The Child Leading Beyond the Wall 作:housen
死よりも恐ろしいものが
貴方の命を繋ぎ止める
だから私は
その絶望の指先を
愛おしさと呼ぶのだろう
【レベッカ】
⽬が覚めたら⽑布の中だった。
顔に⽑布の⽑⽻が張りついてる。⿐の頭がしょっぱい。泣いたまま寝たんだと思う。あたしにしては珍しい。
ベッドの⾜元から顔を出す。
デイビッドはまだ寝てる。息の⾳がちゃんと聞こえる。ベッドの横のモニターに線が何本も流れてる。何の線かはあたしにはよくわからない。でも寝顔は、昨⽇の夜に⾞の荷台で⾒たときよりずっとおとなしい。
ルーシーは椅⼦に座ったまま、デイビッドの⼿を握って寝てる。⾸ががくんと横に傾いてる。あれ、起きたら絶対⾸痛いやつだ。
⾃分のジャケットを脱いでルーシーの肩に掛ける。
デイビッドが誰を⾒てるのかはずっと前から知ってる。あたしじゃない。それは別にいい。いや、よくはないけど、いい。デイビッドがちゃんと⾒たい相⼿を⾒てられるなら、それでいい。
昨⽇の夜、デイビッドはルーシーを抱えてタワーから降りてきた。あれを⾒られたから
もういい。
ファルコは⼊⼝の壁に寄りかかって寝てる。⽴ったまま。どうやったらあんなふうに寝られるんだろう。
⽴ち上がって伸びをする。両腕の義腕が肩のところで重たくきしんだ。
兄貴の⾦⾊の腕もよくこんなふうにきしんでた。ピラル。あたしの兄貴。仕事のあとサイバーサイコをからかって、頭を撃たれて死んだ。バカな死に⽅だった。
メインも死んだ。
ドリオも死んだ。
キーウィも、死んだ。
キーウィのことはまだどう思えばいいのかわからない。あたし達を売った。それで売った相⼿に消された。最後にルーシーの居場所をファルコに送ってきた。
全部ほんとのことで、全部頭の中でうまく並ばない。
だから並べるのはもうちょっと後にする。
医務室を出て廊下を歩く。
廊下の途中にあの⽬の死んでる連中が⽴ってる。⽩⾐の⼥が⼀⼈。昨⽇の夜もいた。瞬きだけしてあとはじっとしてる。
その前で⽌まって顔を覗き込む。
⼥はあたしを⾒ない。⾒てるのかもしれないけど、わからない。
気味が悪いのは、気味が悪い。でも昨⽇の夜、デイビッドを担架で運んでくれたのも、こういう連中だった。
「……ありがと」
いちおう⾔っといた。⼥は瞬きを⼀回した。
広場であたしは死ぬとこだった。
上からアダム・スマッシャーが落ちてきた時、撃っても撃っても弾かれた。真上だったしあ、これ死ぬなって思った。思ったところで、あいつが急に空中で横にずれた。
外れた。違う。外された。
記念碑の陰にあのチビがいた。⽩い仮⾯の、あたしより背の低いやつ。
あいつがやった。
どうやったのかは知らない。訊いたって、どうせ「企業秘密」って⾔われる。
廊下の突き当たりにある部屋の扉が細く開いてる。中を覗いた。
仮⾯のチビが椅⼦の上で胡坐をかいて寝てる。仮⾯は外してない。モニターの光も点いたままだ。机の上に合成スナックの袋が開いたまま置いてある。
ガキじゃん、と思った。
アフターライフで初めて会ったとき。チビじゃん、ってあたしが⾔ったら、あいつは肩をすくめただけだった。
ほんとにただのガキじゃん。
そのガキが、昨⽇あたしを死なせなかった。
扉をそっと閉めて医務室に戻る。デイビッドの⾜元にまた座り込む。
膝の上にショットガンを乗せる。【カーネイジ GUTS】あたしの相棒。広場の⽯畳の上に置いてこなくてよかった。
銃⾝を撫でてるうちにまた眠くなってくる。
デイビッドが変になりかけてるのに、あたしは最初に気づいた。ずっと⾒てたから。
だからこれからも⾒ていよう。治るところまで、全部、全部
*
【ルーシー】
夢を⾒ていた。
⼦どものころの夢。⽩い部屋、同じ⽩い服を着た⼦どもたちが並んで座ってる。⾸の後ろにケーブルが繋がってる。私の⾸にも。
アラサカの施設。
私たちは壁の向こうへ潜らされた。ブラックウォールの向こうの、昔の壊れたネットに。そこに沈んでる誰も取りに⾏けないデータを拾ってくるために。
