悟はスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを下ろさない。
こちらに油断を生じさせるための高度な演技。あるいは強力なアビリティを発動させるための時間稼ぎ。
決めつけるな。分からないのであれば、即座に確認するまでだ。
「……モ、モモンガ、様」
アルベドの、震えるような声であった。
悟は沈黙を維持したまま、その姿を見る。
やはり自分の名を知っている。
「…………オレが、分かるのか?」
「……はい」
アルベドが僅かに顔を上げる。
「我らが御身を見紛うはずがございません。モモンガ様」
「…………」
返答した。こちらの問いを理解して。答えた。
(会話が……成立している?)
「お前は……アルベド、か?」
「はい、モモンガ様」
悟はデミウルゴスへ視線を移す。
「……デミウルゴス」
「はっ」
そして。
「シャルティア・ブラッドフォールン」
「は、はい……!」
(…………)
名前にも完璧に反応する。だが、それだけでは何も証明されない。
「アルベド」
「はい!」
「……お前を作ったのは誰だ?」
アルベドの表情に、僅かな困惑が浮かんだ。
「私の……創造主、でございますか?」
(聞き返した……?)
「ああ」
「タブラ・スマラグディナ様でございます」
正しい。
「デミウルゴス」
「はい」
「お前は?」
「我が創造主は、ウルベルト・アレイン・オードル様でございます」
正しい。
最後にシャルティア。
「お前を作ったのは?」
「ペ、ペロロンチーノ様です……! 」
全部、合っている。
だが。まだだ。
悟は一度、間を置いた。
「では……聞かせてもらおう」
三人の身体が僅かに強張る。
「何故──」
スタッフを持つ手に力を込める。
「オレを攻撃した?」
「──っ!」
最も大きく反応したのはシャルティアだった。
「も、申し訳ございません! わ、わたしは……わたしは……!」
「シャルティア!」
アルベドの鋭い声が飛ぶ。
「全ては私の責任でございます」
さらに深く頭を垂れる。
「シャルティアに迎撃を命じたのは私です。いかなる処罰もお受けいたします。ですから――」
「お待ちください、アルベド」
デミウルゴスが割って入る。
「最終的にその判断を支持したのは私でもあります。アルベド一人が責を負うものではございません」
「デミウルゴス、今は──」
「事実を申し上げております」
「わ、わたくしも……!」
シャルティアが顔を上げた。
「実際にモモンガ様へ槍を向けたのは、わたしです! 何度も……何度も……!」
「…………」
悟は三人を見る。
アルベドはシャルティアを庇おうとした。
デミウルゴスはアルベドの言葉を否定し、自らにも責任があると言った。
シャルティアは二人に責任を負わせまいと、再び口を挟んだ。
悟がそう命じたわけではない。
三人は互いの言葉を聞き、それぞれ異なる判断をし、異なる言葉を返している。
ゲームのプログラムが、このような非効率的な挙動をするはずがない。
(……こいつら)
(自分で考えている、のか……?)
あり得ない。二百年前のユグドラシルに、このようなNPCは存在しなかった。
しかし。今さら、この世界で二百年前の常識を振りかざすことに、どれほどの意味がある。
「……アルベド」
「はい!」
「シャルティアに迎撃を命じたのは自分だと言ったな」
「……はい」
「誰かに、そう命令されたのか?」
アルベドが僅かに間を置く。
「いいえ」
「では、何故そうした?」
「ナザリックへ接近する正体不明の存在が確認されたためです。御身とは知らず、ナザリックへ害をなす可能性のある存在と判断いたしました」
「……判断した?」
「はい」
「お前が?」
「はい。私が判断いたしました」
「…………」
状況を認識した。考えた。危険だと判断した。そして命令を出した。
「デミウルゴス」
「はっ」
「お前は、その判断に従っただけか?」
「いいえ。私はアルベドの判断を妥当なものと考え、支持いたしました」
淀みのない返答。
「対象が探知を察するや、即座に撤退を試みたこと。また、その手段として転移を選択したことから、相応の知識と判断力を持つ存在である可能性を考慮いたしました」
「……なるほど」
その判断は合理的だ。悟自身、同じ立場なら似た結論へ到達したかもしれない。
だからこそ。NPCが自分でそこまで考えた。その事実が重かった。
ここで悟は、スタッフの先端を僅かに下げた。
「……そうか」
──その時。
「……なるほど」
デミウルゴスが呟いた。悟の警戒が僅かに戻る。
「……何が、だ?」
「失礼いたしました。ようやくモモンガ様の御意図の一端に気付いたもので」
(…………何?)
