一、フェルの気まぐれ
「……む。この先から、面白い気配がするな」
街道脇の草地で朝の休憩をとっていたときのことだった。ふいにそう呟いたフェルが、すくっと立ち上がった。
「え? 面白い気配ってなんだよ。おい、フェル。まさかまた妙なことを考えてるんじゃないだろうな」
俺、ムコーダこと向田剛志が嫌な予感に身構えた、その瞬間だった。
「少し跳ぶぞ。しっかり掴まっておれ」
「おいおいおい、待て待て待て! 跳ぶってなんだ、跳ぶって! 説明が先だろ説明が!」
「あるじー、フェルおじちゃんの足元、ピカピカしてるよー!」
「おいムコーダ、これ絶対ヤバいやつだろ!?」
肩の上でスイがぷるんと震え、ドラちゃんが慌てて翼をばたつかせる。足元に広がる、見たこともない複雑な紋様の光。ああ、これ、前にも似たような経験があるぞ。大体こういうときは、ろくな目に遭わない。
そう思ったのを最後に、視界が真っ白に染まった。
*
……次に目を開けたとき、そこは街道脇の草地ではなかった。
まず目に入ったのは空だった。やけに高く、やけに青い。その空を斜めに切り取るように、見たこともないほど巨大な建造物が林立している。四角くて、背が高くて、窓がびっしり並んだ……ビルだ。
「ビル? ビルだよな、これ。……えっ、地球? 日本に帰ってきたのか?」
一瞬だけ胸が高鳴ったが、すぐに違和感に気づく。ビルの多くは窓ガラスが割れ、壁面には蔦が絡みつき、足元のアスファルトはひび割れて雑草が顔を出している。人の気配はまるでない。
ここは廃墟だ。高層ビルが立ち並ぶ、巨大な都市の廃墟。
「フェル、お前、ここがどこだか分かってて跳んだのか?」
「知らん。ただ、面白そうな気配がしたから跳んだだけだ」
「知らんって……! 俺たち、帰れるんだろうな? なあ、帰れるんだろうな!?」
「ふむ。まあ、なんとかなるだろう」
フェルは大あくびをひとつして、ぺたりと地面に伏せた。この神獣ときたら、毎度毎度、結果だけ見れば旨い話に転ぶものだから、気楽にもほどがある。俺はがっくりと肩を落とした。
「ムコーダ、そんなに落ち込むな。飯でも食えば元気も出るだろう」
「そうだぞムコーダ。それより腹が減ったぜ。朝飯からけっこう経ってるしな」
「スイもおなかすいたー! あるじ、ごはんごはんー!」
「お前らなぁ……」
文句を言いかけて、俺は口をつぐんだ。確かに、悩んだところで状況は変わらない。腹が減っては戦はできぬとも言うし、ひとまず飯を食って、腹を満たしながら今後のことを考えよう。普段よりだいぶ早いが、昼飯にしたっておかしくない頃合いだ。
二、ほりにしのチョップド鶏ハム
まずは周囲の確認だ。フェルに索敵を頼むと、返ってきたのはこんな答えだった。
「魔物の気配は薄いな。ただ、妙な気配は混じっている。金属と油と、火薬の匂いだ」
「火薬? 魔法使いの類じゃなくてか?」
「うむ。魔力とはまた別の何かだ。不思議と殺気はないがな」
殺気がない。ならまあ、いいか。ここで騒いでも仕方ない。俺は少し開けた場所を選んで腰を落ち着けることにした。かつては駅前のロータリーだったのだろう。真ん中には水の枯れた噴水の跡があり、傍らには錆びた案内板が傾いている。かすれた文字で『上野』と読めた。
「……上野? いや、まさかな。偶然だろ」
首を振って、アイテムボックスから魔道コンロと鍋、まな板、包丁を取り出して並べていく。
「あるじー、きょうはなにつくるのー?」
「今日はな、ちょっと試してみたいものがあるんだ。……ネットスーパー!」
スキルを発動して画面を開く。ここ最近、ずっと気になっていたものがあった。アウトドアスパイスの『ほりにし』だ。肉にも野菜にも、なんにでも合う万能スパイス。ガーリックや岩塩、数種類のスパイスがバランスよく配合されていて、振りかけるだけで途端にキャンプ飯の味になると、あちこちで評判らしい。
買い物かごに入れたのは、イオンの純輝鶏のもも薄切り、もも角切り、そしてむねの薄切り。作りやすい分量は各一パックだけど、うちの食いしん坊三人衆を考えれば、それぞれ三パックずつは必要だ。そこに片栗粉と、ほりにしを二本。砂糖は手持ちがあるから大丈夫。
「よし、作るのは『チョップド鶏ハム』だ。肉を粗みじんにして、ラップで巻いて、余熱でじっくり火を通す。ほりにしで味つけすれば、そのまま食ってもうまいし、いろんな料理にも使える」
「ほう。肉を刻むのか。それで硬くならんのか?」
「刻んでから固めるから、むしろしっとり柔らかくなるんだよ。まあ見てろって」
まずは薄切り肉を、包丁で一センチから一・五センチ角くらいに粗く刻んでいく。とんとんとん、と小気味いい音が廃墟の広場に響く。角切り肉は、大きいものだけ半分に切り揃えて食感に変化をつける。量が多いので、三つのボウルに分けて作ることにした。
