The Child Leading Beyond the Wall 作:housen
お前からは感じたのは
鈍色の野心と輝かしい諦念
どちらもお前に似合っていたよ
ま、俺には関係なかったがな
[ ジ ャ パ ン タ ウ ン 港 ]
朝の霧がコンテナの列の間に溜まってる。クレーンの腕が霧の上に突き出して、どこかで汽笛が⼀回、低く鳴った。
タケムラは岸壁の⼿すりにもたれて、海のほうを向いたまま喋ってた。その少し後ろで、Vがコートのポケットに⼿を⼊れて⽴ってる。顔⾊は昨日のダイナーで会った時よりいくらかましになってた。
「⾏進の⼭⾞の航路は、アラサカの中でもごく⼀部しか知らない。だが、この街にはアラサカの中にまで⽿を持つ者がいる」
「フィクサーか」
Vが⾔うと、タケムラは⼩さく頷いた。
「ジグジグ・ストリートにワカコ・オカダという⼥がいる。話は通してある。あとは向こうがお前を値踏みするだけだ」
ジャッキーが⼝笛を吹いた。
「タイガークロウズの婆さんだろ。アラサカの元護衛が、ずいぶん顔が広いじゃねえか」
「サブロウ様のお側にいれば、会いたくない相⼿にも会う」
タケムラは⼿すりから体を離して、俺のほうに顔を向けた。
「⼩僧。私の顔は、今朝も別の男のままだった。礼を⾔う」
「礼ならもうもらった。冷めたコーヒー⼀杯分な」
タケムラが顎を引く。笑ったのかどうかは霧でよく⾒えない。タケムラはそのまま霧の中へ歩いていった。コートの裾がコンテナの⾓を曲がって⾒えなくなる。
【ワカコ・オカダ】
聞き慣れた名前に、仮⾯の内側で⼝の端が上がった。婆さんの店の座敷の湯呑みの⾳まで、⽿の奥で鳴った気がする。
ジャッキーが⼿すりに背中を預けて伸びをした。霧に向かって、遠慮のない⽋伸を⼀つ。
「ジグジグ・ストリートか。タイガークロウズの縄張りのど真ん中だな。⾏儀よくしねえと」
そのとき、Vの⼿⾸の内側でホロコールの印が⼆つ同時に光った。
Vが⽚⽅を開くと、乾いた婆さんの声が流れてきた。
『タケムラの坊やの紹介だね。今から来な。あたしは待たされるのが嫌いでね』
それだけで回線は切れた。
もう⽚⽅は鳴り続けてる。Vが開くと、今度は若い⼥の声だった。早⼝で、少しかすれてる。後ろで機械の冷却ファンが唸ってた。どこかの作業場からかけてるらしい。
『V? ジュディよ。エヴリンが、エヴリンがいなくなったの。紺碧の夜から⼀週間音信不通で、誰も⾒てないの。部屋にもいない。クラウドにも出てない。あんた、何か知らない?』
Vの⽬が、⼿⾸の表⽰と霧の向こうのジグジグ・ストリートのほうを⾏ったり来たりする。
婆さんは待たない。ジュディの声は今にも泣き出しそうだった。
俺はVの肘をつついた。
「どう考えてもそっちがメインクエストだろ。サブクエストは、こっちに回しな」
Vが俺の仮⾯を⾒下ろす。それから回線の向こうに⾔った。
「ジュディ、俺のチームメンバーが⼿を貸す。すぐにそいつから連絡が⾏く」
回線を切ったVに、俺は仮⾯ごと⾸をかしげて⾒せた。
「俺も、チームのメンバーなのか?いつ⼊団したんだ。会費なんて払ってねえぞ」
「紺碧の夜からだろ」
