雨の日の、書き残さない一行   作:風ゆらり ウサラートマート

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幕末の世に、ちょっと変わった新選組の隊長がいた。

その名は、ウサラート。

黒髪に長い兎耳を持ち、語尾にはいつも「ぴょん」が付く、少しお茶目な少女。

そんな隊長を支えるのは、青髪の少女・信子。土佐弁を話す彼女は、坂本龍馬の妹であり、ウサラートの隊の副長でもある。

そして、二人のそばには黒い兎の黒兎吉と、白猫の総季。

雨の日の縁側でのんびり過ごしたり、些細なことで言い合いになったり、ときには思いがけない騒動に巻き込まれたり。

激動の幕末を背景に、個性豊かな仲間たちが繰り広げる、笑いあり、優しさあり、ちょっぴり切なさもある物語。

一話完結を基本としているので、どのお話からでもお楽しみいただけます。

兎耳隊長と仲間たちの、少し不思議な新選組日和。

※本シリーズは、新選組や歴史上の人物をモチーフにした「風ゆらり」のオリジナル歴史ファンタジーです。史実とは異なる設定や展開が含まれます。


朝の竹林と、残された足音

朝露を含んだ竹の葉が、風にさらさらと揺れていた。

 

まだ陽の光が十分に届かない竹林の小道には、薄青い靄が漂っている。風が吹くたびに竹の幹がしなり、葉擦れの音が幾重にも重なった。

 

そのざわめきに紛れて、耳の奥に微かな足音が一つ増える。

 

信子は歩幅を緩めた。

 

振り返ることなく、わずかに重心を落とす。右手はすでに腰の刀の柄に添えられていた。

 

隣を歩いていたウサラートも、長い兎耳をぴくりと動かす。

 

「さっきから、妙な気がせん?」

 

信子が声を潜める。

 

「道には迷ってないぴょん」

 

「誰も道に迷うたとは言うちょらん。うちらの後ろぜよ」

 

「後ろ?」

 

「足音が一つ、余計に聞こえるがよ。曲がり角を三つ越えても、ずっと同じ距離を保っちゅう」

 

ウサラートの耳が、ゆっくりと後ろへ傾いた。

 

確かに、いた。

 

竹の葉が揺れる音に交じって、土を踏む微かな気配がする。こちらが歩けば進み、歩調を落とせば向こうも遅くなる。

 

偶然とは思えなかった。

 

朝の見回りで里の者から聞いた話が、二人の脳裏によみがえる。

 

この竹林の抜け道では、近頃、旅人の荷が相次いで奪われていた。

 

被害者は三人。

 

いずれも、道に迷った子供に声をかけられ、立ち止まったところを背後から襲われている。

 

そして、その「子供」が今、二人の行く手に立っていた。

 

十歳ほどの少年だった。

 

小さな体に不釣り合いなほど大きな竹籠を抱え、道の真ん中にぽつんと立っている。

 

着物の裾は泥で汚れ、草履の鼻緒は左右で色が違っていた。片方だけが妙に新しい。

 

何より気になったのは、少年の目だった。

 

怯えている。

 

けれど、その視線は助けを求める者のようにこちらへ向けられてはいない。

 

何度も、何度も、道の脇の茂みへと流れていた。

 

「……お姉さん」

 

少年が口を開く。

 

「町へは、どっち?」

 

声はかすれ、竹籠を抱える小さな指が白くなるほど力んでいた。

 

信子はすぐには答えなかった。

 

少年の足元へ目を落とす。

 

両足のつま先が、こちらではなく、わずかに右の茂みへ向いている。

 

ただ道を尋ねたいだけなら、そんな立ち方はしない。

 

その茂みの奥に、何かがある。

 

あるいは、誰かがいる。

 

二人の後ろを歩いていた黒兎吉(くろときち)が、ぴたりと足を止めた。

 

その隣で、白猫の総季(ふさき)も身を低くする。普段なら気ままに揺らしている尻尾を、今は地面すれすれに伏せていた。

 

「信子。背中、お願いするぴょん」

 

