プロデューサーが死ぬと勘違いして死ぬほど依存度が上がる話   作:マロンex

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清夏編

 

「はーい」

 

Pっちは、そう言い残して、部屋を出ていった。

 

清夏は、机の上を、何気なく見渡した。

コーヒーのカップの下から、一枚の紙が、はみ出している。

 

『診 断 書』

 

(……何これ? ちょっと気になるな)

 

清夏は、カップを、そっとどかした。

 

『お客様:●●様』

 

お預かり品の欄には、ピンクの付箋が貼られていて、読めなかった。

ところどころも薄くなって読めないが、はっきりと目に入る部分に血の気が引いた。

 

『診断結果:...機能 全体的に悪化、劣化 回復は困難』

 

『備考:発熱による記憶の破損や...の可能性あり....早めの専門機関の...』

 

そして、最後の行で清夏の呼吸が、止まった。

 

『推定寿命:約半年』

 

(……推定、寿命……半年……)

 

(回復は……困難)

 

指先が、冷たくなっていった。

廊下から、足音が近づいてくる。

清夏は、反射的に、紙をカップの下に戻した。

 

「お待たせしました」

 

「……おそい」

 

「すみません。……あれ、カップ、少し動いてますね」

 

「……動いてないし」

 

「そうですか」

 

Pっちは、カップの位置を直して、紙をさりげなく、引き出しにしまった。

 

(……隠した)

 

清夏は、唇を噛んだ。

 

(病気のことを、あたしに、知られたくないんだ)

 

◇

翌日。清夏は、朝一番にレッスン室に来ていた。

Pっちが扉を開けると、清夏はもう、ストレッチを終えていた。

 

「……清夏さん? 早いですね」

 

「...別に。たまたま目が覚めただけだし」

 

「いやいや! 清夏さんが朝練に来るの、初めて見ましたよ。でも少しうれしいですね」

 

「うっさいな。……あたしだって、たまには早く来るし」

 

清夏は、Pっちの顔をじっと見つめた。

 

「……ねえ、Pっち。その...大丈夫なの」

 

昨日のショックから顔をまともに見ることができない。

目を少し下のパソコンに移して遠慮がちに聞いた。

 

(そうだよ、私の勘違いかもだし...きっとそう)

 

「……ああ、そのことですか....。まあ、普通に動くのですが....最近、すぐ熱を持っちゃうんですよね。たまにしばらく動かなくなったりして...いやぁ、困ったものです」

 

昨日のことは嘘だと思いたかった。

だから、否定したかった。

でも、Pっちの反応は正直なほど残酷だった。

 

「この前なんか、作業中に急に落ちちゃって。流石に焦りました」

 

「そう...なんだ」

 

清夏は、唇を噛んだ。

 

「……今日、サボんないから。レッスン。最後まで、全部やる。だから、ちゃんと見ててよね」

 

清夏は、くるりと背を向けて、鏡の前に立った。

鏡に映った自分の目が、真っ赤になっていた。

 

◇

その日から、清夏は一度もレッスンをサボらなかった。

誰よりも早く来て、誰よりも遅くまで残った。

みんなの前では、相変わらず気だるげに振る舞った。

でも、Pっちの前でだけは、隠していた本気を、全部見せた。

 

「……すごいですね。今のターン、一回も軸がぶれてなかったです」

 

「当たり前じゃん。あたし、本気出せばこんなもんだし」

 

清夏は、髪をかき上げた。

 

「最近本当に頑張ってますね。何か心境の変化でも?」

 

「...別に」

 

清夏は、答えなかった。

しかし、次の瞬間、清夏は、難しい振りで、足をもつれさせた。

 

「……っ、今の、なし! ノーカン!」

 

「大丈夫ですか! 無理しないでください」

 

「あははっ...大丈夫大丈夫。てか、見てなかったことにして。……ダサいとこ見られたくないし」

 

(……本気で踊って、失敗するのは、やっぱり、怖い)

 

(でも、今は、怖がってる場合じゃない)

 

清夏は、もう一度、立ち上がった。

 

◇

放課後は、Pっちを連れ回した。

 

プリクラを撮った。

カラオケにも行った。

クレープも食べた。

原宿の雑踏を、二人で歩いた。

 

いつものデートと称するさぼりではない。

残りの時間を目一杯、楽しい思い出で埋めたい。

楽しい記憶を残したい、と。

かっこいい自分を見せるためにレッスンは頑張りたいと思った

 

でも、それ以上に

できる限り一緒に過ごしたかった。

 

「ほら、笑って。もっと。……下手すぎ。Pっち、笑うの下手すぎ」

 

出てきたプリクラの中で、Pっちは、ぎこちなく笑っていた。

その隣で、清夏は、少しだけ目元が赤かった。

 

「……これ、半分あげる。なくさないでよ」

 

「はい。大事にしますね」

 

「……大事にしなくていいから、ずっと持っててよね」

 

「清夏さんがこんなに楽しそうなの、初めて見ました」

 

「……今のうちに、って思ってるだけだし」

 

「今のうち?」

 

「なんでもない」

 

《……今のうち? 夏休みの前に、遊んでおくってことかな》

 

半年ある。

半年あれば、もっといっぱい、思い出を作れる。

清夏は、そう思っていた。

 

◇

雨の日だった。

湿った空気が、右足の古傷に、まとわりついた。

清夏は、鏡の前で、ステップを踏みかけて、足を止めた。

 

