The Child Leading Beyond the Wall 作:housen
命の削りカスで
今日を買い叩いている
どれほど高く跳ぼうとも
落ちる場所が
棺の底であることに変わりはないのに
『帳簿は偽物だ』
地下三階の廊下にいる、デイビッドとレベッカの⽿に声を流す。
「はぁ?」
レベッカの声が廊下に響いた。慌てて⾃分の⼝を押さえる。押さえる必要はない。廊下のマイクはとっくに俺が握ってる。
「偽物って、どういうこと」
『ネットの上の帳簿は餌だった。⼿を出したやつの居場所を割り出して、焼くための』
じゃあ本物は、とデイビッドが訊いた。
『建物のネットのどこにもない』
デイビッドは廊下の先を⾒た。
地下三階の廊下は真っ直ぐ伸びて、突き当たりで左右に分かれてる。左に⼀枚、正⾯に⼀枚、右に⼀枚。灰⾊の、同じ形の扉が三つ。扉の上の⼩さな札に、A、B、C
「あの中のどれかか」
たぶんな、と答えると、デイビッドは⼩さく⾆打ちした。
レベッカがショットガンを肩に担ぎ直す。
「三つとも開けりゃいいじゃん」
『開けるのは簡単だ。でも中に何があるかわからない部屋を三つ順番に開けて回るのは、ちょっとな⋯』
本物をネットから切り離してまで隠すようなやつだ。扉を開けただけで何かが起きる仕掛けがあってもおかしくない。それが三つの部屋の全部にあるのか⼀つだけにあるのか、まだわからない。
「じゃあ、どれを開ければいい?」
デイビッドが三つの扉を順番に⾒た。
俺もデイビッドの義眼を借りて三つの扉を⾒る。
*
――扉の前で、ちょっと待った。
ノックする前に⼀回頭の中を⽚付けておく。そっちのあんたも⼀緒に考えてくれ。
⼿元にある情報はこんなところだ。
⼀つ。ネットの上の帳簿は餌だった。本物は建物のネットのどこにも置いてない。
⼆つ。地下三階のサーバー室は、AとBとC。三つともネット上では同じ機械が同じように回ってて、同じように「稼働中」と⾔ってる。AとCの機械には事務員が毎⽇ログインしてる。Bには何か⽉も誰もログインしてない。
三つ。この建物の⽀配⼈は毎週⽊曜の夜中の⼆時に、必ず⼀回地下に降りてる。
本物をネットから切り離して置くなら、中⾝を確かめたり新しいページを書き⾜したりするのに、誰かが⾃分の⾜で、⾃分の⼿で触りに⾏くしかない。
⽿打ちしとくと、もう⼀つある。前に俺はちゃんと⾔ってる。この建物の扉は全部電⼦錠だって。ネットに繋がってない扉は⼀枚もないって。
なのに⽀配⼈は⽊曜の夜、何かを持って地下に降りてた。
じゃあ、その何かはどこに差すためのものなんだろうな。
――こんな所か。よし、ノックの時間だ。
*
『正⾯。Bだ』
デイビッドは何も訊かずに正⾯の扉へ歩いていった。
扉の電⼦錠を開ける。重い扉が横に滑った。
同じ型の機械の棚が三列並んでる。ランプが緑に点滅して、ファンが低く唸ってる。
ネット上の報告どおり元気に回ってる。誰も触らないのに。
棚の⼀番奥、壁際に、それはあった。
鉄の箱だ。背の低い⾦庫くらいの⼤きさ。表⾯に鍵⽳が⼀つ。古い、昔ながらの、⾦属の鍵を差す⽳だ。
箱には何も繋がってない。電源の線も、ネットの線も。⽷を伸ばしても何にも触れない。ただの鉄の塊だ。
「これか」
デイビッドが箱の前にしゃがんだ。
『待て。触るな』
デイビッドの義眼の倍率を上げる。
