「……そうだ、アリス」
「はい? どうしましたか?」
ふと思い出したように声をかけてきたかぐやに、私は顔を向けました。
「さっきの自己紹介なんだけど……」
「自己紹介、ですか?」
「うん。私、最後に『かぐやだよ』って名乗ったでしょ?」
「あっ、はい! 確かにそう言っていました!」
「もちろん、それも私の名前だよ。だけど……」
かぐやは少しだけ言葉を選ぶように間を置き、それから柔らかく微笑みました。
「これからは、今までどおり『ヤチヨ』って呼んでほしいな」
「ヤチヨ、ですか?」
「うん。かぐやって名前は私にとってすごく大事なものだけど、今の私は月見ヤチヨだから、そのことを忘れない様にお願い。」
「……分かりました!」
私は大きく頷きました。
「これからもよろしくお願いします、ヤチヨ!」
「ふふっ。こちらこそ、よろしくね」
かぐや、いえ、ヤチヨは嬉しそうに笑いました。
どうやら、これで呼び名についてのクエストも無事に達成です!
……さて。
「そういえば、ヤチヨ。お腹は空いていませんか?」
「え?」
「身体を取り戻したばかりですし、何か食べた方がいいと思います!」
そう言ってみたものの、ヤチヨは少し不思議そうに首を傾げました。
「お腹……。そういえば、今の身体って食事が必要なの?」
「はい! ちゃんと人間と同じように食べられるはずです。擬態機能のシステムも確認しましたが、消化器官なども問題なく再現されています!」
「そっか……。そっかぁ」
ヤチヨは自分のお腹にそっと手を当てました。
「……ご飯、食べられるんだね」
その声は、どこか感慨深そうでした。
考えてみれば、最後に食事をしたのは八千年以上も前のこと。
それからずっと、ヤチヨはウミウシの身体で過ごしてきたのです。
食べ物を口に運ぶことも、味を楽しむこともできませんでした。
そんな彼女が、今はもう一度食事を楽しめる。
そう考えると、私まで嬉しくなってきます。
「よしっ! それじゃあアリス、これからご飯を作ってきます!」
「待って!」
ところが、ヤチヨがすぐに声を上げました。
「ここは私に任せてよ。アリスには色々とお世話になったし、せっかく身体も戻ったんだから、最初のご飯くらい私が作りたいな」
「ヤチヨがですか?」
「そう! こう見えても、昔は料理だってしていたんだから!」
ヤチヨは胸を張りました。
……なるほど。
確かに、八千年前には料理をしていたかもしれません。
「分かりました! では、ヤチヨにお任せします!」
「ふふん。期待しててね!」
こうして、私たちはキッチンへ向かうことになりました。
□□□
「……えっと」
「ヤチヨ?」
「これは……どうやるんだっけ?」
キッチンに立ったヤチヨは、さっそく困っていました。
目の前には、調理器具と食材が並んでいます。
どうやら、何を作るか考える前に、道具の使い方から思い出す必要があるようです。
「確か、野菜を切る時は……こう?」
ヤチヨは包丁を手に取り、恐る恐るまな板へ向けました。
しかし、どうにも手つきがおぼつきません。
「……あれ? こんなに難しかったっけ?」
「ヤチヨ、手元に気をつけてくださいね」
「う、うん。分かってるよ」
そう言いながらも、切った野菜の大きさは見事にばらばらです。
さらに、調味料を取り出そうとして棚を開けたところ、今度は何を使えばいいのか分からなくなってしまいました。
「ええっと……塩って、これだよね?」
「それは砂糖です!」
「えっ!? あ、本当だ!」
……どうやら、八千年という時間は、料理の腕前にも影響してしまったようです。
「うーん……。昔はもっと上手にできた気がするんだけどなぁ」
ヤチヨは少し困ったように笑いました。
その様子を見て、私は考えます。
せっかくヤチヨが作ってくれると言ってくれたのですから、できればその気持ちを大切にしたいです。
けれど、このままではいつまで経っても料理が完成しそうにありません。
「……ヤチヨ」
「な、なに?」
「アリスも一緒に作っていいですか?」
「え?」
「二人で作れば、きっともっとおいしくなります!」
私がそう言うと、ヤチヨは少しだけ目を丸くしました。
それから、ふっと表情を緩めます。
「……そうだね。じゃあ、一緒に作ろっか」
「はい!」
こうして、二人で料理をすることになりました。
□□□
「ところで、何を作るんですか?」
「うーん……。せっかくだし、何か特別なものがいいよね」
ヤチヨは冷蔵庫の中を覗き込みながら考えています。
私も隣から中を確認しました。
卵、玉ねぎ、鶏肉、ご飯、ケチャップ。
これなら作れるものは決まっています。
「オムライスはどうでしょう!」
「ああ、オムライスかぁ……懐かしいな。そう言えば、彩葉と初めて一緒にご飯を食べたときも、確かオムライスだったっけ。」
ヤチヨは少し目を細めながら頷きました。
「よし!じゃあ、それにしよう!」
「決定です!」
まずは玉ねぎを切り、鶏肉も食べやすい大きさにします。
ヤチヨはまだ包丁に慣れていないようなので、私が横について一緒に作業しました。
「アリス、玉ねぎってこんなに目に染みたっけ……」
「換気扇を回しましょう!」
「そういう問題なのかなぁ……」
そんなやり取りをしながら、フライパンに油を引き、具材を炒めていきます。