(……また、だ)

 

あの日の、感覚。

何かが、ずるりと外れる音。

焼けるような痛み。

 

(……だめ。今は、だめ)

 

清夏は、奥歯を噛んで、無理やり、もう一歩、踏み出した。

右足が、ほんの少しだけ、遅れた。

 

「清夏さん」

 

後ろから、Pっちの声がした。

 

「今日は、顔色が、あまりよくないです。休みませんか」

 

「は? 平気だし。てか、Pっちのほうこそ、無理してんじゃん」

 

「僕、ですか? 僕は、普通ですけど」

 

「……ふーん。そ」

 

清夏は、右足を、見られないように、半歩だけ、後ろに引いた。

 

(Pっちには、見せたくない。……弱いとこ)

 

(死んじゃう前に、ぜんぶ、かっこいいあたしで、見送りたいのに)

 

◇

ある日の放課後。

清夏は、プロデューサー室の扉の前で、足を止めた。

中から、Pっちの小さな声が聞こえてきた。

 

「……なあ。まだ、もつか?」

 

清夏の指が、取っ手の上で、固まった。

 

「無理させて、悪いな。……でも、あと少しだけ、頑張ってくれ。清夏さんの記録はお前しか残せないんだ」

 

(……誰に、話してんの)

 

扉の隙間から、中を覗こうとして、清夏は、手を止めた。

PCの画面を見つめ、独り言を言っているだけだった。

 

(……自分に話しかけてる。誰にも言えないから...自分で自分を鼓舞してるんだ)

 

清夏は、そっと、扉から離れた。

今にも雨が降り出しそうな天気の悪い窓を見る。

私も同じくらい泣きそうだった。

 

◇

翌日の昼休み。

中庭のベンチで、清夏は、リーリヤの隣に座って、さりげなく切り出した。

 

「あのさ、リーリヤ。その、相談があって...私の友達の話なんだけど」

 

「は、はい」

 

「その子の、大事な人がさ、....半年、持つかどうかわからないらしいんだって。....こういうときって、どうしたらいいのかな」

 

「……っ」

 

リーリヤの表情が、変わった。

 

「あーいや! 私も困っちゃってさ! そういう時リーリヤならどうするかなーって、あははッ」

 

「……私がその子だったら」

 

「まず、ちゃんとした病院で、検査を受けてほしいです。……それから、無理をさせないで休める時間をつくったり」

 

「……休める、時間」

 

清夏の指が、ぎゅっと、スカートを握った。

 

「は、はい。あと、そばにいる人が、先に倒れないこと。支える人が、先に潰れてしまうことも、多いそうで」

 

「……そう、だよね」

 

「で、でも、これは、あくまで、一般的なお話です。その大事な人の、本当の状態は、わたしには、わからなくて……ごめんなさい」

 

清夏は、ぐっと唇を噛んで、それから、ぱっと笑顔を作った。

 

「そっか! ありがと、リーリヤ! 助かった!」

 

「あ、あの、清夏ちゃん……元気出してください。何も事実として決まったわけでは...」

 

「わ、私? 違う違う、友達の話だし。...でもそうだね! あたしが、明るく見守ってあげないとね。最強アイドルだし!」

 

清夏は、ピースサインを作った。

口角が、わずかに、震えていた。

リーリヤは、その横顔を、じっと見つめた。

 

(……その、大事な人って。きっと、プロデューサーさんのこと)

 

リーリヤには、すぐにわかった。

清夏が、誰よりも、あのプロデューサーを、信頼していることを。

 

「……清夏ちゃん。なんだか、いつもと、ちょっと違います。ちゃんと、笑ってるのに、笑ってないみたいで」

 

「……っ」

 

「わ、わたしに、言えないことなら、言わなくていいです。でも、わたし、清夏ちゃんに憧れて、ここまで来ました。どんな清夏ちゃんでも、ずっと、味方です」

 

リーリヤは、清夏の手を、両手で、そっと握った。

 

「そ、それに……清夏ちゃんが、プロデューサーさんのこと、すごく、慕っていることも知ってます。だから、わたしにできることは、なんでも、協力します」

 

「……リーリヤ」

 

「ひ、一人で、抱えないでください。……手、つないでますから」

 

清夏の手は、冷たかった。

リーリヤは、その手を、ぎゅっと、握りしめた。

清夏の視界が、一瞬、にじんだ。

 

「……ばーか。そういうの、急に言うなし」

 

清夏は、空を見上げた。雲ひとつない、晴れた昼だった。

 

「清夏ちゃん...」

 

「...でもありがとう。ちょっと楽になった。...もう少し頑張るね」

 

握った手はしばらく離さなかった。

離せなかった。

 

◇

三か月が経った頃だった。

レッスン室に、Pっちが少し遅れてやってきた。

 

「すみません。いやあ、(新しいPCの)契約手続きに時間がかかってしまい...すみません」

 

清夏の手が、止まった。

 

「……は? 引継ぎ?」

 

「はい。動かなくなってからでは遅いですからね」

 

Pっちは、鞄からノートを取り出した。

 

「大丈夫です、安心してください。今までの記録、清夏さんの思い出も全部引き継ぐ予定です。今までためてきたものも全部」

 

清夏は、手すりを握りしめた。

 

(...そんなの望んでない)

 

「それと、古いほうは来月で契約を解除します。少し寂しい気持ちもありますがね」

 

(...自分をものみたいに言わないでよ..)

