雨の日の、書き残さない一行   作:風ゆらり ウサラートマート

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そして、二人のそばには黒い兎の黒兎吉と、白猫の総季。

雨の日の縁側でのんびり過ごしたり、些細なことで言い合いになったり、ときには思いがけない騒動に巻き込まれたり。

激動の幕末を背景に、個性豊かな仲間たちが繰り広げる、笑いあり、優しさあり、ちょっぴり切なさもある物語。

一話完結を基本としているので、どのお話からでもお楽しみいただけます。

兎耳隊長と仲間たちの、少し不思議な新選組日和。

※本シリーズは、新選組や歴史上の人物をモチーフにした「風ゆらり」のオリジナル歴史ファンタジーです。史実とは異なる設定や展開が含まれます。


京の夕焼け、帰れぬ理由

一、帰ると言ったのは誰だったか

「信子、そろそろ戻るぴょん」

 

そう言ってから、ウサラートは少しも動かなかった。

 

西の空が、燃えるような茜色に染まっていた。

 

幾重にも重なった雲は夕日を受けて黄金色に輝き、その隙間から差し込む光が、京の町を柔らかく包み込んでいる。

 

遠くには五重塔の影が浮かび、その向こうには紫がかった山並みが静かに連なっていた。

 

屋根という屋根が夕日に照らされ、古びた瓦の一枚一枚にまで、今日という日の名残が宿っているようだった。

 

日中の賑わいも、そろそろ終わりを迎える頃合いである。

 

そんな京の町を見下ろす屋根の上に、新選組の隊長と副長が並んで腰を下ろしていた。

 

「それ、聞くのは三度目ぜよ」

 

信子は湯呑みを傾けながら、くすりと笑った。

 

もっとも、茶はとうに飲み終えている。

 

底にはわずかな茶葉が残っているばかりで、湯呑みから立ち上っていた白い湯気も、いつの間にか消えていた。

 

「帰る前には、周囲の確認が必要だぴょん」

 

ウサラートは真面目な顔で答えた。

 

長い兎耳をぴんと立て、夕日に染まる京の町をじっと見つめている。

 

その横顔だけを見れば、いかにも隊長らしい。

 

何か重大な異変を察知し、町の隅々にまで目を光らせているようにも見える。

 

しかし、信子は知っていた。

 

「一度目は豆腐屋、二度目は橋。その次は何を見るが?」

 

「……京全体だぴょん」

 

「ずいぶん広うなったねえ」

 

信子は肩を小さく揺らした。

 

先ほどから、ウサラートは帰る理由よりも、帰らない理由を探すことに熱心なのである。

 

もっとも、それをわざわざ指摘するほど、信子も無粋ではなかった。

 

夕風が二人の羽織を揺らす。

 

町のあちらこちらから夕餉の支度を告げる煙が上がり、通りを歩く人々の影が、石畳の上に長く伸びていた。

 

屋根の下では、人々がそれぞれの暮らしへと帰っていく。

 

その様子を眺めていると、何でもない一日の終わりが、少しだけ特別なものに思えてくるのだった。

二、動けない隊長の事情

「ところで、隊長」

 

「何だぴょん?」

 

「そろそろ戻る言うたがは、隊長じゃったよねえ?」

 

「そうだぴょん」

 

「ほいたら、なんで動かんが?」

 

ウサラートは答えなかった。

 

信子が視線を落とす。

 

そこには、すっかりくつろいだ二匹の姿があった。

 

黒猫の総季は、ウサラートが広げた羽織の上で、小さな前足を揃えて眠っている。

 

その隣では黒兎吉が丸くなり、ときおり鼻先をひくひくと動かしていた。

 

二匹とも、夕日の温もりを十分に吸い込んだ羽織が、よほど気に入ったらしい。

 

「先にそっちを確認したらどうじゃ」

 

「異常なしだぴょん」

 

「動けんがやろ?」

 

「動かないだけだぴょん」

 

「ほいたら、立ってみい」

 

信子が悪戯っぽく笑う。

 

ウサラートは何食わぬ顔で片手を瓦についた。

 

しかし、そのわずかな動きに反応して、総季の耳がぴくりと揺れる。

 

それを見た途端、ウサラートの手が止まった。

 

そして、何事もなかったかのように袖口を整え始めた。

 

「……今、立とうとしたろ?」

 

「袖が気になったぴょん」

 

