美鈴視点の夢のお話。
Syng Up!の三人の話、もっと読みたいですね。
一話完結です。
夢か現か。
眠りの中で見る夢を夢だと気づくことが多くなり、わたしはその境を軽々と行き来して、もはや分ける必要などないのではと。まりちゃんがりんちゃんに初星学園に戻るよう泣きついたあの日からそう思うようになった気がしています。約束した夢が少しずつ現実になっていくような。現実が夢へと導かれる合図のような。そんなふわふわした今の中を、わたしはいつものように眠ったり目を覚ましたりして刻んで生きている気がしています。夢へ向かう手探りの道を確かに進んでいる実感は、目印になってくれるものですから。
しとしと。ぽつぽつ。かんかん。かたかた。ことこと。こつこつ。
実家の和室。畳の上に正座してしばらく瞼を閉じ、午後から降り続いている雨の音に意識を向けると、様々な音色になってわたしの耳に届いてきます。
本当はこのままゆっくり眠りたいのですが、なぜか今は思考が巡ってやまないようです。まりちゃんはどこかで濡れていないでしょうか。今日の夕飯は何にしましょうか。明日は洗濯物を干せるでしょうか。
こんこん。ぴちゃぴちゃ。とつとつ。ぷつぷつ。
ただでさえ脈絡の無い考え事の間にすら飛び込んでくる雨音。そんな雨音を赤子のようなオノマトペを使って表すことは簡単なのでしょうけど、本当の雨の音はどんな言葉を使っても表すことはできないのではないでしょうか。まだ共有できていない言葉や表現があるのかもしれないと思うと、とても不思議に思います。
集中する意識を雨音から思考に移すと雨音は遠ざかり、なんだか記憶が蘇ってくるようです。雨のバス停にまりちゃんがいた時のこと。初めて出会った時のことまで。
頭に浮かんでくることが取り留めもなく散らかり、わたしを忙しくさせますが、不思議と心が落ち着く感覚があり、過去の記憶へと遡っていきます。
Syng Up! が結成する前か、後か。まりちゃんが「トップアイドルになる」と豪語して初星学園を指差したあの日の約束。結局あの言葉の真意を三者三様、誰一人同じに受け取ることができなかったわけですが。それでもお互いを意識して光とするように進んでこられたのは、とても不思議なことだとあらためて思うのです。
しとしと。ぽつぽつ。かんかん。かたかた。ことこと。こつこつ。トントン。シューシュー。ザクザク。
瞼を閉じてしばらく一人佇む畳の部屋を、ずっと満たすように思えた雨音が遠ざかり、ぼんやりと形を変えていく。そうして少しずつ音の輪郭がはっきりしてきました。
あぁ。やはりこれは夢、ですか。
夢の中でもこれだけ穏やかに過ごしているなんて、わたしも随分と怠け癖が板についてきたものですね。
いつからか、完全ではありませんが明晰夢というものをわたしは頻繁に認識するようになっていて、「あぁ、これは夢かもしれない」と思いながら夢を見たりすることが増えています。もちろん、夢をコントロールできたりはしないのですが、わたしの望む出来事が夢に反映されて、目が覚めた後は嬉しい気持ちになって目覚めるのです。
