The Child Leading Beyond the Wall 作:housen
壁の向こうから拾ってきた格闘ゲームは半分しか動かない。
キャラクターは⼗⼆⼈いるはずなのに、選べるのは七⼈だけ。残りの五⼈の枠では崩れたドット絵の塊が点滅してる。CPUは容赦がなくて、俺はさっきから同じ⼤男に⼗連敗してる。
「この技、ずるくねえか」
部屋の隅の⼆⼈に⾔ってみる。⽩⾐の男と制服の男。森から帰ってきて⼀週間で煤はとっくに落としてある。案の定返事はない。
⼗⼀戦⽬の途中でバイザーの端に印が灯った。ゲームを⽌めてコールに出る。
『ディガー・ペンって男を知ってるかい』
ワカコ・オカダの声はいつも通り落ち着いてる。回線の向こうでパチンコ⽟の流れる⾳が⼩さく聞こえた。
「知らねえな。有名⼈か」
『⼩物さ。ワトソンの裏でつまらない仕事を回してる。そいつがあたしの⾦庫から鍵を⼀つ持ち出して、今朝、荒野へ逃げた。電⼦の鍵だよ。古い事務所の扉を開けるためのもんだ。鍵を取り返してほしい。それから、その鍵で開く事務所から鞄を⼀つ持ってきてほしい』
バイザーの内側にデータが届く。ディガー・ペンの顔写真。四⼗がらみの、⽬の細い男だ。それから古い建物の図⾯が⼀枚。
図⾯の建物の名前を⾒て、眉が上がった。
⼆〇⼆三年に核で消えた区画だ。
「婆さん。この事務所、どこにあるかわかって⾔ってるか」
『わかってるよ。記念碑の下さ』
シティセンターの真ん中に、五⼗年余り前の爆発の跡が記念碑として残ってる。新しいアラサカタワーのすぐ隣だ。その地下には、崩れた古い建物の基礎が封鎖されたまま埋まってる。
『爆発の前、あの区画には証券会社が⼊っていた。その事務所の⾦庫室に、鞄が⼀つ残ってる。あたしにとっては⼤事なもんでね』
中⾝を訊くと、⾒ればわかる、とだけ返ってきた。
ちょっと考える。が、答えはもう決まってる。
「その依頼受けるぜ」
*
荒野へ向かう道路のカメラをAIに⼀台ずつ当たらせた。
三台⽬にそれらしい⾞が映ってる。ナンバーはなし。塗装は剥げてる。五⼗年以上前に作られた、ガソリンで⾛るやつだ。
⾞の中を覗こうとしたが何もない。
ネットに繋がる機械が⼀つも積まれてない。位置を知らせる装置も、⾃動運転の補助も、通信機も、⾳楽を流す端末さえない。ハンドルとペダルとエンジンだけだ。
「ハッ、マジかよ」
思わず笑った。
ネットランナーに追われるのをわかってたんだ。⼩物にしてはよく考えてる。
けど運転してる⼈間まではそうはいかない。
ディガーの両⽬は安物の義眼。⽿の奥にはホロコール⽤のサイバーウェア。⾸の後ろにはデータを⼊れるシャードの差し込み⼝。
鍵はそのシャードの中にあった。
中⾝を覗く。鍵には複製を防ぐ仕掛けがかかってる。仕掛けが外れるのは、シャードが持ち主の体から抜かれたときだけだ。
「本⼈ごと⽌めろってことか」
地図を荒野まで広げて、運送会社の配⾞のネットにAIを⼀つ送り込む。地図の上で無⼈トラックの点が五つ、ディガーの進路の先へ動き出した。
*
ディガーの義眼を借りて荒野の⼀本道を眺める。
前⽅の道路脇に無⼈の運送トラックが⼀台停まってる。ディガーが横を抜けようとした
瞬間、トラックを動かした。のそりと横を向いて道を塞ぐ。
ディガーは急ハンドルを切った。砂地に乗り上げてトラックを避けて、道路に戻る。
三キロ先に、⼆台⽬。
それも避けた。三台⽬も、四台⽬も。
五台⽬を避けたところで、ディガーの義眼の視界に⼀コマだけ絵を差し込む。道路の真ん中に⽴ってる、⽩い仮⾯の⼦ども。
ディガーは悲鳴を上げてブレーキを踏み込んだ。
⾞が砂煙を上げて⽌まる。フロントガラスの向こうには誰もいない。乾いた道路が地平線まで続いてる。
ディガーの⽿のサイバーウェアに声を流した。
「いい⾞だな。どこで買った」
ディガーは両⼿で⽿を塞いだ。声は⽿の奥で鳴ってるから、塞いでも聞こえる。
