The Child Leading Beyond the Wall   作:housen

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第3話 見えざる手

 

「頼み事ねえ。ローグ姐さんの頼み事はだいたい⾼くつく」

『⾼くつくのはあたしのほうさ』

 

回線の向こうで氷がグラスに当たる⾳がした。

 

『カン・タオの技術者を⼀⼈、街の外へ出したい。夜明けまでに』

 

バイザーの内側にデータが届く。男の顔写真。三⼗代半ば、痩せた頬に細い眼鏡。名前はシェン・イー。カン・タオでスマート兵器の照準系を設計してる技術者だ。

 

『会社を抜けたがってる。買い⼿はもう決まってる。あたしが仲介して腕のいいチームを四⼈つけた。⼀時間前にそのチームと連絡が途絶えた。全員死んだよ』

 

ローグの声は変わらない。

 

『シェンはどこかに隠れてる。最後に連絡があったのはカブキのあたり。カン・タオの警備部隊が探してる。それと、向こうはソロを⼀⼈雇った。ハウンドって呼ばれてる男だ』

 

ハウンドという名前をAIの⼀つに投げた。AIはネットの中へ潜り、数秒で戻ってくる。バイザーの内側に記録が⼭ほど積み上がる。サンデヴィスタンを用いた速さが売りのソロ。この⼆年で少なくとも三⼗⼈を殺してる。

 

「報酬は?」

 

ローグが⾦額を⾔う。少年は⼝笛を吹く。

 

「気前がいいな」

『四⼈分が浮いたからね。受けるのかい。あんた達なら⼀晩あれば⾜りるだろ』

 

バイザーの端でハウンドの記録をもう⼀度めくった。

 

「受けるさ、夜明けまでだな。姐さんのそういうとこ嫌いじゃねえよ」

『受け渡し場所はあとで送る』

 

回線が切れた。

 

椅⼦の上で胡坐をかき直す。合成スナックの袋を机の端へ押しやって、バイザーの表⽰を切り替える。

 

ナイトシティの地図が⽬の前いっぱいに広がる。

うなじの奥から⽷を伸ばす。街のネットをくぐり、そのさらに奥の果てに聳え立つ黒い壁へ。

 

壁の表⾯に⽷が触れると、向こう側がざわめく。暗い底のほうからいくつものAIが浮かび上がってくる。こっちが何をしようとしてるのかを、もう知ってる。⾔葉にする前に⽷を伝って降りてくる。

 

この⼆年、毎晩のようにやってきたことだ。それでも壁の向こうから寄ってくる瞬間には、いまだに背中が冷たくなる。慣れないだけだと思ってる。

 

指を⼀本ずつ鳴らす。

 

「仕事だぞ、お前ら」

 

 

*

 

 

カブキはワトソンの中でもいちばん雑多な⼀⾓だ。屋台と違法な露店が路地を埋め、看板の明かりが重なり合ってる。監視カメラの数は少ない。そのぶん誰かが勝⼿に取りつけたカメラがあちこちにある。

 

俺はそれを全部⾒た。

 

警備⽤のカメラ。店の防犯カメラ。通⾏⼈の義眼。⾃販機の顔認証。屋台の主⼈が売上をごまかすために隠してる、天井の⼩さなレンズ。壁の向こうから呼んだAIたちが⼀⻫にそれぞれの⽬を開き、⾒たものを流してくる。

 

シェン・イーはカプセルホテルの⼀室にいた。

三段に積まれたカプセルの、いちばん上の段。膝を抱えて壁際に体を押しつけてる。眼鏡のレンズが⼩さな画⾯の光を反射してた。⾸の後ろには、カン・タオの社員なら誰でも⼊れてる⼩さなサイバーウェアがある。シェン・イーは知らないがそれは会社の端末と常に繋がっていて、居場所を知らせ続けてる。

 

カン・タオの警備部隊はその信号を追ってカブキに⼊ろうとしてた。黒い装甲⾞が三台。中には、体のほとんどをサイバーウェアに置き換えた男たちが⼗⼋⼈。

 

