The Child Leading Beyond the Wall 作:housen
「検視官補がうちに?」
フィクサー経由で回ってきた依頼を、俺は椅⼦の上で胡坐をかいたまま眺めてる。依頼⼈はNCPD第三分署の遺体安置所の検視官補。報酬は安置所の雑費から出すらしい。
ふだん俺が受け取る額とは桁が三つ違う。
安っ。
断ろうと思って添付の写真を開いた。⽑むくじゃらの⼤男が台の上に寝かされてる
「おいおい、まるっきり狼男じゃん」
声に出てた。
ここ⼀か⽉、ワトソンでは狼男の噂が流れてた。俺もいくつか⾒た。夜中の路地を四つん這いで駆けていく影。屋根の上で吠える姿。どれも画質の悪い動画で、ほとんどが「テスの夜話」っていう⼼霊系の配信から広まってる。
その狼男が四⽇前に撃ち殺された。
ニュースの扱いは⼩さい。撃った⼈間の名前は出てない。
写真の男の顔をもう⼀度⾒る。⾦属の顎。削った⽝⻭。それから閉じた⽬のまわりの深い皺。
狼男にしてはずいぶん疲れた顔をしてる。
依頼⼈の顔も⾒ておくことにした。NCPD第三分署の遺体安置所に、カメラは⼆台。天井の隅のやつを借りる。
ステンレスの台の上に写真の⼤男。肩から背中にかけて灰⾊の⽑がびっしり⽣えてる。近くで⾒ると⽪膚に植えた合成繊維だった。植え⽅が雑で、根元のあちこちが⾚黒く膿んでる。胸に弾痕が三つ。全部正⾯からだ。
台の横に⽩⾐の⼥が⽴ってる。ナディア・ハッサン。三⼗代の半ばくらい。⽬の下に俺と張り合えそうな隈がある。
⼾⼝に紙コップのコーヒーを持った刑事が現れた。
「先⽣、書類まだですか。暗がりで化け物に出くわして、撃った。それだけの話でしょう。事故ですよ」
「撃ったのは誰です」
刑事はコーヒーをすすった。
「それは書類には関係ない」
それからナディアの⼿元の端末をちらっと⾒た。
「上も早く⽚付けたがってる。先⽣のためにも明⽇までにお願いしますよ」
刑事が出ていっても、ナディアは遺体を⾒下ろしたまま動かない。⼿袋をはめた指が台の縁を叩いた。
なるほどね。
「受けるぜ。値段はそのままでいい。たまには薄給も悪くねえ」
マイクを通した太い声でフィクサーに返事を送った。
*
最初に調べたのは撃ったやつだ。
バイザーの表⽰を切り替えて、うなじの奥から⽷を伸ばす。壁の向こうから呼んだAIを⼆つ、NCPDのネットへ滑り込ませる。数秒で同じ事件の記録が三枚、⽬の前に並んだ。
記録は三回書き換えられてる。最初の版では、撃ったのは⾮番の警官。⼆回⽬の版ではその名前が消えてる。三回⽬の版では「通りがかりの市⺠」。消したつもりの名前は記録の奥にちゃんと残ってた。消し⽅を知らないやつが消したんだろう。
その警官は事件の夜、⾏きつけのバーで飲んでた。帰り道の路地で⼤男に出くわして三発撃った。本⼈の義眼の記録が残ってたから、俺はそれを再⽣する。暗い路地。⽑むくじゃらの男。男は両⼿を上げてた。
喉のサイバーウェアから唸り声が出てる。唸り声にしか聞こえない。でも⼝の動きは何か⾔おうとしてた。
三回⾒直した。
それから指を⼀本⽴てて、AIを⼀つ、警官の⾏きつけのバーへ⾶ばす。店のカメラの映像が、事件の翌⽇の分から順に流れ込んでくる。警官は休暇を取って毎晩同じ席で閉店まで飲んでる。誰とも話さない。ときどき⾃分の右⼿をじっと⾒てる。
警官の記録を閉じた。
次。撃たれた男が誰か。
遺体の写真を拡⼤して指紋をAIに投げる。ナイトシティ中の記録を当たらせても、何も出てこない。顔は合成繊維と⾦属で原形がなかった。けど喉のサイバーウェアに、指先ほどの刻印が残ってる。サイバーウェアの製造番号だ。
番号を読み取って別のAIに投げる。そいつはミリテクの古い記録の⼭に潜って、七年前の軍の調達記録を咥えて戻ってきた。野戦⽤の通信補助装置。統⼀戦争で喉を撃たれた兵⼠に⽀給されたやつだ。
