The Child Leading Beyond the Wall 作:housen
ただ形が異なるだけで
つながれた鎖の音は
驚くほどよく似ていた
[ バ ッ ド ラ ン ズ 研 究 所 の ガ レ ー ジ ]
荒野の真ん中に、放棄されたミリテクの試験場がある。
崩れかけた管制塔の脇で地⾯の⼀部が⾳もなく沈んで、地下への⼊⼝が開く。
無⼈のバンが斜路を降りてくる。
タクシーで先に着いてた俺は、地下のガレージの壁に背中を預けてそれを待ってる。バンの扉が開くと助⼿席からジャッキーが⾸を回しながら降りてくる。後部座席からはV。
タケムラが寝てた場所はもう空いてる。あの男は今ごろサントドミンゴの病院の⼿術台の上だ。病院の記録ではアロヨの部品⼯場の荷役の男ということになってる。
ジャッキーはガレージを⾒回して、⼝笛を吹きかけてやめる。
「おい。ここミリテクの……」
「元、な。今は俺の職場だ。⼤家とはもう何年も連絡が取れてねえが気にすんな」
奥の扉が開いて、⽩⾐の男の器が⼊ってくる。その後ろに⽩⾐の⼥の器が⼀⼈。⼆⼈とも表情がなく、⾜⾳だけがきちんと揃ってる。
ジャッキーの顎がわずかに引かれる。
ジグジグ・ストリートで作業着に似合わない帽⼦をかぶった⼤男が、⽑布にくるんだエヴリンを抱えて階段を降りてきた。
ジャッキーはそれを通りの向こうから⾒てた。帽⼦の下の顔までは⾒えなかったはずだ。
それでも今のジャッキーは何かに思い当たった顔をしてる。
揃いすぎた⾜⾳と、表情のなさ。あの⼤男と同じ種類のものが⽬の前に⼆つ並んでる。
Vの⽬は器じゃなくてガレージの隅の⼯具棚のほうへ流れる。
『おい、V。この⽩⾐ども⽬が死んでやがる。瞬きの数まで揃ってやがんぞ』
⼯具棚に、銀⾊の左腕の男が寄りかかって腕を組んでる。
「部屋はこいつらが案内する。中⾝はAIだ、⼝は利かねえけど、迷⼦にはさせねえ」
ジャッキーが俺の仮⾯を⾒下ろす。
「……お前、それ」
「⾔葉どおりだよ、でかいの。今夜はそれ以上の質問は受け付けてねえ」
ジャッキーはまだ何か訊きたそうな顔をしてた。そこへ⽩⾐の⼥の器が近づいて、⾜元の銃の⼊った鞄を黙って持ち上げる。
ジャッキーの⼿が反射で伸びかけて、宙で⽌まった。
鞄はそのまま器の腕に収まる。
『そいつはお前の頭ん中と、どっちが気味悪いんだろうな』
ジョニー・シルヴァーハンドが⿐で笑う。
「働いて家賃を払ってる分だけ、こっちのほうがマシだろ?」
Vから咳払いを⼀つ。笑いを噛み殺した⾳だった。
ジャッキーがそっちへ振り向き、俺が顔を向けてた⼯具棚を⽬を細めて睨む。
「アノン。お前今誰に⾔った」
「家賃を滞納してる居候にだよ。そのうち紹介する」
ジャッキーの⽬がVに移ったが、Vは⾸の後ろを揉みながら壁にもたれてるだけだ。
「明⽇話す。今夜は、もう頭が回らねえ」
Vの⽬の下には隈が貼りついてた。ジャッキーは⾔いかけたことを飲み込んだ。
⽩⾐の男の器が廊下の奥へ歩き出す。Vとジャッキーがその後に続き、俺は⼀番後ろからついていく。
地下⼆階には元研究員たちが使ってた個室が並んでる。去年デイビッドたちが寝泊まりしてた部屋だ。⼿前の⼆つを⼆⼈に割り当ててある。器が扉を開けて脇に退く。
ジャッキーは部屋に⼊る前に⼀度だけ振り返った。
「アノン。ゴロウは⋯」
