【彩葉視点】
目を覚ましたとき、最初に感じたのは、なんだか不思議な柔らかさだった。
頬に触れる感触が心地よくて、身体もいつもよりずっと軽い。
頭を撫でられているような感覚もある。
……なんだろう。
いつもより、ずいぶんと安心する。
鼻をくすぐるのは、ほんのり甘い香り。どこか懐かしくて、温かい気持ちになる匂いだ。
ミルクの香り、かな……。
ぼんやりとそんなことを考えながら、私はゆっくりと目を開けた。
「……ん」
視界に入ったのは、見慣れた部屋の天井。
どうやら私は、布団の上で仰向けになっているらしい。
それから、すぐ近くに誰かの顔があった。
「おはようございます、彩葉さん!」
「……あれ?」
覗き込むようにこちらを見ていたのは、アリスちゃんだった。
まだ寝ぼけた頭で、その顔をぼんやりと見つめる。
すると、アリスちゃんは嬉しそうに微笑んで、私の頭を優しく撫でてくれた。
「よく眠れましたか?」
「……うん」
反射的に返事をする。
それにしても、頭の下が妙に柔らかい。
ふかふかと言う訳ではないけれど、硬すぎず、ちょうどいい具合に沈み込むような感触がある。
……枕、こんなに柔らかかったっけ?
そう思いながら、少しだけ視線を動かす。
すると、目の前にはアリスちゃんの身体があり、私の頭のすぐ横には彼女の膝が見えた。
「…………え?」
……待って。
私、今どこで寝ている?
布団の上で仰向けになっていて、頭の下にはちょうどいい柔らかさがあって、目の前にはアリスちゃんがいて……。
そこまで考えて、ようやく理解した。
私、アリスちゃんに膝枕されてる!?
「えええっ!? ちょっ、アリスちゃん!?」
私は慌てて身体を起こした。
「おはようございます!」
「お、おはようじゃなくて! えっ、私、今……!」
「はい! 彩葉さんはお昼寝していましたよ!」
「それは分かるけど、どうして膝枕!?」
思わず声が大きくなる。
そんな私を見て、アリスちゃんは不思議そうに首を傾げた。
「彩葉さんがとても気持ちよさそうに眠っていたので、起こすのはもったいないと思ったんです」
「だからって、膝枕する必要はないでしょ……!」
「そうでしょうか?」
「そうでしょうか、じゃないよ!」
まったく、この子は……。
私は額に手を当てて、大きく息を吐いた。
そもそも、どうしてアリスちゃんはこんなことをしたのだろう。
私が眠っている間に何かあったのかと思ったけれど、彼女の様子を見る限り、特に問題があったわけではなさそうだ。
「……もしかして、私が寝ている間ずっとこうしてたの?」
「はい!」
「ずっと!?」
「はい! アリスも少し休憩していましたし、赤ちゃんのお世話もちゃんとしていましたよ!」
そう言って、アリスちゃんは私が寝ていた方とは反対側に視線を向けた。
そこには、すやすやと眠っている赤ちゃんの姿があった。
どうやらミルクを飲ませた後、寝かしつけてくれていたらしい。
部屋を見回せば、机の上に並べられていたエナドリの空きビンも片付いているし、洗濯物も綺麗に畳まれている。
私が眠っている間に、家事まで済ませてくれたようだ。
「……本当に、何から何までありがとうね」
「どういたしまして! 彩葉さんのHPも回復したみたいでよかったです!」
「HPって……」
「はい! いっぱい休んだので、元気も回復したはずです!」
「ふふっ、そうだね」
「でも、膝枕は別だからね……」
「えへへ。実は、アリスは彩葉さんをいっぱい甘やかしたかったんです!」
「甘やかすって……」
「彩葉さんは毎日学校に行って、お仕事もして、お家のことも全部自分でやっていますよね。それに、お勉強も頑張っています!」
「まあ、それは普通のことだし……」
「普通でも、疲れるものは疲れます!」
