全てはまひるの唐突な叫びから始まった。今のままでは犯罪とバトルのみで夏が終わってしまう!その思いに突き動かされ、ミルカとまひるは周囲を巻き込んで走り出す。シュウを拝み倒して〈八卦炉〉でオリジナル水着を作ってもらい、龍一に頼み込んでプライベートビーチをクラウディアから貸してもらい…彼女たちはどれだけ去り行く夏を満喫できるのか?
そして龍一とブリギッテは、互いの心にどこまで踏み込めるのか?
要するに水着回です。
「……水着!」
始まりは、まひるの唐突な叫びからだった。空中拠点〈カルネアデス〉の会議室──何もない時は食卓、まひるやミルカたちの勉強部屋、あるいはただ単に駄弁るだけの部屋──として使われる一室である。
「急にどうしたの?」
「ごめん、今のはいきなりすぎた」
目を丸くしているミルカにまひるは一旦謝ってから、
「今年は一度も水着着てないことを思い出したんだよ。そもそも海にすら行ってないし」
「へー、あんたの家、そんな風習あるんだ」
「風習ってほどじゃないけど、お父さんもお母さんもいつも忙しくて、私やお姉ちゃんに構えない疾しさがちょっとあるんだろうね。今年は特に忙しかったから、それどころじゃなかったんだけど」
「……ふーん。いいね、家族で仲良くて」
ミルカの口調がやや湿っぽくなった。まずかったかな、と思ったまひるは話題を戻す。
「ま、まあ、水着どころか海にも行けない夏だったなって、ちょっと思ったわけよ」
「うーん……でも、水着買うにしてもどうするの? 地上補給はこの前済ませたばっかりだし、次の補給まで半月くらいあるよ」
〈カルネアデス〉は基本自給自足が可能だが、それでも物資の不足は発生する。それは定期的に地上へ降りての補給で賄ってはいるが、
「半月もしたら寒くて水着どころじゃなくなってるよ。あ、それ以前に海水浴どころじゃないか」
「ダメ元で龍一さんたちに頼んでみる? いや、にしても、緊急時でもないのに水着買うだけのために〈カルネアデス〉を地上へ降ろしてもらうのは気が引けるよね……」
うーん、と二人の少女は腕組みして考え込んでしまう。
突破口を見つけたのはミルカだった。「シュウくんに頼んで、作ってもらうのはどうかな」
「え? 作るって、水着を? あの子そんなことできるの?」
「できるでしょ。戦車や戦闘機だって、なんかすごい3Dプリンタみたいなやつでガーッと作れるくらいなんだから、きっと水着くらい作れるよ」
「……なんか燻んでる気はするけど、理屈は合ってるね。でも、だったらネット注文かなんかで買う方が確実じゃない?」
「ふっふっふ」
ミルカはなぜか急に含み笑いを始め、
「ただの水着なら確かにそれも手だよ。でも考えてみて。それが世界に一着しかない水着だったらどう? 自分だけの……私やあんただけの、オリジナル水着!」
まひるは一瞬息を呑んだ後で、目を輝かせた。
「それは……いいかも!」
「でしょ?」
「何だか盛り上がっているけど、水着がどうかしたの?」
騒ぎすぎたせいで、ブリギッテやまひるの姉のあさひまでもが何だ何だと近づいてきた。
「シュウくんにお願いして、私たちのオリジナルの水着を作ってもらえないかって話してたんです」
「そうです。いいと思いません? 店じゃ買えないオリジナル水着ですよ?」
「水着?」
ブリギッテの瞳の奥で一瞬何かが揺れたが、彼女は即座に自制を取り戻し、
「悪い話とは思わないけれど、彼は
「うーん、でも、龍一さんきっと喜びますよ」
「えっ?」
ブリギッテは今度こそ動揺した。
沈黙の中、彼女の精緻な頭がしばし複雑な思考を巡らせた後で、
「……そうね。頼むだけ頼んでみましょうか。もちろん、シュウ次第だけれど……」
「ブリギッテさんて、龍一さんが絡むと急にチョロ……いえ何でもないです」
