たぶん、ゴールはここじゃない   作:徳辺

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#6 地図にない島の歩き方

 

 世の中には、真に受けてはいけない話が三つある。一つ目は、政治家の「必ず実現します」という公約。二つ目は、詐欺師の「あなただけに教えます」という投資話。そして三つ目が、夕暮れのベンチでゴールドシップが語り始める冒険譚だ。

 

 

 トレセン学園の放課後。西日が芝生に長い影を落とす時間になると、彼女は決まってベンチの真ん中に陣取り、どこで仕入れてきたのかも分からないヨタ話を披露する。

 

「でよォ、最西端の海を越えた向こうに、地図に載らない孤島があるんだわ」

 

周りにいたウマ娘たちは、いつものように適当な相槌を打った。

 

「はいはい」

 

「また始まった」

 

「この前は海底に巨大な郵便局があるって言ってなかった?」

 

「ああ、あるぜ。配達員が全員タツノオトシゴなんだよ。書留はカジキが担当してる」

 

ゴルシは満足げにうなずいた。周りが呆れ、誰かがツッコミを入れ、最後には話そのものが有耶無耶になる。それがこの学園における、正しい重力の働き方だった。林檎は木から落ちるし、ゴールドシップの話は聞き流される。

ところがその日は、重力が局所的に、少しだけおかしくなった。

 

「その島な、潮が一定周期で逆回転すんのよ。あれは島が呼吸してる証拠だ」

 

「島って息するの!?」

 

話を聞いていたハルウララが、目を輝かせた。

 

「おう。満潮が吸う方で、干潮が吐く方だ。たまにくしゃみもする」

 

「くしゃみ!?」

 

「ウララさん、ちょっといいかしら?」

 

通りかかったキングヘイローが、さりげなくウララの肩を引いた。

 

「えー、でも島のお話が――」

 

「あとで私が、ちゃんとした島のお話をしてあげるから」

 

「ほんと!? キングちゃん、島に詳しいの!?」

 

「……今から詳しくなるわ」

 

二人が去っていく。ゴルシはその背中を見送って、やれやれと肩をすくめた。

 

「ったく。いいところだったのによ」

 

ちょうどそのときだった。

 

「……孤島?」

 

小さな声がした。顔を上げると、トレーニング帰りのサイレンススズカが立っていた。ジャージ姿のまま、タオルを肩に掛けている。話の途中から聞こえていたらしい。

 

「お、スズカ。何だ、お前も未確認島嶼学に興味あんのか?」

 

「……未確認島嶼学?」

 

「アタシが今朝つくった学問だ」

 

「そうなんですね」

 

スズカはごく自然にうなずき、ベンチの空いているところに目をやった。

 

「隣、いいですか?」

 

「……おう?」

 

ゴルシが体をずらすと、スズカは腰を下ろした。周りのウマ娘たちは、互いの顔を見合わせた。誰も止めなかった。止めるべきなのかどうか、判断がつかなかったのだ。

 

 

 

「それで、その島はどこにあるんですか?」

 

「最西端の海を越えた向こうだな」

 

「最西端というのは、日本の、でしょうか。それとも世界の?」

 

「世界の最西端だ」

 

「……世界の最西端」

 

「おう。地球をぐるっと回って、もうこれ以上西には行けねえって場所だ」

 

「地球は球体ですから、西へ進み続けても終点はないと思いますが……」

 

「だから地図に載らねえんだよ」

 

「……なるほど」

 

何がなるほどなのか。その場にいた全員が同じ疑問を抱いたが、スズカの顔は至って真剣だった。

 

「近づくとよ、コンパスが『今日は無理』って言い出すんだわ」

 

「コンパスが、無理と?」

 

「おう。針がぐるぐる回ったあと、北を指すのをやめる」

 

「磁場に異常があるのでしょうか」

 

「いや、機嫌が悪いんだ」

 

「……機嫌」

 

「前の日にちょっと喧嘩してよ」

 

「コンパスと?」

 

「おう」

 

スズカはしばらく考え込み、それからジャージのポケットを探った。出てきたのは、小さなメモ帳とペンだった。

カリ、カリ、カリ。夕暮れの空に、几帳面な筆記音が響く。

 

「……おい」

 

近くにいたウマ娘が、思わず声を漏らした。

 

「スズカさん、書いてる?」

 

「はい」

 

「何を?」

 

「今のお話です」

 

「……何で?」

 

スズカは顔を上げた。

 

「まだ知らない場所のお話ですから。忘れてしまうのは、もったいなくて」

 

ゴルシは隣を見た。

 

「……へえ」

 

