その名は、ウサラート。
黒髪に長い兎耳を持ち、語尾にはいつも「ぴょん」が付く、少しお茶目な少女。
そんな隊長を支えるのは、青髪の少女・信子。土佐弁を話す彼女は、坂本龍馬の妹であり、ウサラートの隊の副長でもある。
そして、二人のそばには黒い兎の黒兎吉と、白猫の総季。
雨の日の縁側でのんびり過ごしたり、些細なことで言い合いになったり、ときには思いがけない騒動に巻き込まれたり。
激動の幕末を背景に、個性豊かな仲間たちが繰り広げる、笑いあり、優しさあり、ちょっぴり切なさもある物語。
一話完結を基本としているので、どのお話からでもお楽しみいただけます。
兎耳隊長と仲間たちの、少し不思議な新選組日和。
※本シリーズは、新選組や歴史上の人物をモチーフにした「風ゆらり」のオリジナル歴史ファンタジーです。史実とは異なる設定や展開が含まれます。
一、黄昏の瓦屋根にて
京の空が、ゆっくりと茜色に染まっていた。
西の山並みに沈みかけた夕陽が、幾重にも重なる瓦屋根を赤く照らし、鴨川の水面には、揺れる黄金の帯が伸びている。東山の稜線は淡い紫に霞み、遠くの寺からは、暮れ六つを告げる鐘の音が響いてきた。
昼間の喧騒も、次第に遠ざかっていく。
魚屋が店先の桶を片づけ、豆腐屋の主人が暖簾を下ろす。路地からは夕餉の支度をする煙が細く立ち上り、炊きたての飯の匂いが風に乗って運ばれてきた。
そんな京の町を一望できる、とある屋敷の瓦屋根。
そこに、二人の少女が並んで腰を下ろしていた。
「信子、そろそろ戻るぴょん」
黒髪を夕風になびかせながら、ウサラートが言った。
頭上に伸びる長い黒兎の耳が、風に合わせてぴくりと動く。浅葱色の羽織には、新選組の誇りを示す『誠』の一文字。その姿だけを見れば、いかにも凛々しい隊長である。
ただし、今の彼女には、ひとつ重大な問題があった。
動けないのである。
正確には、動こうと思えば動ける。しかし、どうしても動きたくない事情があった。
膝の上では、真っ白な猫の総季が、気持ちよさそうに丸くなって眠っている。その脇には黒兎吉がぴたりと寄り添い、羽織の裾を敷物代わりにしていた。
二匹とも、実に幸せそうな寝顔である。
隊長の威厳を守るべきか。それとも、この小さな平和を守るべきか。
ウサラートは先ほどから、その難題と静かに戦っていた。
「それ、聞くのは三度目ぜよ」
隣に座る信子が、呆れたように答えた。
夕陽に照らされた長い青髪が、柔らかな風を受けて揺れる。彼女は新選組の副長であり、隊長のウサラートとは日頃から行動を共にしている。
手に持った湯呑みを傾けてみるが、中身はとうに空だった。
「一度目は豆腐屋の様子を見る言うて、二度目は橋の見張りが必要じゃ言うた。今度は何を確認するが?」
「……京全体だぴょん」
「ずいぶん広うなったねえ」
「隊長たるもの、町の安全を確かめる責任があるぴょん」
「そりゃあ立派な心掛けじゃ」
信子は大きく頷いた。
「ほいたら、まず立ってみい」
「…………」
ウサラートの耳が、ぴんと立った。
彼女は膝の上をちらりと見た。
総季は眠っている。
黒兎吉も眠っている。
どちらも、起きる気配はまったくない。
「……今は監視に適した位置を確保しているぴょん」
「動けんがやろ」
「動かないだけだぴょん」
「ほいたら、立ってみい」
「……信子は、もう少し隊長を信用するべきだぴょん」
「信用しちゅうき、立て言うがよ」
ウサラートは小さく咳払いをした。
それから、いかにも立ち上がろうとしているように、片手を瓦へついた。
その瞬間、総季の白い耳がぴくりと動いた。
