雨の日の縁側でのんびり過ごしたり、些細なことで言い合いになったり、ときには思いがけない騒動に巻き込まれたり。
激動の幕末を背景に、個性豊かな仲間たちが繰り広げる、笑いあり、優しさあり、ちょっぴり切なさもある物語。
一話完結を基本としているので、どのお話からでもお楽しみいただけます。
兎耳隊長と仲間たちの、少し不思議な新選組日和。
※本シリーズは、新選組や歴史上の人物をモチーフにした「風ゆらり」のオリジナル歴史ファンタジーです。史実とは異なる設定や展開が含まれます。
――ウサラートと信子の小さな日常
庭石を濡らす雨が、縁側の軒先から幾筋もの細い糸となって落ちていた。
初夏を迎えようとする季節の雨は、どこか優しい。
青葉を揺らし、苔むした石に染み込み、乾いていた土にしっとりとした色を取り戻していく。
さやさやと葉を打つ音が、薄暗くなり始めた屋敷の静寂を満たしていた。
部屋の奥には、行灯がひとつ。
ぽっと灯された小さな炎が、柔らかな琥珀色の光を畳の上に広げている。
その明かりのそばで、信子は文机に向かい、小さな筆を走らせていた。
さらり、さらり。
和紙の上を滑る筆先が、雨音に紛れるほどの微かな音を立てる。
墨の香りが湿った空気に溶け込み、部屋の中には、どこか懐かしいような落ち着きが漂っていた。
「さっきから、何を書いてるぴょん?」
不意に、横から声がした。
頬杖をついていたウサラートが、大きな兎耳をぴょこんと揺らし、信子の手元へ顔を寄せてくる。
青い着物に羽織を引っかけた彼女の瞳は、好奇心でいっぱいだった。
「今日のこと。雨の日の庭がよう見えるき、書き残しちょこうと思うて」
信子は筆を動かしたまま、柔らかく微笑んだ。
「庭は晴れてても見えるぴょん」
「晴れちょったら、隊長はじっと見んろう?」
「……ちゃんと見てるぴょん」
「ほんまに?」
「もちろんだぴょん!」
胸を張って答えたものの、ウサラートの視線は微妙に泳いでいる。
晴れた日の彼女は、庭を眺めるどころか、日向を追いかけて走り回り、木の陰を覗き込み、気になるものがあればすぐに飛びついてしまう。
つい昨日も、庭先を横切った蝶を追いかけて、危うく植木鉢を倒しかけていた。
信子はそれを思い出し、口元をほころばせた。
「まあ、そういうことにしちょこうか」
「何だか信用されてないぴょん……」
「そんなことないき」
「絶対にあるぴょん」
むくれるウサラートを見て、信子は小さく笑った。
そのとき、ウサラートの膝の上で、ふわりと白いものが動いた。
白猫の総季(ふさき)だった。
真っ白な毛並みを綿雪のように膨らませ、気持ちよさそうに丸くなっている。
その隣には、黒い兎の黒兎吉(くろときち)。
艶やかな黒い毛並みをした小さな相棒は、総季にぴったりと寄り添い、耳をゆったりと寝かせていた。
二匹とも、すっかり夢の中だ。
雨の日は、どうにも眠たくなるらしい。
「……ふふ」
信子は二匹を見て、思わず笑みをこぼした。
「何だぴょん?」
「いや、隊長が今日はえらいおとなしいと思うちょったら……そういうことやったがやね」
ウサラートは得意げに鼻を鳴らした。
「ふふん。二匹が気持ちよく寝てるから、動かないようにしてるぴょん」
「なるほどねぇ」
「隊長たるもの、部下の安眠を守るのも大事なお役目だぴょん!」
「二匹は隊士やったが?」
「大切な仲間だぴょん!」
「それはそうやね」
信子は素直に頷いた。
ウサラートは満足そうに胸を張ったが、膝を動かさないようにしているため、少々窮屈な姿勢になっていた。
それでも二匹を起こす気は、まるでないらしい。
信子はそんな隊長の姿に、またひとつ小さな笑みを浮かべた。
やがて筆の音が止まった。
「……うーん」
「どうしたぴょん?」
「最後の一行が、どうにも決まらんがよ」
信子は紙の下のほうを見つめていた。
そこには、まだ何も書かれていない余白が残っている。
「最後の一行?」
「そう。一日を締めくくる、大事な一行やき」
「そんなの簡単だぴょん!」
ウサラートは待ってましたとばかりに胸を張った。
「隊長に任せるぴょん!」
「おお、頼もしいねぇ。ほんなら、今日は何を書き残したらえいと思う?」