「⼿術はあと⼀時間で終わる。脚は元どおり動くってよ。⽬が覚めたら知らせる」
ジャッキーは頷いて扉を閉める。
Vの部屋の扉はしばらく開いたままだった。Vは扉の枠にもたれて、廊下の天井の配管を⾒上げてる。その横の壁にジョニーが同じ格好でもたれている。
Vが扉を閉めると、廊下の男も⾒えなくなった。
[ 研 究 所 地 下 ⼀ 階 の ⾷ 堂 ]
厨房の隣に古い⾷堂がある。
⻑いテーブルが三列、三⼈で使うには広すぎる。
テーブルの真ん中には合成スナックの袋が五つと、⽩⾐の⼥の器が淹れたコーヒーのポットが⼀つ。
ジャッキーはスナックの袋を⼀つ持ち上げて、裏の成分表を読んでから元に戻す。
「おい、アノン。朝飯ってのはこれのことか?」
「研究所の朝飯の全種類だ。味は三つあってな。塩と、もっと塩と、名前のわからない味」
ジャッキーは袋をつまみ上げて、⽬の⾼さで振ってみせた。
「ママが⾒たら泣くぞ」
ジャッキーは溜め息をついて、名前のわからない味の袋を開けた。⼀つ⼝に放り込んで、何度か噛んでから⾸をかしげる。
Vはコーヒーのカップを両⼿で包んで、向かいの空いた椅⼦を⾒てる。
その椅⼦にジョニーが座ってる。⾜をテーブルに乗せ、⽕の点いてない煙草をくわえたまま。
『メシのときくらい、その仮⾯、外したらどうだ。ガキ』
仮⾯の下からスナックを⼀つ⼝に運んで向かいの椅⼦に⾔い返す。
「⼈の顔を拝みたけりゃ、まずは家賃だ。滞納三週間分、耳を揃えてきっちり払いな。話はそれからだ」
ジャッキーの⼿がスナックの袋に突っ込んだまま固まった。
ジョニーはサングラスの奥で何か⾔いかけたが、テーブルから⾜を下ろして椅⼦の背にもたれただけだった。
Vがコーヒーを一口すすってカップを置く。
「⼆⼈とも朝から喧嘩すんな。頭に響く」
ジャッキーが袋から⼿を抜いた。塩のついた指で、俺の仮⾯と、Vと、誰もいない椅子を順番に指さしていく。
「……おいおい、お前誰と喧嘩してんだよ」
「お前の相棒の頭ん中の居候とだよ。聞こえなくて正解だぜ、でかいの」
Vがカップの縁で⼩さく⾆打ちした。⾃分の⼝から話すつもりだったんだろう。仮⾯の横顔に睨みが⾶んでくる。
ジャッキーの指は空いた椅⼦を差したままだった。
「ヴィックが⾔ってた、テロリストの兄ちゃんか。お前にまで⾒えてんのかよ」
返事を待たずにジャッキーは椅⼦の背もたれを掴んだ。テーブルから引いて、また戻す。⼿応えがなかったらしく指を開いて閉じた。
「気味悪いったら、ねえな」
ジョニーが煙草をくわえたまま肩を揺らす。それが⾒えるのはVと俺だけだ。
バイザーの端で着信の印が光る。相手はルーシーだ。
『アノン、今⽇の昼過ぎにそっちへ⾏く。デイビッドの検査、今日でしょ?』
「覚えてるって。医務室は空けとくよ」
ルーシーの声の後ろで、レベッカの笑い声が弾けた。
『ファルコが運転で四人で行くから。レベッカは弾を補充したいって』
ガレージの奥の棚の中⾝を頭の中で数える。先⽉レベッカが持っていった分がまだ埋まってない。
「奥の棚の分なら持ってっていい。それ以上は出ねえぞ」
⼀拍置いて、ルーシーが続ける。
『それと、ローグから伝⾔。来週あたりアノンに仕事を回すかもしれないって』
「ローグの仕事なら、話は聞く。姐さんによろしくな」
回線が切れる。
ジョニーが椅⼦から⾝を乗り出してる。
『おい。今、ローグって⾔ったか』