俺はカブキの中から適当な通⾏⼈を三⼗⼈ほど選びちょいと可愛いイタズラをしてみる。

 

三⼗⼈の体に⼊ったサイバーウェアが、⼀⻫にシェンと同じ信号を出し始める。

 

装甲⾞の中で追跡画⾯の点が三⼗⼀個に増える。部隊の無線が短く乱れる。

それから俺はカプセルの壁の⼩さな画⾯に割り込む。

 

画⾯に⽩い仮⾯の顔が映る。

 

シェンが声にならない悲鳴を上げた。

 

「静かに。騒ぐと⾒つかるぜ」

 

マイクを通した太い声で、少年は続けた。

 

「ローグの使いだ。あんたを街の外まで運ぶ」

 

シェンの喉が何度か上下した。

 

「ローグ……チームは、来なかった。誰も、来なかった」

「知ってる。だから俺が来た」

 

お前は誰だ、とシェンが訊いた。

 

「タクシーの運転⼿みたいなもんだ。三分後に表に⾞が着く。⻩⾊いやつだ。乗ったらあとは寝てていい」

 

外にはカン・タオが、とシェンが⾔いかける。

 

「あぁ、居るな。ま、気にすんなって」

 

シェンが何か叫びかけた。少年が、声がでかい、とだけ⾔うと、シェンは⼝を押さえた。

 

「三分だ、choom。靴は履いとけよ」

 

 

*

 

 

⻩⾊い無⼈タクシーはカプセルホテルの前にきっかり三分で停まった。シェンが転がるようにして乗り込む。その⼗秒後、装甲⾞の⼀台が通りの⾓を曲がってくる。

装甲⾞の扉が開いて男たちが降りてくる。全⾝を灰⾊の装甲で包み、義眼を⾚く光らせてる。⼀⼈の視線がタクシーをまっすぐ捉える。

 

男の⽬の中では、タクシーは空⾞だ。後部座席には誰も乗ってない。俺がそう⾒せていた。

 

タクシーは男たちの横を静かに通り過ぎる。

後部座席のシェンは、窓の外の男たちを⾒て息を⽌めてた。男たちは誰⼀⼈こっちを⾒なかった。

 

「な?」

 

⾞内のスピーカーから少年の声がした。

 

「寝てていいって⾔ったろ」

 

シェンは返事をしない。走行中のタクシーの中で両⼿で膝を握りしめたまま、震えてる。⾼架が近づいたころ、ぽつりと⾔った。

 

「娘がいるんだ。七つになる。今は別れた妻と北にいる」

 

⾞内のカメラの中で、シェンは窓の外を⾒たままだ。

 

「だから抜けるのか」

 

「違う」シェンは眼鏡を外して⽬元を拭った。

「先⽉、私の作った照準システムがどこかの街で使われた。映像を⾒せられた。会社の中の、成果報告の会議で。ちゃんと当たっていた。全部狙った通りに当たっていた」

 

シェンは眼鏡をかけ直して、膝に置いた⾃分の⼿を⾒下ろした。

 

「拍⼿が起きたんだ」

 

タクシーが⾼架への合流⾞線に⼊る。街の明かりが窓の外を流れていく。

 

「娘が⼤きくなったときに、⽗親はあの会議室で拍⼿をしていた、とは⾔いたくない」

「そうかい」

 

それきり⼆⼈とも喋らなかった。

タクシーはワトソンを出て東へ向かう。⾼架道路に乗り、街の外へ続く道を⽬指す。

 

途中のNCPDの検問所では、ちょうど通りかかる直前に端末の更新が始まる。警官が⼆⼈、⾆打ちしながら画⾯を覗き込んでる間に、タクシーは遮断機の下をくぐる。

 

