キヴォトスに単身ドリフトしちゃった藤原拓海(30) ~頭文字D Archive Stage~ 作:曇りのち晴れ男
「くふふ……夏! 長期休み! と来れば当然、海~っ!」
「行くわよムツキ! あの水平線の向こうまで!」
「どこを目指してるの、社長……」
ギラギラと照りつける太陽の下、波打ち際ではしゃぐアルとムツキを眺めながら、カヨコがパラソルの日陰で呆れたように呟いた。
浮き輪を抱えたハルカが、もじもじしながら隣に立つオレの方を見上げてくる。
「た、タクミさんは水着に着替えないんですか……」
「おいおい、オレはもう30だぞォ……」
オレは頭を掻きながら、着てきた白いTシャツとジーパンの裾を少しだけ直す。
あの美食研究会のR32との死闘から数週間。夏が本格的に始動し、焼き付けるような太陽が顔を覗かせる。
バトルの直後は、ハチロクのパーツ代や約束してしまった最高級焼肉の代金を回収するため、便利屋の連中と共に文字通り寝る間も惜しんで依頼をこなしまくった。そしてある程度の資金的な安定を見せたところで、アルが豪快に「長期休みを施行するわ!」と宣言し、こうして海へとやってきたわけだ。
せめてもの薄着ということで選んだ、無地の白いTシャツと色落ちしたジーパン。水着ではしゃぐ気にはなれなかったが、このラフな格好は、なんだか群馬の秋名で毎日とうふを運んでいた昔の自分に戻ったようで、少しだけ心地よかった。
遠くの波打ち際では、アルが自信満々にポーズを決めているところにムツキが容赦なく海水をぶっかけ、ハルカがあわわとパニックになりながらアルを庇おうとしてびしょ濡れになっている。
相変わらず騒がしい連中だ。
オレはパラソルの下のビーチチェアに腰を下ろし、隣でスマホの画面を眺めているカヨコに視線を向けた。彼女も水着の上からパーカーを羽織り、海に入るよりは日陰で涼むのを選んだらしい。
それにしても、カヨコの水着のセンスはどうなんだ。カーテンみたいなものを首から下にまとっているようなその水着は、一体何を思って選んだんだろうか……。
「ハチロクって、レビンって言う方もあるんだね」
ふと、スマホで何かを調べていたらしいカヨコが、画面から目を離さずにそう言った。
あのバトル以来、彼女はすっかり車に興味を持ったようで、暇さえあれば車のカタログやネットの情報を漁っている。
「ああ。ヘッドライトが固定されてるのがレビンで、オレの乗ってるリトラクタ……。パカパカするやつがトレノだ」
「タクミは、レビンよりトレノの方が好きなの?」
「トレノは昔から乗ってる愛着のある車だからなァ」
オレは青い海をぼんやりと見つめながら、自然と口を開いていた。
「キヴォトスに来る前、向こうの世界にいた頃からずっとトレノに乗ってたんだ。最初はオヤジの車だったんだけど……気がついたら、オレの相棒みたいなもんになってたんだ」
「……へえ。タクミの元いた世界でも、ハチロクに乗ってたんだ」
カヨコは少しだけ驚いたように目を丸くし、それから面白そうに口角を上げる。
「こっちの世界でもハチロクの相棒は変わらないみたいだ」
オレが苦笑交じりにそう返そうとした、その時だった。
「あの……ゲヘナのハチロクのドライバーさんですよね!」
不意に、少し離れたところから興奮したような高い声が響いた。
振り返ると、派手な水着を着た見知らぬ他校の生徒が、目をキラキラさせながらオレの方を指差して立っていた。手にはなぜか、車の雑誌らしきものが握られている。
「え、あ、いや……」
「やっぱり! R32に勝った白黒のハチロクの人だ! 握手してください!」
「お、おいっ……」
ぐいっと距離を詰められ、オレは戸惑いながらビーチチェアの上でたじろいだ。隣でカヨコがからかうように笑っている。
「(そういや、あのバトルの後から、ゲヘナや他の自治区でもやたらと走り屋ブームが来てるんだっけな……)」
まさか異世界に来てまで、しかもこんな海辺で顔を指されるようになるとは思わなかった。
