プロデューサーが死ぬと勘違いして死ぬほど依存度が上がる話 作:マロンex
ことねは、なんとなく足を止めた。
「……はい。……やっぱり、そうですか」
プロデューサーの声は、いつもより低かった。
ちょうどそのとき、反対側のホームに、快速電車が滑り込んできた。
ゴォォォ、と轟音が響く。
「……中のほうが、もう……ぼろぼろ……」
ガタン、ガタン。
「……無理をさせて……ずっと……」
ことねは、思わず一歩近づいた。
「……持って、半年ですか」
電車が、ゆっくりと止まった。一瞬だけ、ホームが静かになった。
「……そうですか...わかりました」
プロデューサーは、少しだけ空を見上げた。
「……やれることは、やっておきます」
ドアが開いて、乗客がどっと降りてきた。
人波の向こうで、プロデューサーが電話を切るのが見えた。
ことねは、柱の陰に隠れたまま、動けなかった。
(……中のほうが、ぼろぼろ?)
(持って、半年?)
ことねは、自分の胸元を、ぎゅっと押さえた。
心臓の音が、うるさかった。
◇
翌日。
ことねは、リサイクルショップの前で、またプロデューサーを見つけた。
プロデューサーは、段ボール箱を抱えて、カウンターに置いていた。
中には、ゲーム機と、たくさんの本が入っていた。
「全部で、いくらになりますか」
「このゲーム機、ほとんど使ってないですね。いいんですか? 売っちゃって」
「はい。もう、使う時間もないと思うので」
ことねは、電柱の陰で、唇を噛んだ。
(身辺整理……だよね)
◇
その日の放課後。
ことねは、レッスン室でプロデューサーを待ち構えていた。
何も知らないふりをして。
「プロデューサー! 今日のお昼、何食べました!」
「もやし炒めです」
「もやしだけ!?」
「はい。今は、少しでもお金を貯めておきたいので」
「へ、へえ...お金を……なんでまた急に」
「ちょっと、まとまったお金が必要になりそうで。(時計屋に)ダメもとでお願いしようかなって」
「治りそうなんです...?」
プロデューサーは、少しだけ困ったように笑った。
「...いえ、可能性は低そうです...ちょっと(時計が壊れてるのに)気が付くのが遅かったですね。...でも、少しでも悪あがきはしようかなと」
ことねは、何も言えなかった。
◇
その夜、ことねは自分の部屋で、貯金箱を前に正座していた。
ずっと貯めてきたお金だった。
アイドルになって、家族に楽をさせるために。
一円だって、無駄にしたことはなかった。
ことねは、貯金箱を、ぎゅっと抱きしめた。
それから、底の蓋を、ゆっくりと開けた。
◇
「プロデューサー! 今日、放課後空いてますよね!」
「ええ、空いてますけど」
「じゃあ、ご飯行きましょ! わたしのおごりで!」
プロデューサーは、目を丸くした。
「ことねさんが、おごり……ですか」
「なんですか、その顔」
「いえ。ことねさんが人におごるのは、初めて見たので」
「今回は特別なんです! 」
「特別...」
《俺の誕生日まだ、1か月以上後だけど...そういうことかな?》
ことねが連れていったのは、駅前のちょっといい洋食屋だった。
「さっ、好きなもの、頼んでください」
「...ことねさん、ここって結構いい値段するのですが...本当に大丈夫ですか?」
「だぁかぁらぁ! 今日は特別な日なんですよ! ほら、プロデューサー、ハンバーグ好きって言ってたじゃないですか!」
「...うーん、少し気が引けますが...無碍にはできませんね」
「よっしゃ! 店員さん!このハンバーグ定食を2つ!」
ハンバーグが運ばれてくると、プロデューサーは、一口食べて、ゆっくりと目を閉じた。
「……おいしいです。こんなにおいしいもの、久しぶりに食べました。もう(しばらくは)食べられないと思ってたので...」
《しばらくは、もやし生活の予定だったから。本当にありがたい》
ことねは、自分のスプーンを握りしめた。
(そんな寂しいこと...言わないでよ)
◇
それから、ことねは毎週、プロデューサーを連れ回した。
映画にも行った。
遊園地にも行った。
観覧車のてっぺんで、夕焼けを見た。
「……プロデューサー。楽しいですか」
「はい。すごく」
《遊園地なんて久々だな、...それにしてもチケット初星学園特典で無料のことよく知ってたな》
※そんなこと知らないことねは自腹で入っています。
「ふふっ...それはよかったです」
ことねは、窓ガラスに映る自分の顔が、泣きそうになっているのに気づいて、慌てて笑顔を作った。
「プロデューサーには、楽しいこと、いっぱいしてほしいんですよ。……いっぱいお礼したいんですよ」
半年ある。
年あれば、まだまだ、いろんなところに連れていける。
ことねは、そう思っていた。
◇
三か月が経った頃だった。
レッスン室で、プロデューサーが、ことねに一枚の紙を見せた。
「あ、ことねさん。ちょうどよかった。実は、(社用のスマホ)契約を解除しようと思ってるんです。それでその間だけちょっと連絡が」
「……え? 契約解除...?」
「え? ええ...ことねさんとのやりとりしてるときに不具合が出るようになってちょっと見てもらったんですよね。そしたら、もう、長くは持たないと」
《通話もメッセージも、なぜかうまく受信できないんだよな》
ことねの手から、ペンが滑り落ちた。
(わたしとの、やりとりが、増えて……)
(もう、持たない……?)
