The Child Leading Beyond the Wall 作:housen
『妻が遺したものなんです』
回線の向こうで男は何度もそう⾔う。
ハロルド・ヴェイン。中堅の物流会社の役員で、五⼗がらみ。フィクサーを通してどうしても《Anonymass》に頼みたいと⾔ってきた。
『エレナは北の森で農場をやっていました。バイオテクニカの実験⽤の農場です。半年前に、事故で』
声が詰まる。
『農場の近くに妻が管理していた⼩さな保管施設があります。研究の最後のサンプルがそこに残っている。それを持ち帰っていただきたい』
サンプルの中⾝を訊いた。
『冷凍のポッドに⼊っています。番号はCP3251。中⾝は私にもよくわからない。ただ絶対蓋をに開けないでほしい。エレナがそう⾔い残したので』
送られてきた地図を開く。ナイトシティから北へ、⾞で半⽇。州境を越えた先の深い森の中だ。
報酬はローグ姐さんの仕事と同じくらい。
「森の中まで出前ってのは⾼くつくぜ」
『払います。いくらでも』
また声が詰まった。
回線を切ってから録⾳を聞き直す。泣き声の合間の息継ぎが妙に規則正しい。
泣き慣れてない⼈間の泣き⽅だなと思った。そのときはそれだけだった。
*
⽩⾐の男は部屋の隅に⽴ってる。その横に制服の男を並ばせた。
⼆⼈とも⼆年前までこの研究所で働いてた⼈間だ。今は壁の向こうから来たAIが中に⼊ってる。
器は全部で⼆⼗ある。ほかの⼗⼋には研究所の発電と警備と倉庫の番をさせてる。外に出すならこの⼆⼈が向いてた。制服の男は警備員だったから、両腕にミリテクの軍⽤のサイバーウェアが⼊ってる。会社は秘密の研究所の⼈間に、外に出してない最新式を惜しまず⼊れてた。⽩⾐の男は研究員だったから、⽬と神経が最新式で、施設の端末の扱いにも慣れてる。
森まで俺の体で⾏けるわけがない。歩いたら⼀⽇で倒れる。
古い作業着を着せて、倉庫にあった銃と⽔と乾いた⾷料を持たせた。
「森ん中だ。熊が出るらしいから気をつけろよ」
⼆⼈は返事をしない。瞬きを⼀回した。
ガレージに錆びたピックアップトラックが⼀台ある。⼆⼈はそれに乗って夜明け前に出ていった。
俺は椅⼦の上で⼆⼈の⽬を借りる。
荒野の道はどこまでもまっすぐだ。ひび割れたアスファルトが⼀本。道端に焼け焦げた⾞の残骸。北へ⾏くにつれて茶⾊い地⾯に草が混じりはじめて、丘の向こうに黒っぽい⽊の影が⾒えてくる。
例の森だ。
前の⼈⽣で本物の森に⼊ったことは数えるほどしかない。ゲームの森なら何百時間も歩いた。そのどれとも違う。⽊の⼀本⼀本が勝⼿な⽅向に枝を伸ばしてる。誰も配置を考えてない。
死んだ男の⽬で⾒る森はそれでも少しきれいだった。
*
州境の⼿前で改造⾞の列が道を塞いでた。
家財道具を積んだトレーラー。装甲板を溶接したバン。屋根に機関銃を据えたトラック。ノーマッドの⾞列だ。この先の森を抜けるならジュニパー⼀家に混ぜてもらうのが⼀番安全だと、フィクサーは⾔ってた。
先頭から⼥が⼀⼈降りてくる。
顔の半分が黒と⾦の短い⽑で覆われてる。⽬は縦に裂けた⾦⾊で、⽿の先が尖ってる。
体を猫に寄せて作り替えた⼈間だ。
「あたしはリンクス。この⾞列を仕切ってる」
リンクスはトラックから降りた⼆⼈を上から下まで眺めた。
「うちに乗るなら腕前を⾒せてもらう。⾜⼿まといは連れていけない」
後ろから⽚腕をサイバーウェアに替えた⼤男が出てきた。指の関節をばきばき鳴らしてる。
「腕相撲だ。フィンに勝ったら乗せてやる」
制服の男を前に出す。
トレーラーの荷台の上で、フィンの義腕と制服の男の腕が組み合った。フィンが⼒を込める。制服の男の腕は傾かない。フィンの額に汗が浮いて、サイバーウェアの関節が軋む。制服の男は瞬きもしない。
フィンの腕が倒れていって、⼿の甲が荷台に着いた。
フィンは⾃分の腕を⾒下ろした。制服の男の袖⼝からサイバーウェアの継ぎ⽬が覗いてる。そこに刻印が⼀つ⼊ってる。