壁の向こうにはナニカがいた。
暗い⽔の底からこちらを⾒てる何か。⾔葉はない。ただ⾒られてる。潜るたびに隣の席の⼦が⼀⼈ずついなくなった。脳を焼かれて。
私は逃げた。それからはずっと壁には近づかないようにしてきた。
⽬が覚めた。
⾸が痛い。椅⼦に座ったまま寝てたからだ。肩にジャケットが掛かってる、レベッカのだ。デイビッドの⼿はまだ握ったまま。温かい。
モニターを⾒る。私の⽬でも、ネットの上でも。
デイビッドの神経の数値。サイバーウェアと神経の継ぎ⽬のずれ。昨⽇の夜に⾼架の下で、崩壊⼨前から少しだけ戻った線が、今朝はもう⼀少し下がって見える。
デイビッドの体内のあちこちでとても⼩さなものが何千も働いてるのが⾒えた。銀⾊の粒、サイバーサイコシス治療用ナノマシンと言っていた。
そして、それを動かしてるものも⾒えた。
壁の向こうから来たものだ。
⼦どものころ、暗い⽔の底から私たちを⾒てた、あの何かと同じ匂いがする。
昨⽇の夜、広場で⾒た。⾚い光の帯。数え切れない数の、壁の向こうから来たものが、⼀本の⽷を伝って流れ込んできて、あの怪物の中を埋め尽くしていった。
そしてその⽷の根元にあの仮⾯の⼦がいた。
壁の向こうのものがあの⼦の⾔うことを聞いてた。焼くんじゃなくて。⾷らうんじゃなくて。
アフターライフで、管理棟で、私はあの⼦のすぐ隣にいたらしい。⼀度も気づかなかった。
怖い、と思った。
「この街では誰も信じるな」キーウィは私にそう教えた。私はその⾔葉に何度も助けられた。
キーウィは誰も信じないまま死んだ。
あの仮⾯の⼦を信じていいのかはわからない。
怖いのに、⽬が離せない。
あの⼦は壁の向こうから来たものに、デイビッドの神経を⼀本ずつ直させてる。⼦どものころの私が⼀番怖かったものが今、デイビッドを⽣かしてる。
デイビッドの⼿を握り直す。
⽉に⾏きたかった。
この街からずっと遠くへ。
でも、今はまだここにいる。
デイビッドが⽬を覚ましたら何て⾔おう。
ずっと考えてたのに、何も浮かばない。浮かばなくていい気がした。⼿を握っていれば、たぶんそれで伝わる。
もう⼀度⽬を閉じた。
*
【ファルコ】
ガレージで⾞のフロントガラスのひびを眺めてる。
⼀本だけだ。広場の⽯畳が割れたときに破⽚が当たった。あれだけのことがあってひび⼀本。運がいい。
⼯具箱がガレージの隅にある。ミリテクの刻印が⼊った、古いやつだ。蓋を開けると中は⼿⼊れが⾏き届いてる。誰かが使ったあとに必ず拭いてる。
たぶんここの無⼝な連中だろう。
ガレージの奥に制服を着た男が⼀⼈⽴ってる。両腕がミリテクの軍⽤の義腕だ。昨⽇の夜、坊主を担架ごと担いでた男だ。俺がガレージに⼊ってきてから⼀歩も動いてない。
「借りるぞ」
⼯具箱を指さして⾔った。男は瞬きを⼀回した。
それを返事だと受け取ることにする。
この⾞はメインのクルーにいたころから乗ってる。あのころはもっと⼤勢乗ってた。メインに、ドリオに、ピラルに、キーウィ。今は坊主とレベッカとルーシーだけだ。
メインのクルーに⼊ったのはずいぶん前だ。メインはでかくて、うるさくて、仲間を家族みたいに扱う男だった。坊主を拾ってきたのもメインだ。
メインも、ドリオも、ピラルも、キーウィも、もういない。
坊主はメインの代わりにクルーを背負った。背負ったぶん体にサイバーウェアを詰め込んだ。⽌める⾔葉を俺は持ってなかった。持ってたとしても、坊主は⽌まらなかっただろう。
メインがそうだったように。
それが昨⽇の夜、⽌まった。
あの仮⾯のガキが⽌めた。
坊主の体を取引で預かるって⾔ってた。最初は何を⾔ってるんだと思った。⼈の体を預かるなんてろくな話じゃない。
でもあのガキは嘘は⾔わなかった。効くかわからない。効かなかったらどうなるかもわからない。
全部正直に⾔っていた。
そのうえで坊主の⾸に針を刺させた。ルーシーとレベッカ
が坊主の⼿を握るのを、黙って待ってから。
⼯具箱から樹脂と注⼊⽤の道具を出す。
ガレージの⼊⼝に⼩さな⼈影が⽴ってる。
