The Child Leading Beyond the Wall 作:housen
背負ったまま走り抜けた
全部は持って来れなかった
荷を降ろせる場所は何処にもなかった
夢を見るな
ただ眠れ
また夢を見たいなら
広場を出るのは⼊るより簡単だった。
アラサカの兵⼠もNCPDの警官も上空のAVの操縦⼠も、誰もこっちを⾒てない。広場の出⼝を塞いでたパトカーは勝⼿にエンジンがかかって道の端に寄った。
ファルコの⾞は⽳の縁の⼆メートル横で無事だ。フロントガラスにひびが⼀本⼊ってるだけだ。
制服の男の器が担架にデイビッドを乗せる。剥がされかけた外⾻格の残骸ごとだ。ミリテクの軍⽤の両腕でもさすがに重そうだった。担架は⾞の後部座席には⼊らない。荷台の扉を開けて斜めに押し込み、ルーシーがその横に乗り込む。レベッカも。
「あんたは?」
ファルコが運転席の扉に⼿をかけたまま俺に⾔った。
「俺はタクシーで来てる。⾏き先はバッドランズ、俺の家だ。少々散らかってるが、まぁ我慢しろ」
ファルコは俺の仮⾯を⾒てた。それから何も訊かずに運転席に乗り込む。⽩⾐の男の器だけをファルコの⾞の荷台に乗せた。試作品の⼩瓶と注射器を持たせたまま。
俺は制服の男と⼀緒に無⼈タクシーの後部座席に乗る。
⼆台の⾞が広場を出た。タクシーの窓から後ろを振り返る。
広場の真ん中でスマッシャーが砲を構えた格好のまま⽌まってた。装甲の継ぎ⽬から漏れてた⾚い光はもう消えてる。アラサカの兵⼠たちが恐る恐るその周りに集まりはじめてた。誰も⾃分の番⽝に何が起きたのかわかってない。
タワーのほうからアラサカの回収班のAVが⼀機降りてくる。
六時間後にあいつは⽬を覚ます。そのときには俺たちはとっくに荒野の地下だ。
*
タクシーの後部座席で⾃分の⼿を⾒た。指先がまだ震えてる。
スマッシャーのICEが⽷を伝って俺の頭まで来かけた、あの熱。この体で⽬を覚ましてから明確に死を意識したのは、多分初めてだ。
隣で制服の男の器がまっすぐ前を⾒て座ってる。瞬きを⼀回した。
「……次は最初から本気でいく」
シティセンターを抜けるまでの道は全部⻘信号にしてやる。
交差点のカメラからは⼆台の⾞を消した。後ろから追ってくるアラサカの装甲⾞はいない。
白衣の器の目を借りる。
デイビッドは担架の上で⽬を閉じてる。呼吸が浅い。神経の数値は崩れる⼨前のところでずっと揺れてる。
ルーシーがデイビッドの⼿を握ってる。外⾻格の残骸の隙間から⽣⾝の指を探して。
レベッカは荷台の壁に背中を預けて、ショットガンを膝に抱えてる。⽬はデイビッドの顔から離れない。
『アノン』
ルーシーの声が俺の⽿に届いた。
初めて聞く声だ。低くて、静かで、少しかすれてる。
『デイビッドに何をするつもり』
「治験に協力してもらうのさ、その代わりにお前さんを助けるのを手伝う。デイビッドとはそういう取引でね」
回線の向こうでルーシーが息を⽌めたのがわかった。
「史上初、サイバーサイコシス治療用のナノマシンだ。⼈間に⼊れるのはデイビッドが初めてになる」
ルーシーの返事はすぐには来ない。
『……効くの?』
「わからねえ。わからねえから試す。効かなかったらどうなるかも、正直わからねえ」
荷ルーシーがデイビッドの⼿を握り直した。
『このままだとどうなるの⋯?』
「見ての通りだ。もって⼀時間ってとこだな」
ルーシーはそれ以上何も訊かなかった。
*
シティセンターを抜けて、⾼架道路の下の暗い空き地で⼆台の⾞を⽌めさせた。ナノマシンをここで⼊れる。荒野の研究所まで⼀時間はかかる、デイビッドの持ち時間はそこまで無いだろうう。
制服の男の器がタクシーから降りてファルコの⾞の荷台に回る。
外⾻格の残骸をデイビッドの体から外していく。スマッシャーに剥がされた肩の装甲、引きちぎられた駆動装置。まだ神経に繋がったままの外骨格を⼀つずつ外していく。
外⾻格が外れたデイビッドの体は思ってたより細い。
