雨の日の、書き残さない一行   作:風ゆらり ウサラートマート

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そして、二人のそばには黒い兎の黒兎吉と、白猫の総季。

雨の日の縁側でのんびり過ごしたり、些細なことで言い合いになったり、ときには思いがけない騒動に巻き込まれたり。

激動の幕末を背景に、個性豊かな仲間たちが繰り広げる、笑いあり、優しさあり、ちょっぴり切なさもある物語。

一話完結を基本としているので、どのお話からでもお楽しみいただけます。

兎耳隊長と仲間たちの、少し不思議な新選組日和。

※本シリーズは、新選組や歴史上の人物をモチーフにした「風ゆらり」のオリジナル歴史ファンタジーです。史実とは異なる設定や展開が含まれます。


背中を預ける、その前に

一、竹林に潜む足音

 

竹の葉が鳴るたび、足音が一つ増える。

 

朝の冷気がまだ肌を刺す、京郊外の竹林。

 

空を覆う青竹の隙間から、幾筋もの淡い陽光が差し込んでいた。夜露を含んだ落ち葉は黒々と湿り、風が吹くたびに、頭上では竹同士が触れ合う乾いた音が響いている。

 

湿った土と青竹の匂い。

 

その中に、微かに混じる鉄錆のような臭気があった。

 

坂本信子は歩みを緩め、腰に差した刀の柄へそっと指を添えた。

 

傍らを歩くのは、新選組隊長のウサラート。

 

漆黒の長髪に伸びる兎耳が、風の流れを確かめるように小さく動いている。

 

二人とも振り返らない。

 

背後にいる何者かへ気づいたことを悟らせぬよう、互いの歩調を合わせていた。

 

「……隊長」

 

「なんだぴょん?」

 

「さっきから、同じところを歩いちゅう気がせん?」

 

「道には迷ってないぴょん」

 

「道の話やないき。あてらの後ろの足音ぜよ」

 

信子は声を落とした。

 

「二人分やったはずが、今は三人分に聞こえるがよ」

 

ウサラートの兎耳が、わずかに後方へ傾く。

 

「気づいていたぴょん」

 

「ほんなら、先に言うてほしかったねえ」

 

「信子も気づいていると思ったぴょん」

 

「……ほんに、隊長らしい答えやね」

 

呆れたように笑いながらも、信子の眼差しは鋭さを失わなかった。

 

足元では黒兎吉が立ち止まり、鼻をひくひくと動かしている。

 

その隣にいる白猫の総季も、耳を伏せて茂みの奥を見据えていた。

 

二匹とも、普段のように戯れようとはしない。

 

竹林を包む静寂に、明らかな異変が潜んでいた。

 

今朝、屯所へ届けられた知らせを信子は思い返す。

 

この竹林の抜け道で、旅人が荷や金品を奪われる事件が三度続いていた。

 

いずれも、幼い子供から道を尋ねられ、足を止めた直後に背後から襲われたという。

 

そして今、その噂を裏づけるように、一人の少年が道の先に立っていた。

 

年の頃は十ほど。

 

粗末な着物をまとい、両腕には古びた竹籠を抱えている。

 

草履の片方だけ、新しい藁で鼻緒が結び直されていた。

 

少年は二人を見つけると、怯えたように肩を震わせた。

 

「……お姉さん」

 

その声は、妙にかすれていた。

 

「町へ行きたいんだけど……どっちへ行けばいい?」

 

信子は少年の顔ではなく、足元を見た。

 

つま先が、町へ続く道ではなく脇の茂みへ向いている。

 

しかも、少年は何度も同じ場所へ視線を落としていた。

 

何かを恐れている。

 

あるいは、何かを確かめている。

 

「町なら、この先を抜ければ着くぴょん」

 

ウサラートが穏やかに答えた。

 

「私たちも一緒に行くぴょん」

 

「……道だけ教えてくれれば、いいんだ」

 

