あれから、早くも七十年の月日が流れた。
その日々はとてもあっという間で……大切な時間。
かつて私たちの周りを駆け回っていた子供たちは、すっかり大人になっていた。
小さかったあの子たちは、今では自分の子供を連れて歩いている。昔、私たちと一緒に遊んでいた子供が、その子供たちに遊び方を教えているのを見ると、何だか不思議な気持ちになった。
集落の景色も随分と変わった。
新しい家が増え、畑が広がり、見慣れない顔も多くなった。それでも、昔から変わらない場所もある。子供たちとよく遊んだ川辺や、みんなで食事をした広場。そこには今も、懐かしい思い出が残っていた。
けれど、変わらないものばかりではない。
私たちと仲良くしてくれた人たちも、少しずつ年を重ねていった。
あんなに元気に走り回っていた子供たちは、いつの間にか大人になり、やがて顔に皺が増えていった。中には病気で亡くなった人もいる。
そして、私と同じように、かぐやも変わらない姿のままだった。
かぐやは小さな白いウミウシの姿をしている。姿が変わらないのは当然と言えば当然なのかもしれない。
けれど、私もまた、出会った頃と何一つ変わっていなかった。
人間ではない私に、老いというものは訪れない。
それがどういうことなのか、私はこの七十年で少しずつ理解してきたつもりだった。
……それでも。
目の前にいる人が、少しずつ小さくなっていく姿を見るのは、決して慣れるものではなかった。
□□□
「……アリス、かぐや」
呼ばれて、私たちはその人のもとへ向かった。
そこには、横になった一人の女性がいた。
かつて、私たちと一番仲良くしてくれた子供。
初めて会った頃は、私の手を引いて集落の中を案内してくれた。言葉が通じなかった私に何度も話しかけてくれて、食べ物を分けてくれて、遊びに誘ってくれた。
かぐやが集落に来てからは、三人で過ごす時間も増えた。
私たちにとって、最初の友達と呼べる人だった。
今、その人は静かに布団の上で横たわっている。
顔には深い皺が刻まれ、かつて私たちと駆け回っていた頃の面影は薄くなっていた。呼吸も浅く、時折、苦しそうに胸を上下させている。
「……来てくれたんだね」
かすれた声が聞こえた。
「はい。アリスはここにいます」
「私もいるよ」
かぐやも、そっと声をかけた。
その人は私たちの声を聞くと、ゆっくりと目を開いた。
「二人とも……変わらないねえ」
「そうですね。アリスは昔からこの姿のままです」
「ふふ……そうだったね」
小さく笑う。
その笑顔を見て、かぐやが少しだけ身を寄せた。
「ねえ、まだお話ししようよ。昔みたいにさ。月の話でも、未来の話でも、何でもいいから」
「……かぐや」
「まだ聞いてない話、いっぱいあるでしょ? だから、もう少しだけ……」
かぐやの声が震えていた。
いつもの明るい調子は、そこにはない。
私たちは長い時間を一緒に過ごしてきた。集落の人たちと食事をし、笑い、時には喧嘩をして、仲直りをして。そんな日々を、かぐやも大切にしていた。
だからこそ、目の前の友達との別れを受け入れられないのだろう。
「……ごめんね」
その人は、かぐやの言葉に小さく首を振った。
「もう、そんなに長くはないみたいだ」
「そんなこと……!」
「いいんだよ」
優しい声だった。
「二人と出会えて、本当に楽しかった。あの頃は毎日が不思議なことばかりでね。月の話も、海の向こうの話も、夢みたいだった」
その人の視線が、ゆっくりと私へ向けられる。
「アリスは、あの頃からずっと変わらないね」
「はい」
「でも、私たちは変わってしまった」
「……はい」
「それでも、こうして最後に会いに来てくれた。嬉しいよ」
その人は、少しだけ息を整えた。
「ねえ、アリス。あの頃、私が君たちを連れ回していたこと、覚えてる?」
「もちろんです。川で魚を捕まえたり、森で木の実を探したりしました。アリスにとって、どれも楽しい冒険でした」
「そう……よかった」
目尻に、薄く涙が浮かんでいた。
「君たちと過ごした時間は、私の宝物だよ」
私はその手を取った。
昔は、私の手を引いてくれていた小さな手。今は細く、皺だらけになっている。
けれど、確かに温かかった。
「あなたは、たくさん頑張りました」
私はその手を両手で包み込んだ。
「たくさん遊んで、たくさん笑って、たくさんの人と出会いました。あなたが作った思い出は、アリスとかぐやの中にも残っています」
「……うん」
「だから、安心してください。あなたの冒険は、決して無駄ではありませんでした」
その人は、ゆっくりと目を閉じた。
「……そっか。私の冒険も、ちゃんと終わりにできるんだね」
「はい。とても素敵な冒険でした」
かぐやは何も言わなかった。
ただ、私の隣で小さく震えていた。
やがて、その人の呼吸はさらに浅くなっていった。
私たちは何も言わず、ただ傍にいた。
最後の瞬間まで、その手を離さないように。