「しっ、やめなよ、ブリギッテさんだって気にしてるんだから……元はいいとこのお嬢様だから、そういうの人に見透かされるのをすごく恥ずかしがるんだよ」
「あなたたちの会話が全部聞こえているのも少しは気にしてくれない?」
「あの……」
か細い声が聞こえたのはその時だった。今し方まで粘土をこねていたため、エプロン姿のイナンナだ。
「あ、ごめんねイナンナさん。うるさくしちゃった?」
「い、いえそうではなくて……」
彼女はいかにもばつが悪そうに、手にした木箆を弄りながら、
「ただ皆さんがあまりにもその、水着というものに熱心なものですから……それを着て皆さんが喜んでくださるなら、そう悪いものではないかと……もちろん、作るかどうかはシュウさんのお心次第ですが……」
「イナンナさん……」
ミルカとまひるは感動に目を潤ませ、ブリギッテとあさひは顔を見合わせている。
「私たち、彼女に比べるとあまりにも自分本位すぎたわ」
「何だろう。自分が急に汚れた人間に思えてきました……」
「よし! みんなの意見が一致したところで、シュウくんのところに押しかけよう!」
「ミルカ。山賊の砦を攻め落とすわけではないのよ?」
「今のこの子だと、本当に攻め落としそうな勢いだよね」
「シュウくん水着っ!」
研究開発室のドアを開け放つなり、ミルカは高らかに叫んだ。精密作業用のスマートグラスを額に跳ね上げたシュウがじろりと睨む。
「俺様は水着じゃありません」
「今度はミルカの方が早まりすぎてるよ…… 『先生、おしっこ』じゃないんだから」
「ミルカ、人に頼み事をする時は明確にしなさい」
「ごめんなさい。今のはいくら何でも唐突すぎました」
ミルカは咳払いした後でもう一度高らかに叫ぶ。「ねえシュウくん! 私たちの水着作ってよ!」
「何でだよ?」
「だってシュウくん、戦車や戦闘機を作れるんでしょ? 女の子の水着くらい簡単に作れない?」
「あのなあ。てめえは自動車工場に『ケーキ作ってください』って頼むのか?」
「う、それは……そうだけど」
ミルカは言葉に詰まりはしたが諦めはしなかった。「そこらへんは……シュウくんがなんかいい感じに、こう、ちょいちょいっと……」
「相変わらず無茶振りがすげえな? 俺様への扱いは雑なくせに、その熱い信頼は何なんだよ?」
「もうシュウくんしか頼れる相手がいないんだよお。それとも何? 戦車や戦闘機は作れるくせに、女の子の水着一つも作れないの?」
「安っちい挑発しやがって……」
シュウはミルカの背後から顔を覗かせているブリギッテやあさひにも険のある視線を向ける。「てめえらもてめえらだよ。この小娘を止めるどころか、雁首揃えて乗っかりやがって」
「し……仕方ないでしょう。ミルカの言い分にも一理あると思ったからだもの」
「すいません、水着の魅力には逆らえませんでした……」
「何が一理だよ。私利私欲に塗れてるくせによ」
まあ作れねえこともねえけどよ、とシュウは宙を仰ぎ、
「だいたい水着って……アレだろ? てめえら小娘どもがその無駄肉を申し訳程度に覆い隠すための、目にどぎつい色した布っきれだろ?」
「言い方! 言い方にも程があるでしょ!」
「いま無駄肉って言った? 言ったよね?」
「ホント口が悪いわねこいつ……」
少女たちが青くなったり赤くなったりする中、ミルカは拳でシュウの後頭部をぽかぽか叩き始めた。
「シュウくんたら! どうしてシュウくんはそういう言い方しかできないの! このノンデリ! ノンデリAI!」
「やめろ。痛くねえけどやめろ」
「ふ、ふふ……別にいいもん……私のこれは無駄肉だなんて、私自身が一番わかってるもん……」
「私にはその無駄肉さえないんですけどね!?」
「大した思い入れもないのに、よくそこまで水着というファッション自体をこき下ろせるものね。悪い意味で感心したわ……」
うるせえ小娘どもだな、と吐き捨てたシュウの視線がイナンナで止まり、