「無理をさせすぎてました。もっと余裕のあるところに、替えようと思って」
プロデューサーは、紙をめくりながら、申し訳なさそうに頭を掻いた。
「手続きは、来月で全部済ませます。急で、すみません」
ことねの頭が、真っ白になった。
(無理を、させすぎた……)
(わたしが、毎週連れ回して。ハンバーグも、映画も、遊園地も、観覧車も……)
(半年しかないプロデューサーの体力を、わたしが、すり減らしてたんだ)
(だから……これ以上、わたしに寿命を削られないように、契約を……)
「ご、ごめんなさい!」
ことねは、その場で深々と頭を下げた。
「わたしのせいです! わたしが、無理させたから!」
「え? いやいや、ことねさんのせいじゃないですよ」
プロデューサーは、慌てて手を振った。
「僕の使い方が悪かったんです。ことねさんは、何も悪くないです」
(……僕の、使い方……)
(自分の寿命の使い方が、悪かった……って)
ことねは、唇を噛んで、顔を上げた。
「……わかりました。プロデューサーが、そう決めたなら」
営業スマイルだった。
《……あれ? すごく無理して笑ってる気がする》
◇
その夜、ことねは、布団の中で、天井を見上げていた。
(わたしのせいだ)
(楽しくて、嬉しくて、浮かれて、自己満足でプロデューサーを連れ回して。あの人は、断らないから、全部付き合ってくれて)
(……だから、わたしとの契約を切るのは、あの人なりの優しさなんだ)
ことねは、何度も、そう自分に言い聞かせた。
でも、そのたびに、ハンバーグを食べて目を閉じたプロデューサーの顔が浮かんだ。
ことねは、枕に顔を押しつけた。
◇
その夜、ことねは、布団の中で、天井を見上げていた。
(...これはわたしのせい)
(わたしが、お金使いまくったから。プロデューサー、気を遣って)
(……受け入れなきゃ...これ以上はもう...)