⽀給先はディーン・マクロイ。
除隊後、住所の記録が三回変わって、最後は空⽩。
もう⼀つだけAIを壁の向こうへ戻した。軍の古い通信の、捨てられた記録の⼭を探させる。待つうちに⼩さな⾳声ファイルが⼀つ届いた。
『⺟さん、こっちは元気だよ。飯はまずいけど、仲間はいい奴ばかりだ。帰ったら、また裏の川で釣りをしよう』
穏やかな声だった。唸り声じゃない。
そのファイルを⾃分⽤のフォルダにしまう。漫画やゲームのとは別のフォルダに。
*
次に「テスの夜話」で紹介された狼男の動画を全部集めた。
⼗四本。並べて同時に再⽣する。バイザーの内側が夜の路地で埋まった。全部夜中の⼆時から三時の間に撮られてる。撮った位置の⾼さもほとんど同じ。地⾯から百六⼗センチくらいの、⼿持ちの端末。⼿ブレの癖まで⼗四本とも同じだ。
狼男は毎回同じ⽅向へ⾛って、路地の奥で必ず振り返る。カメラのほうを。
逃げる獣の動きじゃない。合図を待ってる⼈間の動きだ。
「裏ボスが居るパターンかよ」
⼗⼀本⽬の最後、画⾯が暗転する直前のコマに、画⾯の端から⼿が伸びてた。紙に包んだ⾷べ物を握ってる。⼿の甲で救急隊員がよく⼊れてる脈拍計のインプラントが光った。
その⼀コマを切り出して型番を割り出す。ワトソンの闇医者の取引記録と、救急隊の古い備品台帳を、AIに端から当たらせた。
三分で名前が⼀つ返ってきた。
ルース・ケイン。元救急隊員。⼆年前にサイバーサイコと言う名目で拘束されて、治療を受けて、今は仮釈放中。闇医者達の間では、半年前から「家のない男を連れてきて、ただで体をいじってる⼥がいる」って噂になってた。
ルースの部屋の端末に⽷を伸ばす。
狼男の動画の元データが全部あった。ディーンに⾷べ物を与えて、決まった時間に決まった路地へ連れ出して、⾃分で撮る。送り主の名前を消してテスに送りつける。
それからテスの配信の記録。⼀本残らず。テスの顔の静⽌画が何千枚も並んでて、⼀枚ずつに⽇付と短い⾔葉が添えてある。
『今⽇も綺麗』『私が⾒つけた』『私が⼤きくしてあげる』
読むのをやめた。
犯⼈はわかった。証拠も揃ってる。あとは全部まとめて検視官補に送って、警察に拾わせれば終わりだ。
ルースの居場所だけ最後に確かめておく。仮釈放の⼈間には追跡⽤のチップが埋まってる。チップの信号はワトソン中央の集合住宅の、ルースの部屋から出てた。
部屋のカメラを覗いた。
誰もいない。
ベッドの上に⾎のついたガーゼが落ちてる。その横に⼩指の先くらいの黒い粒状の物体。
追跡チップだった物が転がっていた。⾃分で抉り出して置いていったんだ。
*
テスの最新の配信は、五時間前。
開いてみる。画⾯の中のテスはいつもの派⼿な化粧をしてない。疲れた顔でカメラをまっすぐ⾒てる。
『狼男の動画、ここで紹介してきたやつ。あれ、全部仕組まれてたかもしれない。誰かが撮って、私に送ってきてた。撃たれた⼈は、たぶん、ただの……』
配信はそこで切れてた。
テスの住む集合住宅で扉の記録を呼び出す。五時間前に誰かが⼊ってる。⼊ったのは⼀⼈。出たのは⼆⼈。
ルースを探した。
いつもならそれで終わる。体にサイバーウェアを⼊れてる⼈間は、どこにいてもネットのどこかに信号を残してる。ルースの体には⼭ほど⼊ってるはずだ。両腕、両⽬、背⾻。AIを街中に放てば、どこかで必ず引っかかる。
引っかからなかった。
AIをもっと広く放った。ワトソン全域。ナイトシティの北半分。それでも何も返ってこない。
ルースの医療記録を開いた。救急隊員だったころは優秀だったらしい。五年で⼋百⼈以上を現場から運んでる。腕をサイバーウェアに替えたのは重い患者を⼀⼈で担ぐため。⽬を替えたのは暗い路地で怪我⼈を⾒つけるため。