ウサラートの動きが止まる。
しばらく考えた末、彼女は瓦についた手を持ち上げ、自分の袖口を丁寧に整えた。
「今、立とうとしたろ?」
「袖が乱れていたぴょん」
「そうかえ」
「身だしなみは大事だぴょん」
「そりゃあ、まっこと大事なことじゃねえ」
信子がくすくす笑う。
その笑い声に、黒兎吉が薄く目を開いた。
黒い瞳で二人を見比べ、何かを悟ったように小さく鼻を鳴らす。
そして、何事もなかったように再び目を閉じた。
「ほら、黒兎吉にも見抜かれちゅう」
「信頼されている証拠だぴょん」
「便利な言葉じゃねえ」
信子は笑いながら、膝を抱えた。
足元の町では、帰り支度を始める人々の姿が見える。夕陽を背にした商人が荷を担ぎ、店先では母親が子どもの手を引いている。
暮らしの営みが、いつものように続いていた。
「……えい眺めじゃねえ」
信子がぽつりと呟く。
「そうだぴょん」
「下を歩いちょると気づかんけんど、屋根の上からじゃと、京は思うたより広い」
「広いから、見回りが大変だぴょん」
「今日はずいぶん熱心な見回りじゃねえ」
「当然だぴょん」
「その割には、さっきから一歩も動いちょらんけんど」
「ここが重要な監視地点だぴょん」
信子は再び、ウサラートの膝に目を落とした。
総季が寝返りを打ち、黒兎吉の背中へ前足を乗せる。
黒兎吉は少しだけ耳を動かしたものの、嫌がる様子もなく、そのまま眠り続けた。
「なるほど。確かに、守らんといかんものがあるねえ」
「……分かればいいぴょん」
ウサラートは満足そうに頷いた。
その横顔を見て、信子はまた少し笑った。
二、夕暮れの小さな騒動
不意に、通りから甲高い声が響いた。
「あっ、待って!」
二人の視線が、ほとんど同時に動く。
細い路地から飛び出してきたのは、まだ幼い子どもだった。
手にしていた手拭いを風にさらわれたらしく、夕暮れの道をひらひらと舞う布を懸命に追いかけている。
ところが、その先の角から、大きな荷を積んだ大八車が姿を現そうとしていた。
「信子、角だぴょん」
「見えちゅう!」
信子は素早く身を乗り出した。
「そこの荷車! ちっと待って!」
屋根の上から響いた声に、車を引いていた男が驚いて顔を上げる。
「なんでえ?」
「子どもがおる! 止まって!」
男は慌てて足を踏ん張った。
ぎぎっ、と車輪が軋む。
大八車が止まった直後、角から子どもが飛び出してきた。
手拭いは風に押され、ちょうど車輪の前へ落ちる。
子どもがそれを拾おうとしたところで、男の大きな手が先に伸びた。
「おっと、危ねえぞ」
男は手拭いを拾い上げ、子どもの頭にぽんと載せた。
「ほれ。物を追いかけるときは、前も見なきゃいけねえ」
子どもは目を丸くしたまま、こくこくと頷いた。
少し遅れて、母親が路地から駆け出してくる。
青ざめた顔で子どもを抱き寄せると、男に何度も頭を下げた。
「申し訳ありません! 本当に、ありがとうございました!」
「いやいや。無事ならいいさ」
男は照れくさそうに笑い、再び大八車の取っ手を握った。
屋根の上では、信子がようやく息を吐いていた。
「……危なかったねえ」
「そうだぴょん」
隣を見る。
そこには、先ほどまで一歩も動けないと主張していた隊長の姿があった。
ただし、今は腰を浮かせている。
片腕を総季の下へ差し入れ、もう一方の手で黒兎吉を抱えようとしていた。
何かあれば、すぐにでも動くつもりだったのだろう。
信子は片眉を上げた。
「……立てるがやね」
「必要なときは立つぴょん」
「二匹とも抱えて、下まで行くつもりじゃった?」
「置いていったら、後をついてくるかもしれないぴょん」
