植物なら植物、携帯なら携帯って!」
「言ってなかったですか」
「言ってない! 一回も!」
手毬は、膝に顔をうずめた。
しばらくして、くぐもった声が聞こえてきた。
「……わたし、さっき、すごく恥ずかしいこと言った」
「最後まで、あんたがいい、のところですか」
「言わなくていいから……!」
プロデューサーは、少しだけ考えてから、静かに言った。
「でも、嬉しかったです」
手毬の肩が、ぴくりと動いた。
「次の担当なんかいらない、わがままを全部知ってるのは僕だけだ、って言ってもらえて。……僕も、月村さんの担当は、他の人に譲りたくないので」
手毬は、ゆっくりと顔を上げた。
プロデューサーは、少しだけ照れくさそうに、でも、まっすぐに手毬を見ていた。
「最期まで、僕でよければ。月村さんのわがまま、全部聞きます」
手毬は、何も言えなかった。
それから、ぷいと顔を背けた。
耳が、さっきよりも赤かった。
「……当たり前でしょ。あんた以外、誰がわたしのわがまま聞くのよ」
◇
翌月。
学園の温室の、一番日当たりのいい棚に、小さな鉢植えが置かれていた。
黄色くなった葉っぱの間から、小さな新芽が、ひとつ顔を出していた。
手毬は、しゃがみ込んで、その新芽をじっと見つめた。
「……生きてる」
「はい。治ってきてるみたいです」
隣で、プロデューサーが新しい携帯を取り出し、慎重に写真を撮っていた。
その横顔を、手毬はちらりと見た。
「……ねえ」
「はい?」
「そっちじゃなくて、こっち向いて」
「え?」
「写真。植物ばっかり撮ってないで、わたしも撮って」
プロデューサーは一瞬きょとんとしてから、笑った。
「月村さんも一緒に撮りますか?」
「……最初からそう言ってるんだけど」
手毬は彼の隣に座り直した。
肩が触れる。
それでも彼が何も言わないので、手毬はわざと少しだけ身体を寄せた。
今度は、肩だけでなく、腕までぴったりとくっついた。
「……近くないですか?」
「嫌なの?」
「いえ、そんなことは」
「じゃあ、このまま」
手毬は満足そうに、新芽へと視線を戻した。
プロデューサーが携帯を構える。
「撮りますよ」
「待って」
「はい?」
「……もうちょっと、こっち」
手毬は彼の袖をつまみ、自分のほうへ引き寄せた。
「これでいい」
「植物の写真ですよね?」
「……わたしも写るんだから、いいの」
シャッター音が、小さく温室に響いた。
撮れた写真を確認しようと、手毬は彼の手元を覗き込む。
そこには、新芽と、鉢植えと、少しだけ不機嫌そうな顔をした手毬が写っていた。
そして、その隣には、彼の肩に寄りかかる自分の姿。
「……消さないでね」
「もちろんです。大事に保存しておきます」
「……絶対?」
「絶対です」
手毬は、彼の袖をつまんでいた指に、少しだけ力を込めた。
「……あと、連絡先」
「交換しましたよね?」
「したけど」
「何か問題が?」
「……ないけど。ちゃんと、わたしからの連絡に返事して」
「もちろんです」
「忙しくても?」
「可能な限り、きちんと返します」
「……可能な限りじゃなくて」
手毬は彼の顔を覗き込んだ。
「わたしが不安にならないように、して」
その声は、いつもの強気な調子より、ほんの少しだけ小さかった。
プロデューサーは、からかったりせず、まっすぐ彼女を見た。
「わかりました。返事が遅くなりそうなときは、先に伝えますね」
「……うん」
手毬はようやく安心したように、彼の肩へ頭を預けた。
「……それなら、許してあげる」
「ありがとうございます」
「あと、朝練に来たら、最初にわたしのところに来ること」
「はい」
「帰るときも、わたしに声をかけること」
「はい」
「……休みの日も、たまには会うこと」
「それは、お互いの予定を確認してからですね」
「……む」
手毬の頬が、わずかに膨らんだ。
「……わたしより予定を優先するの?」
「そういう意味ではありませんよ」
「じゃあ、会ってくれる?」
「もちろんです」
「……約束?」
「約束です」
手毬はようやく笑った。
そして、彼の小指に、自分の小指をそっと絡めた。
「……破ったら、許さないから」
「気をつけます」
「……ずっと、守ってね」
「はい」
その返事を聞いてから、手毬はようやく新芽へと目を戻した。
「……あの植物。入学したとき、わたしがレッスン室に置いたやつ」
プロデューサーは、少しだけ目を丸くした。
「月村さんが、置いたんですか?」
「……そう。殺風景だったから。誰も、気にしてないと思ってた」
「僕、ずっと水をあげてました。月村さんが置いたものだって、知らなかったですけど」
「……そっか」
手毬は新芽を見つめたまま、彼の手を探した。
指先が触れる。
彼が自然に握り返してくれると、手毬はその手を両手で包み込んだ。
「……じゃあ、ずっと一緒に育ててたんだ」
「そうですね」
「……知らなかったのに?」
「知らなくても、大切にしたかったので」
手毬の指が、ぴたりと止まった。
「……そういうこと、簡単に言わないで」
「え?」
「……もっと、好きになるでしょ」
言ってから、手毬は自分の口元を手で隠した。