アリスちゃんは、いつになく真剣な顔でそう言った。
「彩葉さんは、いつも自分で何とかしようと頑張りすぎです。だから、今日くらいはアリスに甘えてください! いっぱい頑張った人には、お休みが必要です!」
「……アリスちゃん」
「それに、膝枕はとても効果的だと聞きました!」
「誰から聞いたの、それ……」
「企業秘密です!」
どうやら、そこは教えてくれないらしい。
けれど、アリスちゃんが私を気遣ってくれていることは十分に伝わってきた。
「……ありがとう。おかげで、すっきりしたよ」
「本当ですか! よかったです! 彩葉さんのHP、全回復ですね!」
「ふふ、そうかもね」
私はもう一度、部屋の中を見回した。
掃除も洗濯も済んでいて、赤ちゃんも落ち着いて眠っている。
お昼寝までさせてもらって、これ以上ないくらい休ませてもらった気がする。
ここまでしてもらって、何も言わないわけにはいかない。
「でも、アリスちゃんも疲れたでしょ? 少し休んでね」
「大丈夫です! アリスはまだまだ元気ですよ!」
「そう言わずに。赤ちゃんのお世話だって、ずっと続くんだから」
「むむ……それなら、少しだけ休憩します!」
「うん。それがいいよ」
こうして、私たちはひとまず一息つくことにした。
その後は、アリスちゃんと一緒に夕食の準備をした。
赤ちゃんのお世話を交代しながら食事を済ませ、必要なものを確認していく。
気づけば、窓の外はすっかり暗くなっていた。
「……アリスちゃん、そろそろ自分の部屋に戻った方がいいんじゃない?」
「どうしてですか?」
「どうしてって、もう夜だし。今日はずっと手伝ってもらったから、あとは私一人で大丈夫だよ」
「でも、赤ちゃんのお世話はまだ続きます!」
「それはそうだけど……」
「それに、アリスのお部屋は隣です。何かあればすぐに戻れます!」
「だからって、毎晩付き合わせるわけにはいかないでしょ」
私がそう言うと、アリスちゃんは少しだけ考えるような顔をした。
「……彩葉さんを一人にする方が、アリスは心配です」
「え?」
「彩葉さんは、困っていても一人で頑張ろうとしますから。アリスがそばにいた方が安心です!」
真っ直ぐな瞳でそう言われてしまうと、どうにも断りづらい。
それに、実際のところ、赤ちゃんのお世話はまだまだ手探りだ。
アリスちゃんがいてくれるのは心強い。
「……分かった。でも、ちゃんと交代で休むこと。アリスちゃんまで寝不足になったら困るからね」
「はい! 約束です!」
こうして、アリスちゃんはそのまま私の部屋に泊まることになった。
赤ちゃんが眠っている間に私たちも休み、泣き出したら交代で対応する。
そんな生活が始まった。
なんだか、すっかり共同生活みたいだ。
翌朝、赤ちゃんの泣き声で目を覚ましたのは午前六時頃だった。
「ふぇ……ふぇえ……!」
「はいはい、今行くからね」
眠い目をこすりながら赤ちゃんを抱き上げ、用意してあったミルクを飲ませる。
少し遅れてアリスちゃんも起きてきた。
「おはようございます、彩葉さん!」
「おはよう。ごめんね、起こしちゃった?」
「大丈夫です! アリスもそろそろ起きようと思っていました!」
そう言って、アリスちゃんは手際よく朝食の準備を始めた。
……本当に頼りになる子だ。
こうして、私たちの三連休二日目が始まった。
◇
二日目も、基本的には赤ちゃんのお世話に追われる一日だった。
ミルクを飲ませて、オムツを替えて、泣いたらあやして、眠ったらそっと寝かせる。
昨日よりは少し慣れたものの、やっぱり赤ちゃんのお世話は簡単ではない。
それでも、アリスちゃんがいてくれるおかげで、私一人で全部を抱え込まずに済んでいた。
「彩葉さん、お勉強をしてきても大丈夫ですよ!」
