平凡だが善良な両親の下で生まれ、すくすくと育った青年、ロデウス・リード。
友人に恵まれ、師に恵まれ、職場にも恵まれた青年、法務執行官ロデウス・リード。
だが、彼には誰にも言えない、どうしても捨てられない性癖があったのだ……

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第1話

 ロデウス・リードは性癖異常者である。

 

 

 

 さりとて、ヴァルベルの宿場町は静かであった。昼過ぎの、本来なら荷馬車と呼び込みの声で埋まっている時間ではあったが、喧騒溢れるはずの通りには獣の一匹すらいはしない。

 

 

 

 代わりにあるものは目、目、目。見渡せば鎧戸の隙間からいくつもの目が表を窺っていると分かろうものである。

 

 

 

「三日で十二件」

 

 

 

 後ろを歩くリゼット・ヴァランが、紙束をめくりながら言った。

 

 

 

「強盗が四、傷害が六。器物損壊は数えきれないので一件にまとめてあります。それに監禁。領主殿の御息女については、記述が曖昧です」

 

 

 

「曖昧…?」

 

 

 

「生き残った衛兵に話を聞きましたが、前後不覚のまま。とても信頼のおける情報とは言えません」

 

 

 

 リゼットは紙束から目を上げずに歩いている。留め具でまとめた銀の髪に、執行官を示す外套。袖口には王印の刺繍。ロデウスと同じものだ。ただし彼女の外套にばかり、奇妙な膨れがあった。

 

 

 

 広場の手前で、鎧戸の一枚が細く開いた。

 

 

 

「……王都の方かね」

 

 

 

 嗄れた声は老人のものだ。

 

 

 

「勅命により参りました」

 

 

 

「あんた一人……いや、二人か」

 

 

 

 老人の残った片目が、二人の間を往復した。何か言いかけて、飲み込んだ。

 

 

 

「領主様の屋敷だ。あいつには剣が効かん。衛兵隊長のバルドが斬りかかって、刃のほうが欠けた。魔導士の先生も来たが、火があいつの前で消えちまった」

 

 

 

「拝領いたします」

 

 

 

「拝領って、あんたぁ……」

 

 

 

「情報提供感謝します。戸を閉めて、しばらくは出ないでください」

 

 

 

 疑り深い目が暫しこちらを凝視し、次いで鎧戸が閉まった。閉まる直前、老人が祈りの言葉を呟くのが聞こえた。

 

 リゼットがようやく顔を上げた。

 

 

 

「剣も魔法も効かない、ですか」

 

 

 

「そうですね」

 

 

 

「先月の北部の件と同じ類型ですね。あちらは矢を止め……いえ、時間を遅らせていたのでしたか」

 

 

 

「えぇ」

 

 

 

「では、今回はより難しく……?」

 

 

 

 リゼットは一度言葉を切り、不自然に視線の遠いロデウスの横顔を見た。面倒事の前にはよくこういう風になる男であった。そして、少し考え、言った。

 

 

 

「うーん……あっそうだ!素手はどうなんでしょうね?」

 

 

 

「御息女を拉致したのが、"そういう目的"であるのなら、肉体の接触は可能と見るべきでしょう。あるいは、意識的に対象物を切り替えられるのか」

 

 

 

「なるほど……では……もしくは、もっと別の機序で動いているのか……とかですかね……?」

 

 

「以前、敵意、害意に反応する魔術があるとは聞いたことがあります。そういった、謂わば敵対行為に反応するのかもしれません」

 

 

「とはいえ、認知に由来する属性の識別というのは……そう、非常に高度な魔術行為です!そのような教育を受けている人間がこんな辺境で暴れるとも考えにくいですし……んんん……」

 

 

 

 それきり、二人とも何も言わず歩みを進めた。

 

 広場を横切る。

 

 石畳には、乾いて黒くなった血の跡が点々と続いていた。

 

 

 

 屋敷の正面扉は内側から破られている。玄関広間の床に割れた壺と、甲冑の残骸、うつ伏せの衛兵。

 

 首筋に指を当てる。生きている。 

 

 奥の大広間から笑い声が。

 

 

 

 長卓の上座に少年。

 

 

 

 十七か十八か。黒い髪、黒い詰襟の上着。

 

 金の釦が五つ。見慣れない衣装

 

 健康状態よし。

 

 泥のついた靴。葡萄酒、直飲み。

 

 

 

 壁際に、初老の男、柱、縄縛り、布の轡。

 

 僅かに見開く目。

 

 

 

「お、やっと来た」

 

 