刻んだ三種類の肉を、ボウルの中で合わせる。そこへ砂糖を小さじ一。これは保水性を高めて、しっとり仕上げるための隠し味だ。続いて、ほりにしをたっぷりと振りかける。目安は肉の総重量の一パーセント強、しっかり効かせたいなら大さじ一強。今日は食べ盛りの面々がいるから、気持ち多めにいこう。
ふわり、と。
キャップを開けた瞬間から、ガーリックとスパイスの香りが鼻先をくすぐった。これだよこれ。この、嗅いだだけで腹が鳴る感じ。
「む……これは、なかなかに食欲をそそる匂いだな」
「おいムコーダ、まだか! 匂いだけで腹が鳴りそうだぜ!」
「あるじー、いいにおいー!」
「まだ生肉だぞ。ここからが本番なんだ」
最後に片栗粉を大さじ一。お肉同士を結着させて、成形しやすくするためのものだ。手で粘りが出るまで、しっかりと揉み込む。純輝鶏の旨味と脂がスパイスと一体になって、ひと揉みするごとに香りが濃くなっていく。
「ここで空気を抜きながら、ラップでタイトに巻く。太めのソーセージみたいな形にして、両端をぎゅっと縛る。それをもう一枚のラップで二重に包めば、水が入らなくなるんだ」
三本のチョップド鶏ハムのタネが、ずんぐりしたキャンディの形になって並んだ。ここまでくれば、あとは火を通すだけだ。
鍋にたっぷりの水を入れて、魔道コンロで沸騰させる。ぐつぐつと泡が立ったところで火を止めて、包んだ鶏肉を静かに沈めた。蓋をして、余熱で三十分から四十分。ぐつぐつ煮立てたまま茹でると肉が硬くなってしまうから、お湯の温度が七十度から八十度くらいをキープするイメージで、じっくり待つのがコツだ。
「スイ、この鍋を見ててくれるか。蓋は開けなくていいからな」
「はーい! スイ、おなべ、みてるー!」
スイが鍋の横にちょこんと陣取って、ぷるぷると揺れた。さてと、待つ間にお茶でも淹れるか、と考えたところで、フェルの耳がぴくりと動いた。
「……ムコーダ。来るぞ」
「来るって、何がだ?」
「小さい気配が三つ。こちらへまっすぐ向かってきておる。この匂いに釣られたな」
三、鉢合わせ
三つの気配、と聞いて、俺は反射的にコンロの火を確かめた。火は止めてある。匂いに釣られたのは、ほりにしのガーリックの香りだろう。この廃墟の街で、こんな匂いを嗜む者が現れたら、そりゃあ気になるに決まっている。
がしゃん、がしゃん、と。
コンクリートを踏む硬い足音が、ビルの谷間から近づいてくる。足音というより、金属が擦れ合う音まで混じっている。そして角を曲がって姿を現したのは、予想外の相手だった。
女の子だ。それも、三人。
そろいの制服に身を包んだ、高校生くらいの少女たち。……なのだが、その背中や腕には、制服に似つかわしくない、とんでもなく物々しい装備が取りつけられていた。身の丈ほどもある砲身、背部に並ぶ発射筒、肩口から伸びる機械仕掛けのアーム。どう見ても、ちょっとしたミリタリーショップのカタログ全部盛りだ。
「……ん。あっち。いい匂い」
先頭を歩いていた少女が、眠そうな目をこすりながら呟いた。ふわふわした雰囲気で、授業中に半分寝ていそうな子だ。名前は、あとで知ったがトウカというらしい。
「ほほう、この香りはにんにくとスパイスですな! 廃墟のど真ん中でバーベキューとは、大胆不敵! カナデ隊員、ますます興味が湧いてまいりましたぞ!」
続いて、好奇心で目をきらきらさせた少女が弾むように言う。この子がカナデか。
「カナデ、はしゃがないの。まだ何者か分からないのよ。罠かもしれないでしょう」
そう窘めたのは、三人の中でいちばん小柄な少女だった。物腰は優雅で、同い年のはずなのに、ほかの二人を見守る姉のような雰囲気がある。ホナミだ。
三人は広場の入口で足を止めた。そして、俺たちの姿を目に捉えた。
正確には、俺の隣で悠然と伏せている、巨大な灰色の狼の姿を。
……沈黙。
「…………」
「…………」
次の瞬間、がきんっ、と派手な金属音が響いた。三人の武装が、一斉にこちらを向いたのだ。砲口が、発射筒が、ぴたりとフェルに照準を合わせる。
「うわああああ! 待った待った、ちょっと待って!」
慌てて両手を挙げた俺の前に、すっとトウカが歩み出た。眠そうだった目つきが、いつの間にかまるで別人のように鋭くなっている。さっきまでのふわふわした空気が嘘みたいだ。
「……下がって」
「え?」
「安心して。キミは、わたしが絶対に守るから」
まっすぐに俺を見て、迷いなくそう言い切る。ああ、これはあれだ。巨大な魔物に襲われている一般人だと思われてるやつだ。
「いや違う違う、違うんだ! こいつは魔物じゃなくて、俺の仲間で! フェンリルのフェルっていう、えーと、神獣で!」
「しんじゅう」