「子供一人では危ないぴょん」

 

ウサラートが一歩踏み出す。

 

少年は反射的に後ずさった。

 

その瞬間、信子の目が細くなる。

 

少年の額には、朝の冷気に似つかわしくない汗が浮かんでいた。

 

二、少年の投げた石

 

「隊長」

 

「分かってるぴょん」

 

「まだ何も言うちょらんけんど」

 

「背中をお願いするぴょん」

 

信子は小さく笑った。

 

「頼まれる前から、そこにおるき」

 

二人の藍色の羽織が、風に揺れて触れ合う。

 

先ほどまで隣り合っていた二人は、互いの背後を守れる位置へゆっくりと移った。

 

黒兎吉と総季も、二人の足元で身を低くしている。

 

少年の抱えた竹籠が、かたかたと鳴った。

 

「……来ないで」

 

その呟きは、風に消えそうなほど小さかった。

 

「何か言うた?」

 

信子が問いかける。

 

少年は唇を噛み締めた。

 

「来るなって、言ってるんだ!」

 

叫ぶと同時に、竹籠を勢いよく放り投げた。

 

乾いた音を立てて籠が地面に落ち、中に入っていた小石が四方へ散らばる。

 

信子は反射的に視線を向けた。

 

石のいくつかが、道の右脇に不自然に積まれた落ち葉の上を跳ねた。

 

その下から、一瞬だけ縄の端が覗く。

 

「信子、止まるぴょん!」

 

ウサラートが袖を引いた。

 

ほぼ同時に、茂みの奥から縄が引かれる。

 

びゅんっ!

 

隠されていた輪縄が地面を跳ね、信子の足首を掠めるように宙へ舞い上がった。

 

あと半歩、踏み込んでいれば足を取られていただろう。

 

「……危なかったねえ」

 

信子が息を吐く。

 

「よう気づいたね、隊長」

 

「少年がずっと地面を見ていたぴょん」

 

ウサラートは静かに答えた。

 

「罠を踏まないように、気にしていたぴょん」

 

少年は逃げようとした。

 

しかし、その背後の竹陰から突然、太い腕が伸びてくる。

 

「余計なことをしやがって!」

 

男の怒声が響いた。

 

少年の襟首が乱暴に掴まれ、細い体が後ろへ引きずられる。

 

男の手には、錆びついた短刀。

 

切っ先が少年の首元へ突きつけられていた。

 

「動くな! 刀を捨てろ!」

 

同時に、信子の背後からも重い足音が近づいてきた。

 

振り返らずとも分かる。

 

茂みから出てきたもう一人の男が、太い木の棒を構えている。

 

「後ろに一人。棒を持っちゅう」

 

信子が囁く。

 

「こっちにも一人だぴょん」

 

「完全に挟まれたねえ」

 

「でも、背中合わせなら、どっちも正面だぴょん」

 

信子は思わず口元を緩めた。

 

「……ほんに、そういう屁理屈は嫌いやないぜよ」

 

だが、笑っていられる状況ではなかった。

 

少年の首に押し当てられた短刀が、朝日を受けて鈍く光っている。

 

一歩でも判断を誤れば、少年の命が失われる。

 

ウサラートは刀の切っ先をわずかに下げた。

 

「その子を放すぴょん」

 

「先に刀を捨てろ!」

 

男は少年の襟を強く引き寄せた。

 

「こいつがどうなってもいいのか!」

 

少年が苦しそうに咳き込む。

 

その姿を見た瞬間、ウサラートの兎耳が静かに伏せられた。

 

「……まず、襟を緩めるぴょん」

 

声は穏やかだった。

 

けれど、その言葉には決して譲らない響きがあった。

 

「その子が息をできていないぴょん」

 

三、背中を預ける、その意味

 

信子には、背後に立つウサラートの表情が見えなかった。

 

しかし、袖越しに伝わる僅かな動きで分かる。

 

