The Child Leading Beyond the Wall 作:housen
誰もいないはずなのに
誰かと足音が重なっている
誰かが其処に居たはずなのに
誰かと共に進んでたのに
[ 研 究 所 ]
翌⽇の昼。
壁の画⾯の中でジョニー・シルヴァーハンドがギターのネックを客席に突き出してる。
レインボー・カデンツァでのサムライのライブ。壁の向こうから拾ってきた映像で画⾯の左下が三分の⼀ほど⽋けてる。
⾳もところどころ割れてた。それでもギターの最初の⼀⾳が鳴ると客席の頭が⼀⻫に跳ねる。
何度⾒ても、そこで跳ねる。
作業台の上には試料の⽫が九枚。
Vの頭の中でチップの侵食速度は⼀定に進むだけじゃない。
ときどき跳ねる。ダイナーでVが通路の誰もいない場所に向かって何か⾔ったとき、夕べにエル・コヨーテでVが空いた椅⼦を⾒てたとき。
⼗四本⽬を打った晩は、朝までに何か所か持っていかれた。
跳ねるたびに、ナノマシンが追いかけてなぞり直しにかかる。
追いかけてるうちはどうしても⼀歩遅れる。
だから次の⼀本は、追いかけるのをやめる。
チップが次にどこを侵食しようとしてるかを、侵食前に予測する。予測した場所に先に回り込んで、Vの元の神経の形をなぞり直しておく。
ナノマシンの仕事は⼗四本⽬と同じで、順番を⼀つ⼊れ替えるだけだ。
⽫の上で培養した神経に紺碧で読んだチップの侵食の癖を再現して流す。⼀枚⽬は読むのが遅すぎてなぞり直しが侵食の後ろに回った。
四枚⽬は予測するのに夢中でなぞり直しを忘れた。
七枚⽬で先回りが間に合いはじめた。
九枚⽬で、侵食が加速しても⼀か所も持っていかれなくなった。
壁の画⾯で⼆曲⽬が始まる。
⽩⾐の男の器が、⽫を冷蔵庫に運んでいく。
制服の男の器は部屋の隅で、作り直したエヴリンのチップの予備を箱に詰めてる。
⼆⼈とも、画⾯の⾳楽には何の反応もしない。ここに来てから三年、この映像を何百回流しても、⼆⼈の瞬きの回数は変わらなかった。
ギターのソロのところで映像を⽌める。巻き戻して、もう⼀度。
⽌めて、巻き戻して、もう⼀度。
この男が、今はVの頭の中にいる。Vの視線、その向こうにいるのは、多分こいつだ。
[ ア ラ サ カ ‧ ウ ォ ー タ ー フ ロ ン ト ]
夜。貨物⽤の倉庫の屋上は、海から吹き上げてくる⾵で思ってたより冷える。
タケムラは屋上の縁に⽚膝をついて双眼鏡を覗いてた。
その横でVが腹ばいになってる。ジャッキーは給⽔塔の陰ででかい体を⼩さく折りたたもうとして半分くらい失敗してた。
「おいでかいの。その給⽔塔はお前の右半分しか隠してくれねえぞ。左半分はアメリカで一番住みにくい街の夜景の⼀部になってるぞ」
ジャッキーは給⽔塔の反対側に回り込んだ。今度は左半分しか隠れてない。
俺は空調の室外機に背中を預けて座ってる。バイザーには通りの向こうのアラサカの⼯業団地を上から⾒た図⾯が浮かんでた。
倉庫が六棟。
⾒張りの塔が四本。
巡回の警備が⼗⼋⼈と、ドローンが九機。
交代は⼆時間おきで、次は⼆⼗三時⼗分。
ワカコのシャードの交代表と⼀分も違わない。
「なあゴロウ。⼀応もう⼀回だけ⾔っとくぜ?⼭⾞の制御にお前のプログラムを⼊れるだけだろ?俺なら、この室外機に座ったまま、五秒で済む。ついでに警備の晩飯の献⽴まで教えてやれる」
