The Child Leading Beyond the Wall 作:housen
大きな背中に太い腕
抱えきれぬほどの夢を背負い
お前は笑って地獄の街の頂点を目指す
ならば止まること等、許しはしない
幕を開けたのはお前なのだから
[ シ テ ィ セ ン タ ー 紺 碧 プ ラ ザ ]
紺碧プラザの外壁は、上から⾒下ろすとどこまでも続くガラスの崖になってる。その途中に張り出した客室階の喫煙所で、俺は植⽊の陰にしゃがみ込んでた。⼣⽅からずっとここにいる。
腹が鳴る。
合成スナックの袋は研究所の机の上に置きっぱなしだ。誰もいない客室にルームサービスを頼んで、こっそり受け取ってやろうかとも思ったけど止めておいた。
今夜だけは余計な⾜跡を⼀つも残したくない。
⾒上げれば、六メートルほど上の外壁に靴⼀⾜分の幅の縁が横に⾛ってる。そこを⼆つの⼈影が壁に背中を押しつけて、横歩きで渡ってくるところだった。
前を行くのはここからでも分かる大男、【ジャッキー・ウェルズ】今夜アラサカから盗み出したチップを冷やしたまま運ぶための黒いケースを⽚腕で胸に抱えてる。
その後ろを行くのは俺達のよく知る【V】だろう。⼆⼈の⾜元のずっと下では、シティセンターの明かりが広がって、⾼層ビルの⾕間を⾞のライトが細い川みたいに流れてる。
最上階でアラサカの会⻑が実の息⼦に⾸を絞められて死んだのも⼆⼈の後ろで回線を繋げてたネットランナーが焼かれたのも、全部カメラ越しに⾒てた。
「下は⾒んなよ、V。⾒たら最後だ」
⾵に混じってジャッキーの声が降ってくる。Vは返事をしないで縁の上を半歩進んだ。靴の先から⼩⽯が⼀つ落ちていった。
ホテルの⾓の向こうから、ダクトファンの唸りが近づいてくる。
滑り出てきたのは、腹に⾚い社章を描いたアラサカのAVだ。機体の腹の照明が外壁をなぞって動いて、縁の上の⼆⼈を⽩く浮かび上がらせる。
ゲームでは、この光に照らされたあと、ジャッキーが撃たれる。
ジャッキーがケースを抱えたまま、空いてる腕でVを壁に押しつける。
機⾸の下で機関砲の銃⾝が回りはじめる。
*
[ バ ッ ド ラ ン ズ 研 究 所 ]
半年前の晩に時間を戻す。
画⾯の中で俺の選んだ痩せた剣⼠が⼤男に⾜⾸を掴まれて、地⾯に三回叩きつけられた。体⼒の棒が⼀気に空になった。これで通算四⼗⼀連敗⽬。レバガチャしても抜けられない投げ技なんて作ったやつの性格が知れる。
壁の向こうから拾ってきたこの格闘ゲームは相変わらず半分しか動かない。選べる七⼈のうち、⼤男に勝てそうやつは⼀⼈もいなかった。
「なぁ、この技やっぱりズルくねえか?」
部屋の隅の⽩⾐の男に⾔ってみると、瞬きが⼀回返ってきた。賛成の意味じゃないことくらいは、⼆年も⼀緒にいればわかる。
⽉から三⼈が帰ってきて⼆か⽉になる。デイビッドたちはローグの回す仕事で、また街を⾛りはじめた。レベッカのガッツも、ファルコの⼿から元の持ち主に戻ってる。デイビッドの数値⽌まったままで、⼗三本⽬はまだ試料の上だ。
四⼗⼆戦⽬を始めようとしたところで、バイザーの端にホロコールの印が灯った。名前を⾒てゲームを⽌めた。
「よう、でかいの。ママの店の話なら来週にしてくれ。俺は今⼤事な試合中なんだ」
『アノン。頼みがある』
いつもの、回線越しでも⽿が痛くなるような声じゃない。後ろで低い⾳楽とグラスの⾳がしてる。
『ダチが⽴てなくなった。体の中のサイバーウェアが、全部⽌まってる』
「ぶっ壊れたのか、誰かに電源抜かれたのか、どっちだ?choom」
