The Child Leading Beyond the Wall 作:housen
刻まれぬ名前がある
語られぬ歴史の片隅で
共に息を吐くためだけに
俺達は今日も
墓標の横を通り過ぎる
[ 研 究 所 の 医 務 室 ]
Vとジャッキーが研究所で寝泊まりするようになって四⽇が経った。
⽩⾐の男の器がVの⾸の後ろに端末を当てる。
バイザーの内側にVの神経回路のグラフが浮かんだ。
差し込み⼝から伸びた線は、焼けた場所を縫い終えてその先へ進んでる。先週と⽐べて侵食した分は⽖の先ほど。
夕べ書き込みが跳ねかけた跡が⼀つある。跳ねる前にナノマシンが回り込んで修復していた。
「OK、先週とほぼ同じだ。まるで優等⽣だな、V」
Vは施術⽤の椅⼦に座ったまま、壁の画⾯のグラフを⾒てる。
⼊⼝の脇ではジャッキーが壁に背中を預けて、名前の分からない味のスナックの袋を振っていた。
四つ⽬の味は研究所中を探しても⾒つからなかったらしい。
ジョニーは器の後ろの棚にもたれて、グラフを眺めてる。
『⽖の先ほど、ね。そいつが俺の取り分か。しけてやがるぜ』
Vはジョニーには答えず、画⾯から⽬を離さないまま⼝を開いた。
「アノン。このチップ作ったのは誰だか解るか?」
その答えなら前から知ってる。ゲームではVがその名前を追いかけていた。
紺碧の夜にケースの中⾝を読んだ時にもアラサカの研究部⾨の記録を開いて同じ名前を確かめてある。
器の指で壁の画⾯を⼀枚切り替えさせた。
アラサカの社員記録。
顔写真の脇に所属と肩書き。
研究部⾨
神経⼯学【Relic】の開発責任者
「アンダース・ヘルマン。お前の頭の中の居候を瓶に詰める⽅法を考えた男だ」
Vが椅⼦から⾝を乗り出して、画⾯の⽂字を上から下まで読んでいく。速い。
事務仕事に慣れた⼈間の読み⽅だった。
「退社の記録が無い。異動の記録も無い。それなのにある⽉から先、給与の振り込みだけが⽌まってる」
「さすが元防諜部、いい⽬してるぜ。続きはこっちだ」
もう⼀枚画⾯を切り替える。今度はアラサカのじゃない。カン・タオの社内の移動の予定表だ。
来週の頭、バッドランズの南を抜けていく⾞列が⼀本。
装甲⾞四台
護衛のドローン⼋機
真ん中の⼀台の乗客の欄だけ名前の代わりに番号が振ってある。番号を辿るとヘルマンの顔写真に⾏き着く。
「誰かを逃がそうとしているな。コーポのやり方は知っている」
Vの言葉を聞きジャッキーが袋を振る⼿を止めて画⾯の前まで歩いてくる。装甲⾞の列の図を太い指でなぞって、真ん中の⼀台で⽌めた。
ジョニーも棚から離れてヘルマンの顔写真の前に⽴った。
『アラサカの次はカン・タオってわけだ。どこの飯を⾷おうがコーポ野郎はコーポ野郎だ。鼻につくクソ野郎の臭いは変わらねぇ』
俺は器の指を画⾯から下ろさせて、Vの⽅へ向き直った。
「欲しけりゃ配達してやるよ。⾞列ごと⽌めて⽩⾐だけ引っこ抜いて、ここのベッドに寝かせとくだけだ。装甲⾞四台なんざ三分で⽚付くぜ、choom」
Vはすぐには答えなかった。⾸の後ろの差し込み⼝を指でなぞってから⾸を横に振る。
「いや。俺の問題だ。アンダース・ヘルマンには⾃分で会いに⾏く。何でもかんでもお前におんぶに抱っこでは座りが悪い」