キャーキャーと騒ぐ生徒を前に、オレは白いTシャツの襟元を引っ張りながら、内心で大きくため息をついた。
「(すげー、変なカンジ……)」
すると、遠くの方からムツキとアルが砂浜を蹴立てて走ってきて、油断していたオレの両腕を両サイドからガシッと捕まえた。
「え、な、何だよ」
「タクミも遊ぶのよ! 寂しいじゃないの!」
「くふふ……白いTシャツなんて水遊びするのにうってつけだもんね!」
アルが強引に引っ張り、ムツキが面白がりながらオレの背中を押して波打ち際へと連行していく。
「あっ、お、おい! やめ……いたたたた! ムツキ、腰はやめろ! 一応良いトシなんだからな!」
「えーいっ!」
抗議も虚しく、ムツキに思い切り海水をかけられ、オレの着ていた白いTシャツとジーパンはあっという間に全身びしょびしょになってしまった。
濡れた髪をかき上げながらため息をついた、その時だった。
遠くの方で、突如として激しい発砲音が響き渡り、火線が空を飛び交うのが見えた。ゲヘナの生徒同士による日常茶飯事の銃撃戦だ。
「(げ、まずい)」
オレは咄嗟に身を屈め、便利屋のみんなに目配せをする。
キヴォトスの生徒たちと違い、オレには銃弾に対する耐性など全くない。ただの生身の人間だ。いくらポンコツなアルたちでも、オレを銃撃戦のそばに突っ立たせておくほどバカではない。全員が頷き、オレを安全なハチロクの中へ逃げ込ませようと踵を返した。
しかし、その次の瞬間。
銃声の鳴る方角から、甲高いエキゾーストノートを響かせて一台の車が猛スピードで走ってきた。
「(ロータリーエンジン……!)」
独特のモーターのような高い排気音。
その車は、銃撃戦をしている生徒たちのもっと手前──つまり、逃げようとしていたオレたちの目の前で、唐突にロック寸前のブレーキをかけ、車体を横に向けて強引にスライドストップをする。
ズザザザザッ!! と凄まじい勢いで砂が巻き上げられる。
逃げ遅れたオレは、すでに海水でびしょびしょになっていた顔や体に、その巻き上げられた砂がべっとりと固着してしまった。
「(すっげーヘッタクソな停車……)」
「あはははは!! タクミくん砂まみれ!!」
口の中に入った砂を吐き出しながら、オレは思わず心の中でその車の挙動にダメ出しをした。横を向けるにしても、荷重移動も何もないただのパニックブレーキに近い。
砂煙が晴れる中、停車した車の運転席から、青い髪の生徒が慌てた様子で降りてきた。
その制服は、なぜか胸の横だけをさらけ出している。
「(横乳すげー……)」
彼女はすぐに後部座席の方へ回り込み、ドアを開いて中の生徒を降ろす。
その開いたドアの構造を見て、オレは目を丸くした。
フロントドアとリアドアが、中央から左右に開く『観音開き』になっているのだ。
「……RX-8」
流線型のボディと、ロータリー特有のエンジン音。
啓介さんや涼介さんが乗っていたRX-7。その後継機として出た、ロータリーエンジンのFR車だ。そういえば、4ドアでドアが観音開きになっているんだったな、と昔読んだ雑誌の知識が蘇る。
だが、オレの車に対するオタク的な関心は、次に起きた現象によって一瞬にして吹き飛ばされた。
青い髪の生徒が開けた後部座席から、一人の小柄な生徒がゆっくりと降りてきたのだ。
その瞬間、真夏の茹だるようなビーチの空気が、まるで氷点下まで凍りついたかのようにピンと張り詰めた。
「(なんだ、あいつ……)」
これまで数々のヤバい連中を見てきたオレでも、本能で「マズい」と悟るほどの、今まで見たこともないような凄まじい威圧感を持った生徒だった。アルたちの表情からも、一瞬にして余裕が消え去っているのが分かった。
「げええええっ!! なんで風紀委員長が出張ってきてるんだ!」
「逃げろぉ~~っ!!」
「うなれ私のワンエイティ! ……あれ? 進まない」
「(あ、一人、スタックした……)」
銃撃戦をしていた生徒たちは、その小柄な生徒の姿を見るなり悲鳴を上げ、あっという間に散っていく。
