瞬光の兄弟子は家事しかできない   作:Bestmeever

4 / 4
おかえりのある場所

 

厨房に入ると、ちょうど蒸籠から白い湯気が立ち上っているところだった。蓋を少し持ち上げて中を覗くと、丸く膨らんだ生地が綺麗に並んでいる。そろそろ蒸し上がる頃だろう。火加減を確かめていると、背後から聞き慣れた声がした。

 

「おお、兄弟子!もう来てたのか!」

 

振り返ると、潘が食材の入った籠を抱えて立っていた。

 

「おはよう、潘。今日は随分と買い込んだな」

 

「ああ!昨日いい店を見つけてな。野菜をまとめて買ったら、かなり安くしてくれたんだ。これだけあれば、しばらくは食材に困らんぞ!」

 

得意げに笑う潘から籠を受け取り、作業台の上に置く。中には青々とした葉物野菜や根菜が詰め込まれていた。どれも状態がよく、料理するには申し分ない。

 

「相変わらず買い物上手だな。これだけ揃えると結構かかるだろ?」

 

「ハハハ!そこが腕の見せ所ってやつだ!浮いた金で、今日はちょいといい肉も買えたぞ」

 

潘がもう一つの袋を持ち上げる。なるほど、朝から機嫌がいいわけだ。

 

「じゃあ、今日の昼は少し豪華にするか」

 

「おう!兄弟子も手伝ってくれるなら百人力だ!」

 

「俺は料理くらいしかできないんだから、そっちは任せろよ」

 

「何言ってる!料理だって立派な腕前じゃないか。おれも兄弟子の味付けには勉強させられることがあるんだぞ!」

 

潘はそう言って、豪快に笑った。昔は、こうして自分の得意なことを褒められるたびに、どう返せばいいのか困っていた。今でも少し照れくさいけれど、潘が本気でそう思ってくれていることは分かる。

 

俺たちは手分けして食材を片づけ、昼食の仕込みを始めた。

 

「そういえば兄弟子、そっちの蒸籠は?」

 

「ああ、チャーシューまん。昨日のうちに仕込んでおいたんだ」

 

「おお、いいな!ちょうど小腹が空いてたところだ!」

 

「それ、みんなのおやつ用だから全部食うなよ?」

 

「分かってるって!……一つくらいならいいだろう?」

 

思わず笑ってしまった。

 

「いいよ。ちょうど蒸し上がったところだし、味見してくれ」

 

蒸籠から一つ取り出して皿に乗せ、潘へ渡す。潘は熱さに気をつけながらひと口かじると、満足そうに頷いた。

 

「うん、美味い!皮もふんわりしてるし、肉の味もしっかりしてる。やっぱり兄弟子のチャーシューまんはいいな!」

 

「ありがとな。昔から作ってるから、これだけは自信あるんだ」

 

俺も一つ手に取り、味を確かめた。甘辛い肉の旨味が口いっぱいに広がる。うん、今日も上手くできている。

 

何度も作ってきた料理だけど、こうして味を確かめるたびに師匠のことを思い出す。初めて食べさせてもらった日のことも、三人で一緒に食べていた頃のことも。できることなら、もう一度あの頃みたいに、二人に食べてもらいたかった。

 

「……兄弟子?」

 

「ん?どうした?」

 

「いや、ちょいとぼんやりしてたからな。寝不足か?」

 

「そんなことないよ。昔のこと思い出してただけ」

 

「そうか。まあ、今日は仕事も多いし、無理するなよ。昼の仕込みはおれが進めとくから」

 

「ありがと。でも大丈夫だって」

 

そう返して、俺は作業台に置かれた野菜へ手を伸ばし、いつものように包丁で切り始めた。

 

右手の感覚は、相変わらず鈍い。指は問題なく動くし、目で確認すれば力加減もある程度分かる。昔から包丁を握ってきたおかげか、今のところ料理に大きな支障は出ていなかった。それでも、以前より慎重に動かさなければならないことが増えた。少し面倒だけど、慣れればどうにかなるだろう。

 

◇

 

午前中の仕込みが一段落した頃、厨房の外から声をかけられた。

 