じゅう、と音を立てながら、玉ねぎと鶏肉の香ばしい匂いが広がりました。
「わあ……いい匂い」
ヤチヨが思わず声を漏らします。
「そうですね! アリスもお腹が空いてきました!」
「ふふっ。私も」
具材に火が通ったところで、ご飯を加えます。
ケチャップを混ぜ、全体に味が馴染むまで炒めれば、チキンライスの完成です。
続いて卵を割り、ボウルに入れて混ぜます。
「ヤチヨ、卵はこうやって混ぜるんですよ」
「うん。これは覚えてるよ」
「おお! さすがです!」
「さすがって……これくらいはできるよ!」
ヤチヨは少し得意げに笑いました。
フライパンにバターを溶かし、卵を流し込みます。
半熟になったところで火を止め、先ほどのチキンライスにそっと被せました。
少し形は崩れてしまいましたが、ちゃんとオムライスになっています。
「完成です!」
「おおー!」
二人で作ったオムライス。
見た目は少し不格好ですが、ちゃんとおいしそうです。
最後にケチャップを取り出し、私はヤチヨのお皿に文字を書きました。
『ヤチヨ』
「……あっ」
ヤチヨがそれを見て、嬉しそうに笑います。
「じゃあ、私もアリスのお皿に書いてあげるね」
そう言って、ヤチヨはケチャップを手に取りました。
少し考えた後、私のお皿に文字を書いてくれます。
『アリス』
「えへへ。ありがとうございます!」
「どういたしまして」
こうして、二人分のオムライスが完成しました。
*
私たちはテーブルを挟んで向かい合いました。
目の前には、出来立てのオムライス。
そして、ヤチヨの手元にはスプーンが握られています。
「……なんだか、不思議な感じ」
ヤチヨがぽつりと呟きました。
「不思議、ですか?」
「うん。こうして誰かと向かい合って、ご飯を食べるなんて……本当に久しぶりだから」
ヤチヨはオムライスを見つめます。
その表情は、嬉しそうで、少しだけ緊張しているようにも見えました。
「それじゃあ、食べましょう!」
「うん!」
私たちはスプーンを手に取ります。
そして、二人で声を揃えました。
「「いただきます!」」
まずは一口。
私はオムライスを口へ運びました。
「んっ! おいしいです!」
自分たちで作った料理ということもあって、いつもよりおいしく感じます。
一方、ヤチヨはというと。
スプーンですくったオムライスを、ゆっくりと口へ運んでいました。
そして――。
「……っ」
ぴたり、と動きが止まります。
「ヤチヨ?」
彼女は口の中のものをゆっくりと飲み込むと、もう一度、小さくスプーンを動かしました。
今度は、少し大きめの一口。
卵の柔らかさ。
ケチャップの甘酸っぱさ。
鶏肉の旨味。
それらを確かめるように、ゆっくりと味わっています。
「……おいしい」
その声は、とても小さなものでした。
「ヤチヨ?」
「おいしいよ、アリス」
ヤチヨは自分の頬に手を当てました。
「味がする……。ちゃんと、味が分かるよ」
その瞳が、少し潤みます。
「甘いとか、しょっぱいとか……温かいとか。口の中に広がる感じも、全部分かる」
ヤチヨはもう一度、オムライスを口に運びました。
今度は、先ほどよりも少しだけ勢いよく。
「……ああ、そっか。私、またご飯が食べられるんだ」
その言葉を聞いて、私は胸の奥が温かくなるのを感じました。
八千年。
その間、ヤチヨはどれほど食べたいと思っていたのでしょう。
誰かと同じ食卓を囲み、同じ料理を味わい、何気ない会話をしながら食事をする。
そんな当たり前のことが、ヤチヨにはずっとできなかったのです。
「えへへ。よかったですね、ヤチヨ!」
「うん……本当に、よかった」
ヤチヨは笑いました。
今度は涙を流すこともなく、ただ嬉しそうに。
「ねえ、アリス」
「はい!」
「次は何を食べようか?」
「おお! もう次のクエストですか!」
「ふふっ。だって、食べたいものがいっぱいあるんだもん」
ヤチヨはオムライスをもう一口食べました。
「カレーも食べたいし、ラーメンも食べたい。それから……パンケーキも。……ああ、どうしよう。考えただけでお腹が空いてきちゃった」
「それなら、これから一つずつ攻略していきましょう!」
「うん!」
二人で笑いながら、オムライスを食べ進めます。
特別な料理ではありません。
高級な食材を使ったわけでも、難しい調理法を使ったわけでもありません。
ただ、二人で作った、普通のオムライス。
けれど、ヤチヨにとっては八千年ぶりの食事であり、私にとっても忘れられない一皿になりました。
「……ごちそうさまでした」
食べ終えたヤチヨが、満足そうに手を合わせます。
「ごちそうさまでした!」
私もそれに続きました。
そして、ヤチヨは空になったお皿を見つめながら、ぽつりと呟きます。
「ねえ、アリス」
「はい?」
「これからは、こういう時間がたくさんあるんだよね」
「もちろんです!」
私は迷わず答えました。
「これから先も、ずっと一緒です! まだまだ行きたい場所も、食べたいものも、たくさんありますから!」
「……そっか」
ヤチヨは目を細め、柔らかく笑いました。
「じゃあ、これからもよろしくね。アリス」
「はい! よろしくお願いします!」
八千年ぶりに取り戻した味覚。
そして、八千年ぶりに誰かと囲む食卓。
私たちの新しい冒険の始まりは、とてもおいしいものになりました。