隊長は、一人で少年を助けに飛び込むつもりだ。

 

「ウサラート」

 

「分かってるぴょん」

 

「まだ何も言うてない」

 

「飛び込むな、だぴょん?」

 

「違うき」

 

信子の声が低くなる。

 

「行くときは、ちゃんと声を掛け合い。それが約束やろ?」

 

ウサラートは答えなかった。

 

ほんの一瞬、二人の背中が触れ合った。

 

「……分かったぴょん」

 

その返事を聞き、信子は刀を構え直す。

 

そのときだった。

 

「……ごめん」

 

少年が消え入りそうな声を漏らした。

 

「おれ、あいつらに言われたんだ……」

 

男が少年の襟をさらに強く掴む。

 

「黙ってろ!」

 

「石を投げれば……お姉さんたちがそっちを見るからって……」

 

少年の目から、大粒の涙がこぼれた。

 

「でも……罠のところへ投げたんだ」

 

信子は地面に散らばる小石を見た。

 

少年が放り投げた竹籠。

 

それは襲撃の合図であると同時に、罠の場所を知らせるための必死の抵抗でもあった。

 

石がなければ、落ち葉の下に隠された縄に気づくのは難しかっただろう。

 

「あんた……」

 

信子の胸に、熱いものが込み上げる。

 

少年は恐怖に震えながらも、最後まで誰かを傷つけることに抗ったのだ。

 

ウサラートが静かに微笑んだ。

 

「ちゃんと伝わったぴょん」

 

少年が顔を上げる。

 

「もう大丈夫だぴょん」

 

ウサラートは刀を握り直した。

 

「今度は、私たちの番だぴょん」

 

背後の男が怒鳴る。

 

「何をごちゃごちゃ話してやがる! やっちまえ!」

 

木の棒を持った男が信子へ飛びかかった。

 

同時に、人質を取る男が短刀を持つ腕へ力を込める。

 

竹林の空気が、一瞬で張り詰めた。

 

「信子!」

 

「任せちょき!」

 

鋭い声が重なる。

 

四、抜かれた刃、守られた命

 

男の振り下ろした棒が、唸りを上げた。

 

信子は半歩横へ踏み込み、刀の鎬でその一撃を受け流す。

 

重い衝撃が両腕を伝った。

 

しかし、正面から力を競う必要はない。

 

棒の勢いに逆らわず体をひねると、男は狙いを外し、地面へ大きく踏み込んだ。

 

「遅いぜよ!」

 

信子が間合いを詰める。

 

刀の峰を男の手元へ叩き込み、棒を握る力を緩ませた。

 

木の棒が地面を転がる。

 

男が慌てて拾おうとした瞬間、信子の刀がその進路を塞いだ。

 

「そこまでにしとき」

 

刃先は男の喉元からわずかに離れた位置で止まっている。

 

「これ以上、誰も傷つけとうないき」

 

一方、ウサラートは少年を見つめていた。

 

男の短刀は、依然として少年の首元にある。

 

強引に飛び込めば、刃が少年を傷つける危険があった。

 

だからこそ、ウサラートは動かなかった。

 

男が苛立って叫ぶ。

 

「てめえも刀を捨てろ!」

 

「分かったぴょん」

 

ウサラートは刀をゆっくりと下げた。

 

その動きに、男の視線が一瞬だけ吸い寄せられる。

 

「……今だぴょん。しゃがむぴょん!」

 

少年はその声を聞くや、膝から力を抜いた。

 

突然、体重が下へ落ちる。

 

襟を掴んでいた男の腕が引かれ、短刀の切っ先が少年の首元から僅かに離れた。

 

ウサラートは、その隙を逃さなかった。

 

地面を蹴る。

 

藍色の羽織が、竹林の薄明かりの中で大きく翻った。

 

男が短刀を振り上げようとした瞬間、その手首を掴む。

 

握り込まれた刃が少年へ向かないよう腕を外側へ押し開き、同時に男の足を払った。

 