「おい、沈衡。ちょっといいか?」

 

顔を覗かせたのは、同じ雲嶽山の門弟だった。

 

「ああ、どうした?」

 

「倉庫の荷物が届いたんだけどさ、まだ片づけが終わってないんだ。悪いけど、代わりにやってくれないか?」

 

「倉庫?今日はお前たちが担当じゃなかったっけ?」

 

「そうなんだけど、午後から修行があるからさ。お前、どうせ厨房の手伝いが終わったら暇だろ?」

 

言い方には少し棘があった。俺が返事をする前に、もう一人が廊下から顔を出す。

 

「こっちは術法の修行で忙しいんだよ。お前はそういうの得意じゃないんだし、できる方の仕事をやってくれた方が助かるだろ?」

 

そう言って笑う。別に間違ったことは言っていない。俺が修行に出たところで、あいつらほど役に立てるわけじゃない。それなら荷物を片づけておいた方が、全体としては仕事が進むだろう。

 

「分かったよ。昼の準備が終わったら行くから、荷物はそのままにしておいて」

 

「助かるわ。じゃ、頼んだぞ」

 

二人はそれだけ言うと、さっさと行ってしまった。

 

近くで話を聞いていた潘が、野菜を洗う手を止める。

 

「……兄弟子。今の連中、また仕事を押しつけてきたのか?」

 

「まあ、倉庫の片づけくらいなら大したことないし」

 

「そういう問題じゃないだろう。あいつら、最近ちょいと調子に乗りすぎじゃないか?」

 

潘の声には、普段の明るさとは違うものが混じっていた。

 

「本来あいつらの仕事なんだろう?自分の修行が忙しいからって、何でも兄弟子に任せていいわけじゃないぞ」

 

「でも、俺は修行の方じゃ役に立てないからさ。こういう時くらい手伝わないと」

 

「……まったく。兄弟子は人がいいな」

 

呆れたように言う潘へ、俺は笑ってみせた。

 

「それに、本当に困った時はちゃんと頼るから。今日はちょっと片づけてくるだけだよ」

 

「だったら、おれも手伝うぞ!」

 

「いや、昼飯はどうするんだよ。みんな腹空かせて待ってるぞ?」

 

それを聞いた潘は、厨房の方へ目を向けた。しばらく考えてから、観念したように息を吐く。

 

「……分かった。けど、あんまり無理するんじゃないぞ。終わらなかったら、ちゃんとおれを呼べよ!」

 

「了解。いざとなったら大声で呼ぶよ。昼飯、頼んだぞ」

 

そう答えて、俺は残りの仕込みを進めた。

 

◇

 

倉庫に行ってみると、思っていたより荷物が多かった。食材や日用品の入った木箱が、入口の近くにいくつも積まれている。これを全部棚に収めるとなると、少し時間がかかりそうだ。

 

「……結構あるな」

 

とりあえず軽いものから片づけよう。中身を確認し、種類ごとに分けて棚へ運んでいく。普段からやっている仕事なので、手順そのものは難しくない。ただ、右手の感覚が鈍いせいで、重いものを持つ時は少し気をつける必要があった。左手で箱の重さを確かめ、右手で底を支える。慎重に持ち上げたところで、ふと右手が滑った。

 

「おっと……!」

 

慌てて抱え直す。幸い、箱を落とさずに済んだ。中身は食器だったらしく、危うく割ってしまうところだった。

 

「……危ない危ない」

 

一度箱を床に下ろし、右手を開いてみる。指はちゃんと動く。ただ、さっき箱が滑った時も、手から離れかけていることに気づくのが少し遅れた。昔なら、こんな失敗はしなかったんだけどな。少しだけ困ったものだと思いながら、今度は持ち方を変えて箱を運んだ。

 

何度か休憩を挟み、ようやく最後の荷物を片づけた頃には、昼をだいぶ過ぎていた。腹も減ったし、そろそろ戻ろう。そう考えて倉庫を出ると、廊下の向こうから見慣れた姿が歩いてきた。

 

「あっ、沈兄!」

 

