The Child Leading Beyond the Wall 作:housen
夢の切れ端をポケットに詰め
俺達は星の海へ逃げ延びる
世界を騙し切った代償が
如何ばかりかは
彼のみぞ知る
デイビッドが⾃分の⾜で廊下を歩いてくる。
研究所の地下⼆階。医務室から実験室まで五⼗メートルほどの廊下だ。⼆週間前には担架で運ばれた距離。
今は左⼿を壁に添えてるだけで、体重は預けてない。半歩後ろにルーシー。⼿は出さずに、だがいつでも出せる距離を保ってる。
実験室の椅⼦にデイビッドが座る。
⽩⾐の男の器がデイビッドの⾸の後ろに端末を当てる。俺は部屋の隅の椅⼦で胡坐をかいて、バイザーの内側に数値を並べた。
神経とサイバーウェアの継ぎ⽬のずれ。身体中にある、何百もの継ぎ⽬の分。
⼆週間分の数値のグラフ⼀枚に重ねて出す。
最初の三⽇で、線は⼤きく下がってる。崩れる⼨前のところから、ナノマシンが神経を⼀つずつ戻していった分だ。四⽇⽬から⼗⽇⽬までは緩やかに、それでも毎⽇下がってる。
それがここ三⽇、ほとんど動いてない。
「今⽇は?」
デイビッドが訊いた。
「昨⽇と同じ。あくびの出る数値だよ」
昨⽇も同じ答えだった。デイビッドもそれを覚えてたらしく、少し笑う。笑ったまま⾃分の⼿のひらを⾒て、開いて、閉じた。指の⼀本⼀本が遅れずについてくる。⼆週間前はそれができなかった。
「頭のほうはどうだ?」
「静かだ。……たまに、うるさい。朝、起きてすぐのときだけ、少し」
数値を朝の時間で切り出す。確かに、起きた直後の数分だけ揺れている。デイビッドの背⾻には軍⽤のサンデヴィスタンが⼊ってる。体の中で⼀番⼤きく、神経の⼀番深いところに繋がってるサイバーウェアだ。
ナノマシンはそこにも届いて、ずれを戻してる。ただ、戻すのが⼀番遅い。
「了解」
それだけ⾔った。
ルーシーが俺の仮⾯を⾒た。何か⾔いたそうな⽬で、でも⼝は開かない。この⼆週間、ルーシーは⾃分のデッキで毎朝この数値を⾒てる。線が⽌まってることにもとっくに気づいてるはずだ。
*
線の下降が⽌まった理由は⼆つ考えられる。
ナノマシンが、⼿の届く継ぎ⽬を戻し終えた。残りは今のやり⽅では戻せない形をしてる。それなら次の試作品がいる。
あるいは、⽌まって⾒えるだけで、ナノマシンは俺の数値では拾えないくらい⼩さく仕事を続けてる。それなら待てばいい。
どっちなのかは待ってみないとわからない。
壁の向こうのAIたちはもう⼗三本⽬の設計を始めてた。⼗⼆本⽬が戻しきれなかった形の継ぎ⽬を試料の上に作り直して試してる。
でも今デイビッドに⼗三本⽬を⼊れたら、⼗⼆本⽬が⼀⼈でどこまでやれたのかがわからなくなる。⼆つの仕事が⼀本の線の上で混ざる。
だから当分は何も⼊れない。
その間、デイビッドの体には休んでてほしい。数値を⾒る限り、サンデヴィスタンを⼀度使えば、ナノマシンが何⽇もかけて戻した分のずれがまた溜まる。殴り合いも撃ち合いも、全⼒で⾛るのも、ないほうがいい。
研究所の地下で⼆週間。三⼈とも外に⼀歩も出てない。
レベッカは地下四階の古い射撃場で、朝から晩まで撃ってる。ミリテクが昔、新しい銃を試してた場所だ。的はとっくに錆びてる。それでも撃つ。弾は倉庫に⼭ほど残ってた。
ファルコはガレージで⾞をいじってるか、厨房にいる。研究員たちが使ってた古い厨房だ。器たちは⾷べない。俺は合成スナックしか⾷べない。ファルコが来るまで、あの厨房の⽕は何年も点いてなかった。
ルーシーはデイビッドのそば。そうじゃないときは、⾃分の部屋でデッキに繋がってる。
デイビッドは⾔われたとおりにしてる。寝て、起きて、廊下を歩いて、数値を測られて、また寝る。
⼆週間はそれで持った。
デイビッドはガレージでファルコの⾞のエンジンを勝⼿にかけてた。どこへ⾏くつもりだったのかは本⼈も⾔わない。ファルコが黙ってキーを抜いた。