「そうかえ」

 

「そうだぴょん」

 

信子は空を仰いだ。

 

隊長としての威厳を守りたいのか、眠っている二匹を起こしたくないのか。

 

おそらく、その両方なのだろう。

 

「隊長も難儀じゃねえ」

 

「何がだぴょん?」

 

「何でもないぜよ」

 

足元では、黒兎吉が片目を薄く開けていた。

 

二人の顔を交互に見上げ、まるで会話を理解しているかのように鼻先を動かす。

 

それから、再び安心しきった様子で目を閉じた。

 

「ほら、黒兎吉にも見抜かれちゅうよ」

 

「信頼されている証拠だぴょん」

 

「そういうことにしちょこうか」

 

信子は笑った。

 

隊長がいつもこんな調子なら、きっと新選組の副長という役目も苦労が絶えない。

 

けれど、その苦労を嫌だと思ったことはなかった。

 

むしろ、こんな時間があるからこそ、明日もまた隊長の隣に立っていられるのかもしれない。

 

信子はそんなことを思いながら、空になった湯呑みを両手で包み直した。

三、屋根の上から見えるもの

そのときだった。

 

「あっ!」

 

下の通りから、甲高い声が響いた。

 

二人は同時に顔を向けた。

 

夕風にさらわれた藍染めの手拭いが、通りを転がっている。

 

その後ろを、小さな子どもが必死になって追いかけていた。

 

ところが、少し先の曲がり角からは、荷を山のように積んだ大八車が姿を現そうとしていた。

 

車を引く男からは、子どもの姿が見えていない。

 

「信子、角だぴょん!」

 

「見えちゅう!」

 

信子はすぐさま身を乗り出した。

 

「そこの荷車! ちっくと待って!」

 

夕暮れの通りに、澄んだ声が響き渡る。

 

男が驚いて足を止めた。

 

ほとんど同時に、子どもが曲がり角から飛び出してくる。

 

手拭いは車輪のすぐ手前で止まり、子どもも慌てて足を止めた。

 

「おっと、危ない!」

 

男は大八車をしっかり押さえると、転がってきた手拭いを拾い上げた。

 

そして、今にも泣き出しそうな子どもの頭に、そっと載せてやる。

 

遅れて駆けつけた母親が、何度も頭を下げていた。

 

その様子を見届けて、信子はようやく息を吐いた。

 

「……よかった」

 

「間に合ったぴょん」

 

隣を見ると、ウサラートはすでに立ち上がりかけていた。

 

片腕には総季を抱き、もう一方の手では黒兎吉を支えている。

 

二匹とも突然の出来事に少し驚いた様子だったが、暴れることもなく、おとなしくしていた。

 

「……立てるがやね」

 

「必要なときは立つぴょん」

 

「二匹とも抱えて下りるつもりじゃった?」

 

「置いていったら、後からついてくるかもしれないぴょん」

 

「そりゃあ、荷が多いねえ」

 

信子は呆れたように笑った。

 

それでも、ウサラートが何の迷いもなく二匹を抱き上げたことが、少し嬉しかった。

 

隊長は、いつだってそうなのだ。

 

普段は何だかんだと理由をつけて動かないくせに、いざというときには誰よりも早く動こうとする。

 

その腕の中に守るべきものがあるなら、なおさらだった。

 

「もう大丈夫みたいじゃね」

 

「そうだぴょん」

 

ウサラートは静かに腰を下ろした。

 

総季は小さく伸びをすると、再び羽織の上に丸くなった。

 

黒兎吉も、その隣へするりと潜り込んでいく。

 

どうやら、二匹にとっては今の騒ぎさえ、夕寝を邪魔するほどの出来事ではなかったらしい。

 

「まっこと、よう寝る子らじゃねえ」

 

信子が微笑んだ、そのとき。

 

下の通りから、小さな手が振られた。

 

先ほどの子どもだった。

 

屋根の上にいる二人に気づいたらしい。

 

信子がひらりと手を振り返すと、子どもは嬉しそうに飛び跳ねた。

 

そして、自分の頭の両脇に手を立て、ぴょんぴょんと動かし始める。

 

兎の耳の真似だった。

 

「隊長、耳の話をされゆうよ」

 

「立派だったと言ってるぴょん」

 

「聞こえたが?」

 

「見れば分かるぴょん」

 

子どもは何度も耳の真似を繰り返している。

 