瞬光だった。俺を見つけるなり、嬉しそうに駆け寄ってくる。

 

「こんなところにいたんだ!探してたんだよ?」

 

「瞬光?今日は午後まで修行じゃなかったのか?」

 

「今日は早く終わったの。それより沈兄、もうお昼食べた?」

 

「あー……まだだな」

 

そう答えた途端、瞬光が眉を寄せた。

 

「もう!またご飯食べるの忘れてたの?」

 

「忘れてたわけじゃないよ。ちょっと片づけが長引いて……」

 

「それ、いつも言ってるじゃない。沈兄はみんなのご飯を作ってくれるのに、自分のことになると適当なんだから」

 

言いながら、瞬光は俺の手を取った。

 

「ほら、行こう!潘さんが沈兄の分を取っておいてくれてるんだから」

 

「分かった分かった。そんな引っ張らなくてもちゃんと行くって」

 

「沈兄の『ちゃんと行く』は信用できないもん」

 

そう言って、瞬光は楽しそうに笑った。

 

その手に引かれながら歩いていると、ふと昔のことを思い出す。まだ小さかった瞬光は、よく俺の後ろをついて歩いていた。少し目を離せばどこかへ行ってしまうし、転んで泣いていることもあったから、手を引いて連れ帰ったことも一度や二度じゃない。それが今では、俺の方が連れていかれている。

 

「……大きくなったなあ」

 

「え?何が?」

 

「いや、瞬光も昔は小さかったのになって」

 

「もう!いつまで子供扱いするの?」

 

不満そうに頬を膨らませる瞬光に、つい吹き出してしまった。

 

「悪い悪い。でも、俺からすれば昔から変わらないところもあるからさ」

 

「……沈兄だって、昔から変わってないところあるよ」

 

「そうか?」

 

「そうよ。ご飯作るのも、掃除するのも、誰かの世話を焼くのも大好きでしょ?でも、自分が疲れてる時はすぐ隠そうとするんだから」

 

思いがけない言葉に、少し驚いた。瞬光は前を向いたまま続ける。

 

「だから、たまにはワタシにも頼ってよね。沈兄には小さい頃からいっぱい助けてもらってるんだから」

 

「……そうだな。ありがと、瞬光」

 

素直に礼を言うと、瞬光がこちらを振り返った。

 

「ふふ、どういたしまして!」

 

その顔を見ていると、何だか昔の師匠を思い出す。誰かを支えられるように。そして、誰かに支えてもらえるように。師匠が俺の名前に込めてくれた願いは、きっとこういうことだったんだろう。

 

もっとも、今の俺には瞬光を助けられる方法がある。だから、せめて助ける側だけは、俺がやってやりたいと思ってしまう。

 

◇

 

厨房へ戻ると、潘が待ち構えていた。

 

「おお、兄弟子!やっと戻ってきたか!」

 

「悪い悪い。ちょっと時間かかっちゃって」

 

「まったくだ!瞬ちゃんが迎えに行ってくれなかったら、おれが倉庫まで乗り込むところだったぞ」

 

「潘さん、沈兄ってばまだお昼食べてなかったんだよ!」

 

「やっぱりか!ほら、飯は取ってあるから早く食え!」

 

言いながら、潘が温め直した料理を運んでくる。皿には、朝一緒に仕込んだ野菜と肉の炒め物が盛られていた。出来たてとまではいかないけれど、まだ十分温かい。

 

「ありがとう、潘」

 

「気にするな!その代わり、ちゃんと全部食べるんだぞ!」

 

俺が席に座ると、瞬光も当然のように隣へ腰を下ろした。

 

「……瞬光はもう食べたんだろ?」

 

「うん!」

 

「じゃあ、何で座ってるんだ?」

 

「沈兄とお話ししたいから!」

 

あまりにも当たり前のように言われて、思わず笑ってしまった。

 

「そっか。じゃあ、食べながらでいいか?」

 

「もちろん!」

 

箸を手に取り、料理を口へ運ぶ。うん、美味い。少し冷めても味が崩れていないあたり、さすが潘だと思う。

 