「そう、神獣。伝説の魔獣、フェンリルっていう。神様みたいなもんで、でも悪いやつじゃなくて、うちの大事な」
「ふん。神様みたい、ではなく、神獣そのものだ。訂正せよ、ムコーダ」
フェルが、のそりと頭をもたげて口を開いた。
途端に、三人の動きがぴたりと止まった。
「……しゃべった」
「しゃべりましたな」
「しゃべったわね……」
三人の砲口が、ゆっくりと下がっていく。代わりに、その瞳にみるみる別の色が灯った。警戒でも敵意でもない。もっと純粋で、わくわくした輝きだ。まるでゲームや物語の中にしかいなかったはずの存在が、ある日突然、現実の世界に実体化して目の前に現れた、とでも言うような目だった。
「ほほう、ほほう! 巨大な狼の姿をした、喋る神獣! これは伝説級のレアキャラですぞ! しかも毛並みがつやつやでふさふさ!」
「ふむ。我を神獣と見抜くとは、小娘たちにしては見どころがあるではないか」
「……フェル。お前、顔がちょっと緩んでるぞ」
「気のせいだ」
気のせいなわけがない。尻尾が、ゆらりゆらりと左右に揺れている。まんざらでもない、というやつだ。この神獣、褒められるのに案外弱いのだ。
そこへ、ドラちゃんが俺の肩の上からひょっこり顔を出した。
「おい、ムコーダ。なんだこいつら。さっきから、すげえ目でこっちを見てるぞ」
「あ、ドラちゃん、今は出てこないほうが」
「ひゃっ……!」
ホナミの口から、小さな悲鳴が漏れた。見れば、優雅だったはずの彼女の頬が、みるみる真っ赤に染まっていく。両手を胸の前で握りしめ、ぷるぷると震えている。
「あ、あの……ちっちゃな、ドラゴン……? 羽が、ぱたぱたして……」
「ピクシードラゴンのドラちゃんだ。ちっこいけど、これでも強いんだぞ」
「おう、オレ様は強いんだぜ!」
「ああ~! なんて! かわいいの!!」
爆発した。ホナミが、完全に弾けた。さっきまでの優雅な物腰はどこへやら、両手を広げて前のめりになり、目をハートにして叫んでいる。
「この丸い目! この小さな手! ふわふわの尻尾! こんなかわいい生き物、校長に勝るとも劣らないわ……! ねえ、さわってもいい? ちょっとだけ! 先っぽだけでいいから!」
「お、おい、ムコーダ、なんだこの嬢ちゃん、目が怖えぞ!」
「あるじー、あっちのおねえちゃん、スイのことも見てるよー?」
鍋の横で、スイがぷるんと体を揺らした。その瞬間、ホナミの視線が、ぐりんとスイのほうに向いた。
「ス、スライム……!? 透き通っていて、ぷるぷるで、ひんやりしてそう……!」
「スイだよー! よろしくねー!」
「しゃべったああああ! かわいいいいい!」
ホナミが完全に崩れ落ちた。両手で顔を覆ってしゃがみ込んでいる。その隣で、カナデが「ホナミ殿が壊れましたな。まあ、いつものことです」と、実に冷静に解説している。これ、いつものことなのか。
トウカは、というと。
「……ふあ」
ひとつ大きなあくびをして、肩の力を抜くように、背負っていた武装をがしゃりと地面に下ろした。
「敵じゃ、ないみたい。……じゃあ、いいや」
切り替えが早い。いや、早すぎる。
そのとき、鍋の横に置いたキッチンタイマーが、ぴぴぴ、と軽やかな音を鳴らした。
四、鶏ハム、完成
「お、もうそんな時間か。ちょうどいい、みんな、そこで少し待っててくれ」
俺は鍋の蓋を開けた。もわっと立ちのぼる湯気の向こうで、ラップに包まれた三本の鶏ハムが、ほんのりと白く色づいている。トングで慎重に取り出して、ネットスーパーで買っておいた氷を張ったボウルに沈めた。粗熱を取ってしっかり冷やすと、肉がぎゅっと締まって切りやすくなるのだ。
「あるじー、まだー? まだたべちゃだめー?」
「もうちょっとだ、スイ。ここで焦ると台無しになるからな」
氷水の中で待つこと、しばし。その間、三人の少女たちは、鍋とボウルと俺の顔を、順番にじーっと見比べていた。いや、見比べているというより、完全に肉を凝視している。
「……ごはん、食べてない」
「トウカ隊員、本日の我々の携行食は、これでしたな」
カナデが懐から取り出したのは、銀色の袋に入った、カチカチの棒状の何かだった。ぱきっ、と折って口に入れ、ぼりぼりと噛み砕く。
「栄養は完璧、味は……まあ、味ですな。粘土を固めて、塩をまぶしたような」
「言わないで、カナデ。余計にお腹が空くわ」
まだスイを抱きしめたまま離さないホナミが、どこか遠い目をして言った。いやちょっと待て、いつの間にスイを膝に乗せたんだ。スイもスイで、「ひんやりきもちいいでしょー?」と嬉しそうに、ぷるぷる揺れている。
……ああ、もう、こういうのを見せられて、放っておけるわけがないじゃないか。
「あー、その、よかったら、君たちも食べるか? どうせ俺たちだけじゃ食べきれない量だし」
「「「食べる」」」
