公式戦車道において、試合前の敵情視察には厳密なルールは無い。日本国の法に背くことなく、常識の範囲内での行為ならとがめ立てされることも無い。
故に、スパイ行為を働いた捕虜の扱いも同様。通常はトイレ掃除や食事当番の手伝い程度だが、ちょっとした罰ゲームを受けさせるのは当然の権利として認められる。
黒森峰のロッカールームに忍び込み捕まった以上、生殺与奪権は我が部にある。西住隊長不在の今、決めるのは副隊長である私だ。
後ろ手に縛られたみほは、雨に打たれた仔犬の様な哀れっぽい眼差しを私に向けている。
二人きりのロッカールームに沈黙が降り積もる。人払いをしたのは、みほの姉である隊長への配慮が半分。万が一でもこの子のせいで隊長まで軽んじられる事があってはならないから。もう半分は、私がこの子にしてしまうかもしれない行為を、他の部員達に見せたくなかったから。
「無様なものね。黒森峰の制服はもう処分したの? 大洗女子の制服じゃあ、隠れるも何もあったものじゃないわよ」
「……」
この子はいつもこうだ。言い訳もせず、困った顔で微笑んでみせるだけ。いつも私が悪者になる。
「島田流ほどじゃなくても、西住流にも敵情視察の作法はあったわよね。それとも何、家元様は扮装なんて小細工は使わないってコト?」
「エリカさん……」
私だって、隊長の隣に立つのに恥ずかしくない様、日々励んでいる。家元の娘に引けを取らない様に。それなのにこの子は、黒森峰を離れただけでなく、西住流をも捨てようとしている。
「さあ、どうしてやろうかしら! 簡単に誇りを捨てられるような奴には、ちょっとやそっとの事じゃあ、辱めにならないだろうけど!」
苛立ちのままにロッカーに拳を叩き付ける。
びくりと身をすくめるみほの姿に、甘い痛みを伴った愉悦を覚える。
そうだ。私を感じろ。私があれだけ欲しかった物をあっさり捨てたくせに、ヘラヘラ戦車道を続けているなんて。私の怒りと苛立ちを少しでもその身に刻み込め!
私じゃみほに敵わないのは分かってる。西住隊長が卒業したら、黒森峰の伝統と西住流の名誉のため、この子を支えて励む覚悟は出来ていたのに。私が切望した隊長の隣は譲らなかったくせに、私の隣に立つ事も拒絶する。私の存在はひとかけらだって顧みられてはいない。これじゃあ私はピエロじゃないか!
「あの……ごめんなさい、エリカさん。お姉ちゃんには伝えてたんだけど、私物を取りに来るって……」
「……ハァ?」
みほは申し訳なさそうな顔のまま、目顔でかつて使っていたロッカーを指し示す。
「聞いてないわよ? それに、そんな事ならそのまま隊長にお願いすれば良いんじゃあ――」
みほのロッカーは退校以来、なんとなく誰にも使われないままでいる。でも、私物の類はとっくに自分で持ち帰ったはずなのに。
「バタバタと辞めちゃったから……」
私のロッカーの隣、今では空のロッカーを開け中を調べる。上部の棚の奥に、封筒が一通残っていた。確かにこの子の身長じゃあ、背伸びしないとちゃんと見えない位置かも。
「見るわよ?」
あ、とか、うぅ、とかもにょるみほを無視して中を改める。
黒森峰のパンツァージャケットの生徒のスナップ写真たち。総掛かりでマウスを洗車する水着姿の一年部員。練習試合後、ノンアルコールビールのジョッキを掲げる隊長。Ⅲ号戦車の前で敬礼する赤星。うたた寝するみほに寄り掛かられ、渋い顔の私。
「ここにあるはずだって分かってたから、決勝戦までに探したかったんだけど、お姉ちゃんに見られるのも恥ずかしいかなって……」
写真をテーブルに置き、のろのろとみほの拘束を解く。
「行きなさいよ……」
「エリカさん?」
写真をまとめ、おどおどと問い掛けるみほ。まったくトロい子だ。早く行ってくれないと――
「……さっ……さ、とぉ……いぎなさいって!」
――こらえられなくなるじゃないの!
不意に泣き出した私に戸惑い、みほはただ立ち尽くしている。
いつも隊長の隣を独占してたくせに! 私を見捨てて黒森峰を去ったくせに! お遊びのチームで西住流を汚したくせに! 今さらそんな写真を大事そうにして見せて!
恥ずかしい。馬鹿みたいだ。グチャグチャになってどうすれば良いのか分からない。見られたくない無様な姿を、一番見せたくない相手に晒している。早く行っちゃえ、バカ!
拒絶の意志で向けた背中を、暖かい優しさが包み込む。
「……ごめんなさい」
耳元を吐息がくすぐる。
「……さわ……るな……バカッ!」
「ごめんなさい」
たぶんこの子は何も分かってない。
「捕虜のペナルティーは、ハンバーグセットでいいですか?」
「チーズケーキもっ……付けなぁさいよ……ッ!」
黒森峰を去ってから、この子はどんどん一人で歩いて行くというのに。
私は今も優しい鎖に繋がれたままでいる。