 

 少年が瓶を振った。

 

 

 

「国の偉い人? いいよ、話そう。俺さ、この町もらうことにしたから。代わりに魔王倒してやってもいいよ。どうせそういう流れでしょ」

 

 

 

「御息女はどちらに」

 

 

 

「上で寝てるよ。何もしてないって。まだ」

 

 

 

 リゼットが一歩前に出た。外套の内から羊皮紙を一枚抜き、広げる。小さく咳払いをした。

 

 

 

「んん……王国刑典第十四条、ならびに勅令第二百八号に基づき、法務執行官リゼット・ヴァランが告知します」

 

 

 

 普段の声ではない。低く、澄んで、一語一語を舌の上で転がす。白い頬にうっすらと血の色がのぼっている。

 

 

 

「被疑者、氏名不詳。罪状。第三十二条、強盗。第三十二条、強盗。第三十二条、強盗。第三十二条……強盗」

 

 

 

「なにそれ」

 

 

 

「第四十条、傷害。同条、傷害。同条……」

 

 

 

 リゼットの呼吸が浅くなっていく。羊皮紙を持つ指先がかすかに震えている。少年は呆れたように眉を上げ、それからロデウスに目を向けた。

 

 

 

「この人、大丈夫?」

 

 

 

「お気になさらず、彼女には必要な手順です」

 

 

「ハ?」

 

 

 

「第五十一条、私人の不法な拘束。被拘束者、ヴァルベル領子爵ヘルマン・グラーツ。第五十一条の二、加重事由として公職者への……」

 

 

 

「長いって!」

 

 

 

 少年が立ち上がった。靴底が卓を蹴り、長卓が床の上を摩擦を感じさせぬ不自然な動きで、滑って壁に激突した。葡萄酒の瓶と燭台が宙を舞うが、一滴の酒も蝋も落とすことなく床へ落ちた。

 

 

 

「まだ途中です!」

 

 

 

「知らねえよ!」

 

 

 

 少年の姿が消えた。

 

 次の瞬間には、リゼットの目の前にいた。振りかぶった拳が彼女の顔面へ向かう。

 

 その手首を、ロデウスが掴んでいた。

 

 

 

「い、い、今の行動は抵抗行為として認識します、よろしいですか!」

 

 

 

 リゼットは言った。羊皮紙を巻き直し、外套の内へしまう。

 

 

 

「…………で、では、職務規定に基づき、現時点以降の執行は、ロデウス執行官の裁量に委ねます!」

 

 

 

 掴んだ手首を捻り、少年を広間の中央へ放つ。少年は空中で体勢を立て直し、踵で床を削りながら着地した。不自然な動き、一方で顔には驚きが浮かんでいた。

 

 

 

「……へえ。あんた、強いじゃん」

 

 

 

 ロデウスは剣を抜いた。

 

 踏み込みは一歩。距離が消える。刃は少年の首筋を正確に捉え——しかし、その柔肌を切り裂くことなく止まった。

 

 

 

 押し留められたのではない。

 

 ただ、柔らかい獣肝にも思える何かに触れ、刃が途端に勢いを失い、それ以上どこへも進まなかった。手応えもない。見えもしない。

 

 

 肉の手応えも、骨の手応えも、何も。

 

 

 

「だから効かないって」

 

 

 

 笑い、拳を振るう。ロデウスは剣の腹でそれを受け、受けた衝撃で三歩後ずさった。

 

 両腕が痺れている。体躯に見合わぬ重さ。

 

 報告書の通り、衛兵の兜を素手で潰したというのは誇張ではないようだった。

 

 

 

 二合、三合。ロデウスの剣は少年の肩を、脇腹を、膝裏を打ち、七度少年を殺しかけ、そのたびに止まった。拳は空を切り、壁を砕き、柱を折った。天井から漆喰が降る。縛られた領主が呻く。

 

 

 

「無駄無駄無駄!わかんないかなァ?俺、そういうふうになってんの!神様に教えてもらったもんねぇ」

 

 

 

 剣を見下ろした。刃こぼれひとつない。少年の体にも、傷ひとつない。奇妙だ。

 

 

 

 予想はできていた。

 

 しかし、気色が悪かった。

 

 

 

 剣を鞘に納める。

 

 

 

「お、降参?」

 

 

 

 ロデウスは答えなかった。剣帯の留め金を外し、鞘ごと後ろへ放る。わ!と声を上げたリゼットが片手でそれを受け止めた。

 

 

 

 外套を脱ぎ、それも放る。リゼットが受け止めた。

 