「ぐあっ!」

 

男の体が崩れる。

 

手首を制されたまま地面へ倒れ込み、短刀が乾いた音を立てて落ちた。

 

ウサラートはすかさず刃物を遠ざけた。

 

「もう終わりだぴょん」

 

男は身を起こそうとしたが、腕を押さえ込まれて動けない。

 

「……くそっ!」

 

竹林に響くのは、男の荒い息だけだった。

 

信子も背後の男を制圧し、動きを封じている。

 

二人の視線が重なった。

 

「怪我はない?」

 

「大丈夫だぴょん」

 

「少年は?」

 

ウサラートが振り返る。

 

少年は道端に座り込み、震える両手で自分の膝を抱えていた。

 

けれど、その体に刃傷はなかった。

 

「無事だぴょん」

 

信子はようやく大きく息を吐いた。

 

頭上では竹の葉が、何事もなかったかのように揺れている。

 

先ほどまで殺気に満ちていた竹林へ、穏やかな朝の光が戻ってきた。

 

五、小さな勇気の行方

 

捕らえた二人の男を縄で縛り、逃げられないよう竹の幹へ固定すると、信子は少年のそばへ歩み寄った。

 

少年は地面に座ったまま、泥のついた膝を何度も擦っている。

 

その前に、白猫の総季が静かに近づいた。

 

少年の指先へ鼻を寄せ、匂いを確かめる。

 

「……猫?」

 

少年の手が止まった。

 

総季は小さく喉を鳴らす。

 

少し離れた場所では、黒兎吉が耳を立てて少年を見守っていた。

 

「この子たち……お姉さんたちの?」

 

「そうやき」

 

信子は少年の前へしゃがみ込んだ。

 

「白い子が総季、黒い兎が黒兎吉いうがよ」

 

少年は恐る恐る総季の背中に触れた。

 

柔らかな毛並みに、僅かに表情が緩む。

 

しかし、すぐに俯いた。

 

「……おれも捕まるの?」

 

信子は少しだけ考えた。

 

少年のしたことが、すべて許されるわけではない。

 

実際に罠へ誘い込む役目を担っていたことは、確かなのだから。

 

けれど、それが少年自身の意思だったのか。

 

拒めば何をされると脅されていたのか。

 

その事情を知らずに、罪を決めつけることはできない。

 

「まずは、何があったかを聞かせてもらうき」

 

信子は少年と目の高さを合わせた。

 

「怖かったことも、無理やりさせられたことも、あんたが自分で決めたことも、全部や」

 

「……怒らない?」

 

「話を聞く前から、怒ったりせんよ」

 

信子は優しく微笑む。

 

「けんど、嘘だけはつかんといてほしいがよ」

 

少年はしばらく唇を噛み締めていた。

 

やがて、小さく頷く。

 

「……うん」

 

そこへ、ウサラートが壊れた竹籠を持って戻ってきた。

 

底が大きく割れ、竹の編み目がほどけている。

 

「これ、君のものかぴょん?」

 

少年は籠を見た途端、泣きそうな顔になった。

 

「……村の人から借りたんだ」

 

「そうだったぴょん」

 

「壊しちゃった……どうしよう」

 

ウサラートは割れた部分を確かめる。

 

「直せるかもしれないぴょん」

 

「本当?」

 

「約束はできないぴょん。でも、まずは事情を話して謝るぴょん」

 

少年は籠を受け取った。

 

「……怒られるかな」

 

「怒られるかもしれないぴょん」

 

ウサラートはあっさり答えた。

 

少年が目を丸くする。

 

「でも、逃げずに謝ることが大事だぴょん」

 

信子はその言葉を聞いて、小さく笑った。

 

「隊長にしては、えいこと言うねえ」

 

「いつもいいことを言っているぴょん」

 

「それはどうやろね」

 

「ひどいぴょん」

 