「……言ってみろ」
「はっ。モモンガ様は、ご自身の正体を最後まで明かされませんでした」
「…………」
「我々が正体不明の存在に対し、ナザリックを守るためどのように判断し、行動するのか。それを御覧になっていたのではございませんか?」
違う。単純に、見つかりたくなかっただけだ。
「傷つけた後も、すぐには我々への警戒を解かれなかった」
悟にはそんなものはない。正確には、意図ならあった。死にたくなかった。それだけである。
「我々が御身の姿だけを認識して従っているのか。それとも状況を理解し、自らの意思によってモモンガ様へ忠誠を捧げているのか。そこまで確認されていたのですね」
「…………」
そこまで考えていない。いや、自我があるのかについては今まさに確認していた。
だが最初からそれを試すつもりだったわけでは断じてない。
「さらに──」
(まだ続くのか)
「デミウルゴス」
「はっ」
悟は迷った。否定すべきか?
だが、ならばどう説明する。お前たちに殺されると思って必死だっただけだ、と?
脳みそをフル回転させ思考を巡らせるが。
──悟は考える事を放棄した。
「……まあ、そんなところだ」
「やはり!」
デミウルゴスが深々と頭を下げる。
「流石でございます、モモンガ様」
「…………」
(……これが、ウルベルトさんの作ったデミウルゴスか)
何故だろう。勝手に意図を読み、勝手に納得し、それを疑いもしない姿が。妙に彼らしく思えた。
悟は再び、ナザリックへと視線を向けた。
「……一つ、確認したい」
「何なりと」
「ここは……本当に、ナザリックなのか?」
「はい」
アルベドの返答に迷いはない。
「ここは、至高の四十一人によって築かれし、ナザリック地下大墳墓にございます」
「…………そうか」
本当に。あった。二百年前に置いてきたはずのものが。
そして。悟は三人を見る。シャルティア。アルベド。デミウルゴス。三人ともいる。
ならば。もしかしたら。
「…………」
悟は口を開いた。一度、閉じる。それでも聞かずにはいられなかった。
「……他の、みんなは?」
誰も答えなかった。ほんの僅かな沈黙。
それだけで、悟には分かった。
やがてアルベドが口を開く。
「……申し訳、ございません」
「いや、謝ることじゃない」
悟は即座に返した。自分でも驚くほど、声は平静だった。
「そうか」
それだけ。やはり、いない。
ペロロンチーノさんも。タブラさんも。ウルベルトさんも。
あの日、順番にいなくなっていった仲間たちは、ここにもいなかった。二百年前と同じだ。
だが、悟はシャルティアを見る。ペロロンチーノさんはいない。でも、シャルティアはいる。
アルベドを見る。タブラさんはいない。引け目を感じる必要はない。アルベドはいる。
デミウルゴスを見る。ウルベルトさんはいない。でも、デミウルゴスはいる。
彼らは残骸ではない。記録でもない。思い出を形にしただけの人形でもない。
自分で考え、自分で選び、互いを庇い。幾年かの歳月、ナザリックを守ってきた。
仲間たちが作ったものが、仲間たちのいない世界で、それでも生き続けていた。
何かが悟の中で膨れ上がる。嬉しい。懐かしい。寂しい。悲しい。そして。何よりも。
──安堵した。
自分たちが作ったものは、消えていなかった。
仲間たちが遺したものは、二百年を越えて、今もここにいる。
その瞬間。
悟の身体を、緑色の光が包んだ。膨れ上がった感情が、強制的に押さえ込まれる。
「…………」
静かになった。二百年経っても。これだけは変わらない。
だが、悟はとうの昔に慣れていた。感情が消えたからといって。何があったのかまで消えるわけではない。
悟は改めて三人を見る。仲間たちが帰ってきたわけではない。そこを取り違えてはいけない。
だが。シャルティアはいる。アルベドはいる。デミウルゴスはいる。