「え? でも、赤ちゃんは?」
「アリスが見ています! 何かあったらすぐに呼びますね!」
「……いいの?」
「もちろんです! 育児クエストはアリスにお任せください!」
「育児クエスト……」
「はい! 彩葉さんは勉強クエストを進めてください!」
どうやら、アリスちゃんの中では私たちの生活もゲームのように整理されているらしい。
そこまで言ってもらえるなら、少しくらいは甘えさせてもらおう。
私は机に向かい、休み中に進めておきたかった課題を広げた。
ただ、どうにも集中できない。
問題を解いていても、ふと赤ちゃんのことが頭に浮かぶ。
あの子は一体何者なのだろう。
そもそも、あの電柱の中から現れたのは何だったのか。
警察に連絡したものの、結局はっきりしたことは何も分かっていない。
考えれば考えるほど、分からないことばかりだ。
「……はぁ」
ペンを置いて、私は小さく息を吐いた。
いけない。今は課題を進めないと。
そう自分に言い聞かせて、再びノートに向き直る。
結局、普段よりは少ないものの、いくらか課題を進めることはできた。
アリスちゃんが赤ちゃんを見てくれていたおかげだ。
けれど、頭の片隅にはずっとあの子のことが引っかかっていた。
◇
三日目。
赤ちゃんのお世話にも、少しずつ余裕が出てきた。
とはいえ、気になることが一つある。
「……ねえ、アリスちゃん」
「はい?」
「この子、少し大きくなってない?」
抱き上げた赤ちゃんを見ながら、私は首を傾げた。
最初に見たときよりも、身体が大きくなっているような気がする。
気のせいかと思ったけれど、昨日と比べても明らかに違う。
「そうですね。少し成長しているようです!」
「やっぱり……?」
「元気に育っている証拠ですね! 成長イベント発生です!」
「いや、そういう問題なのかな……」
赤ちゃんの成長が早いこと自体は喜ばしい。
けれど、さすがにこれは普通ではないだろう。
そんな私の心配をよそに、赤ちゃんはのんびりと手足を動かしている。
「……まあ、元気ならいいのかな」
「はい! アリスもそう思います!」
結局、今の私たちにできることは、いつも通りお世話を続けることくらいだった。
その日も、アリスちゃんと交代しながら赤ちゃんの面倒を見て、合間に食事や家事を済ませた。
私も少しだけ勉強を進めたけれど、やはり集中力は長く続かなかった。
そうして、三連休最後の日も終わりに近づいていく。
◇
その日の深夜。
赤ちゃんを寝かしつけた私たちは、布団に入って休んでいた。
ここ数日、まともに休めていなかったこともあって、身体は思った以上に疲れていたらしい。
アリスちゃんも隣で静かに眠っている。
……明日からは学校か。ホント、爆走で三連休過ぎて行ったな。
そんなことを考えながら、私はいつの間にか眠りに落ちていた。
「……ねえ」
誰かの声が聞こえる。
「ねえー、ねえー」
……ん?
「おなかすいた」
すぐ近くから聞こえた声に、私はゆっくりと目を開けた。
「……んん?」
ぼんやりとした視界の中に、誰かの顔がある。
知らない女の子だった。
年齢は十歳くらいだろうか。
腰まで伸びた長い髪は、ところどころ少し不揃いで、まだ幼さの残るシルエットをしている。
大きくぱっちりとした青い瞳が、好奇心いっぱいに私を見つめていた。
小柄な身体には、見覚えのある大きなTシャツ。
どうやら私の服を着ているらしいけれど、袖も裾も余っていて、服に着られているような格好になっていた。
……いや、誰?
「……おなかすいた!」
「…………え?」
私は一瞬、何が起きているのか理解できなかった。
知らない女の子が、私の部屋にいる。
しかも、私を起こしている。
いや、それよりも。
「……赤ちゃんは?」
そうだ。赤ちゃんはどこに行った?