「……何だよ? まさかてめえまで水着欲しいってのか?」
呆れ果てた顔のシュウにイナンナは大慌てで首を振り、
「い、いえ……あくまでもシュウさんのお心次第で……」
シュウは盛大に溜め息を吐き、
「……わかったよ。作業の片手間でいいんなら、まとめて作ってやるよ」
「イナンナさんのお願いならあっさり聞くんだ」
「……何だったんだろうね。私たちの悪戦苦闘は」
「私は『北風と太陽』の寓話を思い出したわ……」
「それじゃてめえら、体型スキャンしてやるから順に並べよ。服は脱がなくていいからな」
それを聞いた少女たちは顔を見合わせた。ミルカが怯えたように一歩後じさり、
「……え? 測るの? 測られちゃうの? シュウくんに……スリーサイズを?」
「当たり前だろ。寸法も測らずにオーダーメイドの水着作れなんて、指一本触れずドレスを作りなさいとか頼むお姫様かよ」
「あんたこそミルカの気持ちがわかってないでしょ。つくづく女の子の心がわからない奴ね……」
「はっ、わかるわけねえだろ。なったことねえんだからよ」
涙目のミルカがきっと睨む。
「ひどいよシュウくん……今に見てなさい。絶対に女装させてやるから」
「怒りの方向性がおかしいだろ!?」
──結局、少女たちは互いに体型を測り合うことになった。
「うわ、ブリギッテさん腹筋がすごい……」
「最近はトレーニングばかりしているから。……あ、あまり見ないでくれる? 割れすぎて少し恥ずかしいのだけど……」
「そ、そんなことないですよ! 割れた腹筋、すごくいいと思います! 性別を問わず肉体美、って感じでカッコいいです!」
「そう思うんなら、お姉ちゃんもブリギッテさんを見習って少しは運動したらどうなの!? 何よこのたるんだお腹は!? お姉ちゃんの性根そのものじゃない!」
「やめて! つままないで!」
「体型を測るだけでどうしてこんな大騒ぎになるのよ……?」
「デザインはこっちのタブレットを使ってできるからな。色や柄なんかはもちろん、セパレーツかビキニかも直前に選択できる。こんなふうに」
おおー、と少女たちは画面を覗き込みながら歓声を上げている。
「あ、布面積もスライダーで弄れるからな。こんなふうに」
「減らしすぎだよ! それ水着じゃなくて紐じゃない!」
「そんなハレンチ水着、私着ないからね!?」
「男の人のやるエッチなゲームでもそこまで攻めてないよ! 本当に夏の視線を独り占めしちゃうよ! 悪い意味で!」
「よくわかんねえ……肌は見せてえ、肝心な部分は見せたくねえって、わがままな連中だな」
「なんか私たちが非常識みたいな扱いされてる……?」
眉間を押さえていたブリギッテは、そこで何かに気づいたようだった。
「ところであなたたち、水着はどうにかなるとして、泳ぐ場所の当てはあるの? 地上に降りるのはまあいいとして、海水浴場のシーズンなんてもう終わっているのに」
「「「あ」」」
「……そんなことだろうと思ったわ」
「わかった。俺が何とかしよう」
かくかくしかじかで……とあさひから相談された龍一は、即座に頷いた。
「で、でも龍一くん、なんかいい感じの砂浜なんて知ってるの? まさか〈竜〉の権能で造るわけにも行かないし……」
「権能を使うまでもないさ。まあ、任せてくれ」
【海水浴当日】
青い空。白い砂浜。そして聞こえてくるのは、ただ静かな潮騒の音のみ。
「何なの、このあつらえたように綺麗な砂浜は……!?」
目を丸くしているまひるの隣で、あさひは何かに気づいたように目を見開き、
「もしかしてここ、誰かの持ち物なの?」
龍一が頷く。「正解。クラウディアに頼んで、今日だけ使わせてもらうことになったんだよ」
「……ファミリーに借りを作るの、後が怖すぎない?」
「でも、言われればそうだよね。人でごった返してない、ゴミ一つ落ちてない綺麗な砂浜なんて、お金持ち向けのプライベートビーチくらいしかないよね……」