 

まるで、明日の天気の話でもするような口ぶりだった。

本当はいやだと拒否したかった。

一緒にいてほしいと言いたかった。

 

でも、

 

ー無理をさせないで休める時間をつくったり...

 

リーリヤの言葉が頭をよぎり、何も言えなかった。

 

「……うん、分かったよ。ちょっと時間頂戴」

 

清夏の声が、かすれた。

 

(半年もなかったんだ)

 

(私、もうPっちとどれくらい会えるんだろう……)

 

「清夏さん?」

 

「……なんでもない」

 

清夏は、くるりと背を向けた。

 

◇

その夜、清夏は、寮のベッドで、プリクラの半分を見つめていた。

 

ぎこちなく笑うPっちの顔。

 

(……しょうがないじゃん)

 

Pっちは、自分の体のことより、担当のことを考えてる。

残りの時間を、引き継ぎに使ってる。

きっと私に会う人をわざわざ見つけてきてくれた。

 

(笑って、ありがとって言えばいいだけじゃん)

 

(次の人とも、テキトーにうまくやればいいじゃん。あたし、そういうの得意だし)

 

清夏は、何度も、そう自分に言い聞かせた。

でも、プリクラの中のPっちの顔を見るたびに、胸の奥が、ぎしりと軋んだ。

 

◇

一か月後。

レッスン終わり、Pっちが、清夏を呼び止めた。

 

「清夏さん。三日後の放課後、少し時間をもらえますか」

 

「……なんで」

 

「新しいのに、全部引き継ぐ日なんです。清夏さんの記録も、全部移すので、立ち会ってもらえたらと思って」

 

清夏の心臓が、どくんと跳ねた。

 

「来月からは、新しいのが全部やってくれるので。プロデュースに支障は出ないと思います」

 

清夏の中で、何かが、ぷつりと切れた。

 

「……なんで、そんな普通に言えんの」

 

「え?」

 

「なんで、自分の代わりの話、普通にできんの」

 

清夏の声が、震えた。

 

「え、えっと清夏さん?」

 

「新しい人とか、いらないし。引き継ぎとか...いらないし」

 

言ってはいけないと思っていた。

わがままだと感じていた。

でも、あふれる思いは止まらなった。

 

清夏は、唇を噛んだ。

それ以上、何か言ったら、泣いてしまう。

 

「……もう、いい」

 

「清夏さん?」

 

「もういい!!」

 

清夏は、鞄を掴んで、レッスン室を飛び出した。

 

「清夏さん!」

 

Pっちの声は、扉の向こうに、置き去りになった。

 

◇

雨だった。

校門を出て、どれくらい走ったのか、わからない。

制服は、あっという間に、ずぶ濡れになった。

 

(……もう知らない。Pっちなんか、知らない)

 

湿った空気が、右足の古傷に、重くまとわりつく。

完治したはずなのでズキズキと痛んだ。

まるで、心の痛みを肩代わりしているようだった。

 

「……っ!」

 

清夏は、水たまりの中に、派手に膝をついた。

あの日と、同じ感覚だった。

何かが、ずるりと外れる音。

力の入らない、右足。

 

(……あの日と同じだ)

 

清夏は、水たまりの真ん中で、動けなくなった。

雨が、容赦なく、頭の上から降ってくる。

 

(……ダサ)

 

笑おうとして、うまく笑えなかった。

 

(……最悪。何やってんの、あたし)

 

(Pっちが決めたことに、勝手に怒って、勝手に走って、ずぶ濡れで。……担当に戻してって、駄々こねてるだけじゃん。ガキかよ)

 

喉の奥が、ぎゅうっと熱くなった。

ぽろり、と、雨とは違う温度のものが、頬を伝った。

 

ギャルの仮面は、雨に流れて、どこにも残っていなかった。

弱くて、臆病で、泣き虫な、ただの清夏が、そこにいた。

 

(あたし、昔から、そう。本気で好きになったものほど、手から零れ落ちていく)

 

(バレエも、そうだった。なくなるのが怖くて、また、本気になれなくなって)

 

(やっと...本気になれる人見つけたのに)

 

清夏は、膝を抱えて、声を殺して泣いた。

脳裏に、プリクラの中の、ぎこちなく笑うPっちの顔が浮かんだ。

 

「清夏さん、こんなに楽しそうなの、初めて見ました」

 

雨の日に、「休みませんか」と言ってくれた声。

靴の減り方を、見ていた声。

それが頭で呼応する。

 

「ー清夏さん」

 

(……やば。幻聴まで、聞こえてきた)

 

「清夏さん!」

 

ばしゃ、ばしゃ、と、足音が近づいてきた。

清夏の頭の上に降っていた雨が、ふっと、止まった。

 

顔を上げると、そこには、傘を差しかけて、息を切らしたPっちが立っていた。

スーツは、肩までぐっしょり濡れている。

 

「……幻聴、じゃ、ない?」

 

「清夏さん。どうしたんですか」

 

「……っ、なんで、来んの」

 

「そりゃ、来ますよ。急に、飛び出していくんですから」

 

Pっちは、傘を、清夏のほうに傾けた。自分の肩は、雨に濡れたままだった。

清夏は、ぐしゃぐしゃの顔のまま、Pっちを睨んだ。

 

「いなくなるくせに……! なんで、優しくすんの……!」

 

(だめ、こんなこと絶対言っちゃダメなのに...)