プロデューサーが決めたことだ。
残りの時間を、誰に気兼ねすることもなく、静かに過ごしたいのかもしれない。
担当の人も、ちゃんと選んでくれた。
(笑って、ありがとうございましたって、言わなきゃ)
ことねは、何度も、そう自分に言い聞かせた。
でも、そのたびに、ハンバーグを食べて目を閉じたプロデューサーの顔が浮かんだ。
ことねは、枕に顔を押しつけた。
◇
契約解除の、三日前。
その日のレッスン終わり。
プロデューサーは、スマートフォンの画面を見つめて、小さくため息をついていた。
「……どうしたんですか」
「いえ。さっき、また連絡があって」
プロデューサーは、少しだけ困ったように笑った。
「今のままだと、やっぱり半年が限界だそうです。でも、ちゃんと手を尽くせば、まだ長く持たせられるかもしれないって」
「……長く、持たせられる?」
「はい。ただ、思ったより、お金がかかるみたいで」
プロデューサーは、もう一度、画面に目を落とした。
「今の僕の貯金だと、少し足りないんです。少し寂しいですが、お別れかもしれませんね」
悲しそうに時計を眺めるプロデューサー。
それはまるで、自分の最後の時間を名残惜しそうに見ているようだった。
ことねの中で、何かが弾けた。
「……あと、いくらですか」
「え?」
「あと、いくらあれば、持つんですか」
ことねは、プロデューサーの袖を、ぎゅっと掴んだ。
「いくらあれば、長く持つんですか。教えてください」
「ことねさん?」
「わたし、払います。貯金はもう、ほとんどないですけど……でも、バイトします。いくらでも、します」
ことねの声が、震え始めた。
「コンビニも、ファミレスも、朝の新聞配達も、全部掛け持ちします。夜も、休みの日も。だから」
「ことねさん、ちょっと待ってください」
プロデューサーは、心底困った顔をした。
「そんなにバイトしたら、アイドル活動に支障が出ますよ。...それにこれは私の問題で...」
《……なぜ、急にバイトの話に?》
「支障なんて、どうでもいいんですよ!!」
ことねの叫び声が、レッスン室に響いた。
ぽろり、と涙がこぼれた。
一度こぼれたら、止まらなかった。
「プロデューサーが死んじゃったら、アイドル続けるなんて、できるわけないじゃないですか……!」
ことねは、プロデューサーの袖を握りしめたまま、その場にしゃがみ込んだ。
「わたしがアイドルやってるのは、家族のためで、お金のためで……でも、今は、プロデューサーに見てほしいからなんですよ……!」
「…………」
「次のところが安いとか、負担が減るとか、わたしが安心するとか……そんなの、どうでもいいんです……!」
ことねは、顔を上げた。
涙でぐしゃぐしゃの顔だった。
「安いとか高いとか、どうでもいいんです! プロデューサーじゃなきゃ、意味ないんですよ……!」
ことねは、袖を握る手に、力を込めた。
「わたし、損するのが一番嫌いなんです。でも、プロデューサーのためなら、いくら損してもいい。……だから、最期まで、プロデューサーがいいんです。次の人なんか、いらないんです……!」
ことねは、声を上げて泣いた。
プロデューサーは、しばらく、固まっていた。
それから、ゆっくりと、ことねの前にしゃがみ込んだ。
「……ことねさん」
「……なんですか」
プロデューサーは、目をぱちぱちと瞬かせた。
「……僕、死ぬんですか?」
ことねの泣き声が、ぴたりと止まった。
「……え?」
「僕、健康ですけど。むしろ最近はことねさんに色々してもらって調子いいですよ」
「……え、え?」
「どうして、僕が死ぬと思ったんですか」
「だ、だって……駅のホームで、電話してるの、聞いちゃったんです。中がぼろぼろで、ずっと無理してて、持って半年だって。止まったら、もう元には戻らないって」
プロデューサーは、しばらく考え込んだ。
それから、ああ、という顔をして、スーツの袖をまくった。
左手首に、古い腕時計が巻かれていた。
「……それ、時計屋さんとの電話です。この時計の話です」
ことねの涙が、止まった。
「……は?」
「祖父の形見なんです。修理に出したら、電話で見積もりの連絡が来て。『中のほうがもうぼろぼろで、何十年も無理をさせて動かしてきたみたいですね。このままだと、持って半年です』って」
「……」
「『止まったら、部品がもう手に入らないかもしれないから、元には戻らないかもしれない』って」
ことねは、ぽかんと口を開けた。
「……電車の音で、ところどころ、聞こえなくて」
「快速、通過してましたね」
