The Child Leading Beyond the Wall 作:housen
幾千の雨が空を裂き
刃の円環が雲を断つ
この幕引きに
言葉は不要
[ ジ ャ パ ン タ ウ ン 雑 居 ビ ル の 屋 上 ]
⾏進の⽇の⼣⽅、ゴロウ・タケムラからの通信はいつもより声が低く聞こえる。
『最後にもう⼀度だけ⾔っておく。今夜のハナコ様の警護には、オダが付いている。サンダユウ・オダ。ハナコ様の盾だ。殺すな』
「⼑を下げた狼、だったか。婆さんの⾔い⽅だと」
ジャッキーの声が別の回線から割り込んだ。
⾏進の通りを⾒下ろす、三⼗階建てのビルの⾮常階段にVと⼆⼈で張りついてる。
『そうだ。腕は私が知る限りアラサカで五本の指に⼊る。だが、あれはサブロウ様がハナコ様に付けた男だ。ハナコ様の味⽅にしなければならない男でもある』
「殺すなって⾔われた相⼿が、⼀番の⼿練れか。注⽂の多いヤツだな」
Vが⾔った。返事の代わりにタケムラの側の回線で、コートの裾が⾵に鳴る⾳がした。
俺がいるのはそのビルから通りを三本隔てた別の雑居ビルの屋上だ。給⽔塔の脚の間に腰掛けてバイザー越しに見たことがない見覚えのあるパレードを⾒てる。
⾏進の道筋はもう全部、全員のマップ上に浮かんでる。
通り沿いのカメラが四百⼗⼆台。沿道の客の義眼がざっと三万。
アラサカの護衛のドローンが六⼗機と、AVが四機。そのどれにも今夜はタケムラとVとジャッキーの顔を映させない。
タケムラが俺に頼んだのは、そこまでだ。
残りは三⼈の受け持ち。⼭⾞の上はタケムラ、ビルの中はVとジャッキー。
それで回るなら、俺はお行儀良く座ったままでいい。
[ 沿 道 の ビ ル ]
最初の狙撃⼿は⼗六階の踊り場の窓際にいた。
アラサカの黒い装甲服。⻑い銃⾝を窓の隙間から通りへ向けて、⾏進の先頭が来るのを待ってる。背中ががら空きだ。
Vが⾜⾳を殺して背後に回る。⾸に腕を巻きつけて一気に締め落とす。狙撃⼿の体が窓枠からずり落ちる前に、音を立てないよう受け⽌めて床に寝かせた。
⼆⼈⽬は⼆⼗⼀階の吹き抜けの⼿すりの向こう。三⼈⽬は⼆⼗四階の⼯事中の床の鉄⾻の陰。
三⼈とも、同じやり⽅で眠らせた。
⼆⼗⼀階の奥に扉が⼀枚あった。
扉の向こうの広い部屋の真ん中に椅⼦が⼀脚、⼥が⼀⼈、⾸の後ろから太いケーブルを垂らして座ってる。アラサカのネットランナー。⾏進の⼭⾞の制御をネットの側から⾒張ってる。
タケムラのプログラムが⼭⾞の制御を奪おうとしたら、真っ先に取り返しにかかるのはこの⼥だ。
『その⼥だ。繋がりを切れ』
タケムラの声がVの回線に⼊る。
Vが⼥の背後に回って、⾸の後ろのケーブルを掴んで引き抜く。⼥の体が椅⼦の上で⼤きく跳ねて、それきり動かなくなった。
「おいV、死んだのか?」
「息はある」
二人が短いやり取りを交わしたその瞬間、部屋の窓が割れた。
ガラスの破⽚がパレードの明かりを受けながら部屋中に散らばる。
二人が素早く目をやるとそこに居たのは黒と赤を基調としたアラサカの戦闘装束を纏う、屈強な体格の男。顔には赤く発光する鬼の面を思わせるサイバーウェアを装着している。
部屋のカメラの映像を⼿前に引き寄せる。
サンダユウ・オダは、床に倒れたネットランナーをちらりと⾒た。それから、Vとジャッキーを⾒る。両腕のマンティスブレードを構えるのに⼀秒もかからなかった。
オダの背⾻のサンデヴィスタンがうなりを上げる。
カメラの映像の中で、オダの姿が⼀瞬だけ⾶んだ。気が付くともうVの⽬の前にいる。
Vが腕を上げて刃を前腕で受けた。が、受けきれずに壁まで弾き⾶ばされる。