ジャッキーの後ろで誰かが咳き込んだ。
『アラサカの連中が⽌めていった。こいつ、今夜でアラサカをクビになったんだ』
歴史の幕を開ける音を聞き逃さなかった自分を褒めながら、俺は例の【ダチ】へと⽷を伸ばした。
*
[ ワ ト ソ ン カ ブ キ リ ジ ー ズ ]
借りた天井のカメラには、紫と桃⾊の照明に染まったカウンターと、奥の⼩さな舞台が映ってる。客の半分は派⼿な化粧をした連中で、カウンターの奥では髪を逆⽴てたバーテンダーが知らん顔でグラスを拭いてる。⼊⼝には⾸の太い⼥の⽤⼼棒。この辺りを仕切ってるギャング【Mox(モックス)】の店だ。
奥のボックス席の床にジャッキーがしゃがみ込んでる。
その腕の中に若い男が⼀⼈、短く刈った髪が汗で額に張りついて上等な仕⽴てのジャケットは皺だらけ。
⽬は開いてるのにどこも⾒てない。
体の中を開いて(スキャンして)みる。両⽬と、神経の処理装置。後は腕のマンティスブレードか⋯いい趣味してるぜ
どれもアラサカの社員に配られる上等な品物で、しかしどれも⽌まってた。壊れてはいない。サイバーウェアの奥に⼀つ残らず同じ形の錠がかかってる。
カメラの記録を⼆⼗分巻き戻した。
ボックス席の前に、スーツの男たちが⽴ってる。
「データシャードを」
差し出された⼿のひらに、座ってたほうはすぐには動かない。先頭の男は返事を待たずに⼿の中の端末を操作した。
それだけで、座ってたほうの体が椅⼦から崩れ落ちた。床の上で⼿探りでジャケットの内側からシャードを⼀枚出すと、男はそれを受け取って上着の内ポケットにしまった。
「アラサカでの雇⽤は、ただいまをもって終了だ。ついでに、⾝柄も預からせてもらう。上の⽅への⼿⼟産でね」
床の体に伸びた男たちの⼿の前に、ジャッキーが⽴ちはだかった。
「なああんたら、ここがどこだかわかってやってるのか?モックスの店だぜ」
ジャッキーが顎で⽰した店の中では、舞台の⾳楽がいつの間にか⽌まってた。⽤⼼棒は扉の前で腕を組み、カウンターの客の何⼈かは上着の内側に⼿を⼊れてる。
「うちの店で揉め事は困るんだよね、お兄さんたち」
扉にもたれたまま、⽤⼼棒の⼥が⾔った。
⼝元は笑ってるのに、⽬は笑ってない。
ジャッキーが⼀歩、先頭の男に詰め寄った。
「お仲間は、屋上のAVの中だろ」
腰の⾦⾊の拳銃にジャッキーの⼿がかかる。抜きはしない。
「ここで⼀発でも撃ってみろよ。屋上まで、⽣きて戻れる道を知ってるのか⋯あぁ?」
男たちは店の中を⾒回して、それから何も持たずに出ていった。その背中に、床の上からVが中指を⽴ててる。⽬はまだどこも⾒えてないはずなのに。
屋上でダクトファンが唸って遠ざかっていく。
*
記録を今に戻すと、ジャッキーは床にしゃがんだまま、腕の中のやつの肩を⽀えてた。
「でかいの。そいつ、今はお前の顔も⾒えてねえ。だから、そんな泣きそうな顔すんな」
してねえよ、と⾔いながら、ジャッキーは天井を⾒上げた。どのカメラなのかはわかってないらしい。
『直せるのか?』
返事の代わりにAIを⼀つずつ錠に向ける。下⼿に開ければ、サイバーウェアごと丸焼けになる物騒な錠だ。AIたちは内側に⼊り込んで鍵の形を読み取って内側から合う形を作っていく。神経の処理装置の錠だけが外れる⼨前に⼀度だけ噛みついてきて、糸を⼀本焼いた。焼かれた糸はすぐにAIが修復する。
⽬、腕、神経の処理装置。その他アラサカが仕掛けた錠が順番に外れた。外した跡は全部消しておく。一応な?
