The Child Leading Beyond the Wall 作:housen
奪われた時間を乞うのではない
奪い返すための毒をその胸腔に注ぎ込むのだ
[ バ ッ ド ラ ン ズ 研 究 所 ]
試料の⽫の上で銀⾊の粒が継ぎ⽬に⼀つずつ張りついていく。
培養した神経の細胞に、紺碧で読んだチップの書き込みの⼿順をそのまま流し込んである。書き込まれる側の形は半年前のリジーズで読んだVの神経の形。
⽫の上でVの形が別の誰かの形に少しずつ塗り替えられていく。
⼗四本⽬は、その塗り替えの⼀歩前に回り込む。チップが書き込もうとした場所に先に張りついて、元の形をもう⼀度なぞり直す。チップはなぞり直された場所をまた最初から書き換えなきゃならない。
⽌まりはしない。ただ、遅れる。
紺碧の夜から四⽇。ここまで来るのに⽫を九枚焼いてる。
最初の⽫には⼗⼆本⽬と⼗三本⽬をそのまま⼊れた。デイビッドの継ぎ⽬を戻すためのナノマシンは、チップの書き込みを継ぎ⽬のずれと勘違いして、⽚っ端から引き剥がしにかかる。引き剥がされた場所にチップは倍の速さで書き込み直す。書き込みの速さは⼊れる前より上がった。紛うことなき失敗だ。
三枚⽬はなぞり直す速さを上げすぎた。
チップと⼗四本⽬が同じ場所を取り合って⋯結果細胞を巻き込んで焼け切った。
六枚⽬でなぞり直しをチップの書き込みの⼀歩⼿前に置くことを覚えた。
九枚⽬で焼けなくなった。
⼗枚⽬の⽫の上では、塗り替えの速さが⼗四本⽬を⼊れる前の半分以下まで落ちてる。
部屋の隅で⽩⾐の男が瞬きをする。俺はこの四⽇、ほとんど寝てない。
バイザーの端にホロコールの印が灯った。
『アノンっ!Vが起きた!』
ジャッキーの声だった。
⼗枚⽬の⽫から⼩瓶に⼀本分を吸い上げる。上着の内側にしまってガレージに呼んだタクシーに乗り込んだ。
[ ヴ ィ ク タ ー の 仕 事 場 ]
⼿術⽤の椅⼦の上でVが体を起こしてる。頭の包帯は半分ほどに減ってた。顔⾊は四⽇前の死⼈の⾊からただの病⼈の⾊に戻ってる。
椅⼦の脇でジャッキーがVの肩を掴んで、何度も揺すってた。
「この野っ⋯この野郎ぉ!四日だぞっ四⽇も寝てやがって⋯」
Vはされるがままに揺すられながら、⼊⼝に⽴った俺を⾒た。⽩い仮⾯の、⼩さいやつ。
Vの⽬がそこで⽌まる。
「……ジャッキー、誰だ?」
「ダチだ。アノンって言う。紺碧の夜に俺たちの後ろにいた」
Vの眉が寄る。それから何かを思い出して、目が⾒開かれた。
「紺碧でジャッキーが暗がりに向かって喋ってたな。あの時の相⼿か」
「出⼝は教えてやらなかったけどな」
ジャッキーが横で⿐を鳴らしてVの肩を叩いた。
俺は仮⾯を外さない。部屋の奥の壁際ではタケムラが四⽇前と同じ⽴ち⽅で腕を組んでる。
ヴィクターが画⾯の前の椅⼦を回して、Vに向き直った。Vが包帯の上から頭を押さえ呟くように声を出す。
「……ずっと、夢を⾒てた。アラサカタワーに爆弾を仕掛けてた。夢にしちゃ、⽣々しすぎる」
「夢じゃない、V。それは記憶だ」
ヴィクターは眼鏡を外して、⽬頭を指で押さえる。
「そのチップには、とある人物の⼈格コンストラクトが⼊ってた。お前が⾒たのはそいつの過去だ」
「誰のだ?ヴィック」
Vの声はかすれてた。
「ジョニー・シルヴァーハンド。有名なテロリストだ。俺の若いころ、街中がその男の噂で持ちきりだった」
ヴィクターは眼鏡をかけ直した。
「デクスの弾で壊れたお前の頭を、チップのナノマシンが直した。ところが連中は、お前自身まで異物として扱いはじめた」
画⾯にVの頭の断⾯が出る。⾸の後ろから伸びた⽩い線が、欠けた場所を縫い終えて、その先の欠けてない場所にまで広がっている。
「チップは、もう導⽕線に⽕のついた爆弾みたいなもんだ。シルヴァーハンドのコンストラクトがお前の意識を上書きしていく。少しずつお前の体を乗っ取っていって、ある⽇、お前はいなくなる」
「……どれくらい、もつ」
ヴィクターは画⾯から⽬を離さない。
「⻑くはない。もって数週間だ」
Vは⼝を閉じたままだった。ジャッキーの⼿がVの肩から離れる。
「俺は、どうすりゃいい」
「それがわかってりゃな⋯⋯」