ジャッキーの⾦⾊の拳銃が⼆挺同時に⽕を噴いた。オダは既にそこにいない。弾丸が空っぽの空間を通って壁に⽳を開けていく。
オダの背⾻のサンデヴィスタンに⽷を⼀本だけかけておく。かけるだけ。引くのは刃がVかジャッキーの命に届く⼨前。
それまでは、⼆⼈の喧嘩だ。
ジャッキーが撃つ。
オダが消える。
再び現れた先でVが待ってる。三度⽬でVがオダの消える先を読んだらしい。
オダのサンデヴィスタンは、加速の切れ⽬に必ず半歩右に流れる。マンティスブレードの刃を振るう際の癖だろう。Vは壁際から跳ね起きてその半歩先に肩から体ごと⾶び込んだ。
オダの体がくの字に折れて、床を滑る。
Vのクイックハックがマンティスブレードを封じ、ジャッキーが倒れたオダの胸に⽚膝を乗せ、⾦⾊の拳銃の銃⼝をオダの眉間に押しつける。
オダは⽬を逸らさなかった。
部屋の中が⼀瞬静かになった。
ジャッキーの指が引き⾦にかかったまま⽌まってる。
Vがサンダユウから離れ、ジャッキーの肩に⼿を置いた。
「殺すなって⾔われてる。それに、こいつはハナコ・アラサカを守りに来ただけだ」
ジャッキーはしばらくオダの⽬を⾒下ろしてた。それから、銃⼝を眉間から外す。
「ヘッ、運が良かったな狼さんよ。俺の相棒がヘイウッドで⼀番の優等⽣でな」
ジャッキーが拳銃の床尾でオダのこめかみを打つ。サンデヴィスタンの反動も合わさり、その衝撃でオダの意識がブラックアウトした。掛けた糸は離しておく。
俺のヘッドセットの内側でその場に居ないはずの音声が鳴った。
『アラサカの⽝を、⽣かして転がしとくのかよ。お優しいこった』
Vは誰もいない部屋の隅を睨んだが、⾔い返しはしなかった。
チップによる侵食の速さは、跳ねてなかった。
[ ⾏ 進 の 通 り ]
太⿎の⾳が通りの底から湧き上がってくる。
⼭⾞の列がビルの⾕間を地上⼆⼗メートルの⾼さで滑っていく。⽩い布と、黒い漆の柱と、⾦の紋。
沿道の⼈の頭が通りの両側を埋め尽くしてる。
花⽕が⼀発、⼣⽅の空に上がった。
列の真ん中に⼀台だけ、⼀回り⼩さい⽩い⼭⾞。
座席にハナコが座ってる。⽩い喪服。背筋を真っ直ぐに伸ばして膝の上で両⼿を重ねてる。その斜め後ろに男が⼀⼈⽴ってた。
⻑い黒髪を後ろで⼀つに束ねてる。前髪は眉の上で真っ直ぐに切り揃えてある。黒い⻑⽻織の裾から⾚い裏地が覗く。腰に刀を二本差してる。長いのと短いの。
アラサカの⼈事の記録を顔写真で照合する。
ナガカゲ・フシミ。
警備部⾨。
経歴の欄はほとんど黒塗り。
体のサイバーウェアの登録は空っぽ。⼀週間前にハナコの⾏進の警護に配置換え。承認の印はヨリノブの執務室。
タケムラが⾶び移る先に⽴ってる男だ。この男の⽬からもタケムラの顔を消しておこう。⽷をかけようとした。かける場所がない。義眼じゃない。⽬の奥の神経にも、補助のサイバーウェアが⼀つも⼊ってない。⽿も、⼿も、⾜も、⽣まれたまま。
この街で、アラサカの紋を背負って、その体がほとんど⽣⾝。
ゲームの中に、こんな男はいなかった。
『ネットランナーは落ちた。⾏くぞ』
タケムラの声が回線に⼊る。タケムラは、Vとジャッキーのいるビルの屋上で、⾏進の列を⾒下ろしてた。
合図が⾶ぶ。
⽩い⼭⾞の推進器が⼀⻫に向きを変えた。列から真横に滑り出る。前後の⼭⾞の護衛が、何が起きたかわからないまま⽩い⼭⾞を⾒送ってる。アラサカの管制が制御を取り返しにくるが、タケムラが書き⾜した偽の機体の信号に⾷いついてそちらを追った。
⽩い⼭⾞がビルの屋上の縁すれすれまで寄る。
タケムラが屋上の縁を蹴って、⼭⾞の上に⾶び移った。
