しょっぱい女神と真水の行商人   作:西都東都

7 / 7
第七話 逃げる理由

「でるの?」

 ティアが目を覚ましたのは、ナラムが荷物をまとめ終えたころだった。

「ああ。出る。今日中に、この町を出る」

「まつり、まだ、あるよ」

「あと十一日な。今夜から、神官どもが、あの歌を、夜通し唱える。最後の日には、広場で、塩の竜を叩き壊す」

 ティアの肩がびくりと動いた。

「それ、いや」

「だろ。だから、出る」

「しょうばい、は?」

「干し魚は、もう売り切った。ここに残る理由はねえ」

 ティアは、少しだけナラムの顔を見ていた。

「ナラム。わたしの、ため?」

「商売のためだ」

「ほんと?」

「本当だ」

 ティアは首を傾げた。

 それから、少しだけむっとした顔をした。

「わからない」

「何がだ」

「ナラムの、ほんと。ほかのひとなら、わかるのに、ナラムだけ、わからない」

「分からなくて結構だ。ほら、支度しろ」

 ティアは、むう、と唸りながら、寝台から降りた。

 それから、ナラムの背中に向かって、ぽつりと言った。

「ナラム」

「ん」

「きのう、ぎゅって、した」

 ナラムは、荷物を担ごうとした手を止めた。

「ああ」

「あれ、また、して、ほしい」

「は?」

「とげとげ、してないときでも」

 ナラムは振り返らなかった。振り返ったら、きっとろくでもない顔をしている。

「考えとく」

「ほんと?」

「考えとくってのは、考えとくってことだ」

「それも、ほんとか、わからない」

 ティアは、不満そうに唇を尖らせた。

 ナラムは、耳まで熱くなるのを感じながら、荷物を担いで、部屋を出た。

 ティアに、自分の中身が読めなくて、よかった。

 生まれて初めて、ナラムは、本気でそう思った。

 

  *

 

 イシンの門を出たのは、昼過ぎだった。

 門の外の街道は、昨夜の塩降りでうっすらと白くなっていた。けれど、量は多くなかった。町の中も、昨夜の騒ぎのわりには、塩の被害は少なかったらしい。降り始めてから止むまでが、短かったからだ。

 街道を歩き出してしばらくすると、後ろから、声がかかった。

「おーい! そこの、変な兄妹!」

 ナラムは振り返った。

 赤い布を頭に巻いた女が、ロバに引かせた荷車の上から、手を振っていた。

「ルハ?」

「やっぱり、あんたたちだ! 奇遇だねえ!」

 ルハは荷車を寄せてきた。荷台には、護符の束が、山のように積まれていた。ラルサのときの三倍はある。

「なんでここに」

「なんでって、商売に決まってるだろ。新年祭だよ、新年祭。護符が飛ぶように売れるんだ。でも、昨日の塩降りで、ちょっと風向きが変わってね。神官連中が、護符売りを目の敵にし始めた。『祈祷の効き目を疑うのか』ってさ。で、今朝、追い出された」

「そうか」

「あんたたちは?」

「似たようなもんだ」

 ルハは、ナラムの顔を見て、それからティアの顔を見て、意味ありげに目を細めた。

「ふうん。似たようなもん、ね」

「なんだよ」

「別に。で、次はどこに行くんだい」

「シッパルだ」

 ルハの眉がぴくりと動いた。

「シッパル?あんた、知ってて行くのかい」

「何をだ」

「シッパルは、塩捨て組合の町だよ」

「塩捨て組合?」

「知らないのかい。まったく、あんたは、商売は上手いのに、物を知らないねえ」

 ルハは、呆れたように肩をすくめた。

「シッパルはね、この辺りの町の塩を、まとめて引き受けて捨ててる町なんだ。町の外に、でっかい塩の捨て場があってね。ラルサやイシンやギルスから、毎日、塩を積んだ荷車が運ばれてくる。それを、シッパルの組合が引き受けて、捨て場に捨てる。一車いくら、って手数料を取ってね」

「塩を捨てるのが、商売なのか」

「商売だよ。それも、とびきり儲かる商売さ。この辺りじゃ、どこの町だって塩を捨てなきゃならない。でも、捨て場を持ってる町は、シッパルだけだ。だから、シッパルの組合が、好き勝手に値を決められる」

 ルハは声を低くした。

「組合の頭は、ガルザって男だ。でっかい図体の、目つきの悪い男でね。逆らったやつは、塩の捨て場に埋められるって噂だ。あんた、エシュヌで塩を買い取ったって聞いたよ」

 ナラムはぎくりとした。

「どこで聞いた」

「行商人の噂話は、ロバより速く走るのさ。『塩を買い取る変な男と、白い髪の妹』。もう、この辺りの街道じゃ、ちょっとした話の種だよ。シッパルでそれをやったら、ガルザの商売を、真っ向から邪魔することになる」