「ウサラート隊長、雨にも負けず立派だったぴょん!」
迷いのない即答だった。
信子はしばらくその顔を見つめ、それから首を傾げた。
「……何をしたが?」
「今、考えてるぴょん!」
「ほいたら、まだ書けんねぇ」
「これから何かするかもしれないぴょん!」
「日記に未来のことは書けんき」
「むむむ……」
ウサラートは難しい顔で腕を組もうとして、膝の上の総季が小さく身じろぎしたため、慌てて動きを止めた。
その様子があまりに真剣だったので、信子はとうとう声を立てて笑ってしまった。
二 隊長の立派なお役目
雨は、相変わらず静かに降り続いていた。
庭の青葉から雫が落ちるたび、小さな水たまりに丸い波紋が生まれる。
ひとつ、ふたつ。
輪は広がり、重なり、やがて消える。
それを眺めていたウサラートが、ふいに何かを思いついたように耳を立てた。
「……あったぴょん!」
「何が?」
「今日の立派な働きだぴょん!」
信子が振り向くと、ウサラートは膝の上の二匹を指さした。
「黒兎吉と総季を、ずっと起こさずに守ってるぴょん!」
「さっきも言うちょったねぇ」
「でも、よく考えたら、これはものすごく大変なお役目だぴょん!」
「そうなが?」
「二匹が寝てから、ずーっと動いてないぴょん。足も動かさず、お茶も飲まず、庭にも出ず……」
そこでウサラートは、ひときわ誇らしげに言い放った。
「これはもう、立派な忍耐だぴょん!」
信子は二匹を見下ろし、それからウサラートの顔を見た。
「確かに、それはえらいねぇ」
「そうだぴょん!」
「ほいたら、日記には『隊長、二匹の昼寝を守る』と書こうか」
「もっと格好よく書いてほしいぴょん!」
「『隊長、微動だにせず』?」
「それだぴょん!」
満足そうに頷くウサラート。
ところが、その直後だった。
「……にゃぁ」
総季が小さく鳴いた。
白い前脚をぐーっと伸ばし、背中を反らせる。
どうやら夢の中で、何か気持ちのよいことでもあったらしい。
その爪先が、ちょうど文机から少しはみ出していた和紙の端に触れた。
するり。
「あっ」
日記の紙が滑った。
信子は慌てて手を伸ばしたが、袖が硯のそばに置いてあった筆に触れてしまう。
ころり。
筆が転がった。
たっぷりと墨を含んだ穂先が、畳へ向かって落ちていく。
「あっ、いかん!」
その瞬間。
ひゅっ、と小さな手が伸びた。
「おっと、危なかったぴょん!」
ウサラートだった。
膝の上の二匹を落とさぬように上体だけを素早く伸ばし、畳に触れる寸前の筆を見事に掴み取ったのだ。
墨の一滴さえ落としていない。
「……おお!」
信子は目を丸くした。
「すごい! さすが隊長やね!」
「ふっふっふ。これくらい朝飯前だぴょん!」
ウサラートは得意げに筆を掲げた。
黒兎吉は相変わらず眠ったまま。
総季も、何事もなかったかのように小さなあくびをしている。
二匹の安眠も、日記も、畳も守り抜いた。
まさに見事な働きである。
「これで日記に書くことができたぴょん!」
「ほんまやねぇ。隊長のおかげで助かったき」
信子が筆を受け取りながら微笑むと、ウサラートはますます鼻を高くした。
しかし。
「……ところで、隊長」
「何だぴょん?」
「その格好、しんどない?」
「へ?」
ウサラートは自分の姿を見下ろした。
膝の上には、二匹の小さな寝顔。
上半身は、筆を拾ったときの勢いで少し前のめりになっている。
そして足は、長いこと同じ姿勢のままだった。
「別に、何ともな……」
ぴくっ。
右膝が跳ねた。
「……ぴょ?」
今度は、足の先がじんじんと疼き始める。
「…………ぴょっ!?」
ウサラートの表情が固まった。
「隊長?」
「な、何でもないぴょん……」
「足、しびれちゅうが?」
「し、しびれてなんか……」
じわじわ。
ぴりぴり。
「……ぴょおおお……!」
小さな悲鳴が漏れた。
「ふふっ。無理せんと、二匹を下ろしたらえいき」
「だ、駄目だぴょん……!」
ウサラートは涙目になりながら首を振った。
「せっかく気持ちよく寝てるのに、起こしたら可哀想だぴょん……!」
「けんど、隊長の足が大変なことになっちゅうよ?」
「隊長は……隊長は、これしきのことで負けないぴょん……!」
その勇ましい宣言とは裏腹に、顔はすでに半泣きだった。