「ゴーギャンの絵に出てきそうな浜辺ではあるね。自然界には存在し得ないという意味で」とアレクセイ。
「し、しほんしゅぎ……」
「まあ、クラウディアには後でお礼を言うとしてだ」
龍一は咳払いしてから全員を見回し、
「今日一日だけは、資本主義に屈するとしよう!」
賛成! と少女たちは一斉に拳を突き上げた。
「水着、間に合ってよかったねー」
「まあ、私たちはシュウくんにデザインだけ投げただけだけど」
「大騒ぎは作るまでだったわね……」
「シュウくんありがとう! こんな可愛い水着を着たの、生まれて初めてだよ! それもぴったり!」
ミルカが着ているのは、白と水色のストライプビキニだった。シンプルなデザインだが、ほっそりした彼女の肢体にはよく似合う。
「はっ、てめえらの思惑なんてわかってんだよ。無駄肉を申し訳程度に隠して、龍一やアレクセイの本性を試そうって魂胆だろ?」
「試さないよ!?」
真っ赤になっているあさひが着ているのは、胸元に大きなリボンのついたピンク色のワンピース型水着。
「お姉ちゃん、結局ビキニやめたんだ」
「うん。やめたというか、私ごときがビキニを着るのは百年早いというか……お腹の肉がはみ出るから……」
「そのはみ出しはお姉ちゃんの日頃の怠惰の積み重ねだからね?」
「ひゃい……」
「まひるはずいぶんと派手だね。似合ってるけどさ」
うーん、と鮮烈な赤のビキニの上にパーカーを着たまひるは考え込み、
「迷ったんだけどさ。青や紺だとスクール水着と変わんなくなっちゃうんだよね」
「でも似合うよまひる、他の誰よりも……写真撮らせて、今この瞬間のまひるを記念に残しておきたいからさ……」
「うわお姉ちゃんのその目つきからしてキモっ!」
「み、水着の着方は、これでよろしいのでしょうか……?」
裾を摘むようにして出てきたイナンナの水着は、海を思わせる深い蒼のワンピースだった。上にふわりと纏った半透明のストールが、妖精めいたイメージを強調している。
「イナンナさんもうちの妹の次くらいに可愛いよ。うん、いっそ妹にならない?」
「お姉ちゃんさあ……もう綺麗だったり可愛かったりカッコよかったりすれば、男でも女でもどうでもよくなってない? 節操なさすぎて引くよ。そういうのやめた方がいいよ」
「妹から見て私の株が大暴落してる!?」
「あまり大騒ぎをされると、私の水着をお披露目しづらくなるのだけど……そろそろいいかしら?」
「おお、真打ち登場!」
真打ちって……と呟きながら出てきたブリギッテは、彼女の白い肌に似合う深緑のビキニだった。腰のパレオが熱い潮風に吹かれ、微かに揺れている。
「ブリギッテさん綺麗……私が男の子だったらこの場でプロポーズしてる……いやできれば今すぐにでもしたい……結婚しよ……」
「お姉ちゃんさあ……」
もはや言葉にすらできず呆れているまひるを「まあまあ」とミルカがなだめている。
「龍一さん。そろそろ、褒め言葉の一つも繰り出したらいかがなものですか?」
ミルカに肘でつつかれ、龍一はこの上なく困った顔になった。
「あー……うん。すごく似合ってるね」
「それだけ?」
「水着の女の子を前にして、龍一さんちょっと枯れてません?」
「でも考えてみて、まひるさん」
ブリギッテは真剣極まりない顔で、
「私も不覚だったわ。龍一はたとえ際どい水着の女の子を前にしても『年頃の娘がお腹を冷やしてはいけない……』と呟きながらパーカーをそっと肩にかけてくる、そういう人よ」
「強火極まりないコメントが来た!」
「でも、それは……そう!」
「間違っても鼻の下とか伸ばさないよね龍一くん……」
「君たちが俺のことをそこまで真剣に考えてくれるなんて嬉しくて仕方ないよ。でも、そろそろデコピンの一発くらい飛ばしてもバチは当たらないんじゃないか?」