信子はとうとう堪えきれず、声を立てて笑った。

 

「ふふっ、確かによう伝わっちゅうねえ!」

 

母親も屋根を見上げ、二人に深々と頭を下げた。

 

信子はもう一度手を振る。

 

ウサラートも、小さく片手を上げた。

 

親子の姿が夕暮れの人波に紛れて見えなくなるまで、二人はその背中を見送っていた。

四、夕焼けに染まる暮らし

再び、京の町に穏やかな時間が戻ってきた。

 

先ほどの騒ぎが嘘のように、通りには人々の足音と、遠くから聞こえる商人の声が流れている。

 

日が傾くにつれ、空の色は少しずつ変わっていった。

 

鮮やかな茜色は深い紅へ。

 

黄金色に輝いていた雲は薄紫へ。

 

遠くの山々には、夜の気配が静かに降り始めていた。

 

「何事もなくてよかったねえ」

 

「まったくだぴょん」

 

ウサラートは総季の背中を、指先で一度だけ優しく撫でた。

 

信子は空の湯呑みを見つめてから、ぽつりと呟いた。

 

「下を歩いちょるとね、声ばっかり聞こえるがよ」

 

「声?」

 

「『急げ』とか、『そこをどけ』とか、『何をしゆう』とか……みんな忙しそうにしちゅう」

 

「信子も、ときどき言うぴょん」

 

「誰かさんが団子屋の前で止まるきじゃ」

 

「……」

 

ウサラートは黙って町へ視線を戻した。

 

信子はその横顔を見て、口元を緩める。

 

「けんど、こうして上から眺めちゅうと、不思議じゃねえ」

 

「何がだぴょん?」

 

「みんな、それぞれ帰るところがあるがやね」

 

通りの向こうでは、先ほどの大八車が乾物屋の前に止まっていた。

 

荷を受け取った老人が、男に何か小さな包みを手渡している。

 

男は嬉しそうに頭を下げ、それを懐にしまった。

 

別の家では、戸口に立った女性が小さな子どもを呼んでいる。

 

店先の灯りをともす者。

 

暖簾を下ろす者。

 

家路を急ぐ者。

 

一日の終わりは、誰にとっても同じように訪れる。

 

けれど、その一日の中身は、きっと一人として同じではない。

 

「……あの荷車の人も、帰ったら誰かが待っちゅうかもしれんねえ」

 

「そうだぴょん」

 

「豆腐屋のおじさんも、橋の向こうのおばあさんも……みんな、今日を終わらせて帰っていくがよ」

 

信子は目を細めた。

 

「こうして見よると、京の町は大きいのに、暮らしは一つ一つ小さくて……けんど、どれも大事なんじゃねえ」

 

ウサラートは、しばらく黙っていた。

 

やがて、小さく頷く。

 

「だから、守るんだぴょん」

 

信子が隣を見る。

 

ウサラートの赤い瞳には、夕日に染まる京の町が映っていた。

 

「この町で、みんなが明日も普通に暮らせるようにするんだぴょん」

 

その声は、いつもの少し得意げな調子とは違っていた。

 

信子は返事を急がなかった。

 

新選組として刀を帯びる日々には、決して穏やかなことばかりがあるわけではない。

 

時には怒号が飛び交い、時には人の涙を見る。

 

それでも、今こうして眼下に広がる暮らしの中には、笑顔がある。

 

何気ない夕餉があり、家族を待つ人がいる。

 

守りたいものとは、きっと、こういう景色なのだろう。

 

「……そうじゃね」

 

信子は微笑んだ。

 

「あても、そう思うぜよ」

 

夕風が吹いた。

 

二人の羽織が、同じ方向へ静かになびいた。

五、帰れない理由

「さて」

 

信子は湯呑みを袖に収めた。

 

「そろそろ、ほんまに帰らんとねえ」

 

「そうだぴょん」

 

ウサラートの返事は早かった。

 

しかし、その足元では総季が気持ちよさそうに寝息を立てている。

 

黒兎吉も、すっかり丸まっていた。

 

信子は二匹を見つめ、それから隣の隊長を見た。

 

「もう少し寝かせてやりたいがやろ?」

 

「……副長には、隊長の立場を考えてほしいぴょん」

 

「考えちゅうよ」

 

「本当かぴょん?」

 

「せやき、三度も待ったがじゃき」

 

ウサラートは何か言い返そうとして、結局口を閉じた。

 