驚いたことに、そのどれもが自分の車に乗り込んで砂浜を蹴立てて逃げていくのだ。あの黒曜峠のバトル以来、本当にゲヘナでは走り屋ブームが来ているらしい。
「……アコ。これ、私が来る意味あったかしら」
「ええ、それはもう。ヒナ委員長の圧倒的なオーラに走り屋の馬鹿共も……。おっと、失礼しました。規則違反の生徒たちも皆怯えています」
「別に怯えられたいわけではないけど……」
小柄な生徒──ヒナと呼ばれた風紀委員長は、どこか疲れた様子で大きなため息をついていた。
なんだかあのヒナという生徒も苦労していそうだとは思うが、まぁ、どこの世界でもトップに立つ委員長という立場は簡単なものではないのだろう。
銃撃戦をしていた連中も去った。これで平和になるかと思った次の瞬間。
青い髪の生徒──アコが、こちらを見るなり近づいてくる。
「おやおや……まさか便利屋がこんなところにいるとは。それに、カヨコさんも」
「……アコ」
カヨコがその生徒に向かって、心底嫌そうな目を向ける。どうやら顔見知りのようだった。
「こんなところでお会いするとは。それにそちらは、かの『ゲヘナのハチロク』……」
アコの鋭い視線が、オレに向けられた。
すると次の瞬間、何の前触れもなく、彼女は手に持っていたハンドガンの銃口をオレに向け、引き金を引いたのだ。
パンッ! という乾いた破裂音。
「うおっ!?」
咄嗟にカヨコがオレの体をドンッと横に突き飛ばしてくれたおかげで、銃弾はオレの頭があった空間を通り過ぎていった。
砂浜に倒れ込んだオレを見下ろすアコの表情は、なぜかひどくイラついているように見えた。
「タクミ、まずい……!」
カヨコが焦ったような小声で耳打ちしてくる。
「多分アコたちは、タクミが弾丸に耐えられないことを知らない。そもそもキヴォトスに弾丸が耐えられない人なんてタクミ以外にほとんどいないから、誰も考えもしないの……!」
つまり、向こうは『ちょっと痛い牽制』くらいのつもりで、普通に実弾をオレの頭に撃ち込んできているということか。当たれば確実に死ぬオレにとっては、たまったものではない。
今ここで弾丸の耐性について話したところで、彼女たちは止まらないだろう。
「……銃撃戦を止めに来たついで。今日こそあなたたちを捕まえる」
ヒナがこちらを向いて、その化け物のような巨大な銃を持ち上げた。その瞬間、ビーチの空気がさらに一段と重たく、殺気立ったものに変わる。
「全員ハチロクに走って!」
アルの鋭い号令が飛んだ。
「ムツキは爆弾で砂を巻き上げて! ハルカとカヨコはタクミの援護!!」
休日の穏やかなビーチは、一瞬にして命がけの逃走劇の舞台へと変貌した。オレは砂まみれのまま立ち上がり、相棒の待つ駐車場へ向けて必死に走り出した。
「なー、アル! アイツら何なんだ!?」
砂浜に足を取られながら必死に走りつつ、オレは前を走るアルの背中へ向かって大声で問いかけた。
背後からは、風を切り裂くようなヒナの巨大な重機関銃の掃射音が轟き、ムツキがばら撒いた地雷が次々と爆発して目くらましの砂煙を上げている。
「あれはゲヘナの風紀委員! 泣く子も黙るゲヘナの治安維持組織よ! まともにやり合ってまず勝ち目はないわ! 以上よ!」
「すげー簡潔で分かりやすいな!!」
走りながらだというのに、やけにハキハキと分かりやすい説明をしてくれる社長にツッコミを入れつつ、オレはぜぇぜぇと荒くなる呼吸に自らの年齢を感じていた。
キヴォトスの生徒たちは平気な顔で砂浜をダッシュしているが、こちとらただの三十路のおっさんだ。命の危機が迫っているとはいえ、すぐに息が上がって足がもつれそうになる。
「タクミさん、急いでくださいっ!」
「ほらタクミ君、遅れると蜂の巣にされちゃうよ~!」
ハルカとムツキに急かされながら、オレたちはどうにか駐車場に停めてあったハチロクの元へと辿り着いた。
オレが運転席に飛び乗り、アル、ムツキ、ハルカの三人が狭い後部座席へギュウギュウ詰めになって転がり込む。