「肝心なとこ、全部聞こえてなかったんですけど!?」
ことねは、震える指で、プロデューサーの手首を指さした。
「身辺整理は」
「修理代が高かったので、ゲーム機とか本を売りました」
「もやし生活は」
「....それも修理代を貯めるためです」
「……じゃ、じゃあ、契約解除ってなんですか!急にあたらしい担当なんて聞いてないです!」
「携帯の会社です」
「……は?」
「修理代を少しでも浮かせたくて、携帯を格安SIMに乗り換えることにしたんです。次の担当の方っていうのは、携帯ショップの店員さんです」
「は、はぁ……!?」
「ことねさん、前に僕の携帯代を見て『高すぎます、信じられない』って怒ってたので。安くしたら、安心してくれるかなって」
「来月で、今の契約を解除するって……!」
「ですので...その、携帯の契約です」
ことねの顔が、みるみる真っ赤になっていった。
「わ、わたし、時計の修理代のために、新聞配達まで掛け持ちしようとしてたんですか……!?」
「僕も、何の話かわからなくて。ことねさんが急にバイトの話を始めたので」
「わかんないなら、もっと早く聞き返してくださいよ!」
「アイドル活動に支障が出ますよ、とは言いました」
「そこじゃないんです!!」
ことねは、プロデューサーの肩を、両手でばしばしと叩いた。
「紛らわしいんですよ! 全部! 電話で『中がぼろぼろ』とか! リサイクルショップで『もう使う時間もない』とか! 『次の担当』とか『契約解除』とか!」
「すみません」
「主語! 主語を言ってくださいよ! 携帯なら携帯、時計なら時計って!」
「...本当にすみません」
ことねは、膝に顔をうずめた。
しばらくして、くぐもった声が聞こえてきた。
「……大損ですよ。人生最大の、大損」
「すみません」
「半年分の貯金、全部ですよ。もやし何年分だと思ってるんですか」
「すみません」
プロデューサーは、少しだけ考えてから、静かに言った。
「でも、ハンバーグ、本当においしかったです。遊園地も、楽しかったです」
ことねの肩が、ぴくりと動いた。
「それに、ことねさんが、安いとか高いとかどうでもいい、僕じゃなきゃ意味ないって言ってくれたの」
プロデューサーは、少しだけ照れくさそうに続けた。
「損するのが一番嫌いなことねさんが、僕のためならいくら損してもいいって。……すごく、嬉しかったです」
ことねは、ゆっくりと顔を上げた。
真っ赤な目で、プロデューサーを睨んだ。
「……損したけど」
「はい」
「損じゃなかった、かも」
プロデューサーは、少しだけ笑った。
それから、まっすぐにことねを見た。
「最期まで、僕でよければ。ことねさんの担当は、誰にも譲りません。値段がいくらでも」
ことねは、ぷいと顔を背けた。
耳まで、真っ赤だった。
「……当たり前です。わたし、プロデューサーに、もうだいぶ投資しちゃったんですから。回収するまで、どこにも行かせませんよ」
「回収、ですか」
「最期まで、ちゃんと元取らせてもらいますから」
《……利息はいくらなんだろう》
それから、少しだけ黙ってから、小さな声で聞いた。
「……で、あといくら足りないんですか」
「ことねさん、ですのでそれは時計のことで...」
「半分、出します。バイトは、一個だけ増やします。……アイドル活動に支障が出ない範囲で」
プロデューサーは、目を丸くした。
それから、少しだけ笑った。
「大丈夫です。携帯代が安くなったので、自分でなんとかなります」
「……ほんとですか」
「はい。その代わり、今日の夕方、スーパーの半額セールに付き合ってもらえますか。僕の奢りで、唐揚げ弁当」
「……三つ」
「三つですか」
「一つは、弟たちの分です。一つは、わたしの分。……一つは、プロデューサーの分」
ことねは、ようやく、いつもの営業スマイルじゃない顔で笑った。
プロデューサーの手首で、古い時計が、規則正しく時を刻んでいた。
あと何十年も、動き続けるはずの時計だった。
―あの事件(?)から、一か月。
時計のオーバーホールは、無事に終わった。
そして、なぜかプロデューサーの生活にも、定期的なオーバーホールが導入されていた。
「プロデューサー、今週の家計簿を出してください」
「はい……」
「はい、じゃありません。こっちに座ってください」
事務所の休憩スペース。
ことねは、いつの間にか持参していた電卓とノートをテーブルに並べ、隣の席をぽんぽんと叩いた。
「……隣ですか?」
「そうです。数字を見るときは、本人の顔も見たほうがいいので」
「家計簿と顔に、何か関係が?」