それからサイバーサイコとして拘束されたときの報告書。拘束に三時間かかってる。
ルースは⾃分のサイバーウェアの通信機能を、全部⼿で壊してた。ネットに頼った警察の追跡を、それで三時間振り切った。
同じことをまたやったんだ。
時計を⾒る。午前⼆時⼗分。
ルースの部屋の端末にまた潜った。消されたファイルの残骸をAIに全部掘り起こさせる。テスの静⽌画の⼭、その⼀番下に、短い予定表が残ってた。
『三時。あの⼦の最後の配信』
あと五⼗分。
この⼀週間の、ルースの買い物の記録を全部並べた。
⽌⾎剤。包帯。結束バンド。印刷⽤の紙を、百枚単位で三回。それからサントドミンゴのアロヨにある貨物置き場の、コンテナの短期契約。名義は他⼈のものだが、⽀払いに使った⼝座はルースの部屋の端末と繋がってる。
貨物置き場にはコンテナが⼆千個以上ある。契約の記録は偽名で、番号も書き換えられてた。
貨物置き場の監視カメラを全部覗く。ルースは映ってない。カメラの位置を知ってたんだろう。
*
――はい、ストップ。
時計の針には悪いけど、ちょっとだけ待っててもらう。
そっちで読んでるあんたも、たぶん同じことを考えてるころだろ。
今、俺の⼿元にある材料はこれだけだ。
ルースは追跡チップを抉り出して部屋に置いていった。サイバーウェアの通信もたぶん全部⾃分で壊してる。ネットのどこを探しても、ルースはいない。
ルースは貨物置き場のコンテナを⼀つ借りてる。⼆千個のうちの、どれか。番号はわからない。カメラにも映ってない。
ルースは印刷⽤の紙を三百枚買ってる。
それから三時に「最後の配信」をするつもりでいる。
⼆千個の箱の中から⼀つを選ばなきゃいけない。残りは四⼗九分。
ここで⼀個だけおまけを付けとく。
ルースはネットから消えた。でも、ルースの周りで動いてる機械まで全部⽌められたわけじゃない。あの貨物置き場で夜中に働いてるのは⼈間だけじゃないってことだ。
あと、三百枚の紙。あれ、何に使ったと思う?
まあ、答えはすぐにわかる。
――じゃ、続きといこうか。
*
午前⼆時⼆⼗⼋分。
カメラじゃないものを探した。
貨物置き場の荷役ドローンは運んだ荷物の重さと⾏き先を全部記録してる。この⼀週間の記録をAIに洗わせた。
三⽇前、ドローンが⼀台、⼩さな箱を三つ運んでる。紙の束ほどの重さの箱だ。宛先は、ほかに何の荷物も⼊ってない、空のはずのコンテナが⼀つ。
そのコンテナの扉の記録を⾒る。開いたのは五時間前に⼀回。閉まったのも⼀回。
その周りを回るドローンの障害物センサーの記録を⾒る。コンテナの壁越しに⼈の背丈くらいの熱源が⼀つ。もう⼀つ、床に近い位置に⼩さな熱源。
⾒つけた。
午前⼆時四⼗⼀分。
コンテナの中は何も⾒えない。⾦属の壁が信号を全部⽌めてる。ルースは中にいて、俺の⼿は中に届かない。
扉の電⼦錠だけは外側についてた。
*
コンテナの電⼦錠にAIを⼀つ張りつかせた。
開けるのは簡単だ。でも開けた瞬間にルースが気づいたら、その⼀秒で何をするかわからない。ルースの左腕には⽕炎放射器が仕込まれてる。闇医者の取引記録にその部品の購⼊履歴が残ってた。
開けた瞬間に、ルースのサイバーウェアを全部⽌める。扉が開いて電波が中に届くまでの間に。
AIを⼆⼗、錠の周りに集めた。
午前⼆時五⼗⼋分。
テスのチャンネルに配信開始の予約が⼊る。三時ちょうど。
中で何かがかちりと鳴った。錠の振動センサーが拾った、点⽕装置の⾳だ。
扉が指⼀本分だけ開いた。
その隙間から瞬時に糸が伸び、AIが雪崩れ込んだ。
ルースの両腕。両⽬。背⾻。左腕の⽕炎放射器。全部同時に掴む。点⽕装置が⼆度⽬の⾳を⽴てる前に、燃料の弁を閉じた。
コンテナの中を⾒られるのはルースの義眼だけ。俺はその⽬を借りる。床に両⼿を縛られたテスが転がって泣いてた。声が出てない。⼿⾸は擦れて真っ⾚で、⽚⽅の靴が脱げてる。壁にはテスの配信の画⾯を印刷した紙が、何⼗枚も貼ってあった。