箱の側⾯に指⼀本分の通気⼝があった。その隙間の奥に⽩っぽい⽸が⾒える。⽸の上に⼩さなばねと撃針。
『焼夷剤だ』
デイビッドの⼿が箱の⼿前で⽌まった。
『箱の中に記録装置と⼀緒に焼夷剤が⼊ってる。鍵で開けずにこじ開けたら、ばねが外れて撃針が落ちる。中⾝が焼ける』
デイビッドが鍵⽳に⽬をやった。
「鍵は」
『⽀配⼈が持ってる。この建物にはない』
⽊曜の夜中、⽀配⼈は家から鍵束を持ってきて、地下に降りてた。帰るときはそれを上着の内ポケットにしまって、家に持って帰ってた。
レベッカが⾆打ちをした。
「じゃあ取りに⾏こうよ。⽀配⼈の家に」
『家はここから⾞で四⼗分。⾏って、鍵を探して、戻ってくる。夜明けまでには間に合う』
レベッカが、ほら、という顔でデイビッドを⾒る。
デイビッドは鉄の箱をじっと⾒てた。
「⼆時間ここで待つのか」
「待てばいいじゃん!」
「キーウィはさっき焼かれかけたばっかりだ。ファルコもずっと外で俺たちを待ってる。⻑くいればいるほど、あっちが危ない」
それからデイビッドは⾔った。
「こじ開けて、ばねが落ちる前に中⾝を抜けばいいんだろ」
レベッカが、は? とデイビッドの顔を⾒た。
「サンデヴィスタンなら間に合う」
デイビッドは箱の上に⼿を置いた。ゴリラアームの、太い指だ。
「蓋を剥がすのに、⼀瞬。中の装置を掴んで抜くのに、⼀瞬。撃針が落ちきる前に終わる」
デイビッドの体の中をもう⼀度覗いた。
さっき廊下で銃座に狙われたとき、デイビッドはサンデヴィスタンを使ってる。神経の
数値はまだ下がりきってない。免疫抑制剤の濃度はアフターライフで⾒たときよりさらに上がってた。ここへ来る⾞の中でまた飲んだんだろう。
その体でもう⼀回やると⾔ってる。
鍵を取りに⾏けば⼆時間で済む話なのに。
コイツ、マジかぁ。
「デイビッド」
レベッカの声が低い。
「さっき使ったばっかりじゃん」
デイビッドは、⼤丈夫だって、と笑ってみせた。
「⼤丈夫じゃない顔してるから⾔ってんの」
デイビッドはレベッカのほうを⾒ない。箱の上に置いた⼿に⼒が⼊った。
『やるなら合図は俺が出す』
⽌める理由はない。これはデイビッドの体で、デイビッドの仕事だ。俺はこいつの保護者じゃない。
ただ合図くらいは出してやれる。サンデヴィスタンの起動と、蓋に指をかける瞬間を⼀つの合図に揃えれば、その分だけ早く終わる。早く終われば、こいつの体が焼ける時間もその分だけ短い。
『三つ数える。ゼロで起動しろ』
デイビッドが頷いた。
『三』
レベッカが⼀歩下がる。ショットガンを胸の前で抱えてる。
『⼆』
デイビッドの指が鉄の蓋の継ぎ⽬にかかった。
『⼀』
『ゼロ』
デイビッドの背⾻でサンデヴィスタンが起動した。
⽬の前で神経の数値がさっきの廊下よりさらに⾼く跳ね上がる。
鉄の蓋が紙みたいに剥がれた。
ばねが外れる⾳がした。
撃針が⽸に向かって落ち始める
。
その撃針が⽸に届くより前に、デイビッドの⼿は箱の中に⼊ってた。焼夷剤の⽸の横にある、指⼆本分の⼤きさの記録装置を掴み、引き抜く。
撃針が⽸を叩いた。
箱の中で⽩い炎が噴き上がる。
デイビッドは炎の⼀歩外にいた。⼿の中に記録装置を握って。
そこでサンデヴィスタンが切れた。
デイビッドの膝が揺れる。踏みとどまって肩で息をしてる。⿐の下を⼿の甲で拭った。
⼿の甲に⾚い⾊がついてる。
「……取った」