[ ⽩ い ⼭ ⾞ の 上 ]
着地したタケムラの前にフシミが⽴っていた。
ハナコは座席から動かなかった。⽬だけがタケムラの顔を⾒てる。驚いた様子は無い。
「タケムラ」
フシミが静かに⾔った。⼑にはまだ⼿をかけてない。
「ハナコ様をお前に渡す訳にはいかない。ヨリノブ様の命令だ」
「フシミ。お前が、ヨリノブ様の側に付いたとは聞いていた」
タケムラは腰の⼑の柄に⼿をかけた。
「サブロウ様を殺したのが誰か、お前も知っているはずだ」
「知っている。だから、ここにいる」
フシミの右⼿が⼤⼑の柄にかかった。左⼿が⼩太⼑に。
「俺はアラサカを選んだ。サブロウ様でも、ハナコ様でもなく。アラサカが続くなら頂に誰が座っていようと構わん」
⼆⼈が同時に抜いた。
⼭⾞の甲板の上で刃と刃がぶつかる。⽕花が⼣⽅の空に散った。
タケムラは強い。サブロウの盾を⻑年務めてきた男の⼑だ。速くて、重くて、迷いがない。
だがフシミは、その上をいっていた。
⼤⼑でタケムラの⼑を受けて、受けたまま、⼩太⼑が下から喉を狙う。タケムラが体を引いて躱すと、もう⼤⼑が上から落ちてくる。⼆本の⼑が、⼀本の⽣き物みたいに途切れずに動いてる。
タケムラは三合⽬で頬を切られた。五合⽬で、左の肩を浅く裂かれた。
護衛のドローンが四機、⽩い⼭⾞を追ってきた。機銃の銃⼝が甲板の上の⼆⼈に向く。
無粋なお客様はこちらで黙らせておく。操作権を奪い照準をフシミに向けておく。万が一タケムラが負けた場合、離脱の援護くらいは文句を言われないだろう。
フシミがタケムラの⼑を⼤⼑で弾き上げた。
その隙に、体を半分だけ開いて、⼩太⼑を横に振る。
すると⼭⾞の甲板から⼆⼗メートル以上離れたところを⾶んでたドローンが⼀機、真っ⼆つになって落ちていった。
はぁ?
⼑が届く距離じゃない。
フシミは距離を無視して斬ってるようにしか見えない。斬撃が何もない空を渡ってドローンの胴まで届いてる。
⼆機⽬、三機⽬、フシミが⼑を振るたびに空のどこかでドローンが割れる。
「……いや、いやいやいや、待て待て待ておかしいだろ!あいつだけ、世界観を間違えてんぞふざけんなぁ!」
屋上の給⽔塔の脚の間で思わず声が出た。
⼑から、何かが⾶ぶ。スキャンした限り仕掛けはない。刃の中にも、フシミの腕の中にも、クロームもサイバーウェアも⼀つもない。
甲板の上でタケムラが膝をついた。左の太腿から⾎が流れてる。フシミの⼤⼑が上段に上がる。
⼭⾞の上はタケムラの受け持ち。そういう約束だった。
その約束の向こうで、タケムラが斬られて、ハナコがヨリノブのところへ連れ戻される。Vの頭の中のものを取り除ける道が、⼀本消える。
俺にとってタケムラとの約束より、そっちの方が重い。
膝の上に置いてた⼿を上げた。
最初に動かしたのは、⼭⾞そのものだ。
推進器の四つのうち、フシミの⽴ってる側の⼆つの出⼒を半分だけ落とす。甲板がフシミの⾜元からぐらりと傾いた。
フシミの上段の⼑がわずかに流れる。その分だけタケムラの頭の上を外れて、甲板の板を割った。
フシミは倒れなかった。傾いた甲板の上で、両⾜が床を噛んでる。⽣⾝の⾜とは思えない踏ん張り⽅だった。
⾏進の護衛のドローンを、三⼗機まとめて掌握する。⽩い⼭⾞の周りに集めて、機銃の銃⼝を⼀⻫にフシミに向けて撃つ。
フシミが⼑を振るっている。
二本の刀がフシミの体の前で、ほとんど⾒えない速さで円を描く。弾が刃に当たって弾かれる。弾かれた弾が甲板の⼿すりに⽕花を散らす。円の外に出た弾は、空気ごと斬られて、フシミに届く前に落ちていく。