ジャッキーがVの肩を拳で軽く叩いた。
「相棒が⾏くなら俺も⾏くぜ。ママにはちょっと遠出するって⾔っとく」
たった⼆⼈で荒野を⾛る装甲⾞四台とドローン⼋機を⽌める。真ん中のAVから⽩⾐を⼀⼈、⽣きたまま引きずり出す。
どう数えても⼿が⾜りてない。
⾜りない⼿を俺が貸すのは簡単だ。が、Vは今⾃分でやると⾔った。だったら借りる⼿もVが⾃分で選ぶだろう。
その時バイザーの端で着信の印が光った。ローグからのコールだ。
『アノン。明⽇の夜、店に来な。…あんたが匿ってる⼆⼈も連れてね』
「何の話だ?うちは独り暮らしだぜ、姐さん」
回線の向こうでローグが⿐を鳴らした。
『⾦⾊の拳銃をぶら下げたヘイウッドの⼤男と、アラサカを⾸になった坊や。紺碧の件でアラサカが⾎眼で探してる⼆⼈だよ』
「OK、バレてんなら仕⽅ねえ。三⼈分の席空けといてくれ。でかいのが⼀⼈居るから椅⼦はなるべく頑丈なやつで頼むぜ」
コールが切れる。
ジャッキーとVが俺の仮⾯を⾒てる。⼆⼈には俺の声しか聞こえてない。
「明日の予定が決まったぜ二人とも、アフターライフだ。ローグ姐さんからご指名が入ったぜ」
ジャッキーの⼿からスナックの袋が落ちた。
ジャッキーはそれを拾おうともしないで、医務室の天井を⾒上げた。⼝が声を出さないまま、アフターライフか、と動く。
紺碧の一件以来立ち寄る機会が無かった、憧れの場所。
ジョニーは画⾯の前に⽴ったまま、こっちを振り返らない。
Vがジョニーの背中に向かって⾔った。
「ローグからの指名だとさ。久し振りに会って気まずくても我慢しろよ?」
『…余計なお世話だよ。クソがっ』
ジョニーの姿が画⾯の前から消えた。
[ ア フ タ ー ラ イ フ ]
翌⽇の夜。
人通りの少ない通りを抜けていく。
野良猫⼀匹だけが俺達を見つめる中、地下に続く階段をゆっくり降りていく。
⼊⼝の脇の⽤⼼棒は前に来た時と同じ男だった。その両目の焦点が俺の仮⾯の上で⼀拍⻑く⽌まった。
義眼の内側に、店の中から連絡が⼀⾏届く。ローグの客だ、と。⽤⼼棒は顎で中を⽰した。
低い天井。⾚みがかった照明。壁際に並んだボックス席。グラスの触れる⾳と低い笑い声。
ふと、ジャッキーが⽴ち⽌まった。
カウンターの奥の壁に酒の名前を書いた板がある。死んだ伝説の傭兵達の名前だ。
ジャッキーは⼀番上からそれを読みはじめた。唇が名前を⼀つずつなぞってる。⼀番下まで読み終えて、もう⼀度⼀番上に戻る。
ゲームではあの板の下の⽅にジャッキーの名前があった。
今も無い。当分は載る予定も無い。
Vがジャッキーの背中を軽く押す。ジャッキーは押された事に気づかないまま、⼆歩だけ前に出た。
その横を銀⾊の左腕の男が先に歩いていく。
ジョニーはカウンターの端で⾜を⽌めて、⽊の⾓を指でなぞった。指は⽊の上を何にも触れずに滑っていく。
『…変わってねえな。酒の値段以外は』
ジョニーの顔が店の奥のボックス席の⽅を向いて、そこで⽌まった。
奥の席に⼥が⼀⼈座ってる。
短く刈った銀⾊の髪。細い指の間にグラスが⼀つ。⼋⼗をとうに過ぎてる筈なのに真っ直ぐ伸びている背筋。両⽬のサイバーウェアが照明の⾚をかすかに跳ね返してる。
ジョニーの⼝は閉じたままだった。
⼆⼈の間に昔何があったか俺は知ってる。