「そりゃあ、荷が多いねえ」
「隊長とは、そういうものだぴょん」
ウサラートは当然のように答え、再び腰を下ろした。
すると総季が、不満そうに前足を大きく伸ばした。
せっかくの寝床を動かされたことが気に入らないらしい。
「……すまなかったぴょん」
小さな声で謝り、白い背中をそっと撫でる。
黒兎吉は羽織の皺を鼻先で押し返し、元の場所へ収まった。
まるで何事もなかったかのような二匹の様子に、信子は思わず吹き出した。
「うちらより、よっぽど落ち着いちゅうねえ」
「頼もしい隊員だぴょん」
「そうじゃねえ。これじゃあ、隊長も頭が上がらんろう」
そのときだった。
通りで母親に手を引かれていた子どもが、ふと屋根の上を見上げた。
「あっ!」
小さな指が、まっすぐ二人を指す。
母親も顔を上げた。
浅葱色の羽織をまとった少女が二人。
そのうちの一人には、頭から長い黒い兎耳が生えている。
子どもは目を輝かせ、母親の袖をぐいぐい引っ張った。
信子が小さく手を振る。
すると子どもは、今度は両手を大きく振り返した。
「元気な子じゃねえ」
「そうだぴょん」
ところが、子どもはそれだけでは満足しなかった。
母親に何かを話し始めると、両手を頭の脇へ持ち上げる。
指先をぴんと伸ばし、何度もぴょんぴょん跳ねてみせた。
その仕草を見た信子が、口元を押さえる。
「……隊長」
「なんだぴょん」
「あの子、隊長の真似をしゆう」
「立派な隊長だと思ったんだぴょん」
「いや、耳の真似じゃろ」
「耳も立派だぴょん」
子どもはますます楽しそうに跳ね始めた。
母親が慌てて手を引くものの、振り返っては頭の上に手を立てている。
「ぴょん、ぴょん!」
遠くから、そんな声まで聞こえてきた。
信子はとうとう堪えきれず、声を上げて笑った。
「はははっ! こりゃあ、えい宣伝になったねえ!」
「新選組の宣伝だぴょん」
「兎の宣伝じゃと思うけんど」
「新選組の兎だから、同じだぴょん」
「そういうことにしちょこうか」
二人が見守るなか、親子は賑やかな通りへ消えていった。
最後まで手を振っていた子どもの姿が見えなくなると、信子は静かに微笑んだ。
「……無事でよかった」
「うん」
その一言だけは、ウサラートも語尾を忘れて答えた。
やがて、柔らかな風が吹いた。
総季の白い毛並みが揺れ、黒兎吉の長い耳が、夕陽を透かして小さく動く。
ウサラートは二匹が落ち着いているのを確かめると、再び町へ視線を向けた。
先ほどの騒ぎなどなかったかのように、人々はそれぞれの道を歩いている。
荷車の男はゆっくりと車を引き、魚屋の主人は戸締まりを始めていた。
何でもない、いつもの夕暮れ。
けれど、今の二人には、その何でもない景色が少しだけ違って見えた。
三、帰る場所
「ねえ、ウサラート」
「なんだぴょん」
信子は空になった湯呑みを両手で包みながら、町を見下ろした。
「下を歩いちょると、みんな急いじゅうように見えるがよ」
「そうだぴょん」
「そこをどけ、早うせい、何をしゆう……そんな声ばっかり聞こえてくるき」
「信子もよく言うぴょん」
「誰かさんが団子屋の前で立ち止まるきじゃ」
「美味しい団子を見逃すのは、もったいないぴょん」
「一軒目で食べたあと、二軒目でも同じことを言いよったろう」
「味の違いを確かめる必要があるぴょん」
「三軒目は?」
「念のためだぴょん」
信子は笑いながら首を横に振った。
それから、少しだけ声を落とした。
「けんどねえ……ここから見よったら、みんな違うて見える」
ウサラートが耳を傾ける。
