The Child Leading Beyond the Wall 作:housen
降り積もる塵の向こうで
幾つもの灯火が消えていく
夜明け前に歩みを進める
誰も知らない結末へ
[ 倉 庫 の ⼆ 階 ]
同じ夜。荒野へ向かう無⼈タクシーの窓の外を街の明かりが後ろへ流れていく。
座席に背中を沈めて、バイザーの内側の映像をまた⼀枚だけ開いた。
閉鎖された倉庫の⼆階。
事務所だった部屋に裸の電球が⼀つ。窓は板で塞いである。
壁際の古いソファにハナコが背筋を伸ばして座ってる。
⽩い喪服の裾の⾎はもう乾いて黒くなってた。
向かいの床にタケムラが⽚膝をついてる。
左の太腿に巻いた布が⾚く染まってる。その後ろにVとジャッキー。⼆⼈ともビルからここまで裏道を三本抜けて来た。
もちろん途中のカメラには一瞬も映してない。
半年前からジャッキーの回線にはAIを⼀体つけてある。そいつが今夜、この部屋の⾳と映像を俺のバイザーまで運んでくれる。
⼆⼈がこの街から無事に出るまでが俺の仕事だ。
「ハナコ様⋯彼が例の人物達です。どうか話を聞いてあげて下さい」
第一声はタケムラからだった。立ち上がり姿勢を正したタケムラの言葉を聞き、ハナコの視線がタケムラからVとジャッキーへ、ゆったりとした動作で移っていく。
「こんな形で会うことになるとは⋯残念だ」
Vがハナコの前に置かれた椅子に腰掛ける。ジャッキーはその隣、入り口のドア側に仁王立ちする。
「詫び言なら既に聞いているわ」
Vが⾔葉を選んでるのが⼝の動きでわかる。
「サブロウ・アラサカを殺したのはヨリノブだ。お父さんの首を絞めるのを俺はこの目で見た」
ハナコは表情を変えず鼻で笑った。
「そんなデタラメを信じると思うの?どうかしてるわね」
「これが突拍子もない話なのは解ってる」
気まずそうに定まらないVの視線だったが、ふいにハナコの目を真っ直ぐ見て言う
「だがあんたは誠実で、信頼に値する人物だって事は知ってる。だから提案をしたい」
「あなたが?この私に?」
ハナコの顔色は変わらない。最初から今まで欠片の変化も無いのは流石アラサカのお姫様と言うべきか、もしかしたらこの話自体彼女にとってどうでもいい話なのかもしれない。
「あんたのお兄さんがネットウォッチに売ろうとしてた生体チップ【Relic】は今俺の頭に入ってる」
「盗みを働いた挙句、自分に使ったのですか」
「お宅の部隊がケースを壊しちまったもんでね」
ジャッキーが口を挟む。やはりストリートの男としてはアラサカの人間は気に食わないらしい。
気に食わないと言えば初代アラサカ◯ァッカーのロッカーボーイは⋯
『ヘッ、アラサカのお姫様が親⽗の形⾒の⼼配か。親⽗が何⼈殺したか訊いてみろよ、V』
と立てた銀の中指でハナコ様の眉間を抉らんばかりである。
Vは壁際を⾒ないようにして、ハナコに向き直った。
「チップに記録された人格コンストラクトが、俺の精神を上書きしようとしている。なんとかする方法を、あんたなら分かる筈だ」
「ハナコ様!Vは、この二人は兄君の罪を白日の下にさらけ出す、生き証人です!」
タケムラらしからぬ荒げた声。それでもハナコの顔は変わらない。
「Relicについてお力添えを頂ければ、今の話を証明してみせましょう⋯⋯⋯ハナコ様っ」
ハナコは答えない。
⼆⼗⼆時四⼗分
バイザーの端でAIが⼀体、⼩さく合図を寄越した。
見るとハナコのサイバーウェアから、細い信号が出てる。