自分で考え。自分で選び。互いの言葉に反応して。創造主たちの名を今なお覚えている。
そして、ナザリックを守ってきた。
静けさを取り戻したからこそ、悟は考えることができた。
何と言えばいい。頑張ったな、か。ご苦労だった、か。ナザリックを守ってくれてありがとう、か。
どれも違う。いや。どれも正しい。だからこそ、一つに選べない。
仲間たちを覚えていてくれたこと。ナザリックを守ってくれたこと。ここにいてくれたこと。そして。こうして生きていてくれたこと。
それら全てを表す言葉など、悟には思いつかなかった。
ただ。一つだけ。あまりにも短く。あまりにもありふれた言葉が残った。
スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを握る手から、ゆっくりと力を抜く。
そして。
「──ありがとう。」
誰も答えなかった。アルベドも。デミウルゴスも。シャルティアも。
アルベドが、ゆっくりと顔を上げる。
「…………」
唇が動く。だが、言葉にならない。
叱責ではない。処罰でもない。自害を命じる言葉でもない。失望したとも、必要ないとも言われなかった。
ありがとう。ただ、それだけだった。
「……もったい、なき……」
その先は、声にならなかった。
デミウルゴスも沈黙していた。モモンガの意図を読み取ろうとし続けていた彼ですら。今だけは。何も言わなかった。
やがて、深々と頭を下げる。
「……身に余る、お言葉に、ございます」
シャルティアは顔を上げられない。小さく震えている。
「……どうして……」
小さな声だった。
「どうして……わたくしたちに、そのような……」
悟は少し困った。何故、と言われれば。確かに説明するのは難しい。
だから。
「……言いたかったからだ」
それだけ答えた。
「…………はい」
アルベドが再び頭を下げる。それ以上、誰も言葉を重ねなかった。
静寂の中。悟はふと、自分の手元を見る。
──スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン。戦うために取り出したもの。二百年間、自分と共にあり続けたもの。
その宝玉の一つが。ほんの僅かに。淡く光った。
「…………」
「……お前も、そう思うか」
返事はない。当然だ。それでも悟は、少しだけスタッフを握り直した。
「……さて」
ナザリック地下大墳墓の入口へと顔を向ける。先ほどまでとは、まるで違って見えた。
何者かに占拠されている可能性すら考えていた場所。姿を隠し。探知されれば撤退しようとし。それが失敗すれば、命を懸けて戦うことまで覚悟した場所。
だが、今は。少なくとも。そこには、彼らがいる。
悟はナザリックへ向けて歩き出した。
数歩進んだところで、後ろから足音が消えたことに気付く。
「…………?」
振り返る。三人が並び、揃って膝をついていた。
アルベドが最も深く頭を垂れ、その横でデミウルゴスも同じ姿勢を取っている。シャルティアもまた、二人に倣って跪いていた。
「…………」
(……何をしているんだ?)
つい先ほどにも見た光景ではある。だが、今度は意味が分からない。
「……アルベド」
「はい」
「これは……何だ?」
アルベドが僅かに顔を上げた。
「至高の御方のお戻りを、お迎えしております」
「…………」
(そういうものなのか?)
分からない。二百年前のナザリックに、そんな決まりがあった記憶はない。だが。目の前の三人にとっては、これが当然であるらしい。
「モモンガ様」
アルベドが再び頭を垂れる。
「どうぞ、お進みください」
デミウルゴスも。シャルティアも。深く頭を垂れた。
「…………」
困る。何か言うべきなのだろうか。威厳ある言葉でも掛けるべきなのか。
二百年の間、外の世界で様々な者と話してきた悟にも、このような場面に相応しい言葉は思いつかなかった。
(……こういう時、どうすればいいんだ?)