まあまあ、と今度はアレクセイが龍一をなだめている。
「シュウくんお疲れ様。水着全員分用意するの、大変だったでしょ」
はっ、とシュウは鼻(に当たる部分)から呼気を漏らす。
「戦車や戦闘機を作ってた方がよっぽど楽だぜ。ああでもねえこうでもねえって注文が多すぎるぜ」
「もう。またそうやって憎まれ口叩くんだから」
ミルカは口を尖らせはしたが、
「別にいいんだよ。イナンナさんのためでも嬉しい。ありがと」
「ばっ……何もイナンナのため
ミルカはたちまち相好を崩した。「えへっ、やっぱりシュウくんだーいすき!」
「うおっ!? だからって抱きつくなよ!?」
「シュウくんも水着着ようよー。龍一さんやアレクセイさんだって水着なのに」
「やだよ。着た瞬間にてめえらが視姦してくるんだろ。脂ぎったおっさんみてえな粘ついた目つきでよ」
「しないよっ!?」
「やっぱこいつ、一度シメた方がよくない……?」
「それにしても……」
あさひは腕組みしながら龍一とアレクセイを眺め、
「男の子の水着って……なんかこう、華やかさに欠けるよね」
「言われてみれば、どうしても色的に地味だよね。ライフセーバーっぽいというか……」
「華やかは無理でも、別方面で盛れないかな。股間から白鳥を突き出すとか」
「それはただの変態でしょ!?」
「……俺ら、かなり勝手なこと言われてないか?」
「よいではないか! 彼女たちは浜辺に咲き誇る麗しき花。我らはその添え物に過ぎぬのだからな!」
その大音声に全員が振り返る──そもそも無視すら難しい大音声だったが。
鋼色に光る裸体に腰布だけ巻いた逞しい青年は、絶句する一同の前でさらに胸を張り、
「それにしても、なんと美しき光景であることか! 白に桃に真紅に蒼に真緑と、眺めるだけで身体に熱き血が滾り詩歌の一つも思いつきそうというものよ! ここが人気のない浜辺であることはさらなる幸運である。野に咲く花は愛でて楽しむもの。花を摘み取ろうとする無粋な輩はお呼びではないからな! ははははは!」
アイネイアの大笑いに娘たちは、一斉に真っ赤になって俯く。
「な、なんかそこまで褒められると、かえって身の置き所がないというか……」
「すいません私ごときが際どい水着なんか着てすいません……!」
「お、王子、嬉しいけどその辺で……」
「そうであるか? 詩歌など一つどころか、求められれば十も二十も思いつきそうなものだが、ふむ……」
王子はやや不服そうだったが、そこは好漢らしくすぐに機嫌を直し、
「皆の者、まずは泳ごうではないか! いや泳ぎたくない者は無理に泳ぐ必要はないぞ。それぞれの方法で、去り行く夏を惜しもうではないか!」
「それは賛成!」
「よーし、泳ぐぞー!」
「ぷっ、あんた泳いだことないの? 浮き輪とか使ってるの?」
まひるにからかわれ、ミルカはぷくっと頬を膨らませる。
「悪かったね。セルビアには海がなかったんだから仕方ないじゃない」
「それにしてもプールくらいはあるでしょ?」
「まひるさん、笑わないでやって。ミルカはあまり同年代の子供と遊んだことがないの。ずっとお兄さんと二人きりで暮らしていたから」
ブリギッテに諭され、まひるはたちまち大人しくなる。
「ごめんなさい。無神経だった」
「あなたとミルカは歳が近いから、遊び相手になってくれればと思うの」
「お安い御用です。……ミルカ、泳ぎ方くらいなら教えるよ。私にもできるくらいだから」
「うん!」
「……あの二人、仲良くなったねえ」
たちまち水飛沫を立ててはしゃぎ始めた少女たちを見て、あさひがパラソルの影で笑っている。寝そべる龍一も苦笑するしかない。
「うん。一時はどうなることかと思ったけど、大半は杞憂でよかった」
「ミルカちゃんがいい子だからだよ。まひるは私よりもある意味ではずっと人見知りでさ。一度気に入らないと思った相手とは、徹底的に口を聞かないんだ」