 ナラムは黙った。

 ルハは、少しだけ真面目な顔になった。

「悪いことは言わない。シッパルはやめときな」

 ナラムは、目を逸らした。

「それとも、何か、シッパルに行かなきゃならない理由でもあるのかい」

 ナラムは、ちらりと荷車の上のティアを見た。

 ティアは、ルハの話を、聞いているのかいないのか、遠くの地平線を見ていた。北の方角。シッパルの方角だ。

 その目がきらきらと輝いていた。

「でっかい、塩の、すてば」

 ティアが小さく呟いた。

 ナラムは天を仰いだ。

「理由は、ある」

「どんな」

「商売上の秘密だ」

 ルハは、長いことナラムの顔を見ていた。

 それから、深いため息をついた。

「あんたって男は。いいよ、分かった。あたしも、シッパルに行く」

「は?」

「あんたが何をやらかすのか、見届けたくなった。それに、ラルサの井戸の件で、あんたには一つ借りがあるからね」

「借り?」

「とぼけるんじゃないよ。あの井戸の塩気が抜けたおかげで、あたしの護符が、あの後ひと月で、三百枚売れた。あたしにも、よく分からないことが起きてるのは、分かってるんだ」

 ルハはちらりとティアを見た。ティアは、相変わらず、北の地平線を見ていた。

「何が起きてるのかは、聞かない。でも、借りは返す。あたしは、そういう商人なんだ」

 ナラムは、ルハの顔をしばらく見ていた。

 それから、苦笑した。

「変な女だな、あんた」

「あんたに言われたくないよ」

 ルハはにやりと笑った。

 ナラムの袖をくいくいと引く手があった。

 ティアだった。いつの間にか、地平線から目を離して、ナラムとルハを交互に見ていた。

「そのひとも、いっしょ?」

「ああ。シッパルまで、一緒に行くことになった」

「ふうん」

 ティアは、ナラムの袖をぎゅっと握った。

 それから、ルハの方を向いて、ぺこりと頭を下げた。

「よろしく、おねがい、します」

 ルハは目を丸くした。

 それから、声を上げて、笑った。

「よろしく、ティアちゃん。あんたのお兄さん、借りるよ」

「かさない」

「おや」

「ナラムは、かさない。ナラムは、わたしの、しょうばいの、あいぼう」

 ルハはまた笑った。今度は腹を抱えて笑った。

 ナラムは、どこを見ていいか分からなくて、ドゥムの方を向いた。

 ドゥムは、ルハのロバと鼻を突き合わせて、何やら、親しげに鼻を鳴らし合っていた。

 

  *

 

 シッパルが近づくにつれて、地平線に奇妙なものが見えてきた。

 最初は雲だと思った。地平線の上に、白い、ぎざぎざとした稜線が、横一列に連なっている。夏の入道雲のような、けれど入道雲よりずっと低く、ずっと平べったい、白い何か。

 近づくにつれて、それが雲ではないことが分かった。

 山だった。

 白い山が、いくつもいくつも連なっていた。高いものは、ラルサの城壁の三倍はあるだろうか。低いものでも、人の背丈の十倍はある。それが、地平線の端から端までずらりと並んでいる。陽を受けて、まぶしいほどに白く輝いている。

「なんだ、あれ」

 ナラムは思わず足を止めた。

「塩の捨て場だよ」

 隣の荷車から、ルハが言った。

「シッパルの塩の山脈。この辺りの町から運ばれてきた十二年分の塩が、全部、あそこに積まれてる。北の方の人間は、あれを見て、雪山だって勘違いするらしいね」

「十二年で、あんなに」

「十二年で、あんなにさ。毎日毎日、何百台って荷車が、塩を運んでくるんだ。積んでも積んでも、減ることはない。増える一方だよ」

 ナラムは白い山脈を見上げた。

 どれだけの量の塩なのか、見当もつかなかった。エシュヌの塩の山を百集めても、千集めても、あの山の一つにもならないだろう。

 荷車の上で、ティアが、身動き一つせずに、山脈を見つめていた。

「ティア?」

 返事がなかった。

「ティア、おい」

 ナラムが肩を揺すると、ティアは、ようやくこちらを向いた。

 目が潤んでいた。

 塩の結晶ではなかった。ただの涙だった。

「どうした」

「わからない」

 ティアは、目元を手の甲でこすった。それでも、涙は止まらなかった。

「わからない、けど……あそこ、すごく、さみしい」

「寂しい?」

「みんな、すてられて、つまれて、だれも、さわらない。ずっと、ずっと、ひとりで、つまれてる」

 ルハが、怪訝な顔でティアを見ていた。

 ナラムは、ルハの視線を遮るようにティアの前に立った。

「そうか」

「たべたい」

「ああ」

「ぜんぶ、たべたい。ぜんぶ、たべて、さみしく、なくしたい」

「全部は、無理だ」

「むり、じゃない」

「無理だ。あの量だぞ。お前の腹が破裂する前に、俺の頭が破裂する」

 ティアは、むう、と唸った。

 けれど、涙は止まっていた。

「すこしずつ、なら?」

「少しずつなら、な。ほどほどにな」

「ほどほど」

 ティアはこくりと頷いた。

 それから、また白い山脈の方を向いた。

 その横顔を、ルハが黙って見ていた。

 