 

「……清夏さん?」

 

「あたし、頑張ったじゃん! サボんないで、毎日来て、本気、全部見せて! 次の人とも、テキトーにうまくやればいいって、何回も、自分に言い聞かせたのに……!」

 

「…………」

 

「あたし、昔、足、壊して……バレエ、もう二度と無理って言われて! 本気で好きなものほど、なくなるのが怖かったのに! それでも、Pっちには、見せたくなったのに……!」

 

清夏は、声を張り上げた。

 

「Pっちが死んじゃったら、あたし、誰に本気見せればいいわけ……!」

 

Pっちは、雨の中で、しばらく固まっていた。

それから、慌てて、清夏の前にしゃがみ込んだ。

 

「清夏さん、落ち着いてください!」

 

「……っ、落ち着けるわけ、ないじゃん……!」

 

「大丈夫です。……大丈夫ですから...とにかく、ここでは風邪を引きます。一度、戻りましょう」

 

「……っ、あたし、まだ」

 

「話は、あとで、ちゃんと聞きます。……歩けますか。右足」

 

「……ちょっと、だめかも」

 

「じゃあ、ゆっくり行きましょう」

 

Pっちは、傘を差しかけたまま、清夏の歩幅に、合わせてくれた。

 

(……私ダサ。でも)

 

(……ちょっとだけ、嬉しいかも)

 

◇

レッスン室に戻ると、Pっちは、タオルと、温かいお茶を用意してくれた。

清夏は、タオルを頭からかぶって、椅子に座った。

まだ、指先が、少し震えていた。

 

Pっちも、濡れた上着を脱いで、向かいの椅子に腰を下ろした。

しばらく、二人とも、何も言わなかった。

雨の音だけが、窓を叩いていた。

 

清夏は、タオルの端を、ぎゅっと握りしめた。

 

「……タオル。ありがと...あと迎えに来てくれて」

 

「いえ、気にしないでください」

 

「……飛び出して、ごめん。Pっちの話も、聞かないで。……ダサいとこ、見せた」

 

「ダサくないです」

 

「ダサいし。……あと、足、見られたくなかったのに」

 

「……すみません。それは気が付いていました」

 

「……でしょーね」

 

清夏は、小さく笑った。

目は、まだ赤かった。

 

「……ちゃんと、聞く。さっきの続き。Pっちの口から、全部、聞かせて。私覚悟できたから」

 

(...受け入れる。最期まで一緒にいれるように)

 

Pっちは、まっすぐに、清夏を見た。

 

「その前に、ひとつだけ、誤解を解かせてほしいです」

 

「……なに」

 

「僕は、死にません」

 

清夏の呼吸が、止まった。

 

「僕は、健康です。この前の健康診断も、全部A判定でした。死ぬ予定は、ありません。……絶対に、です」

 

「……は? は??」

 

「その、正直私も疑問でして...どうして、僕が死ぬと思ったのか、教えてください」

 

「だ、だって……Pっちの机の上に、診断書あったじゃん……! 異常な発熱とか、突然の停止とか、記憶の読み出しエラーとか……! 推定寿命、約半年って……! 大切な記憶は、お早めにって……! それに、あたしが見たら、引き出しに隠した……!」

 

Pっちは、しばらく考え込んだ。

それから、ああ、という顔をして、鞄から、一台の古いノートパソコンを取り出した。

あちこちの塗装が剥げて、キーボードの文字がいくつか消えかけていた。

 

「……それは全部このパソコンの話です」

 

「……は?」

 

「高校の頃から、ずっと使ってるパソコンなんです。修理屋さんに診てもらったら、中の部品がだいぶ傷んでて、あと半年持つかどうかって言われました」

 

清夏は、ぽかんと口を開けた。

 

「はい、診断書もPCのものです」

 

清夏は、一瞬だけ、言葉を失った。

 

「じゃあ……すぐ熱を持って、急に固まるって」

 

「もちろんパソコンのことです。フリーズするんです」

 

「作業中に急に落ちて、しばらく起き上がらなかったって……!」

 

「電源が落ちて、しばらく起動しなかったんです」

 

「大事な記憶が、全部入ってるって」

 

「プロデュースの記録とか、みんなのレッスン動画とか、全部この中に入ってるので」

 

「……は? で、でも契約解除は!? あれはPC関係ないじゃん!」

 

「新しいパソコンを買ったら、保証の費用がけっこうかかるので。古いほうの延長保証は、来月で解約して、新しいほうの安いプランに入り直すんです。契約の解除は、古いパソコンの保証のことです」

 

「あたしの動画を、全部引き継ぐって……!」

 

「古いパソコンに入ってる動画を、新しいほうに全部移すんです。店員さんに、データ移行のやり方を教えてもらってて」

 

「新しいのが、全部やってくれるって……!」

 

「新しいパソコンです」

 

清夏の顔が、みるみる真っ赤になっていった。

それから、自分がさっき言ったことを、一つずつ思い出していった。

 

ー次の人なんか、いらない。最後まで、Pっちがいい。

 

「~~~~~~っ!!」

 

清夏は、両手で顔を覆って、タオルをかぶったまま、床に仰向けに倒れ込んだ。

 

「マジ無理……マジでありえない……」

 

「その...申し訳ないです。あと、清夏さん、床で寝ないで下さい。目のやり場に決まります」

 

「どうでもいいし……! Pっちのせいで、あたし、半年ずっと……!」

 

「すみません」

 