リンクスが制服の男の顔を覗き込んだ。
「あんた、⽬が死んでるね」
大正解
「まあいい。乗りな」
その夜、⾞列は森の⼿前の空き地で⽕を焚いた。ノーマッドたちは鍋を囲んで⾖の煮込みを分け合ってる。⼆⼈は輪から離れて座って、何も⾷べない。リンクスが⽫を⼆枚持って近づいてきた。
「⾷わないのかい」
⽩⾐の男に⾸を横に振らせる。
リンクスは⽫を地⾯に置いて、⼆⼈の正⾯にしゃがんだ。
「フィンがあんたの腕の刻印を⾒た。ミリテクの軍⽤だ。それもまだどこにも出回ってない型だって」
⾦⾊の⽬が制服の男の袖⼝から離れない。
「ミリテクの兵隊みたいなのが⼆⼈、うちの⾞列に混ざって州境を越えたがってる。あたしがどう考えるか、わかるかい」
⽩⾐の男の⼝を借りた。
「拾いもんだよ。持ち主はもう使わねえ」
リンクスの⽿がぴくりと動く。
「……あんた、喋れたのかい」
「必要なときはな」
リンクスは笑わなかった。
「地図の場所の⼿前までは乗せる。勝ったら乗せるって⾔ったのはあたしだからね。その先はあんたらだけで⾏きな。あんたらの後ろからミリテクが来ても、うちは知らない」
「それでいい」
リンクスは⽫を拾い上げて輪の中へ戻っていく。
焚き⽕の向こうでフィンがまだこっちを睨んでた。
*
翌朝、森の⼊⼝の古い作業キャンプで、略奪者が⼗⼈ほどバイクで道を塞いだ。薬で⽬をぎらつかせて、⼿製の銃を振り回してる。
「ラフェン・シヴだ」
リンクスが吐き捨てる。家族を裏切ったり仲間を殺したりして、⼀族から追い出されたノーマッドのことだ。⾏き場をなくした連中はこうして元の仲間の⾞列を襲う。
⾞列の機関銃が回りはじめた。
俺は略奪者たちの体に⼊った安物のサイバーウェアに、まとめて限界まで電気を流す。
⼗⼈がほとんど同時にバイクから崩れ落ちた。義眼から細い煙を上げてるやつもいる。持ち主を失ったバイクが何台か惰性で転がって、道端の溝に突っ込んだ。
⾞列の誰もまだ⼀発も撃ってない。
リンクスがピックアップトラックを振り返った。
「……あんたたち、何者だい」
「ただの運び屋だよ。先を急ごうぜ」
リンクスは答えない。⾞列は略奪者たちの死体の横をそろそろと通り過ぎた。荷台の上からフィンが振り返ってる。
地図の場所の⼿前で⾞列とは別れた。ジュニパー⼀家は⾕を⼀つ越えた先の川辺でしばらく野営するらしい。
別れ際にリンクスが⾔った。この先の⼩屋に⼀⼈で住んでる⼥がいる。昔は医者だった。森のことなら何でも知ってる。ただ、もう⻑くない、と。
*
⼩屋は苔に覆われた丸太造りだ。
扉を叩かせると、中から咳き込む声がした。
ベッドの上に痩せた⼥が寝てる。セージと名乗った。肌は灰⾊、腕には点滴の管が刺さってる。点滴の袋はもう空だ。
セージは⼆⼈の顔を⾒て少し笑った。
「エレナの施設に⾏くんだろう」
⽩⾐の男に頷かせる。
「誰に頼まれた」
エレナの旦那だと、⽩⾐の男の⼝で答えさせた。
セージの笑みがスッと消える。
「エレナはね、あれを処分するつもりだった。凍らせて、⼆度と出てこないように蓋をして、それから施設ごと埋めるつもりだった。その前に、事故で死んだ」
セージは天井を⾒上げた。
「アレが事故だと、あたしはちっとも思っちゃいないよ」
⼩屋の外で⿃が鳴く。
「施設の⼊⼝に熊がいる。エレナが番⽝代わりに置いていった。体の半分をサイバーウェアにした、腕が三本ある熊だ。あれはエレナの⾔うことしか聞かない」
セージが⼆⼈を⾒る。
「⾏くのかい」
⽩⾐の男にもう⼀度頷かせた。
「なら、エレナに……」
⾔いかけて、セージは⽬を閉じた。
胸がもう動いてない。
制服の男にセージの⼿を胸の上で組ませる。
⽩⾐の男の⽬が、空になった点滴の袋を⾒上げてる。研究所の倉庫には同じ袋がいくらでも積んである。⼀⽇早く来てれば、と思いかけてやめた。
⼀⽇早く来る理由なんてどこにもなかった。
*
――さて、ちょっといいか?