「頼まれる前から、そこにおるぜよ」

 

二人はさりげなく立ち位置を変えた。

 

羽織の裾が、ふわりと触れ合う。

 

少年の抱えた竹籠が、かたかたと乾いた音を立てた。

 

「町なら、一緒に行くぴょん」

 

ウサラートが柔らかく声をかける。

 

一歩前へ出ると、少年は反射的に一歩下がった。

 

「道だけで、いい……」

 

「うちらも帰るところやき。遠慮はいらんぜよ」

 

「……だめだ」

 

「どうしてぴょん?」

 

少年の唇が震えた。

 

その目が、また茂みへ向く。

 

そして――。

 

「来るな!」

 

張り詰めた叫びと同時に、少年は抱えていた竹籠を放り投げた。

 

信子の刀が鋭い音を立てて鞘を離れる。

 

空中でひっくり返った籠から、何かがばらばらと飛び出した。

 

小石だった。

 

大きさも形もばらばらの石が、乾いた音を立てながら小道に散らばっていく。

 

いくつかは、道の右端へ転がった。

 

その瞬間。

 

茂みが大きく揺れた。

 

「そっちや!」

 

信子が踏み出しかける。

 

だが、その袖を、ウサラートの細い手が強くつかんだ。

 

「待つぴょん!」

 

ぐいっと引かれ、信子の体が半歩後ろへ戻る。

 

直後、二人の足元で太い縄が勢いよく跳ね上がった。

 

地面すれすれに仕掛けられていた縄が、一瞬にして膝ほどの高さへと張り詰める。

 

あと半歩でも踏み込んでいれば、足を取られていただろう。

 

「……危なかった」

 

信子が短く息を吐いた。

 

「よう気づいたね」

 

「縄は見えてなかったぴょん」

 

「ほいたら、どうして?」

 

「あの子の目だぴょん。ずっと、うちらの足元を気にしてたぴょん」

 

信子は少年を見た。

 

放り出された竹籠。

 

転がった小石。

 

そして、罠のある場所へ何度も向けられていた視線。

 

少年は、ただ命じられたとおりに籠を投げたのではない。

 

何かを伝えようとしていたのだ。

 

しかし、それ以上考える暇はなかった。

 

竹の陰から無骨な腕が伸び、少年の襟首を背後からつかんだ。

 

「ひっ……!」

 

小さな体が乱暴に引き寄せられる。

 

「動くな。刀を捨てろ」

 

低く冷たい男の声。

 

少年の首筋に、錆びた短刀が突きつけられた。

 

ウサラートの兎耳がぴんと立つ。

 

それと同時に、背後からも足音が迫ってきた。

 

重い足取り。

 

振り返らずとも、相手がこちらへ間合いを詰めていることが分かった。

 

信子は刀を構え直し、背中合わせになった相棒へ小さく囁いた。

 

「後ろに一人。太い棒を持っちゅう」

 

「こっちも一人ぴょん。短刀持ち」

 

「挟まれたね」

 

「背中合わせなら、どっちも正面ぴょん」

 

「そういう屁理屈、嫌いやないぜよ」

 

緊迫した場面には似つかわしくない軽口。

 

けれど、それは互いの声を確かめるためでもあった。

 

二人が背中を預け合うとき、相手の顔を見る必要はない。

 

声が聞こえる。

 

気配が伝わる。

 

それだけで十分だった。

 

ただ一つ、いつもと違っていたのは、少年の存在だった。

 

「たすけ……」

 

少年がか細い声を漏らす。

 

男の腕が、さらに強く襟首を締め上げた。

 

「黙ってろ!」

 

少年の足が土を擦る。

 

呼吸は浅く、顔は青ざめていた。

 

ウサラートは構えていた手の力をわずかに緩めた。

 

「その子の襟を緩めるぴょん。息ができてないぴょん」

 

「だったら刀を捨てろ!」

 

「その子は関係ないぴょん」

 

「関係ないだと? こいつがいなきゃ、お前らを誘い込めなかったんだぜ」

 

男は下卑た笑みを浮かべた。

 