カメラの中で、ジャッキーの腕の中のやつが瞬きをして、ジャッキーの顔を⾒た。
「おい。⾒えるか。俺の顔、わかるか」
顔の前で振られたジャッキーの⼿を、⽬が追って、それから⼩さく頷いた。
「……ジャッキー。何が、どうなってる⋯⋯」
ダチに⾒てもらった、とジャッキーが答える。アラサカの鍵を外してもらったんだ、と。Vは何か訊きかけてジャッキーの顔を⾒上げた。
「腕のいいネットランナーだよ。顔は知らねえ。俺も仮⾯しか知らねえ」
ジャッキーはそいつの肩を叩いて、名前を呼んだ。
【V】と。
⼿が⽌まる。
カブキのモックスの店。
屋上にアラサカのAV。
会社を追い出されたばかりのコーポと、それを抱き起こしてるジャッキー・ウェルズ。
やはり知ってる場⾯だ。コーポのライフパスを選んだときの、ゲームの始まり(プロローグ)。
アラサカのAVで屋上に降りて、ジャッキーに会って、アラサカの連中に⾸輪を外される。
そして
そこから半年で、ジャッキーは死ぬ。
カメラの中では、Vがジャッキーの腕につかまって⽴ち上がろうとしてる。アラサカの社員の記録を開いてみると、所属は防諜部、今夜の⽇付で解雇の印がついてた。
『アノン。こいつ、⽬が⾒えるってよ。⼿も動く』
ジャッキーの声に、いつものうるささが戻ってる。
『恩に着る。なあ、今度こそママの店に来いよ。こいつも連れてく。お前に礼を⾔わせる』
「ママのエンチラーダは⾷いてえけど、そいつに礼を⾔われる筋合いはねえよ。お前が呼んだから⾒ただけだ」
じゃあ俺から⾔う、ありがとよ、とジャッキーが返した。
「成⻑期のガキに、借りを作ったな」
腹の底から笑うジャッキーの顔を、カメラの中のVが⾒上げてる。
『こいつとは、多分組むことになる。いいやつだ。そのうち紹介する』
「紹介はいらねえよ。どうせそのうち、嫌ってほど顔を合わせる仲になる」
どういう意味だと笑ってから、ジャッキーは思い出したように付け⾜した。
『そういや、こいつ、コーポのくせに、さっき連中に向かって中指⽴てやがったんだ。⽬も⾒えてねえのに⋯気に⼊った!』
それだけ⾔うと、ジャッキーは回線を切った。
*
椅⼦の上で胡坐をかいたまま、天井を⾒る。
ゲームの中のジャッキーは、紺碧プラザから⽣きて出られなかった。外壁の縁で撃たれて、タクシーの後部座席で、Vの隣で死んでいく。
ジャッキーに教えることも考えはした。バイザーの内側に、ジャッキーとのホロコールの履歴を並べてみる。何⼗本もある。ママの店の話に、ミスティの店のお⾹の話、撃たれて包帯で全⾝を巻かれた話。その中から⼀本を選んで再⽣した。
『なあ、アノン。俺はいつか、この街で天辺を取る。アフターライフに、俺の名前の酒ができるくらいにな』
記録の中のジャッキーは⾔い終わってからも、しばらく笑ってる。
半年後の仕事はやめとけなんて⾔ったところで、この男は笑って、そのまま⾏く。なら、⾏かせればいい。
あの夜のことは、画⾯の向こうで何度も⾒てる。どこの縁で、どの機体に撃たれるのかも。今度はそれを⾃分の⽬で⾒る。