口の端が、勝手に上がった。

 

「じゃあ、もう一つ教えてやる。その島な、夜になると影が増えるんだ」

 

「影が増える?」

 

「おう。三人しかいねえのに、地面には四人分の影がある」

 

「光源が複数ある可能性は?」

 

「月は一個だったな」

 

「四人目が隠れていた可能性は?」

 

「靴だけ残して消えたのかもしれねえ」

 

「……靴?」

 

「そう。そこが厄介なんだよ。浜辺に置いた靴は、朝になると全部向きが変わってんだ」

 

「風の影響でしょうか」

 

「いや、靴が勝手に歩いてんだろ」

 

「……なるほど」

 

またしても、何がなるほどなのか。スズカはメモ帳に何かを書き加えた。

 

「向きが変わる方向に、規則性はありますか?」

 

「無い」

 

「不規則な事象ですか。一番厄介ですね」

 

「だろ?」

 

「はい。コースの状態が予測できないのは、走るうえでも危険ですから」

 

「靴の話だぞ?」

 

「ええ。ですから、事前に把握しておきたいんです」

 

ゴルシは口を閉じた。一拍おいて、笑いが漏れた。

 

「……お前、面白えな」

 

 

 

 そのあとも、話は続いた。海鳥は決して西を見ない。島の中央には、満潮のときだけ現れる階段がある。階段を上りきると、なぜか浜辺に戻ってくる。島には時計がない。正確には、時計を持ち込むと全部が違う時刻を示し始める。

 

「……それは、困りますね」

 

「だろ? 待ち合わせに使えねえんだよ」

 

「島に、待ち合わせをする相手がいるんですか?」

 

「おう。アタシの友達のカニがいる」

 

「カニ……」

 

「名前は田中だ」

 

「田中さん」

 

「敬称つけんのかよ」

 

「お友達なのでしょう?」

 

「……まあ、そうだけどよ」

 

スズカはうなずき、メモ帳に書き込んだ。ゴルシがその手元をちらりと覗くと、驚くほど几帳面な字が並んでいた。

 

——西の果ての孤島について。

 

所在地:未確認。地球上の最西端との証言あり。

潮流:一定周期で逆回転。島の呼吸との関連は要検証。

方位磁針:正常に機能しない。機嫌との関連は不明。

海鳥:西を向かない。進路決定の参考になる可能性。

影:人数と一致しない場合あり。光源および観測条件の確認が必要。

靴:夜間に向きが変わる。原因不明。

現地協力者:田中さん(カニ)。

 

 

「……田中まで書いてんのか」

 

「はい。現地でお会いできるかもしれませんから」

 

「そいつ、たぶん今ごろ脱皮してるぜ」

 

「では、外見が変わっている可能性もありますね」

 

スズカはさらに一行書き加えた。

いつもなら、このあたりで誰かが笑う。馬鹿馬鹿しいと呆れるか、適当なツッコミを入れるか、別の話題に移る。それが嫌だったわけじゃない。ゴルシだって、相手が面食らう顔を見るのは好きだ。話がどんどんおかしな方向へ転がって、最後には誰も何の話だったか分からなくなる。それはそれで、なかなか愉快なものだった。

ただ、今日は、笑いが起きる前に、ペンの音がした。

 

「……なあ、スズカ」

 

「はい?」

 

「お前さ、アタシの話、本気で信じてんの?」

 

スズカのペンが止まった。彼女は首をかしげ、真面目に考え込んだ。

 

「それが客観的な事実かどうかは、私には分かりません」

 

「……だよな」

 

「はい。まだ、実際に見たことがありませんから」

 

ゴルシは背もたれに体を預けた。

 

「じゃあ、何でそんなに一生懸命書いてんだよ」

 

「……知りたいからです」

 

「何を?」

 

「その島のことも、ですけれど」

 

スズカはメモ帳を閉じて、隣に座るゴルシを見た。

 

「ゴルシが、どうしてそんなお話を思いつくのかも、知りたいんです」

 

「…………」

 

「私は、走っているときに見る景色が好きです。まだ見たことのない景色を、自分の脚で見に行きたいと思っています」

 

西日が、二人の足元まで伸びていた。

 

「でも、ゴルシのお話を聞いていると、私の知らない景色が、まだこんなにあるんだなって」

 

「……いや、靴が勝手に歩く島だぞ?」

 

「はい」

 

「カニの名前が田中だぞ?」

 

「田中さんですね」

 

「そこは譲らねえのかよ」

 

スズカは小さく笑った。

 

「ゴルシ」

 

「……ん?」

 