「役に立つガキだろう?」

 

その言葉に、少年の肩がびくりと震えた。

 

ウサラートの表情から、笑みが消える。

 

「……その子を、道具みたいに言うなぴょん」

 

低い声だった。

 

怒鳴ったわけではない。

 

けれど、その一言には、信子が思わず振り返りたくなるほどの強い怒りが込められていた。

 

男は短刀を少年の首筋へ押しつける。

 

「口の利き方に気をつけろ。このガキの命が惜しけりゃ――」

 

「ウサラート」

 

信子が呼んだ。

 

「分かってるぴょん」

 

「まだ何も言うてない」

 

「飛び込むな、だろぴょん」

 

「違う」

 

一拍置いて、信子は言った。

 

「行く時は、一言言えっちゅう話や」

 

ウサラートは少しだけ目を見開いた。

 

「……いいのかぴょん?」

 

「えいも悪いもない。あんたが行くなら、うちも行く。それだけぜよ」

 

背中越しに、信子の体温が伝わってくる。

 

ウサラートの肩から、ほんの少しだけ余計な力が抜けた。

 

そのときだった。

 

「……ごめん」

 

少年が呟いた。

 

大粒の涙が、一つ、土の上へ落ちる。

 

「おれ……石を……」

 

「うんぴょん」

 

ウサラートが優しく応える。

 

「石を、あっちに投げろって……そうしたら、そっちを見るからって……」

 

「黙れ!」

 

男が怒鳴り、少年の襟を引き上げた。

 

それでも少年は、震える唇を懸命に動かした。

 

「でも……縄のところに、投げた……」

 

信子は足元の小石に視線を落とす。

 

罠のそばへ転がった石。

 

少年は最初から、そこを狙っていたのだ。

 

言葉で教えれば、男たちに気づかれてしまう。

 

だから、籠を投げた。

 

仕掛けを直接知らせることはできなくても、せめて何かおかしいと気づいてほしかった。

 

自分が襲われるかもしれないと分かっていても。

 

「……そうか」

 

信子の声が柔らかくなる。

 

「ちゃんと、教えてくれちょったがやね」

 

少年の目から、また涙がこぼれた。

 

「ごめんなさい……」

 

「謝らなくていいぴょん」

 

ウサラートが静かに言った。

 

「怖かったのに、よく頑張ったぴょん」

 

少年が顔を上げる。

 

「今度は、こっちが助ける番だぴょん」

 

ウサラートは少年の目をまっすぐに見つめた。

 

「足をしっかりつけてるぴょん。大丈夫。ちゃんと見てるぴょん」

 

少年は、涙を拭うことも忘れて小さくうなずいた。

 

背後の男が舌打ちする。

 

「もういい! やれ!」

 

空気を切り裂く音がした。

 

信子の背後から、太い棒が勢いよく振り下ろされる。

 

「信子!」

 

「分かっちゅう!」

 

信子は迷わず踏み込んだ。

 

刀を斜めに構え、迫る棒の軌道を受け流す。

 

ごつり、と鈍い衝撃が腕に響いた。

 

まともに力で受け止めれば、押し負ける。

 

だから、押し合わない。

 

刀の角度を変え、半身になって横へ滑る。

 

支えを失った棒が勢い余って地面を叩いた。

 

土が跳ね上がる。

 

男が前のめりに体勢を崩した。

 

「今や!」

 

「しゃがむぴょん!」

 

二人の声が重なった。

 

少年はその場で膝を折った。

 

突然重くなった小さな体に、襟をつかんでいた男の腕が下へ引かれる。

 

「なっ――!」

 

男の意識が少年へ向いた、その一瞬。

 

ウサラートが地面を蹴った。

 

黒髪が風に流れ、長い兎耳が後ろへなびく。

 

まばたきほどの間に距離を詰めると、短刀を握る男の手首を押さえ込んだ。

 

「離すぴょん!」

 

「ぐあっ!」

 

男の腕を少年から遠ざけ、そのまま手首をひねり上げる。

 

刃先が少年の首筋から離れた。

 