⽩い仮⾯。寝癖のついた⽩い髪が仮⾯の縁からはみ出してる。⼿に合成スナックの袋。
「何やってんだ」
「ひびを⽌めてる。放っとくと⾛ってるうちに広がるんでな。替えのガラスがありゃ、とっくに替えてるさ」
ガキは俺の⼿元を⾒てる。それから袋からスナックを⼀つ出して、仮⾯の下から⼝に放り込む。
「……それ、不味いだろ」
ガキは仮⾯の下で⼝を動かしながら頷いた。それから、他にねえんだよ、と⾔う。
俺はちょっと笑った。
「今度何か作ってやる。ちゃんとした飯をな」
ガキは何も⾔わない。でもガレージの⼊⼝からしばらく離れなかった。
ひびの端に樹脂を流し込みながら、横⽬でガキを⾒る。
昨⽇の夜、広場で俺はアダム・スマッシャーに殴り⾶ばされた。起き上がったときにはもう全部終わってた。スマッシャーが坊主の額に砲⼝を向けたまま、置物みたいに⽌まってた。
その横をこのガキが歩いてきた。⾜が少し震えてた。
それを⾒て、このガキを信じてもいいと思った。
理由は上手く⾔えない。
*
【デイビッド】
頭の中が静かだ。
⽬を覚まして⼀番最初にそう思った。
ここ最近、頭の中はずっとうるさかった。サイバーウェアの⼀つ⼀つが、勝⼿に喋ってるみたいだった。腕も、脚も、背⾻のサンデヴィスタンも。全部が俺の体じゃないって、俺に向かって怒鳴ってた。
抑制剤を飲めば少し静かになる。飲む量はどんどん増えた。レベッカに打ってもらう本数も。
それが今は静かだ。
天井を⾒る。知らない天井だ。灰⾊のコンクリート。換気⼝の⽻根がゆっくり回ってる。
ベッドの横の椅⼦でルーシーが俺の⼿を握ってる。⽬が合った。ルーシーは黙ってる。ただ、握ってる⼿に⼒が⼊った。
それで⼗分だった。
キーウィはもういない。あいつがファラデーと組んでたって知ったとき、腹の底が冷えた。それでも最後にルーシーの居場所を送ってきたのは、あいつだ。どっちのキーウィを覚えておけばいいのか俺にはまだわからない。
ベッドの⾜元ではレベッカが⽑布にくるまって丸くなって眠ってる。
ファルコは⼊⼝の壁に寄りかかって眠ってる。⽴ったまま。
ベッドの横の台に⻩⾊いジャケットが畳んで置いてある。
⺟さんのジャケットだ。救急隊の、古いやつ。袖のマークがすり切れてる。肩のところが裂けてる。アダム・スマッシャーに外⾻格を剥がされたとき、⼀緒に裂けたんだろう。
誰かがきれいに畳んでおいてくれてた。
⺟さんは俺に天辺に⾏けって⾔った。
ルーシーは⽉に⾏きたいって⾔ってた。
俺は連れていくって約束した。
どっちもまだ果たしてない。
天辺に⾏くために体に⼊れられるものを全部⼊れた。⼊れるたびに強くなった。強くなるたびに頭の中がうるさくなった。
アラサカタワーの天辺の近くまで俺は⾏った。
降りてきた広場で外⾻格を紙みたいに剥がされた。額に砲⼝を向けられた。
あそこで終わるはずだったが、終わらなかった。
医務室の⼊⼝に⽩い仮⾯が⽴ってる。いつからそこにいたのかはわからない。背の低い、細い体。俺より⼆つか三つ年下に⾒える。
アノン
アフターライフで初めて会ったとき、あいつは俺の体の中を⾒て何か思ったはずだ。あのときは何も⾔わなかった。管理棟で俺が箱をこじ開けるって⾔ったときも、⽌めなかった。
その代わり、昨⽇の夜に取引を持ちかけてきた。助ける代わりに体を預けろって。
俺は乗った、どうせもうそんなに持たないってわかってたから。
そして今、頭の中が静かだ。
「よう、眠り姫。気分は」
アノンの声が仮⾯の機械を通して太い⼤⼈の声になって届く。
仮⾯の下の顔を俺はまだ知らない。
「頭の中が静かだ」
天辺のことはまだ考えられない。
今はこの静かさを、もう少しだけ聞いていたかった。
お察しの方が居ると思いますが、主人公がアダム・スマッシャーへAIを放ったシーン。アレは一歩間違えればナイトシティ終了のお知らせでした。
アダム・スマッシャーはその身で主人公の攻撃を受ける事でナイトシティを、ひいてはアメリカ合衆国を守り抜いたのでした。
全員そんなつもりは無かったんですがね。