「アフターライフのローグだ。昼過ぎにそこの仕事を受けてる連中が四⼈ここに来る」
ジャッキーがスナックの袋を置く。
「アフターライフの⼥王様とまで付き合いがあんのか、お前。……で、今のも居候に⾔ったのか?」
俺は答えずに、空になった袋を丸めた。
ジョニーは⼝をつぐんでる。
煙草を指に挟んで、テーブルの上でくるりと⼀回回した。
『……あいつ、まだ⽣きてんのか』
Vがカップを置いて、向かいの椅⼦をまっすぐ⾒た。
「知り合いなのか?ローグと」
『昔の話だ』
ジョニーは椅⼦から⽴ち上がる。⾷堂の⼊⼝の暗がりのほうへ歩いていって、そこで消えていった。
ジャッキーはVが話しかけてた椅⼦の前に、名前のわからない味の袋を黙って滑らせた。
残念だなジャッキー。そこにはもう誰も座ってないぞ。
*
昼飯どきを過ぎたころ、斜路をファルコの⾞が降りてくる。フロントガラスに、ひびを樹脂で⽌めた跡が残ってる古い⾞だ。
⽌まるより先に後部座席の扉が開いて、緑の髪を跳ねさせた⼩柄な⼥が⾶び降りてきた。
レベッカだ。
「アノン! 弾の棚、どこ!」
「先に挨拶しろよ、レベッカ」
レベッカは聞いてない。奥の棚に向かって⾛りかけてつんのめるように⾜を⽌める。
ガレージの真ん中にジャッキーが⽴ってる。
下から上までゆっくり⾒上げていく。⾸がほとんど真上を向く。
「……でっか。何、あんた?冷蔵庫?」
ジャッキーは⾃分の胸のあたりまでしかない⼥を⾒下ろして腹の底から笑った。
「ジャッキー・ウェルズだ。中⾝はママのエンチラーダでできてる」
「レベッカ。次にあたしを⾒下ろして笑ったら膝を撃つからな」
⼆⼈はなぜか同時に拳を軽くぶつけ合った。
助⼿席からはルーシーが降りてくる。銀⾊に近い髪の細い⼥だ。その⽬がVの⾸の後ろの差し込み⼝で⽌まる。ネットランナーの⽬なら、チップの縁の刻印くらいはそこからでも読める。
ルーシーの⼝元が⼀瞬だけ固くなる。
最後に後部座席の反対側からデイビッドが降りてきた。
⺟親のものだった肩の裂けた救急隊員のジャケット。背は去年より少しだけ伸びてる。襟の上から軍⽤のサンデヴィスタンの縁が覗いてる。
デイビッドはガレージの顔ぶれを⼀通り⾒て、Vのところで⽬を留める。
「あんたもアノンの患者か?」
Vは少し考えてから、⾸の後ろを指で叩いた。
「そんなとこだ。頭の中に、厄介な同居⼈がいる」
「俺は、背中」
デイビッドが⾃分の背⾻を親指で指して短く笑う。Vも⼝の端だけで笑った。
Vの隣にもう⼀⼈⽴ってる男がいる。銀⾊の左腕を組んで、デイビッドの背中をサングラスの奥から眺めてる。
『あのガキ、背⾻に軍⽤のサンデヴィスタンなんて⼊れてやがる。その歳でよく正気でいられるもんだ。普通ならサイバーサイコ真っしぐらだってのによ』
「そいつの背⾻は俺が毎⽉⾒てる。お前に⼼配されるほどやわじゃねえよ」
デイビッドがきょとんとして俺を⾒た。その⽬がVの隣の何もない空気に移る。
「……今の、その同居⼈に⾔ったの?」
「⼝の悪い居候でね。気にすんな」
デイビッドはVの隣の空気を眺めたままジャケットの襟の上からサンデヴィスタンの縁を⼿で押さえた。
ジョニーはデイビッドの背中から⽬を離さないまま、⽕の点いてない煙草を⼝の端で噛んだ。
ファルコが運転席から降りる頃には、⾞の前にジャッキーがしゃがみ込んでた。ボンネットの継ぎ⽬と、フロントガラスのひびの跡を指でなぞってる。