もう⼀週間持つかどうかは怪しい。
*
⾃分の部屋に戻って、街のほうへ⽷を伸ばす。
この⼆週間、毎晩やってることだ。AIを何体か、ナイトシティのネットに放ってある。
アラサカのネットランナーがどこを探ってるか。どのフィクサーに何を訊いてるか。それを毎晩⾒る。
映像を並べた。
今夜も街中の記録が洗われてる。
ワトソンの闇医者の診療所。⼆週間分の客の顔写真が⼀枚ずつ照合されてる。探してる顔は⼀つ。銀⾊に近い髪の、若い⼥。
ジャパンタウンの安宿。フロントのカメラの記録も同じ顔で照合されてた。
ヘイウッドのリパードク。こっちで洗われてるのは顔じゃない。施術の記録から、軍⽤のサンデヴィスタンを⼊れた客の名前を拾ってる。
照合の結果を⼀つずつ確かめていく。ルーシーの顔はどの記録からも出てこない。デイビッドの名前も出てこない。最初からそうしてある。この⼆週間、出てこないことを毎晩確かめ直してるだけだった。
ただ、洗ってる⼈数は減ってない。
むしろ増えてる。⼀週間前までは数⼈で回してたのが今夜は数⼗⼈がかりだ。探す場所も広がった。診療所と宿だけじゃない、街から出ていく⾞の記録、NCARTの駅のカメラ、宇宙港の客の名簿。
アラサカはタワーの夜に何が起きたのかをまだ知らない。スマッシャーの記録は外⾻格を剥がしたところで途切れてる。広場のカメラにも兵⼠の⽬にも残ってない。
AIを⼀体、洗ってる連中の⼀⼈の後ろにつけた。指⽰を出してる⼈間を⾒に⾏かせる。
すぐに戻ってきた。
タワーの警備部⾨の、部⻑クラスの男。あの夜、⾃分の持ち場で何があったのかを上に報告できなかった男だ。
『アノン』
バイザーの端にローグの回線の印が灯った。
『アラサカの使いがうちにも来たよ。銀髪の、若い⼥のネットランナーを探してる。⾒つけたら⾔い値で買うってさ。あたしのとこだけじゃない。街中のフィクサーに同じ話が回ってる』
「で、姐さんは何て答えたんだい」
知らないと答えた、とローグは⾔った。知ってても⾔わないけどね、と付け⾜す。
ローグはそれ以上何も訊かない。あの夜、デイビッドを俺に繋いだのはローグだ。その後どうなったのかを⼀度も訊いてこない。
『それと、もう⼀つ。ミリテクも街の外れで潰された部隊のことを調べてる。黒い外⾻格の映像をあっちも持ってる。顔は映ってないけどね』
「了解。恩に着るよ、姐さん。今度ボトルを⼀本⼊れとく」
礼を⾔われるようなことはしてないよ、とだけ返して、ローグは回線を切った。
映像を閉じて、椅⼦の上で背中を丸める。
アラサカの探す範囲はこれから広がる⼀⽅だ。俺が毎晩書き換えれば、あいつらは何も⾒つけられない。それは変わらない。
ただ、範囲が広がるほど、三⼈がここから⼀歩でも外に出たときに⽬に触れる場所が増える。そのたびに俺が書き換える。それをいつまでも続けることになる。
それより、三⼈を範囲の外へ出してしまったほうが早いか。
アラサカが何も⾒つけられないまま、ほとぼりが冷めるまで。
*
今日の⼣飯はファルコが作った。
厨房の隣の古い⾷堂。⻑いテーブルが三列並んでて、五⼈で使うには広すぎる。ファルコはその⼀番端の⼀⾓だけを拭いて、⽫を並べてた。
⽫の上にはスコップ料理(スプーンですくって食べる料理)。合成の⾁の塊を薄く切って焦げ⽬がつくまで焼いてある。上から⾚いソースを、付け合わせは乾燥野菜を戻して炒めたもの。
材料は、ファルコが紙に書いた買い物の⼀覧どおりに俺が注⽂した。荒野の中の廃業したガソリンスタンドに届けさせて、制服の男の器に取りに⾏かせた。
⼀覧の半分は聞いたこともない⾹⾟料の名前だった。
「ほれ、ちゃんとした飯だ」
ファルコが⾔った。
俺はテーブルの⼀番端に座って⽫を引き寄せ、仮⾯の下から⼀切れ⼝に⼊れた。