続けざまに足を払う。

 

男は踏ん張りきれず、背中から地面へ倒れ込んだ。

 

乾いた音とともに、短刀が土の上へ転がる。

 

ウサラートはそれを素早く蹴り飛ばし、少年を自分の背後へ引き寄せた。

 

「もう大丈夫だぴょん」

 

少年の小さな手が、ウサラートの羽織をぎゅっとつかんだ。

 

一方、信子の前では、棒を持った男が慌てて体勢を立て直そうとしていた。

 

「くそっ!」

 

落としかけた棒を拾おうと身を屈める。

 

しかし、その鼻先に、鋭い刀の切っ先がぴたりと止まった。

 

「そこまでにしちょき」

 

信子は一歩も動かない。

 

「これ以上暴れるんやったら、今度はその着物をズタズタにするぜよ」

 

男の喉が、ごくりと鳴った。

 

刀の先端は、寸分も揺れていない。

 

「……分かった。降参だ」

 

棒が、力なく地面へ落ちた。

 

それを合図にしたように、竹林に静けさが戻ってきた。

 

さらさらと葉が揺れている。

 

今度聞こえるのは、本当に風の音だけだった。

 

ウサラートは少年をかばったまま、ゆっくりと息を吐いた。

 

信子も刀を納める。

 

そして、二人は同時に顔を見合わせた。

 

「……終わったぴょん」

 

「そうやね」

 

「信子、無事ぴょん?」

 

「うちは無事。あんたは?」

 

「もちろんぴょん!」

 

胸を張るウサラート。

 

信子はその顔をじっと見た。

 

「……ほんなら、後でちゃんと確かめさせてもらうぜよ」

 

「な、何をぴょん?」

 

「いろいろや」

 

どことなく含みのある返事に、ウサラートの耳が不安そうに揺れた。

 

男たちを持参していた縄で縛り上げると、信子はようやく大きく息を吐いた。

 

少年は道端にへたり込んでいた。

 

膝についた泥を、小さな手で何度もこすっている。

 

こすっても、こすっても。

 

泥はなかなか落ちなかった。

 

「……おれ」

 

ぽつりと声が漏れる。

 

「悪いこと、したんだよね」

 

ウサラートは何も言わず、その隣にしゃがんだ。

 

少年の膝に泥がついていることも、着物の裾が破れていることも、今は気にしなかった。

 

少し離れたところにいた総季が、静かに近づいてくる。

 

白い毛並みを揺らしながら、少年の足元でちょこんと座った。

 

少年の手が止まる。

 

「……猫?」

 

総季は小さく鳴いた。

 

その少し後ろでは、黒兎吉が耳を立て、こちらを見守っていた。

 

少年は二匹を交互に見つめた後、おそるおそる顔を上げた。

 

「おれも……連れていかれる?」

 

信子は少年の前にしゃがみ、目線の高さを合わせた。

 

「詳しい話は、役人にも聞いてもらうことになるぜよ」

 

少年の顔がこわばる。

 

「……怒られる?」

 

「何があったか、ちゃんと話を聞いてからやね」

 

「でも、おれ……人を騙した」

 

信子は急いで否定しなかった。

 

ただ、少年が続きを話せるように待った。

 

「やらないと、家に来るって……母ちゃんにも、ひどいことするって……」

 

そこで言葉が途切れた。

 

少年は唇を噛みしめる。

 

信子の表情が、わずかに険しくなった。

 

けれど、その怒りを少年へ向けることはしなかった。

 

「……怖かったがやね」

 

少年がうなずく。

 

「嫌やったことも、脅されて自分がしたことも、順番に聞くぜよ。ここで無理に全部言わんでえい」

 

「……本当に?」

 

「うん。話を聞く前から決めつけたりはせん」

 

少年はしばらく信子を見つめていた。

 

それから、小さくうなずいた。

 

ウサラートが、道端に転がっていた竹籠を拾ってきた。

 

底の編み目は割れ、縁もところどころほつれている。

 

「あちゃあ……壊れちゃったぴょん」

 