タケムラは双眼鏡から⽬を離さない。
「何度⾔われても答えは変わらない。ハナコ様の乗る⼭⾞だ。私が書いたプログラムを、私の側の⼈間の⼿で⼊れる。お前のような得体の知れない小僧の手の平にハナコ様の命は乗せられない」
ジャッキーが給⽔塔の陰で吹き出しかけて⾃分の⼝を⼿で塞いだ。
まぁそれならそれでいい。⼭⾞に俺は手を出さない。
ただ、Vとジャッキーが柵の向こうへ持っていくものの中⾝くらいは知っておく。
あの⼆⼈が命を張って運ぶ荷物だ。
Vのジャケットの胸ポケットに⼊ってるタケムラのシャードに、⽷を⼀本通してスキャンした。
⾏進の途中で、⼭⾞の推進器の制御を外から奪う。奪ったら、⾏進の列から外れて、決められた先まで⾶ばす。
古⾵で、真っ直ぐで、余計なものが⼀つもない。
書いた本⼈の性格がそのまま出てる。
「ゴロウ、手は出さねえが⼝は出すぞ」
タケムラが双眼鏡を下ろした。
「お前のプログラム、制御を奪った後のことが、何も書いてねえ。アラサカの管制が制御を取り返しにきたらどうするんだ?向こうは奪われたと気づいた瞬間に⼭⾞ごと地⾯に下ろしにかかるぞ。お姫様を乗せたまま、空のど真ん中で綱引きだ」
タケムラは何も⾔わなかった。
「もう⼀つ。奪えって合図を送るルートが、⼀本しかねえ。その⼀本を、⾏進の⽇の混み具合の中で誰かが踏んづけたらそれで終わりだ。花⽕と、ドローンと、沿道の何万⼈分のホロコールの真ん中だぜ。俺なら、少なくとも三本は用意する」
タケムラの眉間に皺が寄る。
「……いつ、どこで見た⋯?」
「ついさっき、Vの胸ポケットの中で。安⼼しろよ、⼀⽂字も書き換えてねえ。全部まるっとお前の字のままだ」
Vが⾃分の胸ポケットを上から押さえた。ジャッキーが給⽔塔の陰で、低く⼝笛を吹く。
タケムラは俺の仮⾯を⾒てた。
それからVに⼿を差し出し、Vがシャードを返した。
シャードを握ったまま、タケムラは次の交代の時刻を訊いた。
「⼆⼗三時⼗分の次なら⼀時⼗分。⼆時間ある。急がなくていいぜ、ゴロウ。こっちはこの室外機先輩と仲良くしてる」
「手直しは、私がやる」
それだけ⾔って、タケムラは屋上の階段室の陰に⼊っていった。コートの内側から古い型の携帯⽤のデッキを出して、シャードを挿す。指がキーの上を動きはじめる。迷いのない速さだった。
ジャッキーが給⽔塔の陰から這い出してきて俺の隣にしゃがんだ。
「おい。お前、あいつの書いたもんにケチつけたのか」
「ケチじゃねえよ。カスタマーサポートだ。無料のな」
ジャッキーは肩をすくめて、階段室の陰で丸まってるタケムラの背中を眺めてた。
⼀時間と少しで、タケムラが階段室の陰から出てきた。シャードをVの⼿に置く。もう俺の方は⾒なかった。
Vの⼿に戻ったシャードをもう⼀度スキャンする。制御を奪った後、取り返しにきた管制を偽の機体の信号で三回まで空振りさせる仕掛け。合図の回線ルートは三本。三本とも⾏進の⽇に沿道で⼀番使われない帯域を選んである。
「いい仕事だ、ゴロウ。俺のよりちょっと⾏儀がいいけどな」
タケムラは返事をしなかった。
双眼鏡をまた⽬に当てる。
Vが体を起こす。
「⾏くぞ、ジャッキー」
「おう……婆さんの店で膝をやられて、次はアラサカの柵かよ。俺の関節が持たねえぜ」