「あります。嘘をついていたら、すぐわかるじゃないですか」
「つ、ついてませんよ」
「じゃあ、早く座ってください」
逃げ道はなかった。
プロデューサーが隣に腰を下ろすと、ことねは満足そうにうなずいた。
肩が触れそうな距離。
いや、実際には、ノートを覗き込むたびに彼女の肩が軽く触れていた。
「……今週の食費、もやしの割合が多すぎます」
「安いので」
「安ければいいってものじゃありません! 野菜も、お肉も、ちゃんと食べてください!」
「でも、食費を抑えれば、その分を貯金に……」
「貯金より先に、プロデューサーの健康優先です!病院にお世話になったら本末転倒です」
「私はそんなにやわじゃないですよ」
「だめです、これは決定事項です」
ことねは頬を膨らませた。
その顔があまりにも真剣だったので、プロデューサーは思わず笑ってしまった。
「……何がおかしいんですか?」
「いえ。ことねさんが、こんなに心配してくれるとは思わなくて」
「っ……!」
電卓を叩いていた指が止まる。
「べ、別に! わたしは合理的な判断をしているだけです!」
「合理的、ですか」
「そうです。プロデューサーが倒れたら、仕事が止まります。仕事が止まったら、わたしにも影響が出ます。だから、食生活を改善するのは当然です!」
「なるほど」
「……それに」
ことねは、ノートに視線を落とした。
「……わたしがいないところで、また一人で無理されたら困りますし」
最後の言葉は、小さくて、少しだけ震えていた。
プロデューサーが彼女を見ると、ことねは慌てて電卓を叩き始めた。
「つ、次! 携帯電話の料金です! 今の格安SIMは悪くありません。わたしが三社比較して、通信品質と料金を確認したので、継続で問題ないです!」
「わざわざ、ありがとうございます」
「当然です。プロデューサーには、もう、だいぶ投資しちゃったんですから」
「投資、ですか」
「そうです。時間も、お金も、手間も。ぜーんぶです。すっからかんになった貯金まだ根に持ってますからね」
ことねは、ちらりとこちらを見た。
「だから、回収するまでは、勝手に倒れたり、無茶したり、生活を投げ出したりしないでください」
「……回収って、何をするつもりなんですか?」
「そ、それは……」
ことねの頬が、じわじわと赤くなる。
「……わたしが安心できるくらい、ちゃんと元気でいてもらうんです」
「それなら、もう十分に回収できている気がしますけど」
「全然足りません!」
即答だった。
「まだまだです! 全然、足りてませんから!」
「そ、そうですか」
「そうです!」
ことねは勢いよくノートを閉じた。
それから、何かを決意したように、プロデューサーのほうへ身体を向ける。
「おほん……ここで、家計簿管理について変更をお伝えします」
「変更?」
「はい。今までは、わたしが毎週チェックするだけでしたけど……これからは、毎日の食事も報告してください」
「毎日ですか!?」
「朝、昼、晩。写真でもいいです。ちゃんと食べているか、確認します」
「それは、さすがに大変じゃ……」
「わたしは大変じゃありません」
「でも、ことねさんにもお仕事が……」
「仕事の合間に見ます」
「忙しいでしょう?」
「見ます」
「……ことねさん?」
「見たいんです」
ぴたり、と。
部屋の空気が止まった。
ことねは、自分の言葉に気づいたように目を見開いた。そ
れから、顔を真っ赤にして俯く。
「……ち、違っ! いえ、違わないですけど! そういう意味じゃなくて! いや、そういう意味も、少しは……!」
「ことねさん」
「なんですか!」
「ありがとうございます」
プロデューサーが微笑むと、ことねは口を閉じた。
「心配してくれて、嬉しいです」
「…………」
「でも、ことねさんが無理をするのも、僕は心配ですよ」
今度は、ことねが固まる番だった。
「……わたし、は」
彼女は膝の上で、ぎゅっと手を握った。
「わたしは、別に……無理なんか」
「毎日報告を受けて、家計簿を確認して、食生活まで管理するんでしょう? 大変じゃないですか」
「……大変じゃないです」
「本当に?」
「……本当に、です」
少しの沈黙。
やがて、ことねはそっとプロデューサーの袖をつまんだ。
「……だって」
「はい」
「プロデューサーが、ちゃんとご飯を食べたってわかれば、安心できるんです」
袖をつまむ指に、ほんの少し力がこもる。
「ちゃんと眠って、ちゃんとお金を使って、困ったことがあったら相談してくれて……そういうのがわかれば、わたし、安心できるんです」