三⼗機の機銃が弾倉を⼀つずつ空にするまでフシミは⼀歩も下がらなかった。
ドローンの機銃が空回りの⾳を⽴てはじめる。
フシミが⼑を下ろした。息がわずかに上がってる。⽻織の袖が何か所か裂けてたがそれだけだった。
フシミの顔が、ドローンの群れの向こうにゆっくり向いた。俺のいる屋上の⽅⾓だ。三本も通りを隔てた、灯りのない屋上をフシミは真っ直ぐ⾒た。
⾒えてるかどうかは、わからない。⾒えてなくても、そこに居るとわかってる顔だった。
タケムラが甲板に膝をついたまま、回線に声を流した。
『⼩僧。待て。あの男は、⽣かして捕らえる』
声がかすれてる。
『あの男は、ヨリノブ様の命を、直接聞いている。⽣かしておけば、ハナコ様の前でそれを語らせられる』
語らないだろう。
アラサカを選んだと、本⼈がたった今、⾃分の⼝で⾔った。
ハナコの前でヨリノブの命令を語ることは、アラサカを割ることだ。この男は死んでも語らない。それにヨリノブの執務室の承認の印ならもう俺の⼿元にある。
しかも、この男の体には⽷をかける場所がない。⽣かして縄をかけに⾏くのは、太腿から⾎を流してるタケムラだ。
⽣かしておく理由がどこにもないし、殺す理由がいくらでもある。
⼭⾞の後ろを、アラサカの護衛のAVが三機追ってきてた。腹に⾚い社章を描いた、紺碧で⾒たのと同じ型。
紺碧の夜、俺はこの型のAVの照準を⼆メートル横にずらした。
今夜は、ずらさない。
照準のレティクルを、フシミの胸の真ん中に置く。
フシミがAVのほうを振り返った。⼆本の⼑が、もう⼀度体の前で円を描きはじめる。
⼀秒に百発、それが三機。
円は、三秒もった。
四秒⽬に、円が崩れた。
機関砲が⽌まる。
⽩い⼭⾞の甲板の端に、ナガカゲ・フシミが膝をついてた。⼑は⼆本ともまだ⼿の中にある。黒い⽻織が、⾚い裏地と⾒分けがつかない⾊になってた。
フシミは顔を上げた。俺の屋上の⽅⾓をもう⼀度⾒る。
それから、前に倒れた。
タケムラは甲板に膝をついたまま、フシミを⾒てた。何も⾔わないまま、荒くなった息を整えている。
⽩い⼭⾞は、⾏進の列からもう⾒えないところまで、⼣⽅の空を滑っていく。
[ 街 の 外 れ の 倉 庫 ]
⽇が落ちたころ、⼭⾞は閉鎖された倉庫の屋根の上に降りた。
座席からハナコが⽴ち上がる。⽩い喪服の裾にフシミの⾎が⼀筋⾶んでた。ハナコはそれを⾒下ろして、それから甲板の端に倒れてるフシミを⾒た。
「タケムラ」
ハナコの声は落ち着いてた。
「⽗の葬列を乱して、⽗に仕えた者を殺して、あなたは私に何をさせたいのですか?」
タケムラは太腿の傷を押さえたまま、ハナコの前に膝をついた。
「真実を、お聞かせしたいのです。ハナコ様」
ハナコはタケムラを⾒下ろしたまま、動かない。
それから空を⾒上げた。どこかの屋上から、誰かがこの⼭⾞を動かしてた。ハナコは、それに気づいてる顔だった。
俺は三本通りを隔てた屋上の給⽔塔の脚の間で、バイザーの映像を⼀つずつ閉じていった。
⾏進の通りのカメラ
沿道の客の義眼
アラサカのドローンの残骸
AVの照準
最後に、⽩い⼭⾞の甲板のカメラを閉じる前にタケムラからコールが⼊った。
『⼩僧』
それだけ⾔って、間が空いた。
『……今夜のことは、忘れない』
それは礼なのか、そうじゃないのか、声からは聞き分けられなかった。
回線が切れる。
長らくお世話になった給⽔塔先輩の脚の間から⽴ち上がった。
膝から下が痺れてる。何時間も座りっぱなしだったな。
通りの底からまだ太⿎の⾳が聞こえてる。
列の真ん中に⽳が⼀つ開いたまま、葬列は何事もなかったかのように街を進んでいた。