どうやらわたしはベッドの中で横になっていたようで、部屋の中には朝日が満ちてすっかり明るくなっています。ゆっくりと瞼を開けると、先程まで雨音だった多彩な音は台所から聞こえてくるようでした。わたしが寝ているベッドがあるリビングから玄関へと繋がる廊下のスペースは台所を兼ねています。なので台所を使う音はリビングまで聞こえますし、この相部屋でわたし以外にこの部屋で台所を使う可能性のある人といえばまりちゃんしかいません。まだその姿をこの目で捉えることができず、台所からは調理をしている音が軽快なリズムを奏でているようです。それはつまり、もしかして……。
「まり、ちゃん……?」
わたしは起きたばかりのいつもより掠れた声で名前を呼んでみました。
どうやらわたしの声は台所にいる誰かには届かないようです。
ことこと。お鍋の中のお湯が泡立ちスープが煮立つ音。かたかた。沸騰するやかんの蓋が上昇気流で震える音。ざくざく。まな板の上に横たわるほうれん草の束を包丁で軽快に切り分ける音。
「まりちゃん?」
ベッドから身を乗り出すようにして、次はさっきよりも大きな声で。まりちゃんであってほしい。そんな祈るような呼び声を。
あのまりちゃんが。朝も弱くて、細かな作業が苦手で、ほとんど料理などしたことないまりちゃんが。わたしの目の前で朝ごはんを作っている。
わたしの知らない間に……わたしの知らないまりちゃんがそこにいるかもしれない。
今わたしの目の前に事実として降り注ぐ大量の生活音の滝の向こう側。その先に手を伸ばして現実を覗いてしまったら、わたしはもっと夢を見てしまうのだと。より一層落ち着かなくなりそうです。
まりちゃんの手綱を握っているのはわたしだけなのに、と。その鳥が飛び立ち青い空に溶けても、せめてわたしだけはその行方を見届けていたい。遠くに行かないで、と。
そうしたらわたしは、また歩き始めなければいけなくなるのです。まりちゃんと共に過ごしながらまりちゃんを追う。この日常が壊れてしまうかもしれない可能性を生みながら。
そんな薄氷を踏むような危うい視界の先から、誰かがわたしの名前を呼びました。
「あぁ、美鈴。おはよ。起きたんだ」
まぁ。ふふっ。
低いトーンでぶっきらぼうに放つ言葉。その調子は相変わらず、ですね。
台所に立つその人がまりちゃんだったこと。ふとこちらに顔を覗かせた時、まりちゃんの髪には一つも寝癖がついていなかったこと。料理は焦がしていませんか。包丁で指は切っていませんか。未だに気を配る一つ一つ。その日常が何の障壁もなくこれからも続いていくこと。
腰にエプロンを巻いた見慣れない格好のまりちゃんがそこにいて、わたしの知らない音を立てて、不器用で慣れないと思っていた手料理を作っていること。その現実が生活の一部になって身を寄せ合えるほど小さな部屋の中で確かな永遠を作っているのかもしれないと思えた時、わたしの先程までの罪深い感情は影を潜め、安堵したのでした。
「おはようございます。しじみのお味噌汁ですか」
いつのまにかわたしはまりちゃんのそばへ近づいて手料理を眺め始めます。
「何。苦手だった?」
「いいえ。あたたかそうです」
ことこと。かたかた。ざくざく。
「味にも自信あるんだから」
「楽しみにしています」
ざーざー。トントン。シューシュー。
料理の合間に洗い物を済ませるほどの手際の良さまで。わたしはその様子を見ることが嬉しくて、嬉しくて。嬉しくて。でも、本当は嫌で嫌で仕方のない気持ちも抱いているのです。
まりちゃんにとってのりんちゃんが太陽であるように、わたしにとってのまりちゃんも、それはとてもとても目が離せないのですよ?