慌てて周囲を見回す。
けれど、いつも寝かせていた場所に赤ちゃんの姿はない。
代わりに、目の前には見知らぬ少女がいる。
まさか。
いや、そんなはずはない。
けれど、ここ数日ずっと一緒にいた赤ちゃんのことを思い返す。
少しずつ大きくなっていた身体。
そして、今目の前にいる少女。
「え、ええっ!? ちょっと待って!? あなた、誰!?」
「……?」
少女は不思議そうに首を傾げた。
「赤ちゃんは!? さっきまでいた赤ちゃんはどこ!?」
「ここにいるよ?」
「ここって……」
少女が自分の胸元を指差す。
……まさか。
「ええええええっ!?」
「うおぉっ! ビビったぁ……」
思わず叫んでしまったら、少女は驚いたのか悲鳴を上げて飛びのいた。
いや、どう考えても、目の前の少女が赤ちゃんと同じ子だとは思えない。
けれど、ほかに説明のしようがない。
私が混乱していると、隣でアリスちゃんも目を覚ました。
「……ん。彩葉さん、どうしましたか?」
「ア、アリスちゃん! 大変! 赤ちゃんが……!」
そう言って、私は目の前の少女を指差した。
アリスちゃんは少女の姿を見て、一瞬だけ目を丸くした。
「……わあ。大きくなりましたね」
「そこ!? そこなの!?」
私が驚きのあまり声を上げる一方で、アリスちゃんは少女の姿をじっと見つめていた。
もちろん、まったく驚いていないわけではないのだろう。
けれど、私のように何が何だか分からないという様子ではなかった。
「えっと……アリスちゃん?」
「はい!」
「これ、どういうこと……?」
「うーん……アリスにも、詳しいことは分かりません!」
そう答えながらも、アリスちゃんはどこか落ち着いている。
……本当に分かっているのだろうか。
いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。
「……アリスちゃん」
「はい?」
「この子、お腹が空いているみたいです……!」
自分でも何を言っているのか分からない。
そんなことは分かっている。
赤ちゃんが、たった三日で十歳くらいの女の子になった。
しかも、目の前の少女は私の服を着て、当たり前のように空腹を訴えている。
どう考えても普通じゃない。
普通じゃないどころの話ではない。
けれど、そんな私の混乱をよそに、アリスちゃんは少女の顔を見て、少し考えるように首を傾げた。
「そうですね。まずは何か食べるものを用意しましょう!」
「えっ?」
「お腹が空いているなら、ご飯を食べないといけません! 今はこの子の空腹状態を解消するのが先です!」
「で、でも……!」
「彩葉さんは少し落ち着いていてください。食事の準備はアリスにお任せです!」
そう言うと、アリスちゃんは布団から起き上がり、台所へ向かおうとした。
その背中を見ながら、私はようやく少しだけ冷静さを取り戻す。
……そうだ。
目の前のことがどれだけおかしくても、この子がお腹を空かせているのは確かなのだ。
「……私も手伝うよ」
「ありがとうございます! では、一緒にクエストを攻略しましょう!」
少女はそんな私たちのやり取りを気にする様子もなく、期待に満ちた目でこちらを見ていた。
「ごはん、まだー?」
「は、はい! 今用意するから、ちょっと待っててね!」
「よし! これで空腹クエストもクリアですね!」
……いやいやいや。
ちょっと待って。
赤ちゃんが突然、十歳くらいの女の子になった。
しかも、その子は私の服を着て、お腹が空いたと言っている。
どう考えても、普通じゃない。
それでも、まずはこの子に食事を用意しなければ。
私はまだ混乱の収まらない頭を抱えながら、アリスちゃんと一緒に台所へ向かった。
こうして、三連休最後の深夜。
私たちの前に、またしてもとんでもない問題が転がり込んできたのだった。
アリスちゃんのお世話と父親が生きてる影響で、彩葉にも少し余裕が、ありそうですね。
後、たまに挿絵挿入作っていれてるけど、これって需要あるのか?
正直、邪魔になってない?