「そういえば沈兄、今朝のチャーシューまん、すっごく美味しかったよ!」

 

「食べたのか?」

 

「うん!潘さんがくれたの。皮がふわふわで、お肉も美味しかった!」

 

「そりゃよかった。最近作ってなかったから、ちょっと心配だったんだ」

 

「そんなことないよ!ワタシ、沈兄のチャーシューまん大好きだもん!」

 

そこへ、潘が横から口を挟んだ。

 

「そうだぞ兄弟子!おれなんか毎日でも食いたいくらいだ!」

 

「えへへ、でも潘さんのご飯も大好きだよ!」

 

「おお、嬉しいこと言ってくれるじゃないか!」

 

潘は気分をよくしたらしく、また厨房へ戻っていった。瞬光はその背中を見送ると、少し声を落として俺に話しかけてきた。

 

「ねえ、沈兄」

 

「ん?」

 

「今度、ワタシにも作り方教えてくれない?」

 

「チャーシューまんの?」

 

「うん!いつも食べさせてもらってばっかりだから、たまにはワタシが作ってあげたいなって」

 

意外な申し出だった。瞬光が料理に興味を持つこと自体は珍しくない。前にも潘に教わって菓子を作っていたし、手伝いを頼めば喜んで引き受けてくれる。でも、俺のために作りたいと言われるのは、やっぱり嬉しいものだ。

 

「いいよ。じゃあ今度、時間がある時に一緒に作るか」

 

「ほんと!?やった!」

 

瞬光は嬉しそうに笑ったあと、何か考えるように顎へ指を当てた。

 

「でも、沈兄の作るやつって結構難しそうだよね。ワタシにもできるかな……」

 

「最初から上手く作ろうとしなくていいんだよ。俺だって、昔は失敗ばっかりだったし」

 

「沈兄も?」

 

「そりゃそうだよ。生地が硬くなったり、具の味付けを間違えたりさ。師匠に何度も食べてもらって、ようやく今の味になったんだから」

 

「……そっか」

 

瞬光が、少しだけ表情を和らげた。

 

「儀降師伯も、沈兄のチャーシューまんが好きだったんだよね」

 

「ああ。宗主も昔はよく食べてくれたんだけどな」

 

懐かしい話をすると、瞬光は静かに頷いた。瞬光だって、師匠のことを知らないわけじゃない。幼い頃から何度も話してきたし、儀玄にとって大切な姉だったことも知っている。

 

「じゃあ、ちゃんと練習しないとね」

 

「ん?何で?」

 

「だって、沈兄が大切にしてる味なんでしょ?ワタシも上手に作れるようになりたいもの」

 

そう言って笑う瞬光を見て、少しだけ胸が温かくなった。師匠が教えてくれた味。俺が何度も練習して、ようやく作れるようになったもの。それを今度は、瞬光と一緒に作れる。

 

「……そっか。じゃあ、しっかり教えないとな」

 

「うん!よろしくね、沈兄!」

 

その返事を聞きながら、俺は残りの料理を食べ始めた。

 

◇

 

夕方。厨房の片づけを済ませたところで、宗主に声をかけられた。

 

「沈衡。少し時間はあるか?」

 

「宗主?はい、大丈夫ですけど」

 

「なら、ちょっと付き合え」

 

連れていかれたのは、庭に面した縁側だった。日が傾き始めた空を見上げながら、宗主はしばらく何も言わなかった。俺も隣に腰を下ろし、話し始めるのを待つ。やがて宗主が、こちらを見た。

 

「……腕の具合はどうだ?」

 

ああ、やっぱりその話か。

 

「前とそんなに変わりませんよ。ちょっと感覚が鈍いくらいです」

 

「その『ちょっと』が、どれほどのものなのか聞いているんだがな」

 

「……料理はちゃんとできてますよ?」

 

「料理ができるかどうかだけの話ではないだろう」

 

宗主は呆れたように息を吐いた。どうやら、誤魔化すのは難しそうだ。

 

「右手の感覚が、あんまりないんです。でも動かす分には問題ありませんし、左手は普通に使えるので」

 

「……そうか」

 