三人の声が、完璧にそろった。
氷水から鶏ハムを引き上げて、ラップを外す。ずっしりとした重みのある、きれいな円柱形のハムだ。まな板に載せて包丁を入れると、ふつ、と気持ちのいい手応えがあって、切り口から細かな肉の粒がぎゅっと詰まった断面が現れた。ところどころに、ほりにしのスパイスの粒が、宝石みたいにきらりと光っている。
「これは……!」
「見た目からして、もう旨そうだな!」
「とりあえず、味見だ。フェル、ドラちゃん、スイ、先に食べてみてくれ」
厚めに切ったひと切れずつを皿に載せて、三匹の前に置く。フェルは一口でぱくりと。ドラちゃんは両手で抱えるようにして、はぐはぐと。スイは触手をのばして、ぷにゅんと包み込むように。
そして、数秒の沈黙のあと。
「…………うまい」
「うめえええええ! なんだこれ、噛むたびに肉汁があふれてくるじゃねえか! しかもガーリックがガツンときて、あとからスパイスの香りがふわあっと鼻に抜けやがる!」
「おいしいおいしいおいしいー! あるじ、これおいしいー! ぷるんぷるん!」
「ふむ、粗く刻んだおかげで、噛むたびに肉の食感が変わるのも面白い。しっとりしているのに、ぱさつきが一切ない。これは酒のつまみにも合うだろうな。ムコーダ、早くおかわりだ」
「はいはい、わかってるって。それ、酒のつまみにもいけるのは俺も同感だけどな」
三匹の絶賛を聞いて、ぐうう、ときゅるるるる、と、盛大な腹の音が三重奏で響き渡った。もちろん、少女たちの腹の音だ。
「…………」
「…………」
「……し、失礼しました」
ホナミが顔を真っ赤にして、スイを抱きしめたまま小さくなる。カナデは「これは正直な体ですな」と笑い、トウカは「……おなか、すいた」と、ぼんやり呟いた。
よし、決めた。ここはひとつ、ちゃんとしたものを作ろう。ただスライスして出すだけじゃ、もったいない。せっかくの鶏ハムだ。これを使って、がっつり食べごたえのあるものを、人数分作ってやろうじゃないか。
「みんな、ちょっと待っててくれ。今から、これを使って、もっと旨いものを作るからな」
「もっと……おいしいもの?」
「ああ。ハムエッグマフィンだ」
五、ハムエッグマフィンの奇跡
再びネットスーパーを開く。イングリッシュマフィン、卵、スライスチーズ、バター。どれも、人数と食いしん坊の数を考えると、かなりの量が必要だ。とりあえず、マフィンは二十個入りを三袋、卵は大きなパックを四つ。ほかにも、足りなくなったときのためにチーズとバターは多めにカゴへ放り込んだ。
「おお……箱が、箱が空中から現れましたぞ!」
「どこから来たの? 今の、どこから来たの?」
「ネットスーパー、という、まあ、俺のスキルだ。気にしないでくれ」
「気にしないでと言われても、気になりますな!」
「あとで説明するから! それより腹が減ってるんだろ? ほら、手伝えるなら、卵を割るのを頼む」
「「はい!」」
カナデとホナミが、驚くほどの勢いで卵を割り始めた。ボウルに黄身を割らないよう慎重に。トウカは、というと、うつらうつらしながら、マフィンを半分に割る係を黙々とこなしている。意外と器用だ。
俺はフライパンを二つ並べて火にかけた。バターをひとかけ落とすと、じゅわあ、と溶けて、甘く香ばしい匂いが広がる。そこへ、半分に割ったイングリッシュマフィンの断面を下にして置き、きつね色になるまでこんがりと焼いていく。その隣のフライパンでは、一センチほどの厚さにスライスした鶏ハムを、両面に軽く焼き色がつくまで焼く。ハムの表面がちりちりと音を立てて、ほりにしのガーリックとスパイスが、さらに強く香り立った。
「あ、それ……さっきより匂いが、すごい……」
「ガーリックが焼けると、こうなるんだ。ここからが本番だぞ」
焼き上がったハムを一旦取り出して、同じフライパンに卵を割り入れる。ふちがじわじわと白く固まっていくのを見ながら、黄身が半熟になるくらいで火を止める。最後に、黄身の上から、ほりにしをぱらり、とひと振り。これで、旨味と香りが何倍にもなる。
焼けたマフィンの下半分に、鶏ハムを二枚重ねて、スライスチーズ、半熟のハムエッグ、そしてもう半分のマフィンで蓋をする。チーズが余熱でとろりと溶けて、黄身の黄色が、ほんのり透けて見えた。
「よし、できた。ほら、食べてみてくれ。熱いから気をつけて」
三人に、ひとつずつ手渡す。三人は、顔を見合わせ、そして同時に、ぱくり、と。
…………。
…………………。
「…………!」
最初に変化があったのは、トウカだった。ぼんやりと半分閉じていた目が、ぱちっ、と、大きく見開かれたのだ。
「……おいしい。目が、覚めた」
それから、もうひと口。ふた口。みるみるうちに、ハムエッグマフィンが、小さな口の中に消えていく。