「降りてこいよ。いい天気だ。盗んだ鍵を返してほしい⼈からの使いで来た」
ディガーは運転席で震えてた。それから扉を開ける。
⾞の周りを無⼈トラックが四台取り囲んでる。後ろからも⼀台、追いついてきた。
「⾸の後ろのシャード。抜いて地⾯に置け。そしたら帰っていい」
ディガーは⾸の後ろに⼿をやって⽌めた。
「なあ。あんた、中⾝を知ってるのか」
知らねえ、と答えた。
「紙だよ。紙の⼭だ」
ディガーの声が上ずる。
「婆さんの⾦庫で鍵と⼀緒に古い⼿紙を⾒つけた。死んだ証券屋が婆さんの親⽗に宛てたやつだ。あの地下に紙の⼭が眠ってるって。俺が⾏けるわけないだろ。あそこは放射線と、地下に住みついてる連中と、昔の警備装置だ。だから売ったんだよ。場所と⼿紙の中⾝を」
「誰に」
ディガーの⼝の端が歪んだ。
「婆さんのとこの若いのさ。タイガークロウズの、ケン・ムラセ。鍵がなくても、扉なんか吹っ⾶ばせばいいって⾔ってた。今ごろもう地下に降りてる」
*
ケン・ムラセの名前をAIに投げる。
すぐに顔が出てきた。⾒覚えがある。ワカコの座敷で婆さんの向かいに座ってた男だ。
カン・タオの物流記録を前にして、「⾜跡はありません」って報告してた、あの男。
ムラセの通信の記録を開いた。この三⽇間で爆破⽤の資材を買ってる。それもネットに繋がらない旧式のやつ。化学爆薬に、ゼンマイ仕掛けの時計。
俺対策か?
ムラセの信号を追う。シティセンターの記念碑の周りで、四⼈分の信号がまとめて途切れてた。地下に降りたんだ。地下にはネットが届かない。
ディガーの⾸からシャードが抜かれて砂の上に落ちた。
トラックの荷台から配達⽤のドローンを⾶ばして、シャードを拾わせる。
ディガーには⽔を⼆本置いてやった。
殺す⼿間をかけるほどの相⼿じゃない。それに⽣かしておけば、婆さんが⾃分で落とし前をつけたがるだろう。
*
記念碑の地下へは⽩⾐の男と制服の男を送る。
⼆⼈を選んだのは森のときと同じ理由だ。それにネットの届かない地下には俺の⼿が⼊れない。届くのはあいつらの体に⼊ったサイバーウェアまで。あいつらが降りた深さまで
なら、俺の⽬も⼿も⼀緒に降りていける。
記念碑の周りは観光客向けの公園になってる。その地下を古い排⽔路が網の⽬みたいに⾛ってた。⼀本が、爆発で崩れた区画の基礎の近くまで続いてる。
⼆⼈は夜中に排⽔路へ降りた。
奥は途中から⽡礫で塞がってる。隙間を這って進む。
制服の男の腕で、測定器が⼩さく鳴りはじめた。放射線の値が上がっていく。五⼗年経っても、ここの⼟にはまだあの⽇の放射線が残ってる。
崩れた階段の先に古いビルの地下があった。天井は半分落ちて、床にひびが⾛ってる。
壁には昔の会社の名前を刻んだ⾦属板が、傾いたまま残ってた。
崩れた事務机の上に紙の暦が⼀枚張りついてる。⼆〇⼆三年の⼋⽉。⼆⼗⽇の欄に⾚い
ペンで⼩さな丸。
誕⽣⽇だったのか、締め切りだったのか。
その夜にここで何があったのか俺は知ってる。ゲームの中で⼀⼈のロックスターがその夜のことを何度も語ってた。爆弾を仕掛けたのは⾃分だって、得意げに。
暗闇の奥で何かが動いた。
⼈間だ。五⼈。痩せて、髪が抜けて、⽬だけがぎらぎらしてる。⼿には鉄の棒と刃物。
体のあちこちに拾ったサイバーウェアを継ぎ接ぎで⼊れてた。⽡礫の中から昔の機械を掘り出して、上で売って暮らしてる連中だ。放射線の残る場所には、警察もギャングも降りてこない。
五⼈が⼀⻫に⾶びかかってきた。
器のサイバーウェアを中継にして、五⼈の体を掴む。五⼈とも⾶びかかった格好のまま床に転がった。
五⼈の体の中を覗いた。どの体も内側から弱ってる。⾻がもろくなって、⾎の中の細胞が減ってる。継ぎ接ぎのサイバーウェアのほとんどは、弱った体を無理やり動かすためのものだった。
さて困った。
焼けば⼀瞬で済む。けど放っておいても、こいつらは俺の邪魔にならない。まいったな、焼く理由が見当たらない。