⼩屋の外で⿃がまた鳴いた。森の時間はここでいったん⽌めとく。ページの向こうのあんたにも⼀回確かめておきたい。
俺が今気にしてるのは三つだけだ。
⼀つ。依頼⼈のハロルド・ヴェインは電話⼝で何度も泣いた。泣き声の合間の息継ぎが妙に規則正しかった。録⾳はまだ⼿元にある。
⼆つ。ハロルドは、ポッドの中⾝は⾃分にもよくわからないと⾔った。そのくせ絶対に開けるなと念を押した。
三つ。セージは、エレナはあれを処分するつもりだったと⾔った。施設ごと埋めるつもりだったと。それから事故だとは思ってないとも。
ポッドを埋めたかった⼥が死んで、その夫がポッドを掘り出してくれと泣きながら頼んでくる。
中⾝を知らない男が、なぜ開けるなと⾔えたのか。
気にしてほしいのは、開けるなと念を押した、その理由のほうだ。はてさて、開けたら困るのは誰で、いつなのか。
――さ、森に戻るぞ。
*
椅⼦の上で座り直してAIを⼀つ飛ばす。⾏き先はナイトシティの物流会社の役員室。ハロルド・ヴェインの端末の中へ滑り込ませた。
知らない相⼿との通信が⼭ほどある。
相⼿は国外の武器の仲買⼈。ポッドの受け渡しの⽇時と⾦額。俺がもらう報酬の四⼗倍だ。
⽇時は明⽇の夜明け。場所は森の施設の前。
最後の通信にはこう書いてあった。
『熊と警備装置は腕のいいランナーにしか抜けられない。運び屋に扉を開けさせてから受け取る。運び屋は現地で処分。品物はその場で中⾝を確かめる』
中⾝を、確かめる。
蓋を開けるってことだ。
施設から⾕を⼀つ越えた川辺で、ジュニパー⼀家が野営してる。
夜明けまであと七時間。
*
熊は施設の⼊⼝のハッチに座ってた。
⽴ち上がったら⼈間の倍はある。⽑⽪のあちこちが腫瘍で盛り上がって、右の肩から三本⽬の腕が⽣えてる。⾦属の腕だ。両⽬は⾚いレンズ。
熊は⼆⼈を⾒て低く唸った。
熊の頭の中を覗く。脳に制御⽤のサイバーウェアが埋まってる。命令を聞く相⼿は⼀⼈だけ。登録された声紋はエレナ・ヴェイン。
AIを⼀つ、熊のサイバーウェアに滑り込ませた。
唸り声が⽌む。
⾚いレンズが⼆⼈をじっと⾒る。それから熊はハッチから降りて、⼊⼝の脇の⽊陰に伏せた。
「いい⼦だ。そこで待ってろ」
ハッチの下には、短い通路と警備室と凍りついた扉がある。扉の前の通路に⾚い光の格⼦が張られてる。触れたら細切れだ。
警備室の端末に⽩⾐の男を座らせる。器の指で端末を叩かせながら、AIを⼀つ、施設の古い制御装置の奥へ潜らせた。格⼦の⾚い光が⼀本ずつ消えていく。
凍りついた扉の奥に冷凍のポッドが⼀つだけあった。表⾯に番号。【CP3251】
端末にエレナの記録が残ってる。
器の⽬で画⾯を追いながら、⼀枚ずつめくった。
ポッドの中⾝はネズミが⼀匹。体のほとんどをサイバーウェアに替えた、実験⽤のネズミだ。その体の中に疫病を起こすナノマシンが封じ込めてある。
Carbon Plague
『炭素疫病』?聞いたことのない名前だ。前の⼈⽣で遊んだゲームには、⼀回も出てこなかった。記録によれば、五⼗年以上前にナイトシティで⼆週間流⾏って、誰にも理由がわからないまま⽌まった疫病らしい。⽣き物の体に⼊ると、その体を内側から崩していく。ネズミのサイバーウェアは、ナノマシンを眠らせておくための檻だった。
記録の終わりのほうは⽇記に近い。処分の申請を会社に却下されたこと。夫がネズミのことを訊くようになったこと。夫の端末に知らない相⼿からの通信が増えていったこと。
最後の⽇付の記録は⼀⾏だけ。
『明⽇、施設を埋める。ハロルドには⾔わない』
その翌⽇の⽇付で、エレナの事故の報告書が出てる。
警備室の棚に焼夷剤の⽸が封を切らないまま積まれてた。⽸の側⾯にエレナの字で⽇付が書いてある。