「あなたは、その島に行ったとき、楽しかったですか?」

思いがけない質問だった。ゴルシは目を丸くした。

 

「……そりゃ、まあ」

 

「そうですか」

 

「コンパスは使えねえし、靴は勝手に歩くし、田中は待ち合わせに遅刻するし。散々だったぜ」

 

「……ふふ」

 

「でもよ」

 

ゴルシは、夕日の沈む方角を見た。

 

「島のてっぺんから見た海は、なかなかのもんだったな」

 

言ってから、自分でも意外なほど、その先を黙ってしまった。口をついて出た言葉に、あとから中身がついてきたような気分だった。

スズカはすぐには何も言わず、続きを待っていた。

 

「……どんな景色だったんですか?」

 

「……あん?」

 

「島のてっぺんから見た海です」

 

ゴルシはスズカを見た。スズカもこちらを見ていた。その目は、トレーニング中に知らないコースを見つけたときのように、澄んで光っていた。

 

「……そうだな」

 

ゴルシは記憶をたぐった。

 

「海と空の境目が、分かんなくなるんだよ」

 

「……境目が?」

 

「おう。どっちも同じ色でよ。水平線が消えちまって、世界がずーっと続いてるみてえに見える」

 

スズカは黙って聞いていた。

 

「で、風が吹くと、足元の草が一斉に同じ方向へ倒れんだ。海まで一緒に流れてくみてえでさ」

 

「……綺麗ですね」

 

「だろ?」

 

ゴルシは笑った。いつもの、得意げな笑顔だった。ただ、そのあとに続けた言葉は、いつもより少し声が低かった。

 

「……ま、そんな感じだ」

 

「……はい」

 

「他に聞きてえこと、あるか?」

 

スズカがぱっと顔を上げた。

 

「あります」

 

「即答かよ!」

 

「島の階段について、まだ詳しく伺っていません」

 

「そこかよ!?」

 

「それから、時計が違う時刻を示すというお話も。もし全部が違う時刻を示すのなら、島の中では時間の進み方が場所によって異なる可能性が――」

 

「待て待て待て。いっぺんに聞くな。ゴルシちゃんにも順番ってもんがあんだよ」

 

「……すみません」

 

「いや、謝んなくていいけどよ」

 

ゴルシは少し考えて、にやりと笑った。

 

「じゃあ次回は、島の靴について特別講義だ」

 

「靴の、ですか?」

 

「おう。生態系から繁殖方法まで、余すところなく教えてやる」

 

「……靴は、繁殖するんですか?」

 

「そこからか。こいつは長い講義になりそうだぜ」

 

スズカは真剣な顔でうなずいた。

 

「分かりました。予習しておきますね」

 

「予習できんのかよ!?」

 

ゴルシはとうとう腹を抱えて笑い出した。スズカも、つられて笑った。

 

 

 

 夕暮れのベンチに、二人の笑い声が響いていた。周りのウマ娘たちは、もう誰も話の内容を追えていない。そもそも、靴の生態系とは何なのか。カニに敬称が必要なのはなぜか。サイレンススズカはどうして、こんな話をあんなに楽しそうに聞いているのか。分からないことだらけだった。

 

ただ一つ、確かなことがあった。いつもなら、誰かが呆れたところで幕になるゴールドシップの冒険譚が、その日はなかなか終わらなかったのだ。

 

「……でよ、田中のやつが脱皮したあと、何を言い出したと思う?」

 

「何でしょう?」

 

「『オレ、次から鈴木になるわ』だとよ」

 

「……改名されたんですか?」

 

「おう。心機一転だな」

 

「では、メモも訂正しておきますね」

 

「律儀だな、お前!!」

 

スズカは再びメモ帳を開いた。ゴルシはその手元を眺めながら、次の話を考え始めた。まだ話していないことは、いくらでもあった。火山島でマグマを凍らせた話。海底郵便局で速達を頼んだ話。月の裏側で迷子になった宇宙飛行士の話。どれも今まで何度となく誰かに聞かせてきた、いつものヨタ話だ。ただ今日は、もう少し続きを話してみてもいい気がした。

 

「……なあ、スズカ」

 

「はい?」

 

「明日も、ここ来るか?」

 

スズカは意外そうな顔をして、それから柔らかく笑った。

 

「はい。トレーニングが終わったら」

 

「おう。じゃあ、靴の講義な」

 

「楽しみにしています」

 

ゴルシは満足そうにうなずいた。それから、明日の話は少し準備しておいたほうがいいかもしれない、と思った。何しろ今度の聞き手は、予習をしてくるらしいのだから。

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