宗主はそれ以上、すぐには何も言わなかった。ただ、俺の右腕を見つめている。

 

「今日も倉庫で荷物を運んでいたそうだな」

 

「え?知ってたんですか?」

 

「潘から聞いた。大したことはないと言っていたようだが、今のお前さんが無理をしていい理由にはならん」

 

なるほど、潘が話したらしい。あいつも心配性だな。

 

「でも、倉庫の仕事はちゃんと終わりましたよ。途中で少し手間取ったくらいで」

 

「沈衡」

 

名前を呼ばれて、口を閉じた。宗主は俺の方へ身体を向け、真剣な表情で続ける。

 

「お前さんが瞬光を大切に思っていることは知っている。だが、そのために自分の身体を粗末にしていいわけではない」

 

「……はい」

 

「青溟剣の代償は、何をどれだけ奪うのかも分からんものだ。お前さんが肩代わりできる理由も、いまだにはっきりしていない。それなのに、何度も繰り返して……」

 

そこで宗主は言葉を切った。俺を見る表情が、少しだけ苦しそうになる。

 

「……私は、お前さんまで失うのは御免だ」

 

その言葉に、返事ができなかった。宗主が何を心配しているのかは、ちゃんと分かっている。師匠を失ったあの日のことも、瞬光の代償を初めて引き受けた時のことも、忘れたわけじゃない。宗主は俺の力を喜んだりしなかった。むしろ、誰よりも強く止めようとしてくれた。それでも俺は、何度も同じことを繰り返している。

 

「……すみません」

 

謝ると、宗主は小さく首を振った。

 

「謝ってほしいわけではない。お前さん自身にも、もう少し自分のことを大切にしてほしいだけだ」

 

「……はい」

 

「本当に分かっているのか?」

 

「分かってますよ、宗主」

 

そう答えると、宗主は何とも言えない表情をした。分かっていることと、その通りにすることは別だ。それはお互いに承知しているのだろう。

 

しばらくして、宗主が空を見上げる。

 

「……昔のお前さんは、もう少し遠慮がなかった気がするな」

 

「え?」

 

「姉様がいた頃だ。私のことも、呼び捨てにしていたではないか」

 

思いがけない話に、思わず口元が緩んだ。

 

「ああ、そうでしたね。儀玄って呼ぶたびに怒られてましたっけ」

 

「まったく。姉様が面白がって止めなかったからな」

 

宗主の口元にも、わずかに笑みが浮かんだ。

 

「……今は随分と行儀がよくなったものだ」

 

「そりゃ、宗主ですから。昔みたいに呼び捨てにするわけにもいかないでしょう?」

 

「私は別に構わんぞ」

 

「え?」

 

宗主は平然とした顔で続けた。

 

「山門をくぐる以上、俗世の礼儀作法にこだわる必要もなかろう。それに、お前さんは姉様の弟子だ。私からすれば、昔から知っている弟弟子のようなものだからな」

 

そんなことを言われるとは思わなかった。少し迷ってから、口を開く。

 

「……儀玄?」

 

「うむ」

 

「……何か、久しぶりですね」

 

「そうだな」

 

宗主は小さく笑った。昔と同じ顔だった。師匠がいた頃、俺が何か失敗するたびに呆れながら助けてくれた、あの頃の儀玄と同じ顔。何だか懐かしくなって、俺も笑った。

 

それから少しの間、二人で他愛もない話をした。潘がまた食材を大量に買ってきたことや、瞬光が料理を教えてほしいと言い出したこと。宗主は時々相槌を打ちながら、静かに聞いてくれた。

 

「そういえば、今日はチャーシューまんも作ったんですよ」

 

何気なくそう言うと、宗主の視線がこちらへ向いた。

 

「……そうか」

 

「瞬光が作り方を教えてほしいって言ってくれて。今度、一緒に作る予定なんです」

 

「ふむ。それはいいことだな」

 

宗主はそう答え、少しだけ目を細めた。

 

「姉様も、喜ぶだろう」

 

「……そうだといいですね」

 