言いながら、あさひの目は龍一に注がれていた。──彼の傷だらけの身体に。
「ん?」
「えと……ごめんね。龍一くんの身体、傷だらけだと思ってさ」
謝ることはない、と龍一は笑う。「本当のことだからな」
刺し傷、切り傷、火傷に皮を剥がれた後──中でも凄まじいのは、首をぐるり一周する切断痕と、ちょうど心臓の位置にある射出痕だ。
「どれも俺が〈竜〉になる前の傷だ。〈竜〉は無限に近い再生能力を持つが、竜になる前の傷までは治してはくれなかったからな」
「……龍一くんがいなくなってから、私にはいろいろあった。ありすぎたくらい。でも、それなら龍一くんもいろいろあったはずなんだよね。どうして今まで考えもしなかったんだろ……?」
無意識に龍一の傷に触れようとして……あさひはその衝動を辛うじて押しとどめたようだった。龍一もまた、彼女の素振りに気づかないふりをしていた。
「何だか、久しぶりだね。こんな穏やかな時間」
あさひは笑い、龍一も苦笑した。「そうだな。犯罪も市街戦もない日なんて、貴重どころか最近じゃ皆無だった」
「私もすっかり一味だね。龍一くんたちの」
「すまん」
「どうして謝るの? 龍一くんたちは命の恩人なのに。私とまひるの」
「だからって何もかもに感謝する必要はない。俺のせいで、君も妹さんもすっかりお尋ね者だ。責任を感じないわけにはいかないよ」
「責任、かあ」
笑おうとして、あさひは声を詰まらせた。
「嬉しいけど、寂しい言葉だね」
龍一は何か言おうとしたが、何も言わなかった。そもそも、何を言うべきなのかもわからなかった。
沖の方では、少女たちの歓声がさらに高まっていた。ゴムボートで漕ぎ出していたイナンナが海水を使って海豚を作り、ミルカもまひるもその背に乗って黄色い悲鳴を響かせていた。太陽は既に中天に近い。
「……それにしても、大丈夫かなあ。ちょっと不安になってきたよ」
「何が?」
ひとしきり泳いだ後、ミルカとまひるはパラソルの下で一休みしていた。太陽はまだまだ高く、陽の光が衰える気配すらない。
「だって、今回のことで龍一さんがクラウディアさんに借りを作ったんでしょ? ファミリーに借りを作るの怖くない? どうやって返すの? 庭掃除でもする?」
「庭掃除なら業者さんを雇えるし、そもそもあの家の庭なんて掃除するのに何日かかるかわかんないよ」
「クラウディアさんは優しいけど、優しいだけの人がファミリーの頭目できるはずないしね……」
ミルカはぶるりと身を震わせ、
「わ、私たちの頼みを聞いたせいで、龍一さんたちがなんかとんでもない要求されたらどうしよう……」
「とんでもないって、たとえば?」
「に、肉奴隷とか……」
「ばっ……」
まひるはものの見事に言葉を詰まらせてしまった。
「あっ、あんた言うに事欠いて何てこと言うのよ! 肉……とか、小娘の語彙じゃないでしょ!」
「いーーーーーやーーーーーーーーだーーーーーーーーー! わ、私たちのせいで、龍一さんが大変なことに……!」
「い、いくら何でも……! 水着と海水浴の代償としたら大きすぎるよ……でも『ない』と言い切れないところが怖い……!」
二人の少女は頭を抱えたり、叫びながらひっくり返って手足をじたばたさせたりしていたが、すぐに我に返り、
「ま、要求された時に考えようか」
「そだね」
年頃の娘たちは薄情である。
「何を大騒ぎしているの? よくは聞こえなかったけど、龍一がどうとか肉がどうとか」
ブリギッテが海から上がってきた。この強烈な太陽の下では、水気などすぐに乾いてしまう。
「ブリギッテさんて、時々エスパーみたいなこと言い出しますよね……」
「り、龍一さんたちがお昼にバーベキューやるんでしょ? 楽しみだなって話してたんですよ! ほらブリギッテさん、日焼け止めオイル塗りましょ! せっかくの綺麗なお肌にシミができちゃう!」