少年の顔が曇った。

 

「それ……隣の家から借りたやつなんだ」

 

「そうなのかぴょん?」

 

「うん。おれの家には、こんな大きいのがなくて……」

 

ウサラートは籠の中に残っていた小石を、一つずつ丁寧に取り出した。

 

最後の一つを掌に載せると、少年へ差し出す。

 

「これも、持って帰るぴょん?」

 

少年は少し迷ってから、こくりとうなずいた。

 

「……うん」

 

「じゃあ、籠も一緒に持って帰るぴょん」

 

「でも、壊れちゃった」

 

「そうだぴょん。だから、ちゃんと謝るぴょん」

 

少年の目が再び潤む。

 

「……許してくれるかな」

 

「それは、話してみないと分からないぴょん」

 

ウサラートは正直に答えた。

 

そして、にっこりと笑う。

 

「でも、一人で謝るのが怖かったら、一緒に行くぴょん」

 

「……一緒に?」

 

「もちろんぴょん!」

 

少年は、壊れた籠を抱きしめた。

 

今度は、逃げ出さないようにではなく、大切なものを落とさないように。

 

その指先には、もう先ほどまでの強張りはなかった。

 

二人の男を引き立てながらの帰り道は、思いのほか時間がかかった。

 

細い道を慎重に進み、途中で何度も足を止める。少年の歩調に合わせているうちに、竹林へ差し込む光は朝の白さを失い、次第に柔らかな金色へと変わっていった。

 

やがて、空が茜色に染まり始める。

 

先頭を歩く少年は、ときどき振り返っては総季に話しかけていた。

 

黒兎吉も、その後ろをぴょこぴょことついていく。

 

信子はそんな光景を眺めながら、ふと隣のウサラートに目を向けた。

 

そして、小さく眉をひそめる。

 

左の袖。

 

羽織の布地が、ほんの少し裂けていた。

 

「……ウサラート」

 

「何ぴょん?」

 

「ちょっと、こっち向き」

 

「?」

 

信子は足を止め、ウサラートの左腕をそっと持ち上げた。

 

「これ、どうしたが?」

 

「……え?」

 

ウサラートが自分の袖を見る。

 

裂け目を見つけた途端、長い耳がぴくりと跳ねた。

 

「……竹に引っかけたぴょん」

 

「ほう?」

 

「たぶんぴょん」

 

「竹の枝が、ずいぶん鋭い刃物みたいになっちょったがやねえ」

 

信子の声が妙に優しい。

 

ウサラートの耳が、ゆっくりと下がっていく。

 

「……短刀が、ちょっとだけかすったぴょん」

 

「やっぱりね」

 

信子は裂けた布を慎重にめくり、下の肌を確かめた。

 

幸い、傷はついていなかった。

 

それを見て、ようやく胸を撫で下ろす。

 

「……あんた、さっき一人で飛び込む気やったろ」

 

「ちょっとだけ、隙が見えたからだぴょん」

 

「ちょっとで背中を置いていかれたら、うちは心臓がいくつあっても足りんぜよ」

 

ウサラートは返事をしなかった。

 

代わりに、視線を竹林の奥へそらす。

 

竹の葉が風に揺れた。

 

「……任せたつもりだったぴょん」

 

ぽつりと、ウサラートが言った。

 

信子はその横顔を見つめる。

 

「背中だけ預けて、危ないところを全部一人で持っていくがは、任せたとは言わんぜよ」

 

「……」

 

「相棒やろ?」

 

ウサラートの兎耳が、ゆっくりと持ち上がった。

 

「……うんぴょん」

 

「それに、隊長が無茶をしたら、副長のうちが困るがよ」

 

「信子なら、きっと何とかしてくれるぴょん」

 

「何とかするに決まっちゅう。でも、それとうちが心配せんかどうかは別の話ぜよ」

 

思いがけず真剣な言葉だった。

 

ウサラートは少し驚いたように信子を見上げる。

 

信子は前を向いたまま続けた。

 

「うちは、あんたの背中を守るためにおる。あんたが全部一人で背負うためやない」

 