「パソコンの話なら、パソコンって言えし……! 保証なら、保証って言えし……! 主語……!」

 

清夏は、顔を覆ったまま、左足だけをばたばたさせた。

 

「……てか、あたし、さっき、かなり恥ずいこと言ったよね」

 

「最後まで、Pっちがいい、のところですか」

 

「掘り返さないでよ!!」

 

Pっちは、少しだけ考えてから、静かに言った。

 

「でも、嬉しかったです。清夏さんの本気、この半年、毎日見られて」

 

清夏の動きが、止まった。

 

「最期まで、僕でよければ。清夏さんの本気は、全部、僕が見ています。他の人には、渡しません」

 

清夏は、ゆっくりと手を下ろした。

真っ赤な目で、天井を見上げた。

 

「……うん」

 

―あの一件以降

 紫雲清夏の距離感は明らかに変化した。

 

「Pっち、おはよー!」

 

朝のレッスン室に入ってきた清夏は、プロデューサーを見つけるなり、ぱっと顔を輝かせた。

 

「おはようございます、清夏さん。今日もよろしくお願いします」

 

「うんっ! ……あ、そうだ」

 

清夏はプロデューサーの前まで歩いてくると、両手を軽く広げた。

 

「ぎゅー!」

 

「……はい?」

 

「ぎゅー、ですよ。ぎゅー。朝の充電!」

 

当たり前のように要求する清夏に、プロデューサーは少し困ったように笑った。

 

「清夏さん、これからレッスンですよ?」

 

「だからだよー。頑張る前に充電しときたいの」

 

「……毎朝ですか?」

 

「うん。毎朝!」

 

即答だった。

清夏は広げた腕を下ろさないまま、じっとプロデューサーを見つめる。

 

「……だめ?」

 

その声が、ほんの少しだけ小さくなる。

いつもの冗談めいた笑顔の奥に、かすかな不安が見えた。

プロデューサーはそれに気づくと、小さく息を吐いた。

 

「……わかりました。人前では絶対にしないでくださいよ」

 

「えへへっ、やった!」

 

清夏は嬉しそうに抱きついた。

背中に腕を回し、ぎゅっと力を込める。

胸元に頬を寄せると、ようやく安心したように目を細めた。

 

「んー……これこれ。やっぱりPっちのぎゅーはいいねえ」

 

「それはよかったです」

 

「……もうちょっと」

 

「はい?」

 

「もうちょっとだけ、このまま」

 

清夏は離れようとしなかった。

 

「……清夏さん、そろそろ時間が」

 

「あと十秒!」

 

「先ほども十秒とおっしゃっていましたよ」

 

「じゃあ、今度こそ本当に十秒!」

 

「本当でしょうか……」

 

「ほんとほんと。あたし、嘘つかないもん」

 

そう言いながら、清夏はプロデューサーの服をきゅっとつかんだ。

その手には、なかなか力がこもっている。

 

「……清夏さん?」

 

「……ねえ、Pっち」

 

「はい」

 

「今日も、明日も、こうやって会えるよね?」

 

ふいに落ちた言葉は、いつもの明るい調子とは違っていた。

 

「もちろんです。明日も明後日も、予定どおりですよ」

 

「……ほんと?」

 

「はい。何か変更があれば、きちんとお伝えします」

 

清夏は少しだけ顔を上げた。

 

「……勝手にいなくなったりしない?」

 

「しませんよ」

 

「……あたしに何も言わないで、どっか遠くに行ったりしない?」

 

「そのような予定はありません」

 

「……そっか」

 

清夏は、ようやく笑った。

 

「えへへ。なら、いーや」

 

けれど、腕はまだ離れない。

あのとき、プロデューサーがいなくなってしまうかもしれないと思った恐怖は、清夏の中から完全には消えていなかった。

 

いつものように笑って、いつものように冗談を言って。

そうしている間は、何も変わっていないように思える。

 

でも、ふとした瞬間に考えてしまう。

 

もし、また突然いなくなってしまったら。

もし、明日から会えなくなってしまったら。

もし、自分の知らないところで、大切な何かが終わってしまったら。

 

だから、触れていたい。

声を聞いていたい。

 

自分の知らないところで、遠くへ行ってしまわないように。

 

「……Pっち」

 

「はい?」

 

「好き」

 

「……ありがとうございます」

 

「えーっ、そこはPっちも好きって言ってよー!」

 

「私の立場も考えてください...まったく。...まあ、清夏さんのことは、大切に思っていますよ」

 

「……ん」

 

清夏は一瞬だけ目を丸くして、それから、嬉しそうに笑った。

 

「……じゃあ、もう一回ぎゅーして?」

 

「先ほど十分にしたと思うのですが……」

 

「足りないもん」

 

「そうですか……」

 

「うん。だから、ぎゅー」

 

今度はプロデューサーも、優しく抱き返した。

清夏は満足そうに目を閉じる。

 

「……えへへ。大好き」

 

小さな声が、胸元に落ちた。

 

それからというもの、清夏にはいくつかの新しい習慣ができた。

朝、プロデューサーに会ったら、まず挨拶。

次に、その日の予定を確認。

 

そして最後に、ぎゅー。

 

「Pっち、今日の予定は?」

 

「午前中は清夏さんのレッスンに付き添い、その後は打ち合わせです。夕方には事務作業をする予定ですね」

 

「ふむふむ……じゃあ、夕方は空いてる?」

 