「ほ、ほほう! ほほほほう!!」
カナデが、奇妙な声を上げて震え始めた。
「なんですかこれは! 口の中が、まるでお祭りですぞ! とろっとろの黄身が、肉汁とスパイスと合体して、チーズがそれを優しく包んで、マフィンのさくさく感が、それを全部受け止めている! これは、レーションとは次元が違う……いや、レーションと比べること自体が、料理への冒涜です!」
「ちょっと、カナデ、落ち着きなさ……ん……!」
ホナミは、口を開けかけて、そのまま固まった。小さな口で上品にかじるつもりだったのだろう。けれど、一口食べた途端に、その優雅な手つきが、完全に止まらなくなっている。
「だ、だめ、上品に食べなきゃって、思うのに……手が、勝手に……なにこれ、おいしい、おいしすぎる……!」
頬をぱんぱんに膨らませて、涙目になって、それでも食べるのを止めない。膝の上では、スイが「おいしそー」と、ぷるぷる揺れながら見上げている。
「スイちゃんも食べる? はい、あーん」
「わーい! あーん!」
この一角だけ、完全に平和すぎる。
気がつけば、フェルとドラちゃんも、無言で次の皿を待っていた。フェル用には、鶏ハムを三枚重ねた特製の肉厚バージョン。ドラちゃんには、丸ごと一個ずつ。ふたりとも、尻尾と翼を揺らしながら、ひたすら食べ続けている。
「ムコーダ、おかわりだ」
「おいムコーダ、オレ様にも、おかわりだ!」
「あるじー、スイもおかわりー!」
「ムコーダさん、わたしにも……」
「ムコーダ殿、拙者にも、ぜひ」
「……もうひとつ、ほしい」
「はいはいはいはい! 順番、順番だ! 俺の手は二本しかないんだぞ!」
廃墟の広場に、じゅうじゅうと肉を焼く音と、バターの香りと、笑い声が広がる。ああ、うん。こういうのも、悪くない。見知らぬ場所に飛ばされたときは、どうなることかと思ったけど、結果としては、これだ。フェルの気まぐれも、たまには役に立つこともあるのかもしれない。
……と、このときの俺は、まだ呑気に、そんなことを考えていたのだった。
六、幻の調味料
異変に気づいたのは、三十個目のマフィンを焼き上げたころだった。
「……ムコーダ殿」
三つ目のハムエッグマフィンを両手で持ったまま、カナデが妙に真剣な声で言った。視線の先にあるのは、俺の調理台の隅に置いてある、小さな円筒形のボトルだ。ほりにし、と、見慣れたロゴが印字されている。
「そのボトル、拙者の見間違いでなければ、『ほりにし』と書いてありませんかな?」
「ああ、そうだけど。これがどうかしたのか?」
「…………」
「…………」
カナデとホナミが、ぎぎぎ、と音がしそうな動きで顔を見合わせた。トウカだけが、マイペースに四つ目のマフィンをもぐもぐやっている。
「嘘……本当に? 帰宅部の資料室で見たことがあるわ。旧時代のアウトドア用スパイス。今は市場にまったく流れていない、幻の調味料だって……」
「幻? いやいや、ネットスーパーで普通に買える、ただのスパイスだぞ? 値段だって、たいしたことないし」
「たいしたことない!?」
ホナミが、びくっと肩を跳ねさせた。
「このセクターでは、塩と合成調味料が、ほとんどすべてなんです。ちゃんとした香辛料なんて、ひと瓶で装甲板が何枚も買えるって言われているくらいで……! 遺跡探索で見つかったとしても、中身はとっくに劣化していて、ほとんどが使い物にならなくて……」
「しかも、ごく稀に未開封の状態で見つかったとすれば、オークションで天文学的な値がつくという噂もございますぞ」
「天文学的……」
俺は、手元の小さなボトルを、まじまじと見つめた。いや、これ、ネットスーパーの画面に、普通に並んでるんだけど。クリック一つで、いくらでも補充できるんだけど。
「……ほしい」
ぽつり、と、トウカが呟いた。眠そうな目のまま、けれど、そこにははっきりと、強い意志が宿っている。
「ごめんなさい、ムコーダさん。はしたないのは分かってるんです。でも、これ、少しだけ、分けてもらえませんか。ほんの、ひと振りでも……!」
ホナミが、胸の前で手を組んで、うるうると潤んだ瞳で見上げてくる。さっきまでの優雅なお姉さんはどこへ行ったのか。この目で見つめられて、断れる男がいるだろうか。いや、いない。
「わ、わかった。わかったから。そんな目で見るな。ええと、少しなら、あげるから。ちょっと待ってろ」
ネットスーパーを開いて、予備のほりにしを三本、追加で購入した。ボトルが空中から現れると、三人は「おお……」と、まるで神の奇跡でも見たような顔で、そっとそれを受け取った。
「これが……ほりにし……」
「本物ですぞ……拙者、生きているうちにこの手に触れるとは……」
「帰ったら、大事に使おうね。毎日少しずつ、ちょっとずつ……」