ジャッキーが横から当たり前の顔で⾔って、俺の仮⾯の頭をはたいた。Vは横を向いて咳払いを⼀つする。
「頼んだぞ、アノン」
「了解。メインクエストで婆さんに失礼のないようにな。あの婆さん、湯呑みを置く⾳で⼈を値踏みするぞ」
ジャッキーが、なんでそんなこと知ってんだ、という顔をした。
答えないで⼿を振る。
⼆⼈の背中が、霧の中をジグジグ・ストリートのほうへ消えていった。
岸壁に⼀⼈で残る。カモメが⼀⽻、⼿すりの端に降りて、仮⾯の俺を横⽬で⾒た。餌を持ってないとわかると、すぐに⾶んでいった。
⼗分ほどして、ジャッキーの⽿に⼀⾔だけ流しておく。
「でかいの。婆さんの店に⼊る前に⼝の周りを拭いとけ。屋台の焼き⿃のタレがついてるぞ」
『……お前、どっから⾒てんだ』
ジャパンタウンの通りの防犯カメラの中で、ジャッキーが⼿の甲で⼝を拭いてる。隣でVが顔を背けて肩を揺らしてた。
*
【エヴリン・パーカー】
ゲームでは、⾒つけたときにはもう⼿遅れだった。壊れたエヴリンは、ジュディの部屋で⾃分で命を絶つ。
紺碧の夜のあと、エヴリンがどこへ消えるのかも俺は知ってた。知ってて、放っておいた。何でって?エヴリンは俺のダチじゃない。
今は、チームのメンバーの頼みだ。
港の倉庫の陰に腰を下ろして、ジュディに回線を繋ぐ。
『……誰?』
「Vのチームのメンバーだよ、choom。アノンだ。エヴリンの捜索はこっちで引き受けた」
回線の向こうで椅⼦が軋んだ。
『あんたがVが言っていた? どこにいるの?今から⾏く。⾞ならあるし、エヴリンの部屋の鍵も持ってる』
「来なくていい。⾜⼿まといはお断りだ」
何かが机に叩きつけられる⾳がした。
『私だってモックスよ!エヴリンに何かあったかもしれないのに何もするなって言うの!?』
腕が確かなのは知ってる。それでも連れていく気はなかった。
『顔も⾒せない相⼿に、任せろっての?』
「別に⾒せてもいいぞ?⾒たら余計に任せたくなくなる。成⻑期のガキだからな」
回線の向こうが、⼀瞬静かになった。それから、さっきより低い声が返ってくる。
『冗談でしょ。V、何考えてんのよ……』
「いいか、ジュディ。お前の⾝まで守りながら⾛る契約は、結んでねえ。お前が撃たれたら俺は⼆⼈担いで⾛ることになる。この細い腕でな。⾒えねえだろうけど」
机を指で叩く⾳が続いた。
『だったら、なおさら放っておけない』
「誰も担がずに済むほうが、速く⾛れる」
担ぐのは器の仕事だが、それは⾔わなかった。
回線の向こうで、冷却ファンの唸りだけが続いてる。
『チームのメンバーって、Vが⾔ってた。あんた達って何⼈いるの?』
「Vと、でかいのと、俺。三⼈だ。……⼊団の書類は書いてねえ」
ジュディが短く笑った。消え入るような淡い笑いだった。
「エヴリンが⽬を開けた時、最初に⾒る顔は知らない仮⾯のガキよりお前のほうがいいだろ。だからお前は⾃分の部屋で待ってろ。⽚付けて、湯を沸かしといてくれ。それは、お前にしかできない」
ジュディが黙る。少しして、⼩さな声が返ってきた。
『……絶対に、連絡して。⼀時間おきに』
三時間おきだ、こっちは忙しい、と返すと、⼆時間、と即座に値切られた。⼆時間で⼿を打つと、回線が切れた。