施設を埋めるはずだった⽇の⽇付だ。
*
制服の男に⽸を凍りついた部屋まで運ばせる。⽩⾐の男にはポッドの冷却装置の電源を⼀つずつ落とさせた。
夜明けの⼀時間前。
頭の上で重いエンジンの⾳がした。
予定より早い。
森の上をAVが⼀機、低く⾶んでくる。社章はない。機体の腹に機関銃。施設の前の空き地に降りてきた。
扉が開いて男たちが降りてくる。五⼈。四⼈は全⾝を灰⾊の装甲で包んで、義眼を⾚く光らせてる。五⼈⽬は⽩い防護服で、⼿に⼩さな⾦属の箱を提げてる。防護服の下の体にも、精密作業⽤の義⼿と、拡⼤機能のついた義眼が⼊ってた。
五⼈のサイバーウェアをまとめて掴む。操縦⼠の分も。そのまま全部を熱で焼いた。
五⼈が降りた場所で崩れる。装甲の継ぎ⽬から煙が上がる。防護服の内側が⼀瞬⾚く光って、暗くなった。操縦⼠は操縦桿に突っ伏して動かない。エンジンの唸りが低く落ちていく。
⼀秒もかからなかった。
防護服の男の⼿から⾦属の箱が転がり落ちた。蓋が開いて中⾝が地⾯に散らばる。細い針のついた採取器。⼩さな培養⽫。密閉⽤の袋。
その場で中⾝を確かめるための道具⼀式だ。
⽊陰で熊が顔を上げた。⾚いレンズの⽬が、倒れた五⼈をしばらく⾒てる。それからまた伏せた。
*
ハロルドから回線が来たのはそのすぐ後だった。
『どうなりました。サンプルは』
「取ったよ」
ハロルドは息をつくような声で礼を⾔った。エレナも喜びます、と。返事はしない。
器の⽬で凍りついた部屋を⾒てる。制服の男が焼夷剤の⽸の栓を⼀つずつ抜いていく。
⽩⾐の男は冷却装置の最後の電源を落としてる。
『受け渡しはいつに』
「受け渡しはない。お友だちのAVはもう着いてるよ。乗ってきた連中は森の中で冷たくなってる。中⾝を確かめる小道具までちゃんと持ってきてたぜ」
回線の向こうが静かになった。
「エレナさんの⽇記、読んだ。あんたの通信もな」
『……何を⾔っている』
制服の男が次の⽸の栓を抜く。
「決定事項だ。ポッドは開けてない、俺がしたわけじゃないが約束を守る。蓋をしたまま⋯燃やす」
ハロルドが、待て、待ってくれ、⾦なら、とまくし⽴てる。
「報酬ならもう貰った」
ハロルドの⼝座の残⾼はさっきの半分になってる。半分で済ませた。今この時、俺はナイトシティで最高に優しい男になったと思う。
「あんたの仲買⼈のほうはたぶん⾦じゃ済まねえぞ。品物も、送り込んだ連中も、帰ってこねえんだからな」
ハロルドが何か叫んでた。回線を切る。
制服の男が最後の⽸の栓を抜いた。
⼆⼈がハッチから這い出すのと同時に、地⾯の下から低い⾳がした。ハッチの隙間から⽩い煙が噴き出して、オレンジ⾊の光が上がる。炎の向こうで凍りついてた部屋が溶けていく。ポッドの表⾯の番号が熱で歪んで読めなくなる。
蓋は最後まで開かなかった。
熊が、燃える施設に向かって⻑く吠えた。
*
AVは⾃動操縦で⾶ばした。⾏き先は仲買⼈の通信記録に残ってた国外の港。五⼈の死体は荷室に積んで、操縦⼠は操縦席に座らせたままにしておいた。
森を出る途中で、ピックアップトラックはもう⼀度ジュニパー⼀家の⾞列とすれ違った。
リンクスが窓から顔を出す。⼆⼈の作業着が煤で真っ黒なのを⾒て、眉を上げた。
「何があったんだい」
「仕事だよ。もう済んだ」
リンクスは間を置いてから、セージには会ったかと訊いた。
⽩⾐の男に頷かせる。
「そうかい」
リンクスはそれ以上訊かなかった。⾞列は北へ⾛っていく。
研究所のガレージにトラックが戻ってきたのは、次の⽇の夜明け前だった。⼆⼈はトラックを降りて部屋の隅に並んで⽴つ。元の場所だ。
どっちの顔も煤で黒い。
「お疲れさん」
⼆⼈は瞬きを⼀回した。