風が吹いた。

 

夕陽を受けた竹の葉が、きらきらと揺れる。

 

しばらくして、ウサラートが小さくうなずいた。

 

「……次から気をつけるぴょん」

 

「そうし」

 

「行く時は、ちゃんと言うぴょん」

 

「約束やきね」

 

「……それから」

 

ウサラートは、そっと信子の袖を引いた。

 

先ほど危険を知らせたときよりも、ずっと弱々しい力だった。

 

「帰る時も、ずっと一緒だぴょん」

 

信子は一瞬だけ目を丸くした。

 

それから、ふっと口元を緩める。

 

「当たり前やろ」

 

短く、それだけ答えた。

 

竹林の出口が見えてきた。

 

向こうには、夕暮れに染まった里の家々が並んでいる。

 

炊事の煙が細く立ち上り、どこからか夕餉の支度をする音が聞こえてきた。

 

先を歩いていた少年が、道の真ん中で立ち止まる。

 

総季がその足元に座り、黒兎吉もぴょこんと跳ねて隣に並んだ。

 

少年は二匹を見つめ、それから二人へ向かって大きく手を振った。

 

「お姉さんたち! 早く!」

 

声に、もう朝の震えはなかった。

 

ウサラートが嬉しそうに耳を立てる。

 

「今行くぴょん!」

 

駆け出そうとしたその袖を、今度は信子がつまんだ。

 

「こら。走らんでもえい」

 

「どうしてぴょん?」

 

「その袖、繕わんといかんやろ」

 

「……あ」

 

「それに、今日の始末も報告せんとね」

 

信子はにやりと笑った。

 

「ほんなら、まず二人で叱られに帰ろうか」

 

ウサラートの顔が、みるみる曇る。

 

「……袖が破れてること、村長には黙っててほしいぴょん」

 

「無理やね」

 

「お願いだぴょん!」

 

「繕うんは誰やと思うちゅうがよ。甘いこと言いなさんな」

 

「信子の意地悪ぴょん……」

 

「心配かけた罰ぜよ」

 

信子が笑う。

 

ウサラートも、つられたように笑った。

 

その声に気づいた少年が、もう一度こちらを振り返る。

 

「ねえ、早く帰ろうよ!」

 

「そうやね。帰ろうか」

 

信子が答えた。

 

ウサラートも、大きくうなずく。

 

「みんなで帰るぴょん!」

 

二人は再び歩き始めた。

 

今度は袖を引かなくても、自然と歩幅が揃っていた。

 

朝、この竹林で耳にしたのは、誰かを追い詰めようとする不気味な足音だった。

 

けれど、夕暮れの道に響いているのは、少年の軽やかな足取りと、二人の揃った足音。

 

その間を、黒兎吉が小さく跳ね、総季が気ままに歩いていく。

 

風が吹く。

 

竹の葉がさらさらと鳴った。

 

振り返る者は、もう誰もいない。

 

ただ、夕闇へと沈み始めた小道に、いくつもの足跡が残されていた。

 

怖さをこらえて踏みとどまった、小さな足跡。

 

誰かを守ろうと踏み出した足跡。

 

そして、互いの背中を信じて並んだ、二人の足跡。

 

竹林を抜けた先には、帰る場所がある。

 

明日もまた、きっと同じ道を歩くのだろう。

 

隣にいる大切な相棒と、同じ歩幅で。

 

今度は、帰り道までずっと一緒に。




【あとがき・設定資料のご案内】
本作のオリジナルキャラクターのビジュアルや詳細な設定資料は、Pixiv・noteにて公開しています。
関連リンクまとめ
https://x.com/kazeyurarinn
https://lit.link/kazeyurari
https://note.com/kazeyurari


ウサラートマート(Usarart Mart)
風ゆらりが手がける、ウサラートとその仲間たちのオリジナルキャラクターブランド。

個性豊かなキャラクターたちが織りなす物語や、LINEスタンプなどを通じて、ちょっと不思議で楽しい世界をお届けします。

企画・制作:風ゆらり(kazeyurari)
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