「何かをすごい勢いで誤魔化されたような気がするわ……」
昼になった。
「ふぅ、ランチにするにはいい頃合いね。泳ぐなんて久しぶりだわ」
「いい感じにお腹も空きましたしね。……って、アメリカにホームステイでもしなきゃ見られないような本格バーベキューが始まってる!?」
砂浜の上に展開されたグリルでは既に炭が赤熱し、その傍らで上半身に汗を浮かべたアレクセイが串をせっせと動かしている。
「岩塩とバーベキューソースの他に、ヨーグルトソースも用意しておいたからね。味がくどく感じられてきたら使うといいよ」
「至れり尽くせりですね……」
「なんかアレクセイさん、いつにも増してノリノリじゃない?」
「彼はあまり自分からは言わないけど、アーティストだからな。
「そんな理由なんですか?」
「バーベキューはアートだった……?」
「うむ、アレクセイよ。そなたは何をしても絵になる男であるな」
そんなことはないよ、とアレクセイは苦笑。
「直前に料理本で読んだだけなんだけどね」
「本で読むだけで済んだら、世の料理人は商売上がったりだな……」
「そろそろいいだろう。はい、どうぞ」
いただきます、の声もそこそこに串を受け取ったものから順に食べ始める。
「夢みたい。バーベキューなんて私には縁のない、キラキラした別世界のイベントだと思ってたのに……」
「そこまで別世界のイベントか?」
「お姉ちゃん、そんなに急いで食べたら口の中ヤケドするって!」
「だいじ……あふ、あふっ!」
「ほら言わんこっちゃない……ごめんミルカ、水差し取ってくれる!?」
「はい、これ! 大丈夫なんですか、あさひお姉さん!?」
「よ……ヨーグルトソース取って……」
「口の中のヤケド我慢して言うことなの……?」
呆れているまひるの傍らでは、ミルカが串に刺した肉をシュウに差し出している。
「シュウくん、はい、あーん!」
「しねえよ。俺様に食事なんて必要ねえんだよ、本当は」
「あ……全身義体だからだっけ?」
「まあ、肉も魚も野菜も喉の奥で砕いてペースト状にしたもんをエネルギーに変換できるから、無駄ってこともねえんだが」
そっか……としょんぼりしてしまったミルカを横目で見たシュウは、
「……ま、次に作る筐体は拡張性に重点を置いているから、そのへんも考慮してみっか。どう考えても無駄な機能だけどよ」
「えへへ……シュウくん、なんだかんだ言って私に甘いよね。じゃ改めて、あーん!」
「うおっ!? だからって口に無理やり突っ込もうとするんじゃねえよ!危ねえだろ!」
「……ごちそうさま」
「あれ? 龍一さん、もう食べ終わったんですか?」
「ああ。あんまり食べると眠くなるからな」
「龍一さんって……意外と食べませんね。見かけによらず……」
「うーん、きっと〈インストラクター〉に言われたことが抜けてないんだな」
「と言うと?」
「胃に中身が詰まった状態で腹を撃たれると助からない、ってさんざん脅されたことがあるんだよ」
「……どうして急に怖い話が始まったんです?」
怪訝な顔のミルカだったが、すぐ何かを思いついたように、
「ブリギッテさん。まだ肉はありますよね?」
「え? ええ、アレクセイが多めに用意してくれたから……」
「じゃあですね、それを一本持って、龍一さんにこう……食べさせてみてください」
「え、ええ!? どうして!?」
ブリギッテはとんでもなく冒涜的な言葉を聞いた尼僧のような顔になった。
「どうしてもです。ほら、龍一さんも口を開けて!」
「え? お、おう……」
訳がわからないながらも口を開ける龍一と、原子炉の制御棒をクレーンで操作する技術者のような手つきで串を動かすブリギッテ。
やがて龍一の口に肉が入ると、少女たち全員が偉業を目にしたようにほうっと息を吐き、
「……ごちそうさまでした」
「何がよ!?」
「悪い意味で初々しすぎてお話にならないね、あの二人」