二人のやり取りを見て、少年が初めて小さく笑った。

 

その笑顔を見た瞬間、信子は胸の奥がほんの少し温かくなるのを感じた。

 

守れたのだ。

 

少なくとも、今日、この場所では。

 

少年が再び誰かに利用されることのないよう、ここから先も大人たちが責任を持たなければならない。

 

それでも、最初の一歩は守ることができた。

 

六、背中の傷と帰り道

 

捕らえた男たちの見張りを交代するため、近くの番所へ知らせを走らせた。

 

その後、応援に来た者たちへ事情を引き継ぎ、二人は少年を伴って屯所への帰路についた。

 

朝の霧はすっかり薄れ、竹林の向こうには明るい空が広がっている。

 

信子は隣を歩くウサラートを横目で見た。

 

先ほどの戦闘で、羽織の袖が小さく裂けていた。

 

「……隊長」

 

「なんだぴょん?」

 

「袖、破れちゅうよ」

 

ウサラートは自分の腕を見下ろした。

 

「あ、本当だぴょん」

 

「本当だぴょん、やないき」

 

信子は足を止め、裂けた部分を確かめる。

 

布の下に傷がないことを確認すると、ようやく安堵の息をついた。

 

「ほんに、心配させる人やねえ」

 

「怪我はしてないぴょん」

 

「そういう問題やないがよ」

 

信子の声には、珍しく強い響きがあった。

 

「さっき、あてに何も言わんと飛び込もうとしたやろ?」

 

「……ほんの少しだけだぴょん」

 

「少しでも同じやき」

 

ウサラートは黙った。

 

信子は怒鳴らなかった。

 

ただ、隣に立ったまま静かに続ける。

 

「あては、隊長のことを信じちゅう」

 

「……うん」

 

「けんど、隊長が一人で全部背負おうとしたら、あては何のために隣におるが?」

 

ウサラートが顔を上げた。

 

信子は真っ直ぐにその瞳を見つめる。

 

「隊長を守るがも、副長の仕事やき」

 

竹の葉が二人の間を舞い落ちた。

 

「背中を預けるいうがは、相手に危ないところを全部任せることやない」

 

信子は小さく微笑んだ。

 

「一緒に危ないところから帰ってくることやと思うちゅう」

 

ウサラートの兎耳が、ゆっくりと傾いた。

 

「……信子」

 

「うん?」

 

「次からは、ちゃんと言うぴょん」

 

「そうし」

 

「勝手に飛び出したりしないぴょん」

 

「それが一番やね」

 

「でも、危ないときは助けるぴょん」

 

「もちろんやき」

 

信子は笑った。

 

「そのときは、あても一緒に助けるぜよ」

 

ウサラートは嬉しそうに頷いた。

 

「約束だぴょん!」

 

二人は再び歩き始めた。

 

今度は、どちらかが先へ出ることも、後ろへ下がることもない。

 

互いの歩幅に合わせるように、並んで進んでいく。

 

七、竹林の向こうへ

 

出口が近づくにつれ、竹林の薄暗さは少しずつ消えていった。

 

向こう側からは、人々の話し声や荷車の軋む音が聞こえてくる。

 

京の町は、今日も変わらず動いていた。

 

先を歩いていた少年が振り返る。

 

「お姉さんたち、早く!」

 

その足元では、総季が尻尾を立てて歩いている。

 

黒兎吉も小さな体で懸命に跳ねながら、二人の帰りを待っていた。

 

「今行くぴょん!」

 

ウサラートが手を振る。

 

信子もその隣で微笑んだ。

 

「……それにしても、隊長」

 

「なんだぴょん?」

 

「屯所に帰ったら、その袖、ちゃんと繕わないかんねえ」

 

ウサラートの動きが止まった。

 

「……信子」

 

「うん?」

 

「できれば、みんなには黙っていてほしいぴょん」

 

「なんで?」

 