さて、俺は方々に⽷を伸ばす。
最初はクラウド。メガビルディングの⼗⼆階にある、⼈形たちの店だ。客の相⼿をするのは、⼈格の代わりにチップを挿された⼥たち。エヴリンもその⼀⼈として働いてた。
昼間の店は閉まってる。控え室の椅⼦に昼番の⼈形が⼀⼈、⽬を開けたまま座ってた。⾸の後ろのチップは客のいない間も眠らない。俺はその⽬を借りる。
控え室の奥、⼗⼀番の個室。扉の脇の名札はもう剥がされてる。中を覗くと、ベッドの上に誰も使ってない枕が⼀つ。
床の隅に⼝紅が⼀本転がってた。壁の鏡には拭き残した指の跡が斜めに三本⾛ってる。⽬を貸してる間、⼈形は⼀度も瞬きをしなかった。
店の記録は⼀週間前の夜で途切れてる。⼗⼀番の個室。エヴリンの名前の横に、短い書き込みが⼀つ。
「事故。オスロの療養施設へ移送」
オスロ⾏きの便の記録を当たらせた。⼀週間前から今⽇まで、エヴリン・パーカーという名前もその顔も、どの便にも乗ってない。
書き込みをしたのはウッドマン。クラウドで⼈形たちの世話をしてる男だ。タイガークロウズの息がかかってる。
ウッドマンの端末をスキャン。
裏⼝のカメラの記録を巻き戻す。⼀週間前の夜にエヴリンは⽑布にくるまれたまま、クラウドの裏⼝から運び出されてた。
運んでたのは、タイガークロウズの若いのが⼆⼈。
端末には短いやり取りが残ってる。例の⼥を引き取ってくれ、処分の仕⽅は任せる、とウッドマン。
いくらだ、と相⼿が訊いて、ウッドマンは⾦はいらないと返してた。⼆度とうちの店に戻ってこなければいい、と。
相⼿はフィンガーズ。ジグジグ・ストリートで闇の施術をやってるリパードクだ。
ウッドマンのオフィスのカメラを開くと本⼈がソファで誰かとホロコールで笑ってた。太い指に指輪が四つ、⾸筋にタイガークロウズの刺⻘が光ってる。この男のことは後で考える。
フィンガーズの端末に移る。
診療所の奥の部屋の記録。⼀週間前から患者が⼀⼈ずっと寝かされてる。名前の欄は空⽩。鎮静剤の量だけが毎⽇書き⾜されてる。
奥の部屋の天井のカメラを借りた。
施術⽤の古い椅⼦に⼥が⼀⼈ベルトで留められてた。⾦⾊の髪が汗で額に貼りついてる。腕に点滴の管、⽬は閉じたまま、胸だけがゆっくり上下してる。服はクラウドで着てたものでその上に薄い⽑布が⼀枚かけてあるだけだった。
顔に殴られた痕はない。腕にも⾸にも、新しい傷はない。眠らされて、置かれてるだけだ。枕元の点滴の機械の記録を⾒ると鎮静剤の量がゆうべから倍に増やされてた。引き渡しのときに暴れないようにだろう
。
エヴリン・パーカー。リジーズの奥の席でゲームの中の俺に紺碧の仕事の話を持ちかけた⼥だ。
夕べ交わされたやり取りも残ってる。相⼿はフィンガーズの客じゃない。タイガークロウズの帳場を預かってる男だ。婆様の⼝利きで話はついたと男は書いてた。引き取りは今夜⼗時、発電所の連中が⾞で来る。
婆様の取り分はいつも通り、撮った分の売り上げの⼆割。
婆さんも⼀枚噛んでる。
そっちの話は後とでつける。婆さんは今ごろVとジャッキーを廊下で待たせてる。メインクエストの最中に店ごとひっくり返すわけにはいかないだろう?