レベッカがデイビッドの⼿⾸を掴んだ。その⼿から記録装置を取り上げて、⾃分のジャケットの内ポケットにしまう。それからデイビッドの背中を拳で⼀回叩いた。
「バカ」
デイビッドが、取ったって、と⼝の中で⾔った。レベッカは、知ってる、とだけ返して、もう⼀度その背中を叩いた。
鉄の箱の中で焼夷剤の⽩い炎がまだ燃えてる。中⾝のない箱を内側から焼いてる。
デイビッドの神経の数値を⾒てた。
ゆっくり、下がっていく。普通の⼈間なら、とっくに戻ってこられない⾼さから。
記録装置は40グラム。そのためにこの男は⾃分の神経をあそこまで焼いた。
『撤収だ。帰るまでがお仕事だぞ』
*
裏⼝を出て、⼆ブロック先のバンまで⼆⼈は⾛った。
夜の警備員は四⼈とも⾃分の持ち場で何もない景⾊を眺めてる。地下三階の⽕災の警報は鳴らさなかった。焼夷剤は鉄の箱の中だけで燃えて、勝⼿に消える。朝の交代の警備員が⾒つけるのは、蓋の剥がれた空の箱と、その中の煤だけだ。
バンの扉が閉まる。ファルコが黙ってアクセルを踏んだ。
荷台ではキーウィがタオルを肩に掛けたまま、デッキの画⾯を⾒てる。デイビッドが乗り込んできたとき、キーウィは⼀度だけ顔を上げた。デイビッドの⿐の下に拭き残した⾚い⾊があるのに気付くがキーウィは何も⾔わない。また画⾯に⽬を戻した。
デイビッドは荷台の床に座り込んで、壁に背中を預けた。ジャケットのポケットから⼩さなケースを出す。蓋を開けて、⽩い錠剤を三つ⼿のひらに振り出した。⽔もなしに⼝に放り込む。
レベッカが⾃分の⽔のボトルを差し出した。デイビッドはそれを受け取って⼀⼝飲む。
「さっきも飲んでたでしょ」
「⾜りなかった」
レベッカはそれ以上何も⾔わなかった。デイビッドの隣に座って、ショットガンを膝の上に置く。⾃分の肩をデイビッドの肩に軽くぶつけるみたいにして。
デイビッドの⾎の中で免疫抑制剤の濃度がまた⼀段上がった。体が⾃分の中のサイバーウェアが宿主に向かって起こしかけてた騒ぎが、無理やり静められていく。
数値の上ではそれで落ち着いた。中⾝は何も変わってない。
バンは発電所の煙突の⾚い明かりを背中にして、⾼架道路に上がった。
俺は管理棟の掃除にかかる。
廊下のカメラには最初から⼆⼈は映ってない。残ってるのは銃座の記録だ。三⼈が銃座を操作してた⼆秒の間、照準器は⼆⼈の姿を捉えてた。その記録から⼆⼈の映った映像を抜いていく。
レベッカの映像を消して、デイビッドの映像に移ろうとしたところで気づいた。
デイビッドの映像はもうない。
俺より先に誰かがいた。
あの影だ。アフターライフのカメラから、デイビッドだけを消していった静かな影。
影は照準器の記録からデイビッドだけを抜いてた。レベッカの映像には⼿をつけてない。
影は俺がすぐ後ろにいることに今夜も気づかなかった。
管理棟から、バンの通り道のカメラへ。バンの通り道から、ワトソンへ戻る⾼架道路のカメラへ。影はデイビッドの乗ったバンが映った映像データを⼀台ずつ消していく。
影の仕事には⼿を出さなかった。
*
報酬は次の⽇の夜、アフターライフで渡された。
今度は最初から座って待ってた。ローグの隣に。ローグは俺の前に氷の⼊った⽔のグラスを⼀つ置いた。
「酒じゃねえのかよ」
「成⻑期なんだろ」
誰から聞いたんだ、と思ったが察しはつく。多分ジャッキーだ。
クルーは四⼈とも来た。