知ってるからって⼝を出せる話じゃない。
Vはジョニーの横顔を⾒てから、奥の席へ歩き出した。ジャッキーが板から⽬を引き剥がして、その後ろに続く。
席に着くとローグはグラスから⽬を上げないまま、俺の前に氷の⼊った⽔のグラスを⼀つ置いた。
「成⻑期はまだ続いてるかい?」
「おかげさまで絶賛継続中だ。来年にはジャッキーを⾒下ろしてる予定だぜ」
ローグの⽬がジャッキーに移る。ジャッキーは席の脇に突っ⽴ったまま、座っていいのかどうかも分からない顔をしてる。
「ジャッキー・ウェルズ。ママ・ウェルズの息⼦だろう。あの⼈の店のエンチラーダはこの街で⼆番⽬にうまい」
ジャッキーの⼝がゆっくり開く。
「…⼀番は、どこです?」
「あたしが若い頃に⾷った別の店のさ。もう無いよ」
ジャッキーは、⾃分の名前がこの席で出た事にまだ追いつけてないらしい。座り損ねて隣の椅⼦の背に肘をぶつけてから、やっと腰を下ろした。
ローグの⽬が最後にVの⾸の後ろで⽌まる。
「紺碧でアラサカから何を持ち出したのかは訊かないよ。聞いちまったら、あたしまでアラサカに追われる」
Vは⼩さく頷いて座る。
ジョニーは席に着かなかった。ボックス席の仕切りの端に⽚⽅の肩を預けて⽴ってる。
ローグの斜め後ろ、ローグの⽬には決して⼊らない場所だ。
グラスを持つローグの指を、サングラスの奥から⾒下ろしてた。
『…⽼けたな』
滅茶苦茶失礼な事言い始めたぞこのノンデリロッカーボーイ⋯
『当たり前か⋯』
テーブルの上でVの指が⽌まる。
Vはジョニーの⽅を⾒なかった。
ローグがグラスを置いた。
「仕事の話だ。急ぐもんじゃない、⽉末までに⽚付けてくれればいい。ヘイウッドに借りた⾦を返さない男が⼀⼈いてね。その男が抱え込んでる荷物を…」
店の⼊⼝の⽅で何かがぶつかる⾳がした。
⽤⼼棒の怒鳴り声。その途中に、もっと⾼い⼥の声が割り込んだ。
「どいて!今⽇は話が終わるまで帰らないから」
⾜⾳がボックス席の列を真っ直ぐこっちへ来る。
⻑い黒髪を揺らして、ノーマッドの⾰の上着を着た⼥が、ローグの席の前で⽌まった。
⽇に焼けた頬に砂埃の跡が残ってる。
パナム・パーマー。アルデカルドスの⼥だ。
⽤⼼棒が後ろから肩を掴もうとして、ローグの指⼀本で⽌められた。
「パナム。話は昨⽇終わってる。席を⽴ったのはあたしじゃない、あんただよ」
「終わってない。ナッシュの居場所を教えて。それだけでいい。⾞は⾃分で取り返す」
ローグはグラスの中の氷を揺らしただけだった。
「教えたら、あんたは⼀⼈で⾏って⼀⼈で死ぬ。だから教えない」
パナムの⼿が腰の拳銃の上で握られた。
指は引き⾦の⽅へは⾏かない。頭に⾎が上っても、ここがローグの店だって事は忘れてないらしい。
ジャッキーの右⼿が、膝の上から腰の⽅へ指⼀本ぶんだけ動いて⽌まった。
パナムはそこで初めて、席に先客が居る事に気づいた。その⽬が、⽔のグラスの前の⽩い仮⾯で⽌まる。
「…⼦どもまで連れてるの?」
「保護者同伴でね」
グラスの水を飲みながら言ったが、パナムは笑わなかった。
『ノーマッドか。気の短え⼥だ』
ジョニーが仕切りから肩を離して、パナムの顔を覗き込む。
『…嫌いじゃねえ』
Vはパナムを⾒てた。拳銃の上で握られた⼿と、ブーツの踵にこびりついた⾚い砂を。