三人がボトルを両手で抱きしめて、しみじみと感動している。ああ、うん、なんというか、いいことをした気分だ。
そのときだった。
カナデの背中の装備から、ざざっ、というノイズ混じりの電子音が響いた。
『…………あー、あー、テステス。こちら、ウエノセクター全域通信、全部隊に告ぐ――』
「…………あ」
カナデの顔から、すうっと血の気が引いた。
「ホナミ殿、トウカ殿。ひとつ、致命的なことに気づいてしまいました」
「……なに?」
「拙者の通信機が、先ほどの接触時から、ずっと全部隊共通の周波数に、開きっぱなしだったようでして……」
沈黙。
『こちら第三部隊! ただいまの通信を傍受! 幻の調味料『ほりにし』、現在ウエノ駅前広場にて確認! 各部隊は、ただちに現場へ急行せよ!』
『こちら第七部隊、了解! 全速力で向かいます! ハムエッグマフィンとやらも、ぜひ!』
『こちら第十二部隊! わたしたちの分も、取っておいてください! お願いします!』
『ほりにしぃぃぃぃぃ!』
ずどどどどどど、と、遠くから地響きが近づいてくる。ビルの谷間を、数え切れないほどの足音と、金属の擦れる音と、少女たちの叫び声が、こちらへ押し寄せてくる。
「おい、フェル」
「うむ。ざっと数えて、五十人はいるな」
「五十!? なんでそんなに冷静なんだよ!」
七、追われる者たち
「逃げるぞ! 全員、フェルの背中に乗れ! 鍋だけは回収するからな!」
フライパンと鍋、調理器具をアイテムボックスに放り込み、フェルの背中に飛び乗る。肩にはスイとドラちゃんがしがみついた。広場を飛び出した直後、ビルの陰から、わらわらと武装した少女たちが姿を現した。
「いたぞ! ほりにしの持ち主だ!」
「待ってくださーい! ひと振りだけでいいんです!」
「お願いします! ハムエッグマフィンのレシピだけでも!」
砲口がずらりとこちらを向く。が、撃ってはこない。どうやら、威嚇のつもりはないようで、純粋に、全員が全力で追いかけてきているだけらしい。それはそれで、怖い。ものすごく怖い。
「ひいいい! 来るな、来るなってば! フェル、もっと速く走れないのか!?」
「走っておるわ。だが、ここの地形は、少々足場が悪いのだ」
「じゃあ、跳べ! お前の得意な、ワープみたいなやつで!」
「それは無理だ。この世界は魔力の流れが妙でな。すぐには跳べん」
「それ、跳ぶ前に言えええええ!」
叫んでも、フェルは涼しい顔だ。あっという間に、ビルの瓦礫を飛び越えて、路地を駆け抜ける。その横を、ドラちゃんが翼をはためかせて並走している。
「オレ様、追われるのには慣れてるけどよ、飯のことで追い回されるのは、さすがに初めてだぜ!」
「あるじー、スイ、おみずでべちゃってしようか? みんな、ころんじゃうよー!」
「だめだ、ケガさせるのはなし! みんな、悪気があるわけじゃないんだ!」
背後から、少女たちの叫び声は、どんどん近づいてくる。空には、背中のユニットから火を噴いて飛び回る子たちまで現れた。やばい、これ、本気で逃げ切れないかもしれない。
と、そのとき。
「待ってーーーっ!」
聞き慣れた声が、後ろから響いた。振り返ると、さっきの三人が、全力でこちらへ駆けてくる。トウカが先頭、そのすぐ後ろにカナデ、少し遅れてホナミが、必死の形相でついてくる。
「あっ、君たちまで!? まさか、君たちも、ほりにしを奪いに来たのか!?」
「違います! その、ムコーダさん! たしかに、ほしいのはほしいですけど!」
「ホナミ殿、本音が漏れておりますぞ!」
「だって! でも! 帰宅部の誓いに、ご飯をくれた人を見捨てるなんて、ないもの!」
ホナミが、涙目で叫んだ。その横を、トウカが、ふっと追い越して、俺たちの前に立ちふさがる。
「……ここから先は、通さない」
眠そうだった目が、また、鋭く切り替わっていた。さっき、フェルの前に立ったときと、同じ目だ。背中の武装が、ゆっくりと、追っ手のほうへ向けられる。
「ごはんを、くれた人は、守る。ぜったい」
「トウカ……」
「ここは、わたしたちが、止める。だから、行って」
堂々と言い切った背中を見て、俺は、胸の奥が熱くなった。つい数十分前までは、まったくの他人だったのに。たかがハムエッグマフィンを、一緒に食べただけなのに。こんなにも、まっすぐに。
「ムコーダ殿、拙者らが時間を稼ぎます! その間に、ご帰還の方法を!」
「ええと、ええと、ごめんなさい、みんな! でも、ごめんなさい! ほりにし、あとでちゃんと分けますから!」
ホナミが、追っ手に向かって謝りながら、それでも砲口を向ける。カナデは、「皆の衆、ここは通行止めですぞ!」と、妙に楽しそうだ。この子、絶対、楽しんでる。
「くそ、フェル、本当に跳べないんだな!?」
「うむ。もう少し待て。だが、時間はかかるぞ」