あれだけのサイバーウェアを詰め込んでも、中⾝はまだ⼗代のガキの体だ。⽩⾐の男の器が注射器に試作ナノマシンを吸い上げた。
銀⾊の液体が注射器の中でゆっくり回ってる。
「⾸の後ろだ。脊柱管にぶっ刺せ」
器の指がデイビッドの⾸筋に針を当てる。
ルーシーがデイビッドの⼿を強く握った。
レベッカがショットガンを床に置いて、デイビッドの反対側の⼿を握る。
ファルコは運転席から振り返って黙って⾒てる。
「よし、やれ」
針が沈んだ。
銀⾊の液体がデイビッドの⾸の奥に消えていく。
*
最初の三⼗秒は何も起きない。
ナノマシンが⾎の流れに乗って、神経の損傷部分に向かって広がっていく。数値の上ではそれだけだ。継ぎ⽬のずれは崩れる⼨前のところで揺れ続けてた。
⼀分
ナノマシンが⼀番⼤きな継ぎ⽬に届いた。
途端、デイビッドの体が跳ねた。
背中が⼸なりに反って、担架の上で震える。⾷いしばった⻭の間から声にならない声が漏れた。
レベッカがデイビッドの肩を押さえる。
「デイビッド!」
数値を⾒るとずれが⼀気に増えてる。ナノマシンが⼊り込んだ継ぎ⽬で、神経とサイバーウェアの信号がぐちゃぐちゃに乱れてる。⼀本⽬の試作品と同じ動きだ。ずれを戻しすぎて、サイバーウェアのほうを神経から切り離しかけてる。
だがそこからは⼀本⽬とは少しだけ違った。切り離しかけたところで、ナノマシンが⽌まってた。⽌まって、迷ってるようだ。継ぎ⽬の形が試料の上で⾒たものと、どれも微妙に違ってる。
デイビッドの体は試料じゃない。ここからはアドリブだ
「継ぎ⽬の形を⼀つずつスキャンしろ。試料の形じゃなくて、デイビッドの形に戻すぞ」
呼び出しておいたAIたちがデイビッドの体の中に降りていった。ナノマシンの⼀粒⼀粒が継ぎ⽬の形を⼀つずつ教えていく。何百もの継ぎ⽬。何千何万ものナノマシン。
デイビッドの体の震えがわずかに弱くなる。
⼆分
数値の上でずれが⽌まった。
更に三分
ずれが戻りはじめた。崩れる⼨前のところから、⼀段だけ⼿前に。
その⼀つの継ぎ⽬が戻ると、隣の継ぎ⽬に届いたナノマシンが同じやり⽅を覚えた。その隣も。またその隣も。
⾸から肩へ。肩から腕へ。背⾻に沿って下へ、下へ。
崩れる⼨前の線からデイビッドの数値が少しずつ下がっていく。
レベッカがデイビッドの肩からそっと⼿を離した。
デイビッドの呼吸が深くなってる。⾷いしばってた⻭が緩んだ。
眠ってた。
ルーシーがデイビッドの顔に触れる。そ白衣の器のほうを⾒上げた。俺がそこから⾒てることをもう知ってる顔だ。
『……戻ってるの?』
デイビッドの数値を⾃分でも⾒てるんだ。
俺は答えた。
「治ったわけじゃねえし、どこまで戻るかはまだわからねえ。祝杯は先の話だ」
それでもルーシーはもう⼀度デイビッドの顔に触れた。
*
研究所に着いたのは夜明け前だった。
荒野の真ん中の、放棄されたミリテクの試験場。その地下への⼊⼝が⼆台の⾞の前で静かに開く。
ファルコが⾞を地下のガレージに⼊れながら周りを⾒回した。
「……ここが、あんたの家か。ミリテクの施設だろ?」
「元はな。今は俺の家だ。家賃はタダ」
ファルコは⾞のエンジンを切った。ハンドルに両⼿を置いたまま、フロントガラスのひびを眺めてる。
「アラサカはここまで追ってくるか」
「来ねえよ。今夜、あの広場で何が起きたのか、まともに⾒た⼈間は⼀⼈もいねえ。カメラにも残ってねえ。ここへ来るまでの道中の記録もだ」
スマッシャーはどうなる、とファルコが続けた。
「六時間お昼寝中だ。起きたときには、デイビッドの外⾻格を剥がしたところまでしか覚えてねえだろうよ」
ファルコは黙ってハンドルから⼿を離した。
「坊主はとんでもないのと取引したもんだ」
「後悔してるのかい?」
ファルコは⾸を横に振った。
「坊主は⽣きてる。レベッカも、ルーシーもだ」
ファルコは運転席の扉を開けた。
「後悔する理由がどこにある」
ガレージで研究所の器たちが待ってる。警備の制服を着た男が三⼈。⽩⾐の⼥が⼆⼈。みんな⽬の焦点がどこか合ってなくて、瞬きをするほかはほとんど動かない。