「事務作業が終われば、多少は」

 

「じゃあ、あたしと一緒に帰ろ!」

 

「……清夏さんのレッスン後の予定は?」

 

「Pっちと帰る!」

 

「ほかには?」

 

「ないよ?」

 

にこっ、と清夏が笑う。

 

「だって、Pっちと一緒にいたいもん」

 

「……そうですか。では、作業が終わる時間を連絡しますね」

 

「ほんと? やったー!」

 

清夏は嬉しそうに跳ねた。

それから、ふと思い出したようにプロデューサーの袖をつまむ。

 

「……あ、あとさ」

 

「はい?」

 

「今日、誰と打ち合わせするの?」

 

「スタッフの皆さんとですよ」

 

「女の人もいる?」

 

「ええ、いらっしゃいますね」

 

「ふーん……」

 

清夏は笑顔のまま、プロデューサーの腕にぴたりとくっついた。

 

「……そっかあ」

 

「清夏さん?」

 

「んーん、なんでもないよ?」

 

なんでもない。

そう言いながら、袖をつかむ指には少しだけ力がこもっていた。

 

「……Pっち」

 

「はい」

 

「今日の帰り、あたしと一緒に帰るんだよね?」

 

「その予定です」

 

「……約束?」

 

「はい。約束です」

 

「……えへへ」

 

清夏はようやく手を緩めた。

 

「よーし。じゃあ、今日も頑張っちゃお!」

 

いつもの明るい笑顔。

けれど、プロデューサーが少し離れようとすると、清夏はすぐにその袖をつまむ。

まるで、そこにいてくれることを確かめるように。

 

 

ー昼休み。

 

中庭のベンチで、清夏はリリヤと並んで座っていた。

 

「……清夏ちゃん、最近、プロデューサーさんとよく一緒にいるね」

 

「ん? そうかな?」

 

「うん。朝も昼も、放課後も」

 

「えへへ。だって、一緒にいたいんだもん」

 

清夏は悪びれずに笑った。

 

「Pっちといると楽しいし、安心するし。なんか、くっついてると落ち着くんだよねー」

 

「……くっ、くっつくって...」

 

「うん。手をつないだり、腕組んだり、ぎゅーしたり!」

 

指折り数えながら、清夏は楽しそうに続ける。

あまりのお熱っぷりに聞いているリーリヤも顔を赤くした。

 

「あと、頭なでてもらうのも好き。褒めてもらうのも好き。あたしのこと見て笑ってくれるのも好き!」

 

「……清夏ちゃん、随分オープンになりましたね」

 

「えーそうかなー? 普通じゃない?」

 

清夏はえへへ、と笑った。

しかし、次の瞬間には少しだけ目を伏せる。

 

「……でもさ」

 

「はい」

 

「Pっちって、みんなに優しいじゃん?」

 

リーリヤは黙って頷いた。

 

「それは、いいことだってわかってるんだよ。プロデューサーなんだし、みんなのことを見てなきゃいけないし」

 

清夏は膝の上で指を組んだ。

 

「……でも、たまに嫌になるんだよね」

 

「嫌に、ですか?」

 

「うん」

 

清夏は苦笑した。

 

「ほかの子と楽しそうに話してると、ちょっとだけ、もやもやするの。あたしの知らない話で笑ってたりすると、なんか……ずるいなーって」

 

「あー、なるほど」

 

「もちろん、仕事だってわかってるよ? そんなの、わかってるんだけどさ」

 

清夏はリーリヤの肩にこつんと頭を預けた。

 

「……あたしだけを見てほしいな、って思っちゃうんだよね」

 

その声は、ひどく素直だった。

 

「Pっちの一番近くにいたいし、Pっちが最初に頼る相手になりたいし。何かあったら、あたしに一番に教えてほしい」

 

少しだけ間を置いて、清夏は笑った。

 

「……欲張りかな?」

 

「……いいえ」

 

リーリヤは、静かに首を振った。

 

「私も……少しだけ、わかる気がします」

 

「えっ?」

 

「プロデューサーさんが、ほかの方と楽しそうに話していると……私も、もう少しお話ししたいな、と思うことがあります」

 

リリーヤは視線を落とした。

 

「……私のことも、もっと見てほしいな、と」

 

「……リリーヤも?」

 

「……はい」

 

小さな声だった。

 

リリーヤは少し頬を赤くしながら、言葉を続ける。

 

「もちろん、アイドルとして、という意味ですけれど……」

 

「ふーん?」

 

清夏はじっとリリーヤを見つめた。

 

「……ほんとに?」

 

「ほ、本当です」

 

「そっかー。リーリヤも、なかなか大変だねえ」

 

「……清夏ちゃんがおかしいんです」

 

「えーっ、ひどーい!」

 

二人は顔を見合わせて笑った。

けれど、しばらくすると、清夏はリーリヤの手をそっと握った。

 

「……ねえ、リーリヤちゃん」

 

「はい?」

 

「リーリヤちゃんも、自分のプロデューサーさんに、もっと甘えたいって思う?」

 

「……それは、まあ。少しは」

 

「そっかー。やっぱり好きな人には、もっと自分を見てほしいよねー」

 

「……清夏ちゃんは、少し甘えすぎだと思いますけど」

 

「えーっ、そんなことないよー!」

 

清夏は頬を膨らませたあと、すぐに楽しそうに笑った。

 

「でもさ、好きな人に甘えたいって気持ちは、我慢しなくてもいいと思うんだよね」

 