「隊長が羽織を破ったと知られたら、また小言を言われるぴょん」

 

信子は堪えきれずに吹き出した。

 

「ふふっ、何を今さら言いゆうがよ」

 

「笑い事じゃないぴょん」

 

「隊長が自分で繕うなら、黙っちょいてもえいけんど?」

 

ウサラートは自分の袖を見下ろした。

 

裂け目は小さい。

 

しかし、針と糸を使って綺麗に直せるかと言われれば、少々自信がなかった。

 

「……信子」

 

「なに?」

 

「手伝ってほしいぴょん」

 

「最初からそう言えばえいがよ」

 

信子は楽しそうに笑った。

 

「まったく、ほんに困った隊長やねえ」

 

その言葉には、もう呆れだけではない温かさが込められていた。

 

ふと、ウサラートが信子の袖をそっと引く。

 

先ほど、罠から救うために引き寄せたときとは違う。

 

ほんの少しだけ、遠慮がちな力だった。

 

「……信子」

 

「今度はなんぜよ?」

 

「帰るときも、一緒だぴょん」

 

信子は目を瞬いた。

 

そして、穏やかに笑う。

 

「当たり前やろ?」

 

その答えを聞いて、ウサラートも笑った。

 

竹林を抜けた先には、柔らかな朝日が広がっている。

 

少年の笑い声。

 

総季の小さな鳴き声。

 

落ち葉を踏みながら跳ねる黒兎吉の姿。

 

そして、隣を歩く大切な仲間。

 

刀を抜かなければならない日もある。

 

誰かを傷つけずには守れないものが、いつか現れるかもしれない。

 

それでも、できることならば、誰も失わずに帰りたい。

 

守るべき人々の暮らす京へ。

 

待っている仲間たちのいる屯所へ。

 

信子は隣のウサラートを見た。

 

「隊長」

 

「なんだぴょん?」

 

「今日も、二人で帰れたねえ」

 

ウサラートは嬉しそうに兎耳を立てた。

 

「明日も一緒に帰るぴょん!」

 

「ああ、そうやね」

 

信子は前を向き、柔らかな朝の光へ一歩を踏み出した。

 

背中を預けるということ。

 

それは、相手の強さを信じるだけではない。

 

その人が弱さを見せても、危うい道を選びそうになっても、隣で声を掛けられること。

 

そして、二人揃って帰る未来を、最後まで諦めないこと。

 

――背中を預ける、その前に。

 

まずは隣にいる相手を、誰よりも大切にすることから始まるのだろう。

 

竹林を抜ける風が、二人の藍色の羽織を優しく揺らした。

 

その裾が触れ合うたび、信子は思う。

 

この少し困った隊長となら、これから先もきっと歩いていける。

 

「……あ、隊長」

 

「今度はなんだぴょん?」

 

「帰ったら、羽織を繕う前に始末書やきね」

 

「……ぴょん?」

 

「勝手に飛び出そうとしたこと、ちゃんと書いてもらうぜよ」

 

「それは勘弁してほしいぴょん!」

 

信子の笑い声が、明るい朝の空へ響いた。

 

振り返った少年も、つられて笑う。

 

ウサラートは少し不満そうに頬を膨らませたが、やがて自分でも笑い始めた。

 

二人の足音は、今度こそ綺麗に重なっていた。

 

――帰る場所が同じなら、歩幅だって揃えられる。

 

 

――了――

 

 

 

 




【あとがき・設定資料のご案内】
本作のオリジナルキャラクターのビジュアルや詳細な設定資料は、Pixiv・noteにて公開しています。
関連リンクまとめ
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ウサラートマート(Usarart Mart)
風ゆらりが手がける、ウサラートとその仲間たちのオリジナルキャラクターブランド。

個性豊かなキャラクターたちが織りなす物語や、LINEスタンプなどを通じて、ちょっと不思議で楽しい世界をお届けします。

企画・制作:風ゆらり(kazeyurari)
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