「それじゃ間に合わない! ……こうなったら!」
俺は、フェルの背の上で、両手を合わせた。
「デミウルゴス様ーーーっ! ニンリル様ーーーっ! お願いします、助けてください! 帰りたいです! お礼に、ハムエッグマフィン、奉納します! ほりにしの鶏ハムも、山盛りにします!」
必死の祈りに、反応は、すぐに返ってきた。
ばしゅうううっ、という音がして、広場の噴水の跡のあたりが、まばゆい光に包まれたのだ。光の柱が空へ伸びて、その中心に、見慣れた、あの転移の紋様が、ゆっくりと浮かび上がる。
『ムコーダさーん! 聞こえてますよー!』
ニンリル様の、弾むような声だった。
『デミウルゴス様たちが、道を開きましたあ! 噴水のところに、扉がありますから、早く早くう! あ、ハムエッグマフィン、約束ですからねえ! 絶対に絶対ですからねえ!』
「ありがとうございます!!!」
八、さよならは、ひと振りのスパイスと
「フェル、噴水だ! 噴水に向かって突っ込め!」
「承知した」
フェルが、ぐんと加速して、光の柱に向かって一直線に走る。追っ手の少女たちの叫び声が、遠くなっていく。そして、扉の手前で、ふと、俺は振り返った。
トウカ、カナデ、ホナミ。三人は、追っ手に向き合ったまま、背中だけをこちらに向けていた。その背中に、俺は、ありったけの声で叫んだ。
「ありがとう! 助かった! ほりにし、大事にしてくれ! ごはん、おいしかったって、言ってくれて、嬉しかった!」
トウカが、わずかに、こちらを振り返った。肩越しに、ほんの少しだけ、眠そうな目で、にっこりと笑う。
「……ごちそうさま。おいしかった。また、ね」
「ムコーダ殿! この恩は、忘れませんぞ! ほりにしは、一滴も無駄にいたしません!」
「スイちゃん、ドラちゃん、フェルさん、またね! 絶対に、また会いましょうね! 元気でいてね!」
ホナミが、涙をぽろぽろ流しながら、手を振っている。スイが、「ばいばーい! またねー!」と、ぷるぷると触手を振り返す。ドラちゃんも「おう、またな!」と翼を振った。フェルは、フン、と鼻を鳴らしただけだったが、尻尾は、しっかりと左右に揺れていた。
そして、光の扉が、俺たちを包み込んだ。
まぶしさに目を閉じ、次に開けたときには、見慣れた街道の草地に、足をつけていた。傾きかけた太陽と、さわさわと揺れる草の音。風の匂いも、土の感触も、間違いなく、いつもの異世界のものだ。
「…………帰って、きた」
全身から、どっと力が抜けて、俺はその場に座り込んだ。
「ふむ。なかなか、面白い場所であったな」
「面白かったじゃねえよ! 死ぬかと思ったわ!」
「おいムコーダ、あのちっこいのたち、また会えるかな?」
「スイ、あのおねえちゃんたち、すきー! またあそびたいー!」
「……まあ、な」
俺は、空を見上げた。ほんの数時間前まで、まったく別の世界にいたのが、嘘みたいだ。けれど、アイテムボックスの中には、ちゃんと、使いかけのほりにしのボトルと、余った鶏ハムが、残っていた。
九、奉納の儀
その夜。俺は、約束どおり、祭壇の前に、山盛りの供物を並べていた。ほりにしのチョップド鶏ハム、そして、焼きたてのハムエッグマフィン。バターの香りと、ガーリックと、スパイスの香りが、ふわりと立ちのぼる。
『ムコーダさああん! 待ってましたあ!』
祈りを捧げた途端、ニンリル様の弾けるような声が、頭の中に響いた。
『もぐもぐ……んんー! なんですかこれ、おいしいです! このスパイス、すごく、いい香りですう!』
『うむ。鶏ハム、というのは、なかなかによいものだな。酒にも合いそうだ』
『ガーリックとこの肉の組み合わせ、最高ね。ムコーダさん、今度はもっと量を増やしてちょうだい』
『わしは、このマフィンとやらが気に入った。卵の黄身が、実によい』
『ははは、ほりにし……これは、あたしたちの世界でも、売ってほしいくらいね!』
キシャール様、アグニ様、ルサールカ様、ヴァハグン様。神々が次々と口を開いて、賑やかな声が、頭の中で重なり合う。ああ、うん、とりあえず、気に入ってもらえたようでなによりだ。
『……やれやれ。世界の境界を越えて騒ぎを起こすとは、そなたらも、相変わらずだな』
最後に、静かな声が響いた。創造神デミウルゴス様だ。呆れたような口ぶりだが、その声音には、どこか、満足げな響きがあった。
『だが、確かに、旨いな。……今回は、特別に目をつぶろう。次は、せめて、事前に報告しておくがよい』
「いや、俺だって、好きで跳んだわけじゃなくて……」
『分かっておる。原因は、あの駄狼であろう』
「駄狼とは失礼な。我は、面白そうな気配に誘われただけだ」
「それを、駄目って言うんだよ!」
ふんふんと鼻を鳴らすフェルに、俺は、思いきり、ため息をついた。