レベッカがその⼀⼈の前で⽴ち⽌まった。
「……なにこれ。⽣きてんの」
「ここの元の職員だ。ちゃんと生きてるぜ、体はな。中⾝は俺が呼んだのが⼊ってる。無⼝だが働き者だ」
レベッカは器の顔をジトっと⾒た。それから俺の仮⾯を⾒る。
「あんた、本当に何なの?」
「アノンだよ」
レベッカがそういうことじゃなくて、と眉を寄せた。まぁ⾔いたいことはわかってる。が、俺は答えなかった。レベッカもそれ以上は訊かずに、器の顔から⽬を逸らしデイビッドの担架の後を追っていった。
制服の男の器がデイビッドを研究所の医務室のベッドに移す。⽩⾐の男の器がデイビッドの腕に点滴の管を繋いで、神経の数値を映すモニターをベッドの横に据えた。
ルーシーはベッドの横の椅⼦に座ったまま、動かない。
しばらくしてルーシーが⼊⼝に⽴ってる俺のほうを振り向いた。
「アフターライフのカメラ」
ルーシーの声は低い。
「デイビッドの映ったところを私が消してたとき。あなた、そこにいた?」
「いたよ。管理棟のときも、すぐ隣に」
ルーシーは⽬を伏せた。
「……気づかなかった。消してたのが私だって、知ってたの」
「消してるのがいるのは知ってた。お前だってわかったのは、タワーに向かう前だ」
ルーシーはベッドの上のデイビッドを⾒た。それからまた俺を⾒る。
「どうして放っておいたの」
「デイビッドを守ってる⼿つきだった。敵じゃねえし、仕事の邪魔でもねえし、興味も無かった」
ルーシーは何も⾔わなかった。デイビッドの⼿をもう⼀度握り直しただけだ。
ファルコは医務室の⼊⼝の壁に寄りかかって腕を組んだ。
レベッカはデイビッドのベッドの⾜元にショットガンを抱えたまま座り込む。三⼈ともデイビッドのそばから離れない。
取引の中⾝はデイビッドの体を預かることだけだ。三⼈のことは取引に⼊ってない。だが三⼈を追い出す理由もまた、俺には特になかった。何せ部屋は余ってる。
それにあの三⼈がそばにいるほうがデイビッドの数値は落ち着いてる。正直訳がわからんが、タワーでルーシーが⼝づけたときと同じだ。その理由はまだ数値では説明できない。
だから記録しておく。
*
昼過ぎにデイビッドが⽬を覚ました。
俺は医務室の⼊⼝から⾒てる。ファルコは壁に寄りかかったまま眠ってる。レベッカはベッドの⾜元で丸くなってた。ルーシーだけが椅⼦に座ったまま起きてる。
デイビッドは天井を⾒て、それからゆっくり⾸を回してルーシーを⾒る。
目の焦点が合ってる。
「……ルーシー
ルーシーは何も⾔わずにデイビッドの⼿を握った。
デイビッドはそれから⼊⼝に⽴ってる俺に気づいた。
「アノン」
「よう、眠り姫。気分は」
デイビッドは考えてから⼝を開いた。
「頭の中が静かだ」
モニターを⾒る。表示されてる各種数値は昨⽇の夜よりさらに⼀段落ち着いてみえる。
「静かなのはナノマシンが残業してるからだよ。多分な」
治ったのか、とデイビッドが訊いた。
「まだだ。⾔ったろ?お前の体で試すって」
デイビッドが少し笑う。
「ああ。取引だったな」
「そういうことった。お前の体はしばらく俺が預かる。レンタル期間中は逃げるなよ」
デイビッドはルーシーの⼿を握ったまま、また天井を⾒た。
「あぁ、どこにも行かねえよ」
レベッカがベッドの⾜元で⽬を覚まして、デイビッドの顔を⾒た。それから⽑布に顔を突っ込む。肩が震えてる。
ファルコが壁に寄りかかったまま⽚⽬だけ開けた。それからまた閉じる。
俺は⾃分の部屋に戻って椅⼦に胡坐をかく。バイザーの内側にデイビッドの神経の数値を⼀枚ずっと開いておくことにした。
崩れる線と、今のデイビッドの数値との間に、隙間ができてる。
その隙間が明⽇どれくらい広がってるか。
知りたかった。
あの日、アフターライフのテーブルには四⼈座ってた。そのうちここに来たのは三⼈だ。
背の⾼い⼥の席はどこにもない。
まぁ、そんなもんだ。