信子は心配そうに覗き込んだが、当のウサラートが必死に強がるものだから、どうにも笑いがこみ上げてしまう。
「ふふ……ごめん、隊長。笑うつもりはないがやけんど……」
「もう笑ってるぴょん!」
「だって、そんな顔で言われたら……ふふふっ」
「笑い事じゃないぴょん!」
その声に反応して、黒兎吉の耳がぴくりと動いた。
総季も薄目を開ける。
ウサラートは慌てて口を閉じた。
そして、二匹に向かって、とびきり優しい笑顔を作る。
「……大丈夫だぴょん。何でもないぴょん。おやすみだぴょん……」
二匹はしばらくウサラートを見上げていたが、やがて安心したように目を閉じた。
「…………」
「…………」
雨音だけが聞こえる。
やがて信子が、小声で尋ねた。
「……まだ、しびれちゅう?」
「……とっても、しびれてるぴょん」
とうとう正直に白状した。
信子は口元を押さえて、肩を震わせた。
「ふふっ……もう、隊長ったら……」
「でも、今なら日記に書けるぴょん!」
「何を?」
「隊長、筆を救い、仲間を守り、見事に大活躍したぴょん!」
「そうやねぇ」
信子はうんうんと頷き、さらりと筆を動かした。
「『筆を救い、足に難あり』……と」
「後ろはいらないぴょん!!」
雨の日の屋敷に、信子の明るい笑い声が響いた。
三 まだ終わらない一日
ひとしきり笑ったあと、部屋には再び静けさが戻ってきた。
行灯の光が、少しずつ深くなる夕暮れの色に寄り添っている。
庭の雨は、まだやまない。
信子は筆を持ち直し、書きかけの日記に目を落とした。
そこには、今日の出来事が綴られていた。
朝から降り続く雨のこと。
濡れた庭の美しさ。
二匹の小さな寝顔。
そして、少し騒がしくて、少し頼もしい隊長のこと。
いつもと変わらない一日。
特別な出来事など、何もないはずだった。
けれど、こうして振り返ってみると、不思議と書き残しておきたいことばかりだった。
信子は最後の余白へ筆を運ぼうとして、ふと手を止めた。
「……どうしたぴょん?」
ウサラートが尋ねる。
足の痺れはまだ残っているらしく、彼女は膝の上の二匹を抱えたまま、妙に神妙な顔で座っていた。
信子は少し迷ってから、静かに口を開いた。
「……これを書いたら、今日が終わってしまう気がするがよ」
「今日が?」
「うん」
信子は庭へ目を向けた。
青葉の上を雨が滑り、縁側の向こうには、薄紫色の夕闇が降り始めている。
「何でもない一日やったのにねぇ」
柔らかな声だった。
「雨が降って、庭を眺めて、隊長と話をして……二匹がよう寝ちゅう。それだけやのに、何や、今日はずっとこのままでもえいような気がして」
ウサラートは黙って聞いていた。
「楽しいことも、嬉しいことも、日記に書いたら思い出になるろう?」
「うん」
「けんど、まだ思い出にしたくない日も、あるがやね」
信子は少し照れたように笑った。
自分でも、妙なことを言っていると思ったのかもしれない。
けれど、ウサラートは笑わなかった。
ただ、信子の横顔をじっと見つめていた。
雨が降っている。
行灯が灯っている。
二匹が眠っている。
信子が、すぐ隣にいる。
ウサラートはゆっくりと瞬きをして、それから、ふと首を傾げた。
「……でも、信子」
「ん?」
「まだ雨は降ってるぴょん」
「……うん」
「黒兎吉も総季も、まだ寝てるぴょん」
「そうやね」
「それに……」
ウサラートは、ゆっくりと自分の足を見下ろした。
「……まだ立てないぴょん!」
「…………」
一瞬の沈黙。
それから。
「……ふっ」
信子の肩が震えた。
「ふふっ……あははは!」
「な、何がおかしいぴょん!」
「だって……ふふっ、隊長……!」
「こっちは大変なんだぴょん!」
「ごめん、ごめんねぇ……あははっ!」
信子はついに、涙が出るほど笑い始めた。
その声につられて、ウサラートも思わず笑ってしまう。
「えへへ……って、あいたたたっ! 笑うと足に響くぴょん!」
「ふふふっ……もう、ほんまに……」
笑い声が、雨音に混じって広がっていく。
黒兎吉が片耳を立てた。
総季も一度だけ薄目を開けたが、二人の顔を見ると、また安心したように目を閉じた。
小さな寝息が、ふたつ。
何とも平和な光景だった。