耳まで赤くなっている。
「……今の、聞かなかったことにして」
「すみません。もう一度聞いてもいいですか?」
「だめ!」
手毬は勢いよく顔を上げた。
けれど、彼が楽しそうに笑っているのを見ると、怒ることもできなかった。
「……ばか」
そう言いながら、彼の手を握る指は、さっきよりもずっと強くなっていた。
「……治ったら、またレッスン室に戻してよ」
「はい。約束します」
「……そのときも、水やりはあんたがすること」
「わかりました」
「わたしがいないときも」
「もちろんです」
「……わたしが見てないときも、ちゃんと」
「はい」
手毬は、少し考えてから付け加えた。
「……でも、わたしがいるときは、一緒にやる」
「いいですね」
「……毎日」
「毎日ですか?」
「……何か問題でも?」
「いえ。喜んで」
手毬は満足そうに頷いた。
植物の世話をする理由が、またひとつ増えた。
それだけではない。
彼と一緒にいられる理由が、ひとつ増えたのだ。
「……それと」
「はい」
「帰りに、駅前のシュークリーム。あんたのおごりで、二つ」
「甘いもの、我慢するんじゃなかったんですか?」
「もう、我慢する理由ないでしょ」
手毬は、少しだけ笑った。
「……一つは、あんたの分」
「ありがとうございます」
「……もう一つは、わたしの」
「はい」
「……半分、食べさせてあげる」
「えっ?」
「何、その顔」
「いえ、月村さんがそんなことを言うとは思わなくて」
「……嫌なら、全部わたしが食べるけど」
「ぜひ、お願いします」
「……最初からそう言えばいいのに」
手毬は立ち上がり、彼の手を握ったまま歩き出そうとした。
けれど、プロデューサーが鉢植えを確認するために少しだけ足を止めると、手毬もぴたりと止まった。
「……何してるの?」
「鉢植えが倒れないか、確認を」
「……それ、あとでよくない?」
「すぐ終わりますから」
「……む」
手毬は彼の手を両手で包み直した。
「……早く」
「はい」
「……早く終わらせて、わたしの隣に来て」
その声には、さっきまでの意地悪な響きがなかった。
ただ、少しだけ甘えていた。
プロデューサーが立ち上がると、手毬はすぐに彼の腕へ自分の腕を絡めた。
「……遅い」
「お待たせしました」
「……うん」
彼女は、彼の肩に頬を寄せた。
「……ねえ」
「はい?」
「今日、帰ったらメッセージして」
「わかりました」
「家に着いたときも」
「はい」
「……寝る前も」
「はい」
「……明日の朝も」
「もちろんです」
手毬はしばらく黙っていた。
それから、彼の腕に額をこつんと当てた。
「……毎日、こうやって確認したい」
「何をですか?」
「……あんたが、ちゃんとここにいるってこと」
彼女は顔を上げなかった。
「……わたしのこと、忘れてないってこと」
絡めた腕に、ぎゅっと力がこもる。
「……面倒くさい?」
プロデューサーは、彼女の歩幅に合わせて、ゆっくりと歩き始めた。
「いいえ。月村さんが安心できるように、ちゃんと話します」
手毬は、ようやく顔を上げた。
「……なら、いい」
少し間を置いてから、彼女は小さく付け足した。
「……でも、安心してても、会いたいから」
「はい?」
「……何回でも、会いたいの」
言い切ったあと、手毬は彼の腕に顔を隠した。
「……もう、この話終わり!」
「わかりました」
「……笑ったら怒る」
「笑っていませんよ」
「……嘘。絶対笑ってる」
そんなやり取りをしながら、二人は温室を出た。
手毬は最後まで、彼の腕を離さなかった。
まるで、少しでも離れたら、今までの時間が夢になってしまうとでも思っているように。
けれど、もう一度だけ振り返った温室では、小さな新芽が、確かに陽の光を受けていた。
手毬はその姿を見て、そっと微笑んだ。
「……ねえ、プロデューサー」
「はい」
「……あの新芽が大きくなっても、枯れないようにしてね」
「はい。大切に育てます」
「……わたしのことも」
彼女は、絡めた腕にもう一度ぎゅっと力を込めた。
「……ずっと、大切にして」
「もちろんです」
「……絶対?」
「絶対です」
手毬は、今度こそ満足そうに笑った。
「……じゃあ、約束」
そして、彼の手を握り直し、誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いた。
「……最期まで、一緒にいてね」
「はい。これからも、よろしくお願いします」
「……うん」
手毬は彼の肩に頬を寄せた。
「……シュークリーム、冷めないうちに食べようね」
「シュークリームは冷めるものでしたっけ?」
「……うるさい」
彼女は少しだけ顔を上げ、彼の袖をつまんだ。
「……でも、ゆっくり食べるから」
「はい?」
「……あんたと一緒にいられる時間、長くしたいし」
プロデューサーは、今度こそ何も言わずに微笑んだ。
手毬も、それ以上は何も言わなかった。
ただ、彼の腕に頬を寄せたまま、指を絡めていた。
まるで、これから先の約束を、ひとつ残らず逃がさないように。
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