「……そうですね」

 

リーリヤは小さく微笑んだ。

 

「……清夏ちゃんも、頑張ってください」

 

「うんっ! 任せて!」

 

清夏は胸を張った。

 

「今日もPっちに、いっぱいぎゅーしてもらうんだから!」

 

「……やっぱり、清夏ちゃんはおかしいです」

 

「また言ったー!」

 

二人は再び笑い合った。

 

その後、リーリヤは自分のプロデューサーのもとへ、清夏は自分のPっちのもとへ。

それぞれ大切な人に会いに行くため、二人は手を振って別れた。

 

その日の夕方。

 

プロデューサーが仕事を終えて事務室を出ると、廊下の壁にもたれて清夏が待っていた。

 

「あ、Pっち! おそーい!」

 

「清夏さん、すみません、ちょっと仕事が片付かなくて」

 

「もー、待ちくたびれたよ」

 

「すみません、ありがとうございます。先に帰ってもよかったんですよ」

 

「えへへ。だって、一緒に帰るって約束したもん」

 

清夏は自然な動作でプロデューサーの腕に抱きついた。

 

「……じゃ、帰ろー!」

 

「そうですね。では、行きましょうか」

 

二人が歩き始めた、そのとき。

 

「●●くん、お疲れさま」

 

同期だろうか、女性のプロデューサーがが、廊下の向こうから声をかけてきた。

 

「お疲れさまです。何かありましたか?」

 

「ちょっと聞きたいことがあって……」

 

「わかりました。どこでしょうか」

 

プロデューサーが足を止める。

 

清夏も、笑顔のまま立ち止まった。

 

「……清夏さん、少しお待ちいたたけますか」

 

「……うん。いいよー!」

 

清夏は明るく返事をした。

けれど、プロデューサーの腕をつかんでいた手は、すぐには離れなかった。

まるで自分のものだとアピールするように。

 

「……清夏さん?」

 

「あ、ごめんごめん!」

 

清夏はぱっと手を離し、少し離れた場所へ移動した。

二人の会話は、ほんの数分で終わった。

 

「お待たせしました、清夏さん」

 

「……ううん。全然待ってないよー!」

 

清夏は笑顔で答えた。

 

「じゃ、今度こそ帰ろっか!」

 

「はい。お待たせしてすみませんでした」

 

「いいっていいって!」

 

再び腕を組み、歩き出す。

 

けれど、しばらくすると清夏はぽつりと呟いた。

 

「……ねえ、Pっち」

 

「はい?」

 

「さっきの子は誰?」

 

「以前から相談を受けていた同僚ですよ。清夏さんのご活躍をみて、ちょっと秘訣をしりたいと」

 

「……そっか」

 

清夏はプロデューサーの顔を見上げた。

 

「じゃあ、今日はあたしと帰るんだよね?」

 

「はい。その予定ですよ」

 

「……ほんとに?」

 

「ええ」

 

清夏は、彼の腕にぎゅっと抱きついた。

 

「……よかった」

 

「清夏さん?」

 

「……んーん、なんでもない!」

 

清夏は笑った。

 

「ただ、Pっちと一緒に帰れるのが嬉しいだけ!」

 

「そうですか。それならよかったです」

 

「うん!」

 

しばらく歩いてから、清夏は少しだけ声を落とした。

 

「……あたしね、Pっちがみんなに優しいの、好きだよ」

 

「ありがとうございます」

 

「でも……」

 

清夏は腕に頬を寄せた。

 

「……あたしと約束した時間は、あたしのために使ってほしいな」

 

プロデューサーは清夏を見て、ゆっくり頷いた。

 

「そうですね。清夏さんとお約束した時間は、大切にします」

 

「……えへへ」

 

清夏の表情が、ぱっと明るくなった。

 

「じゃあ、今日は寄り道して帰ろ!」

 

「寄り道ですか?」

 

「うん! Pっちと二人で!」

 

「……わかりました。少しだけですよ」

 

「やったー!」

 

清夏は嬉しそうに腕を組み直した。

 

そして、誰にも聞こえないくらい小さな声で呟く。

 

「……今日は、あたしだけのPっちだもんね」

 

プロデューサーには聞こえなかったらしい。

 

「何かおっしゃいましたか?」

 

「ううん! 大好きって言っただけ!」

 

「……ありがとうございます」

 

清夏は、ますます嬉しそうに笑った。

 

その後もあの日の寂しさを埋めるように、清夏の依存度は日に日に上がっていった。

 

ー休日の午後。

 

プロデューサーの事務室で、清夏はソファに座っていた。

 

今日は仕事の打ち合わせもなく、二人で少しだけゆっくり過ごす約束をしていた。

 

……はずだった。

 

「Pっちー」

 

「はい?」

 

「……こっち向いて?」

 

プロデューサーは手元の書類から顔を上げた。

 

「どうしましたか?」

 

「んーん、なんでもない!」

 

清夏はにこっと笑った。

 

プロデューサーが再び書類に目を落とす。

 

「……Pっちー」

 

「はい?」

 

「……こっち向いて?」

 

今度は、少しだけ声が小さかった。

 

プロデューサーは手を止めた。

 

「……清夏さん。何か気になることがありますか?」

 

「……別に」

 

清夏は膝を抱えた。

 

「ただ……」

 

言葉が、そこで止まる。

 