五⼈のサイバーウェアを元に戻す。⼆⼈が⾓を曲がってから、五⼈は起き上がって暗闇の奥へ逃げていった。
その先の通路で四⼈の男が倒れてた。
ムラセの仲間だ。⾸筋にタイガークロウズの光る刺⻘。三⼈はもう死んでる。どれも頭を重たいもので割られてた。床に錆びた鉄の棒が⼀本転がってる。さっきの五⼈が握ってたのと同じやつだ。仕掛けを終えて戻る途中で、暗闇から襲われたんだろう。
四⼈⽬がケン・ムラセだった。
ムラセにはまだ意識がある。壁にもたれて荒い息をしてる。右脚が膝の下からおかしな向きに曲がってた。器の⼆⼈を⾒て笑う。
「……来ると思ったよ」
ムラセのサイバーウェアをハックした。抵抗はない。
焼くのは簡単だ。けどこいつの始末は婆さんの仕事だ。俺が勝⼿に⽚付けたら、婆さんの顔を潰す。
「遅えよ。もう、仕掛けた」
*
⾦庫室の扉は地下の⼀番奥にあった。
そこへ向かう通路の途中の壁に両開きの鉄の扉が⼀つあった。錆びて半分歪んでる。扉の横に古いボタンが⼆つ。上を向いた三⾓と、下を向いた三⾓。
⾦庫室の前の通路に⾚い光の格⼦が⼆重に張られてる。五⼗年前の警備装置がまだ⽣きてた。電源は記念碑の照明に電気を送ってる市の送電線から引かれてる。記念碑を建てたとき、地下の古い配線をそのまま繋ぎ込んだらしい。
格⼦のすぐ⼿前の床に灰⾊の塊が置かれてた。
化学爆薬。上に⾦属の箱。箱の窓の中でゼンマイ仕掛けの針が回ってる。
残り九分。
AIを箱に向けた。
が、何もない。電気が流れてないしネットワークに繋がってない。中にあるのは、⻭⾞と、ばねと、針だけ。
⼿が出せない。
針が⼀⽬盛り進んだ。
⼆⼈の器の⽬で爆薬を⾒下ろす。
⽌められない。なら、運ぶしかない。
けどこの量が爆発したらこの地下の天井は全部落ちる。来た道を戻って外へ運ぶには、九分じゃ⾜りない。排⽔路の中で爆発したら、記念碑の下の地盤ごと崩れる。
さっきの五⼈もこの地下のどこかにいる。
針がもう⼀⽬盛り進んだ。残り⼋分。
制服の男に爆薬を持ち上げさせる。軍⽤の腕なら重さはたいしたことない。
*
――悪い、⼀時停⽌だ。
ゼンマイの針もここでは⼀⽬盛り⼿前で⽌まってることにしてくれ、お約束ってやつだな。
そっちのあんたに残り⼋分の使い道を⼀緒に考えてもらう。
⼿元の材料はこれだけだ。
この時計には俺の⼿が届かない。電気もネットもない。⽌められない。
外まで運ぶには時間が⾜りない。排⽔路で爆発したら、上の公園ごと崩れる。
この地下は五⼗年前に上から潰された。上の階は全部、⽡礫になってる。
じゃあ、下は?
思い出してほしいのはここに来るまでの通路だ。俺はちゃんと⾒てる。あんたも⾒てるはずだ。上を向いた三⾓と、下を向いた三⾓。
もう⼀つ。この地下のことを⼀番よく知ってるのは俺じゃない。
――よし、針を動かすぞ。
*
通路の奥で何かが動いた。
さっきの五⼈のうちの⼀⼈だ。⼀番年を取った男で、髪はほとんどない。暗闇の中からじっとこっちを⾒てる。
男は黙ったまま、通路の脇の壁を指さした。
さっき通り過ぎた、両開きの鉄の扉だ。昔の、荷物⽤の昇降機の扉だった。それを⽩⾐の男に扉をこじ開けさせる。
中は真っ暗な縦⽳だった。昇降機の箱はとっくに落ちてる。底が⾒えない。爆発のとき、この縦⽳の下の階は全部潰れたはずだ。
残り六分。
制服の男が爆薬を縦⽳の中へ放り込んだ。
塊が闇の中へ落ちていく。何かにぶつかる⾳が遠くで⼆回した。
それきり⾳がしない。
⼆⼈の器を通路の奥まで下がらせた。年寄りの男はもういない。
丁度六分後、⾜の下で地⾯が⼀回だけ⼤きく揺れた。
天井から砂と⼩⽯がぱらぱら落ちてくる。それだけだった。
*
格⼦の制御を探すのに⼿間がかかった。古すぎて、今のネットとは仕組みが違う。AIを三つ、建物の古い配線に沿って⾛らせて、ようやく⾒つけた。⾚い光が⼀本ずつ消えていく。