 肌着一枚の下に鍛え上げられた筋肉が覗く。

 

 その手が、少しだけ震えていた。

 

 

 

「……お。素手で来んの?剣も効かないのに?バカ?バカだろ?」

 

 

 

「報告と、そして予想の範疇ではありました」

 

 

 

「は?」

 

 

 

「つまり、次に必要になるのは実証と、そうでしょう?」

 

 

 

 そのままに、踏み込んだ。

 

 少年は笑ったまま、避けもしなかった。

 

 

 

 拳が頬に入る。

 

 音がした。

 

 肉と骨の、湿った、重い。少年の首が横に九十度折れ曲がり、体ごと床から浮いて、広間の端まで転がっていった。

 

 

 

 ロデウスは拳を突き出したまま、動かなかった。

 

 拳から伝わった悦楽が、手首を通り、肘を抜け、肩から背骨を駆け上がった。喉の奥から何かが漏れそうになって、堪えた。

 

 

 

「……っ、え」

 

 

 

 床に転がった少年が、頬を押さえて体を起こした。口の端から血が垂れている。指先についたそれを見て、目を見開いた。

 

 

 

「いてえ」

 

 

 

 信じられないものを見る目だった。

 

 

 

「いてえ……なんで。なんで痛いんだよ。俺、そういうふうに……」

 

 

 

「抵抗をやめてください」

 

 

 

「ふざけんな!」

 

 

 

 少年が跳んだ。さっきより速い。爪先が唸りを上げて顔面に迫り、しかしロデウスはそれを紙一重で躱しながら、少年の腹に重々しい拳を埋めた。

 

 少年の体が折れ曲がる、苦痛が全身を満たす。背骨を幸福が駆け上がる。

 

 

 

「抵抗を」

 

 

 

 少年が呻きながら拳を裏側に振る。

 

 その顎を打ち上げる。

 

 

 

「抵抗をやめてください」

 

 

 

 蹴りが来た。

 

 脛を打ち払い、膝に肘を合わせ、叩き割る。

 

 

 

「抵抗を、」

 

 

 

 少年が床に崩れた。

 

 その背を踏みつけ、床が崩れる。

 

 

 

 僅かに見上げる少年の顔は、片目が腫れ上がって塞がっていた。広場の手前で会った、あの老人と同じ顔だった。

 

 

 

「クソ……」

 

 

 

 少年が、血の泡を吐きながら言った。

 

 

 

「こんなのおかしい……!なんなんだお前ェ……!俺は…、無敵だぞ……!」

 

 

 

「抵抗を」

 

 ロデウスは答えた。

 

「続けてください」

 

 

 

 拳を振り上げる。

 

 重い音がする。

 

 腿が砕けたか、外れたか。

 

 

 

「わかった! やめる、やめるって! もうしない、抵抗しない、だから……」

 

 

「続けてください」

 

 

 

 肩が外れ、耳が削げ、血反吐が床を汚す。

 

 生誕を祝われる幼子のように、はしゃいでいる己がわかる。

 

  

 

「……ウス」

 

 

 

 少年の、指一本。

 

 鄙びた納屋の戸のように凹み、崩れ、その度に筆舌しがたい法悦が、全身を満たす。

 

 

「ロデウス!」

 

 

 何度も、何度も、何度も。

 

 打ち下ろし、打ち下ろし、打ち下ろし、打ち下ろし、振り下ろし、踏みつけ、踏みつけ、踏みつけ、振り下ろし、砕き、その度に、その度に、その度に、何度も、何度も、何度も、

 

 

「いけません!ロデウス!」

 

 

 

 拳が震えていた。肩も、背中も、膝も震えていた。振り上げた拳は、そこにある肉と骨の感触を求めて、ほんのわずかずつ前へ進もうとしていた。ロデウスは、それを、全身の力で引き戻していた。

 

 

「死んでしまいます……」

 

 

 

 リゼットの声を聞くだけで、永遠にも思える長い時間が過ぎた。本当は三つ数えるほどだったのに。

 

 とにかく、彼は拳を下ろした。

 

 

 

「対象の無力化を確認しました」

 

 

 

 背後で、リゼットが言う。

 

 

 

「拘束に移ります」

 

 

 

 結局、領主の娘は、二階の寝室で、扉に家具を積み上げて閉じこもっていた。リゼットが扉越しにしばらく話しかけ、それでようやく家具がどかされた。毛布にくるまった娘は、リゼットの外套の袖を掴んだまま離さなかった。

 

 

 