手料理の味がする。でも合成スナックとは⽐べものにならない。
「……美味い。マジかよ、最高だぜchoom」
ファルコは、だろ?とだけ⾔って⾃分の⽫に戻る。
レベッカはもう⼆切れ⽬を⼝に⼊れてた。ルーシーはデイビッドの⽫の⾁を食べやすいように半分にしてやってるが、デイビッドは⾃分で切れると⾔ってナイフを取り返した。
四⼈が同じテーブルで飯を⾷ってる。
俺は⽫を空けてフォークを置いた。
「んで、突然始まった休暇だが、何処か⾏きたい所はあるか?」
四⼈の⼿が⽌まった。
最初に⼝を開いたのはレベッカだ。
「は? なんで急に」
「アラサカの連中がお前らを探して街中をひっくり返してる。ほとぼりが冷めるまで、バカンスといこうぜ」
レベッカはフォークを持ったまま俺の仮⾯を睨んだ。睨んだまま何か考えて、それからデイビッドのほうを⾒る。
デイビッドは俺を⾒てない、ルーシーを⾒てた。
ルーシーは⼿に持ったナイフを⽫の上にそっと置いた。
「……どこでも、いいの」
「どこでも。財布は俺持ちだ」
ルーシーはすぐには答えない。デイビッドを⾒て、デイビッドが⾒返す。
⼆⼈の間で何かが⼀往復した。
俺にはそれが何なのかわからない。
「⽉だ」
デイビッドが⾔った。
「⽉に⾏く。ルーシーと」
ルーシーは何も⾔わない。ただ、テーブルの下でデイビッドの袖の端を掴んでた。
思ってもみない答えだった。
⽉に⼈が住んでることは知ってる。宇宙港から定期便が⾶んでて、居住区のドームがあって、⾦持ちの観光客が⾏く場所だ。でもストリートで⽣きてる⼈間が真っ先に挙げる⾏き先だとは思ってなかった。
「ずっと⾏きたかったの」
ルーシーが⾔った。
それだけだった。なぜ⾏きたかったのかは⾔わない。⾔わなくても、デイビッドは知ってるらしい。
「いいぜ。⽉か、悪くねえ趣味だ。アラサカもさすがに⽉までは追っかけてこねえだろ」
それからレベッカを⾒た。
「チケットは三⼈分だ。お前の分も⼊ってるぜ、choom」
レベッカがフォークを⽫に落とした。
「はあ? なんであたしまで」
「お前も広場に居ただろ」
レベッカは、いたけどさ、と⼝の中でこぼしながら、デイビッドとルーシーを順に⾒た。テーブルの下で⼆⼈の⼿が繋がってる。
「……⼆⼈で⾏けばいいじゃん。あたし、邪魔でしょ?」
「来て」
ルーシーが⾔った。
レベッカの顔が⽌まった。
「レベッカも、来て」
ルーシーはそれ以上何も⾜さずに、レベッカをまっすぐ⾒てる。
レベッカは⼝を開けたままルーシーの顔を⾒てた。それから⽫の上のフォークを拾って、⾁の残りを⼝に突っ込む。突っ込んだままそっぽを向いた。
「……⾏く」
頬張ってるせいで、ほとんど聞き取れない。
ファルコが⾃分の⽫を⽚づけはじめた。
お前はどうする、と訊くと、ファルコは⽫を重ねながら答えた。
「俺は残る。宇宙ってのはどうも性に合わねえ。⾞で⾛れねえ場所に⾏っても、やることがない」
それから重ねた⽫を持って⽴ち上がり、俺の方を⾒る。
「それに、あんたとは⼀度ちゃんと話しときたいことがある。三⼈がいないほうが話しやすい」
何の話かは⾔わなかった。俺も訊かない。
*
三⼈分の⾝元を作るのに⼀晩かかった。
名前を作る。⽣まれた場所を作る。住んでた部屋の契約と、払ってきた家賃の記録を作る。
勤め先と、給料の振り込みの記録を作る。
病院の記録を作る。どれも何年も前からずっとそこにあったように。
顔だけは本⼈のものを使う。宇宙港の顔の照合をまるごと書き換えるより、本物の顔に偽物の名前を結びつけておく方が、あとでバレにくい。その代わり本物の名前の方はアラサカが洗っても引っかからないように、もう⼀段奥にしまった。
三⼈ともジャパンタウンの⼩さな会社の社員ということにした。社員旅⾏の当選者。⽉の居住区に⼗⽇間。