キーウィはいつもより顔⾊が悪い。でも背筋はまっすぐだ。レベッカは相変わらず両腕をテーブルの上に投げ出して座ってる。ファルコはグラスを⼀つ頼んで、黙って飲んでた。
デイビッドは昨⽇と同じ⻩⾊いジャケットを着てる。⿐の下の⾚い⾊はもう消えてた。
記録装置は仕事の夜のうちにレベッカがローグに届けてた。ローグはもう中⾝を確かめ終えてる。四⼈の端末と俺の⼝座に、それぞれの取り分が振り込まれた。
「いい仕事だった」
ローグはそれだけ⾔って、グラスを傾けた。
レベッカがテーブル越しに俺の仮⾯を覗き込む。
「ねえ。その仮⾯の下、どんな顔してんの」
「⾒せねえよ」
レベッカは本気で嫌そうな顔をした。それからちょっと笑った。
キーウィがマスクの上の⽬で俺を⾒た。
「次に組むことがあったら⋯⋯」
キーウィは⾔った。
「⋯最初からあんたが前に出て」
それだけ⾔って、キーウィは席を⽴った。顔⾊は悪いまま、階段を上っていく。
デイビッドが俺のほうを⾒た。
「アノン。あの箱の時、俺がやるって⾔っても⽌めなかったな」
「ありゃお前の仕事だろ」
デイビッドは考えてから、頷いた。それから笑う。アフターライフで初めて会ったときと同じ、年相応のガキの顔だ。
「また組もうぜ」
「姐さん次第だ」
デイビッドはジョッキを持ち上げて、俺のグラスの縁に軽く当てた。⽔とビールが⼩さく鳴る。それからデイビッドとレベッカとファルコも席を⽴った。三⼈が階段を上っていく。レベッカが⼀度振り返って、俺に向かってべっと⾆を出した。
テーブルには俺とローグだけが残った。
ローグはグラスの氷を指で回してる。
「あのクルー、どう⾒た」
「腕はいい」
即答する。
ローグは続きを待ってた。
少し考える。
「あのリーダー、体の中⾝と体の持ち主が釣り合ってねえ」
ローグはすぐには答えない。グラスを⼝に運んで⼀⼝飲んだ。
「この街の若いのはみんなそうさ。上に⾏きたくて、体に⼊れられるだけ⼊れる。昔からね」
「姐さんもそうだったのか?」
「あたしは、⼊れる前に考えた」
ローグはグラスを置いた。
「考えなかった連中の名前があの板に並んでる」
カウンターの奥に掛かった、酒の名前の板。死んだ伝説たちの名前。板から⽬を逸らして⽔を⼀⼝飲む。
「なんであの夜だったんだ」
「今⽇の昼に市議会で採決があった。帳簿に名前の載ってた何⼈かが、それで票を変えたよ。⼀晩遅かったら、ただの古い紙切れだった」
ローグの話はそこで終わった。俺も訊かない。帳簿の先で誰が得をして、誰が損をしたのか。
そこまでは俺の仕事じゃない。
*
研究所に戻ったのは夜明けの少し前だった。
椅⼦に胡坐をかいてバイザーを外す。
部屋の隅で⽩⾐の男が瞬きをした。
⽬を閉じるとデイビッドの神経の数値が浮かぶ。鉄の蓋が剥がれた瞬間の、あの⾼さ。それからゆっくり下がっていった線。
あの男がこの先どうなるのか。
ゲームの中にあの男の名前はなかった、と思う。少なくとも俺は覚えてない。
俺が知ってるのは、あの量のサイバーウェアを体に詰め込んだ⼈間が、ゲームの中でどうなっていったかだけだ。
それをあの男に⾔うつもりはない。⾔ったところで、たぶん笑って「⼤丈夫だって」と⾔う。
それにあの男の後ろには腕のいいのがついてる。
漫画の三巻を開いた。
主⼈公が⼑を抜いたところから読み直す。
ぶっちゃけ事前情報無しにこの時期のデイビッドと合ったら「なる程、アフターライフの傭兵だ」ってなるよね。