それより前に⼿を出せば、あの夜の筋が変わって、その先は俺にも読めなくなる。
だから、⼿を出すのは⼀度だけ。
⼀瞬だけだ。
ジャッキーの回線にAIを⼀体つけておく。仕事の話に紺碧プラザの名前が出たら、知らせるように。AIは回線の陰に潜り込んで、それきり動かなくなった。
画⾯の中では⼤男が腕を組んで次の挑戦者を待ってる。四⼗⼆戦⽬は始めないことにした。部屋の隅で⽩⾐の男が瞬きをする。
漫画とゲームのフォルダのさらに奥に、名前のないフォルダを⼀つ作って、今夜のリジーズのカメラの記録を⼀本だけしまう。
*
[ 紺 碧 プ ラ ザ ]
銃⾝が、回りきる。
照準システムなら、⼣⽅のうちに掌握済みだ。レティクルを⼆⼈の体から⼆メートル横へ。
機関砲が⽕を噴いて、⼆⼈の横のガラスが縁に沿って⼀列に砕けていく。
散った破⽚が照明を浴びて光った。ジャッキーが何か怒鳴り、⼆⼈は同時に縁を蹴る。
そのまま、俺の⽬の前に降ってきた。
ジャッキーの体が植⽊を⼀本へし折り、床を転がって、⻑椅⼦にぶつかって⽌まる。少し離れたところにVが⽚膝をついて着地して、顔を上げるなりジャッキーのほうを⾒た。
ジャッキーの胸から黒いケースが⾶ぶ。床の⾓に当たって跳ねて、蓋の継ぎ⽬にひびが⼀本。
割れたガラスの破⽚が遅れてテラスの床にぱらぱらと降ってくる。植⽊の葉を払いながらジャッキーが体を起こした。どこからも⾎は出てない。
上では、AVの照明が空っぽの縁をひとしきり照らしてから、ホテルの⾓の向こうへ戻っていくところだった。照準の記録には、撃って、⼆⼈が縁から落ちた、とだけ残しておいた。操縦⼠は外れた弾を機体の揺れのせいにして、縁から落ちた⼆⼈の報告を無線で上げてる。
ジャッキーは床のケースを拾い上げて、ひびを⾒るなり顔⾊を変えた。
「嘘だろ。おい、V、こいつ割れてやがる!」
肘をさすりながら這ってきたVがケースを覗き込んで、蓋の継ぎ⽬を指でなぞる。その横で、俺はジャッキーの⽿の中に声を流した。
「よう、でかいの。⽣きてるか」
ジャッキーの⼿が⽌まって、テラスの暗がりを⾒回した。植⽊の陰までは照明が届いてない。
「……アノンか!お前、どこから」
「何処でもいいだろ。それで、何か困りごとか?」
ジャッキーはもう⼀度テラスを⾒回して、声を殺して笑った。
ケースの側⾯では、⼩さな表⽰が⾚く点滅してる。Vの⼿⾸の内側でホロコールの印が光った。Vは表⽰された名前に⽬を落として、それからジャッキーに⽬をやった。
「エヴリンだ」
「出ろよV。依頼⼈にクレームの電話だ。ケースの件訊いてやれ」
回線を開いたVは、うん、と⼆回だけ答えた。その間に顔がケースの表⽰と同じくらい険しくなっていく。
ジャッキーが暗がりに向かって⼩声で⾔った。
「おい、アノン。⾒てんなら、ついでに出⼝も教えてくれよ」
返事はしない。俺の仕事は、もう済んでる。
アフターライフのカウンターの奥には、死んだ傭兵の名前を書いた板が掛かってる。その⼀番新しい列に、ジャッキーの名前が並ぶはずだった。
今夜、その名前は書かれない。