「いい⾞だなおっさん。古いけど、ちゃんと⼿が⼊ってる。ひびを樹脂で⽌めたのはあんたか?」
「おっさんは余計だ。……樹脂は俺がやった。応急処置だがな」
⼆⼈はそれきり⾞の話を始めて、当分は顔を上げそうになかった。
[ 研 究 所 地 下 ⼆ 階 の 医 務 室 ]
デイビッドが医務室のベッドに腰かける
。⽩⾐の男の器が⾸の後ろに端末を当てると、バイザーの内側にデイビッドの神経回路のグラフが浮かぶ。
半年前と同じ⾼さで⽌まってる。下がりもしないし上がりもしない。サンデヴィスタンと背⾻の継ぎ⽬の揺れも、朝起きた直後の数分だけ。⽉に⾏く前からずっと同じ形だった。
「OK変化なしだ。いい⼦にしてたなデイビッド」
デイビッドは、先⽣みたいなこと⾔うなよ、と⼝を尖らせた。
医務室の⼊⼝にはルーシーが⽴ってる。腕を組んでデイビッドの⾸の後ろの端末を⾒てる。
その後ろの廊下をVが通りかかって⾜を⽌めた。
ルーシーは振り返らないまま⾔った。
「あなたの⾸のチップ。アラサカのでしょう」
Vは答えなかった。
「あなたの頭も、アノンが⾒てるの」
「あぁ、毎週な」
ルーシーはやっと振り返ってVの顔を⾒た。
「なら、⼤丈夫。きっと」
それだけ⾔うルーシーの⽬は端末に戻った。
Vは廊下に⽴ったまま⼀つ息をついてガレージの方へ戻っていく。その背中の後ろを銀⾊の腕の男がついていく。ルーシーには⾒えてない。
*
⽇が傾くころ、レベッカは弾倉を詰めた箱を三つファルコの⾞の荷台に放り込む。どれも奥の棚から持ち出したやつだ。
「次の仕事で使うから。払いはローグにツケといて」
「ローグに俺のツケを回すな。あの姐さんマジで怖えんだからな」
デイビッドが後部座席の扉を開けてガレージの中を振り返る。壁際にVとジャッキーが並んで⽴っている。
「また、どっかで」
Vが⽚⼿を上げる。ジャッキーは⼆本指で敬礼の真似をした。助⼿席のルーシーは窓越しにVの⾸の後ろを⼀度だけ⾒て、すぐ前を向いた。
後部座席の窓からレベッカが⾝を乗り出す。
「冷蔵庫! 今度、腕相撲しよ!」
いつでも来い、とジャッキーが⼿を振る。ファルコの短いクラクションが⼀回鳴って、⾞は斜路を上っていった。
地上の⼊⼝が⾳もなく閉じ、ガレージに静けさが戻る。
ジャッキーは壁から背中を離して伸びをする。
「にぎやかな連中だったな」
腹を掻きながら廊下のほうへ歩いていく。晩飯の⼼配をしてる背中だった。合成スナックの四つ⽬の味がどこかの棚に隠れてると思ってるらしい。
ガレージにはVと俺が残る。
⼯具棚の前にジョニーが⽴ってる。⾞が出ていった斜路の上をサングラス越しに⾒上げてる。
『ローグんとこで仕事を受けてる連中、か』
Vが⼯具棚のほうへ歩いていって、ジョニーの隣の壁にもたれた。
「気になるなら、今度アフターライフに顔を出してみるか。お前を連れてな」
『……余計な世話だ』
ジョニーは斜路を⾒上げたまま⾔った。それから、こっちへ顔を向ける。
『おいガキ。お前、俺のことどこまで知ってる』
「アラサカの⾦庫の、⽬録に書いてあった分だけな」
ジョニーはしばらく俺の仮⾯を⾒てた。それから⿐で笑った。
『嘘の下⼿なガキだ』
⼯具棚の前からジョニーの姿が消えた。
Vがこっちを⾒る。仮⾯の奥を覗き込むような⽬だった。
俺は肩をすくめて、⼯具棚の灯りを落とした。