信子は小さく笑う。

 

そのとき、少し冷たくなった風が屋根を吹き抜けた。

 

総季の黒い毛並みがふわりと揺れる。

 

ウサラートはそっと羽織の端を持ち上げ、二匹の体を包み込むように掛け直した。

 

黒兎吉の長い耳を押さえつけないように、布の位置を丁寧に整えている。

 

その手つきがあまりにも自然で、信子はしばらく見入ってしまった。

 

「隊長」

 

「何だぴょん?」

 

「あても、まだ夕焼けを見足りんかった」

 

ウサラートが振り向く。

 

「それなら仕方ないぴょん」

 

「もうちっくと付き合うてくれるが?」

 

「副長を一人で残すわけにはいかないぴょん」

 

信子は、今度は笑わなかった。

 

ただ、少しだけ嬉しそうに目を細めて、ウサラートの隣へ座り直した。

 

肩が触れそうなほど近い距離。

 

二人の間には、言葉にしなくても通じるものがあった。

 

隊長と副長。

 

立場は違っても、見つめている景色は同じだった。

 

「……ありがとう、隊長」

 

「何のことだぴょん?」

 

「何でもないぜよ」

 

西の空で、夕日が山際へと沈んでいった。

 

最後の光が五重塔の輪郭を照らし、京の町には少しずつ夜が満ちてくる。

 

家々にともる灯りが増え、地上には小さな星々が散らばったような光景が広がっていた。

 

誰かの一日が終わり、誰かの夜が始まる。

 

その境目に、二人はただ静かに座っていた。

六、今度は副長の番

やがて、総季が大きなあくびをした。

 

前足をぐっと伸ばし、背中を丸め、もう一度伸びをする。

 

黒兎吉もつられるように目を覚まし、長い耳をぴくぴくと動かした。

 

「おや、ようやくお目覚めじゃねえ」

 

信子は嬉しそうに二匹を見下ろした。

 

「ほいたら、今度こそ帰れるねえ」

 

そう言って立ち上がろうとした、その瞬間。

 

総季が、ひょいと信子の膝に飛び乗った。

 

「……ん?」

 

黒猫は何の遠慮もなく、膝の上でくるりと向きを変えた。

 

そして、すっぽりと丸くなる。

 

「待ちい、総季。そこは寝床やないぜよ」

 

しかし、総季は聞こえないふりをしている。

 

喉の奥から、満足そうな音まで響かせ始めた。

 

さらに、黒兎吉までもが信子の足元へ寄ってきた。

 

青い羽織の裾に鼻先を押しつけ、居心地のよい場所を探すようにもぞもぞと動く。

 

そして、信子の膝に寄り添うように座り込んでしまった。

 

「……黒兎吉まで?」

 

信子は困った顔で二匹を見下ろした。

 

総季は目を閉じている。

 

黒兎吉も、すっかり落ち着いてしまった。

 

二匹とも、今度は信子の膝を寝床に決めたらしい。

 

「こりゃあ……困ったねえ」

 

隣から、静かな声が聞こえた。

 

「信子、そろそろ戻るぴょん」

 

ウサラートだった。

 

先ほどまでとは違い、今度はいつでも立ち上がれそうな顔をしている。

 

信子はじっと隊長を見つめた。

 

「……隊長」

 

「何だぴょん?」

 

「さっきまで動けんかったがは、どなたじゃった?」

 

「もう周囲の確認は済んだぴょん」

 

「そうかえ」

 

「そうだぴょん」

 

信子は膝の上の総季を見た。

 

次に、足元の黒兎吉を見る。

 

そして、ゆっくりと京の町へ視線を向けた。

 

夕焼けは、もうほとんど消えている。

 

紫から藍へと変わった空には、一番星が小さく輝いていた。

 

町のあちらこちらから灯りが漏れ、五重塔は夜の色に溶け込もうとしている。

 

信子は、わざと真面目な顔を作った。

 

「……まだ、周囲の確認が済んじょらん」

 

「どの辺りだぴょん?」

 

ウサラートが首を傾げる。

 

信子は少しだけ考えるふりをした。

 

そして、穏やかな声で答えた。

 

「京全体じゃ」

 

一瞬、静寂が訪れた。

 

ウサラートの長い兎耳が、ぴくりと動く。

 

それから、まるで笑いを堪えているかのように、小さく揺れ始めた。

 