ヴィクターはそう⾔ってから、俺のほうを⾒る。
上着の内側から⼩瓶を⼀本出す。銀⾊の液体が照明の下で回った。
「チップの侵食を遅らせる薬みたいなもんだ。お前さんの頭専⽤のオーダーメイドでね」
「俺の頭の事なんか、どこで知ったんだ?」
Vが眉を寄せる。
「半年前、リジーズの床で。アラサカに錠をかけられてたろ、それ外したのは俺だよ。請求書はまだ送ってねえけどな」
Vは俺の仮⾯を⾒て、それからジャッキーを⾒る。ジャッキーが頷いた。
ヴィクターが⼩瓶を受け取って照明に透かす。
「中⾝のデータは?」
「用意してるよ、全部持ってけ先⽣。四⽇分の試料の記録もおまけでつけとく」
記録をヴィクターの画⾯に流し込む。ヴィクターはそれを⽬で追っていった。指が何度か⽌まって、また進む。
五分ほどしてヴィクターが顔を上げた。
「……書き込みの⼿順までもう解ってるのか⋯あのチップの」
「ケースが割れた瞬間になちょいちょいっとな。紺碧の夜景よりは⾯⽩い読み物だったぜ」
ヴィクターはデータを閉じてVのほうを向いた。
「V、⼊れるかどうかはお前が決めろ。俺の⾒た限り筋は通ってる」
Vは⾃分の⾸の後ろに⼿を当ててる。⼩瓶を⾒て、俺の仮⾯を⾒る。
「⋯タダか?」
「んな訳あるか。今回はジャッキーのダチ割引だ。代⾦は⽣きてる間に払え」
Vの⼝の端がほんの少し上がった。⽬が覚めてから初めて⾒せた顔だった。
「⼊れてくれ」
「良いんだな、V」
ヴィクターが注射器に⼗四本⽬を吸い上げて、Vの⾸筋に針を当てる。銀⾊の液体が首の奥に消えていった。
三⼗秒
⼀分
画⾯の中で、⽩い線の先端の伸びが⽬に⾒えて鈍った。
ヴィクターは画⾯の表⽰を⾒つめてから、⻑く息を吐いた。
「週で数えてた話が、⽉で数えられるようになった……治ったわけじゃないぞ、V」
「わかってる」
Vは椅⼦の肘掛けに⼿をついて⽴ち上がろうとした。
膝が崩れ落ちる。
ジャッキーが脇の下に腕を⼊れてそのまま⽀えた。Vはジャッキーの腕につかまったまま、⾃分の⾜で床を踏んだ。
部屋の奥で、タケムラが組んでた腕をほどく。
「その薬、どこで作った」
「レシピは教えねえ主義なんだよ、アラサカの」
タケムラは⼝を結んで、Vの⾸の後ろを映した画⾯に⽬を移す。
ヴィクターが画⾯の値を記録しながら⾔う。
「V。週に⼀度ここに顔を出せ。侵⾷の具合を測る。データはそっちのチビにもそのまま送る」
届いた数値に合わせて、次の⼀本を仕⽴てることになる。Vの頭は測るたびに形が変わってるはずだ。
ジャッキーが俺の頭を上段からがしがし撫でた。
仮⾯が⿐までずれて、前が⾒えなくなった。
おぃ、もう良いだろ放せって!!!
*
⼣⽅、隣の占いの店からミスティが顔を出した。
紫のスカーフを肩に巻いた細い⼥だ。ジャッキーは扉が開くなり⽴ち上がって、ミスティを抱きしめた。ミスティはジャッキーの背中を⼆回叩いてから、肩越しに俺の仮⾯を⾒る。
「あなたが、アノンね。ジャッキーから毎晩のように聞かされてる」
「でかいのの⼝は、ママの店の扉より軽いな」
ミスティは⼩さく笑った。それからVの腕を取って⽴たせる。
「今夜は私が送っていくから、部屋で休んで。」
[ ワ ト ソ ン ト ム ズ ‧ ダ イ ナ ー ]
その夜、⾃分の部屋で何があったのか、Vは話さない。
翌⽇の昼に現れたVの⽬の下には、四⽇寝てた⼈間とは思えない隈ができてた。
チップの書き込みの速さは、ゆうべ⼀度⼤きく跳ね上がってる。⼗四本⽬がなぞり直す前に、⼀晩で何か所か持っていかれた。
Vとジャッキーと三⼈で店の扉をくぐったのは、約束の五分前だった。タケムラはもう奥にいた。
⼊⼝が真正⾯に⾒える窓際のボックス席を先に取ってる。仮⾯のガキが⼤男と⼀緒に⼊ってきても、客はちらっと⾒ただけで⾃分の⽫に戻った。
窓際にV、その隣にジャッキー。向かいにゴロウ・タケムラ。その隣の端っこに俺。タケムラはコートの襟を⽴てて、コーヒーには⼝をつけてない。
ウェイトレスが注⽂を取りに来て、俺の仮⾯を⾒下ろす。
「そっちの⼦には、ミルクでいい?」
少し考えて、ミルクでいい、と答えた。ジャッキーがメニューで顔を隠して肩を震わせる。それからパンケーキを三枚頼んで、Vの前に⼀枚押しやった。