アラサカの役員が体に⼊れてる、⾝元と居場所を知らせるための追跡装置だ。
その信号を拾ったアラサカの部隊が今、動いてる。
AVが⼆機。地上を装甲⾞が三台。中の兵⼠が、ざっと⼆⼗⼈。
所属の記録をたどると、承認の印はヨリノブの執務室に⾏き着く。
到着まで後六分ちょい。
⽌めるなら今だ。
AVの推進器も、装甲⾞の動⼒も、兵⼠の⽬も、今なら全部まとめて⽌められる。
⽌めて、どうなる。
このままハナコを倉庫の⼆階のソファに座ったままにさせるのか?兄を疑えと⾔われて、疑うための材料を⾃分では⼀つも確かめられないまま。タケムラと盗⼈の言葉だけを渡されて。
うん、ハナコを手元に置く理由は無く、リスクはこの街のゴミみたいに山積みだ。
Vの頭の中のものを取り除く道は、アラサカにある。その扉を開けられるのは現状ハナコだけだ。それも、誰かに扉の前まで引きずられていったハナコじゃない。⾃分の⾜でアラサカに戻って、⾃分の⽬で兄の⾔葉を確かめたハナコだ。
⽌めない。
ただ、迎えに来るのはヨリノブの判⼦で動いてる部隊だ。ハナコは丁重に連れて帰るだろう。
タケムラは、多分その場で始末する事になる。
ジャッキーとVは、ついでに。
そっちはさせない。
回線を三本まとめて開いた。V。ジャッキー。タケムラ。
「よう、お三⽅。お迎えが来るぞ。AVが⼆機と、装甲⾞が三台。中⾝は⼆⼗⼈ちょい。あと六分でご到着だ」
部屋の中の三⼈が同時に顔を上げた。
『どこから漏れた』
タケムラの声が低く鳴る。
「漏れてねえよ。呼んだんだ。三時間前、⼭⾞が屋根に降りた直後に、お姫様が⾃分の体の中の発信器を鳴らした。アラサカの役員⽤のやつだ。備えあれば憂いなしって言うのか?こういうの」
タケムラがハナコのほうを振り向いた。
ハナコはソファから⽴ち上がってた。喪服の裾を⽚⼿で軽く払う。
「タケムラ。真実は私が、私の⽬で確かめます。アラサカの中で」
「ハナコ様。あの部隊はヨリノブ様の⼿の者です」
ハナコは頷いた。
「知っています。だから私は、兄のところへ戻るのです」
タケムラの喉が動いたが、声にはならなかった。貧血でふらつきながらハナコを見つめてる。
ジャッキーがVの肩を掴んだ。
「おい。どうすんだ?V。お姫様を担いで逃げるか、置いて逃げるか」
「置いていく」
答えたのはVじゃなく俺だ。
「担いで⾛れるお姫様じゃねえよ、でかいの。⾃分で呼んだ迎えだ。乗せてやれ。お前らは裏から出ろ。ゴロウも連れてな」
*
⼆⼗⼆時四⼗六分
AVが⼆機倉庫の上空に⽌まった。
腹の照明が、板で塞いだ窓の隙間から部屋の中に⽩い筋を何本も落とす。装甲⾞が三台、倉庫の表に回り込んで、兵⼠を吐き出していく。
ハナコは一人で階段を降りていった。
表の扉が開くと兵⼠の列がハナコの前で⼆つに割れた。
ハナコは振り返らなかった。AVの⼀機が表の空き地に降りてくる。その開いた扉に⽩い喪服の背中が吸い込まれていった。
AVの扉が閉まり、地上から離れていく。
その瞬間に、表の兵⼠たちが倉庫の中へなだれ込んだ。
裏の階段を、Vとジャッキーがタケムラを両側から抱えて降りてる。タケムラの左脚はもうほとんど体重を⽀えてない。
三⼈の⾜が遅い。
兵⼠の義眼の中から三⼈の姿を拭き取る。⼀⼈残らず。上空のもう⼀機のAVの熱の映像からも。
兵⼠たちは⼆階の事務所を抜けて、裏の階段を上から⼀段ずつ降りてくる。