俺は空を見上げた。昔、三人で食べたチャーシューまん。師匠がいなくなってから、儀玄はあれを食べなくなってしまった。でも、いつかまた食べてくれる日が来るかもしれない。それまでは、俺が作り続ければいい。

 

「宗主」

 

「なんだ?」

 

「いつか、また食べたくなったら言ってくださいね。チャーシューまん、いつでも作りますから」

 

宗主は少し驚いたようだった。けれど、すぐに穏やかな表情へ戻る。

 

「……ああ。その時は頼む」

 

それだけ答えると、宗主はゆっくり立ち上がった。

 

「さて、随分話し込んでしまったな。お前さんも、そろそろ戻るといい」

 

「はい。宗主もちゃんと夕飯食べてくださいよ?」

 

「分かっている。……お前さんも、な」

 

最後にそう言って、宗主は歩き去っていった。俺も立ち上がり、厨房へ戻ることにした。

 

◇

 

厨房へ戻る頃には、外はすっかり暗くなっていた。夕飯の時間も近い。そろそろ手伝いに入らないとな。そんなことを考えながら食堂へ入ると、ひとつの机に見慣れた姿があった。

 

瞬光だ。机に頬杖をつき、ぼんやりと窓の外を眺めている。

 

「……瞬光?」

 

声をかけると、ぱっとこちらを向いた。

 

「あっ、沈兄!やっと帰ってきた!」

 

「どうした?こんなところで」

 

「待ってたの!」

 

「俺を?」

 

「うん!一緒に夕飯食べようと思って」

 

よく見ると、机には二人分の食器が並べられていた。料理はまだ運ばれてきていないけれど、席はちゃんと空けてある。

 

「先に食べててよかったのに。俺、いつ戻るか分からなかっただろ?」

 

「でも、沈兄と一緒に食べたかったんだもん」

 

瞬光は少しだけ口を尖らせた。

 

「いつも沈兄がワタシのこと待っててくれるでしょ?だから今日は、ワタシが待ってようかなって」

 

「……そっか」

 

俺は隣の席に腰を下ろした。そういえば、誰かに待っていてもらうなんて、いつ以来だろう。普段は待つ側だから、少し不思議な気分だった。

 

「ありがとな、瞬光」

 

「えへへ、いいの。ワタシが待ちたかっただけだもん」

 

瞬光が嬉しそうに笑う。その顔を見ていると、今日一日の疲れが少し軽くなった気がした。

 

「そうだ、沈兄。明日は何する予定?」

 

「明日?いつも通り掃除して、洗濯して、飯作って……かな」

 

「もう、全部いつも通りじゃない!」

 

「だって、いつも通りなんだからしょうがないだろ」

 

瞬光は少し考えてから、机の上に身を乗り出した。

 

「じゃあ、明日はワタシも手伝う!」

 

「修行は?」

 

「午前中だけだから、午後なら空いてるよ。チャーシューまんの作り方も教えてほしいし!」

 

「そうだったな。じゃあ、昼飯を食べ終わってから一緒に作るか」

 

「約束ね!修行が終わったら、すぐ帰ってくるから!」

 

「慌てなくていいから、気をつけて帰ってこいよ」

 

「うん!」

 

瞬光は満足そうに頷くと、椅子へ座り直した。その横顔を眺めながら、俺は少しだけ明日のことを考える。

 

きっと、いつもと変わらない一日になるだろう。朝起きて、掃除をして、洗濯をして、飯を作る。瞬光は修行へ出かけて、俺は帰ってくるのを待つ。そして、帰ってきた瞬光に飯を食べさせて、またいつものように笑い合う。

 

昔の俺は、そんな生活ができるなんて思ってもいなかった。何もできなければ捨てられる。役に立たなければ、そこにいてはいけない。ずっとそう思っていたからだ。でも、師匠は違った。何もできなくても、ここにいていいと言ってくれた。儀玄も、潘も、瞬光も。みんな、俺が何かできるかどうかとは関係なく、こうして一緒にいてくれる。

 

「……沈兄?」

 

「ん?」

 

「何か嬉しそうだね」

 

瞬光が不思議そうに首を傾げる。

 

「そうか?」

 

「うん。さっきからずっと笑ってる」

 