信子はようやく笑いを収めると、筆を置いた。
「……そうやね、隊長」
「何がだぴょん?」
「まだ、今日は終わっちょらんね」
ウサラートは大きく頷いた。
「そうだぴょん!」
「ほいたら、最後の一行は、もう少しあとにしようか」
「それがいいぴょん!」
信子は書きかけの日記を、そっと文机の奥へ寄せた。
総季の前脚が届かない場所へ。
墨がこぼれても汚れない場所へ。
そして、最後の一行だけは、空白のままにしておいた。
ウサラートはそれを見届けると、満足げに息を吐いた。
「ふう……これで一件落着だぴょん」
「いや、まだやろ?」
「ぴょ?」
「隊長の足が、まだしびれちゅうき」
「…………」
ウサラートは自分の足を見下ろした。
そろそろ動かせるだろうか。
恐る恐る、つま先に力を込めてみる。
じんっ。
「……ぴょおっ!」
「ふふっ、まだ駄目やねぇ」
「……どうしようだぴょん」
「二匹をこっちに移してあげようか?」
信子が両手を差し出す。
けれど、ウサラートは膝の上を見つめたまま、小さく首を振った。
「……もうちょっとだけ、このままでいるぴょん」
「えいが?」
「うん」
ウサラートは二匹の寝顔を見下ろした。
総季の白い毛が、黒兎吉の耳にふわりと触れている。
黒兎吉はそれを気にする様子もなく、すうすうと寝息を立てていた。
「……気持ちよさそうだぴょん」
その声があまりにも優しかったので、信子はそれ以上何も言わなかった。
代わりに、座布団をひとつ持ってきて、ウサラートの背にそっと当ててやる。
「ほいたら、少しでも楽なようにしちょき」
「ありがとうだぴょん」
「どういたしまして」
信子は隣に腰を下ろした。
文机の上には、書きかけの日記。
外には雨。
そして、二人の膝元には、今日という日を誰よりも上手に楽しんでいる小さな寝坊助たち。
しばらくして、ウサラートがぽつりと言った。
「……信子」
「ん?」
「明日も雨だったら、また日記を書くぴょん?」
「そうやねぇ。書くかもしれんね」
「じゃあ、明日はもっと立派なことをするぴょん!」
「何をするが?」
「……明日考えるぴょん!」
信子は目を細めた。
「ふふっ。ほいたら、楽しみにしちゅうね」
「任せるぴょん!」
そう言って胸を張ったウサラートの膝が、またぴくりと跳ねる。
「……ぴょっ!」
「……ふふふっ」
「あっ! 今、笑ったぴょん!」
「笑うてないき」
「絶対に笑ったぴょん!」
「気のせいやない?」
「信子ぉーっ!」
雨音の向こうへ、二人の声が溶けていった。
やがて、行灯の炎が小さく揺れる。
庭の石は雨に磨かれ、青葉の先からは、今も絶え間なく雫が落ち続けていた。
日記の最後の一行は、まだ白い。
けれど、その余白を急いで埋める必要など、きっとないのだろう。
今日の物語は、まだ終わっていないのだから。
もう少しだけ、雨の音を聞いていよう。
もう少しだけ、二匹の寝息を聞いていよう。
もう少しだけ、隣にいる誰かと、他愛のない話をしていよう。
そんな何でもない時間が、いつか振り返ったとき、いちばん大切な思い出になっているのかもしれない。
そして今夜も、最後の一行が書かれるそのときまで――
雨の日の小さな物語は、優しく、静かに続いていくのだった。
――おしまい。
お読みくださり、ありがとうございます。
雨の日も、晴れの日も、何気ない時間の中に小さな幸せが見つかりますように。
あなたのひと休みにも、穏やかな時間が流れますように。
※本作品は、新選組をモチーフにした「風ゆらり」のオリジナル歴史ファンタジーです。
【あとがき・設定資料のご案内】
本作のオリジナルキャラクターのビジュアルや詳細な設定資料は、Pixiv・noteにて公開しています。
関連リンクまとめ
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ウサラートマート(Usarart Mart)
風ゆらりが手がける、ウサラートとその仲間たちのオリジナルキャラクターブランド。
個性豊かなキャラクターたちが織りなす物語や、LINEスタンプなどを通じて、ちょっと不思議で楽しい世界をお届けします。
企画・制作:風ゆらり(kazeyurari)