[ ア ラ サ カ ⼯ 業 団 地 ]
⼀時⼗分
交代の時間に合わせて⼆⼈が柵を越える。
柵の上の電流は、⼆⼈が触れる半秒前に切って越えた半秒後に戻した。⾒張りの塔の上の男の義眼から、二人の影を拭き取る。ドローンの⽬には空っぽの搬⼊路だけを⾒せておく。
Vは低い姿勢のままコンテナの列の陰を縫って⾛った。
ジャッキーはその三歩後ろをでかい体の割に⾜⾳を⽴てずについていく。
紺碧の夜にも思ったがこの⼆⼈は組んで⾛るときの呼吸がいい。
⼆番⽬の倉庫の裏⼝の電⼦錠を開けてやる。
天井の⾼いがらんとした倉庫だった。
照明は半分しか点いてない。その薄明かりの中に⼭⾞が並んでる。
どれもサブロウの弔いのための飾りつけの途中。
⽩い布と黒い漆塗りの柱。
⾦色の紋様。
⼭⾞といっても⾞輪はない。底に、AVと同じ推進器が四つずつ並んでる。空を⾏く⼭⾞だ。
ジャッキーが⼿前の⼭⾞の飾りの陰で、声を殺して⾔った。
「死んだ爺⼀⼈のために、空⾶ぶ神輿を何台も作るのかよ。ヘイウッドの葬式なんざ、ビール⼀ケース一個で済むぜ」
ゲームではこの⼭⾞が空を⾏くのをVの⽬で⾒上げた。
花⽕と、太⿎と、通りを埋めた⼈の頭。その真ん中を、⽩い⼭⾞が⼀台だけ静かに滑っていく。
あの時は、きれいな絵だと思っただけだった。
倉庫の奥の、もう⼀枚の扉。ワカコのシャードにあったとおり、ハナコの乗る⼀台だけは、その奥にしまってある。
電⼦錠を開けてやる。扉の向こうに他より⼀回り⼩さい⽩⼀⾊の⼭⾞が、浮かぶ前の姿で眠っていた。
Vは⼭⾞の正⾯の空っぽの座席を⾒上げた。それから制御盤の蓋を開けてタケムラのシャードを挿す。
「よし、終わった。出るぞジャッキー」
来た道を⼆⼈が戻っていく。柵の電流を、もう⼀度だけ半秒切る。⼆⼈が向こう側に降りるのと、⾒張りの塔の男があくびを噛み殺すのが同時だった。
[ ヴ ィ ク タ ー の 仕 事 場 ]
四⽇後。ヴィクターの画⾯の上でVの頭の中のチップの根が、⾸の後ろから焼けた場所を縫うように伸びてる。
「侵⾷の具合は、先週とほとんど変わらん。ただ、ところどころ、急速に侵食した跡がある」
ヴィクターは眼鏡を指で押し上げて、俺のほうを⾒た。
「お前のところにも、測った数値は⾏ってるな?」
「毎晩、寝る前の読み物にしてるよ先⽣。で、今週の⼀本は、その急な侵食への対策だ」
上着の内側から⼩瓶を⼀本出す。⼩瓶の中で、銀⾊の液体が揺れた。
ヴィクターは⼩瓶を作業台に置いて、画⾯に流し込んだ記録を指で送っていった。
「……予測して、先に回り込むのか⋯⋯」
「追いかけっこは、もう飽きたんでね。待ち伏せに切り替えた」
ヴィクターが椅⼦を回して、施術⽤の椅⼦のVに⼩瓶を⾒せる。
「どうする?V」
「頼む。先週のでちょっとは楽になった。夕べも、変な夢は⾒なかった」
ヴィクターが注射器に吸い上げて、Vの⾸筋に針を当てる。
次の⼀本が、チップの侵食の⼿前にたどり着く。
チップが次に侵食しようとしてるものを、⽚っ端から先読みしはじめる。
神経の、どの束を、どの順番で。読んだ先から回り込んでなぞり直す。⽫の上で九枚かけて覚えさせた⼿順が、Vの頭の中でもそのまま動いてる。
ここで俺に送られるフィードバックに別のものが混じってた。