Vはフォークを持って、置いた。
店の中のカメラも、表の通りのカメラも、タケムラの顔だけは別の男の顔に差し替えてある。⼿配中の顔で街の⾷堂に座る男には、それくらいの⼿伝いはしてもいい。
「単⼑直⼊に⾔う」
タケムラがテーブルの上で両⼿を組んだ。
「ヨリノブ様がサブロウ様を殺した。お前たちもあの部屋の近くにいたのなら、それを⾒ているはずだ」
Vが頷く。
ジャッキーは腕を組んだまま、タケムラを睨んでる。
「私はその罪を着せられた。だが、私の汚名などどうでもいい。サブロウ様を殺した者がアラサカの頂に座る。私は、それだけはどうしても許せない⋯っ!」
「で、俺たちに何をさせたい」
ジャッキーが⾔った。
タケムラはジャッキーを⾒ずに、Vだけを⾒て答える。
「ハナコ様に真実を伝える。サブロウ様の娘だ。ヨリノブ様の⾔葉より⾃分の⽬で⾒た者の⾔葉をあの⽅は聞く」
「会わせてくれって頼んで、会える相⼿じゃねえだろ」
ジャッキーが⿐で笑う。
「だから、こちらから⾏く。近くサブロウ様の弔いの⾏進が街を通る。ハナコ様もその⾏進に出る。⾏進の⼭⾞の⼀つに、ハナコ様が乗る。その⼭⾞にこちらから乗り込む」
ジャッキーがテーブルを指で叩く。
「アラサカのお姫様を、パレードの真ん中からかっさらおうってのか。正気かよ」
タケムラはそれには答えない。
「あんたの主⼈は、この街で何⼈殺してきた。そいつの娘のために、俺たちに命を張れってのか」
「サブロウ様のためにとは⾔わない」
タケムラは初めてジャッキーの⽬を正⾯から⾒た。
「お前の相棒のチップは、待ってはくれないぞ」
ジャッキーは⾔い返そうとして、⼝を閉じた。代わりにVの⾸の後ろを⾒る。
「あれはアラサカの技術だ。お前の頭からそれを取り除けるのは、アラサカしかない。ハナコ様の後ろ盾があれば、その道も開く」
Vは窓の外を⾒る。それから、通路側の誰も座ってない空間に⽬をやって、⼝の中で何か⾔った。うるせえ、と⾔ったように聞こえた。
ジャッキーがVの顔を覗き込む。Vは、何でもない、と⾸を振って、冷めたコーヒーを⼀⼝飲んだ。
その瞬間、チップの書き込みの速さがまた⼩さく跳ね上がった。
ジャッキーがVの肩を肘で突く。
「どうする、V。俺はお前が⾏くなら⾏く。⾏かねえならこいつをここに置いて帰るぞ」
Vはすぐには答えなかった。タケムラを⾒て、短く⾔う。
「話は聞く。乗るかどうかは、計画を⾒てから決める」
タケムラは⼩さく頷く。
それから、テーブルの端の俺に⽬を向ける。仮⾯の奥を確かめるように。
「お前は、どうする。⼩僧」
「俺はジャッキーのダチだ。ジャッキーが⾏くなら、ついてく。ついでに、お前のその顔も⼿配書から消し続けてやるよ。精々コーヒー⼀杯分の⼿間だ」
タケムラは⾃分の⼿つかずのコーヒーを⾒下ろした。それから、それを俺の前に滑らせてよこした。
「……悪い、コーヒーもダメなんだわ。背が伸びなくなるらしい」
ジャッキーが吹き出して、Vが窓の外を⾒たまま肩を揺らした。
タケムラは伝票を取って⽴ち上がる。コートの襟を直して、Vだけに⾔う。
「明⽇、ジャパンタウンの港に来い。計画を⾒せる」
振り返りもしないで、タケムラは店を出ていった。
ジャッキーが背もたれに頭を預けて、天井を仰ぐ。ジャッキーの⽫は⼆枚とも空になってる。Vの前の⼀枚だけが⼿つかずのまま冷めてた。
ゲームでは、この男の誘いに乗って⾏進の真ん中に⾶び込み、アラサカのお姫様の⼿を取った。
どのアルカナを選んでも、最後に誰かが救われる結末は⾒たことがない。
今度は、このテーブルの端に俺が座ってて、ジャッキーの⾜が隣の空いた席に投げ出されてる。
今のところゲームと同じような道を辿ってる、ように見える。何処まで手を加えようか、それはまだ決めてない。
ついでに、Vの頭の中でふんぞり返ってるロッカーボーイには、そのうちサプライズを⾷らわせてやろう。
滑らせてよこされたコーヒーは、とっくに湯気を⽴てるのをやめてた。
Vが目覚め、ゲームストーリーが始まりました。
一区切りつきましたので投稿頻度を1日3話から1日1話に変更します。22話の投稿は29日の朝6時となります。
よろしくお願いします。