「……はい」
「なのに、何も言わずに一人で抱え込まれたら……わたし、また、あのときみたいに……」
そこで、ことねは言葉を切った。
あのときの、青ざめた顔。
時計を直すために、食費まで削っていたと知ったときの、胸がぎゅっと締めつけられるような気持ち。
あんな思いは、もうしたくなかった。
「……だから、相談してください」
ことねは、顔を上げた。
「大きな出費も、困ったことも、体調が悪いときも。なんでもです」
「はい」
「わたしに言ってください」
「……はい」
「一人でなんとかしようとしないでください。わたしだって……」
声が、かすかに細くなる。
「……わたしだって、プロデューサーのこと、もっと頼りたいんですから」
「ことねさんが、僕を?」
「そうです!」
恥ずかしさを振り切るように、ことねは声を張った。
「わたしばっかり心配して、わたしばっかりお世話して、わたしばっかり気にかけて……私の好きなプロ...」
言ってから、ことねは両手で口を覆った。
「…………あ」
プロデューサーは、しばらく彼女を見つめていた。
「……好き?」
「ち、違います! 今のは、そういう意味というか、そういう意味じゃないというか……!」
「僕のことを?」
「質問しないでくださいっ!」
ことねは真っ赤な顔で、プロデューサーの肩をぽかぽかと叩いた。
けれど、その手はすぐに止まった。
代わりに、彼の袖をもう一度つまむ。
「……とにかく」
「はい」
「これからは、二人で管理します」
「家計簿を?」
「家計簿も、です」
ことねは、そっと隣に座り直した。
肩と肩が、今度ははっきり触れ合う。
「お金のことも、生活のことも。困ったときは二人で考えて、嬉しいことがあったら二人で喜んで……そういうふうにしたいんです」
「……いいですね」
「……本当ですか?」
「はい。僕も、ことねさんに頼ってもいいなら、そうしたいです」
ことねは、ぱちぱちと瞬きをした。
それから、ゆっくりと微笑んだ。
「……じゃあ、約束です」
彼女は小指を差し出した。
「これからは、勝手に無理をしないこと。何かあったら、ちゃんと相談すること。あと、食事を抜かないこと」
「最後だけ、やけに具体的ですね」
「重要事項ですから」
プロデューサーが小指を絡めると、ことねは嬉しそうに笑った。
「……よし。契約成立です」
「契約なんですね」
「当然です。わたし、こういうところはきっちりしてるので」
そう言いながらも、ことねは指を離そうとしなかった。
「……ことねさん?」
「……もう少しだけ」
「はい?」
「……もう少しだけ、このままでいいですか?」
小さな声だった。
プロデューサーは、彼女の手を握り返した。
「もちろんです」
「…………」
ことねは俯いたまま、そっと肩を寄せた。
「……あの、プロデューサー」
「はい」
「明日のお昼、一緒に食べませんか?」
「いいですよ」
「明後日も」
「予定が合えば」
「その次の日も」
「……毎日ですか?」
「だ、だって! 食生活の管理には、継続的な観察が必要なんです!」
「なるほど」
「それに……一緒に食べたほうが、おいしいじゃないですか」
最後の一言だけは、言い訳ではなかった。
「……そうですね」
プロデューサーが頷くと、ことねは、ほっとしたように笑った。
「じゃあ、決まりです。お昼はわたしに連絡してください。わたしも、できるだけ時間を合わせますから」
「ありがとうございます」
「……あと」
「はい?」
ことねは、彼の手を握ったまま、少しだけ顔を近づけた。
「夜も、ちゃんと連絡してくださいね」
「夜もですか?」
「はい。帰ったら、帰宅報告。ご飯を食べたら、食事報告。寝る前には……」
そこで、ことねは言葉に詰まった。
「……寝る前には?」
「……おやすみ、って」
「それだけでいいんですか?」
「そ、それだけでいいです!」
ことねは慌てて答えた。
けれど、少し考えてから、小さな声で付け加える。
「……できれば、わたしにも言ってほしいです」
「わかりました。毎晩、おやすみって連絡します」
「……絶対ですよ?」
「絶対です」
「……忘れたら、家計簿の監査を三倍厳しくしますからね」
「それは怖いですね」
二人で笑う。
ことねは、ようやく手を離すと、満足そうに家計簿を開いた。
「では、今週の予算を決めましょう。食費は少し増やします。あと、来週は一緒にスーパーへ行きます」
「一緒に?」
「はい。プロデューサーが何を買っているか、実地調査が必要なので」
「それは監査の一環ですか?」
「……半分は」
「もう半分は?」