コレは⋯画像か?Vの⽬の端に結ばれる像。それからVの⽿の奥に流し込もうとしてる音声データ。⽷を伝って俺のデバイスにもそのまま送られてくる。
施術⽤の椅⼦のすぐ横。ヴィクターの作業台の端に男が⼀⼈腰かけてた。
先ず目立つのはその銀⾊の左腕。
袖のない黒いシャツに、⾸から下げた認識票。
⼝の端に、⽕の点いてない煙草。
⾶⾏⼠みたいなサングラスの奥の⽬が、退屈そうにヴィクターの⼿元の注射器を眺めてる。
壁の画⾯の中で、何よりゲームの中で何百回も⾒てきた顔だ。
バイザー越しの俺の目の前でジョニー・シルヴァーハンドが作業台に腰かけて⾜を組んでる。
ヴィクターには⾒えてない。注射器を置いて画⾯の値を記録してる。
Vには⾒えてる。Vの⽬が作業台の端に⼀瞬だけ流れて、すぐに戻った。
ジョニーが煙草を指で挟んで、Vに向かって顎をしゃくった。
「また変なもん⼊れやがったな、V。今度は何だ、ついに俺を追い出す薬は発明されたか?」
声は、ヘッドセットの内側、⽿のすぐ横で鳴った。
割れてない。⽋けてもない。映像の中の声より低い。
画⾯の値がぴょんと跳ねかける。跳ねる前に、ナノマシンが回り込んでなぞり直した。
何てこった、想定外だが都合がいい。コレが噂のご都合主義ってやつか?だったら神様だかの仕事はイカしてるぜ
「よう、ロッカーボーイ。家賃も払わねえで、ダチの頭の⼀等地に居座ってるってのは、お前か?」
ジョニーの⼿から煙草が落ちた。
空気を震わせない、俺から放たれた音声データが届いている事を確信した。
ジョニーは作業台から腰を浮かせて部屋の中を⾒回す。
ヴィクター。V。それから、壁際の丸椅⼦に座ってる⽩い仮⾯のガキ。
サングラスが、俺のところで⽌まった。
「……おい、V。今の声はコイツか?」
Vが俺のほうを振り向いた。
「アノン。お前、こいつが⾒えてんのか?」
ヴィクターが画⾯から顔を上げた。こいつ、が誰のことかわからない顔だ。
「⾒えてるし、聞こえてる。ついでにこっちの声も届くらしい。今週の⼀本の、おまけでね。分かってると思うが一応言っておくぜ。クーリングオフは無しだ」
ジョニーが作業台から降りた。床を踏む⾜⾳はしない。俺の⽬の前まで歩いてきて⾝をかがめる。サングラスの縁越しに、仮⾯の⽬の⽳を覗き込んできた。
「仮⾯のガキが、何俺の頭ん中に⼟⾜で上がり込んでやがる……訳がわからねぇ、てめえアラサカの回しもんか?」
「残念、ハズレだ。アラサカとは昔から相性が悪くてね。お前のほうこそ、アラサカの⾦庫から盗み出された⾝の上だろ?お互いあそこには借りのある⼝だ」
ジョニーは何も⾔わない。サングラスの奥の⽬は⾒えない。
それから、⿐で笑った。
「生意気なガキだ」
作業台の端に戻って、また腰かける。消えたはずの煙草が、いつの間にか指の間に戻っていた。
Vが⾸の後ろに⼿を当てて、深く息を吐いた。
「……頼むから、俺の頭の中で⼆⼈で喋るのはやめてくれ。⽿元がうるさすぎる」
「⼼配すんな、V。任せろ!家賃の取り⽴ては俺が⽉末にきっちりまとめてやってやる」
ジョニーがまた⿐で笑った。今度は天を突く左中指も一緒だ。
画⾯の値は、それきり跳ねなかった。
膝の上に置いた⾃分の⼿を⾒下ろす。
指先が震えてた。
レインボー・カデンツァの⼆曲⽬のソロ。あれは最⾼だった。
本人には⾔わなかった。
多分、恐らく、⼀⽣⾔わない。