そして――
静かに、呼吸が止まった。
□□□
しばらくの間、誰も言葉を発しなかった。
やがて、かぐやが小さく声を漏らした。
「……行っちゃったね」
「はい」
「もう、あの子と話せないんだね」
「……はい」
かぐやは、目を伏せた。
「分かってたんだよ。いつか、こうなるって。人間は私たちとは違うんだって。ずっと一緒にはいられないんだって」
その声は、今にも消えてしまいそうだった。
「でもさ……分かっていても、やっぱり悲しいよ」
「そうですね」
「もっと一緒にいたかった。もっと話したかった。もっと、いろんなものを見せてあげたかった」
かぐやは、しばらく黙り込んだ。
「……どうして、私たちは変わらないんだろうね」
その問いに、私はすぐには答えられなかった。
私たちは変わらない。
けれど、周りの人たちは変わっていく。
出会いがあれば、別れもある。そんな当たり前のことを、私はこの七十年で何度も目にしてきた。
それでも、目の前の友達を失った悲しみがなくなるわけではない。
「かぐや」
「……なに?」
「アリスは、悲しいです」
「うん」
「もっと一緒に冒険したかったです。もっと色々なことを教えてもらいたかったです」
私は、もう一度その人の手をそっと握った。
「でも、アリスはこの人が最後まで頑張って生きたことを知っています」
楽しかった日々も、苦しかった日々も。
私たちが知らないところで、この人はたくさんの時間を過ごしてきたのだろう。
大切な人と出会い、家族を作り、子供を育て、たくさんの思い出を残してきた。
その人生は、決して短いものではなかった。
「だから、最後は傍にいたかったんです」
「……アリス」
「一人で旅立たせたくありませんでした。最後まで、友達でいたかったんです」
かぐやは、私の言葉を聞いて静かに目を閉じた。
それから、私の隣にそっと身を寄せる。
「そっか……」
小さな声だった。
「悲しいからって、ずっと引き留めていたらいけないんだね」
「いいえ。悲しんでもいいと思います」
「……うん」
「寂しいと思ってもいいです。もっと一緒にいたかったと思ってもいいです」
私はかぐやを見た。
「でも、あの人が歩んできた人生まで、悲しいものにしてはいけないと思います」
かぐやはしばらく私を見つめていた。
そして、ほんの少しだけ笑った。
「……アリスは、強いね」
「そうでしょうか?」
「うん。私より、ずっと」
「そんなことはありません。かぐやも、ずっと一緒にいてくれました」
「……ありがとう」
かぐやは、もう一度その人へと視線を向けた。
「ねえ。聞こえてるかな」
返事はない。
「私たち、あなたと出会えてよかったよ。月の話も、未来の話も、あなたが楽しそうに聞いてくれたから、私も話すことがとっても楽しかったんだ」
少し間を置いて、かぐやは続けた。
「だから、またね」
その言葉は、別れを惜しむ声でありながら、どこか穏やかだった。
□□□
その日の夜。
私たちは集落の外れにある、いつもの場所にいた。
昔、三人でよく星を眺めた場所だ。
空には無数の星が輝いている。
「……アリス」
「はい」
「私、今までずっと、別れは嫌なものだと思ってた」
「アリスも、好きではありません」
「うん。でも、今日ちょっとだけ分かった気がする」
かぐやは空を見上げた。
「一緒に過ごした時間があったから、別れが悲しいんだよね。だったら、その時間まで悲しいものにしちゃいけないんだ」
「はい」
「だから、忘れないようにしよう。あの子のことも、一緒に過ごした日々のことも」
「もちろんです。アリスのメモリーに、しっかり保存されています」
「ふふっ。そういうところ、アリスらしいね」
かぐやが小さく笑った。
私もつられて笑う。
それから、二人で星を眺めた。
星は、昔と変わらずそこにあった。
けれど、私たちの隣にいた人は、もういない。
いつかまた、同じような別れが訪れるのだろう。
それでも、私はこれからも人と出会い、共に過ごしていきたいと思う。
たとえ、その時間がいつか終わってしまうとしても。
その人が生きた証は、きっと誰かの中に残り続けるのだから。
そして、私たちもまた、その思い出を抱えて生きていく。
それが、今の私にできること。
そんなことを考えながら、私は隣にいるかぐやへと声をかけた。
「かぐや。明日は、あの人の好きだった場所へ行きませんか?」
「……うん。行こう」
「きっと、いい冒険になります」
「そうだね」
かぐやは、少しだけ寂しそうに笑った。
その笑顔を見て、私はそっと隣に寄り添った。
明日も、明後日も。
私たちの冒険は、まだ続いていく。
これにて縄文時代編は終了になります。
ちなみに縄文時代の平均寿命から考えて、この友達は考えられないくらい長く生きてる超人です。それも一重に残される二人の事を案じていたからだそうな。
次回から一気に時が進む……かも?