「急いじゅう人も、怒っちゅう人も、荷物を抱えて歩いちゅう人も……みんな、どこかへ向こうちゅうがよ」
「……」
「一日働いて、帰る家があって、待っちゅう人がおって。そう思うたら、なんや、えいもんじゃねえ」
信子の目が、先ほどの大八車を追いかけた。
車は少し先の店先で止まっている。
帳場から出てきた老人が男に声をかけ、荷を受け取っていた。
やがて老人は、小さな包みを手渡す。
男がそれを開いて覗き込むと、白い湯気がふわりと立ち上った。
どうやら、温かい食べ物らしい。
男は顔をほころばせ、老人に何度も礼を言っている。
「ほら、あの人も」
信子が顎で示した。
「さっきまで、あんな重たい荷を引っ張って大変そうじゃったのに、今は嬉しそうな顔をしちゅう」
「きっと、お腹が空いていたんだぴょん」
「ふふっ。そうかもしれんねえ」
「働いたあとのご飯は美味しいぴょん」
「隊長は、働く前でも美味しそうに食べゆうけんど」
「ご飯はいつでも美味しいぴょん」
「そりゃあ、間違いないねえ」
二人は顔を見合わせて笑った。
しばらくすると、荷車の男は受け取った包みを懐にしまい、再び歩き始めた。
今度は少しだけ、足取りが軽く見えた。
「……皆、帰るところがあるがやね」
信子が呟く。
「そうだぴょん」
「うちらにもある」
「もちろんだぴょん」
「ほいたら、そろそろ帰らんとねえ」
「そうだぴょん」
返事だけは、驚くほど早かった。
しかし、ウサラートは動かない。
総季は膝の上で丸くなり、黒兎吉もその脇で気持ちよさそうに眠っている。
二匹の穏やかな寝息を聞きながら、信子は少し考えた。
「……もう少し、このままでもえいろう」
「副長には、隊長の威厳をもう少し考えてほしいぴょん」
「考えちゅうよ」
「本当かぴょん?」
「本当じゃ。せやき、三度も待ってあげちゅうがじゃ」
「……むむ」
言い返す言葉が見つからなかったらしい。
ウサラートは口を尖らせ、夕暮れの京へ視線を戻した。
風が少し冷たくなってきた。
総季の毛並みがふわりと揺れる。
ウサラートは羽織の端をそっと持ち上げ、二匹の体へかけ直してやった。
黒兎吉の長い耳が押しつぶされないように、指先で器用に布の隙間を作る。
総季が小さく喉を鳴らした。
「……隊長」
「なんだぴょん」
「優しいねえ」
「隊長として当然だぴょん」
「そうかえ」
「二匹とも、大切な仲間だぴょん」
ウサラートは少し胸を張った。
「仲間を守るのは、隊長の仕事だぴょん」
信子はしばらく、その横顔を見つめていた。
黒い長髪。
夕陽を映した瞳。
凛々しく立つ兎耳。
普段は団子のことで真剣に悩み、眠っている猫一匹を起こせず、ちょっとした冗談にもむきになる。
けれど、誰かが危ないときには、迷わず動こうとする。
そういう隊長なのだ。
「……そうじゃねえ」
信子は柔らかく微笑んだ。
「うちも、この夕焼けをもうちっと見ていたいき」
「それなら仕方ないぴょん」
「隊長が付き合うてくれるが?」
「副長を一人で残していくわけにはいかないぴょん」
「そりゃあ、頼もしいこと」
信子は今度は笑わず、ただ静かに体を寄せた。
二人の肩が、かすかに触れる。
屋根の上には、もう昼間の熱は残っていない。
それでも、不思議と寒くはなかった。
西の山際へ、太陽がゆっくりと姿を隠していく。
茜色だった空は、淡い紫から深い群青へと変わり始めた。
京の町には、ひとつ、またひとつと灯りがともる。
軒先に吊るされた提灯。
障子越しに滲む行灯の光。
店先を照らす、小さな橙色の明かり。
それらは夕闇の中で、まるで地上に星が降りてきたかのように輝いていた。