 少年は、封呪の枷を首と、両腕に嵌め、玄関広間の柱に繋がれた。剣も魔法も効かない体に、枷の封呪が効くのかはわからない。転送は翌朝になる、それまで大人しくしているだろうか。

 

 ただ、少年はもう暴れなかった。膝を抱え、腫れた顔を伏せて、ときどき何か呟いていた。

 

 

 

 かえりたい、と言っているようだった。 

 

 どこへ、かはその場の誰にもわからなかった。

 

 

 

 屋敷の裏手の井戸から釣瓶で水を汲み、両手を浸す。 

 

 拳の皮が剥けて、指の付け根から血が溢れていたようだった。少年の血か、自分の血か。最早分からない。

 

 

 

 澄んだ水は一瞬で赤く濁り、どんよりと光を通さなくなったように見えた。

 

 

 

 足音がして振り向けば、リゼットが井戸の縁に腰を下ろしていた。側に外套と剣を抱えている。

 

 

「御息女は無事です。何もされていませんでした。本当ですよ。本当に、まだ何も。変な話です」

 

 

 

「そうでしたか」

 

 

 

「領主殿も、肋が少しだけ。命に別状はありません」

 

  

 

 リゼットは剣と外套を井戸の縁に置き、しばらく、男の様子を見ていた。血を洗い落とした後の拳を釣瓶に浸しては、澄んだ水を眺め、もう一度汲み直し、もう一度繰り返す。その奇妙な動きを見ていた。

 

 

 

「笑っていましたよ」

 

 

 

「…………」

 

 

 

「………十一度」

 

 

 

「……何が」

 

 

 

「貴方が抵抗を促した回数です」

 

 

 

 水から手を上げた。皮の剥けた自らの拳を、じっと見つめていた。

 

 

 

「……途中から、彼は明らかに戦意を喪失したように思えます。それを私は……必要はあったと思いますか」

 

 

 

「法的には」

 

 

 

 リゼットは少し考えた。

 

 

 

「すべて過剰であったと立証するのは困難でしょう」

 

 

 

「…………法的には」

 

 

 ならば、人道では?

 

 

 

「私は法の話しかできません」

 

 

 

 リゼットは膝の上で指を組んだ。

 

 

「しかし……そうですね。今回の対象が、悪意を伴う行為に対して何らかの……おそらくは神秘的……防御?を保持していたことを考えると……んんん……無力化には、貴方が必要であったと、私はそう判断します」

 

 

 それに、彼女は付け加えた。

 

 

「実は私も……罪状を読み上げきれませんでした。対象への十分な告知と言えるのか自信がありません。伝達不十分だったかも……」

 

 

 

「それは、申し訳ない」

 

 

「あなたが謝ることではありません!法とは人獣を分かつものです!ならば、法に則っている限り、我々は良心に従う善良な人間です。あぁ、しかし、私はぁ……」

 

 

 

 よよよ、と力なくうなだれるリゼットを見て、ロデウスは、少しだけ息を吐いた。

 

 笑ったのかもしれなかった。

 

 

 

 蹄の音が近づいてきたのは、その暫く後だった。

 

 屋敷の正面に、一騎の伝令が駆け込んでくる。馬は泡を吹いていた。伝令は鞍から転げ落ちるように降り、王印の封蝋がされた書簡を差し出した。

 

 

 

「法務執行官、リード殿、ヴァラン殿でいらっしゃいますか!」

 

 

 

 リゼットが受け取り、封を切った。目を走らせる。一度、二度。

 

 表情は変わらなかった。ただ、紙を持つ指に、わずかに力がこもった。

 

 

 

「東部国境。ヴェルデ砦が、昨夜陥落したそうです」

 

 

 

「魔王軍……」

 

 

 

「はい。全執行官に招集が任ぜられています。共に、明朝までにエルムスへ、と」

 

 

 

 ロデウスは井戸の縁から剣を取り、剣帯を締めた。外套を羽織る。袖口の王印の刺繍に、指先の血がわずかに滲んだように思えた。何度も何度も繰り返し、赤黒く染まって見える、金糸のままの刺繍が。

 

 

 

「向こうには」

 

 

 

 リゼットが書簡を畳みながら言った。

 

 

 

「暴力があるのでしょうね。たくさん」

 

 

 

 答えなかった。

 

 右の拳を握り、開き、また握る。

 

 皮が剥けて見える指の付け根が、鈍く痛んだ。

 

 

 

 傷など付いていないのに。

 

 痛むのは、何故なのだろう。

 

 

 ロデウス・リードは性癖異常者である。


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