ルースの体はテスに向かって左腕を突き出した格好のまま固まってる。
「なに、これ」
ルースの声が震えた。
俺はルースが腰に提げた端末の、スピーカーを借りた。
「よう、プロデューサー」
義眼の視界が恐怖で揺れる。
「仕事熱⼼なのはいいけどな。演出が過剰なんだよ。視聴者は引いてる」
誰、とルースが声を絞り出した。
「通りすがりの評論家」
ルースの膝を折らせて床に座らせた。意識はある。⽬も開いてる。ただ指⼀本動かせない。
扉を全部開けた。外の街灯の光がコンテナの中に差し込む。
床に落ちてたテスの端末を鳴らして、画⾯に⽩い仮⾯を映した。
「縄、⾃分でほどけるか? 悪いな、こっちは⼿が届かねえんだ」
テスは画⾯を⾒つめて、それから震える⼿で何度も頷いた。
「⼗分で警察が来る。まともなほうの警察だ。あんたは外に出て表の通りで待ってろ」
「この⼈、死んでるの」
テスの⽬は床のルースから離れない。
「⽣きてるよ。⽣かしとかないと困る⼈がいるんでな」
⼗分後、パトカーが⼀台来た。降りてきた若い巡査⼆⼈が、通りに座り込んでるテスを⾒つけて、それからコンテナの中のルースを⾒つける。
巡査がルースを担いでパトカーに乗せるまで、俺はルースのサイバーウェアを握ったままでいた。
パトカーの扉が閉まってから⼿を放した。
椅⼦の背にもたれようとして背中が届かなかった。
⼆時間近く、ルースは俺の⼿の外にいた。この⼆年で初めてのことだ。
*
翌朝、遺体安置所にデータの束を送った。
警官の義眼の記録。書き換えられる前の事件記録。ディーンの軍歴と、喉のサイバーウェアの調達記録。ルースの端末の中⾝。それからルースを拘束した巡査の報告書。巡査は匿名の通報でコンテナに向かったと書いてた。
天井の隅のカメラをまた借りた。
ナディアはそれを全部⾒るのに⼆時間かけた。⼀つ⾒るたびに、端末から顔を上げて、台の上の遺体を⾒る。
⼾⼝に昨⽇の刑事が⽴った。
「先⽣、書類は」
ナディアは、書きました、とだけ⾔って、端末を刑事に向けた。死因の欄には事故ではない⾔葉が書かれてる。
刑事は画⾯を読んでナディアの顔を⾒た。何か⾔いかけて、やめる。
「これ、どこから」
「匿名の通報です」
刑事が出ていくと、ナディアは台の上の遺体に向き直った。合成繊維の⽑を⼿袋の指でそっと撫でる。カメラ越しでも、⼿つきが丁寧なのはわかった。
「ディーン・マクロイさん」
初めてその名前を声に出した。
「遅くなってごめんなさい」
俺はカメラから抜けた。
*
その夜、「テスの夜話」の新しい配信が始まった。
テスは化粧をしてない。画⾯の端に⼀枚の写真を置いてる。軍服を着た、短い髪の若い男の写真。
『この⼈の名前はディーン・マクロイ。狼男じゃありません』
テスはディーンのことを話した。途中で何度か⾔葉に詰まって、そのたびに写真のほうを⾒る。
最後にテスは⾔った。
『それから、昨⽇の夜、私を助けてくれた誰か。名前も知らないけど、ありがとう』
コメント欄が流れ出す。仮⾯の誰か。噂の連中じゃないか。《Anonymass》だ。
配信を閉じた。
ナディアからの報酬が振り込まれてる。合成スナック⼗袋分にもならない額。⼿をつけずに置いておく。
部屋の隅で⽩⾐の男が瞬きをした。
漫画やゲームのじゃないほうのフォルダを開く。古い⾳声が流れる。
『帰ったら、また裏の川で釣りをしよう』
最後まで聞いた。それからもう⼀回最初から再⽣した。
「……川、か」
ナイトシティに釣りのできる川があるのかどうか。俺は知らない。
不穏な後味を残してみる。
環境破壊は楽しいぞぃとやりたい放題のナイトシティに魚が住んでる川なんて有るんですかね?(すっとぼけ)