カン・タオの警備部隊はまだカブキの中にいた。

部隊を率いる男が装甲⾞の中で追跡画⾯を睨んでる。三⼗⼀個の点は、⼀つ⼀つがばら

ばらの⽅向へ動いてた。屋台の⾏列に並ぶ点。路地裏で⽴ち⽌まる点。歩道をのろのろと進む点。

 

部下が点の⼀つに追いついたと報告してくる。捕まえてみれば、買い物袋を提げた⽼婆だった。⽼婆は何が起きてるのかわからず、怯えた顔で男たちを⾒上げてたという。

 

 

次の点は酔っ払い。

 

その次は屋台の店主。

 

 

「ネットランナーだ」と男は⾔った。「誰がやってる。探せ」

部隊のネットランナーがカブキ中のネットを洗い始める。侵⼊の痕跡はどこにもない。

三⼗⼈の体に⼊ったサイバーウェアは、誰かに書き換えられた形跡もないまま、ただ同じ信号を出し続けてた。

 

部隊は三⼗⼀個の点を⼀つずつ追いかけ続けたが、⼀⼈だけその点を追ってない者がいた。

 

 

*

 

 

ハウンドは⾼架道路の上でバイクを停めて待ってた。

 

信号が頼りにならなくなった時点で方針を変え、逃げる⼈間が使いそうな道を、経験から先に読み張っていた。カブキから街の外へ抜けるなら、この⾼架を通る⾒込みが⾼い。

 

予想通り⻩⾊いタクシーが⾒えた。

 

ハウンドはバイクを降りる。サイバーウェアの両脚が路⾯を蹴る準備をする。背⾻に埋め込んだサンデヴィスタンが起動すれば、世界は⽌まる。周りは全部のろのろと動き、⾃分だけが普通の速さで動ける。その間に⾞の窓を割り、中の男を引きずり出して、⾸を折る。

 

いつも通りの仕事だった。

 

サンデヴィスタンが起動した。

 

世界は⽌まらなかった。

 

⽌まったのはハウンドのほうだ。

踏み出しかけた右⾜が宙で固まってる。腕も⾸もまばたきも、体の中のサイバーウェアが全部同時に命令を受けつけなくなってた。背⾻のサンデヴィスタンだけがまだ唸りを上げてる。⾏き場をなくした信号が神経を焼き始めた。

 

 

⻩⾊いタクシーが横を通り過ぎる。

後部座席の窓越しに眼鏡の男がこっちを⾒てた。ハウンドは⾒返すことしかできない。

 

 

『悪いな、旦那』

 

 

⽿の中で知らない声がした。

『あんたの背中のそれ、出来がいいよな。⾼かったろ』

 

声は笑ってた。

 

『だから全部回してやる、楽しんでけ』

 

サンデヴィスタンの出⼒が限界まで上がる。

 

ハウンドの体は⾼架の上で⼀度跳ねた。それから静かに崩れ落ちた。

 

 

 

*

 

 

受け渡し場所は、バッドランズの外れにある古いガソリンスタンドだった。屋根は半分崩れ、給油機は錆びて傾いてる。周りには乾いた砂と枯れた低⽊しかない。

 

東の空がうっすらと灰⾊になり始めてた。

 

⻩⾊いタクシーがスタンドの前で停まる。シェンが降りてきて、⾜がもつれて砂の上に膝をついた。

 

スタンドの陰から⼩さな⼈影が出てくる。

⽩い仮⾯を被り、黒いジャケットを着てる。背丈はシェンの肩にも届かない。右⼿には拳銃が⼀挺。

 

シェンはその⼈影を⾒上げたまま動けなくなった。

 

「よう。お疲れさん」

 

仮⾯の奥から、⾞の中で聞いたのと同じ太い声がした。

 

「お前が……⼦ども、じゃないか」

「タクシーの運転⼿だって⾔ったろ。⼦どもってのはよく⾔われる」

 

俺はシェンの後ろの砂丘に⽬を向ける。

 

「ちょっと伏せててくれ」

 

シェンが聞き返すより先に、少年はもう⼀度伏せろと⾔った。

シェンが砂の上に這いつくばると同時に、拳銃から三発の銃声。

 