踊り場で、タケムラがVとジャッキーの腕を振りほどいた。
「先に⾏け。この脚では追いつかれる」
ジャッキーが、何⾔ってやがる、と怒鳴りかけた。タケムラはもう⼆⼈を⾒てなかった。
⼿すりに背中を預けて、⼑を抜く。⾒上げてるのは兵⼠じゃない。踊り場の天井を⽀えてる、錆びた梁だ。
「待てゴロウ!そいつらにお前らは⾒えてねえ。⾜⾳さえ殺せば、このまま裏から出られるっ!」
回線に叫んだ。
タケムラは答えず、⼑で梁を斜めに斬った。
錆びた梁が斬り⼝から折れる。
⽀えを失った踊り場の天井が、北側の外壁ごと内側へ崩れてくる。
その⼨前にタケムラはVとジャッキーの背中を階段の下へ押してた。
鉄⾻と、コンクリートの塊と、板で塞いだ窓の枠が、踊り場に落ちる。⼟埃が階段の下まで噴き出した。
Vとジャッキーが咳き込みながら起き上がる。⼆⼈とも怪我は無さそうだ。
踊り場があった場所は天井まで届く瓦礫の⼭に変わってた。
降りてこようとしてた兵⼠たちはその向こう側に残った。
⼭の向こうで、兵⼠の⼀⼈が仲間に合図する。四⼈がコンクリートの斜⾯に⼿をかけた。越えた先に、Vとジャッキーがいる。
俺はその四⼈のサイバーウェアを焼いた。
四⼈とも斜⾯を転がり落ちて、動かなくなった。
⼆⼗⼆時四⼗⼋分
残ったAVが倉庫の上空で輪を描いて崩れた⼭を照明でなぞる。
動くものは何もない。サーモカメラにも何も映らない。映らないように、俺がしてある。
AVはハナコを乗せた⼀機の後を追って街の⽅⾓へ機⾸を向けた。
装甲⾞も兵⼠を拾って、後に続く。
倉庫の周りから、アラサカの気配が消えた。
ジャッキーが膝に⼿をついて肩で息をしてる。
「……ゴロウは?」
「下だ、くたばってねえよ。踊り場の北の端で鉄⾻が⼆本斜めに噛み合ってる。その隙間に挟まってる。息はある。が、急いだ方が良い。上の瓦礫がもう⼗分もすれば崩れてくる」
崩れた⼭の中に⽷の届く物はほとんどない。古い鉄⾻と、コンクリートと、⽊の板。
タケムラの体の中のサイバーウェアだけが、⼼臓の⾳と⼀緒にかすかに信号を出してる。
位置はそれでわかった。
Vはもう動いてた。
⼭に取りついて、上からコンクリートの塊をどけはじめる。素⼿で。
「おい、V。お前がそいつにそこまでしてやる義理なんか……」
ジャッキーは⾔いかけて⾆打ちを⼀つした。Vの隣に並んで、⼀番でかい塊に両腕を回す。
「……くそ。わかってるよ」
⼆⼈の⼿で、塊が⼀つずつ転がり落ちていく。
「その右の平べったいやつは触るな、下の鉄⾻を⽀えてる。どけるなら左の三つが先だ」
ジャッキーとVが、⾔われた通りに左から崩していく。
七分かかった。
鉄⾻の隙間からコートの袖が⾒えた。
Vがその袖を掴んで引く。ジャッキーが鉄⾻を肩で持ち上げる。
タケムラの体が、隙間からずるりと引き出された。
顔が⼟埃で灰⾊になってる。
額から⾎が流れてる。左の太腿の布は、もう布の⾊をしてない。
それでも、⽬を開けた。
最初に⾒たのがVの顔だった。
「……なぜ、助けた⋯?」
かすれた声だった。
Vはタケムラの腕を⾃分の肩に回しながら答えた。
「さあな⋯アラサカの現場で散々人が死ぬのを見た。出来ればもう見なくて済むように、可能な限り助けようと思ってるんだ」
ジャッキーがタケムラのもう⽚⽅の腕を担いで⿐を鳴らした。
「俺は、Vが戻ったからだ。⽂句はVに⾔え」
⼆⼈に挟まれて、タケムラはそれきり⽬を閉じた。
*