「……ずいぶん広いぴょん」

 

「隊長に教えてもろうたがよ」

 

「それは困ったぴょん」

 

「そうじゃろ?」

 

信子がくすくすと笑う。

 

ウサラートも、とうとう口元を緩めた。

 

「仕方ないぴょん。隊長として、副長の確認が終わるまで付き合うぴょん」

 

「それは心強いねえ」

 

ウサラートは、二匹の背中からずれ落ちかけていた羽織を拾い上げた。

 

そして、信子の膝の上にいる総季と、その足元の黒兎吉を包むように、そっと広げる。

 

布の端は、信子の冷え始めた膝にまで届いていた。

 

「……隊長も寒かろう?」

 

「平気だぴょん」

 

「無理せんでえいがよ」

 

「無理してないぴょん」

 

信子は何も言わず、自分の羽織の端を少し広げた。

 

二人の間を吹き抜ける風が、先ほどよりも冷たくなっている。

 

それでも、隣に誰かがいるというだけで、不思議と寒さは気にならなかった。

 

「隊長」

 

「何だぴょん?」

 

「明日も、京は賑やかじゃろうねえ」

 

「きっとそうだぴょん」

 

「今日みたいに、みんなが無事に帰れるとえいねえ」

 

「そうだぴょん」

 

ウサラートは、眼下に広がる町を見つめた。

 

「明日も守るぴょん」

 

信子はその横顔を見て、静かに頷いた。

 

「あても一緒じゃ」

 

二人の足元で、総季が小さく喉を鳴らした。

 

黒兎吉は耳を一度だけ動かすと、再び目を閉じる。

 

夜の帳が、ゆっくりと京の町を包み込んでいく。

 

遠くで鐘の音が響いた。

 

帰らなければならない時間は、とっくに過ぎていた。

 

けれど、急いで帰る理由も、今は見当たらなかった。

 

信子は空を見上げる。

 

星が一つ、また一つと増えていく。

 

「……隊長」

 

「今度は何だぴょん?」

 

「明日も、ここから京を見たいねえ」

 

ウサラートは少し考えた。

 

そして、真面目な顔で答える。

 

「明日は、もっと早く来るぴょん」

 

「何でじゃ?」

 

「周囲の確認には時間がかかるぴょん」

 

信子は一瞬きょとんとした。

 

それから、堪えきれずに笑い出した。

 

「ふふっ……まっこと、困った隊長じゃねえ!」

 

「何がおかしいぴょん?」

 

「何でもない、何でもないがよ」

 

笑い声が、夜風に乗って京の空へと溶けていった。

 

ウサラートも、つられるように微笑む。

 

その隣で、信子は膝の上の総季を撫でながら、もう一度町を見下ろした。

 

誰もが帰る場所を持つ、この京の町。

 

その穏やかな夜を守るために、明日もまた二人は歩き出すのだろう。

 

刀を帯び、隊長と副長として、それぞれの務めを果たすために。

 

けれど、今だけは。

 

眠っている二匹を起こさずに、もう少しだけ、この景色を眺めていたかった。

 

帰れないのではない。

 

帰りたくない理由が、ここにはあった。

 

そして、その理由をわざわざ言葉にする必要もなかった。

 

「信子、そろそろ戻るぴょん」

 

「……それ、四度目ぜよ」

 

二人の笑い声が、静かな屋根の上に重なる。

 

京の夜は、まだ始まったばかりだった。

 

――了――

 

お読みくださり、ありがとうございます。

 

雨の日も、晴れの日も、何気ない時間の中に小さな幸せが見つかりますように。

 

あなたのひと休みにも、穏やかな時間が流れますように。

 

※本作品は、新選組をモチーフにした「風ゆらり」のオリジナル歴史ファンタジーです




【あとがき・設定資料のご案内】
本作のオリジナルキャラクターのビジュアルや詳細な設定資料は、Pixiv・noteにて公開しています。
関連リンクまとめ
https://x.com/kazeyurarinn
https://lit.link/kazeyurari
https://note.com/kazeyurari


ウサラートマート(Usarart Mart)
風ゆらりが手がける、ウサラートとその仲間たちのオリジナルキャラクターブランド。

個性豊かなキャラクターたちが織りなす物語や、LINEスタンプなどを通じて、ちょっと不思議で楽しい世界をお届けします。

企画・制作:風ゆらり(kazeyurari)
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