言われて初めて気づいた。確かに、頬が緩んでいる。

 

「まあ、明日が楽しみだからかな」

 

「ふふ、ワタシも!」

 

瞬光はそう言って、嬉しそうに笑った。

 

少しして、潘が夕飯を運んできた。俺たちは並んで箸を取り、いつものように他愛もない話をしながら食事を始める。美味しいものを食べて、笑って、明日の約束をする。そんな時間が、俺は好きだった。

 

今の俺には、瞬光を助けるためにできることがある。それがいつか何を奪うのか、正直なところ分からない。でも、こうして一緒に過ごせる時間も、同じくらい大切にしたいと思っている。

 

いつもなら、俺が誰かの帰りを待っている。でも今日みたいに、誰かが俺を待っていてくれる日があってもいいのかもしれない。

 

そんなことを思いながら、俺は隣で楽しそうに食事をする瞬光を見ていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

ゼンゼロキャラとイチャイチャ純愛したり激重感情を向けられるお話(作者:dark9486)(原作:ゼンレスゾーンゼロ)

最近ゼンゼロのssとかを見てて脳にエンドルフィン(ネタ)が分泌されたので書き始めました。▼普通の純愛だったりヤンデレや共依存だったり同陣営CPとか色々書いていく次第です▼あとNL固定ですので百合とか薔薇はありません。主は男ながら腐ってるので(ゲイではない)そういうのも大好きですが苦手な方もいると思いますのでそういうのは書くつもりはないのでご了承下さい


総合評価:449/評価:7.75/連載:15話/更新日時:2026年11月01日(日) 16:02 小説情報

貞操逆転した新エリー都に住む『あなた』とエージェントのお話(作者:ぽこちー)(原作:ゼンレスゾーンゼロ)

▼貞操逆転した世界線の新エリー都で、『あなた』(無知)は生き残ることが出来るのかっ!?!?▼別投稿の新エリー都に住む『あなた』と、『あなた』の特別な人物との日常を描いた短編小説集は↓です▼https://syosetu.org/novel/398033/


総合評価:795/評価:8.96/連載:4話/更新日時:2026年11月06日(金) 00:35 小説情報

色んな人の脳を焼きすぎて重い感情を向けられてる余命僅かなホロウレイダーの終活(作者:如月トッポ)(原作:ゼンレスゾーンゼロ)

ただただカッコいい技、カッコいい武器に脳を焼かれ、それらを求め戦闘をしまくっていた厨二病の一般ホロウレイダーピーポーのオリ主君。▼だが武器の代償故に寿命が尽きそうになり……▼「そろそろ寿命尽きるんよな~」▼「………は?」▼てな感じでどこぞのプロキシのおかげもあり色んな人との繋がりがあるので終活を……、▼と思っていたが、カッコいい技で助けられたり、なんらかで脳…


総合評価:1542/評価:7.04/連載:10話/更新日時:2026年10月24日(土) 21:46 小説情報

起きたら超絶美少女が嫁になっていた件(作者:理 想 な ん か ね ぇ よ)(原作:ゼンレスゾーンゼロ)

▼タイトルのまんまです▼深夜テンションで書いたから続くかは未定▼記憶喪失のオリ主が死ぬほどゼンゼロキャラを曇らせていた話▼追記、リメイクします


総合評価:2006/評価:8.03/未完:6話/更新日時:2026年08月31日(月) 22:22 小説情報

外計局の訳あり男とロスカリファ(作者:Bestmeever)(原作:ゼンレスゾーンゼロ)

百年前に一度死んだ。▼……はずなのだが、色々あって今も普通に生きている。▼そんな俺――アステルは、現代のロスカリファでノルムーに拾われ、なんやかんやあって外務計策局、通称「外計局」で働くことになった。▼「アステル、これ買ってくるのだ!」▼「自分で行けよ」▼「拾ってもらった恩を忘れたのだ?」▼「それいつまで有効なんだよ……」▼百年前とは何もかも変わったロスカリ…


総合評価:2721/評価:8.8/連載:31話/更新日時:2026年11月03日(火) 20:05 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>