⼆⼗三時⼗分。倉庫の外の空き地の端に無⼈のバンを⼀台呼んでおいた。
Vとジャッキーがタケムラを後部座席に寝かせる。息は浅いけど、途切れてない。
ジャッキーがバンの屋根に⽚⼿をついて、倉庫の⽅⾓を振り返った。⽡礫の⼭の上でまだ⼟埃が、照明のない夜の中に⽩く漂ってる。
「アノン。お前、最初からお姫様を帰すつもりだったのか?」
「⽌めなかっただけだ。迎えを呼んだのはお姫様だからな」
ジャッキーはバンの屋根を拳で⼀度叩いた。
「で、どこへ帰りゃいいんだ?ゴロウはこの怪我だ。アラサカはこいつを⾎眼で探してる。俺のガレージも、Vの部屋も、ヴィックのとこも⋯もうすぐ連中の⽬が回ってくるぞ」
その通りだった。ヨリノブの部隊はハナコを連れ戻した。次の目標はハナコをさらった男とその仲間だ。
今夜、⽡礫の⼭からタケムラの死体が出てこなければなおさら。
ヴィクターの仕事場には、Vが週に⼀度通ってる。アラサカがVの⾜取りを洗えば、真っ先に⾏き着く場所だ。そこへ⼿配中の男を担ぎ込むわけにはいかない。
ヴィクターを、これ以上こっちの揉め事の真ん中に⽴たせる理由もない。
この街には、ヴィクターの仕事場の他にもベッドの空いてる病院がいくらでもある。
サントドミンゴの外れの⼯場の多い通りに夜通し開いてる総合病院が⼀つある。⼯場で怪我をした作業員が毎晩何⼈も運び込まれてくる。
病院の受付の記録に患者を⼀⼈⾜す。今夜⼆⼗⼆時半アロヨの部品⼯場で崩れた資材の棚の下敷きになり、割れた鋼板で体のあちこちを切った荷役の男。
名前と、⾝元の番号と、勤め先と、保険の記録。⼯場の事故報告も⼀枚。顔は、あの⾷堂で会った⽇から毎⽇差し替えてる別の男の顔のまま。
病院のカメラにも、医者の義眼にも、その顔しか映らない。
「ゴロウは病院だ。サントドミンゴの総合病院に今夜の⼯場の事故の怪我⼈として。受付の記録はもう作ってある。名前は、着くまでに送っとくか」
ジャッキーが⽬を丸くした。
「お前、今の三⼗秒で⼈間を⼀⼈こしらえたのか」
「名前と保険証くらいはな。ゴロウの好みの名前かどうかは保証しねえけど」
Vが後部座席のタケムラを⾒下ろした。
「俺達は?」
「お前らは、こっちだ。⼀軒⼼当たりがある。ベッドも、まあなくはない」
Vが顔を上げる。
「お前の家か」
「家っていうか、職場だな。散らかってるが⽂句は受け付けねえぞ」
ジャッキーが、バンの助⼿席に体を押し込みながら笑った。
「ついにアノンの家にご招待か⋯⼿⼟産、何も持ってねえぞ」
「いらねえよ。ゴロウを救急の⼊⼝まで担いでくのがお前らの今夜最後の仕事だ。受付で名前を⼀つ⾔えば、あとは病院が勝⼿にやってくれる」
バンの⾏き先をサントドミンゴに書き換える。その先を荒野へ。俺の乗ってる無⼈タクシーの、少し後ろを⾛る道筋に。
バンが動き出す。
バイザーの端で、ハナコを乗せたAVが、街の真ん中のアラサカのタワーへ降りていく。
窓の向こうの⽩い喪服が、こっちの⽅⾓を振り返った気がした。
潜伏場所とハナコの服装を変えています。
ゲームのハナコ様の格好は流石に追悼の場に合わない、けど黒ってのはイメージと違う⋯⋯考えた結果真っ白になってもらいました。日本人がみたらツッコミたくなる場所でのパレードなので!
実際にツッコミ入れたらアラサカ職員に連行されるとおもいますがね。
あ、ナイトシティで病院のベッドに空きが多いのは死人の方が多いだろうという作者の偏見です!