発電所。チャーター・ヒルの使われなくなった古い発電所だ。
ジグジグ・ストリートのブレインダンスの闇市の在庫をAIに洗わせる。
発電所の地下で撮られたものが、この半年で⼗七本売りに出てた。どれも⼥が⼀⼈椅⼦に縛りつけられてるところから始まる。
最後まで再⽣した客の書き込みには星が五つ並んでた。
⼗七本全部を再⽣する前に閉じた。
発電所の地下のカメラを⼀台だけ借りる。打ちっぱなしのコンクリートの部屋の真ん中に椅⼦が⼀脚。肘掛けに太い⾰のベルト、椅⼦の周りにブレインダンスの記録装置が三台に三脚に据えてある。男が⼆⼈、ケーブルを床に這わせながら笑って何か⾔い合ってた。
椅⼦は今夜の客のためにもう⽤意されてる。
そこを根城にしてるスカベンジャー達が何を撮ってどこで売るのか。ゲームの中で俺はそのブレインダンスをジュディと⼀緒に頭の中で見せ付けられた。
昼前。引き取りまで⼗時間とちょっと。
まだ間に合う。
港の倉庫の陰で⼀時間待った。
荒野から来たタクシーの後部座席から、制服の男の器が降りてくる。警備の制服の上に作業着の上着を⽻織らせてある。
「似合ってねえな、その帽⼦」
研究所から呼び出したこの男を隣に⽴たせる。ミリテクの軍⽤の両腕なら寝かされたままの⼈間⼀⼈くらい楽に担げるだろう。
ジュディに短い⽂を⼀本だけ送っておいた。『⽣きてる。今夜遅くなるまでに連れて帰る。』
返事は三秒で来た。『どこにいるの?』と。それには答えない。
[ ジ グ ジ グ ‧ ス ト リ ー ト ]
昼のジグジグ・ストリートは、夜の顔を半分だけしまい込んでた。
シャッターの下りた店の前で、夕べの酔っ払いが⼀⼈まだ寝てる。
屋台の鉄板からはもう油の匂いが上がりはじめてた。
狭い通りの両側に、看板が何段も積み重なってる。漢字とカタカナと英語の入り交じったネオンが、昼の光に負けて⾊の薄いまま点いてる。
通りのあちこちに⾸筋に光る刺⻘を⼊れた男達が⽴ってる。タイガークロウズの⾒張りだ。
通りの奥に古いパチンコ屋の看板が⾒える。ここがワカコの店だ。
⼊⼝の⾃動扉の前に⾒張りが⼆⼈⽴ってる。
ジャッキーとVは、⼀時間以上前にあの扉の向こうへ⼊っていった。
店の中のカメラを⼀台だけ覗くと、奥の座敷の前の廊下で、ジャッキーとVが並んで正座させられてた。ジャッキーの膝が明らかに限界に来てる。
フィンガーズの診療所はパチンコ屋から三軒先の⼆階にある
。階段の⼊⼝は脇の路地に⾯してて、その下に看板が⼀枚。
ピンクの指の形のネオンが壊れかけて点滅してた。
路地の⼊⼝の⾒張りが俺と制服の男のほうに⽬を向けかけて、何もない路地を⾒たまままた通りの方へ顔を戻した。
⾒張りが見た光景中では、この路地には誰も⼊ってきてない。
診療所の待合室のカメラにはフィンガーズ本⼈が映ってた。
細⻑い体に汚れた⽩⾐、⼗本の指が全部施術⽤の細いサイバーウェアに替えてある。その指で待合室の客の顎を持ち上げて、義眼の具合を覗き込みながら値段の話をしてる。客が値切るとフィンガーズは指を⼀本ずつ鳴らして⾸を横に振った。
待合室の壁には施術の前と後の顔写真が⾊の褪せたまま何⼗枚も並んでる。
奥の部屋の扉には電⼦錠が⼀つ。その向こうでエヴリンがまだ眠ってる。
壊れかけたピンクの指の看板の下の階段を⼀段ずつ上がる。
⼆階の踊り場で、診療所の扉の電⼦錠に⽷をかけた。
メインクエストが通りの向こうで始まってるなら、サブクエストもそろそろ始めていい頃合いだ。
ワカコとの面会描写は独自解釈です(´・ω・`)