旅⾏の代⾦は俺の⼝座から払った。三⼈分で、レベッカが聞いたら卒倒しそうな額だ。
だからレベッカには⾔ってない。
翌朝、デイビッドの数値を測るついでに、三⼈に新しい名前を教えた。
「覚えろよ。向こうに着いたら、それがお前らの名前だ。サインの練習もしとけ」
レベッカは⾃分の新しい名前を三回声に出して、四回⽬で顔をしかめた。
「なんか、地味」
「⽂句があんなら⾃分で考えな。⼀晩で三⼈分な」
ルーシーは⼀度聞いただけで覚えたらしく、黙って頷く。
デイビッドは⾃分の新しい名前を聞いて、少しの間⼝をつぐんでた。それから俺の仮⾯を⾒る。
「あんたは来ないのか」
「俺はパスだ。アラサカの⾒張りがいる。あと、俺の体は旅⾏向きじゃねえ」
デイビッドは俺の細い腕を⾒た。それで納得したらしい。
「……あんたがいなくて、平気なのか。これ」
デイビッドが⾃分の⾸の後ろを指さす。
「ナノマシンを動かしてるのは、お前の中のAIだ。俺がいなくても勝⼿に働く。優秀な社員だろ」
何かあったらどうする、とデイビッドが重ねた。
「ルーシーが⾒てる。数値が急に動いたら、すぐわかる」
ルーシーが俺を⾒て⼩さく頷いた。
「それと、サンデヴィスタンは使うな。⽉で⾛り回る理由はねえだろ」
デイビッドが少し笑った。
「⽉で何から逃げるってんだよ」
「兎が居るらしいぜ。こっちでは「月に住む男(The Man in the Moon)」だったか?」
*
出発の⽇、レベッカはガレージでショットガンをファルコに渡した。
宇宙港には銃を持って⼊れない。持って⼊れたとしても、⽉の居住区には持ち込めない。
「預かっといて」
ファルコはショットガンを両⼿で受け取って⼀度持ち直した。
「傷はつけねえよ」
「当たり前。つけたら撃つから」
ファルコが呆れた顔をすると、レベッカは笑ってファルコの⾞の荷台に乗り込んだ。宇宙港まではファルコが送っていく。俺は研究所に残って、宇宙港のネットに⽷を伸ばした。
⼊⼝の顔の照合。
三⼈の顔がカメラの前を通り過ぎた。
照合の結果にジャパンタウンの会社員の名前が三つ並んだ。どれも何年も前からそこにあった名前だから照合の機械は⼀つも疑わない。
⼿荷物の検査。体のスキャン。デイビッドの背⾻のサンデヴィスタンがスキャンの画⾯に映る。記録の上では古い型の⺠⽣品ということにしてある。係員は画⾯にちらりと⽬をやって次の客を呼んだ。
出国の記録。
搭乗⼝の名簿。
よし、全部通ったな。
ちょうどその時間に、宇宙港の客の名簿も⼀度洗われていった。銀⾊の髪の若い⼥。軍⽤のサンデヴィスタンを⼊れた若い男。洗ってた⼿は何も拾わずに次の場所へ移っていく。
搭乗⼝のカメラの中で三⼈が並んで座ってる。
レベッカは窓の外のシャトルを⾒ながら、ずっと何か喋ってる。デイビッドがそれに相づちを打つ。ルーシーは⼆⼈の間で窓の外を⾒てた。
ルーシーの横顔は、⼆週間前の医務室で⾒たどの顔とも違う。
搭乗が始まった。三⼈が搭乗⼝の向こうに消える。
宇宙港の前の道路を映すカメラに切り替えた。ファルコの⾞が駐⾞場の端に⽌まってる。運転席でファルコが窓の外を⾒上げてた。
やがてシャトルが上がった。
⽩い煙を引いて、まっすぐ夜の空へ。宇宙港の照明が機体の腹を下から照らしてる。それがだんだん⼩さくなって、星と⾒分けがつかなくなって、最後に消えた。
ファルコの⾞はそれからもしばらく駐⾞場から動かなかった。
回線にファルコの声が⼊った。
『上がったな。……あんたも、どうせどこかで⾒てたんだろ』
「宇宙港のカメラでな。お前が駐⾞場で、⾸を痛めそうなくらい上を⾒てたのも」
ファルコが⿐で笑う⾳がして、エンジンがかかった。
『これから帰る。飯を⾷ったら話がある。この先のことだ』
回線が切れた。
バイザーの内側に、今朝測ったデイビッドの数値を出す。
⽌まったままの線をしばらく眺めてた。