本当は、もっと構ってほしかった。

せっかく二人きりなのだから、自分のことを見てほしかった。

 

笑ってほしい。

話を聞いてほしい。

できれば、ぎゅっと抱きしめてほしい。

 

けれど、そんなことを何度もお願いしたら、面倒だと思われるかもしれない。

 

そう考えると、なかなか言い出せなかった。

 

「……清夏さん?」

 

プロデューサーの声に、清夏は顔を上げた。

 

「……Pっちはさ」

 

「はい」

 

「……あたしと二人でいるとき、楽しい?」

 

「もちろんですよ」

 

答えは、すぐに返ってきた。

 

「清夏さんとお話しするのは楽しいですし、一緒に過ごす時間も大切に思っています」

 

「……ほんと?」

 

「はい。本当です」

 

清夏は、じっと彼の顔を見つめた。

 

「……じゃあ、もっとこっち来て?」

 

「……はい?」

 

「隣、空いてるよ?」

 

清夏は自分の隣をぽんぽんと叩いた。

 

「……書類は、あとでいいじゃん」

 

プロデューサーは一度書類を見て、それから清夏を見た。

 

「……わかりました。少し休憩しましょうか」

 

そう言って、清夏の隣に座る。

清夏はすぐに距離を詰めた。

 

肩が触れる。

腕が触れる。

それだけで、少し安心した。

 

けれど、まだ足りない。

 

「……Pっち」

 

「はい」

 

「……ぎゅーして?」

 

プロデューサーは優しく微笑んだ。

 

「……もちろんですよ」

 

清夏は彼の胸元に飛び込んだ。

 

「……んー……」

 

背中に腕を回し、ぎゅっと抱きしめる。

プロデューサーも、ゆっくりと抱き返した。

 

「……清夏さん。最近は随分甘えんぼになりましたね」

 

「……うん」

 

清夏は素直に頷いた。

 

「……でも、たまに不安になるんだよね」

 

「不安、ですか?」

 

「うん。Pっちは優しいし、みんなのことも大切にしてるでしょ?」

 

「はい」

 

「……だから、あたしがわがまま言いすぎたら、嫌われちゃうんじゃないかなって」

 

清夏は彼の服をつまんだ。

 

「これでも抑えてるんだよ……本当は、もっと一緒にいたいし、もっと構ってほしいし……。Pっちがほかの子と楽しそうにしてると、ちょっとだけ寂しくなる」

 

少し間を置いて、清夏は続けた。

 

「……あたしだけを見てほしいって思うことも、あるんだよ」

 

プロデューサーは、清夏の背中を優しく撫でた。

 

「……話してくださってありがとうございます、清夏さん」

 

「……うん」

 

「清夏さんが寂しいと感じることも、甘えたいと思うことも、悪いことではありませんよ」

 

清夏は顔を上げた。

 

「……ほんと?」

 

「はい。不安なときは、一人で抱え込まずに教えてください。私にできることなら、一緒に考えますから」

 

「……Pっち」

 

清夏の目が、少しだけ潤んだ。

 

「……好き」

 

「ありがとうございます」

 

「……大好き」

 

「……はい」

 

「……だから、もう一回ぎゅーして?」

 

プロデューサーは、少しだけ腕に力を込めた。

 

「……これでよろしいですか?」

 

「……うん」

 

清夏は、彼の胸元に顔を埋めた。

 

「……もうちょっとだけ、このままがいい」

 

「はい。大丈夫ですよ」

 

「……あと、頭も撫でて?」

 

「わかりました」

 

優しく頭を撫でられて、清夏は幸せそうに目を閉じた。

 

「……えへへ」

 

しばらくして、清夏は小さな声で呟いた。

 

「……Pっち」

 

「はい?」

 

「……今日、あたしのこと、いっぱい見てくれる?」

 

プロデューサーは清夏の顔を見て、穏やかに微笑んだ。

 

「はい。今日は、ゆっくりお話ししましょう」

 

「……約束?」

 

「約束です」

 

清夏は、ようやく安心したように笑った。

 

「……えへへ。じゃあ、今日はいっぱい甘えちゃおっと!」

 

「……ほどほどにお願いしますね」

 

「えーっ! そこは、いっぱい甘えていいよって言うところでしょー!」

 

「……ええ、ではどうぞ」

 

「……ほんと?」

 

「はい」

 

清夏は嬉しそうに抱きついた。

 

「……やったー! Pっち、大好き!」

 

そして、その日。

 

清夏は何度もプロデューサーに抱きついて、何度も頭を撫でてもらって、何度も「大好き」と伝えた。

そのたびに、プロデューサーは優しく応えてくれた。

 

だから清夏は、少しずつ覚えていく。

 

寂しいときは、寂しいと言っていい。

甘えたいときは、甘えていい。

好きな人に、好きだと伝えていい。

 

……それでも。

 

「……ねえ、Pっち」

 

「はい、清夏さん」

 

「……あたしのこと、明日もいっぱい見てね?」

 

「はい。明日も、ちゃんとお話ししましょう」

 

「……えへへ。約束だよ?」

 

「約束です」

 

清夏は満足そうに笑った。

 

けれど、彼の服をつまむ指先だけは、まだ少しだけ離れがたそうだった。

 

―明日も、明後日も。

 

―その先も、ずっと。

 

できることなら、誰よりも近くで。

 

Pっちの一番近くで、笑っていたい。

 

その願いは、清夏の中で、少しずつ大きくなっていくのだった。

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