ことねは、電卓を叩くふりをして、顔を隠した。
「……一緒にお買い物したいだけです」
「じゃあ、楽しみにしています」
「……っ」
ことねの耳まで赤くなる。
「……そういうこと、さらっと言うの、ずるいです」
「すみません」
「謝らないでください。……嬉しいんですから」
彼女は、今度こそ家計簿を閉じた。
そして、プロデューサーの手首に目を向ける。
そこには、オーバーホールを終えた古い時計があった。
規則正しい秒針の音。
ことねはその音を聞きながら、彼の手首にそっと触れた。
「……ちゃんと動いてますね」
「はい。おかげさまで」
「……よかった」
その声は、いつもの強気な調子とは違っていた。
「これからも、ずっと動いていてくださいね」
「時計が、ですか?」
「……プロデューサーも、です」
ことねは、彼の手首から指を離さなかった。
「時計は、また壊れたら修理できます。でも、プロデューサーが無理をして倒れたら……わたし、嫌ですから」
「……はい」
「だから、これからはわたしにも心配させてください。頼ってください。……わたしのことも、ちゃんと頼ってほしいんです」
「わかりました」
「……本当に?」
「本当です」
ことねは、ようやく安心したように微笑んだ。
それから、彼の袖をつまみ直す。
「……じゃあ、今日はもう少しだけ、一緒にいてください」
「仕事はいいんですか?」
「もう終わりました」
「家計簿の確認も?」
「終わりました」
「それなら、どうして?」
ことねは、少しだけ唇を尖らせた。
「……まだ、帰りたくないんです」
「ここ、事務所ですよ?」
「わかってます!」
ことねは恨めしそうに睨んだあと、ふっと笑った。
「……もう。そういうところ、ほんとに鈍いんですから」
彼女は、隣に座ったまま、肩を寄せる。
「……あと五分だけです」
「はい」
「五分経ったら、もう五分です」
「延長制なんですね」
「当然です。わたし、まだ投資を回収している途中なので」
「いつ回収が終わるんですか?」
ことねは少し考えた。
そして、いたずらっぽく笑った。
「……さあ? わたしが満足するまで、じゃないですか?」
その答えに、プロデューサーは苦笑した。
ことねは、彼の手を握り直す。
「……覚悟してくださいね、プロデューサー」
「何の覚悟ですか?」
「これからは、わたしが毎日、あなたのことを気にかけます。ご飯も、睡眠も、お金の使い方も。困ったときは一緒に考えますし、嬉しいことがあったら、一番に聞きます」
そして、ほんの少しだけ、声を甘くした。
「……だから、プロデューサーも、わたしのことを一番にしてくださいね」
「……はい」
「約束ですよ?」
「約束です」
ことねは、満面の笑みを浮かべた。
その笑顔は、どこか安心しきった子どものようで。
けれど、絡めた指は、なかなか離れそうになかった。
プロデューサーの手首で、古い時計が時を刻む。
ことねは、その音を聞きながら、彼の肩にそっと頭を預けた。
「……あと、ひとつだけ」
「はい?」
「明日の朝も、連絡してください」
「おはよう、って?」
「……はい」
「わかりました」
「……絶対ですよ?」
「絶対です」
「……えへへ」
小さな笑い声が、静かな休憩スペースに響いた。
プロデューサーは、隣で幸せそうに目を細めることねを見た。
―まあ、いいか。
少なくとも、もう一人で抱え込むことはない。
そして、どうやらこれからは。
食費だけでなく、毎日の予定も、連絡の頻度も、帰宅時間も。
彼女と相談しながら決めていくことになりそうだった。
「……プロデューサー」
「はい?」
「明日のスーパー、何時に行きます?」
「まだ今日の話をしているところですよ?」
「だから、明日の予定です!」
ことねは顔を赤くしながら、ぎゅっと手を握った。
「……一緒にいる時間は、いくらあっても困りませんから」
時計の秒針が、また一つ進む。
その音を確かめるように、ことねは彼の手首に頬を寄せた。
今度は、時計の調子を確認するためだけではない。
彼がいて、温かい手があって、明日もまた会える。
そのことを、何度でも確かめていたかった。
「……おやすみの連絡、忘れないでくださいね」
「はい、ことねさん」
「……えへへ。楽しみにしてます」
ことねは、もう一度だけ、彼の手を握り直した。
まるで、これから先もずっと一緒にいられることを、確かめるように。
すごく長くなってしまった
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