狙ったのは何もない空だ。

 

弾は空に向かって⾶び、途中で弧を描いて曲がる。砂丘の向こう、崩れたコンクリートの壁の裏へ、上から落ちるように吸い込まれていった。

 

壁の裏で短い声が三つ上がる。それきり何も聞こえなくなった。

 

カン・タオはハウンドとは別にもう⼀組を先回りさせてた。最初の回収チームを殺したとき、その端末から受け渡し場所を抜き取ってたらしい。俺は連中がここに着いたときから⾒てた。三⼈とも狙撃銃を構えて壁の裏に⾝を隠してた。壁は厚く、まっすぐ撃っても弾は届かない位置だった。

 

頭上で重いエンジン⾳がした。

 

カン・タオの社章をつけた⼩型の⾶⾏機体、AVが⼀機、低い⾼度でこっちに向かってくる。機体の下に機関銃が吊り下げられてる。

 

シェンが悲鳴を上げる。

 

俺は空を⾒もしない。

 

AVのエンジン⾳が急に途切れた。

操縦⼠の⾸の後ろで機体と繋がってたパーソナルリンクが、内側から焼き切れてる。操縦桿を握る⼿が離れ、機体はスタンドの上を斜めに滑っていく。離れた砂丘の向こうへそのまま落ちた。

 

地⾯が揺れ、黒い煙が⼀本明け⽅の空に⽴ちのぼった。

 

「な?」俺はシェンの目を真っ直ぐ見て⾔った。

 

「寝てていいって⾔ったろ?」

 

シェンは砂の上に這いつくばったまま、仮⾯の少年を⾒上げている。

 

地平線の向こうから⼟煙が近づいてきた。⼤型のトラックが⼀台。荷台に⽇焼けした男が⼆⼈乗ってる。ローグが⼿配した運び屋だ。

 

トラックがスタンドの前で停まる。運び屋の⼀⼈が砂丘の向こうの煙を⾒て、それから俺を⾒て、何も⾔わずにシェンを荷台へ引き上げた。

 

荷台に乗る直前、シェンが振り返る。

 

「待ってくれ。今日のこれは君一人じゃあり得ない!君たちはいったい何⼈だったんだ?」

 

拳銃をジャケットの内側にしまいながら言った。

 

「さあな。数えたことねえや」

 

トラックが⾛り出す。⼟煙の向こうにシェンの眼鏡が光って、⾒えなくなった。

 

煙はまだ細く上がり続けてる。俺はそれをちらりと⾒てすぐに⽬を離した。スタンドの崩れかけた屋根の下に腰を下ろす。東の空が灰⾊から薄い橙に変わり始めてた。

 

夜明けまでまだ時間が残ってる。

 

 

*

 

 

『シェンの身柄を受け取ったって連絡が来たよ』

 

回線の向こうでローグが⾔った。

 

『シェンは無事。ハウンドは⾼架の上で死んでたそうだ』

「へえ。物騒な街だな」

 

ローグは笑わなかった。

 

『死んだ四⼈には家族がいた。あたしから話しに⾏く』

 

俺は何も⾔わなかった。

ローグも黙った。氷の⾳がした。

 

『報酬は振り込んだ』

 

「毎度あり。姐さんの頼みならまた聞くぜ。⾼くつくけどな」

 

グラスを置く⾳がする。

 

『知ってる』

 

回線が切れる直前、ローグが⼩さく息を吐くのが聞こえた。笑ったのか、ため息だったのか、俺にはわからない。

 

⽴ち上がってガソリンスタンドの外へ出る。

荒野の向こうから朝⽇が昇ってくる。仮⾯の⽩い頬が橙⾊に染まる。

 

俺は一度⼤きく伸びをする。体の⼩さな⾻がぽきぽきと鳴る。

 

「よし。帰って漫画の続き読むか」

 

⻩⾊いタクシーが⽬の前に⾳もなく停まった。

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