「……綺麗じゃねえ」
信子が呟いた。
「そうだぴょん」
「昼間はあんなに騒がしい町なのに、こうして見ると、ずいぶん静かじゃ」
「みんな、家に帰っているんだぴょん」
「そうじゃねえ」
信子は膝を抱え直した。
「帰るところがあるき、こうして灯りがともるがやろうね」
ウサラートは少し考えた。
それから、小さく頷く。
「灯りがついていたら、帰る場所も見つけやすいぴょん」
「ふふっ。隊長らしい答えじゃ」
「大事なことだぴょん」
「そうじゃねえ。大事なことじゃ」
しばらく二人は、何も言わず町を眺めていた。
鐘の余韻も消え、遠くから聞こえるのは、人々の話し声と時折響く下駄の音ばかり。
屋根の上では、総季と黒兎吉の寝息が規則正しく続いていた。
やがて、足元でごそりと音がした。
「……おや?」
信子が目を向ける。
総季が大きなあくびをした。
真っ白な前足をぐうっと伸ばし、背中を丸める。
続いて黒兎吉も顔を上げ、長い耳をぴんと立てた。
「お目覚めだぴょん」
ウサラートの声が、少しだけ弾む。
「これで、ようやく帰れるねえ」
信子も嬉しそうに言った。
ところが。
総季は立ち上がると、くるりと向きを変えた。
そして、ウサラートの膝から信子の膝へ、ひょいと乗り移ったのである。
「……え?」
信子が目を丸くした。
総季はそんなことなど気にも留めず、彼女の膝を前足で二度ほど踏みしめた。
よほど寝心地がよかったのだろう。
そのまますとんと腰を落とし、白い体を丸め始めた。
「待ちい、総季」
信子が慌てて声をかける。
「そこは寝床やないぜよ」
だが、総季はもう目を閉じていた。
さらに黒兎吉まで、ぴょこんと跳ねて信子の隣へ移動する。
羽織の裾に鼻先を埋め、居心地のよさそうな場所を見つけると、当然のように腹を落ち着けた。
二匹は、あっという間に眠る体勢へ戻ってしまった。
「……ちょっと待ちい」
信子が困惑した声を上げる。
「さっきまで、そっちにおったろう?」
返事はない。
総季の尻尾が、ぱたりと一度だけ揺れた。
黒兎吉は、聞こえないふりをしているかのように耳を伏せた。
信子はウサラートを見た。
ウサラートも信子を見た。
しばしの沈黙。
やがて、ウサラートがゆっくりと首を傾げた。
「信子」
「……なんじゃ」
「そろそろ戻るぴょん」
まったく同じ言葉だった。
夕暮れの初めに、信子が三度も聞かされた言葉。
しかし今度は、立場が逆である。
信子は膝の上を見下ろした。
総季が気持ちよさそうに眠っている。
黒兎吉も、すっかり落ち着いてしまった。
二匹の体から伝わる温もりが、冷え始めた膝をじんわりと温めてくれる。
「……まだ、周囲の確認が済んじょらんき」
信子は、できるだけ真面目な顔で答えた。
ウサラートの耳が、ぴくりと動く。
「どの辺りだぴょん?」
「……京全体じゃき」
一瞬、静寂が訪れた。
それから、ウサラートの肩が小さく震え始めた。
「……ふふっ」
「笑うことないろう」
「笑ってないぴょん」
「笑いゆうやないか」
「副長の責任感に感心しているぴょん」
「よう言うわ」
ついに信子も吹き出した。
二人の笑い声が、暮れゆく空へ溶けていく。
総季が少しだけ耳を動かし、黒兎吉が寝返りを打った。
しかし、どちらも起きることはなかった。
ウサラートは羽織の端を拾い上げると、信子の膝の上に眠る二匹へ、そっと広げてやった。
「……これで寒くないぴょん」
「隊長の羽織じゃろ?」
「二匹が風邪を引いたら困るぴょん」
「隊長は寒うないが?」
「兎の耳は寒さに強いぴょん」
「ほんまかえ?」
「……たぶんだぴょん」