「ほんと。手を繋ぐにしても周りが手取り足取り腰取りしないとどうにもならないんだね」
「やっぱりデコピンしていいかそこの二人?」
「そろそろ帰ろうか?」
さんせーい、と皆で歓声を上げ、掃除の後で帰路につく。
「これだけ遊んだら、晩飯はさぞかしはかどるだろうな」
「もうくたくたよ……本当に朝から晩まで大騒ぎだったじゃない」
「でもブリギッテさん、ちょっとは元気になったでしょ?」
あさひの言葉に、ブリギッテは今そこにいる彼女に初めて気づいたような目つきになった。
「もしかして……最初からそのつもりで?」
「うん。いま思いついたんだけど」
「あなたね……」
ブリギッテは口でそうは言ったが、怒るに怒れない様子だった。
「龍一くん、もうちょっと前に出て。そう、その位置」
「うん……?」
「ブリギッテさんはもうちょっと左へ寄って。うん、これで並んだね」
訳がわからない、という顔をしている龍一とブリギッテにあさひは歩み寄り、二人の手を強引に繋がせた。
「うん。これで、どこから見てもお似合いのカップルだ」
「あさひさん?」
「じゃ、あとはお若い二人に任せるとして……邪魔者は退散しますので!」
「お見合いの立会人か?」
目を白黒させている二人に背を向け、あさひは砂の上をすごい勢いで走り去ってしまった。
「……お姉ちゃん、よかったの?」
「何が?」
「あの二人を二人っきりにしてだよ。何のことかわからないとは言わせないからね?」
「……うん。これできっとよかったんだよ」
あさひは静かに言った。自分に言い聞かせるように。
「私はあの二人のどっちとも仲良くしたいんだよ。龍一くんとも、ブリギッテさんともさ。なのに、私だけいい思いをするのは……なんか違うかなって」
「お人好し。今に後悔するよ」
「うん。すると思う。でもこうしなくても、きっとすると思うよ」
あさひは妹の髪をくしゃっと撫でた。「ありがと。まひるはやっぱり優しいね」
「……私を気遣う暇があったら、自分の気持ちを大切にしてよ」
なぜか、姉の顔を直視できなかった。沈む夕日が眩しすぎるせいだ、とまひるは決めつけた。
「何だろう。すごく気を利かせてもらったような……?」
「彼女、何か勘違いをしているのよ。そうに決まっているわ」
ブリギッテが耳まで赤くなっているのは、夕焼け空の下でもわかるほどだった。
「騒がしいけど、楽しい一日だったわね。……騒がしいにも程があったけれど」
「まあな」
龍一は笑ったが、ブリギッテは笑わなかった。
「クラウディアに頭を下げたのは……ミルカの水着のため『だけ』じゃないんでしょう? 私のため?」
「さて、どうだろうな」
ブリギッテは龍一の横顔を、ただ黙って見ていた。おそらくは今現在、地球上で最も恐れられている少年の、弱々しい横顔を。
「君はミルカへの愛情がまだまだ足りないって自分を責めていたけど、俺はもっと足りてないよ。ミルカや君へだけじゃない。アレクセイ、シュウ、王子、イナンナ、あさひやまひる、〈白狼〉……頼まなくてもくれたものを、何一つ返せてない」
「これから返していくのよ、私とあなたで」
自然と、ブリギッテは龍一の手を握っていた。
「何年かかっても。何十年かかっても。贖罪と同じ。そうでしょう?」
龍一も、そっとその手を握り返す。
「……そうだな」
夕闇の中、一歩一歩を惜しむように、二人は砂を踏み締めていく。
砂浜のずっと先で大騒ぎしている、仲間であり、家族でもある者たちの後を追って。
要するに水着回です。本格的な冬になる前に書けてよかった…(そういう問題でもない)
ゆるい話なりに工夫はしましたが、上手くいっているかどうかは読んだ人の判断に任せます。『Revenant』のあさひ・まひる姉妹がしれっと龍一たちの一味に加わっているのは、ちょっと未来の話としてお読みください。