三人が乗ったのを確認して、カヨコも助手席に乗り込む。
「全員乗ったな!? 出すぞ!」
オレはキーを捻ってエンジンを叩き起こし、ギアを1速に叩き込んでアクセルを全開にした。
タイヤがアスファルトを激しく蹴り上げ、ハチロクがロケットのように駐車場から飛び出す。
ふとルームミラーを見ると、砂煙を切り裂いて、あの青い髪の生徒──アコが乗ったブルーのRX-8が、猛然とこちらを追尾してくるのが見えた。
「銃撃戦はダメでも……こっちなら……!」
実弾が飛び交う状況では手も足も出ないが、ハンドルを握った車の勝負なら、オレの土俵だ。
ハチロクはビーチに隣接する、海沿いのワインディングロードへと躍り出た。
海岸線に沿って緩やかなカーブが連続する、ちょっとした峠道のようなコースだ。
ストレート区間に入ると、後ろのRX-8がみるみるうちに巨大化してくる。排気量の劣るハチロクに対し、ロータリーエンジン特有の高回転域の伸びで、確実に距離を詰めてきているのだ。
「風紀委員がすぐ後ろまで来てます……!! いっそ私が囮に……」
「ええい、タクミ! なんとか撒けないの!?」
後部座席でハルカが悲鳴を上げ、アルが身を乗り出して叫ぶ。
だが、オレはバックミラーに映る青いスポーツカーの挙動を見て、妙な違和感を覚えていた。
「(……?)」
確かに直線での加速は速いが、コーナーへのアプローチに入った途端、その操縦は驚くほどお粗末なものだった。
ブレーキングが極端に早く、荷重移動も全くできていない。コーナーの途中で無駄にステアリングを切り足したり戻したりして、車体がフラフラと不安定に揺れている。
おそらく、走り屋ブームに乗っかって車を買ってから、まだそんなに時間が経っていないのだろう。ハイパワーなFR車に完全に振り回され、乗り慣れていないのが丸わかりだった。
「(こっちにとっては願ったり叶ったりだ、走りが甘い……!)」
オレは軽く息を吐き、目前に迫る交差点を見据えた。
赤信号なら止まらざるを得ないが、運良く進行方向は青信号だ。しかし、この海沿いの交差点は直角以上に舵角がきつい、鋭角な左折コーナーになっている。
「しっかり捕まってろよ!」
オレが短く警告した直後。
ハチロクはほとんど減速することなく、交差点の手前でフェイントモーションを入れた。
一瞬右へ振った車体を左へ強引に切り返し、クラッチを蹴り飛ばしてリアを意図的にブレイクさせる。
「きゃあああっ!?」
「わっ!?」
後部座席の連中が悲鳴を上げる中、ハチロクは交差点のど真ん中を、まるでフィギュアスケートのように美しい真横の姿勢で滑走する。
横断歩道の白線すれすれをかすめ、タイヤが甲高いスキール音を響かせながら、完璧なアングルで左側の道路へと立ち上がった。
アクセルを踏み込んで車体を真っ直ぐに戻し、素早くルームミラーに目をやる。
そこに、あの青いRX-8の姿は映っていない。
おそらく、オレの進入につられて、パニックブレーキを踏んだか、曲がりきれずに交差点のど真ん中でスピンして止まってしまったのだろう。
「な、何とか一命をとりとめた……」
背後から追ってくるエンジンの音が完全に聞こえなくなったことを確認し、オレは深く息を吐き出してシートの背もたれに体重を預けた。
左腕の痺れはない。だが、心臓はまだ早鐘のように鳴り続けている。
「はぁ……はぁ……死ぬかと思ったわ……!」
「くふふ、最高にスリリングな海水浴だったね~!」
後部座席ではアルがぐったりと肩で息をし、ムツキだけがキャハハと無邪気に笑っている。
ゲヘナという学園のアウトロー稼業になじみ、この世界で車を走らせることの楽しさを思い出したのもつかの間。
自分にはいつも、こうして理不尽な命の危険が隣り合わせなのだということを、容赦なく思い知らされる休暇となったのだった。
想定ユーロビート・楽曲
「おやおや……まさか便利屋がこんなところにいるとは。それに、カヨコさんも」
Dancing/Vicky Vale