昔、一緒にライブを見た日の帰り道。まるで寝起きのように呆然と遠くを見て歩くまりちゃんの手を引いて歩いたのはわたしなのですよ。そして夢まで誓わせたのですから、目の届くところにいてもらわなければ困ります。
本当に太陽を目指して偽物の翼を溶かして落ちたり、自分だけの星を目指して燃え尽きてしまっては、わたしたちのこれからは無くなってしまうんですよ。それは絶対に避けたいのです。
だからずっと、この相部屋で永遠の夢を見ていてください。覚めるのが惜しい。そんな夢を、わたしのそばで。
愚かな夢想を唱えながらまりちゃんに触れようと手を伸ばすわたしは、まりちゃんが作り終えた手料理に気が付きませんでした。いつのまにかまりちゃんはエプロンを外していて、わたしもテーブルの前に座り、綺麗に並べられた料理からふんわりと湯気が立っています。
「どう? 月村手毬の朝ごはんは」
自信満々な声音に潜む気持ちを汲み取り、わたしはいつものように。
「ええ。上出来だと思います」
「あっそ。その上から目線、いい加減やめたら」
「やめません」
まりちゃんが前を進むための向上心を煽るのも、その火を消すのも。そのための言葉を知っているのはわたしなのですから。
テーブルを挟み向かい合うわたしとまりちゃんは手を合わせます。
『いただきます』
「いただきます」
今さっきまで唱えていた言葉がふいにわたしの口から漏れ出していた。同時にわたしは瞼を開きました。目の前にあった朝ごはんは瞬時に消え、どれだけ瞳を動かして目を凝らしても和室の景色が広がっているだけでした。
あら、まぁ。
今のが本当の夢、だったようですね。
まりちゃんの手料理、食べてみたかったのに。残念です。
どちらが夢でどちらが現実だったのか、その答えがたった今の目覚めでわかってしまいました。
あれはわたしの望みだったのでしょうか。
ゆらゆらした現実感の中、脚が痛くなるのを感じます。畳の上で正座していた脚への痛みが徐々に訪れて、わたしは脚を崩そうか迷いましたが、もう少しこうしていようと思いました。
窓の向こうで降り続いていた雨は弱まっているようで。屋根から滴る雫がぽたりぽたりと地面を叩いています。
遠い過去とありもしない未来を旅するような夢を見ることができる今。果たしてわたしは今、夢に近づいているのでしょうか。
わたしのペースが乱されないこの平穏な一日を、明日、明後日、毎月、毎年と繰り返した先で、わたしは月村手毬に見合う人になれているでしょうか。
リリリリ。リリリリ。
スマホに着信が……あら。
見慣れた文字が液晶に表示され、わたしは画面をスワイプしました。
「どうかしましたか?」
「みすずぅ……」
着信を寄越したまりちゃんの子供のような甘い声が耳元をくすぐって、わたしはまたため息を漏らしたくなりました。
「迎えに……来て」
「はぁ。わたしは今実家にいます。まりちゃんのところへは行けません。そちらはまだ大雨ですか?」
「なっ……! じゃあどうすれば……」
「止むのを待つか、他に迎えを呼べる人はいますか?」
「いない……」
「じゃあ止むのを待つしかありませんね。予報は見なかったのですか」
「見たよっ! でも……今朝の予報が外れたのっ!」
さっきまでの機嫌とはころっと変わって金切り声をあげるまりちゃんの仕草がありありと目に浮かびます。
「では、雨が止むまではまた一時休戦ということで」
「……うん」
このやり取りを何度行ったのでしょう。それがまた憎くも愛おしいのですが。
「はぁ。こんなに休戦が続くと、あまり前に進まないのではないですか」
「だって、仕方ないじゃない。たまにはそんな日があったって……」
「あら。そんなに怠惰でいいんです?」
休戦とはいえいつもの態度が言葉に出てしまいます。
「……む、美鈴はいつもわかっててそんな言い方」
だって、わがままにもなります。
「まりちゃん。わたしは望んでいるんです」
「え?」
「この先もまりちゃんと並んで進むことを」
「そんなの、当たり前じゃない」
わたしは言葉に力を込めて放つ。
「ええ、そうです。わたしの目が届くところで無理をしていてください」
電話越しでもまりちゃんの強い瞳が浮かぶ。
「こっちだって、美鈴が私を視界に入れてずっと見ていてくれないと困るんだから」
一見すると互いを思いやることのない高慢なやり取りも、喧嘩しているように見える言葉の応酬も。わたしとまりちゃんにはその意味がすべて通じている。そしてりんちゃんにも。Syng Up! の三人で獲得したこの共通言語をこれからも用いていくのです。
いつか、三人がそれぞれに描き導かれてきた「夢」という音色を歌い上げるでしょう。わたしたちだけが同調し通じ合う「夢」というオノマトペを。