それからローグの顔に⽬をやる。ローグはグラスの縁から⽬を上げて、顎をかすかに引いた。
「バッドランズは詳しいか?」
パナムがVの⽅へ顔を向けた。
「コーポの坊やに関係ある?」
「ある。来週バッドランズで⽌めたい⾞列があるが⼿が⾜りない。そっちは取り返したい⾞があって、やっぱり⼿が⾜りない。俺にはそう聞こえた」
パナムの⽬がVの上着の縫い⽬の上をなぞった。
「コーポがノーマッドと取引?⾞を取り返したら次は砂漠ごと買い叩く気?」
ジャッキーが椅⼦の上で体の向きを変えて、パナムとVの間に肩を⼊れた。
「元、コーポな。今は俺と同じこの街の傭兵だ。こいつの上着は⾸にされた⽇のまんまでね。新しいのを買う⾦がねえんだ」
Vが横⽬でジャッキーを睨む。ジャッキーは知らん顔でテーブルの上の灰⽫の位置を直してる。
パナムは⼝を結んだまま、⼆⼈の値踏みを続けてた。
ローグが⾃分のグラスの縁を指で軽く叩く。
「パナム。座りな」
パナムは座らなかった。けど、拳銃の上の⼿はほどけた。
ローグはパナムを⾒ないまま、俺の仮⾯の⽅へ顔を向ける。
「あたしの仕事は⽉末まで逃げやしない。ヘイウッドの借金男も、荷物を抱えたままどこにも⾏けやしないさ」
「キャンセル料は取らねえのか?」
ローグの⼝の端がわずかに上がる。
「⽔代にしとくよ」
パナムがテーブルの端に⼿をついて、Vの顔を⾒下ろした。
「話はここじゃしない。ローグの前で取引したら、ローグに⼿数料を取られる。…⼀時間後、この店から北の⾼架の下。乗り捨てられたバスが⼀台転がってる。そこまで来て。来なけりゃそれまで」
パナムは背中を向けた。⽤⼼棒の横を、肩で押しのけるようにして抜けていく。階段を上がる⾜⾳は最後まで速いままだった。
ジョニーはパナムが出ていった階段の⽅を⾒てる。
ローグが俺の前のグラスに⽬を落として、カウンターの⽅へ指を⼀本上げた。
「もう⼀杯いるかい?」
「いや。次は酒にしてくれよ、姐さん。テキーラをボトルごとな」
ローグはそれには答えず、グラスを⼝に運んだ。
Vが席を⽴つ。ジャッキーも⽴ち上がりかけて、もう⼀度カウンターの奥の板を振り返った。今度は椅⼦の背に肘をぶつけないように避けて⽴った。
ジョニーはまだ仕切りの端に⽴ってる。
階段の下でVが⾜を⽌めて振り返った。
ジョニーの⽴ってる場所を真っ直ぐ⾒る。
ローグがグラスの縁越しに、Vの⽬の先を⼀度だけ追った。
そこにはボックス席の仕切りしかない。
ローグは何も訊かずにグラスを置いた。
ジョニーはローグの銀⾊の髪を最後にもう⼀度⾒下ろしてから、⾜⾳のしない⾜でVの隣まで歩いてくる。
『⾏くぞV。…ここの空気は昔から喉に悪い』
階段を上がる途中で、ジャッキーが俺の仮⾯の頭を上からがしがし撫でた。仮⾯がずれる。
「おい、加減しろって仮面ずれてるって。でかいの、おいっ」
「ママの店のエンチラーダがこの街で⼆番⽬だとよ!」
ジャッキーは誰に⾔うでもなくそう⾔って、階段を⼀段⾶ばしで上がっていった。
Cyberpunk2077のメインヒロイン(諸説あり)のパナムが登場。ここから舞台をバッドランズに移します。
主人公君にとって初めての「お友達とのお出かけ」になりますね!