信子はまた笑った。
それから、二匹を起こさないように、羽織の端を自分の膝へ引き寄せる。
「ほいたら、うちも一緒に使わせてもらおうかねえ」
「特別に許可するぴょん」
「ありがたいことじゃ」
浅葱色の羽織が、二匹と二人の間を柔らかくつないでいた。
夜の京には、ますます多くの灯りがともっていく。
誰かが暖簾をくぐり、誰かが家族の待つ戸を開ける。
あちらこちらから夕餉の匂いが漂い、人々の笑い声が、夜風に運ばれてきた。
「ねえ、ウサラート」
「なんだぴょん」
「うちらも、帰るところがあるねえ」
「もちろんだぴょん」
「けんど、今は帰れんねえ」
「そうだぴょん」
信子は眠る二匹を見つめ、優しく目を細めた。
「困ったもんじゃ」
「本当に困ったぴょん」
そう言いながら、ウサラートは少しも困っていない顔をしていた。
信子も同じだった。
帰ろうと思えば、帰れる。
二匹をそっと抱き上げれば、それで済む話なのだ。
けれど、今はまだ、そうしたくなかった。
屋根の上を吹き抜ける風も、少しずつ灯りを増やしていく京の町も、隣にいる仲間の温もりも。
そのすべてが、もう少しだけここにいたいと思わせる。
「……信子」
「なんじゃ?」
「あと少しだけ、見回りを続けるぴょん」
信子は微笑んだ。
「そうじゃねえ。京全体を見届けんといかんき」
「大事な仕事だぴょん」
「まっこと、大事な仕事じゃ」
二人は並んで、夜の京を見下ろした。
もう夕焼けは消えている。
代わりに、星がひとつ、東の空に輝き始めていた。
信子の膝では総季が眠り、その隣で黒兎吉が小さく鼻を鳴らす。
ウサラートの黒い兎耳が、夜風に合わせてゆらりと揺れた。
京の町は今日も、穏やかに夜を迎えようとしている。
帰る場所がある。
待っている人がいる。
そして、帰らずにもう少し一緒にいたいと思える仲間がいる。
それだけで、この夕暮れは十分に幸せだった。
「……ところで、信子」
「なんじゃ?」
「お腹が空いたぴょん」
「……さっき団子を食べたばっかりじゃろ」
「見回りは体力を使うぴょん」
「一歩も動いちょらんくせに」
「心を使ったぴょん」
信子はしばらく黙っていた。
そして、とうとう堪えきれずに笑い出した。
「はははっ! ほいたら、帰ったら何か食べようかねえ!」
「賛成だぴょん!」
「その前に、この子らが起きてくれんと困るけんど」
「……それは重大な問題だぴょん」
二人はまた笑った。
夜の帳がすっかり下りても、屋根の上の小さな見回りは終わらない。
京の灯りを眺めながら、二人と二匹は、もう少しだけそこにいた。
帰れない理由は、とても簡単。
大切な仲間が、幸せそうに眠っているから。
そして、そんな仲間たちと過ごす今この場所もまた、二人にとっては、かけがえのない帰る場所のひとつなのかもしれなかった。
夜風が、浅葱色の羽織をそっと揺らす。
その下から、穏やかな寝息が聞こえていた。
京の夜は、まだ始まったばかりだった。
【あとがき・設定資料のご案内】
本作のオリジナルキャラクターのビジュアルや詳細な設定資料は、Pixiv・noteにて公開しています。
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ウサラートマート(Usarart Mart)
風ゆらりが手がける、ウサラートとその仲間たちのオリジナルキャラクターブランド。
個性豊かなキャラクターたちが織りなす物語や、LINEスタンプなどを通じて、ちょっと不思議で楽しい世界をお届けします。
企画・制作:風ゆらり(kazeyurari)