  *

 

 シッパルの町は塩の山脈の麓にあった。

 町そのものは、それほど大きくなかった。ラルサの半分ほどだろうか。けれど、活気は、ラルサの比ではなかった。

 門の前には、荷車の長い列ができていた。どの荷車にも、塩が満載されている。エシュヌから、ラルサから、ギルスから、イシンから、ウンマの近くの小さな村々から。南の、ありとあらゆる町から運ばれてきた塩だ。

 荷車は、門をくぐらずに、町の外壁に沿って、塩の山脈の方へと進んでいく。山脈の麓には、木の柵で囲われた広場があり、そこで荷車の塩が下ろされていた。

 広場には、何百人もの人足が働いていた。

 荷車から下ろされた塩を、籠に入れて、背負って、山の斜面を登っていく。山の上に塩をぶちまけて、空の籠を背負って、また降りてくる。その繰り返し。延々と、延々と同じことを繰り返している。

 人足たちの顔は塩で白くなっていた。髪も眉もまつげも白い。日に焼けた肌の上に、汗で固まった塩が、ひび割れた仮面のようにこびりついていた。

「あれが、塩捨て組合の人足さ」

 ルハが声を低くして言った。

「この町の男の、三人に一人は、あそこで働いてる。日に大麦二升の稼ぎで、朝から晩まで、塩を担いで山を登る。何年か続けると、肺をやられる。塩の粉を吸い込みすぎてね。十年続けた人足で、まともに息ができるやつは、ほとんどいない」

「二升?」

 ナラムは眉をひそめた。

「各町から、一車いくらで、手数料を取ってるんだろ。何百台も来てるのに、人足の稼ぎが二升なのか」

「手数料のほとんどは、組合の上の連中の懐に入るのさ。頭のガルザと、その取り巻きと、それから――」

 ルハは、町の中心にそびえる、ひときわ立派な建物を顎で指した。

「町の塩税官の、ウトゥル様の懐にね」

「塩税官?」

「塩の捨て場の税を取り立てる役人だよ。王様から任命されてる、偉い偉いお役人様さ。組合は、ウトゥル様に税を納める。ウトゥル様は、組合の好きにさせる。そういう仕組みだ」

 ナラムは、黙って、塩の山を登る人足たちを見ていた。

 一人の人足が、斜面の途中で足を滑らせた。籠の塩が、ざあっとこぼれて、斜面を流れ落ちていった。人足は、膝をついたまま、激しく咳き込んでいた。白い粉が、咳と一緒に口から吹き出していた。

 誰も助けに行かなかった。

 監督らしき男が、斜面の下から、怒鳴り声を上げた。

「何やってる! こぼした分は、てめえの稼ぎから引くぞ!」

 人足は、咳き込みながら、斜面にこぼれた塩を手でかき集め始めた。

 ナラムの袖を、ティアが、ぎゅっと握った。

「ナラム」

「ああ。分かってる」

 ナラムは低い声で答えた。

「分かってるが、今は、まだだ」

 

  *

 

 宿は町の東の外れにあった。

 ルハが、昔なじみだという宿を紹介してくれた。おかみは、ルハと同じくらいの年の痩せた女だった。ルハの顔を見るなり、抱きついて、それから、ナラムとティアをじろじろと値踏みした。

「ルハが、男連れなんて珍しいね」

「連れじゃないよ。たまたま、道が一緒だっただけさ」

「ふうん。で、こっちの白い子は?」

「その男の妹さ」

「妹ねえ」

 おかみはにやにやと笑った。

 ナラムは、どこかで見た笑い方だ、と思った。ギルスの宿のおかみだ。世の中の宿のおかみというのは、みんな同じ笑い方をするように、生まれついているのかもしれない。

「部屋は二つ、空いてるよ。ルハと、あんたたち兄妹で、一つずつ。それとも、兄妹で一つずつの方がいいかい?」

「三つ、お願いできますか」

「三つは空いてないね」

「二つで」

「兄妹で一つ?」

「兄妹で一つです」

 おかみは、にやにや笑いながら、錆びた鍵を二本、帳場の上に置いた。

 ティアは、なぜか、少し嬉しそうな顔をしていた。

「ナラム」

「なんだ」

「ひとへや?」

「寝台が二つある部屋だといいな」

「えー」

「えーじゃない」

 ルハが、横で腹を抱えて笑っていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。