その横で、スイが、ぷるんと揺れながら、こんなことを言い出す。
「あるじー、あのおねえちゃんたち、ほりにし、だいじにしてくれるかなー?」
「ああ、きっとな。あの子たち、ちゃんと、大事にしてくれるさ」
「でも、すぐなくなっちゃわない? みんな、ほしがってたもんねー」
「…………」
言われてみれば、そうだ。五十人からの少女たちが、ほりにしを求めて、あの廃墟の街を駆け回っていたのだ。三本のボトルが、いつまでもつかは、分からない。
俺は、ネットスーパーを開いた。
「……念のため、もう少し、買っておくか」
「ほう、ムコーダ。我がもう一度跳べば、あの娘たちに渡せるが?」
「跳ぶなああああ!」
夜の街道に、俺の叫び声が、虚しく響き渡った。
……ちなみに、後日、ふと、ネットスーパーの履歴を見返すと。
『ほりにし 数量:十本』
と、ずらりと並んでいた。誰が頼んだわけでもない。いや、頼んだのは、たぶん、俺だ。きっと。
あの、眠そうな目の少女の、「また、ね」という声を思い出しながら、俺は、そっと、注文確定のボタンを押した。
――ほりにしの香りが、世界を越えて、またいつか、あの子たちに届くことを願って。
(了)
おまけ、取り残された帰宅部
光の扉が閉じ、噴水の跡に静けさが戻った。
「……行っちゃった」
トウカがぽつりと言った。背負っていた武装を、またがしゃりと地面に下ろす。追いかけてきた少女たちは、あまりにも唐突に消えた「ほりにしの持ち主」を前に、全員がぽかんと立ち尽くしていた。
「あの、帰宅部のみなさん」
恐る恐る、という調子で、第七部隊の少女が手を挙げた。
「それ……お持ちのボトル、ですよね。ほりにし、ですよね」
三人の視線が、一斉に、胸に抱えたボトルに落ちる。
「……拙者たちが、お世話になった方からいただいた、大切な品でして」
「いただいたんですか!? ずるい!」
「ずるくないの。ちゃんと、お礼を言って、お手伝いして、ごはんをいただいたの」
ホナミが、きりっと眉を吊り上げて、ボトルを守るように抱え直した。さっきまでスイを抱いて崩れ落ちていた人と、同一人物とは思えない。
「でも、ひとり占めは、よくないよね」
ふいに、トウカが言った。眠そうな目のまま、けれど、はっきりした声で。
「ごはん、みんなで食べたほうが、おいしい。……たぶん」
五十人の少女たちが、しん、と静まり返る。
そして、数秒後。
「「「トウカ様ーーー!」」」
「だれが様なの」
結局、その日のうちに、ウエノセクター全部隊の臨時会議が開かれた。議題は、ただひとつ。「三本のほりにしを、五十人で、いかに公平に分けるか」。
議論は紛糾した。目盛り付きのスプーンが持ち出され、天秤が引っ張り出され、カナデが「ここは拙者が、小数点以下の精度で計量いたしましょう」と謎の使命感に燃え、ホナミは「ひと振りずつ、ひと振りずつよ! みんな平等に!」と叫び続けた。トウカは、会議の途中で、いつものように眠ってしまった。
結論として、ほりにしは、各部隊が「ひと振り」ずつ分け合うことになった。ほんの、ほんのひと振り。それでも、その夜、セクターのあちこちで、少女たちの歓声が上がったという。
「ほんの少し振っただけなのに、レーションが、食べ物になった……!」
「ガーリックの香りって、こんなに幸せなの……?」
一方、カナデは、自分の分のほりにしを、ぷるぷると震える手で、ひと粒ずつ味わいながら、ノートに何かを書きつけていた。
『異世界の神獣、スライム、ピクシードラゴン、そして鶏ハムの人。 彼らは、確かに存在した。 次に会ったとき、拙者は、必ずやあの味を再現してみせる』
翌日、カナデは、レーションを粗く刻んで、ラップでぎゅうぎゅうに巻いて、お湯に沈めた。当然、出来上がったのは、ぼそぼそに固まった謎の塊だった。
「……何かが、足りませんな」
「鶏肉が、足りないんじゃないかな」
「そこですな」
夕暮れの廃墟のビル群に、オレンジ色の光が差し込む。屋上に並んで座った三人は、ぼんやりと、遠い空を見上げていた。
「ねえ、ホナミ」
「なあに、トウカ」
「ほりにしの人、また来ないかな」
「……来てくれたら、いいわね。今度は、ちゃんと、おもてなしの用意をして、お待ちしなくちゃ」
「スイちゃんに、また、会いたいなあ……」
ホナミが、ほんの少しだけ、目を潤ませる。カナデが、ふむ、と顎に手を当てた。
「ならば、次にお会いしたときのために、拙者たちも、何か美味しいものを、探しておかなければなりませんな」
「……おいしいもの、さがす」
「そうね。みんなで、探しましょう」
そう言って、三人は、顔を見合わせて、にっこりと笑った。
その頃、遠い異世界の街道では、ひとりの冒険者が、「ハックション!」と盛大にくしゃみをしていたとか、いなかったとか。
(本当に、了)