ディガーの体から抜かれたシャードの鍵はもう複製できるようになってる。写し取って扉に送り込んだ。重い扉がきしみながら開く。
⾦庫室の中に机が⼀つと椅⼦が⼀つ。椅⼦の背に⾊の抜けた背広が掛かったまま。机の上に⾰の鞄。
中⾝は紙の束だった。
厚い紙に細かい模様と⽂字。⼀番上の紙に会社の名前が刷ってある。
【Dynalar】
今もナイトシティで兵器やサイバーウェアを作ってる会社だ。
株券だった。五⼗年以上前に紙で発⾏された株の証書。ざっと見たところ約⼆百枚。
「本当に紙切れじゃねえか」
株券を紙で持ってる⼈間なんて今はいない。株の持ち主は全部ネットの中の名簿で管理されてる。紙の証書に意味はない。
はずだった。
引っかかる。
壁の向こうから拾ってきた、戦前の新聞のフォルダを開く。探す⾔葉を三つ、AIに投げた。ダイナラー。株主名簿。紙。
⼆〇⼆三年の経済紙に⼩さな記事があった。
前の年のデータクラッシュで、多くの会社の株主名簿がネットごと消えた。ダイナラーもその⼀つ。会社は⼿元に残った紙の証書を持つ者を、正式な株主として扱うと発表してた。
記事の⽇付の⼆週間後に核の光に包まれた。
証券会社の事務所は紙の証書ごと⽡礫の下に埋まった。それきり誰も取りに来なかった。
今のダイナラーの株価を呼び出す。バイザーの端に電卓を開いて指で数字を並べた。
計算が終わって声が出なかった。
ナイトシティの中堅企業が⼀つ丸ごと買える額だ。
器の指で証書を⼀枚ずつ数え直させる。⼆百⼗⼆枚。どれも端が焦げてる。五⼗年前の熱が⾦庫室の厚い壁を通って届いたのかもしれない。
このまま持って帰ることもできなくはない。ワカコには、地下は崩れてて何も残ってなかったって⾔えばいい。確かめに来られる⼈間はこの街にはいない。
⋯ちょっと考えて、やめた。
信⽤で⾷ってる商売だ。それにこんな紙の束を持ってても使い道を思いつかない。株主総会に仮⾯で出ていくわけにもいかない。
「婆さん、知ってやがったな」
*
『届いたよ』
ワカコの声はいつもと変わらない。
器の⼆⼈は鞄をジャパンタウンの裏⼝に置いてすぐに離れた。
「中⾝⾒たぜ。⼆〇⼆三年の新聞もな」
回線の向こうで湯呑みを置く⾳がした。
『⾒つけなくていいもんまでよく⾒つけるね』
「ついでにもう⼀つ⾒つけた」
ケン・ムラセの通信記録をそのまま送る。爆薬の購⼊記録とディガーとのやりとりも。
ワカコはしばらく黙ってた。
『……そうかい』
それだけだった。声の調⼦は少しも変わらない。
「ムラセは地下で動けなくなってる。脚を潰されてる。拾いに⾏くなら早いほうがいい」
湯呑みの⾳がもう⼀度した。
『あたしが拾うかどうかは、あたしが決めるよ』
「だよな」
それからワカコは⾔った。
『あの事務所はね、あたしの親⽗が⾦を預けてた証券屋のもんさ。親⽗はその証書を受け取りに⾏く約束をしてた。爆発の三⽇後にね』
パチンコ⽟の⾳が遠くで続いてる。
『約束の⽇は来なかった。親⽗はそれから四⼗年、あの跡地の前を通るたびに地⾯を睨んでたよ』
俺は何も⾔えなかった。
「紙切れの値段にしちゃ、報酬が安すぎねえか」
『鍵と鞄を運ぶ仕事の値段だよ。中⾝の値段じゃない』
ずりいな、と返した。
ワカコが⼩さく笑った。初めて聞く、婆さんの笑い声だ。
『⼀枚、抜いたろう』
机の上を⾒る。厚い紙の証書が⼀枚、置いてある。
「記念品だよ。安い報酬の埋め合わせ」
『いいさ。⼀枚くらいくれてやる』
回線が切れた。
証書を⼿に取る。細かい模様が照明を受けてかすかに光った。紙の⼿触りはざらついてる。
この街で紙に触るのは久しぶりだ。
漫画やゲームと違って、これはフォルダにしまえない。机の引き出しを開けてそっと⼊れた。
部屋の隅で⼆⼈が瞬きをする。制服の男の測定器はまだ⼩さく鳴り続けてる。
「お前ら、今⽇から毎⽇⾵呂な」
⼆⼈は返事をしなかった。