考える。分からない。
──ならば。
「……行くか」
「「「はっ!」」」
三つの声が重なった。
悟は再び前を向いた。
目前にあるナザリック。二百年前。毎日のように出入りしていた場所。仲間たちと笑った場所。仲間たちを待ち続けた場所。そして最後には、自分一人だけが残った場所。
悟は歩く。一歩。また一歩。
奇妙な感覚だった。道を知らないわけではない。忘れたわけでもない。それでも、一歩近づくたびに、二百年前の記憶へ近づいていくような気がした。
やがて、入口を目前にして。悟は足を止めた。
「…………」
長かった。本当に。長かった。
二百年。いくつもの土地を歩いた。いくつものものを見た。仲間もできた。大切なものも増えた。
だからこれは。二百年前へ戻ることではない。あの頃の鈴木悟に戻ることでもない。
今の自分が。二百年を生きた自分が。もう一度、この場所へ足を踏み入れるだけだ。
ふと、悟は日記のことを思い出した。
二百年間、毎日欠かさず書き続けてきたもの。
旅先で見た景色。出会った人々。キーノと過ごした時間。何気ない会話。忘れたくない出来事。そして、新しい仲間たちと冒険した日々。
時には、誰にも話せなかった胸の内までも。
書き始めた頃は、いつまで続けるつもりなのか、自分でも分からなかった。
ただ、書いておこうと思ったのだ。
明日には忘れてしまうかもしれない。何年も経てば、覚えているつもりのことだって、少しずつ曖昧になっていく。ならば、せめて文字に残しておこうと。
そうして、今日まで続いた。
──二百年。
長い時間だった。
あの日、仲間たちが一人、また一人といなくなっていったことも。最後に一人きりでギルドに残ったことも。
もう誰も戻ってこないのかもしれないと思いながら、それでも時折、かつての日々を思い返したことも。
日記には、きっと書いてある。
忘れたくなかったから。
忘れてしまうのが、怖かったから。
けれど、今は。
ナザリックの入口を見つめる。
ここで何が起きるのか。アルベドたちと、これからどんな日々を過ごすことになるのか。
仲間たちが残したものを、自分はどう受け止めていけばいいのか。
まだ、何も分からない。
ならば、また書けばいい。
今日のことも。これからのことも。
いつか振り返ったとき、今日という日を、確かに生きたのだと思い出せるように。
(……さて、これからどうするかな)
悟は、ほんの僅かに目を細めた。
そして悟は、一歩を踏み出す。境界を越える。
背後から、三つの足音が続いた。
「…………」
一人ではない。それだけが。二百年前とは違っていた。
スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを手に。仲間たちが遺した者たちと共に。
二百年ぶりに。鈴木悟は、ナザリックへ帰還した。
-完-
まずは謝辞を。
最後まで「帰還」をお読みいただき、誠にありがとうございます。
私は『オーバーロード』という作品が大好きです。
そして、公式IFである『オーバーロード 亡国の吸血姫』も大好きです。
『亡国の吸血姫』のエピローグ以降については、多くの読者の方々が様々な考察をされており、いつも楽しく拝見しています。
私自身も「この後の展開はどうなるのだろう?」と、長年様々な妄想を膨らませてきました。
本作「帰還」は、そんな私なりの解釈で描いた、悟にとって救いのある物語にしたつもりです。(何より、アインズ様も、鈴木悟のことも大好きなので)
そして、私の大好きなオバロ要素を盛大にてんこ盛りにした構成にしました。
そのこだわりに関しましては、多くを語るのは野暮というものですね。
さて、書籍本編の新刊が長らく刊行されていない状態が続いておりますが(別にくがねちゃんをとやかく言っているわけではありませんよ。本当に)、
出ないなら自分で書いてしまえ、新しいオバロ成分を補給できないなら自分で作って取り込んでしまえ、と思ったのが執筆のきっかけのひとつでした。
本作「帰還」は、悟がナザリックへ戻ったところで完結となります。
この後、悟がアルベドやデミウルゴス、シャルティアなどのナザリックNPCたちとどのように接していくのか。
そして、新生アインズ・ウール・ゴウンの面々とナザリックNPCたちとの邂逅はどうなるのか…正直なところ、そこから先は私にも想像がつきません。
ここから先は、読んでくださった皆様の想像にお任せしたいと思います。
私がこの先の物語について筆を執ることは、おそらくないでしょう。(偉そうなことを言ってごめんなさい。)
つまらない雑感はこの辺りにして。
繰り返しになりますが、本作を、そしてこの雑感まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
そして何より、『オーバーロード』という素晴らしい作品を生み出してくださった丸山くがね先生に、心より感謝を。
一オバロファンより。